テレビを見ていたら、深海生物のお話をしていた。最近、いろんな国が深海潜水艇と言って、深さ千メートルから六千メートルくらいまで潜水することができるものをもっているので、海の奥深くに棲む生き物の調査や海底の鉱物資源の調査などを行っている。宇宙の不思議と同じくらいに、不思議なところが 地球上にもあると言われる海の底には、変わった生き物がいるそうだ。
深海と言っても、数百メートルのところに棲む魚はよく食卓にものぼるから、知っている人も多いと思う。以前は馴染みの魚に似ているから、その名前をもじった名前をつけていたようだが、最近はそれでは誤解を生むということで、違った名前をもらうようになったらしい。まあ深海魚独特の大きな目玉のついている頭を落とした形で売られていれば、よほど詳しい人でないかぎりその魚が元々どんな形をしていたのかなどは判るはずもない。今回紹介していたのは、それよりももう少し深いところに棲む生き物である。海水に含まれる酸素の量が極端に少ない深度にはそれほど多くの生き物が棲息していないそうで、逆にそういうところに適応した生き物がいることで有名になっているのだそうだ。その一つがコウモリダコと呼ばれる生き物で、イカやタコの仲間のように見えるが、実際にはそれらよりも古くからいた生きている化石ともいうべきものらしい。生きている化石というとすぐに思いだすのはシーラカンスで、マダガスカル島沖で実際に捕獲されるまでは化石としてしか見つかっていなかった古代魚の一種である。化石というのは既に絶滅した生き物のことと勝手に思っていた者にとっては、それが実際に生きて海の中を泳いでいるなどということはにわかに信じがたいものであり、その不気味な姿からも何だか誰かに騙されているのではないかと思ったほどだ。どうもコウモリダコもそのお仲間らしく、昔は海の浅いところにいたと考えられているのだそうだ。その不気味な姿もかなりのもので、タコの足が互いに幕で繋がっているような感じで、外敵に襲われたときなど、傘を開くように足を広げ、更にそれが風に煽られたときのようにひっくり返して、自分の身体を覆ってしまう。色も不気味だが、その姿も不気味で、「悪魔」と呼ばれることもあったのだそうだ。こんな不気味な生き物もいれば、クシクラゲのようにキラキラと光るきれいな生き物もいる。こういうところではあまり食べ物も多くないらしく、活発に動き回る生き物よりも、ゆっくりと餌が来るのを待つタイプのもののほうが多いようだ。クシクラゲなどのクラゲ類もそういう仲間で、触手を伸ばして、そこに餌がかかるのを待つ。その時本体の移動には表面にある繊毛を使い、それを波が伝わるように打つことでゆっくりと泳ぐ。繊毛の動きは互いに近づいたり離れたりとなるから、そこに干渉縞のようなものができ虹色に輝いてとてもきれいだ。しかし、本来はほとんど光の届かない深海だから、きれいだと思えるのは見ている人間だけ、光を当てて観察しなければ何が何やら気がつかないほどのものだ。番組の最後の方では発光器のことが紹介されていたが、その役割などいかんも人間らしい解釈の仕方でとても面白いと思った。果たしてそれらの生きものたちが本当にそういう意味で発光器を使っているのか判らないが、そういうことを想像してみるのはとても楽しいことなのだろう。擬人化は必ずしも正しいことを生み出すわけではないが、それによって理解しやすくなるのは確かなことなのだから。
人は自分のお金の使い道は自分で決められるから、他の人にとやかく言われたくない場合が多いだろう。それでも、あまりにもとんでもないことをしていると周りの人たちも心配になって、つい一言言いたくなる場合もある。ただ、よほどのことでないかぎり、お節介になってしまうだけだから、何も言わずに済ませることの方が多いのだが。
しかし、これが公の話となるとどうだろうか。公といえば、その財源のほとんどは税金であり、当然そのうちのほんの一部とは言え、自分たちの納めたお金ということになる。口を出す権利もあるだろうし、逆に見れば義務もありそうだ。ちょっと前で経済状況が良かった頃は、そうは言ってもお国のやることだからそんなにひどいことはやらないだろうし、何しろ世の中のためになることなのだからといった考えが主流で、せいぜい気にするにしてもそれだけで済ませていたことが多かった。しかし、国の借金がとか、せっかく納めている年金がとか、あまりに無思慮な使い方、あまりに身勝手な処し方などを見てくると、さすがに見守ることもできずに、色々と直接的な注文が出てくるようになった。だからといってそれぞれの人が全体を見渡して、釣り合いのとれた注文が出せるわけではなく、自分の身近な問題に関して意見を述べるに過ぎないのだが。そんな中で特にやり玉に上がっているのは公共投資とか公共事業とか言われるものだろう。公共と名がついているのに、それに関わる一部の人たちだけが恩恵に浴して、社会に対してなんら還元がなされていない、或いはほとんど意味の無い事業が多数あったために、それを標的に厳しい追求が行われ、結局多くのものが中止になったり、見直しを余儀なくされている。ただ、注意して見ると、中には本当に必要なものがあったり、見直しによってかえってどっちつかずのものができ上がったりといった弊害も出てきているようだ。やり玉の先頭に挙げられたものの一つに高速道路の建設があるが、計画されていたものも含めてこのところ矢継ぎ早に工事が進められている感じがする。名神、東名、中央などの古い高速道路と最近のものにはいろんな違いがあると思うのだが、その中に一つ走っているとすぐに気がつくものがある。どちらにも走行と追越の二車線とたまに路側帯があるが、古い方にはそれ以外に脇に道がついていることがある。休憩所でも駐車帯でもなく、よく見るとバス停になっている。高速道路を走るバスには観光バスとハイウェイバスと呼ばれるものがあるが、最近はほとんど都市の間を直接結ぶものが運行されている。ただ、その中に「急行」などと書かれたものもあり、どうもいろんなところを経由するものらしい。この頃乗ったことが無いから最近の事情は判らないが、小さい頃は高速道路上のバス停を経由しながら走るハイウェイバスが存在していた。実際にはこれらの道路が街中を貫くことは少なく、結局寂しい田んぼのど真ん中に降ろされてしまっていたのだと思うが、それでも、乗ってくる人も降りる人もいた。鉄道とは別の長距離輸送機関としてある程度注目されていたのだろうが、その後発達することはなかったようだ。結局、大都市間の運行だけがその便利さから発達し、途中の田舎町は無視されたのだろう。そんな状況から高速道路上のバス停も必要なくなり、最近のものでは見かけなくなってしまった。効率が重視される世の中にますますなっていくのが、こんなところにも現れているのだろう。
「おはようございます!」、「こんにちは!」と元気な子供たちに挨拶されたら、どうするのだろう。びっくりして、でも同じように挨拶を返す人もいれば、ただ驚くばかりでそそくさと去っていく人もいるだろうか。子供たちに対して挨拶の大切さを教えていても、一方でそれに応えられない大人がいるのでは、何となく不自然な感じがする。
さすがに無視する人や去っていく人は少ないと思うが、中にはそんなやり取りは想定されていないらしくまったく気がつかないままに通り過ぎる人もいる。挨拶をしなくなったのは主に大人の側で、それに慌てた一部の人が子供たちを指導することで何とかしようとしているのかもしれない。昔は山を歩いていても、必ず互いに挨拶をかわしたものだが、最近は半分くらいの割合で無言でのすれ違いが起きる。こちらが声をかけない限り、ずっと長い間やり取りなしの歩行が続くこともある。まあ、互いに互いを気遣う、相手の領域に踏み込まない、といった気持ちがあるのだから仕方がないのかもしれないが、それにしても、もう少し何かあってもいいような気がする。大人がこうだから、子供がそうなる、というといかにも当てはまっているような気がするが、その辺りのことはよく判らない。子供が生来、そういうことをしないもので、周囲の大人のやり方を真似て、挨拶の仕方を身につけていくのか、はたまた元々誰彼構わず近寄り、何かの挨拶をしようとするものなのか、はっきりとしないからだ。ただ、子供を見ていて気がつくのは、子供が挨拶した時に大人が応えると、別の機会を見つけて挨拶しようとすることである。日本の事情は上で書いたようなものだが、子供と大人のやり取りにはそれぞれのお国柄が出ていて面白いものだ。たとえば、嫌という顔をしていても挨拶してくるイタリアの場合、子供に向って最高の挨拶をする。老若男女をとわず、Ciao Bambina!と駆け寄ってくる人たちに顔一杯の笑顔で応える子供たち。そういう雰囲気に慣れてしまうと、次には自分の方から愛嬌をふりまきに行く。それがごく自然であり、大人たちも総じて対応している。ところがそんな国はそれほど多くないのだ。イタリアから隣の国に行けば雰囲気はがらりと変わるし、大人同士になると一層無愛想になるところも多い。アメリカ人も人なつっこいと言われたりするが、誰でも彼でもというわけには行かない。子供にとっては、イタリアでの経験から大人はこうするものと思って、愛嬌たっぷりに近づいていくが、反応は薄い。そんな姿に接しているうちに、そういう気持ちはどこかに失せて、まるで何ごともなかったかのように、自分の世界に入っていく。愛想良くされたからといってすぐに誰にでも近づいていくのでは、危険であるとも言えるわけで、そうならないようにしておくことも大切なことかもしれない。その辺の違いが、イタリアとアメリカの違いに現われているのだろうか。今の日本はどちらかといえば、アメリカよりだ。他所の子供には何も注意しない、挨拶をしない、お互いの存在を尊重するためにはそれが大切なのだと言わんばかりに。それにしても、挨拶ぐらい、減るものじゃなし。
物心がついた頃にはもう既に民主主義というものは巷に溢れていた。戦後民主主義と呼ばれるものらしいが、どこに違いがあるのか、何が肝心なのか、ほとんど解らない。同じ世代に人びとが同じ考えを持っているとは思わないが、自分達の抱いている民主主義のイメージは多数決というものに落ち着くような気がしてしまう。
どんな相談事も、どんな決議も、いろんな話し合いを経て、その上で最終決定を下すために、構成員による多数決を行う、という形で小さな頃から色々なことを決めてきたような気がする。自分としては、話を聞いた上で、賛成と反対のどちらが良いのかを決めて、良いと思う方に投票したり、挙手したりして、その規則を守ってきたつもりだった。しかし、世の中はそんなに単純なやり方をしている人は少なく、事前に根回しをして様々なことを議論の前に決めておいたり、構成員の中に派閥のようなものが存在し、派閥内の構成員は主たる人たちが事前に決めたものに従うようなやり方がごく普通になっているようだ。このやり方の典型例が永田町の論理と言われるものなのだろう。一部の人たちから見れば、こうするからこそ、政が上手く運ぶということなのかもしれない。しかし、多数は多数、多数決において最も重要な事柄は多数を占めることだから、一度多数を占めてしまえば思い通りに事を進めることができるわけだ。そんな状況だからこそ、上手く行くと言い切れるのだろう。一方で少数派に入ってしまえば、何もできることはなく、ただ反対したり、問題点を追求したりで、結局、何も変えられないことになる。多数の論理というのか、やはり大きな割合を占めることが大きな力を持つことに繋がるわけだ。半数を超えさえすれば良いわけだから、結局一人でも多ければ絶対的な決定権を手にすることができる。元々のほんのわずかな違いが決定的な違いとして現われてしまう。それが良いことなのか、悪いことなのか、このシステムだけを考えているだけでは不十分であり、様々な周辺事情や少数派の擁護という考えも必要となる。ただし、多数の原理をそのまま適用されると、それでおしまいといった感じがしてしまうのだ。一方で、多数でなければ何もできないわけではないこともある。群集心理とか集団心理とか呼ばれるものでは煽動する少数の人びとが方向を定めることが多い。これは数での決着の後に行動に移るというのでなく、ある動きが他の動きを誘発して、多数という結果を得るものである。だから、結局は少数が大多数を動かしたことになる。これと同じとは言えないが、先日聞いた投資家の動向に関する話が、これにちょっと似ているように感じた。大部分の投資家は日々の売買に参加するのでなく、ある程度保有するタイプに分類される。一方で、全体の三分の一ほどの投資家が売買に参加するが、その三分の二ほどは市場の流れを読んでから行動に移る。そんなところから、ずいぶん乱暴な論理なのだが、投資家のほんの一部が決めていた売買の動向に、市場全体が追随しているような動きが展開されることになる。そういったことが米国の株式市場で起きているという話を紹介していた。真偽のほどは確かではないが、投入資金の多少ではなく、事前の行動決定の有無が大きな要素となっているようだ。これが本当に当てはまると考えれば、公的資金投入などの市場介入のやり方にも工夫が必要であるような気がしてくる。まあ、ことはそれほど単純ではないのだろうが、意外なほど単純な心理が働いていないとも限らないのだ。
もうずいぶんと時間が経過してしまったが、年度の変わり目の時にはいろんな変化が起きる。仕事の面や、家庭の面や、そういう身近なことから、自分とは直接関係のないところまで変化している。独り言でも何度か取り上げているラジオやテレビの番組も消えてしまったものもあるし、新装開店といった感じのものもある。
テレビの番組で時々見て愉しんでいたのは、新日曜美術館である。司会の男性アナウンサーの普段ニュースを読むのとはちょっと違った雰囲気が面白かったし、毎年代わる女性アシスタントもそれぞれに新鮮だった。どちらも専門家ではないのだろうが、色々と下調べをし、ゲストの話を聴きながら、それぞれなりの感想を述べる。何となく一般視聴者の代表のような感覚で面白い構成になっていた。その司会が先月から交替した。ベテランの女性アナウンサーが登場し、ちょっと驚いた。アシスタントが代わっていなかったので、女性だけの組み合わせで、それが吉と出るか凶と出るか、などと思ったりしたものだ。これで他の番組も編成替えになるのかと思ったら、元々このアナウンサーが担当していた土曜日の午後のラジオ番組はそのまま続いていて、さすがにニュースを読まない人はちょっと筋が違うのかな、などと余計な詮索をしてみたくなった。その他にも、朝のラジオのテーマ曲がなんだか軽い感じのするアコーディオンの音楽に変わっていたが、全体としてはあまり変化がないのだろうか。といっても、全部を観たり聴いたりしているわけではないから、なんとも言えないことなのだが。そんな中で、ちょっと気になることがあった。ドライブの時によく聴いていたラジオの午後の番組で心理相談室のようなものがあったのだが、それを担当していた人が亡くなったという噂を聞いたのだ。そういえば、最近その人の声を聴いていないような気がしていた。もう一人の女性カウンセラーが最近はよく担当していたし、番組自体をあまり聴いていないから、確かなことが言えないのだ。担当していたのは主に思春期の子供の相談で、よく親や祖父母が相談の電話をかけていた。不安定な時期の子供や孫を見ていると、やはり心配になるものらしく、いろんな種類の相談が寄せられていたが、その一つ一つに誠実そうな声で答えていたのをよく覚えている。噂によれば、病床に伏していたのではなく、急に亡くなったとのことだが、まったく知らなかったので大変驚いた。そのことを色々なところで調べてみたが、どこにも載っていない。ただ、所属していたはずの組織のホームページには名前がなく、それ以外のものも古いデータばかりで役に立たなかった。これまでのところ、生存を確認することができない、というしかない。もし、亡くなっていたのだとしたら、年令もそれほどでもなかったはずだし残念なことだ。あの明るい声を聴くことができないのを悲しんでいる人も多いことだろう。
懐石料理はその味だけでなく、彩り、香り、それらの組み合わせの妙、など、いろんな要素で楽しむものと言われている。素材の良さも大変重要だが、料理の仕方で味を損なったり、彩りを台なしにしては、元も子も無くなる。様々な配慮があってこそなのだが、そこにまた器との相性も大切な要素として入ってくる。
和食は懐石に限らず、器の選び方が重要な要素の一つであり、料理に合わせていろんな形の器を選ぶ。洋食の場合、多くの場合は平板なお皿で、その大きさが違ってくるくらいで、形や模様なども多種多様という具合にはいかなかった。しかし、フランス料理に懐石風などというものが始められたくらいで、最近は器などにもシェフの気配りがなされているところも多いと聞く。濃厚なソースでの味付けで、素材の良さが殺されているのではないかと思えるほどの調理法も、それとともに変わりつつあるのかもしれない。一品の大きさや色によって、器の大きさや色を選ぶわけだが、大きすぎると料理が小さく見えてしまうし、小さすぎるとはみだして食べにくい。色も濃すぎても、薄すぎても、違和感を覚える場合があるし、器の色そのものの選び方によって料理の色合いが違ってくるから注意が必要なんだろう。そんな具合に料理の時の器は、上に載るものによって選ばれるわけで、その選択によってお似合いに思えたり、より美味しく見えたり、はたまた不味く見えてしまうこともあるのだろう。器を的確に選ぶことが、料理の味を決めてしまうこともあるほどで、食べ物は単に舌で感じる味だけでなく、鼻で感じる香りと、眼で感じる彩りがすべて揃ってこそのものであることが判る。そういう組み合わせをたとえば人事のことに当てはめてみると面白いことが見えてくる。昇進することだけを目的に必死に働いてきた人にとっては、目標となっていた地位が手に入るとそれで終わりとなることがある。自分の器を磨くことに一生懸命になっていたが、磨く目的が失せてしまえばそれまでというわけだ。こういう人は職場の中でも期待の星であるし、それに応えてそれまでは全力を尽くして来たのだから、成績も期待通りとなる場合が多い。しかし、あるところで心の問題から、自分で減速してしまい、そこにいたって周囲の期待を裏切ることになる。ただ、こういう人たちは、階段を一歩一歩上がっていくことを心がけているから、周囲としても昇進させやすいし、確実に成果も上がる、ある時突然立ち止まってしまうことを除けば。一方そういう形でなく、周囲から見ても大抜擢ということが時々起こる。周囲の心配は当然その地位にその人が適任かどうかだが、これまでに聞いてきた話では心配ご無用といった場合の方が多いようだ。大きな器、きれいな器を与えてやると、人間はその器に合わせて自分の器を磨くようで、器なりの仕事をちゃんとやるものなのだそうだ。確かに、時には外れということもあり、眼鏡違いなどと言われてしまうが、会社の社長人事などでもそんな抜擢人事はよくある。番頭さんと呼ばれる人の下で働くことが向いている人間は、一番上ではなくそのすぐ下にいるのが最良であるのに対し、主人と呼ばれる人は上に立つべく裁量を持っている。たとえ大抜擢と言われても、行き着く先が不向きなところではいけないが、その人それぞれに能力を発揮する場を与えることは、特にこんな閉塞感のある時代には重要なことなのかもしれない。器が人を作るとでも言うのだろうか。
文化とか伝統とか言い始めると日本人はさっと身を引くことが多い。何となく苦手な意識が働くのだろうか、日本人同士でも難しいのに、ましてや外国人にその手の話題を振られてしまうと、さっと身をかわすことになっているようだ。そんな性癖がごく一般的になっているせいもあって、日本を英語で紹介する本なるものが世の中にはある。母国語で学ぶのは抵抗があるけど、英語ならなのだろうか。
外国でも日本のものに触れる機会は多い。美術品、伝統工芸品はいつの時代かのどさくさに紛れて、どっと海外に流出した結果、今では米国や英国の美術館に収蔵されているものの方が評価が高かったりして、たまの里帰りを歓迎する向きも多い。ものはでてしまったら、それっきり、鑑賞するためにはその地に出向かねばならない。しかし、文字やら言葉やらからなる文学作品の場合は、特別なものでない限り、ものではなく情報そのものが流通するので、海外に出て行ったとしてもそれほど問題にはならない。というより、いろんな人の心に響くことの方が重要で、大いに出かけて行って欲しいものだ。以前友人が着ていたもので驚いたのは、チョッキのように仕立ててあったのだが、そこには「祇園精舎」とあった。本来の漢字のみで書かれたものだが、はてどうしたのかと尋ねたら、親戚から貰った布で作ったと言う。その続きを色々と書いて説明したら、古い詩を覚えているのはすごいと言われた。彼女に言わせれば日本の教育のたまものなのだそうだ。そういう日本の古くからの文化が外国できちんと伝えられているかどうか、まだまだ怪しいところがあるけれども、誤解を産んでいるにしても全く伝えられないよりはましなのかもしれない。詩という意味では、定型詩として、俳句と和歌が有名である。ただし、和歌はそれほど知られておらず、どちらかというと俳句の方が知名度が高い。名作の有無が影響しているなどとは思えないから、結局は紹介の仕方なのだろうが、一つ考えられることはそこにある制約の違いなのかもしれない。和歌も俳句も、かなとして使える数が、五七五七七とか五七五とか、厳しく制限されている。字数制限はそれだけで難度を上げているのだが、俳句の場合そこにさらなる制限が加えられる。それは、季語という代物だ。この感覚は外国人には理解し難いものがあるらしく、米国の小学校で教えられているHaikuには、音節に合わせた字数制限のようなものはあるが、季語に関することは無視されている。季節感の乏しい土地であれば仕方のないところなのかもしれないが、たとえあったとしてもそれに気持ちが揺れることがなければ無理難題なのだろう。何となく、日記調の報告文みたいな作品が多かったように思う。芭蕉や一茶の俳句の英訳を読んでも、何となくピンと来ない感じがするのは、言語の違いだろうか、それとも他に理由があるのか。言い切ることによって、そこから生まれる感覚を共有するなどと、難しいことを説明する向きもあるが、これも日本語特有の含みのようなものかもしれない。そんな雰囲気を単に説明調の訳文で表すのは無理だから、そこにさらなる工夫が必要となる。説明が長くなってしまえば、Haikuの意味はなくなり、台なしとなる。実際には、俳句が短い文章で表現するものというだけでなく、長々と説明するものを如何に削ぎ落として簡潔な形にするのかの問題であると思えば、英語に関してもそういった過程を踏む必要があるのだろう。制約で縛られることを苦にしない人びととそういうものを毛嫌いする人びと、こういうところで共通項を見い出すのはかなり難しいのかもしれない。