電気は大切、と思った人が多いだろう。カタカナ語は、好きではないが、一般的には、ガスと水道を併せて、ライフライン、と呼ばれる。だが、その中でも、とされるのは、その他のものを、利用する際にも、電気が必要となるからで、震災後の混乱の多くは、そこから出ていた。
発電所の問題から、計画停電なる、不思議な措置が取られ、人々の生活は、一変したと言われる。それは、全ての温熱設備を、電気に頼る家庭だけでなく、料理や風呂を、ガスで賄う家庭も、その制御への関わりとして、不便を強いられた。だが、そういう不便も、一時のこととして、早晩忘れ去られ、次の問題が起きた途端に、騒ぎが広がる。対策が、講じられていない、という訳ではなく、例えば、まさに震災直後に、停電が続く中で、発電装置を備えた自動車や、電気自動車が、活躍する、という話を、聞いたことがあるだろう。今回、震災ではないが、天変地異の一つとして、台風による突風から、送電設備が、被害を受けた地域が、停電している、との報道があった。一般家庭でさえ、突風そのものの被害ばかりか、その後に続く停電から、厳しい暑さへの対応が、難しくなったが、高齢者施設は、動けぬ人々が、平穏な暮らしを維持する、そんな環境が、壊されてしまった。復旧を急ぐ、という話があるけれど、一方で、画面には、傾いた電柱が映し出され、とてもすぐには、と思えてくる。一方で、長引く酷暑は、秋の声を聞いても、衰えることなく、若者達でも、辟易とするくらいの、高温が続いている。では、施設で暮らす人々は、どうだろうか。まさに、弱者の典型のような状況に、為す術無しとさえ、思えるような報道内容だが、一向に、電気自動車や、ハイブリッド車の、活用の話は聞こえてこない。命に関わる、と言ってしまえば、その通りだろうが、なのに、どうしたことか、と思えてくる。絵に描いた餅、とでも言いたくなるが、充電ができぬものは、確かに、無用の長物だろうが、燃料を補給すれば、発電もできるとされるものは、と思う。世の中の矛盾、なのか。
仮想世界に、溢れる偽情報に、戸惑うばかり、と伝えられるが、一方で、現実世界では、昨日のように、本質的に、見えなくもないが、何とも、的外れなことが、起きている、と思えてならない。だからこそ、架空の話が、架空の世界を、我が物顔で闊歩して、多くの人々が、騙される。
見極めが肝心、と思うのだが、実際には、正しい情報を、正しく伝えさえすれば、皆が、安心できる世界が、築けるとでも言うのか。そんな話が、実しやかに伝えられ、皆が、挙って参画しようとする。だが、これは、本当だろうか。言葉尻次第で、事柄の真偽が決まる、となれば、騙そうとする人間や機械は、早速、それを模倣するだけだ。それこそが、今の状況を、表しており、それに対して、為す術無し、となってしまいそうに思える。だからこそ、茶番としか思えぬ、対策を、大真面目に、大学で取り上げた、という話に、あえて触れてみたが、どう感じただろう。確かに、見極める為の手段が、見つかり難くなり、騙された人々は、次こそはと、備えを整える。だが、騙される人は、何度も、同じことを繰り返し、なけなしの財産さえ、失ってしまうとされる。だからこそ、社会として、このような人々に、被害が及ばぬよう、仕組みを整えることが、大切とするのだが、上に書いたように、そんな手立ては、あっという間に模倣され、その基準では、判断ができぬ、となるだけだろう。だとしたら、どうすべきなのか。何度も書いたように、他力本願は、できぬものと、考えるべきだろう。自分で、判断する為の手段を、自分なりに、考える必要がある。その為に必要なのは、何なのかについて、もっと考えるべきことが、また、もっと教えるべきことが、ありそうに思えるのだ。疑いさえすれば、大丈夫と信じる人も、自分が、窮地に陥ると、一遍に、騙されてしまう。犯罪者には、誰もが、なりたくないもので、その一言で、赤子の手を捻るが如く、簡単に騙され、財産を失うのだ。だとしたら、何処に基準を設けるか。そんなことから、始めてみては、どうかと思う。そこから先は、これまで書いてきたことで、と思うのだが。
偽情報が、巷に溢れている。そんなことに、悩まされつつ、どう対処したら、と悩む人が多いらしい。特に、社会媒体については、その傾向が高いと言われ、警戒の声も上がっている。では、どうしたら、となった時、人は、どこから手をつけるのか。でも、この報道は、何?
流れてきた時、そう感じた人が、多かったのではないか。昨夕、そんな報道が、流れてきた。ある大学で、偽情報に対抗して、正しい情報を広める方法を、学ぶセミナーが、開催された、という話なのだが。一流の国立大学で、一体、何が行われたのか、と思いつつ、眺めていたのだが、実際、何のことやら、さっぱり分からなかった。そういう仕組みが、自分達の住む場所を、占領しようとする大国から、守る為に必要、ということか、と思いつつ眺めたが、内容は、全く理解できないものだった。通常ならば、偽物を、どう見極めるか、から話が始まる筈だが、そこは、すっ飛ばして、次の段階へと進む。正しい話を拡散するのに、何が重要となるのか、とのことで、そこでは、理解しやすい言葉遣いと、感情的な表現が、重要なのだ、と解説していた。はて、何のこと、と思うのは、実態を知らぬ人間が、抱える問題かもだが、嘘や間違いを、どう指摘するよりも、まずは、正しい情報を、拡散することの方が、重要となるという。でも、それって、どういう意味なのか。改めて、まとめられた記事を、読んでみても、理解できない。真偽の違いを、どう見極めるか、というより、まずは、正しいことを、知る術を持つことが、大切とでも、言うのだろうか。確かに、講師が暮らす地域は、隣国からの圧力で、いつ支配されるか、知れぬ状況にある、と言われる。その上、そういった圧力の多くは、仲間達が、皆不安を抱くような、情報の形として、隣国から、意図的に流れてくる。つまり、それらは全て、偽情報であり、それを鵜呑みにせずに、正しい情報を、手に入れると共に、それらを、他の仲間達に、分かりやすく伝えることが、大切なのだろう。でも、何の根拠も、何の拠り所も無しに、真偽を、どう見極めるのか。肝心な部分が、抜け落ちているように見える。こんなことを、大真面目に、大学で行うことに、意味を見出せない。
もうどうでもいい、と思っているのではないか。と書くと、どれのこと、と返されそうだ。確かに、そんなことばかりで、論理の欠片も無く、感情に訴えるばかりで、何の解決も、見えてこない、という話ばかりで、本当に、嫌になる、と思う人が、多いのではないか。
流石に、天変地異に関しては、人間の力の及ばぬもので、そんなことに、腹を立てても、どうにもならない。でも、人間が関わるものは、それらの殆どが、今や、そんな状態にあるのでは、とさえ、思えているのでは。特に、騒ぎが、大きければ大きい程、そんな状況へと、追い込まれていく。騒動と言えば、ここ半年の間、主食に関する騒動が、国全体を、覆っていたように、思える。店の棚から、商品が姿を消し、不足が、深刻な状況にある、と伝えられた後、政府が、非常時の為に、貯めておいたものを、放出するとの話へと、発展していった。元々は、不足分を補う為、だった筈なのだが、いつの間にか、市場原理が、前面に出てきて、他の物価と共に、高騰を抑える為、との話となり、新しい大臣は、その為の方策を、大々的に打ち出した。結果、確かに、相当量が放出された、筈だったのだが、巷では、依然として、棚の多くは、空いたままであり、放出の仕方が、変わったことでの変化は、僅かなものとなった。その理由は、依然として、説明されないまま、買い取った筈の業者は、受け取りにも現れず、末端消費者には、理解不能な状況が、続いている。そこに、季節が訪れ、新米が出回り始めた。既に、市場に溢れている、数年経過した備蓄米は、不味いと断じられ、米余りの状況が、一部で広がる中、新鮮で美味しい筈の、新米は、価値が高いものとして、高値で取引される。需要と供給では、単純には、決まらぬものと、分かり始めたが、それでも、依然として、市場原理なるまやかしが、吹聴されている。価格操作には、様々な手が尽くされ、流通の中間に、居座る業者が、儲かるような仕組みが、以前から続くが、これでは、上流も下流も、損を被るだけなのだ。だから、もうどうでも、となる訳だ。
陰謀論、と尋ねられたら、どう答えるか。個別の問題、と答えるのが、普通なのだが、社会媒体が、蔓延する時代には、あの世界では、それが、当たり前のこととして、捉えられており、実しやかな話が、次々に、登場してくる。そんな雰囲気で、さて、どう答えるか。
元々、こんな話は、古今東西、何処でも、何時でも、触れられてきたが、今は、その一つの頂点、にあると思えなくもない。最大の要因は、また、海の向こうの暴君で、前任の時、散々に言い散らかし、書き散らかした結果、それが、当然のもの、と支援者だけでなく、世間が受け取るように、なったからだ。だからと言って、本当に、全ての事柄に、陰謀があり、それによって、様々な事柄が、首謀者の思い通りに、運んでいる、と考えるべきかは、定かではない。何か、事が起きるたびに、その背景を、解説することは、いつものことだが、一方で、それが、悪意を持った、一部の人々により、仕組まれたもの、と考えるべきかは、全く別の事柄だろう。と言っても、あらゆる事柄に、種々な考え方があり、その持ち主が、そこから先に、また、様々に関わることも、当然の如くある。有利に働くことも、不利に運ぶことも、何方の場合もあるが、偶々にしろ、利を得た人間が、何かしらの企みを、事前に施したと考えるのは、ある意味、当然のことだろう。でも、だからと言って、何事にも、陰謀があり、それを見破りつつ、対処することこそ、最重要な事柄、と断じてしまうのは、早計なのではないか。裏を読むとか、そのまた裏を読むとか、そんなことが、何事を成すにしても、不可欠なもの、と一部の成功者は、語ることがあるが、後付けならば、誰でも言えることで、その場で、どう情勢を読み取り、どう判断するかは、決まったものがある訳でもなく、絶対的な手法が、ある訳でもない。にも拘らず、あの暴君は、自らの筋書き通りに、事は運ぶべきと、邪魔者達を、陰謀で片付け、排除し続ける。そんなことに、いつまでも付き合っていては、正しい判断が、できなくなるだけだ。陰謀という悪意ではなく、どんな策略、どんな考えが、横たわっているのかを、見定める必要がある。実は、単純なことなのだが。
自国を、最優先に考える、という政策が、海の向こうで、始まった。あの極端な人物が、先導するのだから、諸手を挙げて賛成、とはいかぬものだ。一方で、それまでは、多様化の時代とされ、多種多様な人々が、協力して築き上げる、という考え方が、台頭していた。
今見れば、両極端の考え、と思えるだろう。だが、本当にそうか。まず、自国第一主義、と呼ばれる、何やら、新しい考えのようなもの、については、改めて、書く必要が無い、と思う。何故なら、自分を優先するのは、当然のことであり、利己主義とすれば、誤解を招くものの、利他主義とは、何ぞやと思い続けた人も、多く居た筈だ。自分にとって、良い環境を築くのを、最優先とせずに、他の人の為などと、勝手なことを、言われても困る。更に、多様性となると、途端に、弱者保護が重要とされ、弱者優先から、多数派には、不利な条件が増えた。逆差別、と呼ばれる状況に、声も上げられず、我慢を強いられた人が、沢山居た筈だ。その中で、多様性など糞食らえ、自分を優先すればいい、とばかりに、自国優先が、唱えられた時、快哉の声を、上げた人も多かったろう。当然、多様性は排除され、弱者は、忘れ去られる存在、となった。と言われるが、これもまた、そうだろうか。優先せずとも、排除までは、無用だろう、との意見も多い。まずは、対等な形での、競い合いが始まり、その中で、どんな均衡が起きるのか、見る必要がある。さて、では、こちらはどうか。先日の選挙で、何やら、同じような考えが、最重要の政策として、注目された。だが、これも、同じように、誤解が広がり、またぞろ、排除の考えが、当然の如く、主張され始めた。まさに、人間の狭量さが、表面化しただけで、それを、絶対的なものとして、押し切ろうとするのは、やめて欲しい。ある意味、自分の首を、絞めるだけだから、向こうと同じで。自国を、第一とする考えは、当然のものとして、持っておけばいい。だからと言って、気に入らぬ連中を、排除し、追放する、となると、話は別だろう。共生すべき、とまではいかぬし、一方で、彼らの力を頼るべき、とも思わぬ。まずは、自分達で、できることをやり、その中で、この国の行末を、考えていけばいい。ただ、それだけのことだ。手が足りぬから、と言って、無闇に、頼るのは駄目で、まずは、自分達で、解決できる道を、見つけるべき、だろう。
連日のように、異常な猛暑、と報じられると、本当にそうなのか、と皆が信じたくなる。いや、嘘だと言いたいのではなく、単に、何処がどう異常なのか、説明したらどうか、と思うのだ。それも、観測史上初めて、とか、何℃以上が、何度目とか、そんな話ではなく。
この異常高温は、夏の初め頃、短い梅雨が明ける頃から、始まっていた。だが、その頃、星の反対側では、驚くべき気温が、記録されていた。確か、46℃だったろうか。ここ数年、そんな夏の始まりを、迎えるにあたり、花の都や、霧の街で、有名な都市は、それぞれに、猛暑への対応を、迫られてきた。特に、それらの都市は、緯度から言えば、こちらなら北の国と、同じ位に位置する。となれば、通常ならば、夏も、少しの暑さがあるものの、乾いており、何とか冷房無しに、過ごせると言われてきた。また、木造ではなく、石造の建物が多く、それもまた、ひんやりとした、雰囲気を作っていた。それが、湿度が然程でもないとしても、あの気温となれば、一度、温まった空気や建物が、すぐに冷える筈もなく、死者が出たとしても、不思議ではない。何故、こんなことが起きたのか。星全体の温暖化、という解釈は、好んで使われてきたが、この局地的な変動には、何の説明も、施されない。その事情は、此方も同様であり、今の猛暑と呼ばれる現象が、何故起きたのか、についての説明は、予報の中でも、殆どなされぬままだ。全体の説明に関しても、ある気体の問題、とする考えには、依然として、賛否両論があり、また、気温上昇についても、解釈は様々となる。の中で、彼方と此方で、この猛暑は、何故起きたのか。最新の高速計算機でも、解明できないのか。と考える人が、多いと思う。だが、計算機は、何も無い所から、事実を解明する、のではなく、誰か何処かの人間が、ある仮定を置いて、作り出した計算式に、基づいた計算を、行うだけのものだ。ある変動に対して、次に起こるのは何か、を見つける為の計算は、肝心の計算式が、存在せねば、ただの大きな箱が、あるに過ぎない。さて、では、この変動は、何なのか。誰か、そんな視点で、見てくれないか。