選挙が近づくにつれ、大衆媒体は、社会媒体の問題を、盛んに取り上げる。特に、暫く前の不祥事に続く、首長選挙において、訴えられた前知事が、返り咲いたことが、事前の情勢に、社会媒体の動きや、対抗馬の情報操作が、大きな影響を及ぼしたことから、警戒が強まる。
だが、と思うのは、件の選挙において、大衆媒体は、前知事の責任を、厳しく追及するだけでなく、過剰な批判を繰り返し、却って、逆効果を招いたのでは、との批判もあった。何れにしても、有権者は、小さなことで、一気に動き始め、よく考えもせずに、投票行動に移す。その結果が、歓迎したものだった筈が、その後に、次々に暴かれる、不祥事の実態から、県民は、反省頻りとなった、とも言われ始めた。一方で、大衆媒体も、不可思議な報道を、繰り返すようだ。先日も、世論調査の結果が、発表されていたが、投票行動だけでも、信頼に足るもの、とは思えないものだった。投票に行くか、との質問に対し、56%が必ず行くと答え、つもりと期日前投票の割合を加えると、85%程が、投票することとなる。しかし、この所の投票率は、地域差があるものの、平均すれば、低迷を続けており、ここ5回の平均では、55%程度となる。これが、突然、8割を超えたら、驚くべきことだが、誰もが、あり得ないと思っている。世論調査は、確かに、動向を示すものとして、信頼に値する、と言われてきたが、例の離脱の賛否の、調査結果と現実の乖離は、かなりの衝撃を与えたように、最近の動きには、不信感しか抱けない。事程左様に、情報に惑わされる、庶民の行動の一方で、情報を、操作しようとする、心理については、不明な点が多く、そろそろ、大規模な調査に対して、考え直す時期が、来ているのでは、とも思える。確かに、情勢を見通す為には、こんな事前調査が、不可欠と思われるが、嘘を吐くことに、慣れてしまった人々と、自分達の思惑に、沿った結果のみを、取り上げようとする、報道関係者の間で、築き上げられた、不確実性を、そろそろ、切り捨てる必要が、ありそうに思う。海の向こうの不確実は、その典型のようで、振り回されぬよう、熟慮が必要となるのだろう。
平日の朝の、経済番組について、また取り上げてみたい。出演する評論家達は、まさに玉石混淆であり、参考になるものもあれば、首を傾げるしかないものもある。その一人が、今朝出演して、例の如くの批判を、繰り返していた。彼には、中央銀行の政策が、杜撰にしか見えないらしい。
とは言え、株式投資に手を出し、何とか、資産運用を進めている、人々にとっては、彼の主張には、賛同できないものが多い。何事も、論理的に説明し、その上で、政策の過ちを、挙げていく姿勢は、経済理論を、学んできた、と自負する人間にとって、当然のものだろうが、一方で、経済の動向に、絶対的な理論が、存在しないことは、投資家ならば、誰もが知る所で、それらの主張を、全て受け入れるのは、却って、危険と感じるだろう。今朝も、批判的姿勢には、何の変わりも無かったが、これまでの、論理的な説明では、現実感に薄く、受け入れ難いとの反省からか、身近な話題、それも生活感の濃いものを、引き合いに出していた。そうは言っても、庶民と同じ、とはいかぬもので、欧州からの、旧知の友人夫婦を、庶民的な料理店に招き、この国の現状を、紹介したとの話だった。この食堂は、欧風料理を、手軽に楽しめるとして、人気を誇る店で、当然、安価であることが、最大要因となる。為替換算で、価格を伝えることで、彼らの国との違いを、歴然と示すことで、自国料理との味の違いを、批判する夫を、妻が、この値段ならば良い、と窘める、という姿は、予想通りだろうが、価格の違いを、為替のみに、結論づけた姿勢には、例の如くの思い込みがあり、感心できない。何しろ、ワインの価格の違いは、1.5リットルとグラス一杯が、同価格だったわけで、為替レートが、今の十分の一程に、下がらねば、割が合わない。更に、物価の違いが、給与水準の違いによるとの結論も、彼らの母国とは、あまり違わない為に、強引なものと映る。確かに、人件費の高さが、要因の一つになるが、それだけでは、説明が付かず、今の物価の違いは、何処から来るのか、説明し難い。ただ、40年程前に、彼の国を訪ねた時も、経済状況が、芳しくないのに、物価が高いとの実感があり、生活費に対する考え方が、違うことと、もう一つ、重要なのは、老後への心配が、違う点だろう。家族制度の違いと、家族への思いの違い、によるものと思えるのだが、経済理論では、説明できぬことだ。