どの国でも、国を治める人間が、変わった瞬間には、期待度も含め、支持率が高くなる。海の向こうでは、直接ではないが、候補に投票するのではなく、それを支持する選挙人に投票する形で、結果的に、候補を選ぶこととなる。一方、こちらでは、多数を占める政党が、権利を持つ。
その為、その政党の総裁や代表が、治める人間となる。彼方では、大統領と呼ばれる人物が、力を有するが、一部の国では、その地位ではなく、首相が、その任にあたる。此方では、大統領は、元々存在せず、全ての権利は、首相、つまり宰相が、有することとなる。ただ、世界的な混乱と同様に、此方も、二大政党制ではなく、多くの政党が、乱立する中、混沌とした状況が、形作られ、ある意味、歪んだ状況にある。その為、多数であることは、変わりがないものの、過半数には至らず、混沌とした状態に、陥った。それを決める前に、政党の総裁を、決める過程が来たから、従前通りに、その人物が、自然と任にあたる、と思われたが、近づいてくると、様々な憶測が、飛び交い始めた。政治に対する、意見となった途端に、賑やかとなる、媒体界隈は、何方も、好き勝手な意見が、飛び交うようになり、不安定感が、漂い始めた。だが、結局、何の話し合いからか、落ち着き所が、見出されて、今に至っている。さて、そうなると、以前とは異なる、変化への期待と共に、そのまた前の、経済活況を、思い出す向きもあり、株式市場は、活況を呈し始めた。ただ、よく見てみると、宰相の交代は、確かに、政策転換の始まり、と思えなくもないが、細かな点では、結局は、官僚政治の典型、とも思える動きが、始まったように思える。掛け声は、確かに、宰相から発せられるが、何時、どのような変化が、起きるかについては、それぞれの役所の、上に占める人物達が、考えたように、動き始めており、財務にしろ、農林水産にしろ、従来から、監督官庁が、進めてきたことが、実現するように思える。所詮、この国は、そんなものだ、と諦めの声が、聞こえ始めるだろうが、それこそが、良い意味でも悪い意味でも、安定の源と思え、それが、庶民達の望む、安全安心への、道筋とも思える。動きが、重くなるのは、止むを得ないことだが、それだけ、暴走が少なく、安定が手に入る、と見るべきだろうか。
偽物ばかりに、満ち溢れる世界、どう見るべきなのか。嘗ては、地面師の如く、現実の世界で、対面する中、相手を騙すのが、詐欺師の常道、と言われてきた。しかし、それが、情報社会の発展から、仮想世界のものへと、移りつつある。現実ならば、大丈夫と思っても、そうも行かぬ。
機械が作り出したものなら、機械に見分けさせれば、との考えもあろうが、事は、それ程には、単純ではなさそうだ。初期の画像などは、欠陥だらけで、子供騙しと揶揄され、この程度なら、懸念の必要なし、とさえ言われた。が、その後の発達から、一目では、区別が付かず、様々に、検討する必要がある、と言われる。そこに、見破る為の人工知能まで、登場すると、何だか、マッチポンプの様相、とさえ思えてくる。作る側も、騙す側も、暴く側も、全てが、機械となり、それが無ければ、騙すことも、見破ることも、できないとなる。本当に、そんな世界を、望んでいるのか。ここでも、資金力の差が、実力の差となり、貧富の格差は、広がるばかり、となりかねない。改めて、問いたくなる。本当に、そんな世界、そんな時代を、望んでいるのか、と。最近の、偽情報に関しても、多くの媒体が、社会と大衆に関係なく、取り上げており、実情の報告が、行われている。確かに、嘗てと比べれば、遥かに、整えられたもの、に見えなくもないが、実際には、そう思って見るから、ということもあるが、何となく、怪しげに見えてくる。だったら、自分でも、何とかできる、と思うのは、構わないことだが、で、結局、騙されてしまったとしたら、どうなるだろう。そんな心配に、苛まれる人が、居るのだろうか。周囲を、見渡す限りにおいては、そんな人を、見つけることが、できない。だが、媒体は、そんな人ばかり、と伝えてくる。本当なのか、と疑っても、他人事だけに、如何ともし難い。まあ、自衛を心掛け、口車なのか、別のことなのか、何れにしても、騙されぬよう、備えねば、と思う。何しろ、転ばぬ先の杖に、見破る仕組みを、購入しませんか、などと売り込まれては、面倒なだけだから。
迷惑メールの数が、どんどん増えている。以前も書いたことだが、日々送られてくる、確かな送り主のものに比べ、遥かに多くなっている。無駄、と言って仕舞えば、その通りなのだが、この無駄、必要悪とでも見るべきか。そんな筈は無い。単なる無駄であり、撲滅すべきものだ。
それでも、メールを管理する仕組みは、総じて、それらの殆どを、塵と片付ける。一目で、それと分かるから、と言って仕舞えば、その通りだが、事は、簡単ではない、と思う。例えば、多くの人々が、私用で用いる仕組みは、経験豊かとでも、言うべきだろうか、ほぼ的確に、仕分けをしてくれる。それに対し、同様に、検索などで、使われることが、多い仕組みの方は、目溢しが、目立っている。届いたものから、こちらの判断で、報告した上で、捨てるのが、習慣となる。同様のものが、度々届くだけでなく、報告後も、変化が起きないので、仕分けの仕組み自体が、未完成なのかも、とさえ思いたくなる。こんな状況で、一般庶民は、どうしているのか。何度も、騙されて、なけなしの金を、失い続ける、という人は、流石に居ないだろうが、少し心配になる。一方で、迷惑メールと断じられたものに、送り主の変化が、起き始めた。税務署や警察などの、公的機関が、目立ち始めていたが、それに加えて、宝くじに関連するものが、急増し始めたのだ。中身を、見る気も起きないが、件名だけでも、その異常さが、垣間見える。ただで、くじを配布する、とか、そんな馬鹿げたことが、書かれているのだ。一体全体、こんな話に、誰が乗せられるのか、と思うのだが、世の中は、理解不能に溢れている。ひょっとすると、そんな与太話でさえ、騙されて、個人情報を、書き込む輩が、居るのかも、だ。少し前、株取引の口座が、乗っ取られる話が、流れていたが、その後、接続法が、厳格化されて、収まったように見える。でも、最近、接続時間が、管理されるようになり、無操作時間が、続いた結果、切られることが、増えたように見える。ここも、管理を厳密にした為か。再接続が面倒だが、安全確保と諦めるか。
新政権が動き出し、停滞していた政策が、出始めると言われる。例えば、暫定税率の廃止も、懸案の一つであり、物価高対策の目玉として、注目が集まるが、同様のものとして、庶民が期待するのは、各家庭への現金給付、なのではないか。施しばかりを、期待する人には、特に。
その効果の程が、如何なるものか、誰にも判らぬ、とも言われるが、これまでの実施では、当然、歓迎の声で迎えられたが、その後の状況には、殆ど効果が無かった、とも言われる。にも拘わらず、繰り返し検討するのは、票集めの効果を、期待するからであり、経済対策とは、とても呼べない代物、となっている。その場凌ぎに過ぎず、長い目で見たら、ただ単なる無駄遣いを、増やすのみ、とさえ言われるが、では、長い目で見て、どんな経済政策を、講じるべきなのか。中央銀行の前総裁が、先日の講演会で、指摘したのは、意外なものだった。それは、大学や研究機関への、支援に回すべき、というものであり、他の先進国に比べ、その額が、異常に低いことが、発言の発端となる。また、偶々だろうが、先日の受賞発表で、二人の研究者が、栄誉を受けたことから、そこに注目が集まったことも、関係するだろう。ただ、どのような支援が、必要なのかについては、様々な考えが、交錯している。財政当局は、相も変わらず、競争的資金一辺倒であり、説明の手立てを持たぬ、教育や研究の監督官庁は、従うばかりで、新たな方策を、講じる気配も無い。だが、先進国の中で、見劣りする補助金は、教育や研究に対して、大学や研究機関に、出される基盤的なもので、先端をいく研究への、期待を込めた、競争的なものとは、明らかに異なる。そう考えた時に、前総裁が発言したように、家庭への給付より、大学や研究機関への、補助金に回すとしたら、どんな額が、配付されるのか。給付の予算は、記事によれば、八千億から一兆五千億円と言われ、最低の水準で考えても、八百弱の大学に、均等に配付したとして、一つ十億円となる。それだけあれば、将来の人材を、育成する為に、十分な投資ができる、と考えられるが、どうだろうか。
季節の変わり目、体調管理に、気を使う人も、多いのではないか。確かに、つい先日までは、猛暑の名残のような、高温が続いていたのに、急に、寒さを感じ始めた、とさえ言われる。温度の変化を、眺めてみれば、まさにその通りで、夏日さえ、何処かに行ってしまったか。
で、そうなると、途端に、騒ぎ出す人が居る。気温が下がり、不快に感じる、とばかりに、叫び声を上げる訳だ。それも、致し方ない、とも思えるが、それにしても、上がればああだ、下がればこうだ、という具合に、文句ばかり並べて、何が楽しいのか、とさえ思えてくる。季節の変わり目に、気温が上下するのは、春でも秋でも、よくあることだが、極端な気温だけを、取り上げて、騒ぎたい人には、そういう季節が、無くなることが、一大事とばかりに、騒ぎ立てる。先日も、長期予報で、冬の訪れに関して、報じていたが、その中では、秋が短い、との話が、実しやかに語られていた。冬から夏にかけても、同じような話が、流されており、春は短い、と強調していた。その途端に、あっという間に、夏本番の気温となり、ほらみろ、と言わんばかりに、繰り返していた。猛暑や極寒は、誰にとっても、不快なものだろうが、その一方で、快適な気温、というものは、これと決まった範囲が、無いように感じられる。気温の変化において、昨日と比べて、と置いてしまうと、確かに、同じ気温の数値でも、上がったか、下がったかで、全く異なる反応を示す。絶対的な値を、正確に測定できる、温度計と異なり、人の体は、そういう具合には、働かないからだ。そんなことは、当然なのだが、安全安心を、求める人々は、ここでもまた、快適という感覚を、最優先に考えるから、温度変化による、反応の違いに、振り回されるのだ。四季の変化を、楽しめることが、この地域の特長であり、それを、良いことと捉えているが、その一方で、体は、その変化に、対応できないまま、ああだこうだと、文句を並べる。まあ、所詮そんなもの、と思えば、納得できる筈だが、要求ばかりが、高まる人には、満足など、ある筈もない。
この所、大企業が、攻撃に晒されている、という話が、頻発している。情報社会において、このような攻撃は、大きな被害を、生じるとともに、流通社会の混乱から、日々の生活までもが、危機に瀕する、と言われる。ただ、一般庶民にとり、その詳細は、全く見えない。
企業を管理する仕組みに、直接攻撃を加え、正常な機能を、失わせることで、業務を滞らせる。ただそれだけなら、まあ、目を瞑っておけば、とも思えるが、伝えられる情報では、仕組みそのものの、機能を失わせるだけでなく、機密情報を、外部に持ち出して、それを公開することで、企業の経営そのものに、甚大な被害を、及ぼすこともある。その際に、金銭を要求するから、犯罪集団は、それにより、利益を上げる、となる訳だ。ただ、多くの事件で、情報を、人質の一種として、身代金の要求をしても、応じないように、との指示が、政府や警察関係から、出されるようで、公式には、そのような取引は、なかったとされる。と言っても、裏での取引が、無かったとの確認は、取れていないから、何とも言えぬ状況、にあるとされる。それにしても、このような犯罪が、横行することに、企業関係者は、次は、との懸念を抱き、危機感を、募らせているだろう。企業経営にとり、情報の流通は、欠くことができぬもの、となっているだけに、この手の脅威が、及んでいるとしても、外部への接続を、遮断する訳にもいくまい。だから、この手の犯罪は、次々に起き、仕組みそのものの、脆弱性に付け込んだり、社員や職員の、軽率な対応を端緒として、その手のウイルスを、仕組みの中に、入り込ませる。接続が、不可欠なものだけに、防ぐ手立ては、構成員全員の、確実な業務執行と、仕組みに接続した、機器の脆弱性の除去しか、無いと言われている。ただ、手口の巧妙さは、上がるばかりとなり、単純な保守点検だけでは、不十分となりかねない。多くの事業所は、構成員の教育に、更に力を入れ、軽率な行動を、避ける手立てを、講じるが、さて、どうなるか。素人考えだが、接続の方法そのものを、工夫することも、必要なのでは、と思える。孤立するものと、接続するもの、その間を繋ぐ、厳しい制限を課した、仕組みがあれば、と思うのだが、どうだろうか。
偽情報も、自分で集めたもの、となれば、少しは、責任を感じるが、押し付けられたものだと、かなり、違った感覚を、抱くのではないか。これも、以前、書いたことだが、手にした端末で、受け取る情報の中には、社会媒体だけでなく、電子メールという、通信手段がある。
社会媒体も、電子メールも、情報の受信だけでなく、送信もできるから、場合によっては、犯罪に加担、という事態に陥ることもある。だから、注意せねば、などと書いても、多くの人は、自分には、当てはまらぬ、と思うだろう。それより、被害者になることを、専ら、恐れているのだ。その中で、自業自得とも、言われるのが、社会媒体に広がる、詐欺に騙される、という事件だろうが、如何に巧みに、仕組まれていても、接する機会がなければ、何の問題も起きない。だから、変な所には、訪問しない、という人が多く居る。確かに、その通りだし、自衛手段として、最良のもの、と見る向きも少なくない。でも、情報収集と考えると、遮断することは、折角の情報に、出合うことなく、千載一遇の機会を、失うことになる、と言う人も居る。まあ、何方を選ぶかは、本人次第だろう。だが、電子メールでは、自分の宛先さえ、知られてしまえば、何かしらが、送られてくる。その中に、詐欺が入っていれば、時に、騙されることもある。こちらは、誰か別の人の、記録から盗まれたものが、発信先として、使われるから、自業自得とはならず、まさに、典型的な被害者、となる訳だ。だったら、どう防ぐのか。これもまた、怪しいものは、開かずに放置する、という手段が、推奨されるが、手口が巧妙になるに従い、怪しさだけでは、区別がつかぬ、という場合が増えてきた。それでも、メールソフトが、怪しいものを、選別して、ゴミ箱に捨ててくれるから、まだ安心、だと思う人も、多いだろう。それは、本当だろうか。ソフトによる、としか言いようがないが、やはり、最後は、自分で何とかするしかない。とは言え、肝心なメールの数十倍の数が、日々送られており、念の為とは言え、確認せねばならぬ、となれば、かなりの手間となる。もう、この世界は、そんなものだと思えば、そろそろ手放す時かも、とさえ思えてくる。さて、どうなるやら。