パンチの独り言

(2002年7月29日〜8月4日)
(ど忘れ、温泉宿、何が根拠、ただより、米が好きでも、清濁、空いてた)



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8月4日(日)−空いてた

 日本で大きな施設に行くと不思議に思うことが幾つかある。その一つが駐車場で、車で出かけてくることを想定していないから、当然数も少なく不便に感じることが多い。ただ、数が少なくてもほとんど必ず設置してあるのが、障害者用のスペースであり、ここに不思議がある。
 不思議に思っているのはそういうスペースを設置していること自体ではなく、そこに障害者とは無関係な車が駐車していることである。障害者に関係のある車にはステッカーが貼ってあるので一目瞭然のはずだが、それの無い車が堂々と駐車してある。良識とか常識の問題を論じても仕方のない人たちが世の中にはいるようなので、他の国の場合は違反者に罰金を科すようにしている。米国ではスーパーなどの駐車場にもこういうスペースがあり、そこには罰金などの注意書きの立て札が建てられている。こういう場所は日本的に考えれば私有地の中となるが、使用目的としては公の場と見なすことができるから、警察の管轄になっているのだと思う。日本の場合、そういった注意書きはないし、おそらく施設の考えあるいは義務として設置してあるに過ぎないではないだろうか。この辺りを詳しく調べたことはないので間違っているかも知れないが、取り締まりを受けている人を見たこともないし、通報したという話も聞かない。どんな問題があるのか判らないが、良識だけに頼るシステムだとしたらあまりにもお粗末である。ところで、障害者という言葉を繰り返し用いたが、英語ではThe handicappedと言い、不利な条件を負わされた人々といった感じになる。障害という言葉自体がもつイメージの悪さから別の言葉をという声も聞かれるが、どうなのだろうか。

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8月3日(土)−清濁

 夜間、車を運転していると、対向車のヘッドライトを眩しく感じることがある。上向きで走っている車は論外だが、10年ほど前からだろうか、照射角度を絞り込んだタイプのライトが出回るようになった頃、角度調節が悪い車や大型車での使用で不快な思いをしたこともあった。
 眩しく感じるというのは光のせいばかりでもない。以前ならそれほど意識しなかったものでも、眩しく感じるようになることがある。昼間の運転でも、陽射しの強い夏場となれば眩しいことが多く、眼鏡の上から装着できるサングラスを試してみた。全体に茶色がかっており、落ち着いた感じになるのだが、色の鮮やかさも失われてしまう。そう感じたときに思い出したのは、白内障のことである。目のレンズが何らかの原因で濁ってしまい、視力が衰える病気で、昔曾野綾子が闘病記で紹介したことから、手術によって回復することが知られるようになった。レンズが濁っているから、全体に靄がかかったようで、像が暗くなり色の判別がつきにくくなる。また、少し強い光を見て眩しく感じるのも典型的な症状の一つのようだ。これらは白内障になっていなくとも、加齢症状として有名なものである。白内障の手術を受けた人によれば、術後は急に世界が明るくなり、鮮やかな色彩に驚かされるのだそうだ。特に、自分が着ていた服の色の鮮やかさに驚いたり、見たこともない模様を発見することがあるのも頷ける。手術はそれほど難しいものではないそうだが、やはり大切な器官だから片方ずつ実施する。いくら濁っていて視力が落ちていたとしても、失明にまでは至っていないのだから、失敗したときのことも考える必要があるからなのだ。

白内障について


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8月2日(金)−米が好きでも

 それにしても猛暑が続いている。自分の住んでいる所も立ち回り先も、暑くて眩暈がしそうなほどである。とはいえ、そろそろ暑さもピークで、ちょっとだけ下がりつつあるとのこと。やはり、7月の最終週と8月の最初の週が一番暑い時期といった感じなのだろうか。
 田植えの後、青々と葉を茂らせてきた田圃も、最近はその色合いに変化が見られる。ちょっと黄色みを帯びてきたのだ。花が咲き始め、そろそろ稲穂が出ているものもあるようで、まだすくっと立っているものもあり、ちょっとだけ頭を垂らしているものもありと、そろそろ大きな変化が出てきている。この時期の日照時間がかなり重要だと言われているから、今年の場合は太平洋側に限って言えば、かなり順調に育っているようである。例の山間の田圃も青々とした葉を茂らせているものあり、稲穂が見えるものもありと順調な様子だ。この時期、特に7月に入った頃くらいから、鼻がむずむずする人がいるようだ。まるで3月頃のスギ花粉症のようにも見えるが、スギの花など今の時期はない。それでは何の花粉症かといえば、どうも稲の花に対するものらしいのだ。この時期に咲いている花は他にもあるから、すぐに稲の花とは断定できないが、耳鼻科ではそういう話が聞こえてくるらしい。これもまた、スギの場合と同様、日本国内では厳しい状況にある。なにしろ周りを見れば、田圃、田圃というわけだから。今では花粉症といえばスギときまっているかの如く言われるが、実際には症状の酷い人は、一年中何かの花粉に対するアレルギー反応が出ているらしい。脱感作などの処置もできず、ただ対症療法で症状を抑えるだけのようだから大変そうである。

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8月1日(木)−ただより

 大きな海水プールが砂浜に出現、などと聞いたら何を思い浮かべるだろうか。ラジオで紹介していたのだが、どうも聞いていると夏の間だけ出現するとのことだ。砂浜にある入場無料の海水プール、何となく興味が湧かないだろうか。
 先日ラジオの話題で紹介していたのだが、三重県御浜町にある海岸に夏の間だけ巨大海水プールなるものが作られるのだそうだ。ラジオでは、この海岸は波が荒く、岸辺からすぐに深みになっているので、遊泳禁止となっていること、砂浜に大きな穴を掘って海水プールを造ったこと、それが無料であること、などを伝えていたが、何しろ画像が出てこないので、どんなものなのか想像がつかない。こういうところがラジオの不便なところか、などと勝手なことを思ったりする。それとは別に思い出したのは、子午線の通っている都市の人工砂浜で起きた事故のこと、まさか崩れやしないのだろうかと。そこでやることは一つ、グーで検索してやっとのことで写真が貼ってあるサイトを見つけてきた。やはり地方の町では役場のホームページには写真がなかったりしてこういうとき役に立たない。今回紹介しておくのはこんな事情で、去年のどこかのニュースである。写真を見るかぎり、大きな穴に大きなビニールシートを被せてそこに海水を入れたものらしい。他にも良い写真があるかも知れないので、是非検索してみて欲しい。それにしても、中々面白いアイデアだなと思った。

巨大海水プール


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7月31日(水)−何が根拠

 ペイオフの全面解禁の延期が取り沙汰されているようだ。預貯金の少ない者にとっては全く関係のない話なのだが、地方自治体などとの関係で間接的な影響も考えられるので一応気になるところである。それにしても、あっちへフラフラ、こっちへフラフラでは、困ったものである。
 新聞などの報道によれば、この延期自体はかなり具体的になっているとのこと。早速、賛否両論が紹介されているが、全く相も変わらずといった論調で、確固たる論拠も無しの議論が続きそうな気配である。何にでも疑い深く信用しない国民と、日に日に言うことが変わる気まぐれな政府の間で、こういう問題を論じるのは所詮無理というものだろう。とはいえ、実際には多くの国民は「仕方ない」の一言で、最後には片付けてしまうから不思議なものである。ただペイオフの場合、根拠の無い危機感から銀行内、銀行間でお金を移動させることが予想されるから、その点が気になるところだろう。地方銀行云々が取り上げられているのもそういう所からだろうか。しかし、判断することなく行動に移す人たちも問題なのだろうが、具体的な判断材料を全く示せない機関もかなり大きな問題を抱えていると言わざるを得ない。そんな状況だから、評論家達が具体的な根拠の無いまま、危機感を煽るような形で両方の立場から話をするのだろう。実際には疑い深いふりをしているのは評論家達で、それに振り回されている人たちがいるのかも知れない。どっちもどっち、結果が出て、初めて判るのでは何ともならない議論なのだが。

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7月30日(火)−温泉宿

 温泉は嫌いではないが、わざわざ出かけていくのはどうも面倒だ。最近は色んなところに新しい温泉宿ができて、賑やかになっているし、それぞれ特徴を出そうと苦労しているらしい。一方では、観光客の激減から合理化を図っているところも多いと聞く。いずこも大変な状況のようだ。
 温泉宿に必要なものは温泉ということは誰でも思いつく。そうは言っても、天然温泉である必要はないだろうということで、単にお湯を沸かすところもあるのだろうが、それでは温泉とは呼べない。だからといって、温泉が出ればそれだけで宿が成り立つのかというとそうでもないらしい。先日もテレビでやっていたが、温泉を掘り当てるだけでなく、井戸も掘り当てなければならないのだそうだ。水を使う量が尋常でなく、それを水道でまかなおうとしたら、経費がとんでもない額になるとのこと。言われるまで気がつかなかったことである。最近は不況のせいもあり、食事も宿の中で作るのではなく、外注するところも多いというのも驚きの一つだ。そういえば、バイキング形式が多くなっているのもそのせいか、などと考えてしまう。温泉もふんだんに出ないとなると、循環させて使うことになる。そうなれば浄化装置も必要だが、最近これがまた問題になっているようだ。レジオネラ菌という細菌が増えて、感染した人の中に死者まで出てしまったとの報道があった。この問題は老人ホームなどの施設で以前にも話題になっていたのに、またかという感じ。管理体制の不備としか言えないのだろうか。これでは、何のための療養なのか、わからなくなってしまう。

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7月29日(月)−ど忘れ

 このところ題材を見つけるのに苦労する。掲示板での話題などをそのまま引っ張ってきてもいいのだろうが、それでは独り言にならなくなるからと避けているということもある。さすがに、これだけ毎日続けていると無理が出てくるようだ。
 では、新たな材料はどうやって見つけてくるのか。絶対確実な方法があるわけではないだろうが、なるべく色んなものに興味を持つようにすることが大切なのだと思う。よく引き合いに出すラジオやテレビからの話題だけでなく、通勤途中の風景やちょっとした出来事などを心の中に記しておくと、後になって何かを思いつくこともある。その時に昔の出来事と結びつけて話ができ上がれば、楽なものかも知れない。ただ、心の中のメモはどうも上手く整理されていないことが多く、いつの間にか忘れ去られてしまう。書いてしまった後で忘れるのならいいが、書く前にということが多いので始末に悪い。近年その傾向がひどくなりつつあるが、やはりこれも年を重ねるせいなのだろうか。いずれにしても一時的な記憶は、それを繰り返し反芻することで固定化されるので、その心がけでかからないといけない。短期記憶と長期記憶の違いなのだが、記憶のメカニズムが完全には明らかになっていないので、その違いをきちんと規定することはできていないのだと思う。忘れたいことが忘れられず、忘れてはいけないことをパッと忘れてしまう。自分の頭とはいえ、中々思い通りにならないものだ。

(since 2002/4/3)