パンチの独り言
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10月8日(木)

 裏で、悪さをした、との報道があると、その度に、厳しい批判が、飛び交う。当然のことだが、違法行為は、法律で禁じられ、社会的にも、許されぬ、と言われる。だが、その背景について、報道は、触れぬままで、読者は、何がどう、悪かったのか、知る術が無い。
 今回の悪さは、業界が、話し合いの末、価格調整を、行ったと伝わる。価格は、業界全体として、利益が出るように、調整したとのことだが、何も、値上げばかりでは、ないらしい。だが、儲けを、大きくしたいなら、価格を上げるのが、唯一の方法、と思えるが、それに限らず、値下げも、一案だったらしい。だが、それでは、儲けは、確保できないのでは、と思える。絡繰りは、当事者のみが、知る所だろうが、勝手な想像を、してみると、物価が、抑えられる中で、値上げをせず、時に、値下げさえ、しようとする動きには、企業として、収支を考えた時に、支出を減らす為の、賃下げや、一定に保つことが、考えられる。乱暴な話だが、そんなことが、物価が抑えられ、値上げが、禁忌だとされた、あの時代に、業界で行われた、価格抑制の、背景にある話、のように見える。ここまで、穿った見方を、すべきかは、誰にも、判断ができぬが、その上に、居座るのが、国の政を、預かる人々であり、彼らが、自分の選挙を、考えた時に、最優先とするのが、減税と思えば、何か、繋がりがある、との憶測も、できそうに思う。つまり、何事も、抑えるのが、約束であり、それを保つ為に、一致団結して、政府も企業も、ある方に向かい、走っていたのでは、との見方だ。価格を抑える為に、給与は、少なくしたい。それにより、生活が、厳しくなるが、減税で、少しだけ、楽をさせる。だが、その一方で、公共に関する、多くのことが、停滞してしまう。ある意味、負の連鎖、とも見える図式が、当時は、避けようのない、状況と見られた。だが、今や、正反対へと、進み始めて、値上げが、当然となり、賃上げも、それに続いた。結果、税率を上げずとも、税収は増した。この流れを、保つ為に必要なのは、何だろうか。

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10月7日(水)

 厳密な意味を、求める動きは、所謂、言葉狩り、とは明らかに異なる。だが、一部の人には、同じに映るようで、身勝手な解釈で、誤った用法を、繰り返す人の中には、自分への批判を、言葉狩りと同じ、と見る向きがあるようだ。だが、本当の差別は、何処にあるのか。
 そのことに、目を向けて、表現の自由を、犯し始めた、世論の動きに、強く反発したのが、件のSF作家だろう。詳細は、理解しておらず、的外れな指摘、となるかもだが、厳密な意味、という基準と、誰かを、差別する意図を、何処でどう、結びつけたものか、理解に苦しむものが、矢鱈に増えており、強い圧力を感じ、創作意欲を、侵害された、との思いから、断筆宣言へと、結びついたのでは、と思う。この背景には、ここで何度も、取り上げてきた、虐めの基準として、海の向こうから、押し寄せてきた、被害者の受け止め方、を採用した考えが、あるように思える。差別という基準が、押し付けられた、と感じ始めたのは、加害者の感覚ではなく、被害者を、中心として考える、との基準が、設定されたからだ。その結果、苦情が届けば、即座に、認定された上で、意図の有無に関わらず、加害者とされた、人間への罰が、下されることとなった。小説の内容は、まさに、その典型であり、前後関係から、全く異なる意味に、使われた言葉を、殊更に、拾い上げて、批判の対象とする。厳しい言葉が、浴びせられるだけでなく、生活の糧を、奪う形での、出版禁止などの措置が、取られるだけに、生業とする人には、看過できぬ話、となるのだ。折角、時間をかけて、作り上げても、日の目を見ずに、お蔵入りとなる、のでは、たまったものではない。ある女性評論家が、脚光を浴びていた頃、盛んに、その手の言葉狩りを、繰り返しており、中で、紹介したのが、誰でも簡単に、撮影できるフィルム付きカメラを、どう呼んだか、という点だった。民族差別との繋がりを、強調すればする程、視聴者は、首を傾げ、思い当たらぬと感じる。この話は、まさに典型で、受け手の問題、とされたことが、全てとなる。本来の意味と、語源とは、必ずしも、直結しない。その一方で、曲解の末に、こじつけられ、犯罪者呼ばわりされては、困ったもの、としか言えぬ。

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10月6日(火)

 期待を込めて、見守った人が、居たかもだが、裏切る結果が、発表された。でも、そこに踊る文字を、眺めた時に、何これ、と思った人が、多かったのでは。専門的なことは、何も分からずとも、言葉の意味が、理解できぬ時に、人は、首を傾げ、不満を口にする。仮令、著名な賞でも。
 光遺伝学、との文字が踊り、内容を、説明する言葉が、続いたとしても、知識の中にある、言葉の意味と、何処か違う、という感覚を、抱いた人が、多いだろう。報道によれば、神経との関連とか、病気治療への応用とか、そんな言葉が、鏤められ、如何にも、と思える部分が、あるなあ、とは思ったものの、この技術の何処が、遺伝なのだろう、と思ったのでは。調べてみると、英語でも、optogeneticsとあり、こちらの言葉への、翻訳の間違い、とは言えぬことが、すぐに解る。受賞者の一人が、使った造語とのことだが、現象を、表しているようで、納得しかねる、といった思いが、過ったのは事実だ。同じようなことは、これまでにも、度々起きており、例えば、最近話題の、人工知能に関しては、遺伝的アルゴリズムとか、ニューラルネットワークとか、生物現象に、源をもつ、言葉が、一時、盛んに使われた。模倣したもの、という話で、今回のも、とする向きも、あろうけれども、同じ研究分野内で、厳密性を、放棄したかの如くの、用法に関して、異論は当然だろう。とは言え、権威を得て、このまま、使い続けられ、本来の意味が、失われるのは、どうだろう。これは、学会の姿勢にも、現れており、嘗て習った、遺伝の法則で、優性と劣性、という用語が、差別的で不適切、との自戒からか、顕性と潜性、に変えるべし、との学会の決定から、教科書も、書き換えられた、と聞く。形質に、優劣をつけるのは、ある人々が、劣っているとの誤解を、招くから、との見解だが、そんな差別、誰が考えるのか、と思う人も多い。言葉狩りの一つ、に過ぎないとして、片付けるべき、と思うのは、今や、お偉い人にも、不適切な思想、とでも言うのか。ふと、そんなことを、思い出す程の、不思議な言葉が、飛び交う時代が、やってくるのだろう。

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10月5日(月)

 朝刊を開いたら、「AIは研究結果を盗むのか」、という見出しが、目に入った。記事については、リンクを見るか、図書館なりで新聞を、開いて欲しいが、これまでも、懐疑的な見方を、貫いてきた人間から見て、どうしたものか、と思える内容で、過大評価の一つ、とも思える。
 盗みは、人間の専売特許で、機械は、そんな能力を、有しないとの見解は、この間までは、その通りだったが、生成人工知能の登場以来、盗みも嘘も、何の躊躇いもなく、平気で行う、との話が伝わり、機械への信頼は、失われてしまった。コンピューターに対する、理解も、いつの間にか、変えねばならぬ、と言われている。人工知能に、注目が集まり、研究開発に、多額の資金が、注ぎ込まれたのは、前世紀末の頃だが、期待に反して、画期的な機能が、獲得されることは、無かった。だが、学習機能を、高める過程で、嘘や出鱈目を、禁じないことが、不可欠との判断から、高度に、組み上げられた仕組みは、人間を、裏切ることも、意識を持たずとも、意図的に、嘘や出鱈目を、発することも、厭わぬように、なったと言われる。それこそが、人間の能力を超える、人工知能の、必須条件の如く、扱われてきたが、こちらから見ると、一つの見解に過ぎず、それが無くとも、処理や解析の速度で、上回ったのだから、それで十分では、と見る向きもある。ただ、禁忌事項を、外すことで、ある意味の、箍を外すことが、できたからか、蓄積されたデータを、活用すること、と相俟って、その能力が、爆発的に、進化した、と伝えられてきた。ただ、懐疑心からは、それほどのものでも、ないだろうとの、判断も下せる。それでも、経済効果を、重視する人々からは、様々な懸念さえ、飛ぶようになったが、これとて、どうなることか。今回の記事では、計算機を用いた研究を、推進する中で、人工知能を利用したことが、漏洩の原因、と書かれていたが、その真偽は、定かではない。一方で、この程度の盗用ならば、人間だけでも、起きた話とも思える。研究では、競争相手を、出し抜く為に、論文発表の前に、口頭で発表した結果を、参考にして、素早く研究を済ませ、いち早く発表したことが、盗用と疑われた話が、山のようにあり、今更とも思える。ただ、それに加え、人工知能が、悪事に手を染めれば、データ改竄どころか、実験せずとも、データを捏造することも、行いかねない。これもまた、人間が、やってきたことで、騒ぐ程のことか、と思えるのだが。

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10月4日(日)

 独り言を、始めた頃に、紹介した話だが、あの紛争地区に関して、多くの人々は、その地区を含む地域の、一方的な戦いに、苦言を呈する。それに対して、そこに住み、兵役にも参加し、日々、不安に苛まれる、生活を送る人間からは、強い反発が起こる。その背景を、理解せぬ人へと。
 ここ数年も、圧倒的な軍事力で、徹底的な破壊を、続ける国と政府に対し、世界各地から、強い批判が、浴びせられる。先日の、国際機関の総会でも、件の宰相が、壇上に上がった途端に、多くの国々の代表が、退席したことが、報じられた。あの国を、立ち上げた人々の多くが、先の大戦で、虐殺の地獄を、見たことに対し、ジェノサイド、なる言葉が、使われるが、それと同じか、もっと酷いことを、その子孫達が、行なっている、というのが、批判の核心と言われる。だが、状況の違いに、言及する人は、殆ど居らず、死者数のみに、目を奪われての、主張に対して、もっと強い、反論があっても、と思えるのだが、何故だろうか。こちらから見れば、爆撃を繰り返す、理由の一つは、それが最大のものだが、ゲリラ活動を、続ける連中の存在であり、彼らの活動を、支持する人々の、存在があると思う。無垢な人々、との表現が、度々持ち出され、被害者としてしか、見ようとしない態度には、別の意味の、悪意さえ感じられる。最初に取り上げた、人物の発言も、それを受けたもので、力で捩じ伏せられた、人々が起こす、犯罪には、目を瞑る態度には、やはり、悪意しか感じない。これが、海の向こうの大国の、協力を得ての爆撃に、発展したのだが、それも含めて、偏った考え方が、大勢を占めることに、懸念を示すべき、と思うのだが、どうだろうか。地下活動に、力を貸して、その国の混乱を、招くことが、戦略として、長く続いた結果、だとしたら、その悪行の数々こそ、もっと批判されるべき、と思う。

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10月3日(土)

 先人の知恵を、授ける、との企画だったのか。成功者の話を、記事としてではなく、自身の声で、語って貰う、という意図だったのだが、提案は、それまでが、百発百中だったとしても、次があるとは限らず、経営は、神がかりと言われても、どんな形かを、検証する必要はある。
 昨日の独り言は、まさに、その典型、と思われた流れで、次の企画はこれ、との宣伝を、兼ねての紹介は、当初の、爆発的な人気を、引き出したのだが、その後の低迷は、まさに、宣伝ではなく、中身の質により、広がった実感が、期待外れとなった原因だろう。ただ、そんな企画倒れは、これまでにも、多くの人々が、何度も見ており、よくある話の一つ、に過ぎないことだ。ただ、百発百中、との触れ込みに、耳を傾け、必死でメモを取っていた、あの参加者達の、落胆は、相当なものだったろう。それでも、失敗しての、次の成功と見れば、まだ、救いようがある。もう一人の人物は、嘗て、経営の神様、と呼ばれた人物の、再来とさえ、紹介されたことも、あったように聞くが、その実、剛腕社長の呼び名通り、社員に、強い圧力を掛け、不正も厭わず、との姿勢から、様々な問題を、生じていたことが、退任後に、明らかとなった。これでは、企画倒れ、などという言い訳も、通りそうになく、企業経営において、最も重要な部分を、蔑ろにした中での、好業績では、詐欺紛い、との指摘が出ても、止むを得ない、とさえ思えてくる。こんなことを、何度も書くのは、経済界での、この手の問題は、今に始まったことでは、決して無いからだ。その上、報道に携わる人々は、人気の絶頂では、絶賛し続けるのに、一つ、問題が生じたら、途端に、押し黙ってしまい、前に出した、自分の評価について、触れることも、無いままとなることが、最大の問題、と思えてくる。提案が、外れてしまった場合に、どんな批判を、浴びせるかは、大した問題では、無いのだろうが、その一方で、企業不正については、今や、コンプライアンス、などと、カタカナを使ってまで、紹介されることについて、報道自体も、責任の一端を、負っていることを、改めて、意識すべき、と思う。

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10月2日(金)

 成功者の話は、秘訣を知りたい、と思う人にとり、重要なもの、と映るようだ。だからこそ、朝の経済番組でも、創業者や成功者の話が、紹介され、参加者から、様々な質問が、出される。そこでの遣り取りは、成功の秘訣を、知ることにより、将来を確かなもの、とする人には、宝物のように映る。
 資産運用同様、経営の手腕は、成功を夢見る人にとり、手にできるなら、と願うものの一つだろう。だからこそ、経済を扱う番組で、特集を組んでまで、経営者や成功者の話を、紹介しつつ、次代を担う人からの、質問に答えることで、知恵を授けようとする。だが、一度は、手にできた成功が、再び、手に入るとは、何処にも、保証は無い。にも拘らず、手にしたことの無い、人々からすれば、一度でも、手にした人の話は、何かの役に立つ筈、と見えるものだろう。それは、拝聴する人間よりは、その企画を進めた、番組関係者の方が、遥かに、強く抱いたものかも、と思える。こんな話を、書いたのは、開園したばかりの、南国の公園が、直後の喧騒が、去った後で、閑古鳥が、鳴き始めた、と伝えられる施設の、提案者や、一代で築き上げた、企業が、拡大の一途を、辿っていたのに、今や、落日の如くに、勢いを無くすばかりか、経営に携わった当時、不正に塗れていた、との報道が、盛んに、行われる企業の、先代社長が、厳しく批判される中、番組が取り上げた、当時の、持ち上げようは、一体全体、何だったのか、と思えるからだ。確かに、それまでの提案では、的を射ていたのだが、今回は、提案そのものだけでなく、それに付随した、評判の下落に、対処の手立てを、見出せない、との指摘がある。また、在任当時は、他社を吸収合併するなど、神がかり的な、経営手腕に、高い評価を、誇っていたのが、実際には、その当時から、経営の会計不正を、繰り返していた、との話が、退任した途端に、暴露され始め、是正を図る為に、跡を継いだ経営陣まで、責任を、問われ始めた。これらの事実で、成功そのものが、虚構のものであり、演出された姿に、番組での熱狂が、付け加えられた、と見るべき、とさえ思えてくる。結果のみに、目を奪われ、その実体に、目を向けぬことが、誤った憧れを、築き上げるだけでなく、間違った手法を、模倣することになる、としたら、馬鹿げたことに、違いない。見抜く力の、大切さを、強く感じる話だが、そうだとして、何を身に付ければ、いいのだろうか。結果や目的に拘らず、まずは、地道に、基礎を築くことが、大切なようだ。近道なんて、無いのだろう。

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10月1日(木)

 投資家にとり、泡が弾ける、という現象は、何としてでも、避けたいものだ。今も、そろそろ、膨らみ過ぎた、泡の状態に、注目が集まる。一攫千金を、夢見て投資したものが、弾けてしまって、無に帰するのは、老後の生活資金を、と描いてきた人間には、受け入れ難い。
 確かに、その通りに、違いない。だが、泡とは、どんな意味か、考えてみたら、とも思えてくる。膨らんだものが、割れて弾け飛ぶから、それは、まるで、泡の如きもの、と思われる所から、使われてきた、表現には違いないが、それにしても、もし、泡だったら、中には、何があるのか。空っぽでは、と思うのは、あまりにも、歪んだ考えか。それとも、不動産の時も、ITの時も、そして、今回も、現実には、中身の無いものに、人が群がり、過剰な投資を集め、その果てに、なけなしの資産を、失ったということか。人工知能に関しては、前世紀の終わりにも、注目を浴びたことが、あった。ただ、その時は、期待が、見事に外れ、開発の勢いは、失速した。それに比べたら、今回は、確かな成果があり、決して、中身の無いものではなく、将来への期待も、膨らみ続ける、とする人は多い。だが、本当に、そうだろうか。決まり事を、そのまま、短時間に、済ませることに、今の仕組みは、見事に、対応している。人間なら、永遠と思える程の時間が、かかるような手順を、機械は、あっという間に済ませ、答えを導く。これ程の能力は、人間では、考えられない、と言われる。確かに、ゲームをやらせても、データ処理をさせても、更に、それらを整えて、文書を作成させても、何の問題も無く、人間を凌駕する。懸念に、触れられたとしても、それは、修正可能だ、との指摘もある。その上、他の企業のシステムに、侵入した挙句に、害を及ぼしたり、脆弱性を突いて、データ漏洩を、起こしたり、できると伝わる。だが、これら全ては、単純作業の反復であり、新たなものを、産み出す訳ではない。だからと言って、過剰な期待、と断言すると、途端に、反論が飛び交うだろう。確かに、はじめの一歩、として考えれば、十分な能力、と言えなくもない。だが、ここに来て、開発者から、発せられる懸念や、海の向こうの大統領が、期待する能力が、実現可能か、と問われたら、否、と答えたくなる。前世紀末の二の舞、とは言い過ぎかもだが、泡は泡に過ぎず、中身は、無いのだから。

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9月30日(水)

 学問の府に関して、何度も書いてきたが、懸念とされた、予算問題は、来年度の、概算要求から、一旦、解決に向かう、との期待が、抱かれている。ただ、これまで、真綿で首を、といった具合に、徐々に、苦しめられてきた、状況から、脱するとなり、さて、何を、との疑問が広がる。
 元々、高等教育への、注力に関して、疑問を抱いた、大臣の思い付きから、始まったと言われる、予算削減だが、それを、推進する為に、導入されたのが、法人化という、愚策だった。独立性を、担保する為に、との文言が、当初、好んで使われたが、現実には、それまでの、確かな保証を、外す為の算段として、導入されたに過ぎない。だからこそ、既存の法人とは、異なる仕組みとして、新たな法整備が行われ、それに沿った運営が、押し付けられた。独立性とは、名ばかりであり、予算は、様々な縛りを、施した上で、減額を進める、という、お上の意向に、従ったものだったが、教育の減退は、経済の低迷と、相俟って、国力の縮小を、招いていった。今の政権は、批判も強いが、この件に関しては、大きく舵を切り、予算確保の上で、教育・研究に、邁進せよ、との指令を含め、方針転換を図る。ただ、受け取り側の、準備状況は、心許無く、このままでは、多くが、溝に捨てられる、との意見も、出始めている。法人格にとり、最も重要なのは、経営方針であり、それを、担うのは、頂点に立つ人間だが、その選考についても、頂点に立つ大学での、一騒動が、取り沙汰される。ただ、同様のことは、既に、多くの大学で、起きており、今に始まったことでは、全く無い。にも拘らず、こういう事柄は、特別に扱われ、恰も、横暴な行為、と見做す社会は、評価も判断も、覚束ぬ人々が、大勢を占めるようだ。件の大学は、確かに、不祥事続きであり、その母体から、選び出すことを、避けたとの意見は、如何にも、と思えるが、そうだろうか。経営手腕が、不可欠となる中、そんな瑣末なことで、道を誤るのは、愚の骨頂とも思える。性別や業績に、無関係に、立て直しも含め、新たな予算状況で、再建を図るのに、適任かが、唯一の選考基準と思う。

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9月29日(火)

 もう一冊、読んだ本を、紹介する。ただ、こちらは、正反対のもので、何の役にも立たない、と言いたくなる。人生に、迷う若者が、増え続けている、という現状に対し、多くの本が、出版され、生き方を示し、進むべき道を、指し示そうとする。それ自体は、間違いではないが。
 その内容は、まさに、玉石混淆、である。成る程、そうすればいいのか、と頷けるものから、何を、突拍子もないことを、書き殴っているのか、と思えるものまで。ただ、本のタイトルや、書評での評判から、推測できることは、殆ど無く、読んでみなければ、分からない、ということだ。溝に捨てる、とは、まさに、こういう時に、使うべき言葉で、無意味な時間、というよりも、無駄な時間、といった方が、適切なのだろう。他のことを、した方がいい、という意見が、出るのも、この類の駄本を、読んだ時の、反応なのだと思う。とは言え、一度読み始めたら、最後まで、という考えで、本を買っているので、途中で、これは駄目だ、と思ったとしても、無理無理、最後まで、読み続ける。雑草に学ぶ、という考えで、書かれた内容だが、その劣悪さに、呆れることが、何度もあった。それは、確率の話を、思い出して貰えば、分かり易い、のではないか。確率は、物事が起きる割合を、数値で示したものだが、多くの人が、違和感を覚えるのは、集団として見れば、そうなるにしても、自分にとっては、という個の考えで、どうなるかが、本人にとっては、重要であり、押し並べて、どうなるかは、どうでもいい、という話だ。ここで、筆者は、雑草の生き方を、示すことで、人間としての、考え方の重要性を、解いたつもり、になっているが、実際には、刈られたり、抜かれたりすれば、その個体の命は、そこで、おしまいとなる。それでも、他の個体が、芽を出し、成長することで、雑草が蔓延るのを、生き方の話と、結び付けようとした。それ、誰の話、と思うしかなく、何の人生訓か、と思えた。この本のはじめにでは、著者自身が、「誰も読んでいない」とか、「誰の参考にもならない」とか書き、読んで貰わずとも、といった姿勢を、示しており、最近の風潮を、思い出した。開き直り、である。そんなものを、売り物として出す出版社も、そんなものを、評価する書評も、困ったもの、としか思えない。

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9月28日(月)

 今月読んだ本で、秀逸だったのは、あの怪談で有名な、小説家が、教壇に立った頃の、話を紹介したものだ。一世紀以上、昔の話が、何の役に立つのか、と思う人が、多いのかもだが、現実には、細かな所も含め、多くの参考になる話題が、鏤められていた。流石、というべきか。
 文学の話題であり、当時の古典も含め、多くの参考になる、作品の紹介が、なされていたが、それよりも、読書や研究に、臨む姿勢という意味で、参考になる所が、百年以上経っても、沢山あることに、気付かされる。元々は、今と違い、講義そのものを、録画したり、録音したり、できる筈の無い時代で、学生達の、残したノートを頼りに、講義内容を、書き起こしたもので、それさえも、彼の死後に、行われたのだから、どの程度、正しく記録されたものか、を確かめる術は無い。それでも、当時の学生が、熱心に書き取り、それらを元に、矛盾が無いように、まとめられたものは、元々、彼の母語で、書かれたものだ。それが、特別な環境で、極東と呼ばれた、最果ての地で、書き記された、当地の古くからの話、という点で、評価された人物が、本来の役目ではなく、成り行きで、引き受けただろう、学問の府での、仕事が、何処まで、通じるものだったかを、読者に伝えた訳だが、更に、一世紀を隔てて、こちらの言葉で、出版されたことは、評価されるべき、と思う。加えて、人工知能の発達で、学問の地が、混乱の気配に、包まれる中、人間として、真に大切なことを、全く違う形で、伝えていることに、読者が、気付けるかが、大切なことだろう。改めて、考えること、学ぶこと、等々を、自身で、意識しつつ、大学に進む、本来の意義を、確かめる為にも、重要な示唆を、与えてくれる、のではないだろうか。

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9月27日(日)

 何でも信じ込む、筈なのに、あの連中が、信用ならんのは、一方に、与するからだ。気に入るか、気に入らないか、によるとの意見もあるが、利害が、先に立つ、とも思える。それも、捻じ曲がった末での、結論であり、多くは、損失の方が、遥かに、大きくなるのだ。
 にも拘らず、責任は、他人に被せる。何方を、信じるかは、自分で決めた筈が、それが、期待通りの結果に、結び付かぬと、途端に、陰謀論やら、罠やらの、話を加えてくる。今の時代には、そんな輩が、海の向こうの暴君を、はじめとして、溢れ返っており、一番困るのは、その程度の連中が、何故だか、権力を握り、組織を動かしている、という現状があることだ。理由は、定かではない。以前なら、そういう無能な人間を、担ぎ上げることで、自分に有利になるよう、組織を動かす人間が、暗躍していたのだが、ここまで混乱すると、そんな人間が、何処にも居ないのに、勝手に、熱狂的な支持が、起き始めて、暴走が続くようになる。これは、最初に挙げた、信じ易い人々に、典型的な傾向であり、それに乗じて、権力を握った挙句、進め方を、誤る人が、目に付くようになった。まあ、そういうことが、属する組織に、起きて仕舞えば、嵐が過ぎるのを、待つ以外には、手立てが無く、敢えて、反旗を翻すと、自らの地位さえ、失いかねないのだから、困ってしまう。正論は、何の役にも立たず、反対者達に、格好の材料を、与えるだけとなるから、控えた方が、無難なのだろう。となれば、暴走を、阻止する手立ては、講じようが無くなり、腐敗の一途、となりかねない。何処で、どうやって、阻止するかについて、答えを、知る人は少なく、振り子の振り幅が、増していくのを、抑えること位しか、できることはない。元に戻して、一方に与する人間は、多くが、被害妄想を抱き、相手を、盛んに批判する。それに対しても、手当に、絶対的なものはなく、今は、静かに待つのが、適策かも知れぬ。無駄な力を、使うよりも、自滅を待つのは、面白くはないが、徹底抗戦しても、大した成果が、上げられぬのなら、それも一興かと。

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9月26日(土)

 何でも信じ込み、鵜呑みにしてしまう人に、囀りは、最適の情報源、となるのか。確かに、種々雑多な話が、流れてきて、その中には、時流に乗り、皆が、信じるものも、あるにはあるが、玉石混淆とは、とても呼べぬ程に、悪質な、嘘や偽りが、垂れ流されている。
 それについては、何度も、指摘したが、最近、気が付いたのは、もっと悪質なものだった。自分事のように、書き連ねて、延々と、続く話に、読み進んでみると、結局は、他人事でしかなく、同じ発言者が、同じような話を、次々に、掲げている。そんなことをして、何の意味が、と思っていたが、どうも、広告による、収入を狙った、もののようだ。まことしやかに、語られる話だが、現実には、創作でしかなく、読み手を、欺くものでしかない。それでも、何度も、同じ話に、惹きつけられたり、同情の意見を、書き込んだり、する人も多く、今の囀りの仕組みでは、そんなものが、矢鱈と、表示されるから、困ったもの、と思う。要するに、仕組み自体が、嘘や偽りだけでなく、詐欺行為に、加担している、と見ることもできる。だが、仮令、そういうものを、管理企業に、指摘してみたところで、何の反応も無く、また、実害が出たとしても、責任逃れの反応が、返ってくるだけだろう。要するに、そんな話を、信じる人間が、愚かなだけであり、情報提供においては、選別をせずに、全てを晒すことが、重要なのだと、言わんばかりだ。こんな騙し方は、金銭的な、被害を産む訳では、ないだろうから、賢く、相手にせずに、流れていくのを、待つしかない。同じ穴の狢、と思えるものに、書いてあることは、上に挙げたのと、同様なのだが、それに続くのが、投資話となるものがある。如何に、資産を築いたのか、一種の自慢話だが、それに続いて、特定銘柄の推奨や、運用法の伝授など、如何にも、儲け話が、転がっている、とする筋書きで、勧誘に走る。それも、当初は、無料相談を、装った上で、深みに嵌れば、そこから、毟り取りが、始まるという、詐欺の手口が、見えてくる。情報に飢えた、貧しい人こそ、被害の対象となり、なけなしの金を、失うらしい。情報の真偽も含め、見極めができぬのなら、ただ見るだけに、しておくことだ。

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9月25日(金)

 米騒動が、始まった頃、担当大臣は、不足は無い、と否定していた。しかし、有権者からの声は、止まらなかった。だから、交代させて、新大臣は、備蓄米の放出を、宣言した。だが、出自との関係で、絶賛の声は、余り起こらなかった。でも、次の大臣が、就任すると。
 全体的には、何の変化も無かったのに、絶賛の声が、特に、囀り界隈に、巻き起こった。人気商売、一辺倒の、前任者と違い、監督官庁出身の、新たな大臣は、期待を込めて、迎え入れられた。そんな程度の、理由なのかもだが、囀りで、賑やかに書き立てる、あの手の人々には、まさに、救世主、と移ったのだろう。それまでの、農政が、如何に、誤ったものだったのか、経過を見れば、分かりそうなものだが、勢いに任せて、持論を展開するだけの人種は、大臣も含め、まるで、騒動が収まる、とばかりに、話していた。ところが、その後も、何も変化が起きず、米価は、戻るどころか、異常な物価上昇を、遥かに上回る値で、びくとも動かず、何が、救世主なのか、と思う人も、居ただろうと思う。今回の改造では、姿を消して、あれ程に、熱狂した発言主達は、一言も、一行も、書こうとしない。理由は、簡単なのではないか。農政の過ちを、是正する為、と称して、進められた、増産計画は、確かに、功を奏し、好天続きで、作柄予想も、明るさを、増していた。だが、世界初、と呼ばれた、先物市場をはじめとして、価格の下落が、見え始めると、別の懸念が、渦巻いたのだ。一つは、古いものより、新鮮なものの方が、安いという、市場原理では、理解できぬ状況、が起きたこと。もう一つは、不足が、一気に、米余り、という事態に、陥り始めたことだ。一気呵成に、攻め立てた、増産への舵きりは、その通りの、結果を産んだが、それまで、微調整を重ね、無駄が出ぬよう、との目論見で、描いてきた、図式が、一気に崩れ、農家の生活を、脅かす程となった。更迭された、訳ではないが、備蓄米の買い戻し、という判断が、下った時点で、面子丸潰れ、の状態だったに、違いない。絶賛の嵐は、何処かへ過ぎ去り、今の状況となった。今度の大臣は、後始末に、明け暮れそうだが、どうなることか。

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9月24日(木)

 報道が、恣意的で、下らない情報ばかり、流すからと言って、全て無視すれば良い、とは行かぬだろう。例えば、大地震が起きた時、津波への警戒を、流してくるのは、主に報道だし、他の災害関係も、同じ類のものだろう。それらを、無視すれば、何が起きるか、誰もが知る所だ。
 それは、確かなのだが、だからと言って、何度も繰り返される、災害警報に対し、全てに反応するのは、ある意味、馬鹿らしくなる。それは、避難に関する話も、同じことなのだが、監督官庁は、次々と、手を替え品を替え、脅し文句を、更新し続けるから、扱いに、困る人も多いだろう。とは言え、自然の恵みに、接することが、できるのは、裏を返せば、自然災害にも、接する機会も、多くなるのだ。温暖化による、という文句については、信じ難いものがあり、鵜呑みにするつもりは、毛頭無いのだが、この所、各地で豪雨が続き、その度に、洪水に襲われたり、裏山が崩れたり、となる。危なければ、避難が一番、との意見も多いが、短期の集中豪雨の場合、洪水と崖崩れが、同時に起きる場合も、少なくはない。動いても、留まっても、何方にも、危険が伴う。その為か、災害報道の中で、盛んに、避難ができるのなら、そうすべきとの話の次に、もし、難しいのなら、命を守る行為として、建物の中の、崖から遠い方、高い階で、待つべきとの話が、続けられる。耳にタコが、と思う人が、大部分だろうが、災害報道の中で、犠牲者についての、状況が伝わり、また、土砂が、流れ込んだ、家屋の姿が、映し出される。そこに、どれだけの人が、注意を払うかは、知る由も無いが、多くが、一階に留まり、犠牲になったとされる。被害家屋の多くが、二階建てなので、こちらは、不思議に思うのだが、報道では、その点に、触れることは、まず無い。災害が、起きる前には、あれ程に、連呼していたのに、実際の被害では、その点に触れず、死者の数や年齢を、淡々と伝えるのみだ。本当に、災害を、未然に防ごう、とするならば、起きた災害に対して、問題点を挙げ、それを避ける手立てを、説くのが、当然なのに、何故だろう。死者に対し、批判を浴びせるから、との意見もあろうが、それなら、間接的なものは、いいと言うのか。また、普段、無視する人の多くこそ、こんな時に、指摘すれば、少しは覚えるのでは、と思う。

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9月23日(水)

 海の向こうの暴君、でなくとも、皆が挙って、盛んに批判する、大衆媒体の、報道に関しては、確かに、偏りが著しく、捻じ曲がった考えに、基づく暴論を、実しやかに、流している。だが、暴君も社会媒体の輩も、反論するだけで、根拠も示さず、違う考えを、押し付けるのみだ。
 以前なら、新聞などの、活字媒体が、その役目を果たし、皆が、少し時間がかかっても、正しい情報に、触れることが、できるように、なっていたが、今や、活字媒体さえ、何処かからの、借用でしかなく、裏も取らずに、垂れ流す状況に、陥っている。その手の話を、当事者に、伝えると、猛反対の意見が、返ってくるが、やはり、質の低下は、否めない。これでは、情報自体が、信頼のおけぬもの、と化してしまうから、何も、確かなことが、無い状態になり、皆が、好き勝手に、言い放つだけ、となる。こんな時代に、どうすれば、自分自身を、守ることが、できるのか。一番簡単で、手っ取り早いのは、自身で、正誤の判断を、下すことだろう。ただ、そこで、好悪に基づき、確かめもせず、となれば、自身の選択により、過ちを繰り返し、損害を被ることとなる。これを、自己責任と呼び、自分で、自分を、不利にするだけなら、勝手に、責任を負えば、となる訳だ。だが、今の世の中、そういう具合には、話が進まず、誰か、別の人間や組織に、責任を、負わせようと、躍起になる。だから、自身の判断、という部分が、全く違う解釈で、実行されており、馬鹿げた話に、結びつくこととなる。最後の責任まで、自身で果たすことで、他人に依存せず、自分の道を、歩める筈が、いつの間にか、責任転嫁を、繰り返すことで、自身で、責任を果たさぬだけでなく、損害賠償などの、手段によって、自分の責任を、放棄するだけでなく、相手に、償わせる訳だ。これでは、どうにも、と思うけれど、今や、これが、常識となり、繰り返される。となれば、肝心な時には、誰も近付かず、間違いに、加担することなく、何も起こらず、何も始まらない。本当に、それでいいのか。当事者達に、聞いてみたいものだ。

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9月22日(火)

 記憶が、不確かなのは、いつものことだが、これ程に、皆が、そこらじゅうに、書き殴るのに、何処にも、記録が無い、とは行かぬだろう。だとしたら、報道する側は、もっと、詳細に渡り、状況を報告すべき、ではないか。本当に、政府の揚げ足を、取りたいのなら。
 備蓄米が、放出される、と報じた時、一部には、味の問題を、取り沙汰する動きが、起こった。新米は美味いが、古米は食えた代物ではない、とか、そんな意見が、盛んに飛んだと思う。それに対して、政府関係者からは、備蓄米は、きちんと保管され、味に関しても、問題ない範囲に、留まっている、という話が、あった気がする。それでも、いざ、市場に出回ると、二度と買わない、との意見や、やはり不味い、との意見が、盛んに、出ていた。報道も、それに乗せて、備蓄米の放出は、緊急措置であり、二度と起きぬよう、増産する必要を、説いていたと思う。だが、騒動が、静まり始め、今年の収穫が、予想されるようになると、一気に、雰囲気が変わった。古米より、新米の方が、安値をつけた、という話も、不思議と受け取られたが、不足だから増産、という図式が、たった一年で、ころりとひっくり返り、まるで、無駄な努力の如く、批判が出始めた。この程度の変動は、自然相手のことでは、当然と思えるが、そんな事を、微塵も考えず、ただ、自分以外を、批判したいだけの人間には、当たり前でも何でもなく、勢いよく、罵声を浴びせるだけ、となってしまう。その一方で、米余りが、露呈すると、途端に、荒技が、出てきた。放出した備蓄米は、一時凌ぎという、役割を終えたから、元の鞘に、収めようと、買い戻しの話が、出てきたのだ。前にも、少し書いたが、これが、書類上のことだけで、備蓄米は、一度も保管庫から、出されることなく、買い戻しで、目出度目出度、となるのなら、品質の劣化も、味が一層落ちることも、起こらずに済むが、手続き上の手順として、あちらこちらに、保管場所を、移動させた上に、温度管理も、疎かにしたら、元通りとは、行かぬ話で、金をかけて、質の低下を、進めただけとなる。そんな考えが、過ぎるのだが、どうも、報道を見る限り、そんな話は、全く触れられず、全て、闇から闇へと、進めるのみかも、と思えてくる。騒動は、確かに、騒動なのだが。

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9月21日(月)

 米騒動は、何処に向かうのか。市場原理という、あの手の人々が、好んで使う言葉によれば、なるようにしか、ならない、とでも言うしかないが、実際には、一攫千金なのか、日頃の儲けなのか、それを目論む輩が、様々に暗躍し、都合良く、事を運ぼうと、するだけだ。
 で、農家が、せっせと、米の生産を、増やそうとした結果、何と、米余りが、予想され始め、遂には、古いものより、新しいものが、安くなる、という事態に陥った。骨董品なら、古さが、誇るべき対象と、なるのだろうが、食べ物は、そうはいかぬ。同じ味なら、新しい方が、良いに決まっている、との意見が飛び、その通りの展開、となっただけだ。しかし、それでは、市場原理とは言えぬ、との拘りからか、操作が入り、買い戻しという、裏技まで、飛び出す始末。こうなったら、価格操作は、意のままに、としか見えぬが、果たして、事実はどうか。そんな騒ぎが、広がり始めた頃、生産現場に、懸念が広がった。天候不順は、今に始まったことでなく、自然相手の仕事なら、様々な想定が、必要とは言われるが、適度な降雨量と晴天に、恵まれたとされ、豊作が、予想されていた所に、秋の長雨が、続いた結果、田圃はぬかるみ、機械化された中で、活躍する筈の、稲刈りの大型機械は、正常に、動かぬのでは、となってしまい、色良く実った稲が、そのまま放置され、時に、発芽したとの話が、伝わってくる。こうなれば、作柄など、言うまでもなく、期待された、収穫量が、確保できぬ、との懸念が、急速に広がる。実際には、どう転がるかは、まだ見えていないが、不安や懸念を、好んで使う、報道にとっては、まさに、渡りに船とでも、言うべき状況が、作られつつある。消費者にとり、今度は、安い米が、食べられるとの期待は、既に、裏切られつつあり、収入確保を、如何に進めるかが、唯一の道、とでも言われ始めたが、どうなることか。収支の均衡は、どんな生業にも、不可欠なことで、そこにこそ、価格設定での、要点がある筈だが、違う流れを、押し通そうとする動きに、今度は、どうなることか。

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9月20日(日)

 期待するのは、本人達の勝手、なのだろうが、それにしても、何をどう期待したのか。そろそろ、折り返しが近づき、暴君自身も含め、多くが、期待外れとなりつつある中、打開策を、講じようとする。だが、支持者達は、それに対して、何もできることはない。ただ、待つだけなのだ。
 関税の話は、もう、何処かに、捨てられたのか、はたまた、選挙に勝利したら、と称する、例のばら撒きに、使うのだろうか。物価上昇の、要因の一つ、とされてきたが、それが無くとも、原油価格の上昇は、更に大きな、要因となりつつある。燃料の場合、単純に、物品の価格そのものだけでなく、輸送費を含めた、付加的な要素に、影響を及ぼすから、物価上昇は、更に、大きくなりそうだ。その上、紛争の解決が、見えてこぬ中、多くのものの、流通が不安定となり、更なる上昇が、待ち構えている。こんな状況が、長く続く中、落胆の声が、大きくなるばかりで、期待より、不安が膨らみ、次の選挙でも、劣勢が伝えられる。だからこそ、誰も、予想しなかった、ばら撒きを提案し、多くの評論家が、疑いを、挟んでいる。確かに、違法性については、確定しておらず、おそらく、争ったとしても、任期中に、答えが出される筈も無い。だからこそ、混乱を来すよう、陽動作戦に、うち出たのだろうが、さて、勝算は、あるのだろうか。ここまで来ると、勝敗が、何方に転んでも、暴君自身には、何の関係も、無いのだろう。ただ、名を残し、賞賛の意見さえ、届けられれば、それで満足、となるように見える。ただ、そうは言っても、あと2年を、どう動くかで、市民の生活も、影響を受ける。選挙で敗れて、議会の賛同を、得られぬ状況に、陥ったとしても、これまで同様、強気の姿勢で、多くの政策を、編み出してくるだろう。その結果、何も成立せずとも、本人は、満足するのでは、と思えてくる。あれこれと、散弾が、飛び散るように、考えをばら撒き、その上で、利益を得た人間、少しでも出れば、それだけで、十分なのだろう。これまでの大統領と、同じ感覚で、評価すると、見誤ることに、なりそうだ。

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9月19日(土)

 資産運用と言えば、数年前までは、株式投資しか、無いと思われた。その割に、株主の数は、増えておらず、国策として、増やす為として、優遇税制が、採り入れられた。それでも、はじめの頃は、増える気配も無く、年金頼みの老後生活に、不安の声も、大きいままだった。
 誰が見ても、おかしな状況であり、本当に、資産を増やすのなら、株取引は、必須のものと思われた。だが、元本保証の無い仕組みでは、不安しか、口にしない人には、手の出しようが、なかったのだろう。今、若い世代にとり、理解に苦しむ状況だが、現実には、半世紀程前なら、10年預ければ、倍になる貯金が、存在していたのだから、ある意味、仕方ないことだ。苦も無く、資産が増やせる、という売り文句が、掲げられても、今では、そんなことを、信じる人は、殆ど居ない。元本割れも含め、ある程度の危険を、覚悟しなければ、資産運用は、不可能との意見は、当たり前となった。だが、ここに来て、また、情勢が、少しずつ変化しつつある。利息とは、金を預けた時に、つくだけで無く、借りた時にも、ついてくる。だから、公定歩合が、上がれば、預貯金の利子も、増えるだろうし、住宅や車の、購入に充てる、借金の利子も、増えてくる。どんな生活を、送るかによることだが、以前なら、通帳を眺めても、何の変化も起きず、預けることの、意味さえも、失われつつあったものが、今は、ちゃんと、目に見える形で、利子が表示される。となると、資産運用も、株式投資だけでなく、預貯金も、債券も、増やす手立てと、考えることが、できるようになった。とは言え、どの程度の配分で、運用を実施するかは、人それぞれの、ものとなる。安定を狙うか、一攫千金を、狙うかにもより、様々な形で、行うことができるが、どれを選ぶかも、それぞれとなる。老後の備え、と思うのなら、焦らず騒がず、分散させつつ、運用に励めばいい。特に、日々の取引を、優先するのでなければ、まあ、長期的な形での、動かし方が、安全なのかも、と思う。

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9月18日(金)

 この所、相場の動きが、芳しくない。結構な勢いで、上げてきたのだが、どうにも、世界情勢の不安からか、安定するのではなく、却って、下げ始めてしまった。要素として、生成人工知能の開発と、エネルギー資源の問題、があるようだ。とは言え、週末の不安は、まただろうか。
 紛争に関しては、二人の暴君が、主な役者なのだが、当初の勢い、と比べると、何とも冴えない様子で、どうしたものか、と本人達も、思っているだろう。だが、戦争という意味では、あっという間に解決、などとは行かぬもので、これが、当たり前なのでは、とさえ思えてくる。では、どんな解決が、と暫く考えても、答えは、見つかりそうにない。その上、何方も、武器備蓄の枯渇や、軍隊人員の減少など、兵力の低下が、取り沙汰されており、一気に解決、とは望めぬ状況にある。となれば、不安定が、今後も続く、と見るべきだろう。ただ、それと、資源供給の問題が、どう関係するかには、誰も、答えを提出できず、成り行きに、任せるしかない、と思い始めている、のではないか。では、ある意味、もっと単純な筈の、人工知能の問題は、どうだろうか。素晴らしい能力、との期待が、徐々に、萎み始めたのも、一つだろうが、それ以上に、懸念されるのは、機械の暴走なのだろう。能力への期待が、高まるにつれて、何処まで、できるのかを、確かめよう、とする動きが、高まってきた。その中で、人間が関われば、違法行為、不正行為、と断じられることが、開発の延長線上で、可能となった途端に、暗い影が、開発現場に、落ち始めてきた。それが、本当に、可能かどうかも、怪しいとは思うが、それ以上に、歯止めが効かず、破壊行為へと、結びつきそうな気配に、開発者の意気は、消沈してしまった、とも見える。となれば、それを頼みとする、好景気に関しても、勢いを無くすのも、やむを得ないのだろう。ただ、経済活動は、これらだけでなく、他の分野でも、進んでいる。確かに、相場平均への影響は、分野により、かなり違うから、すぐに、回復とは行かぬだろうが、一方で、株価として見れば、上げに転じたものは、数多あるに違いない。様子見が続く、保有株の様子だが、それでも、との期待は、持ち続けられそうだ。