相場の謎、ではなく、不可解な解釈、とでも言った方が、適切かも、とさえ思った。審判が、下った翌日、市場は、不思議な動きを、示したのだ。織り込み済み、との予想があった、こともあるのだが、それにしても、今以上の期待が、膨らんだ理由に、思い当たらない。
で、今朝、昨日の夕刊(田舎では、夕刊を翌朝配達)を、眺めたら、一面には、発言好感、との見出しが、踊っていた。成る程、ああ言えばこう言う、でも、好感した、との解釈が、通用するのか、と思う。この記事は、電子版では、違う形で紹介された。で、今朝は、大暴落の報が、入っていた。冷静になれば、市場に不利な条件が、並んだとでも、言うのだろう。掌返し、とでも書きたくなり、そんな空気が、漂う。だが、此方では、上げで始まった市場は、結局、大きく下げて、締まった。となれば、ぐるりと回った上で、大きく下げたのは、当然の流れ、とされるだろう。とは言え、所詮、他国の市場の話で、此方にとって、何が悪いのか、という点でさえ、解釈様々となる。理由も、原因も、経済評論家にしたら、後付けで、何とでもなり、昨日の発言が、仮令、的外れに終わっても、どこ吹く風とばかり、知らぬ存ぜぬで、新しい話を、始めればいい。結局、あの世界は、そんな風に、回っているのだ。とは言え、海の向こうと同様に、此方でも、投資を促す制度が、始まったから、これからは、他人事と、済ませられぬ、話が増えるだろう。この制度、NISAと呼ばれるが、正確には、思い出せずとも、少額投資非課税制度、と聞けば、それだと言えそうだ。だが、NISAそのものは、と改めて、尋ねられても、思い出せぬ。Nippon Individual Savings Accountと言われ、元々、何処かの国で、動いていた制度で、それを、模倣したらしい。何れにしても、これで、庶民が、少額でも、投資を始めれば、金の動きが、変わる、と言われる。実感ない、と断じることが、今後、難しくなる、と思われるが、さて、どうか。責任転嫁が、当然となる時代、自己責任は、根付きそうにない。
厳しい審判が下り、勢力図も、大きく書き換えられた。と報じられたが、それに続いて、何も変わらず、権力の行方は、変わらぬまま、とも伝えられた。それこそが、民主主義、だろうと思う。何故なら、暴君の一期目も、当選後に、恐慌の声が、広がったが、大禍無かった。
拒否権発動だろうが、何だろうが、主張を、押し通す為に、あらゆる手立てを、講じるに違いない、と言われる。だが、赤一色だった時さえ、議会の声に、耳を傾けることなく、強権発動を、続けていたのだ。その意味で、議会の存在は、無視され続けた。それでも、負けたくない、気質はそのままで、今回も、勝負事の一つとして、最終盤も、躍起になり、飛び回った。さりとて、大勢に変わりは無く、結果も、その通りとなった。世論調査への信頼が、取り戻せたかは、不明なままだが、その通りとなったことは、ある意味、統計や調査に対する、信頼を、少しでも、回復できた、のかも知れぬ。勢力図に、変化が起きても、政権の、無視する姿勢は、変わらぬまま、となれば、残りの任期、同じような迷走が、続くのだろう。海の此方も、油断することなく、できることを、続けるだけ、となる。政治とは、所詮、そんなもの、なのかも知れぬ。その上で、今の世界の流れが、今後、どんな向きに、進むのかを、注視する必要がある。その意味で、暴君仲間の、他の二人の動向に、気をつけたい。この暴君と、彼らとの、大きな違いは、任期の有無だ。後者二人は、長い時間をかけ、制度自体を、変更することで、君臨し続けられる、環境を築いた。それにより、単なる暴君でなく、まさに、独裁者として、居座り続けることが、可能となった。2年経てば、白い館から、姿を消す人物との違いは、そこにある。一方が、民主主義の、秤の上で、均衡を保たざるを得ない、のに対し、他方は、傾こうが、折れようが、好き勝手に、振る舞える。その制動力が、失われたら、海の向こうも、大混乱に陥る。映画で、仮想的に描かれた、悲劇が始まることは、決してないだろうが、油断禁物だろう。
実感がない。街頭で尋ねられ、そう答える、庶民の姿が、画面に、映し出される。株価が、最高値をつけた時、一部の投資家だけが、その恩恵に浴すだけ、との筋書きを、目論んで、報道が、盛んに使う手だが、本当なのか、と思える。免税制度で、素人投資家は、増えたのに。
確かに、平均株価は、一部の銘柄の、動きに左右される。今回も、値嵩銘柄、と呼ばれるものが、期待を込めて、上昇を続け、その結果、最高値更新、となったと言われる。今は、落ち着きを、取り戻したのか、はたまた、単なる、泡が弾けた、現象だったのか、何れにしても、随分と下げて、遅ればせながら、参加した人々の、落胆が伝えられる。金利の上昇は、全く異なる伝え方で、借金する人を、選び出した上で、如何に、悲惨な状況が、舞い込んでいるか、を伝えるが、これもまた、筋書き通りの展開、という常套手段で、煽っている、に過ぎない。何故なら、一方で、金利が上がれば、預貯金の利率も、半自動的に、上昇する訳で、この国の民が、これまで、貯め込んだものに、思わぬ利子が、転がり込むことに、繋がるからだ。通帳を、眺めてみれば、それまで、半年に、一桁二桁の利子が、記帳されたのが、突然、桁が上がり、大きな数字が、そこにあることに、気付ける。確かに、数十円の預け額に、それを上回る、数字の利子が、転がり込むことは、決して無いが、ある程度、貯め込んだ口座なら、それなりの数値が、印字されている筈だ。これを、実感がない、と言い募ったら、聞くに値しない、話にしかならないが、そんな、当たり前のことを、聞き出そうとは、あの輩は、考えていない。如何に困り、如何に悲惨か、悲劇の人物に、仕上げなければ、取り上げる価値が、無いとばかりに、考えているのだ。初めの話に戻れば、実感などという感覚が、如何に、あやふやなのか、分かると思う。給与についても、同様だろうし、物価についても、同様なのだ。意図的に、思惑に満ちた取り上げ方で、世論操作を、しようとする。これは、大衆媒体でも、社会媒体でも、何ら変わらず、電波を占有したり、盛んに書き込んだり、そんな不埒な輩が、都合よく、書いているに過ぎない。
世間は、漏洩騒ぎで、持ちきりだが、どうだろうか。個人情報を、保護すべき、との法律が成立し、随分時が経過したが、保護されるべきものが、何なのか、一体全体、どれ程の人が、認識しているのか。というか、自分の情報で、他人に知られて、困るものは、何か。
そんなことを、考えながら、報道を眺めると、どんな情報が、漏れ出したのか、一つひとつ、伝えている。が、それを見ても、はて、何が問題なのか、と思う。確かに、登録した鍵暗号が、他人に知られたら、困る人も、居るに違いない。だが、一方で、巷では、自分の大切な、資産などを、守る為には、鍵を、度々変更したり、同じものを、併用しないように、との注意が、盛んに、触れられている。なのに、それを守らず、何か、不都合が起きたら、誰の責任、となるのだろう。とは言え、そんなことを、一々守るのは、面倒に違いない。だから、同じものを使い、誰かに盗まれても、保管場所の、管理者の責任を、訴えようとするのだろう。報道でも、盛んに、そのことを、強調するが、あの文章を、書いた人間も、読んでいる人間も、果たして、その警告を、守っているのか、と思う。世の中、何事も、守られる筈、との思い込みで、人々は、安全安心を、享受している。が、一度、よからぬことが起きると、事態は、一変する。だから、自分で、自分のことは、守るべきだろう。とは言え、パンチ自身も、偉そうなことは、言えない。一方で、預けた情報について、そんなに重要なものが、あるのか、とも思う。仮令、免許証の写しが、誰かの手に、入ったとして、何をされるのか、さっぱり、思いつかない。兎に角、個人情報は、重要なもので、その管理は、厳重でなければ、ならないとの主張に、首を傾げてしまうのは、こんな所に、理由がある。管理会社が、厳重な仕組みを、作り上げることは、確かに、重要に違いないが、その中には、誰もが知るものも、自分以外には、誰も知らぬものも、あるのではないか。全部、ごた混ぜにして、話を作るのは、例の如くの、報道の得意技だが、それに、踊らされるのは、各人の問題だろう。だから、どうでもいい、とはいかぬが、まずは、落ち着いて、考えてみれば、と思う。
例の如く、悲観の筋書きが、流布されている。元々、種として、これ程の繁栄を、築いてきたのも、そのお陰、との意見もあるが、真偽の程は、定かではない。だが、心配や不安を、前面に押し出し、それを梃子に、反対勢力を、押し切ることが、最善の策として、使われた。
その中で、国民性、とまで言われる、悲観好きの人々は、今の流れを、別の見方から、楽しんでいる、としか思えぬ。その上で、自身に有利になる、展開を望み、そちらの勢力に、期待する。裏切られれば、それはそれで、実際には、大差ない展開が、起きるだけだ。一方、海の向こうは、楽観主体の国民性で、どう転んでも、良くなる筈が無い、見込みが、立てられても、僅かな期待から、極端な変化が、起きると見込む。その結果、口先だけの、暴君の返り咲きを、実現させ、懲りない人間の、横暴な振る舞いにも、依然として、明るい未来を、描いているようだ。とは言え、早晩、審判が下る。ただ、これさえも、何方に転ぼうが、何の変化もなく、傍若無人ぶりに、変化は起きない、との見込みもある。ただ、それが、悲観ではなく、楽観から、出てくる話で、海のこちら側では、理解に苦しむしかない。敗戦後の復興から、悲観しかない世の中を、改善しようと動き、やっと、楽観が、現実のものとなったのに、そこで、泡が弾け飛び、経済が、崩壊したとさえ、言われた。実際には、そんなことは、起きておらず、厳しい状況下でも、各企業は、生産を続け、国も、頼りなくも、何とか、経済を支え続けた。今は、そこからの、大きな回復期にあり、更に、上を目指すか、また、下り坂に向かうか、の境目、踊り場にある、と言われる。どう動くかについて、見方が分かれるものの、悲観好きの国民性は、何でもかんでも、悪くなると見たがる。後になれば、何だったのか、と言われそうな、状況にあるのだが、悪く考えることで、安心できるのなら、もう、そのままに、してやれば良い。皆で、同じ方向に、動こうとすれば、極端な結果に、結びつきそうだが、それも仕方ない。こちらは、悲観は承知の上で、楽観的な展開を、見込んでいるが、それとて、逆になっても、それだけのこと、と思えば良い。