パンチの独り言

(2003年9月15日〜9月21日)
(余生、反面、送迎、近似、訓練、逆立ち、気配)



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9月21日(日)−気配

 昨日から雨がぱらつき始め、いよいよ本格的に降ってきた。前線が列島の上に横たわっていることと、南岸沖を台風が通過しているためらしいが、極端な天気が当たり前になっているとは言え、どこかで豪雨にならないことを願うのみだ。このところ暑くて乾いた天気が続いたから、お湿り程度の雨は歓迎だが降り過ぎはちょっとといった感じだろうか。
 雨が降るととたんに困ることがある。当然のことながら湿度が上がるから、乾燥という作業には困る。洗濯物を乾かす場合に、直射日光に当てることの大切さはあるが、毎回しなければならないものではない。この頃は家庭用の乾燥機も普及し始めているから、日の当るところに干さない人も多くなったのではないだろうか。といっても、やはり普及率からいえばまだ大したことはない。だから、洗濯をしなければならない時に雨が降ると困ってしまう人もいる。以前なら、室内に干して、何となく乾くのを待ったり、ちょっと強制的なやり方だと、エアコンをドライにしたり、乾燥機を作動させたりしていたが、この頃は近くにあるコインランドリーの乾燥機を利用する人が増えているようだ。家庭用の乾燥機に比べるとガスを使っているから効率が良いし、乾燥の温度もかなり高くなっているから、仕上がりは良さそうだ。しかし、温度が高いことから生地によってはひどい目に遭うから気をつけねばならない。こんな具合に色々と便利になっているとは言え、雨が降る、それも週末となると利用者の数が突然増えて、順番を待たねばならないことも起きてくる。いくら効率が良くなったとはいえ、やはり時間のかかるもので、一度に30分程度の乾燥時間を見ておかねばならないようだ。そんな状況で利用者が増え、待っている人が出てくると自分の番が回ってくるまで、なんとも手持ちぶたさの時を過ごさねばならなくなる。一方、時間がかかるということはその間に別のことができると考える人も多く、機械を動かしておいてどこかへいってしまう人も多い。順番を待っている人は動けないが、動かし始めてしまえばそこにいなくてもいいと考えるのも、ごく自然な成り行きである。しかし、次に待っている人がいようがいまいが、終了時間通りに戻ってこない人がいる。こういう迷惑行為はごく当たり前のことのようで、場所によっては注意書きに「作業を終了した洗濯物を機械の外に出す場合あり」と書いてあるところもある。書かねばならない理由は色んなトラブルがあるからだろうが、もともときちんと時間を守るようにしておけば、大したことにはならないし、ほんの数十分のことだったら待っても大したことはない。と思うのだが、この世の中は忙しい人ばかりのようだ、すぐにどこかへいなくなってしまう。他の人に自分の持ち物を触られることを忌み嫌う人が多いのに、こういう時には簡単に放置するのはなんとも不思議な感覚だと思う。他の利用者との関係で、もう一つ気がついたことがある。順番を待っている人にとって、利用が終わった人にはさっさとして欲しい気持ちがある。だから待っている目の前で、ゆっくりと作業されたりすると、イライラしてくるのではないだろうか。面白いと思えるのは、乾燥が終わった洗濯物の片づけ方である。すぐうしろに次の人が待っているにも関わらず、悠然と洗濯物をたたみ始める人がいるのだ。おやと思いながら眺めていると、まるで自分の家にいるがごとく、ゆったりとそして丁寧にたたんでいる。あれは並んでいる人間にしてみたら、逆撫でされているように見えるのではないだろうか。忙しいからこそ、乾燥時間のうちにどこかへ行っていた人が、他の人たちの忙しさは目に入らないといった感じだ。これは何もこういう場所に限ったことではなく、ごく普通にどこでも見かけるものとなってきた。待つための忍耐が姿を消すと共に、待たせる無配慮が大手を振って目立つようになった。今はいかにも釣り合いのとれていない時代で、こんな調子では何が起きても不思議ではない。自己中心的な考え方のせいなのか、はたまた忙しさのせいなのか、理由ははっきりしないのだが。

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9月20日(土)−逆立ち

 暑さ寒さも彼岸までと昔から言うから、さすがの残暑もそろそろ終わりになってくれるのだろうが、このところの気温を眺めていると何度も言うけれどもひと月ずれているのではないかと思えてしまう。ただ、気温が高くても、自然のものは別の時計で動いている面もあるから、帳尻あわせといかないようだが。
 今年の夏は気温が低すぎたので、日周期などの別の時計で動いている生き物たちはかなり右往左往させられたのではないだろうか。セミの話題は何度も出しているが、彼らも順番はちゃんと守ったとはいえ、時々いつまで鳴いているのかとミンミンゼミに言いたくなることがあった。これだけではないのだろうが、それほど詳しく観察しているわけではないから、何か例を出すこともできないが、とにかく惑わされていたようだ。そういえば、どこかの公園で9月はじめに彼岸花が咲いたという話があったが、さてここで再び全国各所から花の便りが聞かれそうだ。コスモスの咲き方がちょっと変だというニュースもあったし、まあ色々と起きるものだなあと感心する。ただ、結局一度例年にないほどの冷夏という方向に固められると、話題性という面からもその方向のものを取り上げることが多くなるから、実際に目の前で起きていることをきちんと見ないと、どこまでこの傾向が当てはまるのかはわからない。話題性というのは結局それを受け取る方に印象強く残るかどうかが問題だから、何かしらの先入観がある場合にはそれに乗っかるのが一番楽な方法で、別の方向の話題があっても、それを取り上げるよりも今皆が向いている方向の話題を取り上げる方が得ということになる。ここで何度か取り上げたが、ニュースの見方をちょっと変えてみるというのは、作り手の意図の中にそういったものがあるからで、それを見極めるためには、単に出されたものをそのまま受け取るというのではなく、ちょっと違う角度からみて、そこに何があるのか、また何か隠されているのかを見てみたほうがいいということなのだ。ひねた見方などという言い方もあるが、それというよりもいろんな見方をしてみると言うことなのだ。その中に時々他の人たちから見たらおかしな見方も出てくるのだろうが、それによって別の発見があるのなら、それはそれでいいのだろう。何でもかんでも鵜呑みにするような調子では、ほとんどのことが誰かの意図によって制御されてしまうことになり、ある方向に暴走することにつながることがある。ある時期この国はそうなってしまったことがあることからすると、全体としてみればそういう性向があるといわざるを得ない。今のところ、落ち着いた時代をすごしているから、そういう極端な行動が起こされることもないが、今後どうなるのか何の保証もない。まさか、新聞を上下逆さまにして読むわけではないが、とにかくそこにある文章と意見を交わすくらいの気持ちを持ってみるのもいいのではないだろうか。

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9月19日(金)−訓練

 このところ、一日あたりの文章の長さが徐々に増しているようだ。一週間あたりのファイル量も増えていて、まとめ方が悪くなっているのかなと感じる。まあ、そんなことを言っていても、実際のところは思い付きをただ書き並べているだけだから、長さの調整はなんとなく程度のものにしかならない。書く方は自然と思っているが、逆に見ればいい加減と言ったところか。
 書くことの訓練にどんなものがあるのかほとんど知らないが、結局は好きこそものの上手なれといったところだと思う。まあ、この一言はもしうまくできない人がいれば、諦めを促すようなものだから、冗談じゃないということになるのだろうが。逆に言えば、いろんな文章を書いて、それを自分なりに評価できるようになれば、何とかなるものだということだが、始めに書く段で嫌々やっていたのでは難しいということなのだと思う。同じように、人前で話すのも訓練と言うか経験がものを言う場合が多い。こちらは某放送協会がそういった教室を開いているくらいだから、専門家から見ればある必要要素があるのだろう。ある程度上手くできる人がさらに上を目指す形式のものもあるが、まったくしゃべれない人のためのものもあるらしい。最近は対人恐怖症などといったことがよく話題になるくらいだから、深刻な悩みを抱えている人も多いのだろう。別段話す為の訓練というものではなかったのかもしれないが、バブルの頃によく会社員を対象としたセミナーなるものが開催され、その内容がテレビで取り上げられていた。これがまあ凄いとしか言いようのないもので、今で言えばディベートの一種のように見えるものもあれば、不特定多数の前で大声で何かを発表するといったものもあったように思う。前者は相手を罵倒するような調子で進められていたから、喧嘩の訓練のように思えるものだった。一方後者も今思い起こせばかなり異様なもので、学生時代に何とか主義と呼ばれる活動をしていた人たちが学生食堂の前で黒板を使いながら何か訳のわからない話をしていた姿が浮かんでくる。当時はこういう時代を生きてきた人たちがセミナーの主催者になったのだろうから、こういうやり方が多用されたのはよくわかるが、それにしても芸のないものと映ったものだ。あの当時、大企業はそうでもなかったのだろうが、ちょっと小さめの企業では幹部候補とされた人々がそういうセミナーに参加させられていたようだ。それにしてもあんなことで何か特別な能力が身につくとは思えなかったし、実際そういうものを受けた人々もそんなことを心のどこかで思いながらいたのではないだろうか。あんな半分狂気に思えるようなやり方も、バブルという狂乱の時代ではごく当たり前というか、それが必須アイテムのように見えていたのだから、恐ろしいものである。何がどう変わってきたのか、今の時代は自信の無さを表面に現すことが大切なように見え、その上で仕事をきちんとこなすことが能力を示す指標のように扱われているようだ。まあ、自信のあるなしにかかわらず仕事をこなすことが出来ればいいのだが、はたしてその辺りの相関はどうなっているのか、よくわからないけれども、それは自信などという測りようの無い心の指標をもとにしているのだから仕方の無いところだろう。最近はちょっと変わってきている部分もあるが、誰しも上昇志向をもつのだろうから、そのために役に立つ訓練があれば何とか受けたいと思うのも当然だ。しかし、何をどうするのか、心の部分も含めた話となれば、訓練にも向き不向きがあり、全ての人に意味のあるものはなさそうである。受けるにしても無理のない程度にしたほうが転ばずに済みそうに思えるのだが、そんなことを言っていては上がれないものかもしれない。

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9月18日(木)−近似

 この間ある数学者に関する本を読んだ。と言っても、その人は一般の人に有名な人ではなく、数学という分野のそのまた一分野の中でかなり有名だった人のようだ。また、有名な学者はどこか有名な大学の教授であるという思い込みがあるが、ほとんどそういう地位についたこともなく、放浪という言葉がぴったりの人だったらしい。世の中には変わった人もいると改めて思った次第。
 それにしても、この辺りの話を書いただけで、かなりの変人の予感がしてくるが、読んでみてその予感が適中したのは喜ばしいことかそれとも逆なのか。いずれにしても、放牧民が定住地を見つけてしまうと、それまで活かされていた才能が駄目になり、他の才能を見出せれば幸いだが、そうならなければただ余生を送るのみになるという話と、何となく近いものがあるような気がした。落ち着く場所を見つけることが心の平安をもたらし、その後の人生を輝けるものにする人もいれば、落ち着くことによって心の葛藤が無くなり、結局自分自身の活性を下げることに繋がる人もいる。おそらくこの人の場合、後者だったのではないかと思うが、本人がそう思って落ち着かないようにしていたかどうかはわからない。なにしろ、その時その時の思いつきのまま行動していた節があるので、それほど真剣に定住することに関して考えていたようには思えないからだ。それにしても、こういった特異な行動を示す人びとが出てくると、最近の学校内で見られる特異行動を示す子供達との類似点を見つけだそうとする人がいるから不思議である。特異行動とは、集団の中で皆が行っている行動とはかけ離れた行動を行うことで、以前も引き合いに出した多動症と呼ばれるものがそれにあたる。この国にそういった言葉が入ってきたのは、それほど昔のことでもないから、それ以前にそれに似た行動を示していた人びとはまったく違った呼ばれ方をしていたようだ。今でも、学校内ではなく、社会に出てからの場合には、たとえば困った君とか困ったちゃんとか呼ばれることも多く、単に組織全体の流れに乗れない人びとといった扱いを受ける場合の方が多いようだ。こういった行動が単なる躾や家庭教育の問題ではなく、障害として社会的に認知されたのは、言葉が米国から入ってきてからだが、それとともに、ある女性タレントの子供の頃の出来事を語った本がベストセラーになってからだと言われる。学校内での行動が他の子供とまったく違った様相を示していて、別の学校に行くことによって、その問題が解消されるのではなく、ある程度対処の仕方が生まれてきたという話だったと思うが、消すことによってある能力を失わせるよりも、別の対処能力を身につけさせることによって持っている能力を最大限に活かそうとするものだったのだろう。こういう話が出てくると、偉人と呼ばれる人びとの中でそういった行動をある面で示していた人たちを引き合いに出すことが増えて、あの人もこの人もという話になる。そういう子供と関わっている人びとがこんな話に興味を持つことは理解できるが、一方であの人もこの人もと何か大きな才能を開花させた人びとだけを引き合いに出す行為には、首を傾げてしまう。そんな人びととは別にもっとずっと多くの普通の能力を持ち、普通に生活し、普通に一生を送った人びともいるし、逆に一生悩み続けてくらい生活を送った人もいるだろう。また、何も悩みはなかったけれども、自立することもなく、一生を終えた人もいるだろう。そういうごく普通とか暗い面を持つ人びとのことには興味を持たず、目の前にいる子供にもその機会があるはずと願いたくなる気持ちはわかるが、どうも無理矢理と言わざるを得ない気がしてくるのだ。はじめに引き合いに出した数学者もそういう意味では特異行動の大盛りのような人だったらしく、周囲にかけた迷惑は普通に考えたら尋常とは思えないほどだ。しかし、周囲の数学者から見ると、それよりも数学の才能の方が素晴らしく、奇異な行動には目をつむるべきと考えたくなったのだそうだ。こんな周囲の理解があってこそ、才能が活かされる場合もあるわけで、それだけの覚悟をした上で、関わっている子供の才能を活かそうとできるのかを考えることも必要だと思う。また、一方で、ある時ある場面の行動を伝え聞いて、特異的な症状と判断するのも、危険が伴うと思う。本人がその症状と付き合うための手だてを自分で見つけていたかも知れないし、実際には誰もが持つ行動が極端な方向に出ただけかも知れないのだ。信じることはとても大切なことだと思うが、信じたから実現するほど簡単な話ではなく、その信念に基づいて様々な手当てをすることが重要だということとそれでも特別な存在になることはごく稀であることを承知した上で、こんな話をするのがいいのではなかろうか。

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9月17日(水)−送迎

 毎朝の通勤の途中で、幼稚園の脇を通り抜ける。時間によるが、通園時間となると園の前の道には車が溢れている。送迎バスを持たないそこの幼稚園では、ほとんどの園児は親が送迎するから、車社会としては当たり前の現象なのかも知れない。しかし、予期せぬ行動をする子供をつれて、脇を車が通り抜けていく道を歩くのは危険きわまりないように見える。
 以前勤めていたところの近くでは、もっと凄まじい光景が見られていた。ある幼稚園の送迎バスの待ち合わせ場所に使われていたのだが、片側二車線の道路の一つの車線を50メートル近く占有する形で、その場所までやってくる親の車が駐車し、子供の送り迎えを行っている。当然、時間通りに運行されるわけではないから、30分程度のあいだその車は他の車の通行を妨げることになる。ほとんどの場合、母親がもっと小さな子供をつれて、送り迎えにやってくるが、なんとも傍若無人な振る舞いに傍を歩きながら閉口したものだ。ある程度有名な幼稚園なのかどうか知らないが、それらしく見えるのはそこまで車でやってこなければならない状況や彼らの車の種類から推測した結果である。それにしても、ああいった行動は常に子供達の目の前で披露されるわけだから、何が常識で何が非常識なのか理解せよという方が無理な話なのではないだろうか。今度見かけている幼稚園にしても、場所的には閑静な住宅街と呼べそうなところにあり、車で送り迎えしなければならないほど田舎であるとは思えない。また、一部の親は自転車の後ろに子供を乗せて、園までやってくるから、時間のことさえ考えなければさほど大きな問題とも思えない。しかし、現実には車でやってくるのである。面倒だ、時間がない、などという理由が前面に出てくるが、これがまた面白いことに、子供が早起きしないから時間が無くなるとか、自分が早く起きられないから仕方がないとか、本末転倒としか思えないような理由を当たり前のことのように出してくる。まあこういう世の中になったのだから仕方がないといってしまえばそれまでだが、どうも世の中の他のことと同じようにどこかねじ曲がってしまったように見えるのは、こちらの心の眼鏡がねじれてしまったせいなのだろうか。子供と歩いて幼稚園まで行けば、その間に色んな話ができるだろうし、色んなものを観ることもできる。寄り道ばかりして時間がかかるから嫌だと言う親も多いと聞くが、どのくらい余計にかかると言うのだろうか。また、日頃の運動不足が叫ばれている昨今、こういうところから親も子も実践していかねば、家でゴロゴロ、車でゆったり、などと言っていたのでは、なんともならないような気がしてくる。まあ、人それぞれ色んな考え方があるのだろうから、その本当の理由を見極めないで、こんなところで勝手なことを書いていても、仕方のないところなのだろうが、どうも気になってしまうのでしょうがない。40年以上も前の自分の頃のことを思い出してみると、今との違いに愕然としてしまうのだが、当時はまだ車の普及も大したことがなく、現在信号、横断歩道、歩道橋などで守られている歩行者も、その当時は守られる必要もなく、悠然と歩いていられた。それは、大人に限ったことではなく、子供にも当てはまることで、当時の幼稚園では親同伴の送り迎えをしていなかったと思う。少なくとも、帰りは子供達だけで一緒に帰り、道の反対側を行く一団は親分みたいな子供が他の子供をいじめたりして大変だったが、こちら側は幸いおとなしい子供ばかりで何ごともなく過ごすことができた。そんな状態だったから、帰り道にある大工の作業場によってひとしきり作業を眺めていたり、どこか寄り道をしていたように記憶している。その経験がよかったなどと言うつもりはないが、自宅と幼稚園の間を繋ぐ道が単なる通り道になってしまうこの頃の子供達には余計な経験を積む機会がないのだろう。こちらが良くて、あちらが悪いなどと断言できるものではないが、色んなことをすることが色んなことを身につけたり、色んなことに対処するために少しは役に立っていると考えれば、こんな年令の頃から様々な経験の機会を奪われている子供達はある意味不幸だと言えるのではないだろうか。毎朝のちょっとしたことで、別にそんな風に考えたこともないだろうし、そんな必要もないと思っているのだろうが、ちょっとしたことの大切さもたまには考えてみては、いかがかな。

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9月16日(火)−反面

 人にものを教えるためには、何か特別な能力が必要なのだろうか。人からものを教わるためには、何か特別な資質が必要なのだろうか。最近の教育界を傍から見ている限り、どうもこの辺りの質問に対して、当然必要であるという返答が返ってきそうな気がする。教え、教わる、いつからそんなに特別なことになったのだろう。基本的には親子の関係で、世代間で伝えられるものだが、他にも色んなものがある。
 こんな疑問が湧いてくるのは、もっぱら教育現場の荒廃という報道が流されているためで、自分の子供の頃と比べて何が違っているのか、考えさせられるからだ。大部分の人は、荒廃の原因を主に教育現場で従事する人びとに求めているのだろう。しかし、現場では教える側だけでなく、教わる側も参加しており、片方にだけ責任があると簡単に結論付けることには何か軽率な印象を受ける。最近話題となっていることに、教師の指導力不足がある。その例として一番に挙げられるのは、学級崩壊と呼ばれる現象で、授業が成り立たなくなることだ。成立しない原因は色々とあるのだろうが、主に生徒が教室からいなくなるとか、私語で授業を進行するのが不可能になるとか、そんなところにある。いずれにしても、教室内の秩序を保てなくなり、それを前提とする授業が進められなくなる。原因としては、ただ単に教師の側の責任だけでなく、生徒の間での秩序を保とうとする力の減退も挙げられ、他の子供達がやるから自分もという単純な動機であるようだ。これは以前からあった現象ではなく、最近特に目立つようになったものだが、以前ではそういう行動の芽を摘めたのに対して、この頃はそのきっかけも掴めない教師が増えたからとする意見もあるようだ。この際に話題として取り上げられるものに、以前話題にした多動症の子供があるが、この場合は他の子供の気持ちを散漫にさせる原因となりうるが、学級崩壊そのものへの寄与が大きいとは考えられていない。団体行動が苦手な子供に、他の子供の煽動が可能かどうかを考えると、不可能と結論付けられるからだ。とにかく落ち着きのない子供達で一杯の教室で、立ち往生してしまう教師に対して、指導力不足という札がつけられる場合もあるし、逆に生徒たちはきちんと聴いているのに、教科書の内容を教えることができない教師に対しても、同じように指導力不足という札がつけられる。こんな形で、札付きとなった教師たちは以前であれば、上司である校長や教頭などの判断で、現場から一時的に離されて反省を求められたり、教室に他の教師が同伴し、授業の改善を手伝ったりしたが、最近は教育委員会が前面に出てきて、自治体単位で指導力不足を克服するための手助けをするようになったようだ。大部分の教師はこれで、ある程度指導力を回復、あるいは身につけ、現場に戻るようだが、一部の人たちはこれでも無理ということで、退職したり、他の部署に移ったりするらしい。このやり方は、会社でもよく聞く話で、営業社員として採用されたのに、対人関係をうまくできない人たちに、外に出る仕事から、内勤の仕事に移され、それにも問題があると、更に他の部署へと行く。ただ、この場合も、結局何もできないとなれば、退職を促されるわけで、つまりは就職活動の際の適性に関する初期判断に誤りがあったということになる。適性という判断基準で考えれば、教師の資質に問題のある人びとも同じだが、どうも教えるとか教わるとかいったことに、そんなことが関係するのか疑問に思える。要は程度の問題なのだろうが、ある程度教科書に沿った形で授業を進めさえすれば、それで十分なはずで、そこに適性が入るとは思えないからだ。一方、子供の頃のことを考えてみると、教師の間で色んな意味で能力の差があったことは否めない。これは適性がないという意味ではなく、教え方の巧拙という意味であり、上手い方が印象に残るというだけである。更にへたくそな教師の場合も、反面教師的な役目は果たしており、ああいう考え方をしてはいけないとか、あの教え方ではとか、そんなことを思いながら接していたように思う。確かに、受験戦争を勝ち残るための技術を伝授することが、教育の基本であるという極論を展開するのであれば、教え方の巧拙が重要な問題となるが、それは教育の意味の取り違えと言わざるを得ない。ここまで極端なことはないのだろうが、教える、教わることのある一面だけを捉えているように見えるのは、こちらの誤解だろうか。それとも、餌がもらえるのを待つひな鳥のように、ただ待つだけの受け身の体勢に子供達がなるべきと考えられているのだろうか。

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9月15日(月)−余生

 このところ、100歳を超す老人の数が全国で何万人だとか、65歳以上の高齢者の数が2千何百何人で全国民の約五分の一になろうとしているとか、そんな年寄りの話がよく取り上げられている。何故、などと不思議に思う人はいないかも知れないが、敬老の日との絡みがあるのだろう。この日が定められてからは、この時期に高齢者の調査が行われるようだ。
 高齢化社会のことを深刻に取り上げるところは多いが、実際に一番大きな問題となるのはどういう点だろうか。たとえば、このところ政府の動きも激しい年金問題は最も大きな問題かのごとく言われるが、実際のところ生活設計を考え直す時期に来ていると思えば、個人個人の問題として片付けられそうな気もしてくる。そうは言っても、年金や医療費の問題は、バブルの前までは日本のシステムが非常に整っているように見えて、米国の個人主義的なシステムは弱者を切り捨てるものとしか映らなかった。ところが、財政に破綻をきたしてからは、大前提が否定され、せっかくのシステムが油切れとなり、崩壊寸前にまで追い込まれている。ここまで来ると、国民の意思に期待するのではなく、無理矢理ふんだくる税金制度的なものが必要となるのだろうか。いずれにしても、個人の暮らしは国が守ってくれるのではなく、個人が守らねばならない時代に来たようだ。次に問題となるのは、年金との絡みと言えるのかも知れないが、高齢者の雇用の問題がある。今まで通りの制度が継続していれば、退職後の生活にもさほど心配する必要がなかったのだろうが、最近の動きを見ていると生活そのものの心配をしなければならず、そうなれば当然収入の道を模索しなければならない。しかし、世の中ではまだ高齢者の雇用に関する認識が明確になっておらず、その道が閉ざされている場合が多い。たとえ職があったとしても、警備員、清掃員といった類いのものが多く、とっさの場合に対処できない可能性が考えられるし、その人の持っている能力を生かしていない場合も多い。別に、ここで挙げた二つの職業が仕事として下に見られるべきものとは思わないが、人それぞれの持っている能力を考慮した上で選択されたとは思えない場合が多いので、例として挙げたに過ぎない。いずれにしても、これからは、年齢を加味するとはいえ、人の持つ能力をいかにして活用するのかを考えたうえで、雇用問題に取り組んでいく必要があるだろう。若年層の失業問題だけでなく、高齢者層の再就職の問題も深刻となっているが、もう少し現実的に考えるようになれば、後者の問題は比較的容易に解決できそうに思える。働けるうちは問題があるとしても生死に関わるところまで深刻にはならないだろう。実際に一番大きな問題として捉えられているのは、病気などの原因で他の人の介護を必要とする状況になったときのことである。介護自体は、以前から問題となっており、様々な形でニュースとなっていたが、それはどちらかというと家族内の問題として捉えられていた。このまま高齢者が増えていけば、高齢者介護が家族だけの問題ではなく、社会の問題として大きくなることが予想されたことから、介護保険制度が導入され、ある程度制度的に整えていこうとする動きが盛んになってきた。しかし、導入後の動きを見てみると、家族が支えるという従来からのやり方には、変化があったとはいえ、あまりにも小さくて効果を上げているとはいえない状況だし、介護制度の活用の仕方が適切でなかったために、介護を必要としなかった人々が必要とする側に回ってしまうという例も数多く報告されているようだ。結局、どう活用するのかという判断を適正に行うための人員の配置など周辺の整備が遅れていることが大きな理由なのだろうが、これでは何のための制度なのかわからなくなる。一方、家族による介護の問題は場合によっては深刻になっていて、高齢者による高齢者の介護が行われている場合、家族であるが故の問題が生じてきていると言われている。この問題が、介護を受ける側の虐待に繋がるという事例が紹介され、家族虐待の防止を法的措置で進めるべきという意見も出されているが、どうも的外れに思えてしまうのはこちらの思慮が浅いせいだろうか。原因のところを深く考えれば、介護制度に不備があることが大きな要因のように思えるから、その辺りをもっと考えてみるべきと思うが、結果のところだけで手当てしようとしているように見える。最近の法整備において、この考え方はごく当たり前のように見られているが、何かが違っているように見えてしまう。原因と結果、どちらを先に手当てすべきなのだろうか。

(since 2002/4/3)