11月1日(日)

 勝手に決めた、基準で、優劣を定める。何のつもりかと、思うことは多く、馬鹿げたこと、と思うしかない。優越感を得る為に、相手が、劣っている部分を、殊更に、取り上げる。客観性も無く、平等感は皆無だ。でも、本人達は、満足感に溢れ、勝ち誇っている。無駄と思う。
 下らない、と断じることは、難しくないが、では、そんなことに、躍起になる人々は、何を目的とするのか。理解できぬ、と言ってしまえば、その通りなのだが、それにしても、囀りをはじめとする、社会媒体で、これ程までに、盛り上がる理由が、ありそうに思える。一つには、海の向こうの、暴君が好む、分断の傾向だろう。自分を、安全地帯に置き、相手を、何処かに、突き落とせば、それで満足できる。相手との間に、深い断裂が、見えてくれば、しめたものだ。その上で、賛同者を、自分の側に置き、反対者は、谷底へと、突き落とす。その違いが、明確になれば、何を行うにも、都合良く、敵味方の区別を、明確にすれば良い。単純な考え方だから、何も、難しいことを、論じる必要はない。また、味方への説明も、ごく単純なもので、済ませられるから、簡単な話となる。その繰り返しが、何度も起きると、断裂は深まり、修復不可能となる。今の外交は、まさに、その状況にある、と思える。その上で、報道側は、その違いを、際立たせる為に、極端な話を、紹介すれば良く、これもまた、何も考えようとしない、あるいは、考えたがらない人々に、適した状況となる。本来、人間社会は、複雑に入り組んだもので、互いの力関係により、何方へでも、転がることとなる。だが、それでは、賛否を、明確にするには、不都合なのだろう。暴君の妄言の数々は、まさに、そんな考え方の中から、生まれ出たものと思う。少し考えれば、矛盾に気付ける筈が、そうならないのは、深く考えようとせず、表面的な利害で、動くことに慣れた、人間が、大半となったからか。となれば、操作も、簡単になる、と思えるのだが、どうか。あと数日したら、話題となっていた、選挙の結果が、出るだろうが、これとて、あの暴君には、何とでも解釈ができる、ものでしかなく、何の変化も、起きないのでは、と思えてくる。

* * * * * * * *

10月31日(土)

 優劣を知ることは、必要なのか。今や、大多数が進学する、高校入試でも、過半数が進む、大学入試でも、順位付けをして、合否を決める為には、何らかの方法で、優劣を付けねばならぬ。だが、その後は、どうだろう。他人との違いを、意識するのは、優越感の為か。
 そんな下らないことに、社会が、皆挙って、競争するように、優劣を付けようとする。だが、その違いは、何らかの指標によるもの、でしかなく、人間の格を、測るものでもないし、才能を、確かめるものでもない。ただ、営業成績で、彼奴よりは、自分の方が上だ、とか、他人の評価に、違いが出た時に、都合よく利用する、程度のものでしかない。にも拘らず、誰もが、躍起になって、その話題に取り憑かれ、時に、それを材料に、他人を、貶めようとさえ、するのだから、始末におえぬ。だが、そういうことに、目が奪われる人は、その多くが、優劣こそが、全てとでも、言いたいかのような、態度をとる。下らぬこと、と片付けたくなるが、そんな人間が、そばにいると、何かと面倒が起こる。まあ、知らぬふりをしたり、無視したりすれば、事が済む場合も、多いのだが、それでは、済まぬ程に、血を上らせる人が、相手となると、簡単ではない。何しろ、子供の頃から、順位付けに、血道を上げ、必死で、競争に、勝ってきたのだ。今更、そんなものは、無駄なのだ、と言われても、簡単には、諦められない。そんな性の現れが、社会媒体では、見事に、表面化する。無駄、としか思えぬが、当事者達は、必死であり、躍起になるのだ。無視すれば、それはそれで、攻撃対象となり、揶揄すれば、もっと酷い目に、遭わされかねぬ。触らぬ神に、とするのが、恐らく、最善なのだろうが、時に、許されぬことがある。勝ち負けなんて、命が奪われる訳でもないのに、とばかりに、冷ややかに接すれば、逆効果となることも。所詮、そんな瑣末なことには、関わらぬのが、一番なのだ、と思っても、許されぬとなれば、どうしたものか。いや、それでいいと思う。放っておくのが、一番だ。

* * * * * * * *

10月30日(金)

 経済活動において、金銭は、一所に留まるのではなく、回りものと言われるように、巡り巡って、活動を支える、とされる。だから、今の市場の活況も、その一つとして、先行投資という観点から、様々な分野に、注ぎ込まれる中で、その対象となる分野に、期待が集まるとも。
 違うとの直感に、少し触れてみたが、投資家達は、手元の資金を、何処に注ぎ込むかで、利益を上げられるかが、決まると思い、期待と懸念の入り混じる中、投資先を、探し続ける。とは言え、有り余った資金では、百発百中を、狙う必要はなく、また、当たり一つで、外れの損失を、幾つも補えるから、十に一つでも、場合によっては、もっと低い確率でも、構わぬとの思いが、重要となる、と言われる。とはいえ、市場は、それらの動きに、振り回されるから、他人事とばかり、言ってはいられぬ、状況にある。それにしても、指標の一つとして、市場の動きを、捉える為に、皆が注目する、平均株価とか、海の向こうの指標は、確かに、平均的なものかもだが、前者は、ある銘柄の動きに、左右されるし、後者は、然程多くない、銘柄数の故に、重視し過ぎるのも、どうかと思える。人によっては、保有株が、それらの指標には、組み込まれておらず、この所の、活況ぶりについても、大した恩恵は、受けていない、と思う人も、多いのではないか。確かに、投信の世界では、指標への依存が、強いだけに、この所の上げに、喜びを隠せぬ、人も多いようだ。ただ、一部の業界に、陰りが見え始めてから、状況は、明るくない、とも言われる。相場の難しさに、悩む人が、多いようだが、結局は、分散投資の基本を、貫いていけば、一喜一憂は、あるとは言うものの、現状は、全体として、明るい方に、向かっているようだ。大したことはない、とも思えるが、記帳する度に、おや、と思えることが、増えているようだ。利子の額は、ほぼ無いに等しく、期待できない、と思い続けてきたが、この所、それなりの数字が、印字されている。まだ、成長期に比べて、僅かなもの、には違いないが、それでも、なのだ。このまま、利上げが続けば、投資対象として、復活しそうな、気配さえ見える。

* * * * * * * *

10月29日(木)

 穿った見方、という程には、深く調べた訳でもない。ただ、直感として、違うと思うのだ。生成人工知能が、登場して以来、皆が、その素晴らしい能力に、称賛の声を、上げてきた。そこに、経済効果が、見込めるとして、投資対象に、期待が集まり、相場全体が、活況を呈した。
 期待に向けて、金を注ぎ込むのが、投資の基本であり、その後の、達成状況は、別の指標として、現れると言われる。だが、今回の騒動には、期待とは、かなり異なる要素が、含まれている。人工知能は、前世紀末に、将来への期待として、かなりの投資が、行われたし、研究対象としても、高い評価を、受けていた。ところが、その後の低迷で、すっかり、信頼を失い、見向きもされぬ、対象となっていた。そこに、登場したのが、生成の言葉が、付け加えられた、仕組みの開発であり、その結果が、提示されると、世界全体に、驚きが広がった。まるで、人間が考えたが如く、ただ、情報を集めるだけでなく、それらを、体裁良く纏め、質の良い結果を、示す能力に対し、人間に近いか、時に、それを超える能力、とさえ、表現された。しかし、高い能力は、時に、不安や心配を、もたらすらしく、結果として、教育現場から、懸念が広がり、それに加えて、例の如く、職を失いかねぬ、という懸念が、先進国に、広がった。確かに、結果だけ見れば、それも、表面的なものでは、それなりの訓練を、受けた人間の、出力のように、思えたのだが、その後、様々な検討が、加えられると、馬脚を現し始め、嘘や捏造は、勿論のこと、誤りも繰り返し、それを認めぬ頑なさには、無能ぶりの反映さえ、感じられ始めた。そんなことを、確かめるまでもなく、この程度のことは、少し賢い人間なら、無難にこなし、称賛の嵐、となる場合もあったが、その多くは、その後の低迷ぶりに、皆の期待を、見事に裏切ることになった。機械と人間は、違うものとの見方も、盛んにされて、可能性は、無限大との見方も、確かに、あるようだが、その浅薄ぶりに、呆れるだけだ。機械検索が、日常化し始めた時、期待は、大きく膨らみ、その一方で、教育現場の懸念も、拡大していた。これも、過大評価の典型だったが、今や、日常となった検索では、人間の能力を、超えることなく、結果的に、利用者の能力が、反映されただけ、となった。今度も、そんな気がする、直感に過ぎないが。

* * * * * * * *

10月28日(水)

 政治家もそうだが、報道も、公明正大であるべき、と思う人は多い。だが、今は、各局が、あからさまに、ある勢力や国に、偏った姿勢で、情報を操作している。自国の政治家に、反発する姿勢は、権力に与しない、として評価されるが、だからといって、他国に与するのは、どうか。
 隣国との問題は、長い歴史の中で、拗れに拗れているから、簡単には、解きほぐせそうになく、どんなに、馬鹿げた意見も、通用する状況にある。だから、という訳でもないだろうが、それにしても、とんでもない、と思える話を、実しやかに、流し続ける姿勢には、公平性も、正確性も、全く感じられない。でも、その姿勢を、貫き通すのは、何かを、信じているから、に違いない。ただ、結果として、重大な誤報を、流したとしても、どこ吹く風と、一切、反省も、総括も、触れることさえ、起きないのだ。その一方で、社会媒体に、安住する人々は、古い媒体として、大衆媒体を、馬鹿にし続ける。目糞鼻糞、としか、表現のしようもないが、何方も何方、なのは、いつものことだ。それにしても、冷静に、客観的に、眺めた様子を、そのまま伝えれば、いい筈のものを、何故、あんなに、捏ねくり回して、事実と異なる話を、作り上げるのか。一説には、分かり易さを、追求した結果として、ある程度の歪曲と捏造は、許されるもの、と信じているらしいが、それにしても、すぐにばれる、嘘を連ねても、何の益も無いし、得になるなど、決して無い、と思える。にも拘らず、極端な解釈さえ、拘り続けて、垂れ流し続ける。でも、社会媒体も、新しいとは、一部の誤解でしかなく、固執した意見が、次々に並ぶだけで、大差無い気がする。で、どうしたら、いいのか。結局は、個人の判断でしかなく、誰かに、認められる必要も、殆ど無い。自身で、満足できるのなら、それで、いいのでは無いか、と思う。まあ、他人と話し合うと、色々と問題が、起きるのだが。

* * * * * * * *

10月27日(火)

 世界各地で、選挙日程が、迫っている、と伝えられる。実際には、既に、結果が判明したものもあり、勢力争いが、何方に転ぶのか、気になる人も、多いだろう。だが、右や左で、何方に転んでも、似た結果になるのでは、と思えることもある。宗教が絡む争いでは、特にそうかも。
 今、紛争地域では、3つの宗教が、興った場所として、知られる都市について、争いが絶えぬ、と言われている。だが、どれも、その成立過程だけでなく、布教の段階で、異教徒の弾圧を、経験しており、今に始まったこと、ではないと思える。だが、この国は、そんなことを、経験していない、と見る向きもあるが、現実には、廃仏毀釈だけでなく、様々な弾圧が、様々な時代に、繰り広げられた。戦国時代の武将が、宗教絡みで、厳しい弾圧を、行ったのは、その一つだろう。ただ、これは、政治上のことで、宗教間の争いではない、と見れば、その通りだろう。でも、結局、気に入らぬ連中を、排除しようとする、そんな気持ちの表れ、と思えば、大差無いように、見えてくる。さて、元の話題に戻り、あの紛争地帯での、争いは、何がどうなっているのか、明確な解釈が、ある訳では無い、ように見える。その中で、領土争いと、宗教的な紛争が、相俟って、今の混乱に、至っており、ゲリラ活動が、殺害や人質拉致へと、結び付いてから、激しい爆撃が始まり、その上、支援国家として、目の上のたん瘤の如き、存在だった所へも、爆撃が及び、結果として、多くの指導者が、殺害された、と伝えられる。この混乱は、今の首相の問題とばかり、世界的な批判が、集まるのは、十分承知の上で、これまでも、それだけの解釈を、押し付けて、集団虐殺とさえ、呼ぼうとする動きには、異論を唱えてきた。今、彼の国で、選挙が行われようとしており、政権交代を含め、激変が起きる、との見解も、あるようだが、どうだろう。確かに、味方の筈の国々が、虐殺とさえ、見做されるような攻撃で、批判しており、その関係を、改善したいとの期待も、解らなくもないが、紛争を収める、という形には、結び付きそうにない。だから、現状止む無し、と言う訳ではないが、どうも、問題の本質を、見誤った上で、人道上との考えを、妄りに持ち出して、論じることには、賛同しかねる。善悪の、単純な判断では、片付きそうにない、拗れた問題を、我がこととして、考える気がないのなら、口を出さぬのが、いいのではないか。

* * * * * * * *

10月26日(月)

 ここを読んで、不快になる人が、どれ程居るのか、考えたこともないが、どうだろう。この所、囀りや顔本を読んで、何とも表現し難い、でも、明らかに、読みたくない、という気持ちを、起こすことが、何度もあった。何が、原因なのかは、定かではない、が、不快なのだ。
 少し考えてみると、そこに書かれたことは、ある意味、極端な意見で、俄かには、賛同が得られぬ、としか思えぬ内容で、そのまま、公開されることに、違和感を覚える、ものだったように、思える。広告を、含むようなもので、その為には、耳目を集める必要が、あるとでも言うのか、極論こそが、標的となる筈、との思い込みが、表面化した結果、なのかも知れぬ。だが、不快感で、終わればまだいいが、時に、他人の権利を、侵害することに、繋がったり、単なる、不快感でさえ、最近では、精神的な傷を、生じさせるとして、捜査対象にさえ、なり得る。刑事罰は、難しくとも、民事罰で、損害賠償請求の、対象となることも、考えられる。それ程に、悪意に満ちたもので、不快感を、ばら撒くものが、何の制限もなく、公開されることに、世の中は、厳しい目を向け、規制対象へと、結び付けようとする。だが、言論の自由が、反対の側に、君臨しており、それを盾にして、やりたい放題を、続ける人が居るのも、確かなことだ。この場で、何度も書いたが、そういう攻撃的なものへの、対処法としては、無視するのが、最善策と思われるが、次々に、飛び込んでくる話題は、ある仕組みが、操作する人間に、最適なものとして、選び出したもので、つい、慣らされてしまうと、不用意に、読み始めてしまい、心理的な、傷を負いかねない。それについて、運営側は、事件を、未然に防ぐ為に、導入した手立てで、選別を繰り返すことで、危害を及ぼすものを、遠ざけている、と主張する。だが、現実は、正反対の結果を、招いていないか。機械任せが、責任逃れに、最適な手法、とでも言いたげに、この手の混乱が、起き続けるが、さて、害を遠ざけることが、本当に、安全安心を、作り出すことに、なるのかと、首を傾げたくなる。