日本の会社の雰囲気が変わったと思うのだが、これは気のせいだろうか。不況だからというのではなく、雰囲気とか社員達の態度とかあまり具体的には言えないのだが。こう書くと多くの人はバブル期を境に変化があって当たり前だと思うのかもしれないが、問題はその変化がバブル前から始まっていたのではないかというところにある。
もう20年近く前になるだろうか、アメリカの自動車三大メーカーの一つの経営が傾き、外からある人物を社長として迎えた。当然鳴り物入りでその経歴も輝かしいものであったが、一方でその人事の効果を疑う人もいた。詳しくは知らないが、直前の地位にあったときの実績に対する評価がその理由だったと思う。いずれにしても期待されて就任し、かなり過激なリストラを断行したと記憶している。一時的な回復はあったがさほどの効果も生みださず、会社として成功したとは言えない状況となった。しかし、それでも当の社長は驚愕の報酬を得た。これに関しては否定的な意見が溢れて、特に社員達からは不満の声が聞かれた。その頃、対比の意味でよく引き合いに出されたのが日本の社長の給与である。あちらの社長と一般社員の給与の比率に比べると日本の比率は格段に低かったので、その点を強調した論調が新聞やテレビで展開されていた。これには良い点と悪い点があり、今ではこの悪い点のほうだけが強調されることが多い。つまり所詮は雇われ社長なので大した仕事はしない、といったものである。しかし本当にそれだけになのか、また社長の能力だけで会社の存亡は決まってしまうのか。高度成長期の日本の会社の状況からつい思うことがある。既に崩壊したが社会主義や共産主義といったシステムとの類似である。確かに日本は資本主義国家であり、国としてそういうシステムをとっていたわけではない。しかし、多くの会社がある目標に向かって社員一丸となって邁進する様子はこれらのシステムを彷彿とさせた。これじゃあまるでスローガンだが、そんな気がしたのである。でも今ではそのシステムも崩壊してしまったらしい。あくまでも構成員の考え方に依存したものだから、仕方がなかったのだろう。さて、その変化はいつごろ始まったのか、というのが上で掲げた疑問である。どうだったのだろうか。
世の中には色んな意見を持った人がいる。同じ事象を見ても違った印象を持ち、違った意見が出てくる。それまでに培った経験が先入観となって違ったところに注意がいき、そこからまとめられた考えが出てくるのだろう。それは時には少数意見だったり、まったく相手にされないものだったりする。しかし、一方でこれらは違った視点の貴重な意見であることも多い。
学問の世界で理論はある条件の下で必ず当てはまるものである。もしも例外があればそれは理論として認められない。その意味で学問上の理論は非常に壊れやすいもので、そういう仕事に携わる人たちは精神的不安定に悩まされることも多い。一方でそんなものとは無関係な世界では、実例という名のひと括りにできないものが氾濫している。男というものは、女というものは、子供というものは、等々十把一からげにした意見もそういう傾向にある。これらの場合、一つでも例を知っていればそれを頼りに意見を展開できるから都合が良い。学問の理論で言うところの例外が一杯並んでそれぞれが確固たる地位を築いているように思える。一例にしか過ぎないと思いながら接するとさほどでもないが、自分と違う意見が出るとついやっつけたくなる人もいる。ネット上の掲示板でよく展開される終わりのない議論などはその好例だろう。一人が自分の体験に基づく意見を出すと、他の人がそれぞれの経験に基づく意見をつけて反対する。これは結論が出ない議論で、お互いに時間の浪費なのではと思える。何故ならこれらはお互いの経験に基づく「正しい意見」であって、その観点からはどちらも間違いとは言えないからだ。互いの意見の「間違い」を指摘するのは簡単なのだ、例外を出せばいいのだから。でもこれはおかしな考えだと思う。全てにおいて「正しい意見」というのはこの場合には存在しないことが多いのだから。皆が色んな意見を出しあって、それを読んだ人がどう考えるかはそれぞれの人に任せればいい。まあ、これも政府やら役所やらの組織が無責任な意見を出しても良いという意味ではないのだが。
子育て相談は現代において必要不可欠なものらしい。定期検診で医者や保健婦に相談したり、それとは別にわざわざ相談に行く人もいる。ラジオでもそういう番組が定期的に放送され、電話などで相談を寄せるようだ。しかし、その内容は首を傾げたくなるものが多い。平均よりも体重が少ない、いつ授乳をやめるべき、これらは以前から繰り返された質問であり、時には保健婦からそういう指摘を受けるそうだから中々難しい。
最近多くなった相談で子供とどう接したら良いのかというのがあるそうだ。初めて聞いたときには耳を疑ったがこの手の相談が結構多いらしい。その点、ラジオの子育て相談を担当する小児科医、巷野悟郎さんの指摘が興味深かった。彼の兄弟はかなり多く親もそんなに手をかけられなかったそうだ。結局、兄姉が妹弟の面倒を見て、下は上の真似をしながら大きくなったのだそうだ。でも最近は兄弟の数も少なくなり、親が子供の面倒を見る機会が増えてきた。そのため昔は思いもしなかったことが心配になるようになったのだそうだ。そこで色々と出てくる相談に対して大切なのは不安を取り除くことで、こうしなさいと言うより心配しなくても大丈夫と言うことが重要なのだ。その時思いだしたのは、昔購入した子育ての本、岩波書店から出ている松田道雄さんの「育児の百科」である。その中で語られていることの目的は一貫して親の不安を取り除くこと、症状から大したことのないものを示し、様子の見方などを丁寧に説いている。ただ、本当に重症の場合も示してあって、それらの区別をするのが大切とする。松田さんは京都で開業されていたらしいが、実際にいつまで診療を続けていたのかは知らない。他にも色んな書物を出されているので晩年はそういう活動に力を注いでいたのだろう。中々面白い人物だったそうだが、数年前に亡くなられた。でも、心配するなと言われても心配するのが親なのだろう。薔薇疹の解説を読みながら少し発熱の期間が長かったということで医者に行ってしまった親もいるのだから。
新聞などで新発見という記事をよく見かける。新星、彗星、小惑星などの星であったり、生き物の仕組みだったり、もっと難しくなると何かの理論だったりする。いずれも今まで知られていなかったもので、その発見によって人類が恩恵に浴することもあるだろうが、ほとんどの場合何も変わらない。しかし、発見した当人にとってみれば、その喜びに浸ることのできる数少ない時間である。
何か新しいことを発見するのは、誰にでもできることなのだろうか。確かに人類初の発見となれば、そんなに簡単なことではない。しかし、自分自身初となれば、毎日だってできることだ。大切なことは身の回りのことに興味を持ち、疑問を抱くことである。なぜだろう、なぜかしら、というのは昔の何かのキャッチだが、そういう気持ちを持つとか、そういった態度で周囲を見るということだけで何かしらの発見をすることができる。そんなことは下らないことだ、仕事をするので精一杯だ、などと思う人には、中々できないことかも知れないが、ちょっと心を休めるつもりで周囲を見回してはどうだろうか。休むのなら電車の中や会議中に居眠りをするほうがずっと効果的と思われるかも知れないが、身体を休めるのではなく心を休めるためである。いつも「不思議」を持ちながら過ごすだけで結構楽しくなるものである。一つ一つの事柄に疑問をはさんでいたら解決しなくなるから駄目だとかそんなことをしたら何も進まなくなるなどと言わず、是非お試しあれ。
今回の話題はちょっと込み入っている。と言っても、事前に調べることがあったからというだけで中身はいたって単純である。昨日ラジオで断層の話が出ていた。淡路島の北淡町にある資料館で1995年に起きた兵庫県南部地震の際に地表に現れた野島断層を保存しているという話である。数十センチの上下のずれが露になっている珍しい例として地震の教訓と共に後世に遺そうというものだ。
断層ということで思い出したことがある。薄墨桜で有名な岐阜県根尾村のことだ。数年前子供の教科書をめくっていて見つけたのだが、そこには1891年に起きた濃尾地震の際に現れた根尾断層の写真があった。確か、地震の前後の道路の状況を示した風景写真でびっくりするようなものだった。なにしろ数メーターの上下のずれが現れていたのだから。このずれの大きさがそのまま揺れの大きさにあてはまるわけではないのだろうが、淡路島の例を見ると想像を絶するものがある。最近の写真ではほとんど見分けがつかなくなっているが、今でも現場を見ることはできる。今回調べたことは、これらの写真がどこかのサイトにないだろうかということで、それらのサイトを下に貼りつけておく。地震のエネルギーは計り知れないものがあり、最近も東海地震の警戒区域が拡大されたニュースがあった。備えあれば憂いなしといけばいいが、準備することだけでなく起きたあとの対応も重要であることは兵庫の例を引くまでもなく明らかである。
北淡町野島断層
根尾村根尾断層
根尾村根尾断層(こちらの写真の方が鮮明)
先日テレビを見ていたら京都の特集をやっていた。東寺が出てきて、毎月21日の市を紹介していた。そこでは「弘法市」となっていたが、それでずっと昔を思い出した。パンチが育った町にある大きなお寺でもやはり毎月21日に市が開かれている。地元では、「弘法様」と呼ばれていて、今でも多くの人を集めているようである。
小学生の頃までは母親に連れられて市によく出かけていった。神社などのお祭りを大きくした感じで、昼間から輪投げやら綿菓子やら夜店のようなものが出ているだけでなく、陶器を売っていたり、服を売っていたり、ごく一般の商売をしているお店もあった。今でも記憶に残っているのは、米麹を売っているお店で、そんなものを見たこともなかったので不思議な感じがしたものである。薄っぺらい板の上にお米に植えられた麹がふわふわとした感じであって、何だろうかと思った。うちに帰ってから甘酒になっていたようであるが。そんな具合で、月に一度だけど、毎回行くたびに何か新しい発見があったような気がする。最近はとんと行っていないが、今でも思い出さされることがある。21日に市営地下鉄に乗ると、昼間なのにいつもと比べて混雑していてその大部分が老人なのでわかる。そしてその人達はお寺の近くにある駅でぞろぞろと降りていく。彼らにとっては、子供とは違った目的があるのだろう。元々この市も「弘法様」をお参りに行く人達を相手に商売をするのが目的で開かれたのだろうから。それにしても元気なお年寄りの多いこと、どこにでもある風景なのだろうけど。
連休中でネットをする人も少ないせいか昨日のアクセス数は50を割っていた。ちょっと寂しい気もしたが、まあ仕方ないだろう。ここはまあ一人ぶつぶつ言うところなので、どのくらいの数の人が見ているのかは問題にはならないはずである。のはずなのだが、やっぱり気になる。まあ4週間続いたのも色んなコメントによるところが多いからだ。そういうことで読んでいただいている方々に感謝。
自分の書いたものに自信を持てるかどうかは人によるのだろうが、あまり気にしたことがない。何かに自信を持つというのは一体どんな感覚なのだろう。先日もこの国に自信を持つべきと演説をぶっている人がいたが、その通りだと思う。ただしその後の話に関しては、自信というより過信というのではと思った。自分自身を信じることからこういう自信は始まるのだから、まずは自分をきちんと見つめて、その後で何をどうすればいいのかを考えていけばいいのだと思う。そうやってだした結論にはそれが他の人と違うものであってもある意味の自信を持つべきだと思う。こういう経過で出してきた自信のある結論同士がぶつかり合うことで、意義のある議論ができるはずなのだから。その代わりに他人の意見を引っ張ってきたり、何も意見を出さなかったり、というケースも良くあるようだが、何の役にも立たない場合が多い。自分の意見と比較するための他の意見には意味があると思うが、自がなくて他だけではやっぱりダメだろう。一方で自分のことを下げて主張するのが良いと思っている場合もあるかもしれないが、常時そのようにしていたのでは意味がない。自己主張だけになるのもいけないが、何も主張せず自分を卑下するような態度もいけない。こういう場合も自分を冷静に見つめて判断することができていないのだと思う。自信を持つべきところは持って、そうでないところは謙虚に対処することが大切なのだと思う。進んでもいないものに自信を持つことはちょっと困るのだけれども。