パンチの独り言

(2002年12月23日〜12月29日)
(水と油、鵜の目、break、通夜、適性、伝達、再発掘)



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12月29日(日)−再発掘

 日本人は自分達が中くらいと見られることに安心感を抱くようだが、その一方でランキングが大好きという変わった傾向を持つようだ。毎年暮れになると必ずと言っていいほど取り上げられるのが十大ニュースで、以前なら一組しか出てこなかったのに最近では各分野ごとにまとめられるから大変な量になる。それとは別にベスト100などという番組がでてきて、毎週手をかえ品をかえ続くのだから驚きだ。
 このサイトとて例外ではなく、管理人の身勝手で同じようなことを今年も行ったが、去年との違いは世相を反映したものを候補が上がったことだろう。サイトに関わる印象的な出来事が少なかったこともあるが、どうも世間の方に興味深いことが多かったせいなのだろうか。とはいえ、政治の方は相変わらずの茶番劇の連続だし、自画自賛を繰り返し、相手方の攻撃に腐心する人々を眺めているのも、もうとっくの昔に飽き飽きしている。世の中の歪みはかなりのところまで来てしまって、このままではだめなのではないかなどという声も良く聞こえるが、よそ様が何をしようが構わないという気持ちがちょっと変われば何とかなるのではという気もする。結局、各人の心の持ちようにはあまり変化がなく、きちんとやっている人はちゃんとそのままなのだから、安心といえば安心という気になるのだ。悲観的な見方をすればするほど注目される評論家的な立場の人々は別にして、一般の人々までもが同じような見方になる必要はない。特に、それによって自らを卑下するような考えに陥るのは本当に馬鹿げたことだと思うし、そんなことで何かが変わるとも思えない。卑下というのは単に思い込みから自分を低く見るだけのことで、正しい評価を下しているわけではない。自分を正しく評価することができてこそ、他の人の評価もきちんとできるようになると思う。まあ、これは逆も言えるわけで、他人を評価できない者が自分を正しく見ているとは思えないわけだけれども。これまでにも何度か書いたことだが、自分に自信を持つべきだと思う。なんでもできる人間であると思え、という意味ではなく、自分にできることをきちんと見きわめ、それについては自信を持ちなさい、という意味である。自分にできないことを見つけるのは簡単なのだが、これなら自分にできるということを見つけるのは結構難しい。できるかできないかはやってみなければわからないから、やったことがないものはすべてできないと片付けられるし、何かをやるにはそれなりの決心が必要だ。結局自分で動かずに、そのままやり過ごし、何もできないと片付けるのが、一見簡単なことに思える。でも、それでは何も変わらない。変えてもらうという考えもあるのだろうが、それもこの頃の世相を見ていると中々難しくなりつつある。こういう時だからこそ、潜在しているものも含めて、自分の持っている能力を見直したり、試したり、引き出したり、そんなことをやってみては如何だろうか。来年こそは、という気持ちがあるうちは、まだまだやれそうなのだから。

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12月28日(土)−伝達

 昔は気がつかなかっただけかも知れないが、最近道を歩いていて手話を使って会話している人々をよく見かけるようになった。聾唖者がほとんどだと思うが、中にはそうでない人でも相手が聾唖者ということで手話を使っているのかも知れない。始めの頃は何をしているのだろうかと不審に思えたこともあるが、最近はテレビでも手話ニュースがあるし、ドラマで使われたこともあるから、ごく当り前の風景になりつつあるようだ。
 手話は全くわからないが、言葉を身振り手振りで表現するために色々な工夫がなされていることは理解できる。「〜したい」と表現するために、ネクタイの真似をするのを見た時は、なるほどと思ったものだ。ただ、そういう工夫がなされたがために、手話にもそれぞれの国の言葉ができてしまって、通訳が必要となってしまったようだ。最近の様子は知らないが、話し言葉を手話に訳す手話通訳だけでは、国際会議のようなものは運営できないのではなかろうか。外国語から母国語への手話の同時通訳というものがどの程度普及しているのか知らないが、これからさらに必要性が高まると思う。手話は本人が音としての言葉を出さないかぎり非常に静かなものである。だから、人込みでも気にせずに話せるし、静かにしなければならない場でも問題をあまり生じない。そういう意味で中々便利なものだなあ、と思っていたのだが、ある時問題があるかも知れないと思えることに遭遇した。自分自身がかかわったのではなく、テレビの討論番組での出来事だが、アメリカの三大ネットワークの一つで長年続いている時事討論番組で、聾唖者の問題を論じていたことがあった。その時ゲストとして呼ばれた聾唖者は、当然手話を用いて話をして、それを通訳が音声にして、他の人々に伝える形式をとっていた。一つのスタジオに皆が集まり討論をするのであれば、おそらく問題もなかったのだろうが、この番組ではしばしばNew YorkとLos AngelesとかWashington D.C.とを結んで、話しあうというやり方を使っており、その時も確か2ヶ所か3ヶ所を結んでいた。主体となっているスタジオに数人のゲストと司会者が、そして他のスタジオにもゲストがいて、それぞれが話をするわけだが、特に他のスタジオのゲストはテレビカメラに向かって話しているから、討論の進行具合は音声からしか把握できない。耳が聞こえればそれで問題はないが、聾唖者には聞こえず、他の人が話している最中にもどうしても手話通訳の通訳が遅れてしまうので、手話で話し始めることが多かった。そこまでで、手話通訳がそれを音声にしないか、誰かが聾唖者にきちんと状況を伝えるすべを用意しておけば、何の問題もなかったのだろうが、通訳は律義にすべてを通訳し、司会者や他のゲストが話していてもそこにずかずかと入り込んでしまった。複数の人が同時に話しているのだから、当然、番組は大混乱状態に陥った。数分間そんな状態が続いた後で、司会者が聾唖者に発言を控えさせ、調整を図ることによって、その後はほとんど問題なく番組は進行したのだが、発言を止めさせられた聾唖者の反応が何とも言えない感じで印象的だった。ハンディキャップということからすると、また弱者にされたといった気持ちだったのかな、と思えたからだ。この例は、番組の企画者の配慮の不足が産んだものだと思うが、意外な面を見せてくれたように思う。各人が一生懸命であったが故のことなのだろうが。

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12月27日(金)−適性

 何となく慌ただしくて、落ち着いてものを考える時間が持てていないような気がする。12月は師走と書いて、先生が走り回る月、などという声も聞こえてくるが、本当はそんな意味ではないと思う。老師とはどんな人を指すのかを考えると、そちらのことかなという気もしてくる。まあ、どちらにしても、誰にとっても年の瀬は慌ただしいものだ。
 教師といえば、最近能力の低い教師の再教育みたいな企画が出てきているようだ。まるで最近の教師の能力の低下が大問題とでも言わんばかりの話だが、こんなことは昔からよく聞かれた。教員試験を優秀な成績で合格し、その後の面接もそつなくこなした人が、いざ実際に教壇に立ってみるととりとめのない、とても教えるとは呼べない行動に出る。もう30年近く前に、中学時代の恩師から聞いた実話である。結局、その学校では問題教師に授業をさせないのではなく、授業時間中にもう一人の教師が教室の後で観察することで、何とか形を整えさせようとしたようだ。観察というより、これは監視というべきなのかも知れないが、実際にそれが効果を生みだしたかどうかは、その後の経過を伺っていないのでわからないが、いずれにしてもその人の教員生活が長く続いたとは思えない。学力優秀であっても、教壇で大勢の生徒の目の前できちんとした行動がとれない先生というのは、かなりの無理があるように思えるからだ。そこまでは行かなくても、指導要領とは全く異なる内容の授業を延々と続ける先生というのはどこにでもいるようだし、逆にそれによって興味を持つことができた生徒というのもいる。ただこれも程度問題で、自分の主義主張を生徒に押し付けるところまでいくとやり過ぎと言われることが多い。こういうことは社会科の先生に多くいたと時々聞くのだが、幸いそういう人に接したことはない。最も問題となるのは、暴力と授業拒否だろう。上に挙げた例はどちらかというと授業拒否に近い形である。暴力も、中学、高校となってくると体力的にも対等になってくるから、一方的とはならないのだろうが、小学生相手にそういう張りきり方をする人がいるから困ったものである。実際に経験したことだが、中学の担当から小学校に降りてきた教師が一年間暴君さながらの様相を呈したことは忘れられない。その後はかなりの変化を見せたようだが、そこだけを経験した者にとってはただ恐怖心だけが残ってしまった。現在進められている再教育とでも言うべきシステムにおいては、問題教師をリストアップして、時間をかけて矯正するようだが、はたして効果が得られるものなのか、またそういうシステムが現場の教師に対してかけるかも知れぬ見えない圧力はどの程度のものなのか、これから問題が徐々に明らかになっていくのだろう。まあ、ある研究都市で、親の参観日に教え方の稚拙さを指摘され、生徒の母親に教え方を教授された先生、などという笑い話とも受取れる噂もあるくらいだから、見方によってはどこにでもある話だろう。下手な教師だったら、話を聞かずに、こっちで勝手にやる、という生徒の話は遠い昔のことなのだろう。

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12月26日(木)−通夜

 どうも今年は訃報に接することが多かったせいか、暮れもおしせまったこの時期にもう一つ舞い込んできた。ずっと昔からの知り合いで、ずいぶん長いことお世話になった人だったが、最後にお会いしたのは去年の春だったろうか、若い頃から痩せていた人だが、その頃には一段と細くなっていたような印象を持った。今年も何度か会えそうな気がしていたが、いつも欠席ということで、何となくという気はしていたのだが。
 この時期の訃報はこれで二度目、もう10年ほど前になるだろうか、これも長い付き合いだった人が単身赴任先で倒れて帰らぬ人となった。忘年会のあと、連絡が途絶えた末のことで、飲み友達に言わせるとその日は酒量が少なかったとのこと、水割りたった7杯。これが少ないかどうかは人それぞれだろうが酒豪で名を馳せた人だからこその送る言葉かもしれない。この人は硬派な感じに似合わず、マリリン・モンローのファンで彼女の墓への案内を頼まれたこともある。訃報を聞いた時には、ジョー・ディマジオから送られる赤いバラの花がいけられた墓の前で、嬉しそうに写真に写っていた姿を思い出したりした。さて、今年は訃報が多い割には葬儀に行く機会はなかった。後日知らされるということが多く、全て終わったあとだったからだ。今回は事前に知らせがあったこともあり、通夜にだけ出てきた。葬儀は平日の昼ということもあり、また衣服の問題などもあるから、普段着で出かけられる通夜ならばということで出かけた。火葬場の周辺にたてられた幾つかの葬儀場のうちの市立の所で営まれた通夜には、ちょっと遅れて駆け付けたのだが、一面真っ黒な状況で、白っぽい服を着ているのは自分一人。通夜と言っても、皆準備をしてやってくるのだなあと、妙に感心しながら知り合いと話をしていたら、最近はそういう傾向にあるのだとか。駅から乗ったタクシーの運転手も言っていたように、この頃は葬儀社とか葬儀屋とかが仕切る葬儀が多くなってきたから、自宅での通夜や葬儀などもほとんど無くなり、近所から駆け付けてくるなどということも無くなっている。葬儀屋だけが儲けているのだと、運転手は言い捨てていたが、そういう状況になればなるほどの結果なのかもしれない。さすがに黒づくめの中で白いのが焼香の列に並ぶわけにもいかないから、列が絶えるまで待ち、そろそろということで焼香してきた。最後は30キロほどになったとのことで、顔かたちも変わってしまい、なんとも寂しげな死に顔だったが、遺族に挨拶して、こちらのことを思い出してくれたのが、救いだったろうか。どうも苦手な一瞬で、まともな挨拶もできないのだが、せめていっときでも明るさが戻ってくれればと思い、場にそぐわない雰囲気になることもしばしば。明るく送ることが、と思うのだが、まるで合わせたように、行きも帰りも冷たい雨が降り続いていた。

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12月25日(水)−break

 いつ頃からか一日に書く独り言が徐々に長くなり、最近では、以前の1.5倍くらいになっているのではないだろうか。話の展開が二転三転するようになって、自然と長くなってしまっただけなのだが、読む方にとっては面倒になっているのかも知れない。書く方はと言うと、以前に比べると書くために要する時間が大体2倍になっているようだ。今では見直しを含めると30分くらいが平均だろうか。
 まあ、そのくらいの時間をかけることは大した問題ではないのだが、話が二転三転するとなると、中々うまくまとまらないことが多くて、そちらの方で苦労することが多い。うまく分けられれば、二日分になりそうなことでも、つい調子に乗って書いて、一日に押し込んでしまって、後で悔やむこともある。特に、材料に事欠くようになってくると、その辺りの調整が必要なのかも知れないと思うことがしばしばである。まあ、そんなことを言っていても、そんなにうまく調節できるわけではないから、結局のところ、その場しのぎの話作りという羽目に陥るのだが、それでも何とかここまで持たせてきた。あと少しで新しい年を迎えることになるから、そこまで来ればあと3ヶ月、何となく先が見えてくる感じがする。やっと来た、なのか、まだまだ、なのか、あまり実感はないのだけれども。最近は草花の話題を取り上げることが少なくなっているが、なにしろ周囲に花を見かけることが少なくなっているので仕方がない。自然絡みの話は、やはり冬になると少なくなってしまうものらしい。実際にそういう経験がないので、あまり深刻に考えてこなかったが、この頃は世相を反映したものが増えているような気がする。特に、不況、不況と、世の中では連呼されているから、ついそれに反発することを書いたり、物事の見方によって違った解釈ができるのではないかと紹介したり、そんな構成が多いのではないだろうか。現実を直視していないという批判が来る場合もあると思うのだが、どうも一方でそれと逆のことが世間一般に行われているような気がしてしまうから、始末に終えない。見方次第でこんなに変わるものだ、などと紹介しても、本当の意味での当事者にとっては、現実離れした、能天気な解釈としか映らないのかも知れない。まあ、それでも、そういう変わった見方をする人が世の中にいてもいいのではないか、などと勝手な解釈をして、勝手なおしゃべりである独り言を書き続けているわけだ。ここまで来たからには、やはり、一周回してみたいという気が強くなる。どうなることか、ちょっぴり不安な面もあるが、まあ何とかなるのではという楽観論もある。年の瀬で、こちらのアイデアの方も、かなり崖っぷちに立たされているような気がするが、ここからしばらくの間何とかしのいでいこうと思っている。はて、さて、それにしても今日のやつはどう考えても、息抜き、いや手抜きだな。

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12月24日(火)−鵜の目

 裏のため池を眺めていたら、何羽か水鳥がいた。いつもならもっと沢山来ているはずなのだが、今年は特に少ないような気がする。その中にひときわ大きな黒い鳥がいた。遠目でも嘴の曲がり具合からたぶん鵜だろうなと想像がつく。早速双眼鏡を覗き込んだら、ふっといなくなってしまった。飛び去ったのかと思ったが、実際には餌をとっていたようだ。
 鵜が水に潜って魚を獲る習性をもつことは、鵜飼いという伝統からわかっているが、実際に目の前にいたはずの鳥が消えると慌ててしまうものらしい。よく見ていると、パッと潜って、30秒から一分ほど経過してから、元の場所とは違うところに浮かんでくる。魚を捕まえたのかどうか、こちらからはわかるはずもないが、たぶん何かを捕まえているのだろう。しばらくの間その池に留まっていた。時々やって来る釣り人の様子を見ているかぎり、その池にいるのはおそらくブラックバスなのだと思う。水温もかなり下がってきたから、動きも鈍くて、捕まえやすくなっているのかも知れないが、どうなのだろう。内陸部の池だから、この鵜はたぶんカワウだと思うが、実際に鵜飼に使われる鵜はウミウだそうだ。おそらく日本で一番有名な岐阜の長良川の鵜飼いでも、使われているのはウミウで、捕まえてきて訓練してから実際に舞台に出すのだそうだ。まあ、勝手な動きをされても困るし、隣の鳥の縄と絡んでも色々と困るだろう。訓練の様子がしばしばニュースで取り上げられているが、あれは春だったのだろうか、よくあんな漁法を編み出したものだと感心する。ウミウの話題で思い出すのは、ずっと昔愛知県の知多半島を縦断する有料道路を建設するにあたって、計画地の周囲にあるウミウの営巣地の調査が行われたことだ。これは、野鳥の会の役目だったらしく、ある公立高校の先生が模型飛行機にカメラを積んで、上空から営巣地付近の撮影を行うことで、実態を調査していた。ウミウの黒い身体はこういうときに便利らしく、写真の上では樹に黒い塊がとまっているように見えるのだそうだ。こういう形で調査した結果、かなり近いところを道路が通ることになり、車の騒音やヘッドライトの光がウミウの繁殖に悪影響を及ぼす恐れがあるということで、結局道路を高くて湾曲した壁で覆ってしまったのだと記憶している。この調査に当たった先生はその方面ではかなり有名な人で、教育テレビのローカル番組にでも出演していた。その数年前だろうか、番組の中で貴重な体験の話をしていた。最近、野鳥保護の観点から、ごみ処理場の建設が中止されたある干潟の近くで、30年以上前のことだろうか、ある夏の日の夕方干潟の野鳥の観察を行っていたそうだ。夏の夕方といえば、よく夕立がやって来る。その日もほとんど何の前触れもなく、黒雲が現れ、ゴロゴロときた。さて、雷を避けなければならないから何処か隠れる場所を、と思ったら、干潟のど真ん中では何も遮るものはなく、その上一番背の高いものといえば、自分自身ということに気がついた。その辺りの話を面白おかしく話してくれたのだが、結局ベルトをはずしたりの大騒ぎの末、何も起きなかったのだそうだ。とても面白い人で、それから10年ほどして会う機会があったのだが、結構人気のある生物の先生だった。以前は高校だけでなく、中学にも、小学校にも、こんな面白い先生がいたようだが、最近はどうなのだろうか。先生として本当に優秀だったのかどうかは別にして、人間として魅力を持っていることはとても重要だったような気がする。

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12月23日(月)−水と油

 そろそろ年末の大掃除というところも多いのだろうか。子供のころはかなり大掛かりなことをやっていた気がする。今のように、ガス台の周り、換気扇、サッシの窓ガラスといったものはなかったが、各部屋の畳をあげ、家の前の道に立て掛けて、パンパンと叩いていたような記憶がある。ただ、これが年末だったのか、違う時期だったのか、はっきりしない。いずれにしても、一騒動だったことだけは覚えている。
 掃除について、先日読んだ本に面白いことが書いてあった。私達の身体の中でも掃除をするところがあるというのだ。消化、吸収をした後の排泄という意味ではなく、身体にとって有害なものを排泄したり、分解することである。尿とともに体外に出すという意味では、腎臓が重要な役割をしているが、それだけでは身体の中の掃除はできない。尿は水が主体だから、水に溶けるものしか効率良く排泄できないからだ。本に書いてあったのは、ある器官で水に溶けにくいものを溶けやすくする作用をもつ酵素が働いているということだった。水に溶けやすくすれば体外に出やすくなるが、水に溶けにくい、つまり油に溶けやすいものであれば、脂肪組織の中に蓄積して体外に出にくくなる。たとえば、ビタミンCやBなどの水溶性ビタミンは摂取後速やかに尿と一緒に排泄されるが、ビタミンAやEの脂溶性ビタミンは脂肪組織に蓄積しやすい。これらのビタミンは摂り過ぎに注意せよと言われるのはそのためだ。とにかく、そういう作用をもつ器官である肝臓は、単にアルコールなどの分解をするだけでなく、脂溶性の物質を水に溶けやすいものに変化させる作用ももつ。これは、換気扇やガス台周りの掃除で油を溶かすことが肝心であることと何となく似ているような気がする。この場合、強力なアルカリ洗剤を使うと簡単だと聞いたことがあるが、皮膚も溶けるから要注意で、当然市販されていない。水と油の話で、もう一つ思い出すのは、汚れが付きにくいように被膜を付けるという方法だ。被膜で覆うという考えは同じでも、まったく反対の作用をもつ膜を使う方法がある。一つはシリコンコートと呼ばれる水をはじく撥水性の膜を付ける方法で、もう一つは酸化チタンコートで水となじみ易い膜を付ける方法である。始めは汚れた水をはじくことが汚れを付かなくするために重要であると考えられた。しかし、時間が経過するとともに悲惨な結果が見られるようになったのだそうだ。特に、建物の外壁を撥水性の膜で処理をした場合、始めのうちは水をはじいていて、とてもきれいに見えたのだが、時間が経つとともに黒ずんでしまった。この汚れを落とそうと外壁を洗浄したが、黒い汚れは強固に吸着してしまい、ちょっと洗ったくらいでは取り除けなかったのだそうだ。これは水をはじく性質のものは油となじみ易いために、油を含んだ汚れがそこに吸着して、その汚れは水には溶けないから、どんどんたまったためなのだろう。その教訓を生かして、次に開発されたものは水となじみ易い親水性の酸化チタン膜で、この場合水が汚れと膜の間に入ることで汚れが落ちやすくなる作用があるという話だ。この作用には膜に光を当てることが必要だから暗いところでは使えないが、車の塗装膜の処理や建物の外壁には向いているのかも知れない。水は世の中にある溶媒(溶かすもの)で最も優れたものの一つと言われているが、それをうまく利用することが掃除を楽にすることに繋がるのだろう。いずれにしても、きれいに保とうという考えで、まったく反対の作用をもつものを使う案が出てくるところが不思議だ。それだけ、こういうものは複雑なものだということなのだろうか。そういえば、自動車整備工などが汚れを落とすときに油を使うというのも、油汚れが多いためなのだろうか。

(since 2002/4/3)