パンチの独り言
思いつきを書きつづったものです。ご意見はメールでお願いします

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11月5日(木)

 厳しい審判が下り、勢力図も、大きく書き換えられた。と報じられたが、それに続いて、何も変わらず、権力の行方は、変わらぬまま、とも伝えられた。それこそが、民主主義、だろうと思う。何故なら、暴君の一期目も、当選後に、恐慌の声が、広がったが、大禍無かった。
 拒否権発動だろうが、何だろうが、主張を、押し通す為に、あらゆる手立てを、講じるに違いない、と言われる。だが、赤一色だった時さえ、議会の声に、耳を傾けることなく、強権発動を、続けていたのだ。その意味で、議会の存在は、無視され続けた。それでも、負けたくない、気質はそのままで、今回も、勝負事の一つとして、最終盤も、躍起になり、飛び回った。さりとて、大勢に変わりは無く、結果も、その通りとなった。世論調査への信頼が、取り戻せたかは、不明なままだが、その通りとなったことは、ある意味、統計や調査に対する、信頼を、少しでも、回復できた、のかも知れぬ。勢力図に、変化が起きても、政権の、無視する姿勢は、変わらぬまま、となれば、残りの任期、同じような迷走が、続くのだろう。海の此方も、油断することなく、できることを、続けるだけ、となる。政治とは、所詮、そんなもの、なのかも知れぬ。その上で、今の世界の流れが、今後、どんな向きに、進むのかを、注視する必要がある。その意味で、暴君仲間の、他の二人の動向に、気をつけたい。この暴君と、彼らとの、大きな違いは、任期の有無だ。後者二人は、長い時間をかけ、制度自体を、変更することで、君臨し続けられる、環境を築いた。それにより、単なる暴君でなく、まさに、独裁者として、居座り続けることが、可能となった。2年経てば、白い館から、姿を消す人物との違いは、そこにある。一方が、民主主義の、秤の上で、均衡を保たざるを得ない、のに対し、他方は、傾こうが、折れようが、好き勝手に、振る舞える。その制動力が、失われたら、海の向こうも、大混乱に陥る。映画で、仮想的に描かれた、悲劇が始まることは、決してないだろうが、油断禁物だろう。

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11月4日(水)

 実感がない。街頭で尋ねられ、そう答える、庶民の姿が、画面に、映し出される。株価が、最高値をつけた時、一部の投資家だけが、その恩恵に浴すだけ、との筋書きを、目論んで、報道が、盛んに使う手だが、本当なのか、と思える。免税制度で、素人投資家は、増えたのに。
 確かに、平均株価は、一部の銘柄の、動きに左右される。今回も、値嵩銘柄、と呼ばれるものが、期待を込めて、上昇を続け、その結果、最高値更新、となったと言われる。今は、落ち着きを、取り戻したのか、はたまた、単なる、泡が弾けた、現象だったのか、何れにしても、随分と下げて、遅ればせながら、参加した人々の、落胆が伝えられる。金利の上昇は、全く異なる伝え方で、借金する人を、選び出した上で、如何に、悲惨な状況が、舞い込んでいるか、を伝えるが、これもまた、筋書き通りの展開、という常套手段で、煽っている、に過ぎない。何故なら、一方で、金利が上がれば、預貯金の利率も、半自動的に、上昇する訳で、この国の民が、これまで、貯め込んだものに、思わぬ利子が、転がり込むことに、繋がるからだ。通帳を、眺めてみれば、それまで、半年に、一桁二桁の利子が、記帳されたのが、突然、桁が上がり、大きな数字が、そこにあることに、気付ける。確かに、数十円の預け額に、それを上回る、数字の利子が、転がり込むことは、決して無いが、ある程度、貯め込んだ口座なら、それなりの数値が、印字されている筈だ。これを、実感がない、と言い募ったら、聞くに値しない、話にしかならないが、そんな、当たり前のことを、聞き出そうとは、あの輩は、考えていない。如何に困り、如何に悲惨か、悲劇の人物に、仕上げなければ、取り上げる価値が、無いとばかりに、考えているのだ。初めの話に戻れば、実感などという感覚が、如何に、あやふやなのか、分かると思う。給与についても、同様だろうし、物価についても、同様なのだ。意図的に、思惑に満ちた取り上げ方で、世論操作を、しようとする。これは、大衆媒体でも、社会媒体でも、何ら変わらず、電波を占有したり、盛んに書き込んだり、そんな不埒な輩が、都合よく、書いているに過ぎない。

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11月3日(火)

 世間は、漏洩騒ぎで、持ちきりだが、どうだろうか。個人情報を、保護すべき、との法律が成立し、随分時が経過したが、保護されるべきものが、何なのか、一体全体、どれ程の人が、認識しているのか。というか、自分の情報で、他人に知られて、困るものは、何か。
 そんなことを、考えながら、報道を眺めると、どんな情報が、漏れ出したのか、一つひとつ、伝えている。が、それを見ても、はて、何が問題なのか、と思う。確かに、登録した鍵暗号が、他人に知られたら、困る人も、居るに違いない。だが、一方で、巷では、自分の大切な、資産などを、守る為には、鍵を、度々変更したり、同じものを、併用しないように、との注意が、盛んに、触れられている。なのに、それを守らず、何か、不都合が起きたら、誰の責任、となるのだろう。とは言え、そんなことを、一々守るのは、面倒に違いない。だから、同じものを使い、誰かに盗まれても、保管場所の、管理者の責任を、訴えようとするのだろう。報道でも、盛んに、そのことを、強調するが、あの文章を、書いた人間も、読んでいる人間も、果たして、その警告を、守っているのか、と思う。世の中、何事も、守られる筈、との思い込みで、人々は、安全安心を、享受している。が、一度、よからぬことが起きると、事態は、一変する。だから、自分で、自分のことは、守るべきだろう。とは言え、パンチ自身も、偉そうなことは、言えない。一方で、預けた情報について、そんなに重要なものが、あるのか、とも思う。仮令、免許証の写しが、誰かの手に、入ったとして、何をされるのか、さっぱり、思いつかない。兎に角、個人情報は、重要なもので、その管理は、厳重でなければ、ならないとの主張に、首を傾げてしまうのは、こんな所に、理由がある。管理会社が、厳重な仕組みを、作り上げることは、確かに、重要に違いないが、その中には、誰もが知るものも、自分以外には、誰も知らぬものも、あるのではないか。全部、ごた混ぜにして、話を作るのは、例の如くの、報道の得意技だが、それに、踊らされるのは、各人の問題だろう。だから、どうでもいい、とはいかぬが、まずは、落ち着いて、考えてみれば、と思う。

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11月2日(月)

 例の如く、悲観の筋書きが、流布されている。元々、種として、これ程の繁栄を、築いてきたのも、そのお陰、との意見もあるが、真偽の程は、定かではない。だが、心配や不安を、前面に押し出し、それを梃子に、反対勢力を、押し切ることが、最善の策として、使われた。
 その中で、国民性、とまで言われる、悲観好きの人々は、今の流れを、別の見方から、楽しんでいる、としか思えぬ。その上で、自身に有利になる、展開を望み、そちらの勢力に、期待する。裏切られれば、それはそれで、実際には、大差ない展開が、起きるだけだ。一方、海の向こうは、楽観主体の国民性で、どう転んでも、良くなる筈が無い、見込みが、立てられても、僅かな期待から、極端な変化が、起きると見込む。その結果、口先だけの、暴君の返り咲きを、実現させ、懲りない人間の、横暴な振る舞いにも、依然として、明るい未来を、描いているようだ。とは言え、早晩、審判が下る。ただ、これさえも、何方に転ぼうが、何の変化もなく、傍若無人ぶりに、変化は起きない、との見込みもある。ただ、それが、悲観ではなく、楽観から、出てくる話で、海のこちら側では、理解に苦しむしかない。敗戦後の復興から、悲観しかない世の中を、改善しようと動き、やっと、楽観が、現実のものとなったのに、そこで、泡が弾け飛び、経済が、崩壊したとさえ、言われた。実際には、そんなことは、起きておらず、厳しい状況下でも、各企業は、生産を続け、国も、頼りなくも、何とか、経済を支え続けた。今は、そこからの、大きな回復期にあり、更に、上を目指すか、また、下り坂に向かうか、の境目、踊り場にある、と言われる。どう動くかについて、見方が分かれるものの、悲観好きの国民性は、何でもかんでも、悪くなると見たがる。後になれば、何だったのか、と言われそうな、状況にあるのだが、悪く考えることで、安心できるのなら、もう、そのままに、してやれば良い。皆で、同じ方向に、動こうとすれば、極端な結果に、結びつきそうだが、それも仕方ない。こちらは、悲観は承知の上で、楽観的な展開を、見込んでいるが、それとて、逆になっても、それだけのこと、と思えば良い。

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11月1日(日)

 勝手に決めた、基準で、優劣を定める。何のつもりかと、思うことは多く、馬鹿げたこと、と思うしかない。優越感を得る為に、相手が、劣っている部分を、殊更に、取り上げる。客観性も無く、平等感は皆無だ。でも、本人達は、満足感に溢れ、勝ち誇っている。無駄と思う。
 下らない、と断じることは、難しくないが、では、そんなことに、躍起になる人々は、何を目的とするのか。理解できぬ、と言ってしまえば、その通りなのだが、それにしても、囀りをはじめとする、社会媒体で、これ程までに、盛り上がる理由が、ありそうに思える。一つには、海の向こうの、暴君が好む、分断の傾向だろう。自分を、安全地帯に置き、相手を、何処かに、突き落とせば、それで満足できる。相手との間に、深い断裂が、見えてくれば、しめたものだ。その上で、賛同者を、自分の側に置き、反対者は、谷底へと、突き落とす。その違いが、明確になれば、何を行うにも、都合良く、敵味方の区別を、明確にすれば良い。単純な考え方だから、何も、難しいことを、論じる必要はない。また、味方への説明も、ごく単純なもので、済ませられるから、簡単な話となる。その繰り返しが、何度も起きると、断裂は深まり、修復不可能となる。今の外交は、まさに、その状況にある、と思える。その上で、報道側は、その違いを、際立たせる為に、極端な話を、紹介すれば良く、これもまた、何も考えようとしない、あるいは、考えたがらない人々に、適した状況となる。本来、人間社会は、複雑に入り組んだもので、互いの力関係により、何方へでも、転がることとなる。だが、それでは、賛否を、明確にするには、不都合なのだろう。暴君の妄言の数々は、まさに、そんな考え方の中から、生まれ出たものと思う。少し考えれば、矛盾に気付ける筈が、そうならないのは、深く考えようとせず、表面的な利害で、動くことに慣れた、人間が、大半となったからか。となれば、操作も、簡単になる、と思えるのだが、どうか。あと数日したら、話題となっていた、選挙の結果が、出るだろうが、これとて、あの暴君には、何とでも解釈ができる、ものでしかなく、何の変化も、起きないのでは、と思えてくる。

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10月31日(土)

 優劣を知ることは、必要なのか。今や、大多数が進学する、高校入試でも、過半数が進む、大学入試でも、順位付けをして、合否を決める為には、何らかの方法で、優劣を付けねばならぬ。だが、その後は、どうだろう。他人との違いを、意識するのは、優越感の為か。
 そんな下らないことに、社会が、皆挙って、競争するように、優劣を付けようとする。だが、その違いは、何らかの指標によるもの、でしかなく、人間の格を、測るものでもないし、才能を、確かめるものでもない。ただ、営業成績で、彼奴よりは、自分の方が上だ、とか、他人の評価に、違いが出た時に、都合よく利用する、程度のものでしかない。にも拘らず、誰もが、躍起になって、その話題に取り憑かれ、時に、それを材料に、他人を、貶めようとさえ、するのだから、始末におえぬ。だが、そういうことに、目が奪われる人は、その多くが、優劣こそが、全てとでも、言いたいかのような、態度をとる。下らぬこと、と片付けたくなるが、そんな人間が、そばにいると、何かと面倒が起こる。まあ、知らぬふりをしたり、無視したりすれば、事が済む場合も、多いのだが、それでは、済まぬ程に、血を上らせる人が、相手となると、簡単ではない。何しろ、子供の頃から、順位付けに、血道を上げ、必死で、競争に、勝ってきたのだ。今更、そんなものは、無駄なのだ、と言われても、簡単には、諦められない。そんな性の現れが、社会媒体では、見事に、表面化する。無駄、としか思えぬが、当事者達は、必死であり、躍起になるのだ。無視すれば、それはそれで、攻撃対象となり、揶揄すれば、もっと酷い目に、遭わされかねぬ。触らぬ神に、とするのが、恐らく、最善なのだろうが、時に、許されぬことがある。勝ち負けなんて、命が奪われる訳でもないのに、とばかりに、冷ややかに接すれば、逆効果となることも。所詮、そんな瑣末なことには、関わらぬのが、一番なのだ、と思っても、許されぬとなれば、どうしたものか。いや、それでいいと思う。放っておくのが、一番だ。

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10月30日(金)

 経済活動において、金銭は、一所に留まるのではなく、回りものと言われるように、巡り巡って、活動を支える、とされる。だから、今の市場の活況も、その一つとして、先行投資という観点から、様々な分野に、注ぎ込まれる中で、その対象となる分野に、期待が集まるとも。
 違うとの直感に、少し触れてみたが、投資家達は、手元の資金を、何処に注ぎ込むかで、利益を上げられるかが、決まると思い、期待と懸念の入り混じる中、投資先を、探し続ける。とは言え、有り余った資金では、百発百中を、狙う必要はなく、また、当たり一つで、外れの損失を、幾つも補えるから、十に一つでも、場合によっては、もっと低い確率でも、構わぬとの思いが、重要となる、と言われる。とはいえ、市場は、それらの動きに、振り回されるから、他人事とばかり、言ってはいられぬ、状況にある。それにしても、指標の一つとして、市場の動きを、捉える為に、皆が注目する、平均株価とか、海の向こうの指標は、確かに、平均的なものかもだが、前者は、ある銘柄の動きに、左右されるし、後者は、然程多くない、銘柄数の故に、重視し過ぎるのも、どうかと思える。人によっては、保有株が、それらの指標には、組み込まれておらず、この所の、活況ぶりについても、大した恩恵は、受けていない、と思う人も、多いのではないか。確かに、投信の世界では、指標への依存が、強いだけに、この所の上げに、喜びを隠せぬ、人も多いようだ。ただ、一部の業界に、陰りが見え始めてから、状況は、明るくない、とも言われる。相場の難しさに、悩む人が、多いようだが、結局は、分散投資の基本を、貫いていけば、一喜一憂は、あるとは言うものの、現状は、全体として、明るい方に、向かっているようだ。大したことはない、とも思えるが、記帳する度に、おや、と思えることが、増えているようだ。利子の額は、ほぼ無いに等しく、期待できない、と思い続けてきたが、この所、それなりの数字が、印字されている。まだ、成長期に比べて、僅かなもの、には違いないが、それでも、なのだ。このまま、利上げが続けば、投資対象として、復活しそうな、気配さえ見える。

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10月29日(木)

 穿った見方、という程には、深く調べた訳でもない。ただ、直感として、違うと思うのだ。生成人工知能が、登場して以来、皆が、その素晴らしい能力に、称賛の声を、上げてきた。そこに、経済効果が、見込めるとして、投資対象に、期待が集まり、相場全体が、活況を呈した。
 期待に向けて、金を注ぎ込むのが、投資の基本であり、その後の、達成状況は、別の指標として、現れると言われる。だが、今回の騒動には、期待とは、かなり異なる要素が、含まれている。人工知能は、前世紀末に、将来への期待として、かなりの投資が、行われたし、研究対象としても、高い評価を、受けていた。ところが、その後の低迷で、すっかり、信頼を失い、見向きもされぬ、対象となっていた。そこに、登場したのが、生成の言葉が、付け加えられた、仕組みの開発であり、その結果が、提示されると、世界全体に、驚きが広がった。まるで、人間が考えたが如く、ただ、情報を集めるだけでなく、それらを、体裁良く纏め、質の良い結果を、示す能力に対し、人間に近いか、時に、それを超える能力、とさえ、表現された。しかし、高い能力は、時に、不安や心配を、もたらすらしく、結果として、教育現場から、懸念が広がり、それに加えて、例の如く、職を失いかねぬ、という懸念が、先進国に、広がった。確かに、結果だけ見れば、それも、表面的なものでは、それなりの訓練を、受けた人間の、出力のように、思えたのだが、その後、様々な検討が、加えられると、馬脚を現し始め、嘘や捏造は、勿論のこと、誤りも繰り返し、それを認めぬ頑なさには、無能ぶりの反映さえ、感じられ始めた。そんなことを、確かめるまでもなく、この程度のことは、少し賢い人間なら、無難にこなし、称賛の嵐、となる場合もあったが、その多くは、その後の低迷ぶりに、皆の期待を、見事に裏切ることになった。機械と人間は、違うものとの見方も、盛んにされて、可能性は、無限大との見方も、確かに、あるようだが、その浅薄ぶりに、呆れるだけだ。機械検索が、日常化し始めた時、期待は、大きく膨らみ、その一方で、教育現場の懸念も、拡大していた。これも、過大評価の典型だったが、今や、日常となった検索では、人間の能力を、超えることなく、結果的に、利用者の能力が、反映されただけ、となった。今度も、そんな気がする、直感に過ぎないが。

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10月28日(水)

 政治家もそうだが、報道も、公明正大であるべき、と思う人は多い。だが、今は、各局が、あからさまに、ある勢力や国に、偏った姿勢で、情報を操作している。自国の政治家に、反発する姿勢は、権力に与しない、として評価されるが、だからといって、他国に与するのは、どうか。
 隣国との問題は、長い歴史の中で、拗れに拗れているから、簡単には、解きほぐせそうになく、どんなに、馬鹿げた意見も、通用する状況にある。だから、という訳でもないだろうが、それにしても、とんでもない、と思える話を、実しやかに、流し続ける姿勢には、公平性も、正確性も、全く感じられない。でも、その姿勢を、貫き通すのは、何かを、信じているから、に違いない。ただ、結果として、重大な誤報を、流したとしても、どこ吹く風と、一切、反省も、総括も、触れることさえ、起きないのだ。その一方で、社会媒体に、安住する人々は、古い媒体として、大衆媒体を、馬鹿にし続ける。目糞鼻糞、としか、表現のしようもないが、何方も何方、なのは、いつものことだ。それにしても、冷静に、客観的に、眺めた様子を、そのまま伝えれば、いい筈のものを、何故、あんなに、捏ねくり回して、事実と異なる話を、作り上げるのか。一説には、分かり易さを、追求した結果として、ある程度の歪曲と捏造は、許されるもの、と信じているらしいが、それにしても、すぐにばれる、嘘を連ねても、何の益も無いし、得になるなど、決して無い、と思える。にも拘らず、極端な解釈さえ、拘り続けて、垂れ流し続ける。でも、社会媒体も、新しいとは、一部の誤解でしかなく、固執した意見が、次々に並ぶだけで、大差無い気がする。で、どうしたら、いいのか。結局は、個人の判断でしかなく、誰かに、認められる必要も、殆ど無い。自身で、満足できるのなら、それで、いいのでは無いか、と思う。まあ、他人と話し合うと、色々と問題が、起きるのだが。

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10月27日(火)

 世界各地で、選挙日程が、迫っている、と伝えられる。実際には、既に、結果が判明したものもあり、勢力争いが、何方に転ぶのか、気になる人も、多いだろう。だが、右や左で、何方に転んでも、似た結果になるのでは、と思えることもある。宗教が絡む争いでは、特にそうかも。
 今、紛争地域では、3つの宗教が、興った場所として、知られる都市について、争いが絶えぬ、と言われている。だが、どれも、その成立過程だけでなく、布教の段階で、異教徒の弾圧を、経験しており、今に始まったこと、ではないと思える。だが、この国は、そんなことを、経験していない、と見る向きもあるが、現実には、廃仏毀釈だけでなく、様々な弾圧が、様々な時代に、繰り広げられた。戦国時代の武将が、宗教絡みで、厳しい弾圧を、行ったのは、その一つだろう。ただ、これは、政治上のことで、宗教間の争いではない、と見れば、その通りだろう。でも、結局、気に入らぬ連中を、排除しようとする、そんな気持ちの表れ、と思えば、大差無いように、見えてくる。さて、元の話題に戻り、あの紛争地帯での、争いは、何がどうなっているのか、明確な解釈が、ある訳では無い、ように見える。その中で、領土争いと、宗教的な紛争が、相俟って、今の混乱に、至っており、ゲリラ活動が、殺害や人質拉致へと、結び付いてから、激しい爆撃が始まり、その上、支援国家として、目の上のたん瘤の如き、存在だった所へも、爆撃が及び、結果として、多くの指導者が、殺害された、と伝えられる。この混乱は、今の首相の問題とばかり、世界的な批判が、集まるのは、十分承知の上で、これまでも、それだけの解釈を、押し付けて、集団虐殺とさえ、呼ぼうとする動きには、異論を唱えてきた。今、彼の国で、選挙が行われようとしており、政権交代を含め、激変が起きる、との見解も、あるようだが、どうだろう。確かに、味方の筈の国々が、虐殺とさえ、見做されるような攻撃で、批判しており、その関係を、改善したいとの期待も、解らなくもないが、紛争を収める、という形には、結び付きそうにない。だから、現状止む無し、と言う訳ではないが、どうも、問題の本質を、見誤った上で、人道上との考えを、妄りに持ち出して、論じることには、賛同しかねる。善悪の、単純な判断では、片付きそうにない、拗れた問題を、我がこととして、考える気がないのなら、口を出さぬのが、いいのではないか。

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10月26日(月)

 ここを読んで、不快になる人が、どれ程居るのか、考えたこともないが、どうだろう。この所、囀りや顔本を読んで、何とも表現し難い、でも、明らかに、読みたくない、という気持ちを、起こすことが、何度もあった。何が、原因なのかは、定かではない、が、不快なのだ。
 少し考えてみると、そこに書かれたことは、ある意味、極端な意見で、俄かには、賛同が得られぬ、としか思えぬ内容で、そのまま、公開されることに、違和感を覚える、ものだったように、思える。広告を、含むようなもので、その為には、耳目を集める必要が、あるとでも言うのか、極論こそが、標的となる筈、との思い込みが、表面化した結果、なのかも知れぬ。だが、不快感で、終わればまだいいが、時に、他人の権利を、侵害することに、繋がったり、単なる、不快感でさえ、最近では、精神的な傷を、生じさせるとして、捜査対象にさえ、なり得る。刑事罰は、難しくとも、民事罰で、損害賠償請求の、対象となることも、考えられる。それ程に、悪意に満ちたもので、不快感を、ばら撒くものが、何の制限もなく、公開されることに、世の中は、厳しい目を向け、規制対象へと、結び付けようとする。だが、言論の自由が、反対の側に、君臨しており、それを盾にして、やりたい放題を、続ける人が居るのも、確かなことだ。この場で、何度も書いたが、そういう攻撃的なものへの、対処法としては、無視するのが、最善策と思われるが、次々に、飛び込んでくる話題は、ある仕組みが、操作する人間に、最適なものとして、選び出したもので、つい、慣らされてしまうと、不用意に、読み始めてしまい、心理的な、傷を負いかねない。それについて、運営側は、事件を、未然に防ぐ為に、導入した手立てで、選別を繰り返すことで、危害を及ぼすものを、遠ざけている、と主張する。だが、現実は、正反対の結果を、招いていないか。機械任せが、責任逃れに、最適な手法、とでも言いたげに、この手の混乱が、起き続けるが、さて、害を遠ざけることが、本当に、安全安心を、作り出すことに、なるのかと、首を傾げたくなる。

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10月25日(日)

 高校までの教科書は、何事も、断定的に書いてある。事実を、覚えることが、学習の主体となり、覚えると、理解した、という気になるらしい。だが、大学へ進むと、途端に、何事も、あやふやであり、断定できない話が、押し寄せてくる。解るように、話して欲しい、との悲鳴が上がる。
 だが、世の中、殆どのことが、不確定で、決められない。だから、それに備えて、自分なりの分析を、する力をつけて、社会で活躍できるように、との配慮からだが、本人達は、迷惑としか、思っていない。分かる話、というのは、白黒がはっきりして、断定できるもの、のようだが、それでは、世渡りは、できそうにない。一方、人気商売では、分かり易さが、鍵となり、嘘や偽りでさえ、断定的に、言い切ることで、人気を得る。その典型が、海の向こうの暴君で、一期目の当選は、まさにその結果、となった。だが、誰がやっても同じ、などと揶揄されたとは言え、多くのことが、頓挫した結果、次の選挙では、惨敗となった。復活したのは、その反省から、確実なことを、目指したから、などとは、誰も思わず、同じことの反復だったが、何故か、学んだ筈の大衆は、同じ間違いを、繰り返した。そこには、何が正しいのか、という評価軸より、どの話が、分かり易いか、との評価軸が、優先されたことが、背景にありそうだ。反省しなかったからこそ、同じ轍を踏み、国際関係でも、多くの障害を、築き上げていった。一方で、この傾向は、世界的なもので、あの国に、限ったことでなく、他国でも、暴君が、居座ることで、様々な問題が、生じてきた。その組み合わせ、に過ぎないのだが、これ程に、歪みが大きくなると、簡単には、修正ができない。その上、国際機関が抱える、重い症状は、調整を、無力なものとして、暴君の暴走を、放置することとなった。法の支配を、標榜する国とて、その要となる組織が、本来の役割を、大きく逸脱し、国際問題ではなく、国内問題にまで、口を出す始末。これでは、秩序を取り戻すことは、困難を極める、としか思えない。民主主義である以上、投票行動が、最優先となるのは、当然のことだが、それが、無知の力で、動かされては、何ともならぬ。自浄作用に、期待したいが、ここまで汚れると、簡単ではない。

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10月24日(土)

 教員が足らない、と言われる。本当か、と思うが、現場からは、人手不足で、超過勤務が、減らせない、との声が届く。これもまた、本当なのか、と疑っているが、有資格者の数が、減り続けていて、仮令、資格を取っても、他の職に、就くとまで言われると、はて、と思う。
 逃げる人が、増えるのは、多分、報道関係の、総攻撃によるもの、と思う。激務と強調し、組織に、改善の意思が無い、とまで伝える。その上、親との関係は、改善の気配さえ、見えてこない。何しろ、ほんの一握りとはいえ、違法行為が、度々報道され、異常な人間の集まり、と言わんばかりの、論調さえある。今の風潮は、ほぼ全てが、この形であり、如何に、負の要素を、強調するかが、報道の責務、と思う人さえ、居るのではないか、と疑いたくなる。たまに、いい話が流れると、嘘との指摘が、押し寄せて、現実との乖離を、山のように、積み上げてくる。こちらは、報道ではなく、巷に蔓延る、社会媒体に巣食う、不埒な輩が、中心となる。海の向こうの、選挙では、負の喧伝が、最大の武器と言われ、毎回、それが繰り返される。今も、まさにその最中であり、あることは、無いかほんの僅かで、無いことばかりが、山のように、積み上げられる。教育が、魅力的な職業か、と問われれば、必ずしも、そうとも言えないが、とは言え、十年に一度でも、態度を改める、子供に接することで、思いを新たにした、人が多いのは、この業界だろう。大人相手の、味気ない日々を、送ってきた人々には、魅力的と、映るのかも知れず、だからこそ、そういう経験者の登用を、目論む動きがあるのは、当然なのかも、だ。だが、だからと言って、経験のみで、何事も可能となる、訳が無い。やはり、それなりの訓練を、経てから、舞台に上げる必要が、あるのではないか。そんなことを、考えると、今の流れには、賛同できない。人工知能が、ここまで整備されれば、人間が、直接教えることは、殆ど残っていない、との意見があるのは、十分承知の上で、あんな機械に、全てを丸投げするのは、危険極まりない、と思う。馬鹿げた、感染騒ぎの最中、現場では、通信を介した教育が、実施されたが、その不便さは、尋常ではなかった。となれば、やはり、生きた人間同士の、遣り取りこそが、不可欠となりそうだ。とは言え、誰でも、とはいかぬものだ。慌てては、いけないだろう。

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10月23日(金)

 毎日書くのに、人工知能を、使っていないのか、と尋ねる人は、まだ居ないが、そんなことを、思った人が、居るかも知れぬ。こんなに、読み難いものを、機械が、書く筈がない、と思う人は、事情を、よく理解している。それより、楽しみで、書き綴るものを、何故、何かに任せるのか。
 そんな疑問を、抱くことを伝えると、また、不思議そうな顔をする。確かに、人工知能に、全てを任せるのではなく、もう少し、読み易くするように、依頼しては、と思う人が、居たとしても、不思議はない。それはそうとして、別に、自分が思ったことを、自分なりに纏めて、毎日書き綴るだけなら、大した労力ではなく、使い方を、誰かに尋ねる前に、書いてしまった方が、余程楽に違いない。また、楽しみ、という点を、強調しておきたい。業務記録や、学校での提出物など、面倒としか、思えないのなら、誰かに、投げたくなるのも、仕方ないが、自分の楽しみを、他人に、それも、人間ではないものに、譲ってしまう、そんな気持ちは、全く理解できぬ。書くことが、思い付かなくなる、という不安が、過ぎる場合も、あるだろうが、その心配は、ご無用だろう。日々、何かを、眺めていれば、それで、思うことは、必ずある。もし、そういう考えが、思い浮かばなくなるのなら、そろそろ、生きるのを、止めた方が、いいのでは、とさえ思う。流石に、生きる喜びが、独り言にある、とまでは、思ったことさえない。そんな大層なものでも、また、どうでもいいものでも、何方でもなく、ただ単純に、習慣化しており、それを、日々、繰り返すのみ、なのだろうと思う。読む人が、傷ついた、と思ったことが、あるかどうかは、知る由も無いが、こちらは、そんなことを、考えたことも無い。傷つけて、どうしたいのか、とさえ思える。書くことが、好きかと問われれば、その通り、と答えるが、こういうものを、毎日書き綴るのと、その気持ちとは、殆ど関係ない、と思う。人畜無害、は言い過ぎとしても、役に立つことが、あれば、幸いである。

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10月22日(木)

 独り言を、読む人達には、不思議でも何でも、ないのだろうが、改めて書くと、SNSなどと呼ばれる、社会媒体は、何と役立たずなことか、と思う。囀りが、身勝手な意見の、落書き帳なのは、当然のこととして、顔本も、大差なくなり、仮令、実名で書こうとも、歪曲が著しい。
 何度も、書いてきたことだから、他人から見れば、慣れているのでは、と思われるかもだが、頁を、繰っていっても、何処までも、そんな馬鹿げた文言が、続くとなると、流石に、嫌になるものだ。自分は、社会で、活躍してきて、過去形でも、現在形でも、変わらぬ地位に、あるとでも、思っているのか、上から目線で、世間は、愚かな者ばかりで、諭しても、何の役にも、立たないだろうが、それでも、正論を、ぶっておく、とでも言いたげな、態度なのだ。だが、肝心の、本人曰くの正論は、明らかに、誤解に満ちたもので、何処をどう読んでも、論理破綻ばかり、としか思えない。何故、この程度の人間が、自分は優秀で、組織内でも、活躍してきた、と思い込めたのか、不思議で、仕方ないのだ。とは言え、そんなことを書くと、お前もだ、とでも言われそうだが、さて、どうだろう。この場は、独り言であり、自分勝手な意見を、綴る場として、長年、毎日の記入を、心掛けてきた。幼少の頃から、日記なるものには、全く縁がなく、これ程に、長続きしたものは、何事にも、当てはまらないのだが、それでも、続いたのは、事実である。これ程の、膨大な量を、ぱっと、その場で書ける、とはとても思えぬ。で、その一方で、やはり、論理を保ち、じっくり読めば、分かる筈、との基本は、忘れていない。そういう気持ちで、改めて、社会媒体へ、書き殴られたものを、読んでみると、やはり不快感しか、残らない。こんな塵の山、さっさと片付けたら、と思うのだが。

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10月21日(水)

 不穏な空気は、何処にも、流れている。そこに居る人が、不安や心配を、口にしさえすれば、それで十分だろう。今や、そんな声を集めて、煽ることで、自分達の生業を、続ける連中は、まさに、そのお陰で、実入りがある。何事も、不穏でなければ、成り立たないのだ。
 とは言え、経済状況は、踊り場なのか、今、何方に動くか、不安定な均衡の、中にあるのだろう。それを、ここ暫く続いた、活況を頼みに、将来設計を、考えるとの話が、出てきた。異常な程の、上昇を続けて、最高値更新の、報道がある中で、税を優遇される措置を、始めた人の中には、どうなるか、得体の知れぬ、公的年金という、頼りない仕組みは、さっさと無視して、資産運用に、なるべく多くの、資金を注ぎ込もうと、日々の出費を、抑えると言う。流石に、貧しい生活を、自ら強いて、将来に備えるとは、何事かと思うが、本人達は、大真面目である。知恵の足りない、人々が、さも当然の如く、滔々と語る姿に、空いた口が、塞がらないが、識者達も、五十歩百歩の状況で、分散投資の基本を、見出せないから、総白痴状態、にしか見えぬ。その中、世間は、生成人工知能の話題で、持ち切りで、相場も、その動きに従い、盛んに上下する。確かに、その威力たるや、信じ難いもの、と映るらしいが、真偽の程は、定かでない。ただ、最大の懸念が、広がるのは、教育の世界だろう。誰もが、手軽に、人工知能に尋ねれば、それなりの答えが、得られるとなれば、人間、何も学ぶ必要は無い、となるように見える。だが、現実は、それ程には、甘くないのだ。知識の泉として、機械検索が、持て囃された頃、よく似た状況に、あったと思える。でも、その後の展開は、誰も、賢くならず、単に、役立たずの道具を、手にしただけで、知恵遅れの人間には、何の変化も、起きなかった。同じことが、再び起こる、と思えるのだが、果たしてどうか。検索同様、使えない奴は、やはり、使えなかっただけで、使える奴は、やはり、使えただけなのだ。

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10月20日(火)

 不穏な空気が、報じられるが、それにしても、あの略奪の光景は、どうしたものか。この国でも、嘗て、そんな光景が、見られたとも伝えられ、何も特別なことは、無いと断じる人も、居るのだろうが、さてどうか。最近の、治安に関しては、絶対は無い、とも言われるが。
 それにしても、物価高騰や、その他様々な問題に、適切な対処を、できない政府に対し、訴える人々が、皆、略奪に加担する、とは思えない。何を、どうしたら、あんな暴動が、起こるのか、と対岸の火事を、眺めるが如くに、思っているが、こんな不安が、政情不安へと繋がり、更に、他国へと、伝染し始めたら、世界規模の、混乱へと、至るのでは、と思う人も、居るのだろう。ただ、その中で、海の向こうも、例の如くの、出鱈目な様相を、呈し始めており、世界的な、と言いたくなるのも、無理もないこと、とさえ、思えるが、こちら側は、何とも不思議な、政局の展開が、進んでいる。確かに、先の大戦では、追い詰められた挙句に、宣戦布告へと、発展してしまったが、それまでも含め、鎖国時代が、安定していたのは、勿論のこと、幕府転覆となり、維新が起きた後も、比較的、安定な政治が、展開していた。確かに、戦時の状況は、一種独特の、狂気が漂い、破滅への道を、邁進したが、その最中も、冷ややかな態度で、眺め続けた人が、居たと聞く。この状況と、今、画面で流れる、暴動の光景を、結ぶ手立ては、無さそうに、見えるのだが、どうだろう。とは言え、今後、更なる物価上昇が、続いた挙句に、燃料不足など、大きな不安要素が、露呈したら、果たして、どこ吹く風、との態度を、維持できるのか、誰にも、判らないだろう。とは言え、今のこの状況が、いつまで続くのかも、やはり、誰にも、見えぬことだ。傍観を、続けられれば、幸いということか。

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10月19日(月)

 政治の低迷が、問題視され始めた。海の向こうの暴君の、不規則発言は、今に始まったこと、ではないだけに、それを、殊更に、取り上げるのは、どうかと思うが、先進各国でも、不安が広げられ、運動が盛んに、なりつつあると言う。ただ、作られた感があるのは、何故だろう。
 その一方で、軍事侵攻が、いつまでも、収束しない中、企業業績は、好調を続け、相場も、最高値更新が、続く程だった。しかし、ここにきて、急激な制動が、かかったように見え、政治と共に、停滞期に、突入した、との見解も見える。その中で、物価上昇は、緩む気配も無く、金利の操作が、微妙な状況に、入ったように見える。経済という世界では、常識とされることが、沢山あるようだが、事が起きるたびに、編み出されたものだけに、確実性は、低い訳で、今回の騒動も、その一つに、後々、数えられそうな、気配が見える。人工知能が、爆発的な発展を遂げ、その関与が、企業活動に、大きな影響を、及ぼすと言われ、それが、業績好調へと、繋がるとの解釈が、相場の上げに、結び付いたのだが、ここに来て、翳りも見え始め、何ができるのか、改めて、見直す動きも、徐々にだが、見え始めた。まさか、それに合わせた訳でも、あるまいが、相場も、停滞期に入り、最高値から、かなり離れた水準が、ここ暫くの間、続いているように思える。これが、階段の踊り場、にあたるものか、はたまた、ここから、下げに転じるか、については、様々な意見があり、確実な見方は、出ていない。と言っても、相場の動きでは、上げようが下げようが、利潤追求をする人には、関係の無いことで、現物を買うか、空売りをするか、という立ち居振る舞い、次第の所がある。経済の不思議、と素人は、考えてしまうが、そうなるように、仕組まれたもので、市場原理と共に、関係者が、儲けを、掠め取る為の、仕掛けだろう。経済は、そんなものと、受け取った方が、良さそうだが、さて、政治は、どうだろう。二週間程で、海の向こうの決着は、着くだろうが、こちらにしても、どちらに出ようが、暴君の自己愛は、続くだけだ。残りの半分、どうなることか。

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10月18日(日)

 任期というものが、ある以上は、道半ばなのである。まだ、半分しか、終わっていない、のだが、一方で、半分も、残っている、とも言える。だが、この所の、不規則発言の数々や、朝令暮改ぶりからして、断末魔の叫び、という声さえ、聞こえてくる。どうだろうか。
 暴君は、何も、海の向こうの、餓鬼大将に、限った話ではない。集中した権力を、如何様にも、行使できる、という意味では、残り二つの、大国に居座る、例の輩達も、全く同じだ。だが、大きな違いが、あるとも言える。後者二人は、任期があったとしても、既に、形骸化しており、無いも同然、となっている。それに対して、未だ、民主主義が、通用すると言われる、前者の大国では、歴とした、任期が定められ、二度目ならば、次は無い、のは明白なのだ。だからこそ、残りの半分を、どうやり過ごすかは、大した問題では、ないとも言える。だったら、もっと好き勝手に、振る舞えばいい、と思う人が、大多数だが、本人の心の中は、兎に角、名を残すことが、占めている。それも、悪名高き、という現在の状況とは、全く異なる、名誉を誇れる、そういう名に、拘っているのだ。にしても、当初から続く、暴言の数々のみならず、他の国の、主権でさえ、侵害することも、当然と考える、思考回路には、呆れるばかりだ。確かに、企業経営者であれば、自社の利益のみを、追求することが、今の資本主義の、基本と言われるが、国は、企業ではないし、国家間の関係は、利潤追求の対象、とは大きく異なる。その中で、法の支配を、無視し続ける態度に、もう誰も、口を出さなくなり、裸の王様が、素っ裸で、恥を晒し続ける。だが、まだ、国民の判断は、下されていない。すぐそこに、迫っている選挙は、どう転がるかが、まだ見えておらず、報道も、触れぬように、心掛けている、ように見える。公約は、彼の頭には、存在しない言葉だろうが、選挙中に、口走っていた、自分ならできる、との予言は、悉く、外れており、ここに来て、迷走ぶりは、強まるばかりだ。責任転嫁が、常態化する中、何方に転んでも、崩壊の一途を、辿るだろうと、思われるが、どうだろう。三極が、それぞれに、崩れ始める中、世界全体は、何処に向かうのか、誰にも分からぬが、大差無いのかも、とも思えている。

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10月17日(土)

 自分の資産は、自分で守る。投資の世界では、常識とされるが、半世紀程前の、高度成長期とか、泡が弾ける前とか、そんな呼び方を、する時代には、証券会社に、資産を預けて、運用は、専門家に任せる、というやり方を、していた人が、一杯居たのでは、ないだろうか。
 それは、いかん、と言われ始め、売買を、促すにしても、事前確認を、怠らぬよう、とされてからは、特に、自己責任なる言葉が、業界に、飛び交うようになった。そうでなくとも、自分のものなら、自分で、責任を負う、のが当たり前、と思う人が、徐々に、増えているのだろうが、この殺し文句が、今でも、屡々聞こえるのは、やはり、現状が、そうなっておらず、お客様を、神様と呼ぶ人間が、居るからだろう。そこでも、虐めに似た、行為が、度々見られ、損失補填を、強要する動きが、見られるのも、当然なのかも、と思える。ただ、下々の者から見れば、そんな話が、通用するのは、高額の資金を、預ける人だけで、なけなしの金を、どう増やそうか、悩む庶民には、関係ない話だ。だが、それでも、否、それだからこそ、自己防衛が、不可欠と見ることが、必要となる。何かを、勧められても、簡単に、乗ってはいけない、と言われるのも、そんな事情からだ。だが、少しでも、増やしたい、と願うのも、少ないからこそ、なのだから、仕方ない。どうしたら、いいのかと、日々悩みつつ、でも、危ない橋は、渡りたくない、と思っている。これでは、一攫千金は、掴める筈のない、話にしかならない。だとしたら、ある程度の冒険を、已む無しとするか、はたまた、将来への不安を、見えぬふりを、続けるかの、何方かだろう。泡が弾けて以来、経済低迷が続き、何事にも、経費がかかる時代、となってきた。その一方で、値上げを、忌み嫌う風潮から、手取りが増えず、厳しい家計状況が、続いてきた。ただ、ここにきて、値上げの嵐が、続くようになると、当たり前の如く、何事にも、手数料が、要求され、その積み重ねが、また、価格上昇へと、結び付く。老後の不安は、これでは、解消できぬ、と思っても、さて、どうすれば、資金確保が、可能となるか。一番は、やはり、使わぬことか。最低限でも、豊かに思える生活を、送りつつ、との思いは、捨てぬように。

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10月16日(金)

 情報漏洩にしても、詐欺紛いの話題にしても、報道は、さも大事の如く、喧伝している。確かに、なけなしの金を、奪われた人からすれば、そんなことが、起きないのが、一番に違いなく、その為に、注意すべきことを、列挙するのが、一番に違いない。だが、今のやり方は。
 本当に、その目的に、適っているのか。と、そんなことを、思い描く程に、的外れな指摘と、無垢な庶民の、感想ばかりが、流れるのを、眺めている。一体全体、何をして欲しいのか、と思う程、これらの、無垢な善人達は、不安を口にし、それが、自分を滅ぼす、程に思っている、ように演出される。確かに、老後の資金を、失うことは、一大事である。生活の糧を、失ってしまえば、どうにもならなくなり、死を迎えるしか、ないようにさえ、見えてくるのだろう。だが、今回の情報漏洩で、どんなことが、起きるのか、果たして、十分な検証が、行えているのか、と思う。そんなことを書くと、いや、最悪のことを、考えるのが、今は、一番大事なのだ、との反論が、押し寄せるだろう。でも、その最悪とは、何事なのだろうか。命が、奪われるが如くに、表現することさえ、見えてくるに従い、怪しさの方が、先に立つのだが、これは、こちらの見方が、誤っているのか。自分の情報を、奪われて、それが、悪用されたら、と考えることに、何の間違いも、無いに違いないが、でも、そこまで、起こりもしないのに、想像を巡らすのが、本当に、必要なのか、と思うのだ。守られることに、慣らされてきたから、こういう場面で、恐怖を感じるのは、当然のことだ、とする考えには、首を傾げたくなる。守るとは、確かに、保護者がいて、国があって、そういう大きな存在が、何かを、してくれる、というものだろうが、いい大人が、それも、実は、他人を守らねば、という人に限って、こういう話に、不安を隠せぬ様子を、示してくれる。困った時代、なのだろうが、さて、どうしたら、いいのだろう。これもまた、昨日同様、様子を見ようか。