9月20日(日)

 期待するのは、本人達の勝手、なのだろうが、それにしても、何をどう期待したのか。そろそろ、折り返しが近づき、暴君自身も含め、多くが、期待外れとなりつつある中、打開策を、講じようとする。だが、支持者達は、それに対して、何もできることはない。ただ、待つだけなのだ。
 関税の話は、もう、何処かに、捨てられたのか、はたまた、選挙に勝利したら、と称する、例のばら撒きに、使うのだろうか。物価上昇の、要因の一つ、とされてきたが、それが無くとも、原油価格の上昇は、更に大きな、要因となりつつある。燃料の場合、単純に、物品の価格そのものだけでなく、輸送費を含めた、付加的な要素に、影響を及ぼすから、物価上昇は、更に、大きくなりそうだ。その上、紛争の解決が、見えてこぬ中、多くのものの、流通が不安定となり、更なる上昇が、待ち構えている。こんな状況が、長く続く中、落胆の声が、大きくなるばかりで、期待より、不安が膨らみ、次の選挙でも、劣勢が伝えられる。だからこそ、誰も、予想しなかった、ばら撒きを提案し、多くの評論家が、疑いを、挟んでいる。確かに、違法性については、確定しておらず、おそらく、争ったとしても、任期中に、答えが出される筈も無い。だからこそ、混乱を来すよう、陽動作戦に、うち出たのだろうが、さて、勝算は、あるのだろうか。ここまで来ると、勝敗が、何方に転んでも、暴君自身には、何の関係も、無いのだろう。ただ、名を残し、賞賛の意見さえ、届けられれば、それで満足、となるように見える。ただ、そうは言っても、あと2年を、どう動くかで、市民の生活も、影響を受ける。選挙で敗れて、議会の賛同を、得られぬ状況に、陥ったとしても、これまで同様、強気の姿勢で、多くの政策を、編み出してくるだろう。その結果、何も成立せずとも、本人は、満足するのでは、と思えてくる。あれこれと、散弾が、飛び散るように、考えをばら撒き、その上で、利益を得た人間、少しでも出れば、それだけで、十分なのだろう。これまでの大統領と、同じ感覚で、評価すると、見誤ることに、なりそうだ。

* * * * * * * *

9月19日(土)

 資産運用と言えば、数年前までは、株式投資しか、無いと思われた。その割に、株主の数は、増えておらず、国策として、増やす為として、優遇税制が、採り入れられた。それでも、はじめの頃は、増える気配も無く、年金頼みの老後生活に、不安の声も、大きいままだった。
 誰が見ても、おかしな状況であり、本当に、資産を増やすのなら、株取引は、必須のものと思われた。だが、元本保証の無い仕組みでは、不安しか、口にしない人には、手の出しようが、なかったのだろう。今、若い世代にとり、理解に苦しむ状況だが、現実には、半世紀程前なら、10年預ければ、倍になる貯金が、存在していたのだから、ある意味、仕方ないことだ。苦も無く、資産が増やせる、という売り文句が、掲げられても、今では、そんなことを、信じる人は、殆ど居ない。元本割れも含め、ある程度の危険を、覚悟しなければ、資産運用は、不可能との意見は、当たり前となった。だが、ここに来て、また、情勢が、少しずつ変化しつつある。利息とは、金を預けた時に、つくだけで無く、借りた時にも、ついてくる。だから、公定歩合が、上がれば、預貯金の利子も、増えるだろうし、住宅や車の、購入に充てる、借金の利子も、増えてくる。どんな生活を、送るかによることだが、以前なら、通帳を眺めても、何の変化も起きず、預けることの、意味さえも、失われつつあったものが、今は、ちゃんと、目に見える形で、利子が表示される。となると、資産運用も、株式投資だけでなく、預貯金も、債券も、増やす手立てと、考えることが、できるようになった。とは言え、どの程度の配分で、運用を実施するかは、人それぞれの、ものとなる。安定を狙うか、一攫千金を、狙うかにもより、様々な形で、行うことができるが、どれを選ぶかも、それぞれとなる。老後の備え、と思うのなら、焦らず騒がず、分散させつつ、運用に励めばいい。特に、日々の取引を、優先するのでなければ、まあ、長期的な形での、動かし方が、安全なのかも、と思う。

* * * * * * * *

9月18日(金)

 この所、相場の動きが、芳しくない。結構な勢いで、上げてきたのだが、どうにも、世界情勢の不安からか、安定するのではなく、却って、下げ始めてしまった。要素として、生成人工知能の開発と、エネルギー資源の問題、があるようだ。とは言え、週末の不安は、まただろうか。
 紛争に関しては、二人の暴君が、主な役者なのだが、当初の勢い、と比べると、何とも冴えない様子で、どうしたものか、と本人達も、思っているだろう。だが、戦争という意味では、あっという間に解決、などとは行かぬもので、これが、当たり前なのでは、とさえ思えてくる。では、どんな解決が、と暫く考えても、答えは、見つかりそうにない。その上、何方も、武器備蓄の枯渇や、軍隊人員の減少など、兵力の低下が、取り沙汰されており、一気に解決、とは望めぬ状況にある。となれば、不安定が、今後も続く、と見るべきだろう。ただ、それと、資源供給の問題が、どう関係するかには、誰も、答えを提出できず、成り行きに、任せるしかない、と思い始めている、のではないか。では、ある意味、もっと単純な筈の、人工知能の問題は、どうだろうか。素晴らしい能力、との期待が、徐々に、萎み始めたのも、一つだろうが、それ以上に、懸念されるのは、機械の暴走なのだろう。能力への期待が、高まるにつれて、何処まで、できるのかを、確かめよう、とする動きが、高まってきた。その中で、人間が関われば、違法行為、不正行為、と断じられることが、開発の延長線上で、可能となった途端に、暗い影が、開発現場に、落ち始めてきた。それが、本当に、可能かどうかも、怪しいとは思うが、それ以上に、歯止めが効かず、破壊行為へと、結びつきそうな気配に、開発者の意気は、消沈してしまった、とも見える。となれば、それを頼みとする、好景気に関しても、勢いを無くすのも、やむを得ないのだろう。ただ、経済活動は、これらだけでなく、他の分野でも、進んでいる。確かに、相場平均への影響は、分野により、かなり違うから、すぐに、回復とは行かぬだろうが、一方で、株価として見れば、上げに転じたものは、数多あるに違いない。様子見が続く、保有株の様子だが、それでも、との期待は、持ち続けられそうだ。

* * * * * * * *

9月17日(木)

 皆さんは、人工知能を、使っているだろうか。試しに、子供達に尋ねても、ほぼ全員が、手を挙げる。どうしたことか、とも思えるが、どんな使い方かは、問うていないので、詳しくは、分からない。が、パソコン相手でも、手にした端末相手でも、検索すれば、さっと登場する。
 そんな形で、表示されたものを、読んでみたり、コピペしたり、すれば、それは使っている、ということか。違うと思うのだが、多くの人々は、そうではないだろう。出されたものを、受け取った時点で、使っている、と思い込んでいる。しかし、誰もが、検索によって、物事を調べ始めた頃、多くが、使っている、と思い込んでいた。現実には、ただ、そこにあるものを、自分の書類に、書き写す、正確には、最近の表現では、コピペしたら、使っている、となると思い込んでいる。現実には、検索を使いこなす人の、ほぼ全ては、一つ二つではなく、次々に、表示されるものを、読み比べて、そこにある核心を、掴もうとする。その際には、玉石混淆が、徐々に見えてきて、信頼度の違いが、予想以上に、大きいことに気付く。その上、検索では、上位に表示されるものが、必ずしも、信頼度が、高くはなく、単に、耳目を集め、嘘特有の、魅力満載なだけ、であることに、簡単に気付ける。今回も、同じことが、起きている、と思う。人工知能は、確かに、要求に対して、満足する結果を、表示するように見えるが、他の情報源で、確かめると、嘘八百であることも、屡々起きる。何故、と思うことも、多々あるが、調べてみると、最近の仕組みは、機械にあるまじき、状況にあり、嘘も方便といった、具合にあると言う。その上で、それを指摘すると、謝罪することなく、初めて聞かれたかの如く、別の答えを表示する。時に、それさえ、間違いばかりで、信頼がおけぬもの、と思う人が、増えている。一方で、世界的には、危険性を、指摘する声が、大きくなる。制限を、掛けるべき、との指摘もあるが、さて、どんなものか。確かに、開発についての、報道を読むと、他の仕組みに、不正侵入したり、それを、破壊することも、起き始めている。だから、という訳らしいが、どうだろう。自立性が、取り沙汰されることも、多くあるが、便利だからと、安易に、自立させるのは、愚かな子供への対応と、よく似たものに見える。監視や制御は、当然として、行動制限は、不可欠だろう。その条件下で、開発を進めることが、必須となる、ように感じる。

* * * * * * * *

9月16日(水)

 浅はかか、と書いたが、現実には、何方も何方、の話なのだと思う。ゴミ捨て場の検討、について、書いてあるものを、少し読んでみると、未来永劫、管理の下で、安全性を確保する、との話だが、これ程までに、紛争ばかりの状況から、そんなことが、期待できるのか。
 いや、それは、別の話だ、との反論が、押し寄せるかも、なのだが、人類共通の課題、との見方は、こんな提案をしてきた、世界機関のご都合、でしかないと思う。彼らとて、自分が関わる間は、確かに、口を酸っぱくさせながら、世論に訴え続ける、のだろうが、任を外れた途端に、自己都合ばかりを、言い始めるのだ。そんな不安定で、怪しげな計画より、さっさと、無害と思える程に、希釈したものを、世界各地に、ばら撒けば、それで済む、と思う。汚染された土壌は、程度の違いは、大きいとは言え、現実には、よく似た措置を、続けている。危険性の高いものを、掻き集めた上で、ある場所に、保管し続ける。だが、同じように、局所的には、高濃度と判断された場所で、他の土壌や材料と、混ぜることで、ここで言う、希釈した結果として、危険ではない水準に、達した途端に、検出不能となり、何事も無かったかの如く、扱われた上、忘れ去られる。一方で、保管した土壌について、未だに、その管理を続けるが、流石に、このままでは、よろしくない、と判断したのか、別の場所に、運ぶ算段が、進んでいる。研究者まで巻き込み、馬鹿げた反対論を、展開する人々が、囀りを続けたが、その愚かさは、信じ難い。基準を持ち出せば、暴論を追加して、持論展開に、有利になるようにするし、基準を無視すれば、根拠の無い妄論しか、導き出せない。それ位なら、もう少し、まともに考えた、昨日の提案の方が、遥かにまし、と思うのは、我田引水、でしかないか。否、人類滅亡まで、確実なものを、と望むのなら、放置しても、大丈夫という仕組みが、必要ではないか。

* * * * * * * *

9月15日(火)

 大震災直後の、事故の深刻さは、各国で、受け止められた。結果として、ある国の宰相は、発電様式の大転換を、決意したのだが、その後の成り行きは、予想以上に厳しく、産業の停滞と共に、重荷となった。その四半世紀程前の、もっと深刻な事故と比べ、何が違ったのか。
 これまでに、制御不能と思われる、事故は、世界で三度起きた。と言っても、冷戦期には、情報漏洩に、細心の注意を、払っていたから、他にも、あったのかも知れぬ。何れにしても、二重三重の制御が、必要なことは、明白となり、それへの備えとして、様々な制約を、設けることで、多くの国は、前同様の運用を、続けている。こちらも、同じことで、検査等は、より厳しくなり、不安材料を、並べることに、力を入れ始めた。安全神話が、崩れてしまえば、そうなることは、当たり前か。だが、その中で、データ改竄等、不正が横行するのは、何故なのか。でも、国として、進むべき方向は、定まっている。その圧力が、企業の上に、伸し掛かる中、不祥事が起きたが、そちらでない方も、かなり喧しくなっている。以前から、徐々に、進められてきたが、現実には、処理も保管も、固まってはいない。だから、急ぐべきと、調査を始めたようだが、何故、と思うこともある。世界的な決定は、ゴミを集めて、安全な所に、保管するとなった。その為、既に、準備が終わった国も、あると聞くが、こちらは、まだ、何も決まっていない。心配の声ばかりを、報道は、取り上げ続けるが、あれも、いつも通りの、情報操作の典型、なのだろう。一方で、核のゴミについて、どの位の理解が、あるのだろうか。燃料となる物質以外、との解釈は、どうも違うらしい。新聞報道(無料でも読めるかも)によれば、ウランやプルトニウムを除いた、他の放射性物質の塊を、ゴミと呼ぶようだ。だが、総量に対する、各物質の重量の和は、少な過ぎて、他は何、との疑問しか、浮かばない。それ自体、怪しげに思えるが、一方で、もっと重要なことが、あるように思える。元々、燃料は、自然物質のうち、必要なものを、濃縮することで、手に入れるが、逆に見れば、自然には、僅かしか、存在しない訳だ。だったら、その位の希釈度まで、処理したら、何処にあっても、危険とはならない、のではないか、と思える。この考え、浅はかだろうか。

* * * * * * * *

9月14日(月)

 電力会社の不祥事が、盛んに、取り上げられる。企業として、不正は、いけないと言われるが、何故、あんなに、躍起になる程、真剣に取り上げるのか、と不思議に思う人も、居るだろう。企業なんて、利益追求だけで、いいではないか、と。だが、公益性の観点から、あの手の企業は、なのだ。
 とは言え、それにしても、執拗に、食い下がる報道には、首を傾げる。その背景には、また別の要因が、あるのでは、と勘繰る訳だ。特に、電力会社の、ある発電方式に、批判が集中する。確かに、大震災後の事故から、安全神話が崩れ、厳しい監視の目が、必要とされ、あらゆることに、検査や審査が、必要と言われる。だが、そこでの主張は、互いに、自分に好都合のものを、引き合いに出すことで、展開される。断層や攻撃が、どんな確率で、危険と見做せるのか、誰にも、分からぬものだ。で、今回の話は、明らかに、意図的な情報操作で、行われた不正だけに、責任問題に、発展するのは、当然のことだ。だが、件の企業は、それ程に、深刻には、考えていない、ようにも見える。経営陣が、退陣すれば、事が済む、とは言い過ぎとしても、体質までもが、取り沙汰されるのに、対応は、急いでいない、ようにさえ見える。以前から、噂されるように、電力会社ごとの、事情の違いが、現れているのかも、と思う。東西の大都市を、抱える企業は、あの発電方式に、頼らねばならぬ。水力や火力では、需要を上回る供給が、できないと言われる。再生可能は、期待だけが、膨らみ続けるが、問題が大きい。それに比べて、今回の不祥事を起こした、企業の場合は、実は、水力と火力で、十分な供給を、達成している、と言われる。そこから、原子力に頼る必要は、無いとの判断が、と言われるのだ。だが、政府は、再び舵を切り、再稼働も含め、新たな稼働を、増やす政策を、進めている。その中で、この動きは、けしからん、と言われかねないが、さて、どうだろうか。その一方で、報道は、例の如く、原発嫌いを、前面に押し出す。この戦いは、どう決着するのか。安全神話は、嘘としても、危険度への過剰反応も、大抵にしておいたら、とも思う。