9月21日(月)

 米騒動は、何処に向かうのか。市場原理という、あの手の人々が、好んで使う言葉によれば、なるようにしか、ならない、とでも言うしかないが、実際には、一攫千金なのか、日頃の儲けなのか、それを目論む輩が、様々に暗躍し、都合良く、事を運ぼうと、するだけだ。
 で、農家が、せっせと、米の生産を、増やそうとした結果、何と、米余りが、予想され始め、遂には、古いものより、新しいものが、安くなる、という事態に陥った。骨董品なら、古さが、誇るべき対象と、なるのだろうが、食べ物は、そうはいかぬ。同じ味なら、新しい方が、良いに決まっている、との意見が飛び、その通りの展開、となっただけだ。しかし、それでは、市場原理とは言えぬ、との拘りからか、操作が入り、買い戻しという、裏技まで、飛び出す始末。こうなったら、価格操作は、意のままに、としか見えぬが、果たして、事実はどうか。そんな騒ぎが、広がり始めた頃、生産現場に、懸念が広がった。天候不順は、今に始まったことでなく、自然相手の仕事なら、様々な想定が、必要とは言われるが、適度な降雨量と晴天に、恵まれたとされ、豊作が、予想されていた所に、秋の長雨が、続いた結果、田圃はぬかるみ、機械化された中で、活躍する筈の、稲刈りの大型機械は、正常に、動かぬのでは、となってしまい、色良く実った稲が、そのまま放置され、時に、発芽したとの話が、伝わってくる。こうなれば、作柄など、言うまでもなく、期待された、収穫量が、確保できぬ、との懸念が、急速に広がる。実際には、どう転がるかは、まだ見えていないが、不安や懸念を、好んで使う、報道にとっては、まさに、渡りに船とでも、言うべき状況が、作られつつある。消費者にとり、今度は、安い米が、食べられるとの期待は、既に、裏切られつつあり、収入確保を、如何に進めるかが、唯一の道、とでも言われ始めたが、どうなることか。収支の均衡は、どんな生業にも、不可欠なことで、そこにこそ、価格設定での、要点がある筈だが、違う流れを、押し通そうとする動きに、今度は、どうなることか。