パンチの独り言

(2002年8月12日〜8月18日)
(蓼食う、聞いてよ、意図的無知、平和へ、自慢の味、鬼のいぬ間、見た目)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



8月18日(日)−見た目

 夏休みの宿題の自由研究の定番の一つに昆虫採集がある。植物や岩石などの採集をしていた子供や観察中心の記録をとっていた子供もいたが、昆虫採集も人気のある課題だった。それから何十年経過しても、それを続けている人たちの話を聞くとそれだけの魅力に感心してしまう。
 昆虫は地球上どんな所にもいそうな生き物で、その種類も多種多様である。子供の頃には、地球上で一番多種類の生き物がいるのは昆虫類で、その大部分はまだ見つかっていないなどと言われていた。生き物の種(しゅと読む)は分類学上の用語で繁殖可能な子孫を生み出せなくなったものを異種とするものだ。ただ、それを確かめる手だてのないものも多いから、通常は外見から違いを見つけ、分類するようである。リンネによって始められ、綿々と続いてきた伝統のある学問だが、遺伝子解析が始まってからは揺れている面も否めない。昆虫の種について興味深いのは、熱帯雨林の高い木の上に棲む昆虫である。遠くへ移動できない虫にとっては、それぞれの木が自分達の世界であり、その中で生涯を終える。だから、隣の木にいる虫とは微妙に違ってきて、外見からは違う種と判断されることが多い。そんなこんなで、こういう調査を行うと、かなりの数の新種が発見されることになる。確かに、この調子では数限りなく種が増えていきかねない。これは移動不可能なところで同じ種の生き物が何世代か重ねると、お互いに違った特徴が際立つことから来ているようだ。これは物理的隔離と言われる。まあ、難しい話はさておき、地球上にはどのくらいの数の種の生き物がいるのだろうか。実際には、昆虫よりもはるかの多くの種を抱えるものがあるようだ。目に見えないので気がつかないが、それは細菌である。姿形からだけでは分類できないために、まだまだ多くの細菌の正体が知られていない。ここに目をつけるベンチャーもあるようだが、どうなるだろうか。

* * * * * * * *

8月17日(土)−鬼のいぬ間

 お盆の休みもそろそろおしまいに近づいている。最近は、この休みに実家に帰る人たちも減ってきて、以前ほど道路や電車などが混むことは少なくなっている。とはいえ、ニュースを聴いているかぎり、まだまだ帰省ラッシュというのはなくなりそうにもない。職場の効率から考えれば一緒に休んだ方が良いのかも知れないが、休みの効率からすれば何ともはやである。
 この時期でも市場が開いているので、証券業界には盆休みというものはない。その代わり前後ひと月くらいの範囲でずらして、長期の休みをとれるようになっているらしい。ただ投資家のほうは休みに入っている人も多く、全体的に市場の活性は低くならざるを得ない。元々長期の夏休みをとる国では、ここひと月はどうしても取引が少なく、そのために値動きが激しくなると言われるようだ。一方、官の世界ではこの時期議会が開かれないこともあって夏休みといきたいところだが、逆にそういうことに振り回されない時期ということで、来年度の計画立案の最終段階に入っているところが多いようだ。次年度の予算折衝が年末にあるから、このくらいの時期にきちんとした計画ができていないといけないからなのだろう。そんなわけで、霞が関の方にも盆休みはないらしい。当然ながらそれによって振り回される人もいて、そんなこんなで盆休みがなくなってしまうことになるそうだ。中央省庁にとって、国会という厄介なものと関わる必要がない時期というのは、こういうことにとって重要なので、無理をしてでも頑張るといったところなのだろう。このところ評価がどんどん落ちていく官僚達だが、色んな意味で頑張っているところはあるわけである。いやはやお疲れさま、といったところか。

* * * * * * * *

8月16日(金)−自慢の味

 農産物の自給率の問題は、以前から取り上げられている。米以外はほとんど自給できないと言われ、その米も用途によっては自給できていないようだ。ただ、この自給という言葉が曲者で、元々国内で調達できないものを使用する場合も含めて論じるから、ややこしくなる。自分達で作ったものを食べるという範囲を超えれば自給などあるはずがない。
 昔は農産物の輸入と言っても、穀物、じゃがいもなど保存できるものに限られていた。新鮮な野菜などは輸送の手間と時間から敬遠されていた。しかし、最近では隣の国を含めて色んな国から色んな野菜が輸入されている。輸送コストの減少と輸送中の保存方法の開発によるところが大きいのだろうが、とにかく沢山の野菜が輸入されるようになった。確かに、近郊農家の野菜だけを食べる人などほとんどおらず、日本全国から送られる野菜を食べるわけだから、それが海を越えてきたとしても大した違いはないだろう。ただ、このところ問題になっている残留農薬に関しては、国内の野菜と海外の野菜では事情がかなり異なってくる。農薬に関する規制は国で異なっているからだ。先日もほうれん草に基準を大きく上回る残留農薬が検出されて、現在当事国間で交渉が行われているようだが、輸入国の基準が厳しすぎると輸出国が指摘したとの報道で驚いた。誰がその野菜を食べるのかという前提が無視されているとしか思えないからだ。報道だから舌足らずの面もあるのだろうが、もしこんな考え方でいるのなら言語道断である。以前テレビで取り上げていたベトナムの魚醤(ニョク・マム)製造業者の話は事情は違うが、輸出入国の事情を良く表していた。米国でアジア料理ブームが起こり、魚醤の輸入を促す動きが出たとき、製造業者は米国の基準に合わせる努力をしたが、一つだけ受入れられず交渉が決裂したとのこと。炎天下で醗酵を行う時に、醗酵瓶の蓋にトタン板を使うのが最良というのが業者の主張で、それに対して米国の基準ではトタンが錆びて金属が魚醤に入ったら危険だから製造工程を変更せよとの指摘。味を落としてまで売る気はないと、製造業者が受入れなかったわけだ。お互い主張は大切だが、互いの事情も飲み込むべきだろう。これに比べると今回の話は筋違いとしか思えない。

* * * * * * * *

8月15日(木)−平和へ

 この日だからこの話題を取り上げるわけでもないが、全国に平和公園と名のつくものは幾つくらいあるのだろうか。ほとんどは先の大戦後に造られたものなのだろう。その中で全国的にはさほど有名でない公園の話題を取り上げてみることにする。
 その平和公園は一言で言ってしまえば墓地である。何とか墓地という名前にならなかったのは、墓地以外の目的で使われている土地がかなりあったからだろうか。都会の片隅のひっそりした空間といった感じのする場所である。この場所がちょっと変わっていると思われる点は実は墓地にある。一般に良くある分譲式の墓地は少なく、ほとんどが元々市内全域にあったお寺の墓地を移転したものだからだ。戦後大々的な区画整理をするにあたって、市当局は寺の敷地にも目を向けたようだ。なにしろ寺の数では京都にも勝ると言われた土地であり、それらの所有する土地の面積が占める割合は無視できないほどだったのだろう。それが都心にあるとなれば、整理して使うことが有効利用となるのではと考えたくなるのも無理はない。ただ、寺全体の移転となれば様々な問題が生じてくるので、その土地の縮小を図るために墓地の移転を計画したらしい。先祖代々ゆかりの場所ということから、全国で道路整備などのために墓地の移転に苦慮していることから考えると、なぜそんなことが大々的にできたのか理解に苦しむが、結局実行してしまった。そんなわけでそこにある墓地はそれぞれの区画を寺が所有するような形になっている。市内にあるもう一つの霊園とともに寺の名前がついた墓地区画をもつ場所なのだ。あんな時代だったから可能だったとも言えるのかも知れないが、都市整備に関して先進的とも言われ、とんでもない幅の道路をもつ都市ならではの出来事である。

* * * * * * * *

8月14日(水)−意図的無知

 受験生ブルースという曲を御存知だろうか。「おいで皆さん聞いとくれ、僕は悲しい受験生」と始まる、高石ともやという歌手が30年ほど前に歌った曲である。団塊の世代にとっては懐かしい曲なのだろうが、彼らの世代から受験戦争が始まったと言われ、その象徴とも言える曲である。
 しかしその後時代は移れども、大学受験の厳しさは一向に無くなる気配はない。この厳しさゆえに、エスカレータ方式の進学を望む親が増え、お受験なるものが小学校から始まることになってきた。そういう時代の流れなのだろうか、何事にも目的意識を持って臨むという考えが当たり前のようになっている。教育の本質とは何か、という疑問に正しい答えというものはないのかも知れないが、現状は、これを覚えるのは入試のためとか、この科目は入試にないからどうでもいいとか、そういった考えで学校の授業を受けている生徒とそういうノウハウを教える側とで築いてきた砂上の楼閣のようなものである。入試が済んでしまえば、衰退した文明のごとくわずかな痕跡を残して消え去ってしまう。そういう流れがいつ途絶えるのかと思いながら見てきたが、どうにも止まる気配がない。指導要領なども表面上は否定しつつも、これだけは必要不可欠という線引きを行うことでこの傾向を助長していたのではないだろうか。こんなことを今更書くのは、あるところで色んな科目を勉強するのは効率が悪いという意見を読んだからで、若い世代の一点集中型の行動の理由を突きつけられたような気がしたからである。一概に言うことには抵抗があるが、学びに効率を持ち込むことや様々なことをこなすときに切換できない不平を漏らすことなどに、危機感を覚えるとともに疑問が氷解していくような気がした。受験も要は見方の問題、灰色かバラ色か、後になって見てみると違っていることも多いはずなのだが。

* * * * * * * *

8月13日(火)−聞いてよ

 もう30年以上昔のことになる。当時ローカルテレビ局で子供達が参加する番組があった。教育評論家を司会者として招いて、教育を大人だけでなく子供と一緒に考えようという主旨だったと思う。その番組の一コマを紹介してみよう。
 教育評論家というのは当時売れっ子だった阿部進のことで、彼と一緒に司会を担当していたのはこれも当時人気のあった天地総子である。懐かしいと思う人たちはたぶんパンチの年齢層より上なのであろう。とにかくこの人たちが楽しい番組を作っていた。取り上げる話題は種々雑多なもので、子供に関することなら何でもありといった感じである。ある日市内の学校に要請があり、ペットを飼っている子供を数人ずつ参加させて欲しいとのこと。犬やら、猫やら、小鳥やら、色々と持ち寄って50人ほどの子供が参加しただろうか。最近はペットによる癒しなどが取り上げられているが、その当時はそんなことはほとんど触れられることもなく、ペットが可愛いだの、生き物を育てることの重要性だの、そういった話題になっていた。教育という立場からはそれだけでは不十分だったのか、親子関係を人間だけでなく、ペットについても考えようということになり、何人かの子供が答えていた。小鳥を飼っている子供が、彼らには親と子の感覚はないのでは、と答えると、出演していた別の評論家が「そんなことはない、ペットにもそういう感情はある」と否定していた。その子には親子なら決してしないことを小鳥がしていたという観察に基づく信念があったのだろうが、番組の意図するところから外れていたためなのだろうか、バッサリと切られたようなものである。こんなときに、自分の目で確かめることの大切さを論じる一方で、こういう理不尽な行動に出る大人というものに矛盾を感じるのかも知れない。

* * * * * * * *

8月12日(月)−蓼食う

 衛星放送で紹介されるまではまったく知らなかった番組に、イギリスの骨董鑑定に関するものがある。色んな地方に行って、その地方の人々が持ち寄る家宝の鑑定をするという番組で長く続いているそうだ。そう思って見ると、例の番組もそれと似たところがあるようだ。
 家宝と言っても二つに分けられる部分があって、一つは代々伝わる宝物、もう一つは自分自身が収集家で買い集めたものである。前者も先祖が収集家だった場合もあるようだが、一つ二つ伝わる程度のものではそうとは言えないだろう。いずれにしても自身が興味を持っているのであれば、鑑定結果が気になり、金額の多少に一喜一憂するだろうし、そうでなければ高額となった場合のみ興味を持つようだ。収集家というのは不思議な人達で、そのものに興味のない人達から見れば、何ともへんてこなものを集める人もいる。切手や古銭、陶磁器や刀剣などといったごく普通の代物はそれなりの理解を得られるが、携帯電話、箸袋などというのは訳がわからない。先日も真空管を集めている人の話を聞いたが、どうにも理解できない部分がある。真空管はラジオやアンプの部品であるから、そういう役割を果してこそ意味があるものだと思うのだが、収集家にとっては違った意味をもつものらしい。1930年代の米国製の真空管を探しているといった要求が出てくるくらいで、本来部品として必要ならば型番や性能が問題になるはずのところを、まったく違った観点から探し物をすることになる。しかしこういった品物でもネットを検索してみると、次から次へと紹介サイトが出てくるから驚きである。いわゆるオタクの人々が世の中に沢山いて、こういう品物の取引が商売になるということなのだ。流行り廃りはある程度あるのだろうし、価格の変動も激しいのだろうが、不況と言われる時代でも元気にやっている。ものを集めたいという欲求はちょっとやそっとの不況にはびくともしないようである。

(since 2002/4/3)