手にした端末で、世界に向けて、自分の意見を、書き綴る。何と、気持ちのいいことか、と思う人が多いようだ。だが、肝心の中身は、どうか。今更、書くまでもなく、玉石混交、まさに、月と鼈、と思えることも、多くある。それも、互いの遣り取りで、大きな差を。
日頃の生活では、こんな体験は、できない。何しろ、相手は、名の売れた人物で、雲の上の人、だったりすることもある。だが、そんな差を、感じさせないかの如く、同じ土俵で、意見交換が、行える。今は昔、それぞれの世界が、異なるだけでなく、互いの住む場所も、違っていただけに、擦れ違うことが、あったとしても、立ち止まって、言葉を交わすことなど、起きる筈も無かった。それが、匿名性が保てる、社会媒体の中では、互いに、相手の正体を、知らぬままに、言葉を交わせる。ただ、社会媒体も、匿名とは限らず、本名や芸名で、書き込む人も居て、そうなれば、実社会では、交わる可能性が、全く無い人まで、言葉を交わし、意見交換できる。これ自体は、まさに、社会媒体の良い所で、貧富貴賤に関わらず、お付き合いが、できることとなる。でも、その遣り取りを、眺めていると、時に、不釣り合いな、状況が、展開される。これ自体も、この仕組みの特徴だから、ある意味、見守るしか無く、何方かに、加勢しても、意味無いことにしかならない。だから、時に、そんな中に、書き込むことも、あるにはあるが、多くの場合は、見て見ぬふりを、決め込むこととなる。落ち着いた、遣り取りであれば、それで良いが、そうならぬ場合は、一方が、もう片方を、拒絶することになる。これもまた、この仕組みの特徴の一つだ。実社会でも、そんなことが、偶に起きるが、でも、仮想空間に比べれば、平穏に戻ることが、できる場合が多い。まだまだ、成長途上なのだが、だからと言って、見守るだけでは、何ともならぬ。それなら、何かできることを、との思いで、最近の書き込みを、続けている。
この所の、株価上昇に、投資家達は、頬を緩めているだろうか。それとも、次に来る暴落に、思いを馳せているだろうか。株価の上下に、一喜一憂しても、仕方がない、との意見もある。投資とか、資産運用とか、その手のものを、考えるのなら、長い目で見る必要がある。
それと共に、大衆媒体では、盛んに、庶民と思しき人に、マイクを向けて、一つ覚えの台詞を、話させている。つまり、株価が上昇しても、自分の生活は、楽にならず、物価高の方が、遥かに問題だと。だが、経済状況を、考える上では、株価は、その指標の一つであり、泡が弾けた後、低迷が長く続いた、株価についても、最高値更新の、報道がなされたことは、記憶に新しい。そこに、新たな波が打ち寄せ、更なる高値が、続く訳だが、報道では、そんな喜びを、扱うつもりはない。僅かな年金で、厳しい生活を強いられる中、物価高に襲われ、次の受給まで、我慢が続くとの話に、飛び付くだけだ。でも、そんな一握りの人々の、悲惨な生活に、目を向けるばかりで、倹しい中でも、日々の喜びを、感じる人が居ることに、気付かないのか。また、そういう高齢者の中には、当然、現役の頃から、将来への備えと称して、投資や資産運用に、目を向け、実際に、資金を注ぎ込んだ人々も、かなりの割合で、居るに違いない。そんな幸福には、興味がないとばかり、僅かな年金に、苦しむ人だけを、取り上げてきた。だが、それが本当なら、街ゆく人々の、表情も、暗いだけとなる筈だ。政治への不満も、同じ線上に、置かれている。勝ち負けにしか、興味を示さず、全国で、取り上げても、何の意味も無い、特定の選挙区に、目を向けるのも、愚の骨頂としか、映らぬものだ。話を、元に戻せば、最高値は、海の向こうもこっちも、状況は同じようである。一人、乗り遅れたと言われ続け、悲劇の主人公と、考えてきた国民には、この状況は、奇異なものとしか、映らない。だが、事実は事実、経済は、好転しつつある、と見るべきだろう。認めたくない人は、放っておけばいい。
庶民にとり、政治とは、理解不能なもの、と思う。こんなことを書くと、すぐに、そんなことは無い、何故なら、今の社会の盛り上がりは、理解した上のことだし、期待が膨らむからのことだ、と、反論が飛んでくる。囀りでは、まさに、そんなことが、横行しているが、どうも。
それらの発言者が、理解しているとは、とても思えないのだ。何しろ、毎回繰り返されるが、昔は、公約と呼ばれ、それが信頼を失うと、マニュフェストなる、新語が登場して、盛んに使われた。でも、正体は同じで、反故にされる、口先だけの約束に、過ぎない。今回も、所詮、そんな事柄の、遣り取りばかりで、違うとすれば、どの陣営も、同じことを、主張するばかりで、何の違いも、感じられず、さて、何方に与すれば、より良くなるのか、と思うだけのこと、何奴も此奴も、好き勝手なことを、叫ぶだけで、確かなのは、当選させろ、というお願いだけだ。で、目出度く、バッジを付ければ、党を挙げて、約束を破り捨て、言い訳だけが、口の端にのぼる。一事が万事、この調子の、政の世界を、日々の生活に、追われ続ける、庶民が、理解できる筈も無い。だったら、何の為の選挙なのか、何の為に票を投じるのか、その答えを、知る人も、殆ど居ないだろう。とは言え、突然のことだが、血税を費やし、国の行く末を、決めようとしている。その中で、有名無名に関わらず、多くの人々が、囀りに書き込むが、はて、これもこれで、疑わしいもの、なのではないか。特に、多くの人が、知る人の中に、囀りに、政治の話を書き、どの党に、投票するかを書く。こういう事態に、首を傾げるのは、国の行く末を、真剣に考えず、何事も、穿った見方しか、示さないばかりか、諦めに似た心情を、書いている、と思われる人間だから、なのかも知れぬ。でも、何方も何方、何が正しいのか、考えているに違いなく、国の将来にも、思いを馳せている。ただ、それを、書くか、書かないか、の違いだけだ。こちらから見れば、何故、書こうと思うのか、理解に苦しむ。他人を、説得しようとするなら、政治家にでも、なったらどうか。皆が、それぞれの役割を、果たすことこそが、大事なのでは、と思うのだ。
performance、業績とか能力とか、訳されるようだが、世間では、専ら、達成度とか効率とか、そんな感覚で、使われるのではないか。注ぎ込んだ、何らかの投資に対し、どの程度のものが、手に入ったか、を論じる場合に。金や時間は、確かに、貴重なものに、違いないが。
それにしても、そんなことを、声高に訴える人程、効率の悪い仕事を、やっているようにしか、見えないのは何故か。こちらが、穿った見方をしたから、というのは、確かにその通りだが、それにしても、効率第一と称して、様々なものを、排除することで、実際には、核となるべき、重要な事柄までも、投げ捨てた例は、数え切れぬ程に、あるに違いない。要するに、効率を、前面に押し出すのは、自分の都合を、押し付ける為の、方便に過ぎず、瑣末と考え、あらゆることに、除外を導入することで、本質的な部分も、失ってしまう。経済的な停滞が、長く続く中、この傾向は、急速に強まった。価格を、抑える為には、効率を上げることで、単価を下げればいい、という考えは、まさに、その典型であり、それによって、肝心な部分が、抜け落ちた一方で、付加価値と称する、何の役にも立たぬ、紛い物が、出回ることとなった。一見、妥当な議論に見え、実は、排除一方の、経営方針が、今の状況を、招いたとしか、思えない。損して得取れ、との掛け声は、成長期にこそ、通用するものだったが、停滞や衰退の中で、効率を追い求めることに、有無を言わせぬ調子が、含まれていたのは、止むを得ない、とみられることが、多かったようだが、今に来て、それが、大間違いだったことが、明らかになりつつある。にも拘らず、したり顔の人々は、効率重視に、しがみついたままだ。このままでは、自己崩壊しかねない、との懸念も、呪文を唱えるが如く、効率を叫ぶ人には、何の影響も、及ぼさない。少なくとも、何を投資して、どう動かして、何を産み出すのか、そんな流れを、考えぬままに、見かけの効率ばかりに、目が奪われるのは、愚の骨頂に、違いない。落ち着いて考え、その場凌ぎではなく、長い目で見た、展望を論じてこそ、真の意味の、成果が上げられる、というものだろう。
突然始まった選挙に、混乱が広がる。だが、大衆媒体は、突如として、我が意を得たり、とばかりに、評論を始めた。正体の知れない、政治の世界に、案内人は必要だが、あんな信用ならぬ連中に、任せたら、どうにもならぬ。それでも、日が近付きつつあり、盛り上がるらしい。
選挙と言えば、盗まれた、と称した、海の向こうの暴君は、その後、復活を果たし、再び、暴れ回っており、国内のみならず、他の国まで、巻き込まれている。自分が、信ずる所に、固執する姿に、英雄を見る目を、向けた人々の、心情は、全く理解できないが、兎に角、彼が始めた難癖は、今や、誰もが、口にするもの、となったようだ。こちらの選挙でも、近年は、投票率の向上を、目指して、有権者に便宜を、とばかりに、選挙制度の変更が、進められている。盗人と呼ばれた、郵便投票は、彼方で、物議を醸したが、こちらで、それに当たるのは、期日前投票だろうか。導入は、四半世紀ほど前だが、その前にあった、不在者投票も、実は、今も続いている。制度の違いの、説明を読んでも、今一つ、理解し切れぬが、どう違うのか。それより、今、問題となるのは、投票所での、本人確認についてだ。何の証明も無しに、手続きが、進む状況に、懸念を抱く声が、有名無名に関係なく、囀りに届く。確かに、不正を疑えば、そんないい加減なことで、と言いたくなるのも、理解できるが、その一方で、宣誓書の提出が、求められることには、あまり触れないようだ。この国は、海の向こうと違い、契約書などの文書を、重視しないと言われる。ここでも、役所などの、他人による証明を、重視する態度が、表れているが、署名などの意味は、どう考えるのか。投票所での不正も含め、疑うことが、正しいことと、断定しつつ、あり得ないことを、書き連ねるのも、不思議でしかない。一体全体、何を頼りに、生きているのか、問うてみたいものだ。
今、読んでいるのは、コーヒーに関する本だ。著者が、言いたいのは、良いコーヒーを、良い雰囲気で、そして、それに見合う、適正価格で、ということだ。確かに、2年程前から、普段飲んでいるコーヒーの、豆の価格は、ほぼ倍に、値上がりしている。理由は、需要と供給とのことだが、はて。
経済大国と、なりつつある国で、西洋風のコーヒーの商売が、浸透することで、この混乱が起きた、とも言われるが、それに加えて、天候不順が、生産地域を襲い、供給が、不安定になった、のも理由と言われる。生産地域は、温暖な所に限られ、比較的貧しいことから、これまでは、虐げられてきた、と言われる。そこに、競争が激化し始めると、少ない牌を、奪い合う図式ができ、資金の流入が続いたことも、一因と言われる。何れにしても、あらゆる物品が、値上げされる中、この嗜好品も、例外ではない、ということか。適正価格は、需要と供給の均衡も、関わるものだが、昨年の米騒動から、その単純な図式は、現実には、当てはめられず、一部の供給業者が、操作した果て、と見る向きもある。他の物品に関しても、30年の停滞の中で、価格の維持だけでなく、品質の維持さえも、難しくなってきた。このままでは、世界に誇る、最先端技術と共に、高度な品質管理も、失われかねず、この国の特質が、失われる懸念が、広がり続ける。だが、この図式、ここまでの話で、抜け落ちた部分に、気付いただろうか。消費者の観点は、勿論のこと、経済を回す為に、必要となる資金の流れで、購買そのものもだが、税金を元にした、公共事業などにも、泡が弾ける前の、あの状況を、思い起こした方が、良いのではないか。その為には、自身が使う物品も含め、国全体として、金が行き渡り、回る為には、使う方だけでなく、その為の資金確保が、重要となる。税金の廃止を、補う為の資金ではなく、納税により、国庫に入る資金を、更に増やして、事業に回すことを、考えるべき時が、来ているように思う。
無知は、恥じることではない。聞くは、聞かぬは、との話は、有名だったけれど、最近は、どうだろうか。誰かに、尋ねるよりも、手にした端末で、という若者が、多いと聞く。だが、その危険性について、論じられることは、少ないようだ。社会媒体を、眺めていると。
間違いが、横行している、と見る人が多い。でも、肝心の若者達は、自分達が、それらの情報源により、間違ったことを、正しいと、信じ込まされていることに、気付かぬようだ。これは、大変なこと、と思うのは、肝心の彼らではなく、煩いとして、敬遠される年代の、人々なのだ。何とかせねば、という話も、どちらかと言えば、年齢を重ねた世代で、懸念を書き綴る。だが、その一方で、面白い反応が、起きているのも、事実のようだ。学習の必要性を、説いている話は、沢山あるけれど、その際に、騙されぬように、学びましょう、という掛け声が、飛んでいるらしい。それに対し、それなりに高学歴と、思しき人物が、大真面目に、こんな呼びかけは、ふざけたものであり、自分は、そんな気持ちで、学習をしたことなど、一度も無い、といった内容の、書き込みをしていた。それは、その人物にとり、事実に違いない。だが、掛け声の対象者は、そんな類の人種ではなく、ただ、社会媒体を、眺めていて、そこに書いてあることを、鵜呑みにする、ある意味、軽薄な人種である。彼らにとり、誰かに尋ねるのは、面倒でしかなく、時には、恥ずかしいという、感情のみが、心を過ぎる。だから、手にした端末で、済ませるものなら、簡単で、誰にも、迷惑をかけず、恥をかくことも無い、と結論付けられる。その上、検索しても、複数のものを、確認するのも、同じ理由で、行う筈も無い。だから、間違いに気付くことなく、それを、人前で、平気で披露する。ただ、同じ若者仲間であれば、面倒と恥から、仮令、知っていたとしても、それを指摘することなく、仲間を失わずに、済ませる訳だ。おやまあ、と思うのは、懸念を抱く年代であり、時に、面と向かって、指摘することさえある。だから、毛嫌いされ、違う世代の人間から、嫌われることとなる。これもまた、不可思議なのだが、もしかしたら、こんな事情が、あるのでは無いか、と思っている。本人達に、敢えて伝えることなく、気付かせるには、どうしたら、と思いつつ。