パンチの独り言

(2002年8月19日〜8月25日)
(天恵、音を楽しむ、お願い、大当り、私の彼は、身の証、苦より楽)



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8月25日(日)−苦より楽

 山間の村の田圃は既に稲穂が垂れていて、刈り入れの終ったものもある。平地に比べるとかなり早い時期に収穫が行われるようだが、8月中に刈ってしまうとは思いも寄らなかった。確かに、このところの気温の下がり方からすれば、もう秋と言えるわけだし、山間となれば朝晩の気温の下がり方もかなりのものなのだろう。
 以前紹介した田圃もきれいに実っていた。ただ、田圃ごとに植えてある品種が違うらしく、既に刈り取られたところもあれば、そろそろ刈り取りと思えるほど色づいたものもあり、まだまだ青さが残っているところもある。何がどう違うのかは全く判らないが、素人には品種の違いくらいしか思いつかない。復活一年目としては、遠目にはそれほどの問題もなく収穫を迎えることができたようだ。この話を色んなところで紹介したら、それぞれの反応が返ってきた。昔の休耕田の話ではおそらく補償金との絡みで、田圃の復活には手間がかかるという話をしたのではないかとか、一度休ませてしまうと稲は実るには実るが米の味が落ちてしまい、元の味に戻るのに6年ほどかかるとか、そんな反応である。前者と後者は一緒のことを言っているようにも思えるが、実際に補償金のことしか考えていないとしたら、味のことなど問題ではなく、ただ収穫さえできればいいことになる。特に当時の政府の買い上げというシステムの中では、今のような品質重視の考え方は少なかっただろうから、なおのことである。元々汗水たらして育て上げた穀物や野菜を売ることによって稼いでいた者が、補償金を手に入れた途端にそういう労働から遠ざかるというのはある意味仕方のないことかも知れない。このことはまた漁業補償金にもよく当てはまる話で、実際に埋め立てによるケースなどにはそんな話も多くあるのではないだろうか。ずっと以前の話だが、特別天然記念物のカブトガニの棲息地域の埋め立てが計画され、実行されたとき、漁業補償金がかなり支払われたそうだ。それ以前から漁獲量は減っており、漁業の先行きに対する不安を持つ人たちにとって、これはある意味朗報だったのだと思う。ただ、その肝心の埋め立て地がその後工場にも農地にもほとんど利用されずにあることは、事業自体の計画の甘さを表している。最近は違った目的で埋め立てを行うようだが、その効果も明確にはなっていないようだ。そんな状況が日本各地で見られるのに、次から次へと新規事業が出てくることには首を傾げざるを得ない。

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8月24日(土)−身の証

 この国の証明書好きはいつから始まったのだろうか。江戸時代にもお墨付きの云々などという話があったようだから、その頃には既に当たり前のことだったのかも知れない。普通に生活しているだけで、事あるごとに証明書の提出を求められるのはどうかと思うことがしばしばある。
 以前、身分証明書の提示に触れたことがあるが、提示ではなく提出であるところが肝心なのである。同じ証明書を何度も提出させられることがあって、なぜ一つで足らないのが不思議に思う。確かに法的に効力をもつ証明としては発行元の証明印のある原本であることが必須なのだが、同じ部署で使う場合に原本の写しではいけない理由がさっぱり理解できない。大いなる無駄と労力を個人に強いているとしか思えないからだ。時々問い質したりするのだが、やはりルールということで跳ね除けられてしまう。こういう規則に限ってローカルな場合が多いから信用できないが、窓口で言われれば抵抗しても無駄である。ということで毎回、毎回、こんな無駄が繰り返され、お互いの仕事を増やすことに繋がる。自動車運転免許書換の際、昔は住民票の提出を求められたような気がするが、今は必要ない。住民全体の経費から考えるととんでもない出費だったに違いないし、そのための役所の仕事量もばかにならなかっただろう。戸籍や住民票は素姓を証明する書類として重要なことは判るが、常に提出を求められることには矛盾を感じる。米国には戸籍制度がないので、証明書類としては出生証明書(Birth Certificate)を使う。旅券発行などの公的手続には提出を求められるが、その場で返してくれる。証明書の有効性はその場で係官が確認し、コピーをとって記録するだけだからだ。このやり方はいかにも米国らしい合理的なものだと思う。出生証明書は個人のもので、その個人が使用する限りは変更がないわけだから、一度発行されたものは生きている限り有効となる。それに比べると戸籍や住民票の方は家族と一緒に記録されているので、変更されることも多く、いつまでも同じというわけにはいかない。でも、たとえそうだとしても、米国のようなやり方を導入してはどうかと思うのだが、いかがだろう。

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8月23日(金)−私の彼は

 夏休みの子供電話相談室も後半の部に入っているようだが、ちらっと聴いた話で面白そうなのがあったので、その辺りから紹介しよう。カタツムリ、でんでんむしの話なのだが、どういう経緯かさっぱり判らない。ただ聞こえてきたのは、回答をしている先生がカタツムリは2匹一緒に飼えば繁殖すると言ったひとことである。そういえばカタツムリって雌雄同体だったかなと思ったわけ。
 雌雄同体ならば、オス、メスの性器が両方とも一つの個体に具わっているわけだが、自分の精子で自分の卵を受精させることはできないらしい。そこで繁殖させるためには、二つの個体が必要になるわけだ。いずれにしても、雌雄の区別をしなくていいのは便利な気がした。オスとメスの見分け方は簡単なものから面倒なものまで色々とある。以前、話題になっていた鳴かないセミはメスかも知れないとか、ムギワラトンボはシオカラトンボのメスだとか、外見や特徴ではっきりと区別のつくものが多い。ただ昆虫でも一見しただけでは区別のつけにくいものもあって、そういう場合にはかなり苦労するようである。人の目で見たら区別がつかないが、お互いに区別がつくという特徴をもつのはモンシロチョウで、羽の紫外線の反射の具合がオスとメスでまったく違う。人間に区別してもらう必要はないわけだから、こんな区別の仕方もありというわけだ。セミの雌雄の区別は鳴くか鳴かないかという点もあるが、鳴くまで待たねばならず困る場合が多い。実際には腹部の構造がかなり違っているのでそこで区別できる。メスは卵を産み付けるための針のようなものをもっている。生物学の実験に使われるショウジョウバエは奈良漬や醗酵臭のする生ゴミによってくるので知っている人も多いだろうが、この雌雄をどう区別するのかがある大学の講義で話題になったそうだ。生き物好きの学生が腹部の形で区別がつくと答えたら、先生はそれは間違いで解剖して性器を調べないと確かなことは言えないと答えたとのこと。何事も正確を期すためには便宜的な方法に頼ってはいけないということなのだろう。とはいえ、殺さないで決めたいときにはやはり外見にあたるしかない、たとえ絶対確実とは言えないとしても。

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8月22日(木)−大当り

 同時多発テロ以来、海外旅行を控える人が増えているようだ。直後には当該国への出張を中止させる会社も多くあったようだが、そちらの方の噂はもう聞こえてこない。ただ、ちょうど1年という日には欧州からの便がキャンセルされているようだ。以前から問題を抱えていた航空会社はかなり危うい状態にあるようで心配である。
 さて、海外旅行といえば、到着地での入国検査、税関に悩まされた人も多いだろう。長蛇の列が続き、自分の前に並んだ人が揉め事を起こしたりすれば、いつになったら本当にこの国に入れるのかと思ったり、連絡便の心配をした人もいるだろう。日本からの訪問者はずっと以前と違ってほとんど問題なく入国検査を通過できるのに対して、同じ便に乗ってきた他のアジア諸国からの訪問客の一部は検査官に厳しく質問される。場合によっては別室へ案内されるようだが、そうならずに押し問答となってしまうと後ろに並んだ者たちは心配顔になってしまう。大きな空港では窓口がたくさんあり、ほとんど問題にならないとはいえ、それだけ多くの人が検査を受けるわけだから時間がかかってしまうことになる。通り一遍の質問に誠実に答え、やっとのことで検査所を抜けると次にやって来るのは税関である。ここも入国検査で引っかかることのない限り、まず問題なく通してもらえるのだが、ほんのたまに気まぐれのように引き止められることがある。まあそういうときは運が悪かったと諦め、スーツケースを開くことになる。通常はこんな具合だが、中米のある国際空港ではちょっと変わったシステムを採用していた。税関を通り抜けるときにボタンを押すのである。緑のランプがつけば通過、赤のランプがつけば検査となる。まるでくじ引きみたいだが、本当にその通りのことをさせられる。最近になってこのシステムは廃止され、係官が指示を与えるようになったが、よく考えてみると以前も乗客がボタンを押していたけれども、実際にはくじ引きではなく裏で係官が操作していたのかも知れない。まあ、運だめしみたいな仕掛けの方がスリルがあっておもしろかったのだが、その楽しみはなくなった。テロ以降は到着時に時間がかかるだけでなく、出発時にも時間がかかることになった。自爆テロと同じ考えに基づくわけだから、乗客の荷物を徹底的に調べるからだ。これも無作為抽出のようなやり方をしていたようだが、まあ安全性を高めるためだから従うしかない。こんなことばかりではやはり控えたくなるのも無理のないことか。

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8月21日(水)−お願い

 今回はちょっと新しい試みをしてみようと思う。この独り言を読んでいる人は少ないときで五人くらい、多いときは十人くらいになるようだ。いつも読んでいただいていて、あまり反響が返ってこないのも何となく不安になるものである。そこで今回は、読者の皆さんからの御意見を募ることにした。勝手な独り言の勝手な試みであるが、是非御協力願いたい。
 御意見などと言っても、はて、何の、という質問が返ってきそうである。このホームページが設置してあるサイトに便利な機能がついていることを、つい先日発見した。レンタル掲示板というサービスで、各ホームページに10件設置できるそうだ。これを使って、皆さんの意見を書き込んでいただこうという企画である。表の掲示板とは違った形だから、よほどの偶然でもないかぎり他からのアクセスはないと思う。だからというわけでもないが、様々な意見を寄せていただければと思う。議論のテーマは掲示板に飛んでいただけばすぐに判ることなのだが、算数・数学に関することで、学校で習ったことが今役に立っているのか、という話題である。これまでこの独り言を読んでこられた方はもうお気づきと思うが、ここでは算数や数学、数に関する話題を多く取り上げている。パンチの勝手な独り言だから、自分の興味に走って、そんなことを何度も書いているわけだ。いつもは一方通行なのだが、今回はこういう掲示板を設けることによって、皆さんの御意見を伺おうというものである。あんなに苦労して習った算数や数学が、学校を卒業した途端に何の役にも立たないという経験をお持ちの方もいらっしゃるだろうし、一方で色んな場面でその数学の一部だけとはいえ使っている方もいらっしゃるだろう。色んな角度からの色んな意見、考え方を書いていただければ幸いである。パンチ自身の意見はこれまでも何度も書いてきているから、しばらくの間は書かないつもりである。どちらかといえば、少し様子を見てから書くことができればと思う。以上、今回はお願いも含めての独り言である。

御意見掲示板


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8月20日(火)−音を楽しむ

 学校の音楽の時間が苦痛だった人はどのくらいいるのだろうか。特に中学になるとその割合が増していたような気がするが、名曲と言われるクラシックのレコードを聴かされて、ただ眠くなるだけのものだと思っていた人も多いと思う。押しつけられていたから余計にそうなのかも知れないが、針のむしろの思いだった人もいるだろう。
 音楽は音を楽しむと書くわけだから、楽しくないとおかしいはずなのだが、やはり授業となると全員が同じ内容のものを受けるから、楽しめない人も出てきてしまう。まあ、これは他の科目でも言えることだから、音楽に限ったことではないだろう。ただ、音楽が本来、人を楽しませるものだとしたら、こういう授業形態はやはり考え直す必要があるのかも知れない。そうは言っても、実際に音楽の授業を楽しく受けていた者としては、なぜあれが苦痛だったのかさっぱり判らなかったから、どういう形態が良いのか論じることができない。元々、音楽と接するのはほとんどテレビやラジオであり、当時も既にGSやらアイドル歌手やらが中心となっていたわけだから、それとはまったく違った雰囲気の学校で習う曲には馴染めないのが当たり前だったのかも知れない。ただ、最近の授業では流行した歌謡曲を積極的に採入れているようだが、音楽の授業が楽しくなったとは聞こえてこない。歌う曲でも、小学校で習う文部省唱歌には良い曲が多いと思うし、中学の頃に習った「夏の思い出」や「花」なども秀作である。ただ一方で学校で習ったから嫌いという考え方もあるようだ。まあ、カラオケで唱歌を歌う人もほとんどいないだろうが、一部の人を除いて多くの人にとって歌うことは楽しいのだとすれば、音楽を習うことも楽しいとなって欲しいのだが、ことはそう簡単ではないらしい。

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8月19日(月)−天恵

 梅雨時から台風の季節が過ぎるまで、局地的な豪雨に対する注意が必要とされる。最近は、細かな地域のデータを分析することによって、かなり正確に豪雨の予報が出せるようになったが、まだまだ予想外のことも多く油断できないものである。
 日本で雨や雪の多い季節として思い浮かぶのはいつ頃でどの地域だろうか。雪に関しては最近はそれほど話題にならなくなったとはいえ、世界一の豪雪地帯、新潟を中心とした日本海沿岸地域がある。外国人にとって、数メートルの積雪は想像を絶するものらしい。雨となると、まず思い浮かぶのは梅雨の季節ではないだろうか。これは沖縄から東北地方にまで渡るかなり大きな地域が対象となる。さて、次に外せないのは、毎年必ずというわけでもなく、またどの地域と限っていないが、台風による雨が大きな割合を占めるだろう。この場合、地域としては台風の通り道となるから、日本全域と言うべきなのだろう。こうやって挙げると日本には三つの降水量の多い季節、地域があるわけだが、先日ラジオの気象歳時記で紹介していたところによると、世界には四つの降水ベルトと呼ばれるものがあるとのことだ。一つは熱帯雨林を含む赤道地域とのことだが、あとの三つはなんと日本に関係した上に挙げたものなのだそうだ。世界の降水量の統計などを見ても、日本は非常に降水量の多い地域で、その上温暖な気候ということから、自然に恵まれた地帯にあると言える。都会の一部を除けば、緑に恵まれて、木々が鬱蒼と茂る森を形成しているのも、こんなところからのようだ。日本に生まれ育った者たちにとって、ほとんど実感することのないことなのだが、世界中探してもこれほど自然条件に恵まれたところは無いと言えるのかも知れない。森が豊かであれば、海も豊かと言われるから、この恵みを何倍にも活かすことができるはずである。では、どんな活かし方がこれからの課題と言えるのだろうか。

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