パンチの独り言

(2002年4月1日〜7日)
(はじめ、イスラエル、ネチケット、グループホーム、国の豊かさと教育、ネットモラル、機械依存症)



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4月7日(日)−機械依存症

 さて、一週間が経過したが、どんなものなのだろうか。書く方はかなわない状況だ、まあいろいろと意見はあるだろうが。日記にしたくないと言いつつ、ついつい毎日書いてしまったが、やはり時々休みを入れると言っておかないと続きそうにもない。何しろ毎日こつこつと、というのは仕事以外にはありえなかったことで、一週間続いたということさえ信じられないのだから。まあ、今書いているときにそんなことをぶつぶつ言っても仕方ないので、このくらいにしておこう。
 今日の話題は機械と人間の関係とでも言おうか。今年度発足した巨大銀行で色んなトラブルが生じていることが話題になっているが、これらの多くは管理体制やソフトの不具合などに原因がある。これほど大きな影響を生み出すものではないのだが、巷にあふれる機械にも色んな問題があるようだ。鉄道関係に自動券売機や自動改札機が導入されたとき、色んなトラブルが出たことを覚えている方も多いだろうが、ふと思いだすのは年配の方が機械の前で立ち往生していたことである。見慣れぬ機械、使い方もわからず、人間と違って問い質すこともできない。ある意味定番のトラブルだったのだと思うが、最近はそういう姿も見かけなくなってきた。慣れてきたのだろうと思うが、一方でちょっと違ったトラブルが出てきているようだ。これは年配よりも若い世代に多いのかもしれないが、やはり機械の前で立ち往生している。原因は機械の要求していることがわからないため何をしたら良いのかわからない、のようである。一例を挙げると、出札口にある精算機で、精算を行っていたある若い女性、機械を睨んだままはたと止まっている。不足額を支払うためにカードを入れたのに何も起きないと主張するが、実際には投入額が足らなかったためだった。理由は機械の表示にあった、不足額が表示されて、そこにカードを入れたら元の不足額と投入額が表示された。つまり機械はそこでお客が引き算をして、いくら足らないかを導き出し、更に足らない分を再投入すると設定されているのだ。お客は計算は機械がやってくれるものと信じていたらしい。駅員の助けで何とか解決したが、機械の設定をする側と使う側の間で気持ちが一致しないとこんなことが起きる。暗算をしなくなったという問題もあるのだろうが。

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4月6日(土)−ネットモラル

 そろそろ限界だなと思いつつ、それでもやっと6日目になった。やっぱり毎日書きつづるのは大変だね。日記にしたくない理由はそこにあるわけ。それにその日その日に起こった出来事をつづるというのも、こういうところでは中々難しい点も多いので、遠慮したいところなのだ。そうは言っても、日常の出来事をまったく外してしまうと材料がすぐに無くなってしまう。出来ればごく一般的なお話で日常との関連を持ちつつ、他の人にも判るようなことがあればいいのだが、中々転がっていないようで困ってしまう。まあ、思いつきを思いついているうちは何とかなるのだろうが。
 以前書いたネチケットとも関係してくるのだが、ネット社会では本名じゃなくハンドルネームという仮の名前で発言やら意見交換やらをすることが多い。そのことに原因があるわけでもないのだろうが、特定されないことを悪用している人も少なくない。特に、掲示板と呼ばれるところではその傾向が強く出るようである。たあいのない話を書きつづるようなところでは問題になるはずもないのだろうが、意見交換の場となるようなところではかなり真剣な議論がなされたり、誹謗中傷が行われることがあるようだ。真剣な議論を行うにはやはり自分自身の発言に責任を持とうとするから、匿名だろうが関係ないことになるが、誹謗中傷の時には匿名かどうかがかなり大きな要因になる。誰なのか特定されないことは非常に重要なことなのだ。また、株式関係の掲示板のように情報交換の場となっているところは、まじめにきちんとした情報を流す人がいる一方、デマを飛ばしたり、情報操作を意図した発言をする人がいる。これらは当然匿名であることを利用しているわけで、かなり悪質なものもあるようだ。ある掲示板サイトでは、もしそういうことが明確になり、何か具体的な被害が出てきた場合を想定して、そういうことに対する注意書きが赤い字で表示されているが、こういう行為をする人が中々減らないのはやはりそういう人を特定する作業がほとんど行われていないからだろう。プライバシーとの関係など色んな問題があるので、まだまだやりにくい点が多いからなのではないだろうか。結局は本人のモラルの問題であるから、その点をお互いに注意するということぐらいしかないのかもしれないが。

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4月5日(金)−国の豊かさと教育

 昨日は飲みに行ったので、今朝は電車を使っての出勤。学校が始まったらしく、たくさんの高校生が乗っていた。今年度から完全週5日制の実施が決まっているが、私立学校では実施しないところが多いようだ。これで私立と公立の差が出てくるのではないかと心配する向きもあるようだが、心理的なもの以外にどんな差が生み出されるのだろうか。一方で、公立の小学校でも算数の授業に新たな試みを導入しようとの動きもあるようだ。教える項目が減った分や授業時間が短くなった分などを何とかカバーしようとするのだろうか。指導要領に従っていただけの頃に比べれば、いろんな意味で良い徴候なのかも知れない。
 今回の変更で気になったのは、年間授業時間が短くなるとか、教え方が変わったとか、そういうことよりも、例えば算数・数学などで論理的に考えることが少なくなるのではないかといった指摘が出てきたことである。こういう指摘はもっともなことで、単純に計算能力を高めることだけがこの科目の目的ではない。ただ、それは以前からそうだったはずで、今頃こういう変更の時期に出てくるものなのだろうかという気がしてくる。論理的な思考はこういう科目で習うものではなく、おそらくそれまでに培ったものを使って、問題を解くことで論理性を確認していくのではないか。その意味で確認作業ができなくなることは大きな問題だが、身につけるための方策は別の所に求められていると思う。確かに、最近の大学生は論理的な思考ができないとか、自分で考えることをしないとか、色々な問題点を指摘されているようだが、これが日本特有のものであれば家庭教育、学校教育など教育システム全体に問題があると言えるだろう。しかし、どうも全世界的に同じような問題が指摘されているようだ。こうなるとどこに問題があるのかちょっとわからなくなってしまう。文部科学省管轄の学校教育に問題ありと批判するのは簡単なようだが、どうもそれだけではないようだ。特に先進国では豊かな生活が長く続き、現状に満足する世代が増えている。こんなところにも、何か原因があるのかも知れないのだ。今豊かになりつつある国の人々は頑張ることによって更に上を目指しているのだから。

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4月4日(木)−グループホーム

 今日はドライブの日。大体週に二日程度の頻度で往復300キロのドライブをしている。去年の春に新車を購入して、一年で約3万キロを走破してしまった。まあ、平均的とは言えないドライバーである。しかし、それほど苦になるわけではない。走り屋でならしたとか、車大好き人間とか、そんなわけではないが、走らせること自体には苦痛を感じない。時々ヒヤッとすることもあるが、最近はまあまあ安全運転である。走るのを嫌とも思わないが、運転中の楽しみが一つだけ、ラジオを聴くことである。エッ、と思われるかも知れないが、結構面白いのだ。
 その中でちょっと古くなるけれど、印象に残ったものを一つ紹介する。聴いているのは決まってNHK第一放送である。国会中継や高校野球の中継があるときは、FM放送などを聴くが、ほとんどの場合朝も昼も夜も第一放送を聴いている。印象に残ったのは、いつだったか週末に流れていた山根基世さんがアンカーを務める番組で、むたゆうじさんというシンガーソングライターがゲストだった。この方、喫茶去(きっさこ)というグループホームを運営している。痴呆症の老人を介護する施設ということだが、色々と他とは違うところがあるようだった。まあ、とにかく番組の中では彼がここに至った経緯やら出前コンサートの意味など淡々と述べられていったのだが、中々大変な事業と思いながら聴いていた。その中で、メジャーになるのをやめたことに関する話になったとき、決心した後も色んな心の葛藤があったことを話していた。わかる話だなと思っていたのだが、その時の山根さんの反応にちょっとびっくり。むたさんの話が終った後、「私、涙が出てきちゃった。」と言ったきり、声を詰まらせていたのだ。アナウンサーとして訓練された人達は、淡々と冷静に人の話を聴くと思っていたから、この心の動揺には驚いた。それも介護施設の話とは違った意外な話に対してだったから。
 興味のある方は、こちらへどうぞ。ちょっと重いサイトだが、ラジオを聴いていた方からの意見もある。

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4月3日(水)−ネチケット

 いよいよ三日坊主の日、これが最後になり、お別れとなるかも知れない。最近心に残るようなことがあまりなく、そういう意味でこういったものが長続きするとは思えない。今のところは、心の底に溜まったものを吐き出しているが、あっという間に枯渇しそうだ。まあ、その時は休筆するなり、辞めてしまうなり、何とでもなるが。
 さて、今日の話題はネチケット。エチケットは人それぞれに社会生活を営む上での必要性から身に付けてくるが、ネチケットはそれとは少々異なる状況にあるようだ。ネットでの会話などに必要とされるエチケット、という意味であることは今更説明する必要もないのだろうが、どういう事が求められているのかについてはこれといった決まりはないようだ。まだまだ発展途上であると言うべきなのだろう。それでもネット上ではしばしば問題にされるらしく、その説明を載せているサイトも数多くある。その一つは先日「ひとこと伝言板」で紹介したが、ネチケット道場である。ハッと思わせるもの、フムフムと頷けるもの、首を傾げたくなるもの、様々であるが、改めて眺めてみると、日常生活では問題にならないような事が注意事項として挙げられている。やはり、日常生活では当たり前の対面しての会話や電話での会話と違って、あくまでも一方通行的な会話であり、読み手は不特定多数の場合が多いというのがその理由なのだろう。ただ、よくよく考えてみると想像を絶するほどかけ離れたマナーが存在するわけでもないようだ。結局、仲間同士の会話しか頭にないとか「いじめ」の場面での集中砲火とか正体不明だからとか、そんなことから出てくるマナー違反が多いと思う。ちょっと考え方を変えてみるだけで何とかなるのではないか。ついでながら、上のサイトへ行けば他のサイトへのリンクもあるので、それらも覗いてみてはいかが。

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4月2日(火)−イスラエル

 さて、昨日は皆さんのチェック能力を確かめようと、何も告げずに貼りつけておいたが、さすがにすごいと再認識させられた。こういうところが侮れない。うっかり間違えるとどっとツッコミが来るし、毎日書かないとどっと文句が来るそうだ。まあ、ツッコミの来るうちが華で、うっかりするとすっかり無視されるようになるのだから怖い。今後も注意しながら書き込むようにするけど、毎日は期待しないでね?!
 今日の話題は何にするか。このところ中東情勢が緊迫していると伝えられているので、それに関することを一つ。以前にもチャットで書いたことなのだが、今年の海外出張中にイスラエル人とお話しする機会があった。旧知の間柄だが、結構過激な、あるいは攻撃的なと言うべきか、発言をなさる方で、内容によっては閉口する場面も多かった。今回は、ちょうど繁華街などでの自爆テロが盛んになっていたという事情もあり、その点について色々と聞いてみたのだが、出てくる言葉はパレスチナに対する批判ばかり、どうにも議論にならない。パンチだけでなく、他の人(ドイツ人、アメリカ人など)とも同じ話題になっていたが、一切妥協する気配もない。難しい問題と判ったが、解決の糸口さえ見出せないのでは、どうなることか心配となるのも無理はないだろう。みんなも心配しているんだと思いつつ、何とか妥協点を見出そうとしたが、無駄だった。彼女の最後の一言は決定的だ。
「あなた達はイスラエルに住んでいない。」

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4月1日(月)−はじめ

 時々、書いておきたいことが出てくるのだけれども、実際に書き込もうとすると掲示板の話題には不向きだと思えたり、チャットや伝言板に書き込むには長すぎたり、色々と問題となるところが多い。まあ、そんな理由で、こういうものを立ち上げて、勝手に書き込むのはどうかと思った次第である。ただ、日記というものは生まれてこの方つけたことがないので、毎日書き込むという重すぎる負荷はかけないでおきたい。つまりは、パンチがひょいと思いついたことを書き込むようなコーナーを作ったというわけ。独り言なので、レスを書き込むことはできない。もし、何か言いたいことが出てきたら、是非別の形でレスポンスして欲しい。メールを送っていただいても良いし、掲示板などに新しいタイトルのものを立ち上げていただいても構わない。どんなことになるのかさっぱり予想できないけれど、まあ進めて行けば何とかなるだろう・・・くらいの気持ちで始めてみる。
 今日がある特別な日だからと言って、この試みが「うそ」になるかどうかは決まっていない。パンチが自分で勝手に書き込むわけだから、長く続くかどうかは、パンチ次第である。一方、もしあまりにも不評だったら、自然消滅していく可能性も十分にある。どうなりますやら、まずは、こんなところから始めてみよう。

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