子供の頃の遊びを幾つくらい覚えているだろうか。別に競争しようとは思わないが、少し書きだしてみよう。かくれんぼ、鬼ごっこ、コマ回し、陣取り、かごめかごめ、ポコペン、始めの一歩、缶蹴り、などなど、きりがない。
当然男の子の遊びが大部分であり、さすがにゴム飛びはしなかったような気がする。こんなことを書こうと思ったのは、全く別の角度からちょっと思うところがあったからだ。先日野球のトレーナーの方がラジオで話していて、子供のトレーニングに遊びの要素を入れて、という話題を少しだけ紹介していた。その時思ったのが、ひょっとしたら小学生の頃にやっていた遊びにはそんな訓練的な要素があったのではないかということ。別に自分達が意識していたかどうかには関係なく、鬼ごっこや缶蹴りなどは敏捷性の訓練、始めの一歩は脚力の訓練、コマ回しは手先の器用さだろうか。まあそんな無理矢理のこじつけをする必要はないのだろうが、自然に身に付けていくという意味では遊びというのはとても良いものだったと思う。陣取りや始めの一歩などは戦略的なものも含まれるから、頭の訓練にもなっていたのかも知れない。テレビゲームでも戦略は鍛えられるが、バーチャルな世界でなく現実世界で自分のできる範囲、という限定があったのがミソかも知れない。遊びなんて他愛のないものという気持ちがあるが、あとで本当の意味を知って考えてしまったものがある。花いちもんめ、さてどんな意味だったのか、御存知だろうか。
運転する機会は多いほうである。距離もかなりなもので、年間三万キロほどになる。不思議なことに苦痛に感じるようなことはなく、日々変わっていく景色を眺めながら過ごしている。ただし、わき見運転というわけではないのでご心配なきよう。
以前も書いたが楽しみの一つはラジオである。もう一つの楽しみは季節の移り変わりを表現している植物たちだ。結局書く機会を逸してしまったが、梅、桜に始まり、藤、桐、ニセアカシヤ、紫陽花と来て、今は合歓木の花が盛りとなっている。色とりどりの花々が季節を知らせようと一生懸命に競っているような感じさえ受ける。この中には道路の街路樹として植えられているものもあるだろうが、大部分は自然のものである。ドライブの経路が田舎道であるがためと言えばそれまでだが、やはり日本は自然に恵まれた所なのだと実感する。それともう一つ肝心なことは四季折々の変化があることで、ロサンジェルス近郊など季節感のない所と比べてみると自然から受ける印象がずいぶん違うことが判る。こんな自然の豊かな日本の変化を楽しめているのも、一時力が入れられていた杉の植樹などがあるところで止まったからだと思う。上で挙げた木々はいわゆる雑木林にあるものばかりで、必要だからと杉に変えられていたら今頃そういう楽しみもなくなっていたのかも知れない。最近は里山の価値が見直されているし、こういう雑多なものの集まりこそ大切なものと言えるのではないか。必要だからと均一を目指すのは効率的かも知れないが、せっかくの楽しみを失うことに繋がるのだから。
アカハラという言葉を御存知だろうか。以前なら、田圃や清流に棲んでいるイモリの別名と答えればよかったのだが、最近はそれだけではない。アカデミックハラスメントの略という意味も出てきたからだ。
セクハラと略されるセクシャルハラスメントが一般に知られるようになってからどのくらい経過したのだろうか。たぶん20年にはならないと思うが、本当に問題視されるようになったのはここ10年ほどではないか。学校で問題になっている「いじめ」と同様に、加害者の意識ではなく被害者の意識が重要視されるので中々理解しにくい面がある。つまり、以前の認識からすればいじめている方にそのつもりがなければそれは「いじめ」とは言わないとなっていたのが、いじめられている方がそう受け取ればそれは「いじめ」であるとなったわけで、被害者の気持ちになるというかなり複雑な心理の理解を必要とするからだ。その一例としてアカハラが一部の業界で話題になっている。一部というのは当たり前で学問をする場での「いじめ」だから、現場は大学が中心となる。研究成果を発表させない、研究の遂行の邪魔をするなどというやり方で当事者の権利を侵害するもので、加害者は当然ながら上司である教授となる。学問の府と言われる場所でそのような下劣な行為が行われるのを不思議と思う向きもあるようだが、彼らも人間である。欲望、怒り、妬みなど色々と渦巻いている。特に閉鎖社会であるがために知られていなかったが、逆の意味で最近問題が表面化してきた。同じようなことは企業でもあって、上司の「いじめ」などは日常茶飯事という意見も出てくるだろう。立場を利用したという意味ではセクハラもアカハラも同じこと、次はどんなハラスメントが話題になるのだろうか。
早寝早起きのすすめをラジオでやっていた。と言っても、幼児、児童に対するものである。子供だけが早寝早起きというのは無理だから当然親も含めてのことなのだが、夫が出勤するのを熟睡中で見送らないという妻の例も出ていたので色々とあるようだ。
人間の場合、一日の周期(サーカディアンリズムという)は25時間という研究がある。暗黒中で生活させると一日が25時間になるのだそうだ、月の影響の大きさを感じさせられる。しかし、太陽とともに生活するとそれが24時間になる、つまり明暗のリズムによって少しずらされるわけである。この周期的なパターン形成は生後4ヶ月ほどから始まるのだそうだ。これは夜昼なく泣いていた赤ん坊がちょっと落ち着く時期と重なる。リズムをきちんとしたものにするために早起きが大切で、そのためには早寝がとなる。太陽と一緒に生活するのが健康に良いだけでなく、情動安定、知能発達にも関係するという話にはちょっと驚いたが、良いことであるというのは理解できる。理解できても実践できるかは別の話だが、紹介されていた話の中には早寝早起きをするようになってから、仕事への集中力が高まったというのもあり、実践している人も多いようだ。もう一つの驚きは2歳の子供の意志を尊重して放っておくという話、リズムが自然に身に付くのならそれでも良いのだろうが、何とも責任放棄のような気もした。パターンができれば良いのだから、夜昼逆転も良いのではないかと思われるかも知れないが、これは夜行性の生き物の場合。一応、人間は昼行性の生き物のはずなのだが。
残念ながら負けてしまって、今大会も終わってしまったと思う人も多いだろう。確かに応援するチームがいなくなると急に気乗りがしなくなるが、これからが面白いという見方もある。まあ人それぞれ受け取り方は色々だろうけれども。
今回、選手それぞれが大きく見えたと思った人も多いのではないか、勝ったからでなく何かが変わったような。その意味で監督の目論見は当ったと言える、確かに意識改革が成果を挙げたのだから。話変わって、この国の産業構造の改革は一向に進まない。どの方向に進めるべきか決断できないまま、先行国の後追いをするだけでは何ともならない。特に米国は消費を主体とした国となり、生産拠点を海外移転してからサービス産業を中心とした構造に変貌したが、このところの動向を見ているとどうも一時の勢いがない。情報産業に活路を見出す目論見も崩れ落ちているようだし、そろそろ八つ当たりが始まるのではと危惧する向きもあるようだ。日本も生産拠点の移転を行い、空洞化が問題とされ始めたが、一方で高度技術産業に生き残りの活路を見出しているところもある。問題となるのはこれを続けるためには高度技術を保持する必要があるのに、次世代への継承が危ぶまれていることではないか。良い思いをした人たちの下で、あまり良い思いをしたことのない世代の人にとっては辛い時期かも知れないが、高度技術開発のための既存技術の継承の大切さを認識して欲しい。一度途切れたものを取り戻すのは並大抵の努力ではできないのだから。
マスコミは少子化が深刻な問題となっていると伝えている。確かに子供の数は徐々に減っているからその通りなのだろうが、その時に話題となる成人女性一人あたりの子供の数には少し抵抗感を覚える。周囲の子持ちの既婚者に聞くと、複数の子供を持っている人が多いからだ。
先日もある集まりでそんな話題が出ていたが、自分達が子供の頃よりも一人っ子の割合が少なくなっているのではないかということである。一番多い人で四人の子持ちの人がいたが、これは例外的としても二人三人はよく聞く。統計的に言えば二人を割っているけれども、それは子供を持たない夫婦、独身の人たちを含めた上だから仕方のないところだろう。全体として考えるためには重要な数字だか、家族構成を論じるためには少し的外れになりかねないものである。一人っ子が少なくなっている理由をその場でも少し話していたが、結局兄弟姉妹がいないことで寂しい思いをしたとか、家族に競争相手がいないことによる弊害が論じられていたとか、そんなことだったように思う。別に一人っ子の人たち全部がそういう思いを持っているとは言わないが、ある程度影響されているような気もする。一方で子供など持ちたくもないという人たちもいるわけだから、なんでも一概には言えない。日本は産児制限の必要ない数少ない国と言われてきたが、最近はかなり深刻に捉えているようだ。特に年金などの問題が破綻し始めているので、将来を考えるとかなり抜本的な改革が必要なのだろう。しかし子供の数さえ増やせば何とかなるわけではないから、その辺りをきちんと理解して改革を進めて欲しいものだ。
太り過ぎ、痩せ過ぎ、どちらにしても大きな悩みの一つだろう。特に最近は、痩せ過ぎで悩む人は少なくなってきて、もっぱら太り過ぎで悩んでいる人ばかりのようである。しかし、標準がどこにあるのかはっきりしないまま、過ぎると言うのはどうだろうか。
こんな話から始めたのは新聞に肥満に関係したホルモンの発見とあったからで、糖尿病に関係するタンパク質の発見とともに関西の大学の成果として取り上げられていた。脂肪の吸収を促進するという役目をもつホルモンの発見はいかにも肥満治療に役立ちそうに思える。このホルモンの働きを抑えればどんなに食べても太らなくなる、といったフレーズが連想される。確かに働きの一面だけを捉えればその通りだろう。しかし、ちょっと注意して欲しい、それはホルモンは何のために働いているのか、ということだ。別にこれは人間を太らせるために働いているわけではなく、もっと別の機能があるはずなのだ。脂肪はエネルギーの貯蔵庫として優れた物質なので、生き物はそれをある程度貯め込んでおこうとする。その為に脂肪の吸収を促す必要が出てくるわけだ。もしこの機能が失われたら、常にエネルギー補給を行わないといけなくなるだろう。そう考えると、そこまでして痩せる必要があるのかどうか、怪しくなってくる。たぶん今回の発見で恩恵に浴すのは、このホルモンの分泌異常で太り過ぎたり、痩せ過ぎたりしていた人たちで、その治療に対しては光明が見えたと言えるのかも知れない。でも単に痩せたいという人たちにはまだまだカロリー制限などの方法が良いのではないか。