パンチの独り言
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5月21日(木)

 先日の、嫌がらせやいじめ、についての考え方は、今では、受けた側の感覚が、優先される、とのことだが、少々、拗れる所もある。同じ、とは言わぬが、差別についても、似た考え方が、適用されるようで、差別を、受けた側が、どう受け取ったかが、肝心となる、らしい。
 だが、何方の場合も、やはり、簡単には、決められそうにない。だからこそ、嫌がらせやいじめについては、最近では、受けた側の主観だけでなく、客観的な観点から、判断することが、多くなっているようだ。これは、時代の趨勢で、そんな考えが、尊重される前には、加害者の意識が、第一とされていたのだから、大きく変わったとも言える。ただ、受けた側のみを、尊重することが、続く中で、様々な問題が、生じたに違いなく、余りに、偏った見方が、採用されるのに、異論が出たからだろう。差別についても、よく似た状況だが、こちらは、もう一つ、大きな問題が、出てきたように思う。差別の解消は、喫緊の課題となり、それを、最優先とする、制度の改正や、新たな方策が、講じられた結果、立場の逆転が生じ、所謂、逆差別なる状況が、生まれたことにある。それまで、虐げられた人々を、救済する為、と称する措置は、その多くが、差別を受けた人を、優先的に、扱うものとなったが、時に、一つの席を、競う場合には、それにより、他の人々を、排除することとなり、別の差別、所謂逆差別を、招いたとされた。これ自体を、悪いこととすると、結局は、差別の解消が、行えぬこととなり、全体が、停滞することとなる。だから、多くが、一度決めたことを、貫くことで、はじめの目的を、果たそうとしてきた。だが、それが、重なると、差別された側ではなく、差別した側が、虐げられることとなり、別の形の不平不満が、蓄積することとなる。では、どうすれば、いいのかと、議論が進められるが、どうにも、結論が出そうにない。更に、問題を、拗らせるのは、差別解消が、次の世代で、行われる場合で、結局、被害者は、救済されず、何の関係もない人間が、運良く、利を得る、こととなる。それにまた、差別の根源は、取り除かれず、解決には、結び付かぬ。ただ、最後に挙げた状況は、時間の流れの中で、措置が取られる以上、他に、選択の無いもの、と見るべきかと。所詮は、根本解決ではなく、応急措置の如き、ものであるだけに、この辺りが、精々かもと思う。ただ、本当に、実力主義なら、こんな誤魔化しは、不要の筈と思う。

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5月20日(水)

 日々、何故とか、どうしてとか、思ったことを、独り言に、綴っている。読む人が、どう思うかは、誰も、反応を、示してくれないので、全く分からない。でも、こちらとしては、同じように、疑問に思っているのでは、という感覚で、思うこと、思いついたことを、書き連ねる。
 で、何故、そんな印象を、抱くのかについても、重要なことが、あるように思う。こんな印象が、浮かぶのは、実は、誰かと話して、というわけでなく、毎朝届く、新聞を読んだり、画面から漏れる、話を聞いたり、そんなことをして、起きることだ。多分、これについても、多くの人々が、同じ感覚を、受けていると思う。それ程に、世の中で、流されている、情報には、首を傾げたくなることや、疑問に思うことが、溢れている。ここでは、論理的に、物事を考えるとか、筋道を立てて、話をするとか、そんなことを、盛んに、書いてきているが、その立場から見て、おかしい、としか思えぬ話が、実しやかに、新聞などの、大衆媒体から、流れてくるのだ。普通の感覚では、そうはならぬ、としか思えぬ話や、それは、非論理的でしかない、と思える話などが、次々に流され、誰が、こんな愚かな話を、自慢げに、滔々と、語っているのか、とさえ、思えてくる。最近は、長く続いた、物価を抑える経済が、正常に戻り始め、何もかもが、値上がり続きで、将来の生活に、不安が過ぎることが、多くなったが、それとても、異常な話、としか思えぬ話題が、満載なのだ。原油を、掘り出すことで、豊かさを、享受する国々が、集まる地域で、突然の、攻撃が始まった時、確かに、供給への不安が、取り沙汰されるのも、当然と思えるが、それにしても、攻撃の翌日に、ガソリンの値上げ、となるのは、意味不明であり、理解不能に陥る。それに続き、あらゆるものが、値上げへと、舵を切ったのは、運送費の高騰、との解釈が、施されたが、これとて、すぐにか、と思うのが、普通の感覚だ。その上、原油から生産されるもの、ナフサと呼ばれるが、それの供給が、不安だからと、川下の製品が、軒並み、値上げとか、不足とか、そんな論理を、展開されると、驚くしかない。笑うしかないのは、シンナーが、棚から消えた、との話で、誰が、何を企むのか、としか思えず、取って付けたが如くの、解説には、耳を疑うばかりだ。経済の正常化とは、ただ、金儲けを企む輩に、好都合なもの、でしかないのか。だとしたら、悪巧みでしかなく、異常としか、思えぬ状況だろう。

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5月19日(火)

 便利な時代である。手にした端末で、世の中の動きを、ほぼ全て、把握できるだけでなく、過去の出来事や、一般的なものだけでなく、ごく限られた人しか、身に付けていない、知識でさえ、眺めることができる。情報社会、と呼ばれる状況だが、便利なだけだろうか。
 先日の、接続業者の変更は、特に、確かな目的を、持ったものでも、なかったのだが、変えてみたら、突然、不便さを強いられた。困った挙句に、これもまた、社会媒体を通して、友達に尋ねたら、解決法が見つかり、便利さを、痛感した。ただ、本当に、それだけか、と問われれば、否と答えるしかない。便利とは言え、思いつく限りの、方策を提示され、それら全てを、試みた挙句に、上手くいかねば、更なる提示が、行われる。一見、有用な情報が、もたらされるのだから、幸いでは、と思う人も、居るだろうが、現実には、そんな当てのないものではなく、接続業者そのものが、確かな情報を、提供すべきと思う。逆に言えば、こういう収益追求の人々は、例外的な障害には、全く興味が無く、多くの利益こそが、顧客の求めるもの、と勝手に断言して、不便を被り、さっさと、別の所に乗り換えたり、元の所に戻ったり、そんな人々の、相手をする気は無い。問題が起きたとしても、大多数の利益が、優先されるだけで無く、ごく少数の問題は、放置した方が、全体の利益になり、自らの収益も、伸ばせるという訳だ。確かに、利潤追求の基本では、その通りに違いない。だが、損して得とれとか、顧客への奉仕を、基本とすることで、収益を伸ばした企業も、あるのではないか。ここまで、高度に進んだ、情報社会では、顧客の大多数は、その仕組みに、興味が無いばかりか、理解しようとする、気持ちも失っており、おんぶに抱っこ、という状況にある。その中で、障害に直面したら、多くは、諦めるばかりで、損失が、膨らまぬ限り、放置するだけだ。本当に、こんな状況で、いいのか、と思う。

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5月18日(月)

 ハラスメント、という言葉は、今や、日常的に聞く。ある意味、市民権を得た、のだろうが、どうも、その使い方については、首を傾げることが、多いのは何故か。こんなことを、書くこと自体、何を、無思慮なことを、と批判されそうだが、皆は、そう思わぬのか。
 ハラスメントが、海の向こうから、届いた頃、一番の話題は、その判断基準、にあったと思う。harassmentは、検索すると、「嫌がらせ」や「いじめ」などの、迷惑行為を指す、と表示される。迷惑は、受けた人間が、抱く感覚だから、それこそが、判断の基準になる、という訳だ。嘗て、「いじめ」とは、する側の意識が、第一とされたのとは、全く異なる話で、それが、届いた時に、多くの人々が、戸惑いを覚えた。誰しも、身に覚えが、無い訳では、ないのだから、もし、被害者が、そんな訴えを、掲げてきたら、と思ったに違いない。だが、その後の展開は、当時、想像もできなかった、ものとなった。次々に、新種のものが、掲げられて、理解不能に、陥ったからだ。「いじめ」とは、学校で行われる、陰湿な行為、との思い込みが、社会全体にある中、あらゆる場面で、適用できるとなれば、被害者ではなく、加害者と目された人々に、恐れ慄きが、広がる結果となった。短縮形で、表現されるのも、日常化を、促進する要因だが、パワハラとセクハラは、当初から、大人達の世界で、蔓延る風習を、批判する為に、盛んに持ち出された。そこに、一部の社会への限定として、アカハラなるものが、登場したまでは、何となく、理解できたが、マタハラ、カスハラ、と来てしまうと、行き過ぎか、との見解も、聞かれるようになった。この辺りに、到達すると、要因を指すものから、場所へと移る所までは、飲み込めても、「いじめ」の対象から、加害者を指す、とまで、移ってくると、もうお手上げだろう。何でもあり、という状況には、危うさしか、感じられないのは、言葉遊びに、興じる人々に対し、こちらが、大真面目に、問題を取り上げよう、とすればする程、問題が拗れる、からなのではないか。当初、主観的な判断を、尊重したものから、客観的へと、移り変わったのも、身勝手な連中の、暴挙が続いた、からなのでは、と思う。どうしたものか、なのだ。

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5月17日(日)

 研究不正の話題は、ここ数十年、絶えることが無い。真っ当に、生きている人間には、信じられぬ話だが、張本人達は、大真面目に、不正に精を出し、人を出し抜こうと、躍起になると言う。だが、そんなことで、築き上げたものは、簡単に、瓦解するのではないか。
 結果として、そうなることは、運次第、との声もある。他人を、突き落としてでも、自分の地位を、高めようとする、そんな心の持ち主には、何も聞こえず、反省などは、あり得ないものとなる。一方、それに、手を貸した人々も、同じ穴の狢であり、圧力に屈したとは、何たる言い訳か、と思える。所詮、私利私欲の結果でしかなく、恥を晒すだけだが、社会的制裁は、その罪に比べ、遥かに、軽いものなのは、信じ難い。特に、恥を知らぬ人間には、本性を晒しても、何も感じず、そのまま、平気の平左で、暮らし続けるからだ。通常の企業では、同じような形で、不正を働く場合、例えば、営業での、帳簿の改竄で、業績を、粉飾することで、昇進を手に入れた、とすると、それは、業務上の、違法行為となり、それが、企業にとり、損失を、被らせるから、横領や偽造、といった類の、罪を問われ、解雇だけでなく、社会的な制裁も、刑事罰として、受けることとなる。これに対して、研究不正は、その類の罪を、問われることなく、単に、懲戒免職などの、処分を受けるだけ、だったり、時には、それさえも、処分として、下されることなく、昇進の道を、絶たれる、という形の処分、に終わることが多い。「あります!」、と言ったとされる、女性研究者も、その世界から、追放されたとは言え、文筆業に、誘われるなど、理解不能な、手が差し伸べられ、今だに、名誉回復を、訴える向きが、囀りで叫ぶ。不正が、発覚しても、単純に、退職するだけで、その後に、一流企業の、研究担当として、迎えられた、という話も、随分前に、新聞沙汰となった。これも、結果の報告のみであり、それに至った、原因に触れられず、不正からの、何かしらの、裏工作が、続いたとさえ、思えたものだ。これら全てに、言えることは、ただ一つ、人の心の問題であり、そんな心には、手当の手段は、無いということだ。自戒を込めて、思う所があれば、近寄らぬことだ。

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5月16日(土)

 便利さは、有り難いものだ。でも、今回のような、騒動に巻き込まれると、どうしたものか、と途方に暮れる。だから、別の便利さに、手を出すべき、との指摘も、あるのだろう。でも、やはり、そちらに関しては、依然として、敬遠したい、と思っている。理由は、特に無い。
 頑固者とか、頑固爺いとか、そんな呼び方を、されたとしても、何も変わらない。確かに、仕事をする上で、必要となれば、何かしらの、対処が必要となる。今、作業を行っているのも、その一つに、違いないし、それに、適応できたのだから、今度も、難しくはない、との意見があるのも、十分承知している。だが、創作そのものに、他人の手を借りるか、機械頼みとするか、と問われれば、やはり、御免被る、となる。今、書いていることも、人工知能に任せれば、時間短縮ができる。また、材料が、見つからずとも、何かを、書き始めることも、可能となるだろう。だが、それは、本当に、自分自身が、望むことか。これは、仕事か趣味か、との違いとも、違っていると思う。自分自身が、何かを、行う上で、必要か不必要か。また、それを、受け入れるか否か、そんなことが、関係するのでは、ないだろうか。いや、効率を、最優先に考えるべき、とか、より良いものを、作り出す方が、良いに決まっている、とか、そんな意見も、あるに違いない。だが、効率とは、より良いとは、と問うてみれば、それ自体に、然程、大きな意味が、無いことに、気付くに違いない。仕事の時も、そんな感覚だった。最善の策を、講じるべき、との意見はあるが、何が最善か、そこに、答えは見出せない。それより、自分が、良いと思うことに、力を入れたり、それを選ぶことにこそ、自分という存在が、関わる部分が、あるのではないか。簡単なこと、と思うのだが、今、そういう判断に、自信が持てぬ人が、増え続けている。このまま、全てを、機械任せにしたら、と思うと、嫌になるからこそ、頑なに、なっているのでは、と思う。

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5月15日(金)

 今回の騒動では、確かに、人工知能の指摘が、功を奏した。で、今後は、どうするか。何を、と思った人が、居るかもだが、これまで、遠ざけてきた、人工知能との付き合いを、変えるべきか、ということだ。今の所、何も、変化は無く、何か、変えようとは、思っていない。
 確かに、通常の検索では、あの操作を、見つけ出すことは、できなかっただろう。時間さえ掛ければ、という言い訳を、書こうとは思わない。一つには、今回の問題は、多くの利用者には、無関係のものであり、また、関わることさえ、無かったものと思う。だから、何かを、書くにしても、当たらずとも遠からず、というより、ある意味、掠りもしないこと、となっていたからだ。でも、何かしら、手当たり次第に、やっておけば、同じ答えに、行き着いたかも、とは思う。但し、おそらくだが、その前に、この接続業者では、今後の作業に、支障が出る、との判断が、先に立っていた、と思う。で、結局、答えは、見出されず、そのまま、昔のやり方を、続けるだけだったろう。確かに、新しい物の方が、低価格だったから、節約になっただろうが、それでも、今回の場合は、工事費の請求で、微々たる節約では、それを、取り戻す為に、結構な時間が、必要となった。どうも、この手の話が、巷に溢れている、ような気がしてならない。例えば、携帯電話やスマホの、使用料に関しても、接続業者により、かなりの額の差があり、それこそ、節約との観点からは、乗り換えが、適切とも思えるが、実際に、使ってみると、繋がらなかったり、遅かったり、と様々な障害に、出会すこととなる。金銭的なものが、最優先となるのは、ある意味、当然のことだが、それでも、通信費そのものだけでなく、今後の経費全体として、考えてみたり、使い勝手の問題が、立ちはだかることになる。便利さは、確かに、一度手に入れると、手放せなくなるから、次に来るのは、止めることより、乗り換えとなるのは、当然だろう。まあ、それでも、経費を、考えるべきなのは、変わらぬままだろう。ま、それはそれで、もう、障害は、御免被る。

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5月14日(木)

 障害の話は、接続できたことで、一旦の解決となった。こういう形で、問題が解決できれば、それでよし、とする考えには、賛同したくない。利用者に、過度な負荷を、かけただけでなく、提供内容に、保証しない態度が、露呈したからで、これでは、提供とは、呼べないと思う。
 改めて、産業形態に関して、昔習ったことを、思い出してみよう。当時は、産業には、その内容による、分類がある、と習った。第1次とは、農業、漁業をはじめとした、自然から得られたものを、提供するもの、第2次とは、原材料を加工して、提供するもの、そして、第3次とは、サービスを提供するもの、と習った。だが、今や、第4次が登場し、知識や技術を、提供するもの、と言われる。すぐに気付くのは、第3次と第4次では、何が違うのか、という点だが、分類好きの人々は、新たなものを、産み出すことで、利益を求めるらしい。その上に、5を飛ばして、第6次なるものまで、登場したと、検索の人工知能は、答えてきた。これは、1と2と3の掛け算で、導かれるもの、とのことで、生産、加工、販売が、組み合わさることで、付加価値が、と書いてあるが、まあ、どうでも良い、新分類なのだろう。こんなことを、改めて、取り上げたのは、接続業者の、客対応の怠慢が、産業形態の問題を、顕在化する、と考えたからだが、どうだろうか。確かに、産業において、責任の所在を、明らかにする必要は、この所、様々に取り沙汰されており、解決は、容易でない、とされている。ある問題を、解決させることで、別の問題が、浮かび上がった場合、その責任は、解決した人間や組織にある、との解釈が、罷り通るからだが、この背景には、幾つかの問題が、あるように思う。この国の場合は、契約社会ではなく、殆どが、口約束で、片付けられるから、本来なら、責任の所在は、不明確なままとなる。一方、海の向こうでは、ほぼ全てが、契約に基づくから、こんな問題が、表面化する度に、責任問題も、一緒に出てくる。ただ、その上に、訴訟が続くから、事は、単純ではなく、個別に、再検討される。一消費者にとり、こんな図式は、ある意味、どうでも良く、直接被害が、出てこない限り、気にもしない。その意味では、こちらのやり方が、気楽な筈だが、今は、そうもならず、皆が、不平不満を、囀りなどの社会媒体に、書き連ねることで、公の知ることとなり、そこに乗っかる輩が、騒ぎ立てて、大問題へと発展する。信用を失墜させる、との目的で、こんなことを繰り返せば、混乱するだけ、と思うのだが、どうだろうか。

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5月13日(水)

 結論から書けば、接続できた。人工知能が、指摘した点のうち、試していないものを、試みてみたら、何の問題もなく、接続できた訳だ。専門的なことは、一切分からず、また、解決の一言を、使わないのは、別の理由がある。問題の根源は、外と繋ぐ為の、機器の設定にあった。
 人工知能が指摘したのは、まさに、その点であり、外部からの侵入を、防ぐ為の手立てとして、様々な防御を、強固に築くのが、最適との考えで、築かれていた、壁の一つを、取り除いたのだ。具体的には、設定の中で、特に、ファイル転送に対する、防御が、設定されたのを、解除することで、こちらから、独り言のサイトが、設置してある、サーバーへの接続が、可能となった。改めて、囀りで、この手立てを、検索してみると、確かに、同じ経験を持ち、接続できたとの、報告があった。気になったのは、上に書いた通り、これが、解決となるかで、その点について、発言主に、尋ねているが、今の所、反応が無い。数年前のことで、興味が薄れたのか、知る由もないが、それだけの期間、何の問題も、生じていなければ、解決と呼んでも、いいのでは、と思ったので、尋ねてみたが、残念ながら、梨の礫である。少なくとも、壁を取り除いたから、転送時に、大切な情報が、漏洩する可能性がある。ただ、最近のファイル転送では、ソフト自体が、情報の暗号化を、行っており、そのように、こちらも設定してあるから、この問題自体は、気にせずとも良い、のかも知れぬ。その他の問題は、やはり、知識不足から、指摘することも、確かめることも、できない。何れにしても、現時点では、使えない状況だけは、抜け出すことが、できた訳で、解約についても、また、工事費の交渉についても、一旦は、棚上げとして、良さそうである。幸いだったのは、直後に、不具合が、判明したことで、普段使いのものを、点検したからだが、別の例では、お試し期間では、判明しなかった、不具合により、解約へと、移ったものの、試用期間が、過ぎており、違約金を、請求されたとのこと。所詮、この手の商売は、自分らが、損をしないよう、仕組まれており、当然の帰結となる。今回のことも、設定変更が、何かしらの問題を、招いたとしても、利用者個人が、行ったこと、としておけば、責任は免れる。そんな図式かも、などと、穿った見方を、してしまう。

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5月12日(火)

 特に、理由がある訳でもないが、接続業者を、変えることにした。評判は、芳しくないが、それでも、独り言の管理で、接続してくる人が、居ない訳でもない。だから、まあ、大丈夫か、と思ったのだが、そんなに、甘くはなかった。開通当日から、致命的な障害が、発生した。
 確かに、利用者の殆どが、使う経路については、何の問題もなく、接続ができた。これは、勧誘でも、保証した話だから、当然と言えば、当然のことだ。ところが、今、独り言を、書くのに使っている、ファイル転送用のソフトで、接続を試みたら、全く反応しなかった。ソフトの設定を、変更してみたが、拉致が明かず、そういった時の為に、業者が、設けている、電話相談に、連絡を依頼した。事情を説明し、こちらの状況を、伝えてみたが、回答は、簡単に書けば、解決法がない、の一点張りだった。どうも、他からも、同様の障害が、報告されており、周知のことのようだが、解決法どころか、代替ソフトについても、何もわからぬ、との返答に、評判の悪さは、これのことか、と思い知らされた。要するに、通常の、最低限のことなら、相手ができるが、少し、特殊なものでは、知らぬ存ぜぬを、貫くしかない、という訳だ。こんなことを書くと、同じような問題に、直面したとの反応が、すぐに、返ってくるだろうが、まさに、今の時代の、典型と思えた。社会媒体に、窮状を書いたら、早速、友人の一人が、人工知能に、尋ねてみたと、転送してきた。その殆どが、既に実行済みで、役に立たないが、一つ二つ、やってみようか、と思うものがあったので、これから、試してみる。先端技術の世界は、確かに、発展著しいのだが、不都合は、山のようにあり、人それぞれに、巻き込まれる、事象が異なる。製造業と違い、この手の業種では、その解決にこそ、力を入れるべき、と思うが、殆どの企業には、その気が無い。駄目なら、他を、とでも、言いたげな、窓口嬢の態度には、諦めしか、思い浮かばぬが、簡単なことしか、やれない人間が、増えた結果は、商売の、何方側にも、通じる話のようだ。さて、良い報告ができれば、と思うのだが。

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5月11日(月)

 これも、市場心理の一つ、なのだろうか。昨年の、米騒動は、結局、有耶無耶に、片付けられ、今や、目の前の問題、として、論じられるが、所詮、有耶無耶なのだから、何の根拠も無しに、値上げの理由を、探そうとする。そりゃ、天変地異が、起きれば、と思う。
 目の前の問題、という意味では、最初に書いたのは、原油の話である。どんな理由にせよ、他国に、攻め込むのは、平和維持とは、結び付かぬ行為で、厳しく、批判されるべきだが、当事国間だけの、問題で終わらぬのが、今の世界情勢だろう。今、他人事の如く、徹底批判を行う国も、数年前に、隣国への、軍事侵攻を始めた時、世界中から、罵声を浴びせられた。だが、解決への道は、半ばどころか、遠い未来らしく、そのことを、棚に上げて、今回の攻撃への、批判の先頭に立つ。まあ、そんなことで、解決の糸口が、見つかる筈が無い、とは、誰もが思う所だが、それ以外の国々にとり、先日まで、専ら、環境汚染の、槍玉に上がっていた、燃料の供給が、途絶えてしまい、日々の生活への、不安が、急速に、膨らみ始めた。とは言え、以前から、このような突発事件に、備えるものとして、備蓄基地が、設けられており、ある意味、十分な備えが、整っている、とされてきた。しかし、現実には、日々の消費量から、残り何日か、という点が、公開されており、心配性の人々は、その数値の変化に、恐れ慄いている。ただ、先日の報道でも、その数値が、発表され、放出から、1ヶ月を経過し、残りが、241日分から、221日分へと、変化したと伝える。30日ほどで、20日分が、減ったとなれば、何かしらの、供給が、できている、と見るべきで、それは、安心材料の、一つと思えるが、報道に携わる人々は、そんな神経は、持ち合わせておらず、「高まる値上げ圧力」、などという、見出しをつけて、煽っている。心理にとり、最も重要なのは、冷静な判断と、論理構築だが、そこには、算術も含まれる。そんなことを、考えながら、この記事を、読むにつけ、愚かな話、と思えてくるのは、対岸の火事、と見るからか、それとも、単に、冷静なだけか。

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5月10日(日)

 嘘八百の状況で、心が落ち着かない、というのが、現状だろうか。でも、と思うのは、その中で、騙された、と叫ぶ人達のことで、前に書いたように、余りにも、馬鹿げた嘘に、騙される、という人が、急増していることと、嘘でも何でもない話を、嘘と断じる人が、増えている。
 不思議に、思えるのは、前者ではなく、後者の方だ。被害妄想については、以前も、書いた気がするが、嘘や詐欺に、関する話の中でも、同じような、妄想話が、溢れている。被害者意識は、いつの間にか、ごく当然のもの、となってしまい、逆に、迷惑を被る人が、増えているらしい。何故、そんなことが、と思うのは、普通の感覚だが、今や、そんなものは、普通でもなく、ただ、少数派になった、とさえ思える。その典型は、毎日のように、社会媒体で、掲げられるが、こちらが、首を傾げる中、どんどんと、賛同者が増え、それが、常識の一つ、となる現象が、起きているようだ。社会に対する、不満の表れとして、こんな感情が、起きるのかもだが、それにしても、よくもまあ、そんな論理を、展開するな、と思える書き込みが、押し寄せてくる。本人が、どの程度、真面目なのかは、知る由も無いが、にしても、傍から見て、賛同する感覚は、信じ難い。あの世界に、住む人々には、それが、当然のことであり、苦言を呈しようものなら、一気に、怒りに任せた、人格否定に満ちた、書き込みが、押し寄せてくる。逆に見れば、何と平和なことか、と思えるけれど、どの程度、真剣なのか、とさえ思える。さて、こんな時代に、こちらから、何ができるのか。考えても、無駄に違いないが、時に、横槍を、入れたくなってしまう。まあ、少し書き込んでも、炎上することなく、ただ、無視されるだけだから、大禍なく済むが、それも、いつまで続くのやら、自信は持てない。狂っている、とまでは、言わないけれど、議論が、盛り上がると、罵声の浴びせあいとなり、収拾がつかなくなる。昔の掲示板が、そんな賑わいを、見せたこともあるが、今や、そんな遣り取りは、皆無となったと思ったのに、で済ませるのか。どうだろう。

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5月9日(土)

 詐欺の常套句が、嘘なのは、当たり前だが、日頃から接する、情報の中に、嘘が鏤められるのは、何故なのか。人々が、手にした端末から、せっせと発信する、情報の多くが、嘘であるのは、本当に、困ったことだが、これも、何故か、そうなっている。では、放送は、と見ると。
 こちらも、かなり深刻な状況、にあるのでは。ただ、彼らが、昔の状態を、省みて、権力に与し、嘘を承知で、流し続けたのを、盛んに、反省したのは、何だったのか。あの反省の弁は、単なる、言い訳に過ぎず、実際には、自分に有利になるなら、そんな嘘も、方便とでも、言うのだろうか。こんな状況では、情報社会という、呼び名は、戯言に過ぎず、嘘や、恣意的な操作で、何かを、有利に運ぼう、とする思惑に、満ち溢れた社会、と呼ぶべきか。ただ、その中で、迷惑メールにしろ、囀りの偽情報にしろ、確認の方法として、使われている、人工知能が、それ自身、嘘に嘘を重ね、決して、謝罪することがない、と言われるのでは、頼りには、なりそうにない。結局、各個人が、自分自身で、判断するしか、解決法は、ありそうにないが、本当に、それでいいのか、誰にも分からぬ。事件が、起こる度に、持ち込まれる、情報の数々も、まさに、こんな状態であり、筋書き通りに、事が進めば、といった感覚で、取捨選択を行い、ちょっとした、脚色まで施し、騒ぎを、大きくする。ただ、この状況は、何も、放送局に限ったものでなく、発信する個人個人が、同じような気持ちで、有る事無い事、発信し続けている。その度に、囀り上で、検証する仕組みが、発動されるようだが、それとて、信用ならぬ、の状況では、お手上げだろう。鵜呑みにせず、確認を繰り返す、という手法が、頼りになる、とも言われるが、検索すれば、すぐに知れるように、耳目を集める、嘘の方が、上位に掲げられる。一方で、確認をと、参加者に、問い掛けるが、それとて、愉快犯が、群がるようでは、無駄でしかない。さて、どうしたものか。耳と目を、塞ぐのが、手っ取り早いかも、とさえ思えるが、本末転倒でしか、ないのでは。

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5月8日(金)

 詐欺の手口が、巧妙になったと言う。本当だろうか。オレオレ、と呼ばれる手口で、電話による詐欺が、横行した当時、親族の窮地に、心を揺さぶられた人々は、なけなしの金を、差し出した。面と向かっての、無心には、応じなかったろうに、何故、顔の見えない相手に、と。
 首を傾げる人が、多かった。だが、我が身に降れば、状況は一変し、心配や不安で、苛まれた人も、居たと聞く。その後、その手口は、常套手段として、紹介されるにつれ、廃ったが、詐欺集団は、次々に、新手を繰り出し、心理の不安を、煽り立ててきた。その典型が、最近の、警察騒ぎだろう。逮捕状が、出ているとの一言で、身に覚えのないことに、巻き込まれた上に、どういう訳か、金品を奪われる、となる。何故、警察官が、逮捕状や手帳を、見せてまで、脅しにかかるのか、という不思議だけでなく、その上に、そこに金銭が、関わるとなるのか。一部の発展途上国なら、公務員が、様々に不正を働き、庶民から、金品を巻き上げるのは、日常だろうが、この国において、何故、と思うのが、普通だろうに。これを、巧妙と紹介するのは、明らかな誤りで、ほんの少しの、論理によって、撃退できるのに、と思うのが、普通だろう。この辺りから、状況は、怪しさを増すばかり、となっている。詐欺も、種が尽きて、台本を、書けなくなったのか、はたまた、その程度の知恵で、犯罪に手を出そう、とする輩が、登場する程に、社会が、腐ってきたのか。と思う中、最近は、電子メールを使い、詐欺に精を出す、連中が、巷に溢れているようだ。ここ最近の傾向には、呆れるしかない、と思うのだが、ここでも、不安心理を、煽る手口が、横行している。国税庁から、未納の税金やら、脱税やらの、摘発めいた、文書が届くのは、近年の、確定申告の電子化が、背景にある。手続きで、登録したアドレスに、こんなものが届けば、驚く人が、居るというのか。慌てて、振り込む人が、居るのか、と思うけれど、何千万通も、送りつけて、一人でも騙せれば、という皮算用なのだ。何しろ、元手は、ほぼかかっていない。とは言え、そんなところに、市役所税務課なる所から、同様のメールが、届いたら、どう思うのか。滑稽としか、思えないが、送り主の市名が、抜け落ちている。こんな調子で、巧妙化を、語っては、それは、詐欺と同類では、と思う。

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5月7日(木)

 無理解に対し、どう説明すれば、と悩んだことが、あるだろうか。効率、効果の話の、深刻さには、そんな側面が、あるように感じる。費用や時間に対し、どんな成果が、と問い掛けてみると、大いなる誤解が、横たわることに、気付かされるが、あちらは、それには無頓着だ。
 少し、説明が必要か。無頓着なのは、何を、成果と見做すか、という点に対し、自らの判断が、絶対的であり、世間一般のものや、他の人が指摘するものに、目が向くことがない。この状況では、手に入れたものは、何の役にも立たず、また、それにかけた、費用や時間は、無駄となるしかない。だが、その役立たずを、目的とする訳で、それで、満足するのだから、それで、良いのでは、との意見もある。確かに、客が望むものを、与えさせすれば、それで、こちらの役割は、果たせたとすれば、その通りだろう。だが、それでは、その場で、要求されたものとは、異なる物を、投げ捨てただけで、こちらの役割は、本当は、果たせていないことになる。それに、本人達が気付けば、まだ、救いようもあるが、そうなることはなく、頑なに、思い込みを、果たそうとするだけで、困るだけだ。この傾向は、特に、教育現場で、著しいように、思えているが、気付かぬのだから、どうにもならぬ。その結果、後々になってから、酷い仕打ちを受けた、と訴えたとして、誰の責任となるのか。こういった話が、日常となって、こういう人々は、自分達が、被害を受けたと、訴えてくる。その典型が、囀りでの書き込みだが、その中身は、空っぽであり、付き合う必要も、慰める必要もない。ただ、自己責任として、済ませて仕舞えば、それまでだろう。だが、あの社会は、そうならずに、同類相憐れむ、となり、徒党を組んで、社会に対して、不平不満を並べる。元は、自分が蒔いた種で、誤解の上で、好き勝手なことを、した結果だというに、こうなっては、どうにもならぬ。にしても、この被害妄想ぶりは、如何なものか。更には、そこに作り上げた、嘘八百で、何をしたいのか。

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5月6日(水)

 最近の若者達が、盛んに使う言葉に、コスパとか、タイパとか、そんなものがある。前者は、昔から使われた、費用対効果のことだが、後者は、どうだろうか。その流れから、時間対効果、となりそうだが、何をどう使うと、時間当たりの効果が、導き出せるのか。
 ただ、大人達が、考える効果とは、全く異なるものを、若者達は、想定しており、この言葉を、鵜呑みにできぬ、と思うことが、屡々ある。例えば、こういった効果の、対象となるものが、何であれ、如何に楽に、手に入れられるか、という点にしか、目が向いていないからだ。何をどうすれば、手に入れられるか、ではなく、単純に、楽か、大変か、という点にしか、目が行かないから、真面目に、相手をしても、無駄にしかならない。特に、成果を、重視するのだが、その成果自体が、的外れなものであり、結果的に、手に入るものにしか、注目しない。学校で言えば、卒業という資格が、その一つだろうが、それが、どのような成果が、結びついた結果か、という点には、一切興味が無い、らしい。手に入ったものが、何の役に立つのか。この点についても、首を傾げざるを得ず、紙切れ一つに、血道を上げる、その姿には、滑稽さしか、感じられない。また、こういった場合に、コストが、何を指すのかについても、理解不能となる。費用という意味では、学費が、それに当たる筈だが、大多数の学生、生徒は、自分で支払わず、親が負担する。そこでは、金銭とは、全く別のものに、費用という言葉を、当てているようだ。その意味では、まだ、時間の方が、そのものズバリを、表している。だが、その計り方に、違和感を感じる。何かしらの課題に、どれ程の時間を、費やしたか、という点に、目が向くようだが、その成果を、顧みようとせず、時間だけ計るのは、どうしたものか。要するに、効果と呼ばれるものに、縛られるのは、それが、効率を表し、その割合が、高いことが、優秀さを表す、との思い込みで、動くからなのだ。中身の無い、人間のままで、いいと思っているのか、とさえ思えるが、どうだろうか。もし、このままなら、若者は、やはり、馬鹿者と、呼ばれるべき存在、となってしまうのだが。

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5月5日(火)

 弱者最強は、歪な考え、と思う。弱者を保護する、という社会の方針に、如何に、乗っかるかが、重視されて、被害者意識を、募らせる。その一方で、世間では、勝ち負け重視が、浸透しており、こちらの歪みが、重く伸し掛かる。傍目には、自己矛盾が、山積みなのだが。
 そんな中で、順位付けを、最優先とする、考え方が、囀りでは、主流となっている。自分より、劣ったものを、拾い上げて、揶揄することで、満足を得たり、優劣が、決められると、そこに、不公平がある、と決めつけて、社会の規則を、扱き下ろす。ただ、彼らの多くは、自己都合の、論理を押し通し、社会改善より、自己待遇の改善ばかり、主張し続ける。社会の中で、生き延びているのに、その社会を、破壊しようと、目論むかの如くに。こんな調子では、何も変わらないばかりか、悪くなるばかり、と思えるのだが、当人達は、至って真っ当な、要求と信じ込む。歪な考えが、大半を占める、そんな集まりに、興味を抱いても、無駄なのだが、念の為、一言二言、茶々を、入れてみる。突如として、反撃が、飛んでくるが、それとて、非論理的で、視野狭窄の典型となれば、相手する必要は、無いものと見るべきだ。さて、そんな輩が、今、盛り上がる話題の一つに、大学の数がある。若者人口が、減り続ける中、大学は、定員を満たせず、収入は、減り続けると聞く。その状況で、閉校する所も、増えているが、依然として、過剰と言われる。監督官庁は、特に、指導をするでもなく、趨勢に任せているが、補助金の出所の、官庁からは、暗い見通しが、出ているようだ。途端に、順位付けに、血道を上げる、輩達は、下位大学の不要論を、ぶち上げる。だが、実際には、大学入学の、入口での順位であり、人間の能力の、ほんの一部での、判断でしかなく、そこからの4年で、どんな変化が、起きるかは、誰にも分からぬ。それを、こう決めつければ、反論が、押し寄せるのは、無理もない。一方で、以前、どこかの女子大が、閉校との報道で、入学後の指導の、厳しさが、仇となった、とされていたが、この為体には、何の批判も、寄せられぬのに、唖然とする。何しに、大学へ、とは、よく尋ねられることだが。

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5月4日(月)

 もう何度も、書いてきたから、飽きたと言われるかもだが、今は、弱者保護の時代である。平和な時代が、長く続き、お互いを尊重し合う、姿勢が、強まった結果、社会には、強者と弱者が居り、弱者は、常に保護されるべき、との考えが、全体に、広まってきた。
 何時だったか、そして、何処に書いてあったか、全く思い出せないが、被害者意識の、強まりに対し、危機感を綴ったものが、目に触れた。これと、弱者保護が、どう繋がるのか、と思う人が、居るかも知れぬが、大いに、関係がある。今、保護されるべき、と訴える弱者の多くが、被害者然とした人々で、本当に、被害を受けたのか、本当に、保護が必要なのか、さっぱり、わからない対象だからだ。何故、このような考えが、蔓延してしまったのか、不思議に思うが、そんなことをしても、今の問題を、解決する手段は、見つかりそうにない。保護を、必要とする人は、確かに居るには居るが、今の状況は、そうでない人が、大きな顔をして、当然の権利と、訴えており、その状況は、異常としか、思えないのだ。別に、我慢しろ、などと、書くつもりはない。だが、そこまで、言わないと、引っ込まない人が、社会には、溢れており、その多くが、暇を持て余し、囀りで、盛んに訴えている。彼らに、手を差し伸べる必要は、全く無いと思う。だが、その一言さえ、書き込んだり、発言したりすることは、憚られている。それ程に、強い圧力を、社会全体に、及ぼしており、害悪でしかない、と言いたくなる。では、どうしたら、良いのか。論理的に、対応することが、第一と思うが、それ自体が、難しくなっている。こういう輩の殆どが、何も理解できず、それさえも、社会の責任や、相手の責任と、訴えるからだ。罰則が、必要なのでは、との意見は、数々出されているが、匿名性と、強烈な被害者意識が、邪魔をしている。こうなれば、まずは、無視が一番だ、との意見も多い。確かに、それも、一つなのだが、さて、この連中が、静かになるか。施す連中が、居なくならねば、何も起きそうにない。権利とは、と何度書いても、これもまた、無駄となる。最初に書いたように、平和が途切れれば、そんな余裕は、社会に無くなる。それしか、手立てが無いとしたら、不幸でしかないが。

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5月3日(日)

 何故、人は皆、自分を、大きく見せたがるのか。などと書くと、そんなことはない!、との反論が、押し寄せるかもだが、囀りなどでは、自信無さげに、同意を求める意見の一方で、矢鱈に、自慢するが如くに、努力や苦労を、書き連ねる。その末に、今の自分がある、とでも。
 確かに、その人の地位は、努力と苦労の末に、手に入れたもので、業績の数々も、同様なのだろうが、それが、他にも通ずるとは、限らない、と思う。独り言は、自分のことを、中心に書き綴るから、ここでも、自分の話となるが、特に、努力や苦労を重ねた、とは思っていない。他人から見て、どう見えるのか、については、上に書いた話同様に、触れてみても、仕方ないことだろう。自分が、どう思うか、という点に、絞って話をすれば、世間的には、成功した人間、の範疇に、当てはまると思うが、それが、他人に、自慢できる程の、努力や苦労の結果、などとは、思ってもいない。自分が、できることを、その場その場で、行ってきた結果は、努力や苦労ではなく、役目を果たそう、とするような、感覚に近いものだ。何故、こんなことを、書くのか、についても、自慢げに、書き連ねる人は、おそらく、他人に、認められたい、との欲求が、動機の一つに、なっているのだろうが、こちらには、そんな気持ちは、殆ど起きていない。確かに、認められた方が、仕事も、やりやすくなるし、協力も、得られるに、違いないのだろうが、それで、手に入るものに、大した変化は、起きないと思う。それより、反感を抱かれ、邪魔されることの方が、大きいのでは。と言っても、パンチの場合は、自慢もせず、努力も苦労も、特に、ひけらかすことも、していなかったが、邪魔は、山のように、押し寄せてきた。人徳、と言われれば、それまでだが、そんな他人の行状に、苦言を呈したり、反対に、邪魔者の邪魔を、したりするのは、馬鹿げたこと、と思うから、何もしてこなかった。で、今の結果だ。これもまた、できることを、やったから、と思えば、それでいいと思う。

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5月2日(土)

 国立大学への、運営費交付金、所謂予算が、増額されて、少し光が見えた、と思った。そういう感想を、囀りにも書き、ここにも書いたと思うが、問題は、その使い道だろう。予算削減が、四半世紀程も、続く中で、当然ながら、様々に、規模縮小を、繰り返してきた。
 耐震対策として、補強工事が、行われたのは、法律上からも、当然のことで、その予算は、確保されたものの、全体としては、削減が続き、遂に、人員削減も、限界が見えていた。そこに、朗報が届いたが、果たして、本体自身が、何をどう、回復させるのか、あるいは、新たな戦略を、検討すべきなのか、改めて、考えるべきことが、山積みなのが、はっきりした。本来、法人化を機に、経営を主体として、取捨選択により、大学としての、責務を果たすべきか、考える時期だったが、それは、無い袖の一言で、対症療法の連続で、考えることさえ、放棄した所も、多かったと思う。特に、経営陣が、その責務を、果たそうとしないばかりか、組織の末端にまで、染み付いた、貧窮意識が、何事にも、意欲を失い、教え授けることさえ、放棄し始め、存在意義さえ、失いかけていた。遅きに失した、と言われる中、予算増額を決めた、国の財布を、預かる省庁は、それでも、やれとの命令を、下している。一方で、進学者の数は、世代人口減により、減り続けることが、明白なだけに、将来展望も、暗澹とせざるを得ず、遂に、学校数の減少の、見込みを発表した。弱肉強食の時代、と言われて久しいが、ここでも、競争社会であり、成果を上げねば、舞台を去るしかない。そんな中で、この発表を、当然と受け止める向きと、監督官庁でもないのに、何を、余計な口出しを、とする向きとが、見えてくるが、本質的な部分では、存在意義を、果たせぬのなら、消えるしかない、となるのだ。それも、実は、進学者との関わりで、成立する話であり、そこに、目を向けずして、身勝手な議論を、行う人々には、黙れの一言を、投げたくなる。人材育成が、第一であるなら、それに必要なことを、大学は、せねばならず、学生に、何かを強いるのも、当然となる。さて、どう考えるのか。

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5月1日(金)

 昨日の独り言を読んで、所詮、子供の話、と片付ける人も、居るだろう。でも、これまで、何度も聞かされたのは、大人の話に、騙され続けた、子供の話ばかりで、右も左も、判断つかないものだった。それに対し、この小説家の話は、十分な判断力を、有するものだ。
 にも拘らず、勝つ筈との話を、信じ切っており、その線に沿った、論理展開も、十分なものが、練り上げられている。ある意味、大人と変わらず、子供なりの判断で、自らも、戦争への加担を、惜しまぬ姿勢を、作り上げている。そこには、無知な子供の話、ではなく、十分な判断力があり、自分の夢を、描く一方で、国が突き進んだ、戦争への道に、自分も、乗ろうとする、そんな姿勢が、現れていた。その意味で、貴重な話であり、戦争に加担した、当時の小説家や、反対して、弾圧された、小説家などが、戦後になって、語った話とは、また異なった、雰囲気が漂う。それも、後に、作家となり、物書きとなった人が、時間が経過する中で、様々な考えを、巡らせた上で、当時のことを、書き記そうとした、そんな背景から、何か、全く別の感覚に、溢れているように、見えてくる。それも、当時のことを、できる限りに、再現したものだろうから、更に、貴重に思えるのだ。こういう記録は、印刷物として、後世にも残るから、誰もが、読むことができ、自分で、確かめることが、できる。創作、として片付けるのは、少し違うような、そんな気がするが、どうだろうか。日記のような、形式をとっているが、最後の纏めで、当時と今の、違いに触れたことが、更に、価値を高めている、ようにさえ見える、と書くと、持ち上げ過ぎだろうか。何れにしても、物書きとして、残したい、と思ったからこそ、出版に漕ぎ着けたのだろう。それに対し、読者が、どんな感想を、抱くのかは、人それぞれだ。自分の経験と、照らし合わせる、老齢の人もいれば、戦争を知らぬ世代は、全く異なる印象を抱く。後者の立場から、興味深い内容だった。