パンチの独り言

(2003年7月21日〜7月27日)
(土用、潮溜り、擾乱、典例、異郷、自助、神話)



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7月27日(日)−神話

 西の方は梅雨が明けたそうだ。何となく拍子抜けのような感じで、結局太平洋高気圧が勢力を増すといういつもの形ではなく、梅雨前線は南に下がるとともに力を失い、その機をとらえて梅雨の終わりを告げたという形で、普通なら明けるとともに蒸し暑い夏を迎えることになるのだが、どうもそうもいかないようだ。
 暑い夏が来なくて困る業界に関しては、もう既にいろんなところで話題になっているようだ。それにしても、関東地方では電気が足らなくなると言われていたので、それはそれで大変なことだったが、ある意味この寒い夏にはホッとしていたのかもしれない。結局、原子力発電所の運転再開が伝えられ、一応必要とされる電力の供給は可能になったようだが、無理やり動かしていると言われる古い型の火力発電所の具合によってはまた危ない線を越えてしまいそうで、安心できないという話も伝わっている。どうも、こういう危機が迫ってきたときには、それに伴う不安感を更に煽るような情報を伝えることが多いような気がするのは気のせいなのだろうか。こういう感覚が、危機に立ち向かって何かをしなければならないという状態の時に、何となくその気持ちをそぐようなものになるし、一方で、実際にはそれほどの危険性が予期されていないときに起きた事故などに対して、心の準備を含めた危機管理と呼ばれるものが整備されていない結果を生んでしまう、この国の典型的な事故への対応の拙さに繋がるものであるような感じがする。結局、渦中にある時に更に悪い状況を想定することで、心理的な袋小路に自分自身を追い込むような行動をするし、何もないときにはあるはずがないという妄信的な考えだけになってしまう。いずれにしても、結果としては悪い方に行くので、もう少し違った考えがいろんな方面から出るようにしておけばいいのだが、どうもそういう異見を歓迎しない体制ができているようだ。今回問題となった原発の話にしても、原因として考えられるのは、反対されることを恐れたための安全神話がいとも簡単に崩れ去ったことによる。ひび割れなど、それ自体が事故につながるかどうかを完璧に予想することはできない。しかし、そういう危険性の確率をある程度示すことは不可能ではなかったはずだ。そういう状況であるにも関わらず、少しでも危険を感じさせるような出来事は、安全神話を崩すものになるということで隠すという最低の選択を取った人たちがいる。これがいつまでも隠し通せるものだったならば、それはそれで正しい選択だったのかも知れないが、結局どこからか情報が漏れてしまい、結果として苦しい立場に自分たちを追い込むことになった。この国では、原子力は原爆による被害を連想させるものとして捉えられているから、その意識を抑えるためには安全を主張する必要があったのだろう。それも、ちょっと安全、ではなく、完全に安全という、ほぼあり得ない状況を作る必要が。感情が相手だから、そんなに簡単な作業でもないし、いくら冷静に説明しても、受け入れられないものはそのままである。そんなところから、どんどん話を進めた結果、絶対という言葉を安全の前につける必要が出てきた。この不自然さはちょっと考えればわかることだが、どちらの立場からもそれ以外に選択はなかったのかもしれない。これが教訓になるのかどうかわからないが、あらゆることに対する危険度を測るときに、ゼロ以外の数字をちゃんと示す必要があるのだろう。そして、その数字を見て、それを基に判断をする姿勢をいろんな立場の人がとる必要があるのではないか。これは互いの話をきちんと聞くことにも繋がるし、自分の話をちゃんと伝えることの必要性も示している。ごく当たり前のことのはずが、こういった話の時に上手くできないのは、そこに何かの壁があるからなのだろうか。

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7月26日(土)−自助

 場所が変わると景色が変わることはよくわかっていたつもりだが、音が変わることにはあまり気がつかなかったようだ。以前、窓のないところで働いていたときには、外の景色が見えないから天気の移り変わりにも気がつかなかったが、よく考えてみると音に対してもまったく無関心というか、気にしようにもできない環境であったことに気がついた。
 今、外から聞こえてくるのは、アブラゼミとクマゼミの鳴く声、鳥の声も聞こえる。カラスはすぐにわかるけれども、あとはスズメとヒヨドリだろうか。チュンチュンとはよく言ったもので、何となくそういう具合に聞こえるから不思議だ。ヒヨドリの方は叫び声のような鳴き方で、ギャーとかキャーとかいった感じだ。景色を見ることも大切だと思うが、周囲の音を聴くことも大切なようだ。視覚と聴覚と、どちらを失うことがより大きな影響を及ぼすのか、などと議論することもあるが、失ってしまってからどうするのかを考えることは大切だとしても、どちらがより重要なのかということを決める必要はなさそうである。どちらにしても、人間が生きていくうえで重要な機能であり、それを失ったときには、補うための様々な努力や工夫が必要となる。視覚障害者や聴覚障害者を見かけたときに、どうしても助けが必要な場合を除けば、あちらが要求しないかぎり口も手も出すことはない。傍から見ていると、おそらく観察者の顔をしているのだろうし、いかにも冷たい雰囲気が漂っているのかもしれない。しかし、障害者は大変で、かわいそうだからという気持ちをもって、彼らと接することが必ずしも良いこととは思わないから、どうしてもこういう行動をとることになる。障害のあるなしに関わらず、助けが必要なときにはきちんと要求すべきだし、周囲の人々もそれに応える必要があると思う。しかし、助けが必要かどうかわからないまま手を出すことは、時には単なるお節介ということになる。それを言葉で確認することは別に悪いことでもないが、そこまでしないことの方が多いようだ。確かに、声をかけられて、助かったと思った経験のある人が多いだろうが、もしかけられなかったら、どうしていたのだろうか。まあ、そんな仮定の話をしても仕方のないところだろうが。障害者に対する行動で注意して欲しいと言われることに、何かができないのだからと相手を下に見ることのないように、というものがある。対等な立場に立ったうえで、何か助けが必要なときに、手や口を出せばいいわけで、何でもかんでも助けてしまうのは良くないという考えからだ。これについても賛否両論があるようで、要求自体をあまり良くないものと見なすこの国では、障害者といえども中々言い出せない場合が多く、それならば周囲からという考えも出てくる。それに対して、必要ならば要求をとつなげる欧米ではどちらかといえば、無理やり手を出すことはないと聞く。文化、習慣の違いかも知れないが、どちらが良いとは決めつけられないのだろうし、その間にきちんとした線を引くことも難しい。ただ、ある障害者の書いた本がラジオの朗読の時間に読まれたときに、なるほどと思うことがあった。別の障害者がある集まりの後に、会場に散らかったゴミを拾っているのを見て、不思議に思って尋ねたら、自分にできることをやっているという返事が返ってきたそうだ。その時、何でも人に頼ろうとしていた自分の考えとの違いにはっとしたそうである。障害者ではない人がこれを言えば、押し付けに聞こえただろうが、当事者の言葉だから余計に印象に残った。

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7月25日(金)−異郷

 今年の梅雨はかなりしつこいようだ。というよりもおそらく北の高気圧が強すぎるのか、南の高気圧が弱すぎるのかして、梅雨前線を押し上げる力が出ないからなのだろうが、単に雨が続くだけでなく、気温も低い状態が続いているので、暑い夏を期待する向きにはあてが外れてしまったということになる。最近はこういった不順な天候が繰り返されているような気もするが。
 そんな中で、やはり夏がそこまでやってきていることを実感させられるのは、身の回りの自然の変化だろう。特に夏となればこれと言われるのは、蝉の声ではないだろうか。さすがに気温が低過ぎるらしく、いつもならもう聞こえてもいいはずが、とんとご無沙汰のようであった。今年の初鳴きは、結局、昨日のことである。ただ、これまでと違うことがあった。今まで住んでいたところでは、始めに鳴き出すのはジィ〜という声のニイニイゼミであった。その数が最近激減しているという話があるが、その通りのようで、その声を聞くか聞かないかのうちに、もっと大きな声のアブラゼミがうるさく鳴き始める。これまでの例からすると、この順で鳴き始めて、次にクマゼミ、さらに秋を迎える頃にツクツクホウシという並びになっている。他にも、ずっと早くから鳴き始めるハルゼミとか、ミンミンゼミとか、ヒグラシとか、その場所場所で違った種類の蝉の声を聞くことがあるが、大体東京と大阪の間の平地だと、上で書いたような順序になっていた。ところが昨日初めて聞いた蝉の声は、カナカナカナときたのである。まるで山の中に入ったような気がしてくるから不思議だが、ヒグラシといえば林の中とか山林の中といった印象を持っている。ひょっとすると山が近いせいなのかも知れないが、ニイニイゼミやアブラゼミの声が聞こえないというのも、なんだか寂しい気がしてくる。自然というのは、人の手があまり入っていないわけだから、それぞれの土地特有の特徴をもっていて、他所からやってきた者にとっては、とても不自然に思える場合もあるのだが、これはまったく逆の話で、他所者が不自然なわけである。この先、どんな蝉が鳴き出すのかちょっと楽しみな気もしてくるが、何が起きるのか予想もつかない。もう既に、これまでの定番とはまったく違った順番になってしまったから、何が起きても不思議ではない。さすがに、ヒグラシだけでおしまいになるとも思えないが、今年だけの例外的なものなのか、はたまたいつもの通りなのかもわからない。そう考えながら待つのも、楽しいものなのかな、と思うのである。新しい土地にやってくると、地理にも疎いわけだし、そういった自然の季節の巡りにも慣れていない。それを不自然だと感じたり、おかしいと思ったりすれば、できないこともないのだが、だからどうしたということになる。郷に入れば郷に従え、というほど大袈裟なものでもないのだろうが、こんな身の回りの変化に対しても、そういうものかと受け入れる気持ちを持てば、そんなにイライラすることもない。どうも何かにつけて、自分の思い通りにならないと気がすまないという人がいるが、こういうところにもそんな気持ちがあらわれるのかも知れない。おかしいと思うのは、違いに気がつくために必要なことだが、だからといってこうあるべきとするのは、必ずしも正しいことではない。自然を相手にすればさすがに無理を通すことが難しいのだろうが、実際には周囲の人間関係を含めてこれと同じようなやり方をする人たちもいる。自分のやり方に固執することも、相手にあわせることも、ただそれだけでは良い結果を産まないことが多い。自分の存在を意識しつつ、環境との折り合いをつけられれば良いのだが、これがまた結構難しいものなのだ。それでもそういった意識くらいは持ちたいものだ。

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7月24日(木)−典例

 以前、失敗学なる学問が興され、その学会までできたという話を紹介した。先人の失敗を検証し、そこから学ぶべきを学んで、同じ轍を踏まないための手法を研究するといったものだと思うが、そこでは失敗にしろ成功にしろ前例というものが重視される。従来は成功例だけを取り上げていた風潮を改めようとする動きの一つだ。
 では、失敗は何でも参考になるのかというと、そうでもないらしい。失敗の中にも、誰もやりそうにもないものもあれば、原因がはっきりし過ぎていて参考にならないものもある。様々な原因が交錯して、意外な繋がりを形成し、そこから思いもよらない失敗の原因を引き出すことができれば、それを検証した意味が出てくる。ただ、それぞれの失敗を上辺からのみ捉えるのでは見つからないことが多いから、まずは調べてみる必要があるようだ。一方、失敗というのは何も成功の反対とは限らないように思える。成功とは何らかの報酬が得られる場合が多く、ごく当たり前のことであればあえて成功などと呼ぶ必要はない。平々凡々に過ごすことを人生の成功と呼ぶ人はいないだろう。しかし、何かに躓いてしまえば、それは人生の失敗と見なされる。そこには、成功、平凡、失敗、といった線状の関係があり、どこに落ち着くかによって、気分も変わるだろうし、当然ながら周囲の環境も変わってくるだろう。このように、成功と失敗という二極だけでは捉えられないものでは、失敗をしないための方策が必ずしも有効とは限らない場合もある。何もしなければ失敗せず、平凡な生活をよしとすれば何も問題は起きない。最近の風潮はこの何もしないというところに向っているようで、ちょっと怖い感じもするが、これはこの国に限ったことではなく、世界的にもそういった流れがあるようだ。戦争のない、安定した世の中では、そこに安住するのが一番で、あえて動くことは単に無駄な動きを産むだけのことになりかねない。何もしなくなると、お互いに何かしていることが気になるものである。平均から外れた行為、常識でははかれない行動、様々なものまで気になってくる。ただ、気にしていることに意味を持たせたいから、必ずと言っていいほど、そこから学ぶべきものがあると主張する。つまり、このような例でも失敗例から何かを学び取るというわけだ。しかし、もともと何もしないのが流れであるから、たとえ何かを学び取ったとしても自分の行動に反映されることはない。その辺りの不思議は、気になる気持ちが強いからあまり気にならないのだろう。そこまで極端でなくても、最近頻繁に取り上げられている若年層の犯罪に対する関心には、首をかしげざるを得ない。こちらから見ると興味本位としか思えないのだが、そこには犯罪に走った動機や背景を知ることによって、様々なことを未然に防ぐことができるといった論理を押し付けている人びとがいる。若年層の心理を研究している人にとって、重要な事柄であることは確かだが、一般の人びとにとって、何が参考になるというのだろうか。疑問に思いながら、やり取りを聞いていたら、とんでもないことを言う人がいた。凶悪な犯罪を犯した少年の動機や背景が、自分の子供達が犯罪に走ることを未然に防ぐ手だてになるというのだ。驚いた一番の理由は、自らの子供が犯罪に走るという前提である。誰でもその可能性がゼロということはないが、家族それも親がその疑いを持っていること自体が既に危うい状況を暗示しているのではないだろうか。興味本位の動機を隠蔽するために使う論理だとしても、あまりにも非常識だと思った。危機意識を常に持っておく必要があるという主張がよく聞かれるが、それがこういう形で表面化するとどこか歪んだ世界を想像してしまう。既にこんな状況だからこそ、そういう危険性にまで思いを馳せねばならないのかも知れないが、そこまで行かない手だては凶悪犯罪から学ばなくても十分に見つかるものではないか。一般化できない例にばかり気持ちが行ってしまい、そこら中に転がっている些細だが当たり前の例に目が届かないのでは、目の前の問題を冷静に捉え、分析することなど叶わぬことであろう。

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7月23日(水)−擾乱

 高校以下の学校は夏休みに入って、その年代の子供を抱える家では、頭を抱えているところもあるのではないだろうか。課外活動などに参加していれば、在宅時間も減って、今までとさほど変わらない生活が続けられるのだろうが、そうでなければ変化が大きすぎて対応できない親もいるだろう。まあ、放っておけば済む話のようにも思えるが。
 先日の連休中にあるホテルは満室だったのだそうだ。普段はどんなに忙しい時でもそういうことはないのに、と驚いたそうだが、一方で景気の悪さが感じられないとも言っていた。相変らず、学者や有識者の人びとは油断させまじと数字を掲げながら、景気の低迷を連呼しているが、問題は向っている方向だと思う。以前の良い時に比べて悪いように見えるのはある意味当たり前であり、彼らに示して欲しいのは、それが上向きか下向きかということである。数字は事実を伝えるように見えて、言いたいことを言うために細工をすることはいたって容易であるから、それが示されたからといって鵜呑みにはできない。なにしろ、自分達の席を守っているとしか思えない口ぶりが気になってしまうのだ。さて、経済の状況がどうなのか、という全般的な話ではなく、個々の会社や組織のことを見てみると、色んな会社が様々な努力や改革を実施して、何とか良い方向へ向おうとしているのがわかる。特に、外国からトップを迎えて、というところが注目されているようだが、実際には国は違わなくても違う会社や組織からトップを迎えるところも出ている。前者のことばかりが注目されて、後者がさほど大きく取り上げられないのは、結局これまでも天下りのような形や銀行の梃入れといった形で行われたにもかかわらず、それほどの効果が得られなかった例があるからなのだろうが、最近の例はちょっと違うような感じがする。単なる腰かけではなく、やってくる人物にそれなりの覚悟があるということもその理由の一つだろうが、迎える会社にもかなりの覚悟があるからなのだろう。以前のように、敵がやってくると考えれば、いかにしてその力を減退させるかが重要な意味を持つが、改革の救世主がやってくると考えれば、少しは違った迎え方ができるのだろう。そうは言っても依然として、動きの鈍いところはあるが、まあ邪魔ばかりをしていた時とはかなり違ってきているのだろう。外国人によるとは言え、そういうやり方の成功例がはっきりとわかる形で示されたことも大きな要因の一つになっているだろうが、ちょっとした考え方の違いによるものなのかもしれない。ある業界ではここ数年再編が続いていて、合併につぐ合併で、元の会社の構成がわからないほどになっていたが、それでも出身母体の影響は根強く残っていて、それを崩すほどの改革は起きていないのが現実であったようだ。そこへ類似業種とはいえ、まったく違う業界との合併のような形態が採られることになり、まったく畑違いの人びとの流入が起きた。そうなれば、しがらみも何も表面的には感じられなくなるから、かなり大きな動きができるようになる。その結果が出るのは、まだこれから先のことだろうが、改革が進むことは確かである。今までなら、硬直した組織を崩して、新たな組織を再構築することが、難しかったのだが、こういうやり方でやっとのことで新規の組織を組むことができる。それ自体が良い方向に向うかどうかは定かではないが、まあ今のままズルズルと進むよりは良いのではないか、といった見解が聞かれるのも、大規模な改革が良い結果を産んだ例が実際にそこにあるからなのだろう。やると決めたらやるべきで、任せると決めたら任せるという考えが、今までどこか別のところに置き忘れられていたことが、改革を必要とする時代にうまく適応できない状況を産んでいたのだろう。あまり大きな効果は期待できないにしても、今のままでなければならないという考え方に固執することの弊害を少しは意識するようになったことは、明るさを取り戻すきっかけになるのではないだろうか。

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7月22日(火)−潮溜り

 どうも祝日のことがわかりにくくなっている。何日分か増えた頃から、祝日の呼び名を覚えることをやめてしまったみたいだし、まして連休を作るために新たな制度が導入された時には、ただ面喰らうばかりで、何がなんだかわからないままに、突然休みがやってくるという状態ができてしまった。
 祝日等の休日が一番嬉しかったのはやはり学校にいっていた時代だろう。どんな理由で国民が皆で祝うようになったのか、などということははっきり言ってどうでもよく、とにかく休みが嬉しかった。だから、学校が休みになっている時期の祝日にはこれまたあまり興味がなく、元旦は別の日になれば良いのに、などと思ったこともある。その意味では、海の日と天皇誕生日はあまり嬉しくない時期にある祝日である。ただ、海の日は連休大作戦に乗せられたから、ちょっと違ってくるのかも知れない。但し、今年に関しては夏休みに入ったばかりで、子供達にとってあまり嬉しくない巡り合わせになってしまったようだ。それでも、海の日の昨日は様々な海にまつわる行事をテレビやラジオで取り上げていた。その中で、懐かしいと思いながら聴いたのは、ラジオでやっていた磯からの中継だった。干潮の時間ともなれば、普段は波の下に沈んでいる岩場も海面上に顔を出すようになる。岩がゴツゴツしていて、でこぼこがあれば、そこに水たまりができるだろうし、当然ながらそこに棲んでいる生き物をじっくり観察することができる。小さい頃、海に行くと言えば、まず海水浴であり、砂浜に落ちている貝殻を拾うか、潮干狩りをやるのがせいぜいだったが、野外理科教室では磯に出かけて色んな生き物を採集したり、観察したりする機会があった。ビル掃除の人たちがガムを剥がすのに使っている鉄製のへらのような道具や鎌の小型版のような道具を使って、岩にへばりついている生き物を剥がしたり、たがねのようなものを使って、岩を割って、貝を採ったりしたと思うが、記憶が不鮮明ではっきりしない。たぶん、ホルマリンを瓶に詰めて持っていき、そこに採集した生き物を入れて、あとからじっくり観察したのではないかと思っているのだが、それらがどこへ行ってしまったのやら、はっきりしない。でもとにかく、色んな珍しい生き物に出会えたことだけは覚えている。イソギンチャクやフジツボ、カメノテなどはどこにでもあるし、一生懸命探す必要もない。フナムシはそこら中うろうろとしているし、ヒザラガイはパッと見つかるが、どちらも採集は難しい。素早い動きや剥がしにくさなどが原因で、小学生くらいでは中々うまく行かない。見つけて面白いと思ったのは、オレンジや黒のカイメンとウミウシだろうか。カイメンは本当にスポンジのような生き物がいるということを初めて知って驚いた。これが植物ではなく動物の仲間になるということも、印象的だった。ただ海の生き物はこういった見た目と系統の違うものが多くて、珊瑚もその一つである。ウミウシの方は小さいものが多いが、色鮮やかなので、比較的見つけやすい。その格好と色のアンバランスに目を奪われていたようだ。他にもイトマキヒトデやクモヒトデ、ヤドカリ、カニ、小魚などを見たような記憶があるが、どれもはっきりとしていない。それから十年後に本格的な観察をしたから、それと混同していてはっきりしていないのかも知れない。いずれにしても、水辺で色んな生き物を見つける作業はまるで宝探しに似ている。どんな宝が見つかるのかわからないからこそ、楽しさが増すというものだ。こんな楽しみを知らないまま、大人になった人たちが多いという話には残念な気もするが、生き物を見たとたんに気持ち悪いと叫んでしまう人の多くは、未経験なのかも知れない。

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7月21日(月)−土用

 梅雨が長引いているせいか、夏バテという言葉が全然聞こえてこない。まあ、それだけ気温が上がっていないわけで、だから過ごしやすいかと言えば、やはりこの湿度の高さには閉口してしまう。どちらにしても、この季節は過ごしにくいものと諦めておくのが一番、なのかも知れない。
 さて、猛暑がやってきていないのに、暦の方はちゃんと毎日一枚ずつめくれていくから、そろそろ土用の丑の日が近い。今年は何日だったのか、調べていないからわからないが、そろそろ土用に入ったことだろうから、もうすぐなのだと思う。しかし、夏バテと結び付けられるこの日も、これだけ雨ばかりだとあてが外れてしまうのではないだろうか。土用の丑の日にうなぎを食べる習慣があるとよく言われるが、これが定着したのが江戸時代と言われている。エレキテルなどで有名な平賀源内が鰻屋の宣伝として使ったなどと言われているが、それが始まりかどうかは定かではない。いずれにしても、うなぎのもつ栄養価と夏バテの時の栄養補給を上手く繋げたものとして、数百年も語り継がれているわけだから、伝説のコピーライターと言われてもよいほどである。日本人ほどうなぎが好きな人びとはいないと言われるが、確かにその通りで、うなぎの料理法などからしても、日本ほど様々なものがあるところはないと思う。中でも醤油を基本としたタレをつけて焼く蒲焼きはうなぎの肉の旨さだけでなく、焼く時の香りも入り混じって、夏バテでくたびれた体にも食欲を起こさせる力をもっているようだ。それほどの人気だから、ただ捕獲するだけでは消費量に追い付くはずもなく、いつ頃からか養殖という方法がとられるようになった。養殖は、完全なものではなく、海で生まれた幼魚が川に戻ってくるところを海岸近くで捕まえ、それを育てるというやり方である。昔は、浜名湖の周辺が養殖場として有名だったが、最近はほとんど見かけない。養殖池の名残りは残っているが、空気を送るための水車のような機械も動いていないし、水草が生えているところも多い。その後は、愛知県の一色というところに主生産地が移り、さらに最近では鹿児島の方が一番の生産地となったようだ。しかし、スーパーなどに行くと国内産のものは量が少なく、主に中国産のものが出回っているようだ。価格も倍くらい違うだろうか、この原因の一つは幼魚の捕獲量が激減しているためであると言われる。同じ幼魚を使っていれば、中国産も当然減っているはずだが、そうなっていない。その理由は違う種類のうなぎを養殖しているところにある。国内産の養殖うなぎはニホンウナギという名前のうなぎだが、中国産のものはヨーロッパウナギと呼ばれるものである。種類が違うから味が違うのも当たり前で、中国産の方が脂こいとか大味とか言われるのは育て方の問題だけでなく、氏も違うからである。そうは言っても、本物の美味しいうなぎを食べたことのない人びとにとっては、「うなぎ」であることが重要で、その味など二の次である。当然、よくわからない味よりも、はっきりとわかる価格の方が重視される。そんな状況だから、当然売れる量も違ってくるわけで、これじゃあ国内の養殖業者が嘆くのも仕方ないと思えてしまう。その上、幼魚の捕獲量が減少して、その価格が上昇すると、当然売られているうなぎの価格にも影響を与える。そんな具合だから、なんとか卵を産ませる段階から養殖するという完全養殖ができないのかと言われていた。うなぎの生態はよくわからないところが多く、特に産卵場がどこにあるのかが大きな疑問であった。マリアナ海溝の深いところと言われたりしたが、そちらの方はまだここという決定打はないようだ。一方で、魚の産卵はホルモン注射などによって制御できることが知られていたが、うなぎに関してはうまくいったという話を聞いたことがなかった。ところが最近、そちらの方が成功したという報告があったそうだ。もし、これが実用化されれば、うなぎの供給は安定して、国内産も少し安くなるかも知れない。それにしても、ひらめ、マグロも完全養殖が可能になったらしいし、魚も牛、豚、鶏と同様に人間が育て、食べるものになるのだろうか。

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