物価上昇が続き、製造業は、人件費の高騰が、問題となりつつあるが、一方で、農業水産業については、自然任せの部分があり、天候不順などで、野菜の不作が、問題となっていた。とは言え、昔と違い、旬の食べ物を、といった考えが無くなり、好きなものを、好きなだけなのだが。
ただ、不作があれば、豊作もあり、時に、採れ過ぎたとの話から、畑に放置されたり、廃棄されたものが、映し出されることもある。どうせ、出荷したとしても、値崩れした相場では、儲けが出ないまま、運賃などで、損失に繋がるから、と言われる。折角作ったもので、勿体無いとの意見も、あるが、その場で、消費者に渡る訳でなく、運送や中間業者が、関わることから、その経費との関係が、こんな事態を、招くと言われる。特に、不作が続いた後の、別の産地からの、供給過剰が、強く影響を及ぼし、生産調整で、と言われるものの、そんな都合良くは、事が運ばぬもの、と言われる所以だ。水産業も、自然からのものも、養殖のものも、同じ状況にあり、漁獲調整を、行う必要が出てくる。ただ、消費者の感覚では、安く手に入る筈が、漁師の都合で、高くなるのは、解せないだろう。特に、価格調整の為、となれば、そんな不都合を、こちらに押し付けられては、溜まったものではない、となるのが、普通の感覚だ。そんな背景でもあるまいが、今年の旬の魚は、当初から、豊漁が続いており、例年より、無難な価格だけでなく、魚自体の大きさも、妥当に思える状況にあり、それに対して、生産者の懸念が、広がると伝えられる。要するに、豊漁続きで、容れ物や、冷蔵用の氷が、不足しており、調整を行わざるを得ない、とされており、何だか、誰かが作った、筋書き通りに、事を運ぼうとする、目論見だらけの、報道となっていた。自分らの都合を、消費者に押し付けると、猛反対の声が、上がるからか、言い訳じみた話を、流布させようと、しているようだ。それも、大衆媒体の、協力を得て、となれば、上手くいきそうにも思える。だが、不安を煽るのを、役割と自認する、報道の姿勢に、信頼は、更に失われる、と思うのだが、どうか。
天変地異には、為す術無し、となるのだろうか。確かに、大きな災害に、見舞われた時、人間の無力さを、感じることは、度々あるけれど、それが全て、とも思えない。時に、人災とまで言われる、事象の数々は、備えあれば憂いなし、の反対となった事柄で、怠った為となる。
最近の猛暑については、多くの人々が、連日報じられる、外出禁止と冷房措置を、守っているようだが、肝心の電力供給が、何かの拍子に、滞ったとしたら、為す術無し、となる。だからこそ、発電方式について、十分な備えが必要で、送電網についても、備えが必要となる。その意味で、現状で十分か否か、については、検討を怠ってはならない。ただ、これは、公的なものに近いが、結局は、電力会社という、企業の責任となる。一方で、この所の局地的な豪雨については、別の要因がある。異常気象の典型として、屡々引き合いに出されるが、安全安心な生活を、守る為の手立てとして、河川の周囲には、洪水に対する備えが、必要となるし、そうでない地域でも、特に、都市圏では、排水設備が、重要となる。これらは、工事自体は、企業が行うものだが、その経費に関しては、公的なもの、各自治体が、進めるべきものだ。ところが、今回の災害が、起きた都心に近い地域は、このところ、税収の減少に、悩まされている、と伝えられており、その主原因は、ふるさと納税、と呼ばれる仕組みにある、と言われている。本来なら、人口密集地域だから、住民税による、税収が確保され、多くの人々の生活に、関連する事業の、整備に使われる。だが、あの納税制度では、無関係な地域に、税を納めることで、得られる利益に、魅力を感じた人々が、多く居ると言われる。もし、その結果が、今回の災害への備えや、全国的な問題として、取り上げられる、下水設備の問題に、繋がっているとしたら、その責任は、何処にあるのか。以前から、下らない制度として、何度か、批判的な意見を、書いてきたが、本来、故郷への寄付、という流れの中での、制度の筈が、今や、全く違う姿を、見せていることを考えると、この悪政を、改める必要が、迫っているように思う。政治の混乱の中、そちらに目を向ける、余裕があるのだろうか。
まだ月半ばだが、今月読んだ本について、書いておきたい。久々の◎、ということもあるが、期待した内容以外に、少し考える所があり、書こうと思った次第。読解力、という言葉は、重要な能力の一つとして、紹介されることが多く、確かに、その巧拙により、差ができる場合も。
ただ、この著者は、心理学を専門とし、その意味では、文字を読めない、読字障害と呼ばれる、発達障害の人々が、対象の一つとなる。有名なのは、代役をおかず、危険な演技も、自身で行うことで、人気を博す、ある映画俳優が、その障害を持つが、母親などの支援で、台本を読んでもらい、台詞を暗記する話で、読めずとも、聞けば理解できる、という一種不思議な状況の、証拠の一つとされる。ただ、先天性の障害でなくとも、最近の高等教育現場では、教科書の意味を解せず、新たな学習が、滞る学生が、増えているとの問題が、取り沙汰されており、現場の混乱の、理由や原因を、突き止めることが、課題となっており、その一つとして、著された書籍、と見ることもできる。ただ、彼らが抱える問題を、段階的に解析し、解決法を、指し示したことは、重要なのだろうが、かの俳優の問題とは、かなり異なる状況に、別の段階での、課題こそが、重要と思えてきた。それはつまり、字を読めるか否か、ではなく、話の内容を、掴み取る能力に、大きな問題があるのでは、という点であり、この本の内容では、一部端折られた部分と、思えるのだ。と考えると、実は、重要なことは、読めば分かる、という話より、聞けば分かる、という方に、あるのでは、と思えてくる。そこには、大学の講義で、高度な内容を習う時、教科書の内容は、勿論のことだが、先生の話の内容さえも、理解できぬままに、受けている姿を、思い起こさせるものがある。聞き取り、あるいは、聴き取りは、重要な手立ての一つで、特に、予備知識が無くとも、それを記録や記憶に、残す作業が、重要となる。読むことと、聞くことには、大した違いが、無いように思う人も、居るのだろうが、この本で、改めて、そんなことを、考えてみる機会を得た。帯にある謳い文句は、その意味では、かなり的外れであり、本質を見誤ったものに、見えてくる。ただ、重要性に、変わりは無い。
真偽入り混じった情報に、振り回されぬ為に、どうすればいいか。情報社会において、最も重要な課題、と言われるものの、誰もが、絶対的な手立てを持たず、個別の例に対して、見極める必要がある。流石に、正しい情報とは、こういう形式をとるもの、との指針には、呆れたが。
長年に渡り、詐欺が横行し続け、騙される人の数と、被害額は、増減を繰り返すものの、犯罪自体が、無くなることはない。その理由の一つは、はじめに書いた、正しいものとは、という括りにあり、それを模倣することで、善良な市民の多くが、まんまと口車に乗せられる、という点にある。心理の動きは、働きかけにより、異なる様相を呈し、どんな探りを、入れるかによって、騙される人の反応は、大きく変わってくる。だから、以前の手口に対し、対抗策を講じても、所詮、何の役にも立たず、また、騙されることになる。詐欺は詐欺として、普通の情報についても、同じことが、起きているように見える。ただ、一対一のものではなく、殆どが、一対多数なのに、何故、誰もが、いとも容易く騙され、時に、片棒まで担がされるのか、不可思議な部分もある。ただ、応援者になった人の多くは、正義感に駆られ、義憤をぶつけようと、片棒を担いだようで、そこには、感情的な行動、という部分と共に、ある意味、軽率な挙動が隠れている。何事にも、慎重に臨むべきとは、当然のことなのに、多くの人々は、そんなことを、忘れてしまう程に、感情的に動く訳だ。だったら、まずは、真偽の吟味においては、感情を棚に上げ、一つひとつを、検証してはどうか、となる。ただ、こんな単純なことに、何故、皆が目を向けず、正しいと信じたことに、走ってしまうのか。これは、情報源の種別に無関係に、古いものだろうが、新しいものだろうが、大衆だろうが、社会だろうが、どんな媒体に対しても、同じ感覚で、対峙することが、重要ということだろう。自分の信じる人だから、支持する人だから、信用のおける媒体だから、などなど、そんな言い訳は、通用しないものだ。ただそれだけ、簡単なことではないか。
海の向こうの暴君以外、殆どの権力者にとり、社会媒体は、忌み嫌うべき存在、なのかも知れぬ。暴君は、自身で、勝手気儘に書き込める、媒体の方が、裏を取り、権威ある、大衆媒体より、遥かに正確と決め付け、会見場からの排除さえ、断行していた。何方にしても、と思うが。
情報操作を含め、一度走り出すと、誰も止められぬ、といった事態に陥り、国情不安に、陥り始めた国々の、施政者達は、社会媒体の排除を、決め始めた。驚くべきは、先進国よりも、発展途上国の方が、極端な反応が、際立つ点であり、元々、情報源の数が、限られていたり、抑圧的な政治の下、プロパガンダと呼ばれる、手法が行き渡り、信じ込まされてきた、国民の多くは、手にした端末に届く、新しい情報に対し、期待を抱くだけでなく、別の形での、鵜呑みに、走り始めたことに、気付かぬままに、暴走、暴動へと、突き進むようだ。昨日の報道から、世界一の高山を、観光の目玉として、抱えている国が、大混乱に、陥っていることが、報じられた。その原因は、社会媒体による、情報流出が、社会不安を、煽り立てている、とのことから、使用禁止へと、結び付いたことだ。ただ、この報道では、「事業者に対して事前の登録を求め」とあり、何らかの手続きを経て、不正の温床を、取り除こう、とするものと読めたが、ごく最近の報道では、その経緯には触れず、ただ、使用禁止が断行され、それに反対する民衆の動きから、措置の撤回と共に、首相辞任となったことを、伝えていた。これらの間の繋がりは、すぐには理解できず、また、全体の背景を、読み解くことも、難しいままだ。こういった不鮮明で、また不正確かも知れぬ、情報を受け取ることが、情報社会の恩恵では、決して無い筈だが、現状では、こんな調子で、情報操作が、行われている。で、何方に向かうのか。誰にも分からず、迷走が続くだけ、なのかも知れぬ。だとしたら、一般庶民として、何をどうしたら、良いのだろうか。最善の方法を、ということは、望むべくもなく、暴走や暴動に、繋がらぬように、することだけでも、備えておきたい。すぐに、動かぬことが、実は、肝要なのかも、と、ここでも思えてくる。
混沌、と書けば、何を今更、と言われるだろう。だが、本当にそうか。これまでは、ある意味で、筋書き通りに、運んできた、と辞任表明した人物は、宣うに違いない。その一方で、外野からは、喧しい程の野次が、飛び交い、政局不安が、露呈したと言われてきた。
どんな手順で、保身を図るのか、と思われてきたものが、蹴りがついたので、辞めるとなった時、ある意味の混沌が、始まったと言えそうに思う。だが、その一方で、選挙後の、それまでの流れから、意外な展開が、続いていたとの見解もある。とは言え、いつも通り、政治の話になると、喧しい人々が、見飽きた顔を、画面に登場させ、訳知り顔で、今後の展開を、予想し始める。誰が、どう引き継ぐのか。人々の興味は、そこに集中する、と思われるが、前回の総裁選程には、盛り上がりそうにない。誰が就いても、今の情勢では、ただでは済まず、一層の迷走が、続くものと思われるからだ。でも、そうは言っても、実際の所、何も変わらず、いつも通りの、ゆっくりとした展開、となりそうにも思える。この、異様とも思える、安定こそが、この国の特徴であり、良い点でも悪い点でもある、と言われる所だろう。けれども、これが長く続くかは、不確かなままであり、次の人物が、どう処するかにより、大きく変化しそうな部分だ。ただ、これまでの展開で、政権交代は、起きたには起きたが、結果として、殆ど何も変わらず、何も変えられぬまま、返上したし、一方で、そのきっかけとなった、経済破綻と言われる事象も、結果的には、苦しい生活とは言え、大多数の、それまでの中流意識に、取り憑かれていた人々には、大きな変化を、強いたものでは、なかったのだ。この安定性は、歓迎すべきものか、あるいは、忌避すべきものか、どちらなのかは、よく分からない。今の大河で、解説されている、二つの改革の、何方を選ぶのか、といった話と、合致しそうにも思えるが、どうだろうか。所詮、この国民性は、極端を好まず、日々の安定を、望むだけかも知れぬ。
振り子の振れ幅が、増すばかりとなり、速度も、増加している、ように感じられる。そんな振り子に、思い当たることは、無いだろうか。今、先進国の多くで、そんな社会現象が、表面化しており、それぞれに、解決への道を、模索しているようだ。だが、簡単では無い。
右や左への、大きなぶれも、確かに、大きなことで、自身の心の動きなら、何かある度に、起きることだが、国の様子となると、関わる人の数も多く、その影響は、甚大なものとなる。触れなければ、動きが止まり、進展が無くなれば、時に、滅亡を心配せねばならぬ。だが、振り回される人間には、彼方此方へと、動かされるのは、たまったものではない。何故、こんなことが、起きているのか。一つには、情報の伝達が、急速になったことと、何かしらの、調整のようなものが、介入しなくなったことに、よるものと思える。手にした端末に、日々刻々届く、種々雑多な情報に、眺めた人々の、心は穏やかでなく、心配や不安に、苛まれる人も多い。更に、恣意的に操作されたものが、一気に拡散する状況は、暴動へと繋がることが多く、不穏な情勢が、蔓延する場合が多い。そんな世界情勢の中、対応が緩慢で、振り子が、大きくだけでなく、速く振れない、国の政に、批判の声が、高まっていた国は、逆に、国民の不安の大きさに比べ、遥かに、安定した状態を、保ってきたように見える。なのに、何故、今更の如く、不安定な方に、踏み出すのだろう。と言っても、ここから先も、やきもきする民衆をよそに、自分達の権力争いに、終始するだけ、となるかも知れず、まだ、何も判らない状況だが、さて、何方に歩み出すのか。少なくとも、全体として、期待が持てず、絶対的な指導者が、登場するようには、決して思えない。その中、それぞれに、勝手な主張を、繰り返してきた勢力が、それぞれに、利害を追求したら、何が起きるのか。これもまた、予想がつかないものだ。与党が、その地位を失った、前回の流れでは、こういう形から、政権交代が起きたのだが、それとは、似ても似つかぬ状況で、やはり、振り子の振れ幅も、速度も、増しそうには、思えてこない。なるようにしか、ならないのだろうが、さて、どうなることか。