パンチの独り言

(2003年6月23日〜6月29日)
(砂漠、興味、多湿、代行、締り、分担、詐欺)



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6月29日(日)−詐欺

 不況のせいか、他人の金をかすめとる、他人を騙して金を奪うといった類いの事件が多くなっている。投資に名を借りたものも多かったが、最近はそんな面倒なこともやらないらしい。たとえば、オレオレ詐欺と呼ばれる事件、ワンギリ請求事件、はては突然請求書がメールで送られてくるものまで、最近の傾向は犯人側が極力金を使わなくてもすむ方法を取るようになったことだろうか。
 自分ではほとんど何もせずに、他人が汗水たらして働いて稼いだ金を何とか巻き上げようとするのは、その心理を探るのさえ無駄な気がしてくる。それほどいい加減な、お気軽な荒稼ぎ法なのだろうか。普通に考えてみれば、どうってことないことなのに、いざ自分のことになると被害が及ぶのを恐れるあまり、何となく穏便に済ませようとする、そういった心理を巧妙についたといえばそれまでだが、そんなことを考える必要がないくらい低いレベルの仕業である。にもかかわらず、ご丁寧に支払う人もいるらしく、まったく相手の思うつぼとしか言えない。そうは言っても、実際に被害に遭った人ほど、こういった時に訴えるようなことはしないのだろう。なにしろ、すべてを穏便に運ぼうとしたわけだから、こんなことで表に出るなどということさえも嫌っているはずだ。ネットの社会にも困った輩は沢山いるもので、掲示板を探しては自分のサイトの宣伝を載せ、アクセスを増やすことによって収入を増やそうとしている人がいる。まあ、お疲れさんとしか言い様がないのだが、そんなことを繰り返しているところを見ると、やはりその手に乗せられる人も多いのだろう。これはある意味巧みな部分もあって、実際にアクセスした人に被害は及ばない。単に宣伝主からサイトの持ち主に金銭が渡るだけなのだから。この手のやり方で、中々面白いなと感心させられたのは、一時期流行った電子グリーティングカードを使った方法だ。この場合、そのカードを管理する会社のサイトからメールが届く。誰かわからない人から、カードが届いているという知らせだ。そこでそのサイトにアクセスして、カードを閲覧しようとすると、そこにお知らせが現れる。どこそこに寄付をしますか、といった類いのものである。そこには協賛会社からその相手に寄付がされるという知らせが載っている。閲覧している人の懐はまったく傷まないわけだ。心理的には、まあ良いかという気になる人が多いのではないだろうか、つい寄付をしてしまいそうである。しかし、その寄付の相手がなにかを企んでいたら、はたしてどうだろうか。カード会社とぐるになっていたら、どうだろうか。これが事実かどうか確認のしようもないが、あり得ない話ではないだろう。実に巧妙だと思うのだが、単なる深読みのしすぎであろうか。ネットの掲示板などに宣伝を載せる場合も、その書き方が変化し始めている。以前はまったく直接的に、サイトへのリンクを載せているだけであったが、最近はいろんな前ふりがあり、いかにもそこには新しい情報があるかのごとく思い込ませる、そんな文句が並ぶことが多い。また、ニュースを載せて、いかにもそのサイトにそのニュースの内容が張り込められているかのように思わせるものもある。まあ、何でもありの世界だから、こんなことくらいで驚いているわけにはいかない。他人を騙す手だては無限にあるのではないだろうか。あっと驚かされるような、そんな口上も聞こえてきそうだ。まあ、いずれにしても、人の金を頼りにするような生活は、いつまでも続くわけではないだろう。特に、この不況と呼ばれるものが、こんなに長く続くようでは。

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6月28日(土)−分担

 失業率は前月と比べて横ばいだったそうだ。最近失業した人の中に、いわゆるリストラによる人たちが相変らず多く含まれているようだが、企業はどうやって選別をしているのだろうか。必要、不要の区別は特に人間の能力においてははっきりとせず、部署ごと整理するのならばわからないでもないが、その中から選ぶという行為には博打のようなものを感じる。
 そうは言っても、このように職を失った人たちの中にも、単に権利を奪われたという人だけでなく、様々な事情から退職した人、転職を目指している人もいるだろう。その辺りの実情は率だけからでは見えてこない。こういう状況下では、手に職を持つ人、資格を持つ人が有利になるという話も聞こえてきていたが、最近はそんな人まで溢れていて、一概に有利とも思えなくなっている。何故なら、技術や資格は専門職においてこそ、意味の出てくるものであって、一般的な仕事にとってはさほど役に立たないからである。昔に比べると専門職が増えたように見えるのは気のせいだろうか。専門という形で意識をすることで、役割分担を明確にさせているだけなのかもしれないが、より専門的な技術や知識が要求されるようになっているようだから、仕方のないところかもしれない。こういう意識は仕事の上だけでなく、一般社会に対しても持たれているようで、自分の役割と他人の役割をはっきりと区別することで、色んなことに折り合いをつけているような気がする。社会の中で果たすべき役割を意識することは良いことで、責任というほど重いものでなくても、自分自身の存在意義を考える上でも重要なことだろう。こんな言い方をすると大層に聞こえるかもしれないが、軽く考えていたとしても言葉で表現するとこんな形になるのではないだろうか。とにかくそんな形で役割分担を意識している一方で、自分の役割以外には一切手や口を出さないという形に自分の役割を意識する人も増えてきた。文句を言わないということならばそれもわかるが、こんな場合にも文句だけは言っているようなので、口を出さないという表現は当てはまらないのかもしれない。こんな意識の下に分担制があると、何をするにしても、そこには全部やるか、まったくやらないかの選択しか残らない。中途半端に関わるというお節介なやり方が少なくなっているような雰囲気なのだ。周りで誰かが他人のために働いていても、それは自分の仕事や役割ではないと、無視してしまう。ちょっとした心遣いで、何かが変わるのかもしれないが、関わってしまったら全部やらなくてはならないから、関わらないようにするという気持ちが勝つわけだ。ボランティアに関しても、そんな感覚が非常に強く意識されているように感じる。この考えが出てきたところでは、できる範囲でできることをするのが、ボランティアの基本とされていると思うのだが、輸入国ではそうではない別の基本が広められてしまったようだ。ボランティアを社会の構成員の義務の一つと考えるのは、いかにも正しいように思えるかもしれないが、できる範囲ですることは義務とは言い難い。どんなに小さな社会でも、義務となれば強制力が働く。そういう形が当たり前であった国と、自由意志が重視される国とで、一つの考えが同じ形で理解されるわけがないのだろう。ただ、義務という考えと分担という考えの変遷を見てみると、今の矛盾がその変化によって生じたもののように思えてくる。見て見ぬふりの源は、関わったら最後終わりまで、という考えから出ているのではなかろうか。

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6月27日(金)−締り

 雨の中歩いていると靴が汚れて困る。でも、そんなことを気にしながら眺めていると、高校生の姿に唖然とすることになる。一時に比べると少なくなったとはいえ、いまだにルーズソックスなるものを履いている連中がいる。何が良くて、と思うのは、こちらの年令のせいかとも思ったが、彼らと同年代の者でも奇異に見る人はいるようだ。
 ルーズソックスも正式な履き方があるのかもしれないが、だらしないと思えるものを見ていると、靴下が地面と擦れていることに気がつく。これが雨の日となればどうなるのか、余りにも明白で、見るも無惨としか言い様がない。この靴下は女生徒のものだが、これに対抗するわけでもないのだろうが、男子にも変な姿の連中がいる。昔から、ズボンを下にずらして履く格好は一部の生徒たちの間で流行っていたが、今でもそれは続いている。単にずらして履くだけなら、こちらも物珍しそうに見る必要もない。気になるのは、裾の部分である。下にずらしていようが、そうでなかろうが、裾の部分が地面と擦れているのを最近はよく見かける。その上、以前なら見たこともないのだが、その裾がほつれているズボンを平気で履いている生徒を数多く見かける。こういうのを最近はカッコいいというのだろうか、非常に不思議な感覚である。昔なら、こんな身なりをしているといえば、浮浪者であり、普通の生活を送っている者たちが身だしなみを整えられないというのは、まるで世の中に順応できない人びとをさすと思われていた。高校の制服をぼろぼろにしながら、電車の中でべったりと座っている姿を見ると、何をどう考えたらああいう具合になるのだろうかと思ってしまうのだ。親は一体何を思っているのだろうか、と考えていたら、つい先日こんな話をきいた。高校の入学手続きで制服合わせをしていた時に、ある男の子が一生懸命ズボンを下にずらせてサイズ合わせをしようとしていたらしい。当然業者の人に窘められていたが、その一部始終をその生徒の母親はそ知らぬ顔で眺めていたそうだ。はて、よその人に叱られたら、この子の悪い癖も治るかもしれぬ、決して自分の責任じゃない、とでも言いたかったのだろうか。不思議な話である。制服一つとってみても、これほど色んなことがあるのだが、もう一つ気になることがある。靴、それも革靴を学校指定して履かせているところが多くなった。これはこれできちんと履いていれば、中々格好のいいものになるのだろうが、そうは問屋がおろしてくれないらしい。多くの靴のかかとの部分が押しつぶされているのである。あれじゃあまるでスリッパじゃないかと思っているのはパンチだけだろうか。また、あれをだらしないと思わない親が多いのだろうか。実際だらしないとかそういった感覚はあまりなく、特に気になっているのはせっかくの靴がもったいないということである。靴は足を包む履物、下駄や突っかけとは違うのである。そんなことは知らないと言われるのかもしれない。ちゃんと履くのが面倒だとか、靴擦れができるから始めから踏みつぶしておくとか、そんなごたくを沢山並べられるのだろう。まあ、持ち主のものをどう扱おうが本人の勝手、といったところだろうか。

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6月26日(木)−代行

 車の運転には免許が必要である。当たり前のことなのだが、どうもそれに気がついていない人が世の中に入るようだ。免許を失効してしまった人や元々とったことの無い人がどのくらい運転しているのか、調査のしようもないのだろうが、悪質な事故の中に時々そんな話題が入るところを見ると、かなり多数いそうな気がしてくる。
 運転免許を失う原因の一つに酔っ払い運転が挙げられる。検査時の血中アルコール濃度の違いによって、酒気を帯びていると判断されるか、まったく酔っぱらっていると判断されるかで、処分の程度が変わるようだが、場合によっては免許取り消しという処分になる。そうなればすぐには免許を取得することもできないし、すぐに困ってしまう人もいるだろう。困ったところで免許は無し、さりとて車の運転は、という状況から、ついついという人が出ているのかもしれない。社会で決められた規則という点では、明らかな間違いだし、許されるはずのないものである。そんな状況のある中で、去年あたりからだろうか、血中アルコール濃度の基準値が下げられ、罰則も強化されたということで、色んなところに波紋が広がっているようである。そんな改正をするまでもなく、違反は違反、やっていけないことはやっていけない、ということは事実なのだが、どうも数十万円の罰金や同乗者にも同様の処分が下されるということが大きく影響したようだ。ゴルフ場帰りの人たちが捕まって、一台で百万円以上の罰金を課せられたとか、マイクロバスだったからもっと多額になっていたとか、まことしやかに囁かれているが、真偽のほどは明らかではない。ただ、計算上はあり得る話で、だからこそ噂として話題にのぼっているのだと思う。また血中濃度が下げられたために、飲酒からの経過時間に対する認識も改めなければならなくなった。そんな中、ノンアルコールビールなどと呼ばれる代物が人気を集めているようだが、これとても絶対に検査で引っかからないとは言えないと聞く。以前、栄養ドリンク剤を飲んで捕まった人がいるという話があるくらいだから、わずかながらもアルコールを含んでいる飲料の危険性は完全には排除できない。そんな事情から、名称も変えられつつあるようだ。もう一つ、急増しているものに、運転代行業なるものがある。酒は飲みたいが、翌日に車がいるので、タクシーで帰るわけにもいかない、という人に、自分の車を代わりに運転してくれる人がやってくるというもので、以前から公共交通機関の少ない地方都市ではよく見かけたものである。これが規制が強化されたとたんに、急増したと言われる。居酒屋と契約して、そこで飲酒した客の運転代行を行う会社も紹介されていたが、規模を拡大すると共に客の確保に力を入れなければならない状況になっているようだ。以前は許認可制でもなかったから、夜中のバイトとして危なっかしい業者が氾濫していたようだが、最近は公安委員会から認められないと営業できないらしく、周辺の規則も整いつつあるようだ。職場での付き合いなどから断ることができない場合も多いだろうから、そういう時には大変助かるものなのかもしれない。実際には公共交通機関をきちんと整備しておけば必要のないものだろうし、また車の排気ガスによる公害を考える上でも大量輸送機関を整備することは重要である。一部の努力に頼るばかりで、そちらの方に工夫ができない行政に対する不満も、こういう機会に出てくるのかもしれない。

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6月25日(水)−多湿

 朝から雨、それもかなり激しく降っている。道路はところどころ冠水していて、車が水しぶきを上げながら通り過ぎていく。こんな日は道を歩いている人も少なく、心なしか空も暗く感じる。何となく気分が滅入ってくるようだが、梅雨らしくて良いと思う人もいるようだ。庭先に紫陽花が咲いていて、気分もちょっと明るくなるが。
 数日前、突然の暑さが襲ってきてどうしたことかと思っていたが、今はごく普通の長雨の季節に戻った。今年の梅雨は梅雨らしい梅雨と何度も言っているかもしれないが、ちゃんと梅雨前線が日本列島に横たわっていて、いかにも梅雨の気圧配置になり、全国的にも水不足は解消されているのかなと勝手に安心したりする。季節がその季節らしく訪れてくれるのは何となくありがたい気がする。そういうことがずれてしまうと落ち着かないことが多いし、色んな計画も無駄に終わってしまうからだ。まあ、そんなことを言っていても、実際には、こんな長雨が続いてしまえば洗濯に困ってしまうし、じめじめしていて部屋の換気にも気を遣うのではないだろうか。先日、コインランドリーに行ってみたら、いつもは閑散としているのに、この時期だけは乾燥機がフル稼動している。さすがに乾燥機を自宅に持っている人は少ないらしく、湿った洗濯物を室内に干すわけにもいかないから、こういうところである程度乾かしておこうというのだろう。そういう意識でコインランドリーを眺めたこともなかったので、初めて気がついた、そういえばこんな使い方もあったのだと。乾燥機付きの洗濯機も売り出されているようだが、かなり高価なものだし、時間もかかる。電熱による乾燥ではやはり能力が不十分なようで、かなりの時間をかける必要があるようだ。これも家庭用の100V電源ではなく、工場用の200V電源を使うことができれば、もう少しましになると思うが、ないものはどうしようもない。それにくらべると、コインランドリーの乾燥機は多くのところがガスを利用しているので、熱量としては十分なのだろう。かなり短い時間でもまあまあの乾き具合が得られる。それでも材質にもよるとはいえ、完全に乾燥させるのにはおそらく40分近くかかるらしく、時間に追われている人にとっては何か他にやることを見つけないと無駄になってしまいそうだ。そういえば、最近の宣伝で室内乾燥を標的にしたものが多くなったのは、やはり梅雨の季節ということからだろう。独特の臭いが出ないように工夫をすることが命題らしく、洗濯物にスプレーすることで雑菌を消毒するとか、洗濯時に殺菌するような作用を持たせた洗剤とか、色々と考え出すものだと思いながら感心する。臭いを気にするのは別に洗濯物に限ったことではなく、色んなものに当てはまるわけで、特にこの季節となれば、食べ物の腐敗が起きているかどうかをその臭いで判断することが多くなる。実際にこれで十分なのかと問われれば不十分と答えるしかないが、現実的には臭い嗅ぎが一番手軽な方法であるし、これと再加熱を併用していけばある程度のことは防げるような気がする。不十分と言った理由は、細菌の繁殖が常に腐敗臭を伴うものとは限らないからで、臭いを出さない細菌による中毒があるとしたら、この方法では見つけられないということになるからだ。それにしても、洗濯物の細菌を殺すためにスプレーをするというのも、何となく無気味な気がする。殺菌力を持った霧が、空気中にまき散らされているのである。何か余計なことをしでかさないか、つい心配になってしまうのだ。

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6月24日(火)−興味

 人間は様々なことに興味を持つ。自分自身は当たり前だが、周囲の出来事に対しても幾らかの興味を示すものだ。ただ、中には我関せずの人もいて、誰が何をしようがまったく無関心という場合もあるようだ。まあ、自分に何らかの危害が加えられる場合にはそうもいかないようだが。
 小学校で社会科、今はこう呼ばないのかもしれないが、を習って行く過程は、周囲に対する興味の広がりを上手く利用していると思う。つまり、興味が自分自身から徐々に大きく広がることを使って、より広い社会へ興味を持たせるようにしている。ただ、これをどこまで広げれば良いのか、という問題には色んな意見があるようだ。大部分の人は自分の生活範囲の外に対して働きかけることもないし、実際外からの働きかけも間接的なものばかりで実感する機会もほとんど無いはずだからだ。これを表す例としてよく引き合いに出されるものに、米国の新聞がある。日本と違ってあちらには全国紙といった感覚はない。NY TimesやWashington Postなどのように、全国的に読まれている新聞もあるが、元々はニューヨークやワシントンDCで読まれるものであって、それがある程度の信頼を得て、全国的な広がりを見せただけである。全国紙がないという状況の説明によく使われるのは、米国民のほとんどが住んでいる州とか都市の話題以外に興味を持つことがなく、生活する上で全米や世界の出来事を知る必要はないと思っているという話だが、これが今も当てはまるのかどうか定かではない。ただ依然として全国紙がほとんど出てこないことの背景には、こんな心情があるのかもしれない。それに対して、カリフォルニア州とあまり変わらない程度の面積しかない日本ではほとんどの新聞が全国紙である。これは種類ではなく、発行部数の方で考えればということであり、実際には数多の地方新聞が発行されている。とにかく、こんな状況からか、この国では全国ニュースが主体であり、その地方のニュースは従となる。ただ、その割には首都圏の話題が異常なほど多いから、単に人の数だけにはよらないある特殊な事情もあるのかもしれない。そんな中で、最近気になることがでてきた。週末のテレビでは、朝の時間にニュース番組とは言えないまでも、時事の話題を取り上げる番組を各局がこぞって放映している。なんでそんなにニュースが大切なのかと思えるが、これ自体がこの国の人びとの特徴なのかもしれない。なにしろ、色んな出来事に首をつっこみたがるのだ。その中で不思議に思えたのは、最近話題になっている隣の国の話である。隣と言っても、すぐ隣ではなく、その北の方の話なのだが、どういう訳か知らないが、異常なほどの時間を費やして、その国の実情を毎週紹介している。拉致、核、飢餓、亡命と話題が尽きないのは理解できるが、その一方で施政者の周囲の出来事を事細かに分析してみせたり、果ては番組紹介をしてその背景の解説までしてくれる。下手をすると番組の枠の四分の一くらいの時間を費やすから呆れてしまうのだ。そんなに情報を流す目的はどこにあるのだろうか。どんな意図を持って、視聴者に何を教えようとしているのだろうか。最近のマスメディアの動きを見ていると、そこに何らかの意図があるのではないかと思えてしまうから、困ったものである。逆にいえば、それほどの「無駄」と思えるほどの時間を費やしているのだと思う。見たこともないタレントの私生活を覗き見するような企画にも呆れるが、こちらも同様に興味本位からだけならまだ安心できるのだが。

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6月23日(月)−砂漠

 車での移動は夜が多いせいか、景色を見ることが少ない。特に高速道路では照明が整備されているから、外の景色は真っ暗闇という場合が多い。どこをどう通っているのかもよく判らず、一本道を突き進むといった様相を呈している。これがたまの昼間の運転となると、まったく違った景色が飛び込んでくる。
 高速道路は一部を除いて都市部を通ることがない。要するに、土地の買収にかかる費用をなるべく少なくしようとした結果である。都市高速と呼ばれる自動車専用道は、大都市の中を縦横、環状に走っているが、これは例外的なもので、国内ではほとんどの高速道路は都市周辺部を通ることになる。米国の場合は高速道路の整備が最優先されているのか、都市部にもかなり多くの高速道路が存在する。当然のことだが、ほんの一部を除けば、渋滞などはなく、いたってスムースに流れている。さすがに車社会と思わされるが、やはりその中心ともなると、渋滞なしというわけには行かない。ロサンジェルスの中心部を通る数本の高速道路は朝夕のラッシュ時となればかなりの交通量で、ほとんど毎日渋滞になっている。酷いところは6車線もあるのにそれがすべてびっしりの車で埋め尽くされている。問題解消のために複数の人が乗っている車に限って利用できる車線が設けられているが、大部分の車は運転手だけなのであまり効果は上がっていないようだ。昼間の高速道路を運転していて、特に強く感じたのはこの国はやはり緑豊かな国であるということだ。確かに田舎ばかりを通る道路であるから、周囲に見えるのは山また山である。そのほとんどすべてが新緑に輝く木々に覆われているという光景はこの国ではごく当たり前のものなのだが、よそへ行くとそうはいかない。たとえば、ロサンジェルス周辺の高速道路を運転して、都市部から周辺部に向うと、そこには山が見えてくるがそのほとんどが山肌をむき出しにしている。そこに植物が生えていたとしても、それらはサボテンとかジョシュアツリーと呼ばれるサボテンの一種などで、ほんのたまに樹木らしいものに出合う程度だ。もっと山深いところへ行けば、針葉樹林に出くわすことができるが、砂漠のまん中に人工都市を作り上げたと言われる南カリフォルニアでは、上に書いたような光景が広がっている。ちょっと方向を変えると、イチゴ畑やオレンジ畑が広がるところもあるが、それらはまったく人工的なものであって、人の手により大量の水を撒くことで成り立っている。だから、そういう手が入っていないところでは、砂漠のような光景が広がるわけだ。そんなところに比べたら、この国の自然の豊かさはまったく別の次元にあると言ってよいだろう。様々な開発の結果、豊かな自然を次々と破壊してきたとはいえ、まだまだこれほどのものが残っているということは本当にありがたいことである。文明が栄えたところはいつかは砂漠として荒れ果ててしまうと言われることがあるが、この国の場合それが当てはまるのかどうか疑わしくなる。だから、何をやっても構わないとか、何も考えなくていいとか、そんなことを言うつもりはない。ありがたいという気持ちをどう解釈するか、どう表すか、さらにはそういう気持ちをもつだけでもいいのかもしれないのだ。少しでも意識することで、何かが変わるのかもしれないし、何も変わらないことが大切なのかもしれない。

(since 2002/4/3)