パンチの独り言

(2002年11月11日〜11月17日)
(批判と悲観、首傾、cheap、裏年、寵遇、深雪、萬)



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11月17日(日)−萬

 どんな分野でも、その専門家と呼ばれる人たちは驚くほどいろんなことを知っている。ただ単に知っているというよりも、そういう知識をきちんと整理して、引き出しにしまってある感じで、必要なときにはそれをポンと出してくれる。そういう光景に出くわす度に、やっぱり専門家はすごいものだと感心しきりとなる。
 聞いたことがあるような気がするとか、知っているはずなのに出てこないとか、そんなことは一般の人にはよくあることだ。しかし、それでは済まないことがある。それは、質問を受ける場合だ。ラジオで面白いと思うことがあるのだが、中でも相談室や質問箱といった企画が一番興味深い。テレビでのこういう企画は事前に質問が寄せられ、それに対して番組中に回答する形式が多い。たぶん、生放送がやりにくく視聴者参加という形式を敬遠する傾向があるからだろう。この場合は事前に質問の内容を読めて、下調べが可能になる。だから、回答者としては比較的楽な部類に属するはずだ。ところがラジオの相談室はそうでないものが多い。中でも聴いている人からの電話での質問にその場で答えるのは綱渡り的でさえある。なにしろ分野が決まっているとはいえ、どんな質問がやって来るのか判らない。うがった見方をすれば、こういう企画でも事前に質問者を選別しておいて、事前に決めておいた質問だけをさせるようにすれば、問題ないはずなのだが、内容を聞いているかぎりそうではなさそうだ。夏休みなど学校が休みになる期間の子ども科学相談室は、質問の質がまったく異なるし、理解力の乏しい子供からの質問であるだけに難しさはひとしおだろう。これとは別に、驚かされたのは園芸と医療の相談だ。園芸は植物の育て方といえば簡単に聞こえるが、それぞれの特徴をつかんだうえでその説明をせねばならないから、かなり広い知識が要求される。そういうものをさらりとやっている人はすごいと思ってしまう。医療は子育ての相談に関しては以前ここでも書いたことがあるが、もう一つ毎回感心するものに漢方の相談がある。大学の先生だったと思うが、西洋医学の病気の名前とそれに対して有効と考えられる漢方の薬の名前をスラスラと出してくる。まあ専門家なのだから当り前といえば当り前なのだが、あの難しい漢字の並んだ漢方薬の名前がバンバンでてくるのだ。名前が聞き取れなくて、質問している方が何度も聞き返しているのをみると、いかに難しい名前が連なっているのか判る。この病気にはこの名前の漢方薬、などと言われても、とても覚えられるものではない。そこが専門家として当然のこと、と言われればその通りである。でも、その場で質問者から病名が出てこなくても、症状からそれを類推して、可能性のありそうな病名を指摘し、それに効果があると言われる薬の名前を出していく。そんな流れが淀みなく出てくるのはやはり流石というしかない。ただ知っているという人たちとは一段違ったところにいるように思えてくるのだ。

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11月16日(土)−深雪

 ずいぶんと寒くなってきて、日本各地から雪の便りが聞かれるようになってきた。ついこの間までは、鳥取の大山などの山の上に初冠雪が見られたといった便りだけだったが、最近は山間部だけでなく、平野部での積雪の便りが聞かれる。それでもまだ、北海道などの北の地方が中心で、本州の日本海側などは雪交じりの雨とか、霙とか、地表面の温度だけでなく、上空の温度も雪になるには不十分な低さなのだろう。
 本州の日本海側は、冬に入って、日本周辺の天気図がいわゆる西高東低の冬型の気圧配置になり、シベリアからの寒気が降りてくるようになると、雪が降り出す。以前降水ベルトの時に書いたように、この地帯は冬にかなりの降水量がある。これがつまり雪の量が多い、豪雪地帯と呼ばれる所以である。どれだけ雪の量が多いのか、と言っても最近は昔ほどの量ではなくなり、暖冬のせいなのか他の要因なのかよくわからないところであるが、雪深い時期には二階から出入りしたとか、他の地方の人たちから見るとまったく想像がつかない様子だ。世界を見渡しても、人が沢山住んでいる地域でこれほど雪の多いところは少ないそうだ。確かに、山奥へ行けば積雪量が10メートルになるところも珍しくない。しかし、そんなところに人は住んでいないのである。それに対して、新潟県の長岡周辺の地域はかなりの人口を抱えているにも関わらず、冬の積雪量は3メートル、4メートル、時には6メートルを越えたこともあったらしい。どんな状況なのかさっぱり判らないが、それを認識するために役立つかも知れないものがある。こういう豪雪地帯を走る旧国鉄、現JRの飯山線の森宮野原という駅に記念碑のような物が立っているそうだ。記念碑というより柱と呼んだ方が良いのかも知れないが、高さ7メートル余りの白い棒である。旧国鉄時代に鉄道の駅で記録された最高積雪量の記念とのことだ。テレビで紹介していたのをたまたま見たのだが、とんでもない高さである。棒高跳びの世界記録は6メートルを越えているが、それよりもさらに高い。普通の家なら4階の高さになりそうだし、ビルでも3階くらいだろうか。この積雪が駅で記録されたことがすごいわけで、駅があるということはその周辺に人が住んでいる証拠なのだ。そんなところに、これほどの雪が降ったことがあるというのは驚くしかない。今でも、その駅の周辺では冬本番には、一日に二度除雪車が出動するのだそうだ。もう、あんなに雪は降らなくなったとはいえ、列車をきちんと通らせるためには、それだけ必要なのだそうだ。雪がめったに降らない地方に育った者には、雪は珍しく嬉しいものだが、雪が沢山降るところでは迷惑なものであることがよく判った気がした。

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11月15日(金)−寵遇

 自分の才能を活かして仕事をしている人はどのくらいの割合いるのだろうか。才能と言っても色々とあるが、たとえば普通の会社でもいろんな活かし方があるのだと思う。技術畑でじっくりと仕事をしたほうが良い人、営業畑で人との関わりをうまく活かせる人、人の上に立って全体のバランスをとりながら動かせる人、人の下で上からの指示を活かしながら上手くまとめる人、こういうのを才能というとおかしく聞こえるかも知れないが、性格も才能の一つだからまあ良いだろう。
 才能を活かす職業と言われて、ほとんどの人が思い浮かべるのは芸術家ではないだろうか。画家、音楽家、作家など、次から次へと浮かんできそうである。しかし、活かすことができたのは運の良かったほんの一部の人たちだけで、ほとんどの人たちは挫折を繰り返して去っていく。そんな不安定なものだけに、芸術活動を行っている人たちは好きでやっているに違いないと決めつけてしまうことが多いようだ。本当に生活ということを考えたら、そんないい加減なことはできないはず、という先入観が何処かにあるのだろう。ある展覧会の行事として開催されたシンポジウムでも、陶芸家、彫刻家、染織家と呼ばれる人たちにどうやって活動を続けているのかという質問が出されていた。答えは、悲惨な状況を明るく伝えるものだったが、そんなところを見て、やっぱり好きだからと思った人も多いのだろう。先日のラジオで文化芸術の振興という話題が取り上げられていた。文化庁が審議会を構成して、振興を図るための方策を検討してもらったという話だ。東大教授、西洋美術館館長などを歴任し、その分野では大家と言われる高階秀爾を会長とする審議会が基本方針なるものの答申案を出した。これは元々昨年「文化芸術振興基本法」なる法律が施行されたことによるものだそうだ。そんな法律があったのかというのが第一印象だが、やはり好きなものが勝手にという世の中の「常識」を変えていくためにはどうすべきかということが問題になっているらしい。今回の答申案に対しても、公からのコメントを求めているそうで、そのためのサイトが設置されている。経済状態が悪くなっている今だからこそ、こういうことを支える方策を真剣に考えるべきであるという主旨らしい。この答申案には審議会からのものとしては異例の文章が加えられているので、その紹介も兼ねてここでリンクを張っておく。ぜひ読みに行って欲しい。それは「大地からの手紙」と名付けられた文章で、委員の人たちがどうしても一言付け加えておきたいという気持ちを持ったために、慣例を破って付け加えられたとラジオでは伝えていた。どんなものなのかは、読んでみてのお楽しみ。欧米では伝統的に王様や金持ちが芸術家のパトロンとなり支えてきたが、日本は文化芸術を一般市民の立場から支えてきた珍しい国と言われている。そういう伝統を守るためには何が必要なのか、今何をすべきなのか、そんなことをたまには考えるのも良いのかも知れない。

「文化芸術の振興に関する基本的な方針について(答申案)」に関するパブリックコメントの実施について


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11月14日(木)−裏年

 秋は食べ物が美味しいと書く機会がほとんど無いまま、寒くなってしまった。旬の食べ物としては、野菜などにはほとんど季節感が無くなってしまったが、果物にはまだそういった季節感が残っているものが多い。林檎も美味しくなってきたし、蜜柑もそれらしくなってきた。でも、この時期はやはり柿ではないだろうか。ただ、最近の子供は柿を食べないと言われるらしく、あの甘さを好きではないのかなと思ったりする。
 車を運転していても、道端に柿の木を植えてあるところが多く、綺麗に色づいているのを見かける。ただ、あそこまで色づいてしまったのを放置してあるということは、やはり渋柿なのだなと納得する。甘柿で一番好きなのは富有柿で、これは岐阜県の大垣周辺で作られたものだ。あの辺りに行くと柿の畑ばかりで驚いてしまう。熟れる時期がずれるようにしてあるらしく、かなり長い期間道端に販売所ができている。柿は本来渋柿になるものらしく、甘柿にするためには接ぎ木をしなければならないと聞いたことがある。だから、園芸店で売られている木はそういった処理を施したものらしい。また、柿の実をならせるためには近くに違った品種の柿の木を植えておくのが良いそうだ。他家受粉だとうまく行くのだそうで、自家受粉は駄目で実が小さいときに落ちてしまうのだとラジオの園芸相談でやっていた。そのままでは渋柿になるということで、実家で昔食べた富有柿の種を庭に捨てたところから出てきた柿の木は二本とも渋柿である。実の形が違うから、同じ富有柿でも違ったものがなったのか、それとも本当は違った柿の種から出たものなのか、今となってはわからない。いずれにしても、違った品種ということで毎年沢山の実を付ける。しかし、渋柿である、誰も盗んではいかないし、そのまま食べようという気にもならない。以前はそのまま放っておいたのだが、いくら野鳥が食べると言っても、食べ残しの熟れた柿の実が地面に落ちて、何とも言えない状態になる。これではいけないということで渋柿を採って、二年ほど前から干し柿を作り始めた。始めはどういうふうに作っていいのかさっぱりわからなかったから、皮を剥いて、物干竿から紐で吊るして数十個ほど作ったろうか。意外に簡単にできることがわかったので、去年は200個ほど作ってみた。しかし、これは大変である、毎晩毎晩、夜なべ仕事となる。なにしろ放っておいたら熟れて腐ってしまうから、早く皮剥きをせねばならない。それでもまあまあのものができたが、今でも三分の一くらい残ったままである。自分以外は家族は誰も食べないからだ。今年も100個ほど実家から持って帰ってきた。今年は裏年、去年は生り年だったのだろう。さて、時間があるかどうか、ちょっと不安だが、まあ何とかなるだろう。

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11月13日(水)−cheap

 このところ、道路工事ばかりが目に付く。以前だと、年度末に年度予算の消化のための道路工事が横行していて、世論の攻撃の的になっていたが、最近は年がら年中何処かで工事が行われている感じがする。高速道路や自動車専用道では期間を決めて、閉鎖するなり車線規制するなり、なるべく短期間に集中させることによって、利用者の心理的な負担を減らそうとしているようだ。
 それにしても何でこんなに工事をしなければならないのか、と考えながら様子を見ていると、道路の傷みが激しいことがわかってくる。高速道路でも一日の交通量はかなりのものである。確かに北の方の地の果て高速道路では一日の交通量が熊一頭などというところもあるようだが、人が沢山住んでいる地域を結ぶものではそんなことはない。それも、一般の自動車ならば重さも大したことはないが、大型トレーラーとなるとかなりの重さである。支える道路にとってはかなりの負荷になっているのだろう。以前は過積載がかなり問題になり、最近は入り口でチェックをしている高速道路も多くなったが、最大積載量未満でも重さとしては何十トンにもなる。そう考えると数年に一度の工事も止むを得ないのかなと思えてくる。工事の時に表面を剥がしているのを見ると、その下の基礎にひび割れなどが見えるところもあるのだから、安全のためにも必要なのだなと納得せざるを得ない。一方で、同じ重さを支える道路として国道の役割も大切である。一桁、二桁の番号がついた国道であれば、主要な道路としてその管理もかなりきちんと行われているし、おそらく道路の質としても高いものが多い。ところが三桁の国道、それも一番上の桁が3とか4とかになっているものだと、そうはいかない。元々大形の車が頻繁に通ることを想定していないから、道路が車の重さに耐えきれずに波打ったようになる。いわゆる、轍ができるわけだ。これはかなり危険である。真直ぐに走ろうとしていても轍にハンドルを取られて蛇行することもあるし、雨など降れば水たまりができて非常に危険である。大型車が頻繁に通らないと想定していたのに、色んな要因から抜け道として知られるようになり、交通量が増してあっという間に傷んでしまったところも多いようだ。表面の舗装だけでなく、基礎工事からしっかりしないと重さに耐えられないようなので、こういう道路を補修するのは根本的なところから始めなくてはならず、かなりの予算と労力を必要とするらしい。三桁の国道にそれを注ぎ込むのはたぶん中々難しいのだろう。時には大型車両通行禁止のところを通っている違反車両もあるから、取り締まりとかそういった観点からも考えなければならないと思う。今はどんな状態になっているのか知らないが、日本で一番危険な高速道路として知られていた東北自動車道はどうなったのだろうか。あそこも大型車両の通行が予想以上にあったらしく、道路の至る所に轍ができてスリリングな運転を強要されていた。有名な事故多発地帯もあったが、どうなったのだろうか。まあ予想外れだとしても、建設費をけちったのは明白で、その結果といえばそれまでなのだが。

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11月12日(火)−首傾

 二週間ほど前に首の後にピキッと電流が走ったような感覚があった。それから首が回らなくなっている。何も借金が嵩んでいるわけではない、一応明朗会計、何も危ないことはしていない。しかし、首の痛みは肩にまで及び、ちょっと困った状態だ。徐々に改善されているが、中々元には戻らない。難しいものである。
 こういう話を始めると人から必ず触れられる話がある。年齢に関わるものだが、四十肩とか五十肩とか呼ばれているあれである。齢を重ねることによって出てくる症状だからこんな呼ばれ方をしているが、実際には肩関節周囲炎という正式な病名があるらしい。四十代とか五十代だけでなく、人によっては三十代でも症状が出るらしいし、反対に六十代、七十代になって初めてなるということもあるようだ。そういう人たちは嬉々として四十肩とか五十肩とか、自分の病名を呼んでいるそうだ。若返ったような気持ちになるのだろう、よく判る気がする。しかし、そうは言っても老化は老化である。原因としては肩の周囲の筋肉が衰えて、筋力が低下することによって、肩関節の摩耗などが起きて炎症が出るらしいのだが、腕が肩より上に上がらないとか、背中で両手の手の平を合わせることができないとか、関節の痛みなどでかなりの不自由を強いられるらしい。結局炎症であるから、患部を冷やすとか安静にしておくとか、そんな治療法しかないようだが、逆に言えばそれで痛みがおさまれば良いということなのだろう。炎症が引いた後に筋力を回復する運動などを実施すれば元通りとはいかないまでも、まあまあ生活に支障の出ることはないところまで戻るようである。これとは違うが、三十代になりたての頃、テニスでハイボレーをしたときに肩がグキッと鳴って、しばらく動かなくなった。脱臼のし損ないか捻挫といったところだろうか、筋力が落ちたから肩関節を支えられなくなったのだと指摘していた人もいたが、じっくりと一年ほどかけて回復した。サーブも問題なく打てるようになり、野球も普通にできるようになったから、まあ良いと言うべきなのだろうが、どうも肩の上に突起が出てきてしまった。左肩にはないから、たぶんその時起きた何かが原因なのだろう。まったく不思議な感じがする。しかし、突き指した指の関節が太くなることを考えるとこれもまたそんなものなのか、と思えてしまう。ちょっと何処かおかしくなると、こんな風に色々と考えてしまうものだ。まあ簡単に言ってしまえば、老化、この言い方が嫌なら、加齢現象。あんまり気にしていても仕方のないようだ。それが嫌で、日頃から努力する気になるのなら話は別なのだが。

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11月11日(月)−批判と悲観

 批判的な書き方が多いからよく誤解をされることがあるのだが、辛口の独り言を、と思っているわけではない。元々批判的に物事を見る癖がついているのだと思う。そういうものがどんな職に就くのか、ということにも影響したのかも知れないが、今はそういう性癖を活かすことができるようなことをしていると思っている。
 批判的というと、誰しもつい他人の意見に対して文句を言うことと考えてしまいがちである。確かに、総体的に見ても文句のほうがやたらに多いし、何を言われてもそれに反対しているだけのように見えるのかも知れない。ここで言い訳をするつもりはないが、一つだけ自分自身で意識していることを書いておくと、他人だけでなく自分に対しても批判的な目を持って見るように心がけている。これが自分自身が今の職業にむいていると考える理由の一つだ。そういうことを踏まえたうえで、今度は批判的な見方、書き方が本当に非生産的な、ただ反対するだけのものなのかということを考えてみよう。誰だって面倒だと思えばある提案に対して反対するより賛成して、やり過ごしてしまうのが簡単である。もし後先のことを考えなくて済むのならば、そうしてしまう人の方が多いのだろう。しかし、実際には簡単に下を向いたまま賛成票を入れる人よりも、一言二言問題点と思えるところを指摘して、それらの問題点にに対する解決を図っていくという手順を追う人の方が多いのではないだろうか。そんなことを言っても、お役所や会社の重役会議はそうじゃないよ、という声が聞こえてきそうだが、あれだって根回しという術を駆使して何とかやっている面もあるから、すべてがなんでも良いと無責任に決めているわけではないだろう。何か指摘すると細かいことを言うやつだ、と逆に批判されることもあるが、その問題に気がつかない人もいるわけだから、指摘することの是非を問題の大小だけで論じて欲しくない気がする。この話からは少しずれてしまうが、実際には、批判的な考えを提出することの問題よりも、悲観的な方向への議論を展開する問題のほうが大きいと思う。批判と悲観は響きは似ているが、まったく違った観点のものだ。先日も週末の朝の民放テレビの政治討論番組で日本の経済の将来について政府のやり方の批判をしているうちに、いつの間にか悲観論が場を占めてしまうことがあった。すると、それまで批判ばかりしていた人たちが慌ててその悲観論を否定し、日本は捨てたものじゃない、中国になど負けない、大丈夫、大丈夫、と連呼するのには笑ってしまった。たぶんあの人たちは本心から大丈夫だと思っているのだろうな、と思ったわけだ。でも評論家、政治家という立場から批判せねばならず、それが時には悲観に結びつく危険性があるわけだ。本当は、その点も含めて悲観にならない批判を心がけねばならないのかも知れない、生産的な議論のためにも。

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