ここを読みに来る人は、流石に、騙されないだろうが、投票日が近づくにつれ、続々と流される情報に、首を傾げるどころか、「嘘!」、と叫んでしまうことが、増えている。典型は、期日前投票に関することで、これで、投票率が上がった、と言いたい人が、一杯居るようだ。
今回こそは、とばかりに、世論調査の結果を、せっせと垂れ流す。だが、この結果が、本当ならば、投票率は、あっという間に、8割近くなる筈で、半分になるか、という所で、低迷し続けるのは、摩訶不思議でしかない。物事を、批判的に捉えよう、という掛け声を、盛んに書き続けてきたが、情報の大切さを、強調し続け、更には、弱者の問題を、盛んに取り上げる連中は、今の状況を、どう解釈するのか。それも、偽情報を垂れ流し、世論調査よりも、世論操作に、腐心する人々が、何を言いたいのか、理解できない。その上、予想屋よろしく、何処が、どの位の席を、確保するかを、連呼する。世論調査で、信頼に値するのは、まずは、無作為抽出が、基本となり、その上、千人を超える人から、集められた結果となる。だが、今、巷に溢れる調査結果は、国の内外を問わず、出鱈目でしかなく、論理的な設定を、提示したとしても、それが、信頼に足るものか、となると、別の話でしかない。だからこそ、国民投票を、実施した途端に、予想とは、正反対の結果が、出てしまったことに、驚くばかりか、その後の対応をも、誤った挙句に、政権交代へと至った国が、出てきたのだ。今や、この国においては、そんな想定は、何の役にも立たず、その一方で、前回の交代で、大失敗を犯した政党を、源とする連中は、決して、交代を望まず、不安定にさえ、なってくれれば、それで良しとする。この状況で、乱立する情勢において、有権者は、何を望み、何を目指すのか。さっぱり、見えてこないのでは。もし、不安定が、達成されたとしても、そこから、何が生まれるのか、誰にも分からぬ。と言っても、よその何処かの国とは違い、混乱の極み、にはなりそうにない。妥協の産物に、慣れた国民性では、そんな所かも。
選挙が様変わりした。という意見を、よく聞くがどうだろう。確かに、前にも書いたが、期間に入った途端に、街宣車からの大音響に、辟易とした時代と違い、今では、端末に届く、囀りの数々に、真偽の程は、と疑いつつも、念の為に、目を通す毎日、となっているのでは。
以前なら、管理委員会の審査が、入っていないと、何もできなかったものが、囀りの世界では、候補者自身も、応援者も、好き勝手な書き込みが、可能となる。それが、偽情報となれば、選挙後に、何らかの措置が、取られるのかも、だが、現実には、期間中は、無法地帯となり、あの世界特有の、罵り合いを含め、人間としての、価値を疑いたくなる、野放図な状況となる。ただ、その大部分は、今の時代の趨勢として、活動の一環として、認められたものであり、選挙応援同様に、報酬が関わらぬ限り、問題ないとされる。今更、真偽の程を、議論しても、法律で規制されておらず、無意味な話でしかない。と言っても、昔から、公約の数々は、そのほぼ全てが、空手形で終わっており、所詮、その程度の信頼しか、保てない世界での、戯言に過ぎない。一方、暫く前から、始まっていた、大改革については、どう考えるべきだろう。以前なら、期日前投票は、正当な理由が無いと、断られることがあり、敷居が高い、と言われたものだが、今や、誰もが気軽に、行ったとしても、理由はおろか、本人確認も、不十分なのでは、と言われる始末だ。こうなった理由は、低迷を続ける、投票率を上げよう、との動きから、とはよく言われるが、その結果は、決して芳しいものではない。依然として、投票率は、低迷したままで、様々な制限を、課すことで、高投票率を、実現している国と比べて、深刻な状態となっている。手軽にしても、所詮、当日の投票が、面倒だからと、買い物のついでに、とか、出かけた時に、とか、そんな理由で、元々投票してきた人が、期日前に済ませた、だけとなっている。清き一票、とはよく言われるが、所詮、一票に過ぎず、当選に必要な票数と比べ、あまりに小さいから、大勢に影響ない、と思うようだ。でも、そんなことを、言い出したら、一事が万事、そう解釈できる訳で、民主主義の根幹が、崩れてしまう。さて、もう済ませたのか、それとも、当日に、か。
嘗て、季節外れの天気を、異常気象と呼んでいた。通常と異なる、という意味だったが、不安や心配を、起こさせる意味合いが、あったのではないか。ただ、これでは、多くの中の、少数の違うもの、といった感覚しかなく、長続きしない、という印象が、強かったようだ。
それが、いつの間にか、気候変動、という言葉に、置き換えられた。こちらでは、少数の異常ではなく、徐々に、かも知れぬが、確実に、変化が起きており、今後は、そちらへと流れる、という印象を抱かせる。想定外のこと、予想外のこと、という点で、不安や心配の種を、植え付けようとする動きから、これまでとは違う、全く別の気候が、続くのだとする動きへと、転換することで、その原因についても、最大のものとして、ある気体へと、話題が移り始め、結論として、産業革命以前の、水準への回帰を、世界的に議論し始めた。その真偽については、一部の学会を除き、多くの異論があり、議論の余地は、かなり残っている、と言われるが、政策策定を、主要な役割とする、政治家にとっては、少しの間違いより、確かな旗印の方が、魅力的に映るからか、全体の舵取りは、そちらへと進んだようだ。ただ、現実的な対策に関しては、議論不十分であり、進み始めてから、方針転換が、盛んに起きたのも、そんな事情によるのだろう。で、身の回りの変化について、少し書いておく。育った地域では、夏の終わり、学校の夏休みが、終わりそうな頃に、その声を聞く蝉は、鳴き方がそのまま名になったが、移り住んだ当地では、夏休みの始めから、その声が聞こえてくる。地域の違い、なのかも知れぬ、と思っていたが、今年は、もう既に鳴き始め、首を傾げた。確かに、梅雨にならぬ前に、猛暑が襲い、梅雨も、雨が降らぬまま、暫く間が空いたが、今はまた、雨となりそうだ。ただ、一方で、南方からやってくる、燕達は、子育ても終わりかけ、渡る準備を始めたか、と思える。変わらぬものと、変わるもの。そんな違いかもだが、これを、単発的な異常と見るか、長く続く変動と見るか、まだ、議論の余地がありそうだ。まあ、断定的に語ることで、何かしらの損得勘定が、あるのかもだが。
目的は、はっきりしている、と本人は宣う。だが、本当だろうか、と思うこと頻りだ。何故なら、世界一を誇り、君臨し続けた時代と違い、今は、業種によっては、凋落の一途であり、外国企業に、買収されるまでに、落ち込んでいる。だからこそ、と本人は、思うのかもだが。
その業界の一つには、嘗て、ビッグスリーと呼ばれる、大企業が、君臨していた。半世紀前までは、当然の如く、だったのだが、その後、こちらから届く、高性能で長持ちする製品に、その地位を奪われ始め、当時も同様に、様々な制約を課すことで、地位を守り、復活を目指そうと、政府も大統領も、躍起になった。だが、その後も、先頭の座を、奪い返すことが、できなかったばかりか、一つは、遂に身売りを、してしまった。凋落が、著しくなった当時も、別の企業で、好業績を上げた経営者を、招いたものの、彼自身の給与が、膨れ上がるばかりで、業績回復は、弾け飛んでしまった。だからこそ、身売りの憂き目を、見ることとなったのだろう。何故、こんなことが起きたのか。原因は、様々に挙げられるが、一つには、組合の問題が、挙げられる。さて、海のこちらも、同様な形で、ビッグスリーと呼ばれる、企業が君臨してきた。ただ、あちらと違い、こちらは、盛衰に違いが現れ、その一つは、身売りではなく、資本提携から始まった。業績不振に苦しんだが、自力での再生を、困難と判断したことから、黒船来襲と呼ばれる、外国人経営者に、再建を委ねることとなり、一時は、見事に果たした、と言われていた。だが、その陰で、経営者の不正が、発覚すると共に、業績不振が、再び起きたことで、企業体質そのものへの、批判が、再燃している。ただ、再建と言われた時も、下請けへの仕打ちや、人員整理など、痛みを伴う、と称しながら、本体の再編を、怠ったことこそが、今の状況を招いた、と言われる。一方で、世界一の座を、獲得した企業は、効率化を目指しつつも、下請けとの関係を、良好に保つと共に、燃料と電力の、両立を目指す方式を、確立させたことが、高い評価を受ける。そこでも、電動への転換に、主力を投入との判断が、誤っていたとされる、凋落企業とは、全く異なっていた。一部には、終わったとさえ、言われているが、確かに、主力工場の、閉鎖を発表したことは、既に、危機的状況にある、ことを示している。経営手法として、根本的な過ちに、気付かぬままなのは、どうしたものかとも思えるが、所詮、そんなものとばかりに、舞台を降りるのも、一つなのかも知れぬ。
情報とは何か。改めて、考えてみるべきでは、と思う。理由は簡単で、信頼が置けるか否かに関わらず、巷に溢れている、情報を精査して、決断する、との意見が、多かったとの報道からだ。報道も、的外ればかりで、当てにならぬが、では、あちらの媒体は、どうなのか。
予想屋とは、先日も書いたことだが、馬券の話と同様に、彼らの殆どは、的中させたことだけを、自慢げに話す。同じことが、政治の世界にも当てはまり、予想屋よろしく、勢力図を描き、どう変化するかを、解説しているが、さて、それ自体が、この国の政治を、どう決めるのか、そちらには、目が向きそうにない。庶民の意見も、同様であり、公約なるものは、最近は、殆ど注目されないが、掛け声よろしく、掴みを得ようと、魅力的な言葉を並べ、さも実現可能の如く、演説を進めるけれど、前回の政権交代では、それが、まさに空手形の如く、投げ捨てられた。期待が裏切られ、嘘吐き呼ばわりも、散々されたが、だからといって、出直すには、途方もない労力と時間が、必要となる。その上、出直したとしても、多くは、前の選挙で、忌み嫌っていた、あの政治へと、舞い戻るだけのことだ。今回のものは、それと比べたら、まだまし、なのかも知れぬが、さて、どうだろうか。一気呵成に、勢いをつけて、演じられた交代劇と異なり、今回は、世界情勢の変化もあり、流れは、徐々に起きてきた。その上で、状況の変化を、じっくりと眺める時間が、確保できた、かに思えるものの、現実は、軽薄短小な議論ばかりで、上部の魅力ばかりを、追い求めることに、何の変わりも無い。更に、混迷を極めているのは、何やら、得体の知れない連中が、旗揚げすることで、乱立の様相を呈しており、何処かの国同様に、一つの勢力では、政を行えない、そんな事態へと、突き進んでいるように、思えてくる。だとしたら、今回の選択は、何を目指すものなのか。ただ、混乱を招けば、それで、楽しめるという、愚かな選択へと、向かいたいのか。或いは、喉から手が出る程に、欲しがっている、安全と安心さえ、手に入ればいい、ということなのか。
選挙活動が、大きく変わった、と言われるが、実際にどうなのか。確かに、街宣車が減り、騒音でしかなかった、爆音に近い程の、叫び声は、余り聞かなくなったが、別の情報が、全く異なる経路から、洪水のように、流れてくる。それに加えて、大衆媒体は、相変わらずの状況だ。
政治となると、突然現れる、専門家やら評論家やら、が居るようだ。毎回の選挙で、彼らは、独自の情報源から、独自の分析を施し、予想屋よろしく、好き勝手な主張を、繰り返している。当たらずとも遠からず、ならまだしも、大外れが当然、という人物も、賑やかしとして、大活躍するのだから、真面目に、耳を傾けようものなら、大迷惑を被る。そんな大衆媒体の、騒ぎに加え、今は、社会媒体なるものが、個別に、次々と、矢を飛ばしてくる。予想屋の信頼度と、大差無い程の、出鱈目な情報や、恣意的な情報操作が、大部分となるが、今や、それを頼りに、心を決める人が、増えているとの、調査結果まであり、この国は、何処に向かうのか、と心配になる。通常なら、そんな極端さが、見えなくなるように、多勢に無勢が、力関係として、働く筈だが、今の状況は、大きな変化を、目指している、とも思えてくる。失敗を繰り返し、徐々に、学習するという、これまでの道筋は、こうなると、辿られそうになく、ある極端への跳躍によって、逆戻り不能な所にまで、行ってしまうのでは、とさえ思えてくる。一方、法律で決められた筈の、通常の選挙活動でさえ、異常な考えに、取り憑かれた人々が、好き勝手な解釈の上で、違法紛いの行為を、繰り返している。狂気じみたもの、と考える人が居る一方で、その狂気を、魅力に感じる、所謂狂信者が登場し、世の歪みが、産み出したもの、との解釈が罷り通る。手にした端末は、そんな混乱の中、大活躍しており、一人ひとりが、自己主張を繰り返し、狂気が、更なる狂気を、招いているようだ。これまでなら、ある程度の制動が、利く筈だったのだが、今の暴走は、止められそうにない。だったら、放置するしかないか。決めるのも、自分達だろうに、何を考えるのか。