パンチの独り言

(2002年10月7日〜10月13日)
(連帯、人生哲学、地底、音吐、徳育、適所、釣果)



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10月13日(日)−釣果

 埋立地の辺りを歩いていると、どうしても橋を渡らざるを得ない。それはそれで楽しいのだが、この季節になると、どうも今までと違った光景に出くわす。竿を持った人たちが橋の上にいるのである。何が釣れるのかなとペースを落として横を通り過ぎると、たまたま釣れるのを見ることができた。10センチあるかないかの大きさの魚、遠目でもハゼだろうと想像がつく。そのときはいっか釣れていたが、小さいから竿が動くこともない。
 ハゼ釣りといえば、昔は河口付近の川岸からというものだったが、最近は岸からというのは少なくなっているようだ。遊歩道があれば釣りもできるのかもしれないが、そうでなければ他人の土地に入ってということになるし、岸も傾斜の付いたものではなく垂直の切り立ったものだから狭くて危なっかしいのかもしれない。ということで、橋からとなったのかどうかは知らないが、とにかく多い。それも朝から晩まで、誰かが釣りをしている。この光景を見た前日にも夜中に竿をしまって走り去っていく車を見かけた。真夜中に釣りというのにはちょっとびっくりしたが、確かに夜釣りもあるから別におかしくないのかもしれない。ただ、夜行性の魚であればわかるが、ハゼがそうだったかどうか定かではない。この釣りはどちらかといえば海釣りの方になるのだが、実際にはハゼ釣りはしたことがない。海釣りもほんのたまで、たぶん道具立てなどの問題からだったのだろう、一度だけ小さな船で岸から100メートルほど出たところで釣った以外、ほとんどしたことがない。この時は、意外に簡単なものだなあと思ったが、それ以降も機会をつかむことはなかった。釣りといえばもっぱら川釣りで、それもほとんどシラハエ釣りだった。シラハエは地方によってはハエと呼ばれたりするが、和名には琵琶湖周辺での呼び名であるオイカワが使われている。魚の場合、地方地方で呼び名が違っていて、統一した和名の選定にも困ることが多いのだろう。オイカワにも、図鑑によれば10個以上の地方名があったように記憶している。この魚は餌釣り、毛ばり釣り、どちらもできる。餌の場合はサシという蛆虫を使うことが多かったと思う。釣具店で朝、餌を買った上で自転車やバスで目的の川まで出かけ、釣りを始める。まあ、単純なもので、数が釣れるから楽しいといったものだろうか。毛ばりの方はもっと派手で、6個くらいの毛ばりをつけて釣るから一度に数匹釣れることが多い。当然ながら虫を真似たものだから、虫が飛ぶ朝夕の時間にのみ有効な釣り方である。ただ、効率は非常に良いので魚影の濃いところでは一人で100匹近くを釣り上げることもできる。こんな風に夢中になれるものがあるのは良いなあと思うけれども、最近は釣りに出かけることもない。一つには川の管理を厳しくして入漁料などを必要とするところが多くなり、なんとなく釣りとは楽しむもので管理されるものではないという先入観があるからだろうか、こういうシステムの普及と共に遠ざかってしまった。確かに、資源を確保するためには一般の釣り人からも手数料を取って、きちんと管理する必要があるのだろう。オイカワなどは商品としてはまったく見向きもされないものだろうからどうでもいいのだろうが、同じ所に棲息する鮎やヤマメなどは大事な資源である。川に入ることから考えれば十把一絡げでいくしかないわけで、オイカワを目的にやってくる子供たちはどうしているのかと思える。自然に増えているものと人の手によって増やされているもの、それらが入り混じっているからこんな事態も仕方ないのかもしれない。でも楽しみを奪われているような気がしてしまうのは勝手な考えなのだろうか。

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10月12日(土)−適所

 ごく普通の会社員がノーベル賞を受賞したというニュースは、驚き、喜び、心配、など、色んな感情が入り混じった形で受け止められたのではないだろうか。驚きは、単純に連日の受賞のニュース、この人誰だろうという単純な疑問、その人の年齢など、これだけでも色んな要素がある。喜びは、あまりにも単純だから説明する必要もないだろう。心配というのは不思議に聞こえるかもしれないが、ふと思いついた人もいるかもしれない。
 せっかくの喜ばしいニュースに心配するのはおかしなことかもしれないが、どうもそういう思考回路が出来上がっているので仕方ない。まず起きた心配は、会社に対するもの。一研究員が非常に有名な賞をとったからといって、どういう対処をするのだろうか。これはかなり大きな問題だなあ、と思ってしまった。次に心配になったのは、若いということ。これから先何十年も大変そうだなという単純なものである。次にでてきたのは、案の定というか、マスコミの大騒ぎである。これは説明する必要もないだろう。何しろふだん芸能人の動向を追いまくっている番組が取り上げているのだから。さて、最初にあげた心配は、この人に限らず、最近よく話題になっているものだと思う。以前であれば、年齢を重ねると共に役職に就き、その役目を適当に果たしながら、定年を迎えるというのがごく普通のパターンだったのだが、最近は能力によって人の配置を決めるということが盛んになり、自動的に階段を上がるようにというわけには行かなくなった。このやり方は一見当たり前に見えるし、論理的なものであろう。しかし、実践はそう簡単なものではない。いざ抜擢してみたら、予想していたものとはまったく違った結果になったという例はおそらく数え切れないほどあるだろうし、実際にそういう話がよく伝わってくる。では、どこがいけなかったのかと考えても、それがそう単純なものではなさそうなのだ。おそらく、個々の例それぞれがあまりにも違っていて、統一法則などというものがないのだろう。確かに、どのようにして人の能力を測るのか、という問題には答えがないのかもしれない。今やっていることに関する能力は測れるが、次の地位に関する能力は推測するしかない。ここに難しさがある。ただ、上手くいかなかったら、結果は悲惨になる場合が多いから、ちょっと試してみてというわけにもいかない。昔で言う番頭が合う人とそうでない人、どちらも人の下で働く場合には優秀な成績をあげるけれど、リーダーとなると別の結果になる。番頭は上に人がいてこそ、能力が活かせる。上の人の問題点を指摘しながら、下の人に対することができるから、問題解決も容易になることが多い。しかし、上に誰もいなくなると、対照にするものが無くなるから、途端にバランスが取れなくなる。地位が人を作るといっても、そこにはおのずと限界がある。どうすれば最悪の結果を生まずにすませられるか、こんなことを考えると心配になってしまうのである。

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10月11日(金)−徳育

 このところ食品に関連したことで、色んな事件が起きている。表示の問題が全てに共通していると言えるのではないだろうか。表示をするときに嘘をつくということが日常的になり、その一つの応用例が狂牛病の騒ぎの時の牛肉買い取り措置に関する事件となるし、もう一つの応用例が黒豚やら国産鶏肉やらそういった表示に関する事件となった。まったく、どこでボタンを掛け違えたのかと思ったりもするが、実際には社会全体に蔓延しているのではと思えることもしばしばである。
 こんな話を持ちだすのも、実は以前ここで紹介したフロンの規制の話を、先日友人としていたときに、ちょっと気になることがあったからだ。フロンの生産禁止、輸入禁止という措置は日本が決定しなければならないものだったろうし、それに伴って起きるだろう事態に関してはある程度予想がついていたはずである。にもかかわらず、たとえば車のエアコンのガスの問題を先送りにして、何も法的措置をとらなかったのは、間違いだったのではないか、と思っていた。つまり、エアコンの交換を義務づけて、オゾンホールに影響するタイプのフロンしか使えないものを無くしていく法律の制定が必要だと思っていたのだ。しかし、その友人はこの話の途中で、「法律で取り締まらなければならないものだろうか。実際に皆がこの問題を深刻に受け止めていれば、自分から進んで交換に応じるはずではないか」、と言うのである。確かに、自分で自分の行動を決めるべきであるという気持ちが小さくなって、法律で縛られないと誰も何もやらないと思い込むようになっていた。実際には、法律は縛るためのものではなくて、一定のルールを作るためのものだろう。それからすると、何でもかんでも法律に取り締まってもらうという態度は、あまりにも安易だったのかも知れない。この考え方が逆に働くと、法律で禁止していないからこれはやってもいいとか、禁止されているからやってはいけないとか、そういった考え方が蔓延ることになる。モラルとしてどうなのかを考えずに、ただ法律、法律となってしまうのだ。その上、見つからなければいいだろうという考えがその上に被さるから、もう始末におえなくなる。こんなことを考えると、友人の言っていることが、なるほどなあと思えるわけだ。食品表示は会社が行っていること、と片付けてはいけないのだろう。結局、それを実行しているのはその構成員であるのだから。社会の構成員である自分達が車のエアコンに関して、何も責任を負う必要がないと考えるのも実はよく似た精神構造によるものなのではないか。もっと自分達のこととして考えるためには、法律に頼るよりも社会的モラルの方を真剣に考えるべきなのかも知れない。もっと根本的なところを見直さないといけないのだろうなと思いつつ、電車を降りて、友人と別れた。

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10月10日(木)−音吐

 彼岸花(曼珠沙華)はもうすっかり姿を消した。萩もまばらにしか咲いていない。金木犀はどこからか良い香りを漂わせている。ススキが生えている荒れ地の横では、外来種のセイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせている。そんな光景を見ながら車を走らせていると、道端に秋桜が咲き始めていることに気がついた。そういえば近くの○○京では秋桜まつりが始るそうだ。
 こんな具合に秋も深まってきたが、秋の歌でどんな歌を思い出すのか運転中にふと考えてみた。まず出てきたのは、こんな歌詞の歌である。

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた


 秋の歌の中で一番好き、というわけではないが、何となく懐かしい気がする歌だ。先日ラジオに谷川俊太郎が出演していて、詩の楽しみを語っていた。その中で特に印象に残ったことの一つは、詩は黙読したときと、音読したときで、まったく違った姿を見せることがある、ということである。彼はよく自分の詩の朗読もやるが、最近は音楽家の息子と一緒にCDを出して、その中で朗読だけでなく歌も歌っている。それぞれに面白さがあるのだそうだ。さて、それでは上の「里の秋」を黙読、音読、歌唱してみていただきたい。最も難しいのは音読だろう、なぜなら節を覚えている人にとって、それ以外の声の出し方は結構難しいはずだから。どうだったろうか、それぞれで気分が変わっただろうか。歌では繰り返しがとても重要な役割をはたすのに、黙読や音読ではちょっとしつこいかなと思えてしまうことがある。その典型とも言えるのが、一番好きな秋の歌、「ちいさい秋」である。サトウハチロー作詞中田義直作曲で、歌詞はこんな具合だ。今度は三番まで書いてしまおう。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


 どんな印象だっただろうか。歌のための詩と詩のための詩、黙読が似合う詩と音読が似合う詩、それぞれ様々な特徴をもっているのだろう。言葉の不思議さが感じられる瞬間だ。でも、よく考えてみたら言葉は音から始った。それからずいぶん時代を経て文字が生まれたのである。やはり音にすることで心に響くものがあるのは言葉が音から生まれたせいなのかも知れない。

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10月9日(水)−地底

 三年連続での受賞とのことだ。はて、何のことかと思われる方もいるだろう。ノーベル賞である、今回は物理学賞、前の二年は化学賞だった。目出度いことには違いないのだが、二年連続でも快挙と言われたのに、三年目となるとどんな反応が出てきているのだろうか。少なくとも、受賞者を増やすという計画を出している人は、声高らかにとなっているに違いない。いずれにしてもこういう時期にはうれしいニュースである。
 今回の受賞理由はどんなものだったのかとか、研究の内容はどんなものなのかとか、そういう話題を扱えるほど物理学を知っているわけではない。ただ、幾つか言えることは、この研究がカミオカンデという岐阜県の山奥の神岡というところにある鉱山の廃坑を利用した施設で行われたということ、その施設がいつだったかより大きな施設となりスーパーカミオカンデと呼ばれていること、さらにその施設の心臓部である装置が破損してしまったこと、ごく最近部分的な修復ができて観測の再開が報道されていたこと、最後にこの施設で超新星爆発によって発生したニュートリノと呼ばれる粒子が観測されたこと、くらいだろうか。観測自体も画期的なものだったらしいのだが、その後の研究の進展もかなりのものらしく、以前からノーベル賞候補などと新聞などでは取り沙汰されていた。そういう意味で数多くある候補の中から、今年、この分野の研究が受賞対象となったのは、運が良かっただけなのかも知れない。日本の政府の考え方からいくと、今後この分野への予算の注ぎ込みが激しくなり、部分的な修復では済まさず完全な修復がなされるかも知れない。そういう意味では関係者にとってさらに喜ばしいこととなる可能性がある。しかし、このような予算の使い方にはいささか疑問を覚える。ホットなところに予算を集中させて更なる推進をはかるのは効果的な方法だろうが、それだけで後は何もしないとなると困ったものになる。高額の予算を注ぎ込むごく少数の高度な研究とともに、低額の予算をばらまく多数の芽を出しかけ、茎を伸ばしている研究にも目を向けて欲しいからだ。この研究を為しえたのは自分が予算をつけたからと誇りに思う官僚がいるかも知れないが、それは受賞した瞬間の担当者ではなく、それよりずっと前のまだこの研究の芽が出ていない頃に担当した人であるべきだろう。つい先日も、COEと呼ばれる研究プログラムの配分が決定されたというニュースが伝えられていた。ある程度成果が望めるグループに対して研究費を出そうというもので、一時期はトップ30などと呼ばれて大学の格付けに使われると言われたものだ。現実には少し違った形になってしまったが、予算の集中配分には変わりがない。でも、一方で小さな多数の芽を育てることも忘れないようにして欲しい。ぜひ、そういう考えをもって、これからも研究に予算を使って欲しいものだ。

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10月8日(火)−人生哲学

 座右の銘などと堅苦しいものでなくとも、皆、好きな言葉というものはあると思う。翌桧というものもその一つだと思うのだが、掲示板にも書いたように、本来明日は、明日はと願うのみで結局桧にはなれないということから、上を目指す気持ちという意味は理解されている通りなのだろうが、その望みが達成されるかどうかという点を抜かしてのことのようだ。まあ、達成不可能と思えるようなことでも取り組もうという意欲が大切である、という受け取り方もできるが。
 好きな言葉があるからには、嫌いな言葉もあるだろう。「いじめ」とか「無視」とか、小学校から高校までの学生時代には触れたくなかったものだろうし、「窓際」とか「ノルマ」とか、職に就いてから聞くとぞっとするものだろう。こういうものは好きとか嫌いとかいう分け方ではなく、それらとは別の感情を引き起こすと言ったほうが良いのかも知れない。いずれにしても言葉から想像されるもので人の感情というものは簡単に揺り動かされるものだ。上に挙げた言葉とはかなり違うとは思うが、学生時代に嫌いだった言葉がある。「哲学」である。大学の教養課程や学部の専門学科にある哲学という学問分野のことではなく、人生の「哲学」とかいった代物のことだ。その当時、一部の人たちが好んで使っていたこともあり、「学問をする上での哲学とは」とか、「何事にも哲学をもたねばならない」などと聞こえてくると、嫌なものが始ったと思っていた。いまだにその思いは変わっていないが、最近はそういう大上段に構えたような言い方をする人たちも減ってきて、人生楽しければそれで良い、で終ってしまう。これ自体を悪く思うわけではない。自分に合った、自分にできる範囲の考え方を展開するのが一番良いだろうし、無理なく生きるというのは大切なことだろうから。話を元に戻して、「哲学」を嫌いだった理由の一つは、この言葉を使っている人たちの意図が見えていたからかも知れない。自分の底の浅いのを隠すために「哲学」を連呼している人は多かったし、実際に目の前にある学問に取り組むよりも形から入ろうとしている人も多かった。大学で学ぶことが学問と呼べるほどのものかどうか、実際には怪しいところで、否定する人も多いとは思うが、若い頃は何しろ自分のやっていることの正当性を主張し、その意義を説き、大きく見せようとするものだ。まあ、そんなときに「哲学」という魔法の言葉を手に入れたら、使いたくなるのかも知れないが、はたしてその意味はあったのだろうか。こういう人の中には、それから何十年経っても、同じことを言い続けている人もいて、どうにも閉口してしまう。今度は若い世代に向けての演説となるわけだが、そんなに構えなくても仕事はできるだろうにと思うのは、自分だけなのだろうか。

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10月7日(月)−連帯

 工事現場を通りかかると無事故○○○日という垂れ幕が掲げてある。現場の管理がしっかりしていることを示す印のようだ。高い建物の建築現場や地下鉄の工事現場などでは、事故が起これば人命にかかわるようなものに違いないから、働いている人たち一人一人の注意だけでなく、安全性を高める設備やちょっとした工夫などが必要となるのだろう。垂れ幕も、そのための一つと考えることもできる。
 しかし、こういう集団としてのスローガンのようなものは、別の側面をもっている。昔、職場で自らの不注意が原因で割れたガラスで指を切ったことがある。割れたガラスの鋭さについては論じるまでもないが、中指にざっくりと切り口が見えた。指の根元を押さえながら、近くの病院に運んでもらい、ふた針ほど縫ってもらうはめになった。運が良かったのは、いつもより早めに出てきていたのに、普段いないはずの同僚がたまたま同じような時刻に出てきていて、車で病院まで運んでくれたこと。いくら近いといっても止血しながら10分も歩くのでは大変だっただろう。いずれにしても痛い目をしたのだが、それ自体は勤務中の出来事ということで労災の対象となった。職場はそういう手続きに抵抗を示すわけでもなく、何の問題もなくすべての治療は終わった。ここまでならごく普通の話でおしまいである。しかし、そうはならない。その後、近所の自治会の集まりか何かで、工場勤めをしている人とその経緯を話す機会があった。こんな事故があったけど、障害も残らず、労災で一切が済んだので良かったという話をしたら、そんな不注意なやつは馬鹿だと怪我をした本人を前にしてぶつぶつ言い出したのである。怪我などしても労災など使ったら事業所が迷惑するとか、自分の不注意で怪我をしたことなど自分の責任でどうにかすべきとか、矢継ぎ早にまくしたてていた。管理する側、会社の側に立てば、当然だと言わんばかりの調子だったが、こちらは困ったものだなあと思いながら相手をしていた。別に怪我をしたことを誇りに思っているわけでもなく、労災を受けられたことを「しめた」と思ったわけでもない、ただ単に偶発的に起きた事故で怪我をしたが術後も多少の不便を感じるとはいえほとんど問題なく、労災のおかげで経費に関しても助かったという話をしただけなのだ。しかし、彼に言わせれば、そういう不注意な人間のせいで事業所の記録には汚点が残ったし、上司も含めてそこに属する人間に対するその後の社内の扱いも変わるかもしれないということなのだろう。連帯意識の現れ、共同責任の証し、色んな言葉で表現されるようだが、どうも向っている方向がずれているという印象を持った。事故が起きたら、同じようなことが起きないような工夫や注意をするというフェイル・セーフの考えは重要だと思うが、起きてしまった事故の当事者を責めても仕方がないのではないだろうか。また、その責め方が周囲に迷惑をかけるという論点だけなのは、なんとも納得のいかないものだったからだ。周囲を見渡してみると意外に多くの場合に、こういった考えで他の人を責めていることが多いし、またそういうことばかりが気になって仕事ができない場合も多い。環境を改善する方向への議論は実りあるものと思うが、事故を起こしてもひた隠しにするとか、事故を個人のみのせいにするとか、そういう風潮はなくしていくべきなのだろう。

(since 2002/4/3)