パンチの独り言

(2003年4月28日〜5月4日)
(背を見て、中傷、寄合、平衡、巡り、−、健康)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



5月4日(日)−健康

 先月の末に高速道路のサービスエリアのレストランに立ち寄った。ああいった場所には最近喫煙席、禁煙席なるものが設けられている場合が多いのだが、その時は入り口に前面禁煙の予告がなされ、店内のそこここに同じような通告が貼り出されていた。その時は別に気にもとめず、良い傾向だと思うくらいで、なぜなのかなどと考えもしなかった。
 ところがそれから数日して、いざその日になってみると、ニュースが禁煙に関する話題を流している。そこでは、都内の大手私鉄が駅構内での喫煙を全面的に禁止したと伝えていた。以前から、指定区域以外ではたばこを吸うことができなかったのだが、今回の措置で最後のとりでである指定区域も廃止されたわけだ。その理由は、とニュースが伝えていたのは、健康増進法なる法律である。はて、そんなものがあったのかと、ニュースの中でも一部の人が呟いていたが、一般人ならまだしも、報道関係に身をおく人たちがそういう発言をするのはどうかと思った。まあそんなことはさておき、人が集まるところでの喫煙をなるべく控えさせようという動きは、こんな法律の成立によるところが大きいようだ。愛煙家にとっては、どんどん肩身が狭くなる一方だが、時と場所を選ばぬ人たちがいる状態では、仕方がないと諦めている人もいる。食後の一服はうまいと言いつつ、食事中の人の目の前で吸う人や、とても狭い空間で我関せずと紫煙をくゆらせる人、まあ、そんな人がいる状況で、マナーを守る人が反対意見を出しても、そう簡単に受け入れられるものではないからだ。最近は、受動喫煙とか、喫煙そのものが健康に害を及ぼすとか、色々と健康に対する喫煙の影響が取り上げられるようになったが、以前はその説得力も弱く、喫煙者に対して強く言いにくい面もあった。特に受動喫煙の害が、たばこを吸っている本人よりもあるなどという結果が出てくると、禁煙の声は更に大きくなる。それ以前は、禁煙というより嫌煙といった方が大きい感じで、たばこの煙りや臭いが嫌いだからやめて欲しいという意見から、喫煙者に遠慮してもらおうという動きが多かったのだが、それが今では健康上の理由から、更にご本人にとってもその方が良いでしょう、などといった感覚での喫煙禁止といった風になっている。以前、臭いの話が中心だった頃、ある人が言っていたのは、香りの好き嫌いという意味ではコーヒーをところ構わず飲む人たちにも同じ措置をすべきというものだったが、確かに好き嫌いということが議論の中心になる場合には、なぜたばこだけが槍玉に上げられるのかという不満を持つ人が多かったように思う。周囲の人たちに対する気遣いという意味では、何に関しても差はないのだと、その人は言いたかったに違いないのだが、今となってはそんなことはどこか遠い過去の話になってしまった。さすがにコーヒーの香りは健康に良くないという主張は出ておらず、単に嫌悪感だけでは他人の行動を制限することは難しいからだ。精神的な不安定から、健康を損なうこともあり得るから、絶対に無理とは言わないが、まあそんなことを始めたら顔を見るのも嫌な人を排除せねばならない。こんなことになったら、とても難しい世の中になってしまう。幸い、今のところそんなことは起きそうにもないのだが、世の中の流れを見ていると、絶対に大丈夫などとはやっぱり言えないような気もしてくる。

* * * * * * * *

5月2日(金)−巡り

 七という数字はいろんな国で幸運を呼ぶものと考えられているらしい。13はキリスト教を信仰する国では不運の証と思われ、建物にその番号の階を設けていないところが多いし、一方で四は死を呼ぶ数字として日本では嫌われ、病院ではその番号の入った部屋を作らないようにしているところもある。所詮は迷信にしか過ぎないのかも知れないが、悪いことが起きるとつい結びつけてしまうものだから、世の中に残ってきたのだろう。
 日本で言えば、七という数は神道にも仏教にも縁のあるものである。子供が産まれて七日目に祝うお七夜がそうだし、七五三にも七が入っている。人が亡くなったあと、七日ごとを節目とする習慣もどこかに七という数字の意味があるのだろう。いつの頃からか7日間で一週間とくくるようになったので、今は別に何の不思議もなく七という数字を日数に当てはめているが、神道にしても仏教にしても、それが信じられ始めたときに既にこの習慣があったのかどうか、もしなかったとしたら、どこに偶然の一致があったのか、何とも不思議になる。一週間の周期が今のように決められたのはキリスト教の影響と言われたような気がするが、調べたこともないので確かではない。休息日とかそういう意味を持たせるところで影響があっただけで、それよりも前に既に何かあったのかもしれない。一年という周期は季節の巡りというところからきているし、星の見え方もその通りになっているから理解しやすいが、一週間というのは別にこれといった基準もなさそうに見えるからきっかけさえも見つからない。まあ、訳の分からないことをいつまでも書くわけにいかないから、先に進むことにする。七日の周期を繰り返し、その回数があるところまできたら、節目とするのが、人が死んだあとの仏教での習慣である。初七日は誰でも知っているが、最近は葬儀後、斎場から戻ってきてすぐに行うことが多くなった。親族が何度も集まることが難しくなったからだろうか、こういうところの略式化は日本人の得意とするところかもしれない。その後は二七日、三七日、四七日、五七日といった具合に進む。はじめの数字が回数で、次の数字は日数を表すので、かけ算になっているのだそうだ。どこを節目にするのかは、宗派によって異なり、五七日、つまり三十五日を節目にするものと、七七日、つまり四十九日を節目にするものがある。何のためにこれだけの日にちをあけておく必要があるのか、はっきりとしたことは知らない。その間、魂がどこかを彷徨っているのか、あちらの岸に向って進んでいるのか、いずれにしてもこれだけの日数をかけて、遺族は亡くなった人の霊を送りだすのだろう。変わったといえば、変わった習慣だと思う。ただ、近しい人を失った悲しみから立ち直るための一つの儀式と思えば、このくらいの日数をかけるのも何となく判るような気もする。こういうところが宗教の不思議なところだと思う。長く残ってきたものほど、何となく理解できる部分を持つ。カルトなどと呼ばれるものほど、自己満足的で、他を受け入れず、他からも受け入れられない。どんな宗教もはじめはカルト的なのだろうが、長続きするものにはそれなりの意味があるのかもしれない。といっても、日本人の多くは、必要なときだけ、なのだろうが。そんなわけで、明日は七七日、独り言もお休みする。

* * * * * * * *

5月1日(木)−平衡

 今日から5月に入った。会社に就職、学校に入学、などで4月から新しい生活を始めた人々も、ひと月経過して慣れてきたころだろうか。何も変わっていないと思う人でも、周囲に何らかの変化があり、それが様々に影響を及ぼしていることがある。そんなことから5月病なる言葉が生まれ、ストレスの蓄積による症状を見せる人たちが増える時期である。
 ストレスには大きく分けて二つの種類がある。身体にとってという意味で分けるのだが、肉体的ストレスと精神的ストレスのことである。ただし、これらはまったく別個のものとは言えなくて、お互いに影響しあう部分が大きいから、片方が大きくなるともう一方にも影響する。悩み事があると、胃が痛くなるとか、頭が痛くなるとか、よく聞くし、どこかに痛みがあると、不安になって、心配事が増えたりする。ただ、どんな現れ方をするかということを基準に、肉体か精神かを区別しているだけで、根っこのところでは共通の部分が大きいのだろう。そう考えると、5月病なるものはやはり心理的要素が強くなるのは当たり前である。何しろ、環境が変わることで、その変化に対応しようと必死になり、上手く乗り切れればいいのだが、対応が遅れたり不十分だったりすることで、それをストレスと感じるようになる。そういうことが積み重なって、身体が耐えきれなくなると、何らかの症状が表に現れるようになるわけだ。こう書くといかにも単純なことで、何か上手いことやれば、解消できそうな気もしてくるが、当事者は一生懸命対応しているせいもあって、ストレスが表面化するまではそれに気づかないことが多い。こういうものの蓄積は毎日の積み重ねだから、大体ひと月くらい経過するとそれらが表面化するのだという解釈もあるのだろうが、一方でいわゆるゴールデンウィークなるものが大きく影響していることも考えられる。必死で対応する毎日を過ごしているときには、それなりのバランスがとられ、変調が著しくなることがなくても、数日間休みの日が続くと、せっかく上手く保たれていたバランスが崩れ始め、また元の生活に戻ったとしても以前のようにいかなくなることが多い。身体に対する負荷がそれほどでもないときには、こういった休みは文字通りの休憩になるのだが、やっとのことで釣り合いをとっていた場合には、かえって余計な負荷を与えることになる。まったく不思議なもので、負荷を与えるのなら、それを常に与えるようにせねばならず、うっかり取り除いてしまうと、つっかい棒を外すが如くの反応が現れてしまう。長期的に見れば、負荷をかけ続けることが身体にとって良いこととはとても思えないが、一時的なストレスの蓄積という場合には、同程度の負荷をかけ続けたほうが良い結果を生む場合があるのかもしれない。はじめから負荷がない方がいい、という考えもあるが、何もしなくてもいいということでもないかぎり、あり得ないような気もする。まあ、ストレスも適当なところで止めておき、上手くつきあっていけるようにするのが一番なのだろう、容易なことではないのだが。

* * * * * * * *

4月30日(水)−寄合

 昔を懐かしく思うという気持ちは誰もが持っているものだろう。過去を振り返っても仕方がない、未来を見つめて生きるのだと言っている人でも、やっぱり、時々は昔のことを思い出すこともあるだろうし、それを良かったとか、悪かったとか思ったりするのだろう。この頃やけに昭和30年代のものが取り上げられるようになったと思ったら、どこかにそんな町並みを再現する場所ができたようだ。
 さて、今と昔の町並みでどこが違うのか、と改めて聞かれても、正確に思い出すことは難しい。なにしろ違っていることばかりなのだ。自分が育った町に戻ると、小学校の頃の同級生の家は、多くのものが移っていってしまったが、幾つか残っているものもある。でも、外観が大きく変わりすぎて、同じ場所に建っているのかさえも不確かだ。近所のことを思い出すと、風呂屋は近くに二軒、少し離れたところにもう一軒あった。未だに、その中の一つが営業しているが、これは珍しいほうだと思う。もっと範囲を広く取ってみたら、残っている割合などかなり小さくなりそうだ。市場は近くに三軒あった。市場というのは「いちば」と読み、卸売市場でもなく、今のスーパーとも違う。八百屋、肉屋、魚屋などそれぞれが個人商店であり、それがひとところに寄せ集まって営業しており、お客は一ヶ所でほとんどのことが済ませられるから便利だとやってきた。それがいつの頃か無くなりはじめ、今ではこれも近くに一つが残っているだけである。さらに、昔の商店主とは顔触れも変わってしまい、時代の流れを感じてしまう。あの頃市場が無くなっていった経緯として、少しだけ覚えているのは、火事である。何かの原因で火事を起こしてしまい、建物が燃えてしまうと、その復興にはかなりのお金が必要となる。土地は大体借りている場合が多いから、誰が地主から借りるべきなのかという交渉も必要だったろうし、建物の再建にはかなりのお金が必要となる。しかし、それぞれの店主には日々の生活には十分でも、そういった商売のために注ぎ込む大きな金はない場合が多い。そんな理由が重なり、交渉がまとまらなければあきらめるしか手がなくなる。何となく、そんな理由があったような気もする。もう一つは今は落ちぶれている大手のスーパーが進出したことによって客が離れてしまったというものもある。いずれにしてもそういう形でいろんな変化が周囲に起き、対応に追われているうちに、取り返しのつかないところまでいってしまうことが多かったようだ。今では、多くの市場は賃貸マンションの一階部分にあるものが多く、そういう形での地元との共存を図っているようだ。自分の周りでは、こんな光景が当り前だったのだが、今周りを見渡してみると市場の影もない。どうも当地には市場という存在が以前からなかったらしく、八百屋、肉屋、魚屋それぞれが一つ一つ別のところに店を構えている。車で走るとその数が多く感じられるから、昔の徒歩範囲内にそれぞれが位置していたことが推察される。なぜ、このような違いがあるのか、さっぱりわからないが、とにかく商売の仕方が違っているのかも知れない。パッと見ただけではまだわからないのだが、内陸部なのに魚屋の数が多いのは不思議だし、いろんな不思議が溢れているような気がする。まあ、そこに育った人たちにとってはごく当り前のことに違いないのだろうが。

* * * * * * * *

4月29日(火)−中傷

 政策の目玉だといわれ、かなり期待された構造改革特区も出揃ってみると、まあこんなものなのかと思えてくるから不思議である。もっとすばらしい、飛んでもないものが出てくるかと期待した向きには、肩透かしのようなものだったのかもしれない。特にマスコミが話題にしたものほど実現しなかったものが多く、やはり話題性だけではうまく行かないことの例なのだろう。
 話題性が高かったものとして、カジノの建設があったと思うが、ギャンブルの禁止が刑法上のものであるが故に、特区などという程度の抜け道では解決できないものであったようだ。公営ギャンブルとはどう違うのか、よく判らないが、とにかくだめということである。刑法や民法は日本全国どこに行っても適用される法律だが、一方で地方自治体の定めた条例はそこだけで通用するものである。どんなことを禁止するのかなどということには、ある程度の自由裁量性があるから、逆にいうとそれに対する罰則規定を厳しくすることはできない。刑法などで取り締まるべきものであるからだ。しかし、それぞれの自治体で制定できるものだから、地方独特のものが出ていたりして面白いようだ。といっても、例えば隣の県に行けば適用されないなどということがあり、児童売春などで一時話題になったことがある。こっちではだめだが、あっちでは構わないなどと区別すること自体がおかしな感じがするが、法律の不備を補うという意味では違いが出てくるのもやむを得ないのだろう。一方で、地方ごとの違いは長年続いてきた習慣の違いによるものが多く、それが法律で禁止されたりするとなんともおかしな具合になる。本人たちは別におかしいと思っていないのに、法律で罰せられるのだから。例えば選挙に関してもそんなことが良くあるようだ。さすがに最近はほとんどないと思うが、選挙中に投票を依頼する金銭の授受が習慣的に行われていた地方があった。そこではすべての候補者が選挙民に対して何らかの金銭を挨拶代わりに渡すが、誰に投票するのかは渡された金の多少だけで決められるのではなく、一般に言われているような政策やその他の要素で決められていたようだ。だから、投票を依頼するお金と言うよりも立候補の挨拶程度のものと考えられていた。しかし、公職選挙法ではこのことが禁止されており、いかな習慣と言えども許されなくなった。もう何十年も前のことだから、今はそんな習慣などどこにも残っていないのだろうが、こんなことを当たり前と思っているところもあったわけだ。選挙のやり方もどうも地方によってかなり違っているようだ。選挙の車からの絶叫はどこへ行っても変わらないが、最近はビラ合戦のような戦略を主体としているところが増えている。一部は政策をアピールするための配布物なのだが、これとても認められた形態とは思えないから違反なのだろう。だから、立候補社本人が配布したのではなく、まったく違う団体が行っていることになっている。もっと過激になると、誹謗中傷が山盛りになった文書が配られる。まるで告発文のような形式をとって、対立候補の問題点を浮き彫りにしようと躍起になっているわけだ。アメリカの選挙でも誹謗中傷合戦が盛んだが、その効果のほどは怪しいものと言われるようになった。相手を辱めるようなことを言えば、自分が蔑みをもって迎えられるからだ。いい加減選挙運動の音量が大きくて辟易しているところへ、山のような文書が毎朝入れられている。それよりも、当選した暁には実現するという約束を守る算段でもした方が、よほど価値のあることだろうに。まあ、負けてしまえばもとの木阿弥なのだろうけど。

* * * * * * * *

4月28日(月)−背を見て

 九州のある島に棲んでいるニホンザルたちはあることをするので有名である。既に餌付けされていて、人間が与えた食べ物を食べることもあるのだが、さつまいもを手にすると一部の猿たちが海水でイモを洗い始めるのである。汚れているからきれいに洗っているのかと思う人がいるかもしれないが、人間の解釈は単に泥を洗い流すだけでなく、適当な塩味がつくことで美味しく食べられるから、というものである。真偽のほどは定かではなく、まさか猿に聞くわけにもいくまい。
 この行動は群れの中の一匹の若い猿がある時始めたのを他の猿が真似をしたことで集団の中で広まったようだ。ニホンザルのように、数世代に渡る同族集団が形成されている場合には、新たな習慣も世代を越えて伝わることがある。といっても、どちらかというと年寄りの個体は、そういう新技術に興味を示さないようだが。同じようなことがチンパンジーの社会にもある。アフリカで研究対象になっている群れでは、堅い木の実を石で割って中身を食べる食餌行動が見られるが、これも世代を越えて伝わり、年上の個体のやり方を真似することから、新たな方法が集団の中に広がるそうだ。これらは自然の環境の中での出来事だが、研究室という特殊な環境でも世代間で受け継がれていくものに関する研究が行われている。日本で有名になっているのは、何と言ってもチンパンジーのアイとその息子アユムの親子だろう。アイは天才チンパンジーと呼ばれ、以前取り上げたように、様々な驚くべき能力を示している。その能力が世代間でどのように伝わるのかを研究するためか、人工受精を施され、それによってアユムを産んだ。つい先日もその後の経過がドキュメンタリーとして放映されていたが、アユムの発育は順調で、周囲に対する興味のもち方、新しいことに対して挑む姿勢、そして結構難しそうに思える課題をこなしていく能力、それらが非常に興味深くまとめられていた。アユムの能力に関することはとても面白いのだが、一方でアイの子供の扱い方にはもっと面白さがあるように思う。アユムが何にでも興味を示す子供だからなのか、課題に挑んでいる時にほとんど無視しているように見える。つまり、何も教えないのである。それより前にアイに対する訓練が行われているから、アユムもその場にいて、何をしたら良いのか観察していた。だから、何も教える必要がないとも言えるのだが、ただわきの方に行って、見守るだけなのだ。それでも子供の方は試行錯誤を繰り返しながら、用意された答えを導きだし、ご褒美を受け取ることができるようになる。確かにはじめから手取り足取り教えてしまえば、そんな試行錯誤なしで簡単に子供にご褒美を手に入れさせることができるが、そんなことはまったくしない。どういうつもりなのか、問いただすことはできないから、想像するしかない。まあ、おそらく自分で解決する力を身につけることが大切で、そのためには他の個体、この場合は母親、が行っていることをしっかりと観察してそれを真似ることが一番であるとでも思っているのだろう。アイの期待通り、アユムは母親だけでなく、他の個体やその子供の行動を真剣に見守り、そこに要領を見い出しているようだった。一個体の寿命が子孫を作るのに必要な成熟期間より長くなると、世代を越えた情報の伝達が可能になる。それを使うことでいろんな生きるための知恵があとの世代に伝えられ、生存に有利となる条件が整えられる。人間の場合、この上に言葉と文字という伝達手段を編み出したことで、更に知恵の蓄積が加速され、現在に至っている。確かにそういうものが全て消え去ったら、今地球上にいる人間たちすべてが協力したとしても、現在の生活を維持することは難しくなるだろう。それほどの蓄積の上に現代社会が成立しているわけだ。そしてまた人間社会においても、世代を越えて受け継がれていく知恵があり、いろんな方法で伝えられ、広げられている。ただ、最近の家庭や学校あるいは職場での教育を見ると、観察と模倣に基づく伝達ではなく、手取り足取り教えることが多くなったようだ。確かに効率良く、的確に伝達するために必要なのだろうが、そこに明らかな違いが生じ始めているような気がする。さらにまた、転ばぬ先の杖ならぬ、傾向と対策教育法で、試行錯誤の機会もなくなり、失敗を知らず、恐れる人たちを量産しているようにも思える。はたして、どちらが良いのか、すぐには結論が出ないだろうが。

(since 2002/4/3)