デフレ、デフレの大合唱で、モノの価値は下がり、消費者の購買意欲も減退し、そうなれば企業の業績も悪化するから、更に悪い方向に、という図式が色んな所で取り上げられている。まあ、確かに、そういうこともあるだろうが、バブルで大騒ぎしていたときに、必要でもないものを色んな理由をつけて買い込んでいた、そういう騒ぎの後だけに余計に気になってしまうのだろう。
そんなことが言われていても、良いモノはきちんと売れ、堅実な企業はそれなりの業績を上げている。どこに違いがあるのか、見極める目を失いかけている状況では、判断のつけようもないというか、判断しようとしないというか、そういう気持ちから変えることが本来一番簡単なはずなのに、そのことさえ思い浮かばない人たちがいるようだ。そんな中で、経済の足を引っ張っていると酷評されている人たちが思いもかけない奇策を講じ始めている。金融業は色んな制約の下にあるから、逆に優遇されている面もあるが、自分たちを変えることよりも手軽な方に考えを向ける習慣は依然としてそのままで、ここからの立ち直りを期待させないようにしているのではないかとさえ思えてくる。とても小さなことから始めるのが一番良い方法らしく、ある銀行が土曜日のATMの利用に手数料を上乗せすることがその一歩だったのだろう。一説では、土曜日に銀行の自分の口座からある金額を引き出すくらいなら、クレジットカードや貸金業から同じ金額を借りて週明けに返済したほうが手数料が少なくてすむという話だ。実際にそうなのか試したことがないし、ケースバイケースのことだろうから、すぐに信じるわけにもいかないが、自分のお金が自由にならないということ自体おかしな気がする。最近導入された奇策は、両替手数料なるもので、銀行で両替機を使うときに手数料が必要となるという話である。手数料というのは確かに手間に対する対価であるから、両替もその一つという考え方は正しいとも言える。では、何故今までそういうことをしなかったのか、という説明はどこからも出てこない。サービスという一言を使うのであれば、それができなくなった理由を示すべきではないか。この類いの話は、実は銀行振込の機械化の頃から始まっていて、銀行員が入力する手間を客に押し付けることである意味の効率化を図ったということがある。しかし、その後銀行自体は変わることなく、今も同じような形で利用者に負担を強いている。先日窓口で両替を依頼したら、丁寧な口調と共に用紙を出してきて、記入を依頼された。一万円札を五千円札に両替するのに、である。さっさと隣の郵便局に向ったが、こういう手続きの煩雑さを放置しつつ、「手間」がかかるから手数料なるものにすり替えていく態度は何だろうか。十円、一円が合わなかったから夜中まで残業していたという伝説も残っているが、その頃からのこういうシステムは変えるつもりもないのだろうか。大きなところを変えることが大切なのは当たり前だが、そのためにも細かなところも見直す気持ちも大切なのではないかと思う。何故書類の記入が必要なのか、何故この手続きが必要なのか、ずっとやって来たことだからというのでは、今の世の中誰も納得しない。
いよいよあとひと月、やっとここまでやって来たといった感じだ。まあ何とかここまで続けてきたが、これをさらに継続していくようにと言われると、ちょっと無理な気がする。まあ、そういうことを言われることもないだろうから、勝手な心配に違いないのだが、念のために書いたりしている。いい加減しつこい性格なのだろう。
何しろ題材を見つけるのが大変で、特にこのところ苦労している感じだ。一つには動植物に変化が少なく、これといったものが見当たらないことがある。四季の変化がはっきりしている日本だけに、冬の間は一部の地域を除いて、あまり大きな出来事は期待できない。何かの花が狂い咲きをしたとか、珍しい鳥がやって来たとか、そういうことは地方ごとにあるのかもしれないが、身の回りで起きることはまれで、今年もそんなことは少なかった。そんな状態ではこれといって話題になるものも見つからず、何とかつなぎになりそうなものを見つけては、生き永らえてきたという表現がぴったりかもしれない。周りに何も珍しいことが起きない、大きな変化が起きない、興味を持てそうな出来事が起きない、という繰り返しでは、なんとも書きようがない。その上、世界情勢としては、どちらかといえば暗い話題が多く、イラクや北朝鮮の問題など、こういうところで取り上げるようなものでないように思えるから、ついつい題材の枯渇が起きてしまう。変化がないという意味では、この二つの国の話題もある程度の変化が起きているように思えるが、本質的なところでの大きな変化にはつながりそうにもないし、それを不安定要因と考えている向きにはこの程度の小さな変化では何もないのと同じにみなすしかないだろう。国内の政治も小さな変化が起きたとしても、政権が揺らいでいるわけでもないし、本人達がそういう危機感を持っているわけではなさそうだから、なんとも話題に取り上げにくい状態にあると言うしかない。小さなことといえば、大きな話としてぶち上げられたアイデアが、小さな形で実行に移され、大きさの変化があったとしても実現したことが画期的という取り上げ方をするようになっているのは、なんとも守りに徹しているといった気がしてくる。まあ、過激な発言もその裏をとられたり、その後の進展を問題視されるような立場になってしまうと、窮屈にまとまるというか、話と違うといった形になるのはやむを得ないかもしれない。人それぞれ、そういうところに役割分担があるという捉え方をするのは行き過ぎなのだろうか。その人なりの仕事をさせてこそ、適材適所という考え方が最大限に活かされるわけだから、そういうところも考えに入れて色々と手を打っていく必要があるのだろう。それは末端に限ったことではなく、そこから上に上がれば上がるほど違いが大きく出るのだと思う。そうなれば、リーダーたるもの、どうあるべきか、リーダーを選ぶときには、何を注意すべきか、少しは考えるようになるだろう。
二月は走るといって、あっという間に過ぎるものという話をよく聞く。他の月の長さと比べてみたら、たった二日か三日の違いしかないから、長さそれ自体に問題があるわけでもないようだ。他の国でも同じように感じられるのかどうか判らないが、年度という習慣からすると三月の締めに向けての最後の追い込みに追われるから、そんな感じがするのかもしれない。
ただ、逆に見ると、単に終わらせる準備だけでなく、次に始めることの準備にも関わっているわけで、ちょっと暗い気持ちになっているようなときは、次の楽しみを見つけることができるのかもしれない。終わらせるべきことはきちんとまとめて、次に始めることの準備をしておかないと、その時になって慌てることになるから要注意である。将来に向けての準備を考えると、まず思い浮かぶのが老後のことだろう。先日ラジオで老人医療に関する話題を取り上げていたが、ちょっと気になったことがあった。どんな調査をしたのか、今一つ判らなかったが、病院に入院している老人の割合みたいなことだったと思う。入院患者の6割以上を老人が占める病院を対象に調査を行ったところ、全国で30万人弱の人が入院しているという話だった。30万人といえば、中程度の都市の人口に匹敵する数である。老人医療の問題は色々と深刻な面をもっており、たびたび問題とされる。以前は薬漬けにして、病院で寝たきり状態にして、管理を容易にするなどという今から見ればとんでもないことを行ったところもあったようだ。それでも、痴呆症の患者を相手に、事故などを恐れるあまり、拘束をするといった行為は今でも行われているようで、様々な形で指導や勧告をしても中々浸透しないようだ。確かに面倒をみる立場からすれば、最も簡単な方法を採用したくなるのは当たり前で、そうすれば看護にあたる人数も少なくてすむし、色んな利点があると考えたくなる。しかし、看護や治療が患者のためにあると考えると、こういう行為がいかに患者の気持ちを踏みにじっているものか理解できるのではないだろうか。もう一つ問題になっているのは投薬で、以前ほどではなくなったとはいえ、多種類、大量の薬を飲まされている患者が数多くいる。それでも、血液検査などで薬の効き目や残存量などを調べながら、投薬量を調節しているところも出ており、そういった面での配慮は徐々にだが広まっているようだ。しかし、先日聴いた話はそういった面から著しくずれたものであった。ある病院に通院していた老人患者が身体の不調から別の病院に緊急入院し、そこの医師が患者に処方されていた薬を調べたことで発覚したのだが、正確な数は覚えていないが20種類以上の薬が処方されていた。同じ病院内で処方されているが、診療科が異なっているので一元的に調整されておらず、明らかに薬による副作用と思われる症状にまで、別の薬を処方するということが繰り返されていたそうだ。70歳にでもなれば、多くの人が何らかの薬を日常的に飲んでいるだろうし、入院しないまでも通院している人はかなりの割合いると思う。しかし、患者が身体の異常を訴えるたびに、それだけに対する処置を施しているから、こんなことが起きてしまうのだ。全体的な観察が不足していたといえばそれまでだが、そういう観点が欠落しているシステムに不信感を抱いてしまう。この場合同一病院内だったからより大きな問題であると捉えることもできるが、患者が多数の病院を渡り歩く場合には全体観察が行いにくくなる。そういう点を含めて、患者本人が責任を負っているとはいえ、それ以外の面からも見守るシステムを立ち上げていかないとどうにもならないところまできているのかもしれない。
最近の財布には色んなポケットがついている。昔の財布は札入れだけのものだったり、せいぜいそれに小銭入れがついているだけのものだったが、最近のものは小さな仕切りが沢山入っている。何のためなのか、説明する必要もないだろう。カードを入れるためである。カードにもクレジットカード、金融機関のキャッシュカードなどの分厚いものから、プリペイドカードと総称される磁気カードまで色々とある。
プリペイドカードは事前にある金額を支払うことによって手に入れるカードで、前もって支払うという意味からプリペイドと呼ばれる。日本ほど多種類のプリペイドカードが導入されている国はないと思うが、とにかく色んなものに用意されている。たぶん初めて導入されたのは電話のカード、いわゆるテレホンカードだろうと思うが、公衆電話を使った長距離電話や長電話の時に沢山の小銭を用意しなくて済むから非常に便利で、一気に利用者が増えた。別にも理由があり、高額のカードを買うと購入金額よりも高い金額の利用が可能になった。銀行や郵便局の預貯金の利率がどんどん低くなっていたので、ささやかな防衛策ということも手伝って、多くの人が購入していたのではないだろうか。その一方で、さまざまな宣伝にも使われており、何の価値もない広告パンフレットを配るよりも、使うことができる広告付きテレホンカードの方が効果があると思われた。カードを挿入するだけで指定された番号に電話がかかるような仕掛けや、別の口座から電話料が引き落とされるカードなど、色々なタイプのものが導入されていた。しかし、最近では、携帯電話の普及から、設置されている公衆電話の数が減りはじめ、どうもテレホンカードの勢いも一時ほどではなくなった。一方、電話以外にもプリペイドカードは導入されている。こちらのカードは、総じてテレホンカードより一回り大きく、名刺の箱には入らないが、電車やバスなどの交通機関から、高速道路の利用、デパートなどの買物券と様々なものに導入されている。ハイウェイカードや一部の交通機関のカードには、購入金額に応じた加算金額が上乗せされているものもあるが、利便性のみの意味で導入された首都圏や関西圏の私鉄各社共通のカードには何も加算されていない。確かに一枚のカードでどの会社の鉄道やバスも利用できることは大変便利になるに違いないのだが、だからといって高額のものでも何の利点もないというのではちょっとおかしな気がする。高額なカードほど、紛失の時の被害額が大きくなるし、カード一枚あたりの発行経費は同じだけかかるわけだから、何かしらの違いがあってもよさそうな気がする。高額なカードで思い出すのはテレホンカードの高額のものが廃止されたことで、偽造カードがやたらに出回ったのに対する対抗措置であった。これによってせっかくの加算分のうまみが少なくなって、がっかりした人もいるのではないか。実は、同じ現象がハイウェイカードにも起きて、ついに5万円のカードの廃止が決まった。以前から、偽造に対する様々な対抗措置が講じられていたが、そのための経費が嵩み、イタチごっこが繰り返されていることからのものなのだろう。最近見かけるICを組み込んだカードにも既に偽造の話があるくらいだから、完全に防ぐことなどできない。なにしろ人間が作ったものを真似るのは、それほど難しいことではないのだから。
日本の大学入試に特別なシステムが導入されてから、はや四半世紀が経っただろうか。これだけですぐにピンと来る人はそれが導入された頃に、その渦中にあった人か、あるいは大学関係者だろう。記憶が定かでないから、間違っているかも知れないが、はじめ共通一次試験という名前で呼ばれていたものが、共通テストとか、センター試験とか名前を変えつつも、生き延びてきた。
マークシートなどという入試には馴染まないと思われた試験方式も今ではそれほど違和感なく受取られるようになり、選択式だからと言って何も考えないわけではないといった形の設問も考え出されているようだ。そうなると不思議なもので、教科ごとの違いが小さくなり、主題がその教科に関係あるだけで、設問は一般常識と思考力を試すものになってしまう。それでも、世間的には受入れられているようで、国公立大学だけでなく、この試験の結果を選抜に利用しようとする私立大学が増えているようだ。まあ平均的な試験を全国規模で行うことで、ある程度信頼のおけるデータに基づくものとなるから、自分たちで考えた頼りにならない試験よりは公平性が保てるのかも知れない。でも実際には、試験をわざわざ実施するよりも手っ取り早いというのが一番大きな理由かも知れない。なにしろセンター試験の結果だけで選抜するという大学もあるくらいなのだから。さて、そんな話から始めたが試験方式の話をするつもりではない。どこで見たのか忘れたが、今年の試験問題の中に興味深いものがあったので、それを紹介しようと思ったのだ。確か、教科は生物だったと思うのだが、詳しいことは覚えていない。発酵食品の分類を、集合の円で表わしており、それぞれがカビ、酵母、細菌という「発酵産業の三羽烏」と呼ばれる生き物がかかわる発酵によって生み出される食品で、それぞれの重複部分にはどんな食品が入るのか、三つとも重なったところにはどんな食品が入るのか、という図が掲載されていた。「三羽烏」の話は、東京農業大学教授の小泉武夫の書いた中公新書「発酵」に載っているのだが、まだきちんと読んでいない。だから、この問題も当然のことながら、さっぱりわからないのである。チーズ、焼酎、パン、味噌、醤油、日本酒、ワイン、等々、全部で7つの発酵食品を選ばなければならなかったと記憶しているが、どれがカビ、酵母、細菌のすべてを必要とするものなのか、さっぱり想像がつかなかった。それにしても、日本人も色々と発酵食品を作っており、外国人のみならず日本人にさえ嫌われることのある、納豆、くさや、鮒鮨などもその類いだ。実際には栄養価が高まるというより、発酵によって分解がある程度進み、吸収されやすい形になるというのが一番の利点のようだが、それにしても色んな物を考え出すものである。しかし、これは万国共通の部分があるらしく、色んな国で色んな発酵食品が出回っていることからもよくわかる。臭くても、美味ければそれで良い、というのが共通の考え方のようだ。
そろそろ、あの季節がやってきた。ついこの間まではなんともなかったのだが、東へ西へと動いている間に、目にかゆみを感じるようになり、洗髪もしているのに髪の毛が気になるようになった。こうなると、もう後は、嫌な思いだけがやってくる。目覚めた時から涙目が続き、酷くなると夜も鼻水が出て寝られない。何か画期的な治療を受ければ良いのかもしれないが、面倒だから今のところ放置するのみだ。
そうは言っても、一日中涙目ではやっていられないし、車の運転にも支障をきたす。だから対症療法的に、風邪薬を服用するようにしている。理由は定かではないが、漢方薬と西洋医薬の混合として市販されている薬が良く効いている。朝食後に一度服用すれば、まあ大体夜寝るまで効いていてくれる。寝る時に鼻水が止まらない時は、ティッシュペーパーを紙縒り状にして両方の鼻の穴に突っ込んで寝る。なんとも異様な、まるで鼻輪をはめた牛のようだが、なぜかこれが一番効果的だ。あまり想像したくない姿だが、誰も見ていないとわかっているから、それほど気にならない。とにかく、色んな対症法を試みているが、今のところこれだけで辛い日々をやり過ごすことにしている。花粉症にも色んなのがあるらしく、杉や檜に敏感な人はこの位の季節から4月半ばまでが辛い時期で、稲に敏感な人は夏場が苦しいとのことだ。稲花粉に対するアレルギーがあると聞いて驚いたが、日本ではこれはかなり厳しく、逃げる場所などないような感じだ。アレルギー体質と言われる人の中には、四季の移り変わりで咲いていく花のすべてに敏感なのではないかと思える人もいて、ほぼ一年中鼻をグスグスやっている。どんなに大変なものかと思ったりもするが、よく見ているとそれが当たり前になっていて、本人は周囲の人が思うほど大変でもないらしい。今年は特に杉花粉の飛散が激しいらしく、このところの花粉情報でも多いから非常に多いという予報が出されていて、そういう記事を見るだけでむずむずしてくるから困ったものだ。花粉症の不思議なところは、発症の年令が人によって様々であるということで、パンチの場合は20代後半に始まった。はじめは松の木の下を通るとなんだかむずむずするといった感じだったのが、そのうちどうも杉花粉症らしいということになった。未だに正式の診断は受けていないから、確定的なことは言えないが、毎年同じようにこの季節になると出てくることから、おそらくそうなのだろう。花粉情報とは少しずれた感じになっているが、それは体の反応が少し遅いからなのだろうか。終わりの時期のずれからすると檜の方にも反応しているようにも思えるが、これもまた想像の域を出ない。いずれにしても、そんな理由など分かったとしても、症状が軽くなるわけでもなく、まあきちんと対処すればなんとか乗り切れるとわかってきたので、そうするだけである。
ずいぶん前に梅の花の話題を少しだけ書いたような記憶があるが、いつだったのだろうか。それからずいぶん日が経つし、途中に何度か暖かい日があったから、もう大分咲いているだろうと思って、近くの梅林に出かけてみた。こちらには梅で有名なところが多いが、やはりそういうところは観光客も多いのでどうしても敬遠してしまう。
梅林ではなく、梅干し用の梅として有名な品種を開発した場所も、ちょっと時間がかかるが車で行けないこともない。東風ふかば、で始まる歌の作者にゆかりの梅林も、そろそろ御利益を期待した参拝客が少なくなりつつあるだろうか。ずっと以前に女の子が近所の男に帰宅途中に連れ去られて殺された事件で一躍有名になった土地も、それまでは梅林だけが近隣の府県で有名なものだったらしい。まあ、とにかく、そういった有名なところは何かと不自由を感じることが多いので、もっと手近なところで高速道路の脇にある梅林に出かけてみた。狭い道を右に左に曲がりながら、小高い丘を上がったところにその梅林があり、駐車場は普段抜け道として使われている高速道路脇の道を閉鎖したところにあった。この季節だけそういう措置をしているそうだが、そろそろそれも難しくなりつつあるようで、数年後には県営の有料駐車場が近くに設置されるそうだ。こんなことをしなければならないのは、最も近いバス停からも徒歩30分ほどかかるから、ほとんどの人は車に乗ってやってくるからだ。この梅林には梅の木があるだけで、後はちっぽけな売店があり、そういう意味では他の梅林ほど派手に何かをやれるわけではない。当然と言えるかどうか、入場無料である。梅の実の質を上げるために剪定された蕾付きの枝のお土産までついている。と言っても、当然、剪定後にその辺りに捨てられた枝を勝手に拾って帰るだけの土産なのだが。ここ数日雨が続いて、この日もあいにくのお天気だったが、まあまあ50人ほどの人が来ていた。花の方はと言うと、意外にもほとんど咲いておらず、ところどころでピンク色の花が咲いているほかは、白がちらほら、紅い花はまだ蕾ばかりだった。周囲を見回してみると、この梅林は丘の北斜面にあり、どう見ても日当たりはよくない。当然冬の間は気温も上がらないだろうから、花の開花が遅れているのも無理はない。今年は特に寒いこともあって、かなり遅れているようだったが、すぐに暖かくならないかぎり、あと二週間か三週間は満開を迎えることがないように思えた。園内で配布されていたチラシには、既に梅狩りの知らせがあり、キログラム当たりの値段も書いてあった。梅の実を採るのを梅狩りというのかな、などと少し考えてしまったが、花を見せるより実を売るほうが主たる商売のようだ。それにしても、梅の木しかないところに、よくもまあ人がやってくるものだ。他人のことなど言えるわけもないが、遊園地などに群がる人がいる一方で、こういう所にやって来る人もいる。楽しみ方などというのは人それぞれで、そういう違いを見るのがまた楽しいのかも知れない。