パンチの独り言

(2003年12月15日〜12月21日)
(触り、待つ、欺く、強いる、手際、美味、大雪)



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12月21日(日)−大雪

 昨日の昼過ぎに、おかしな雲が出ていると思ったら、その直後から雪が降り始めた。当地で見る初めての雪だが、夕方に入ると勢いを増し、気温の低下とともに積もり始めた。それでも、始めのうちはこんなものかなといった雰囲気で、さほど気にもせず以前から予定されていた会合に向かったのだが、その結果は散々なものになった。
 夕方のうちは、交通の便もほとんど問題なく動いていたが、それでも嫌な予感を抱かせるように、列車故障などによる遅延の知らせが入っていた。但し、その時はたまたま起きた故障であって、雪によるものではなかったようだ。二時間ほどの会合のうちに、雪はさらに勢いを増したらしく、帰りの交通機関を心配する声が上がっていた。心配した通り、タクシーは電話をしても応答が無く、どこの会社も居留守を決め込んだ様子、確かに急な積雪があったときには、チェーンなどの準備をして、運転手がいくら注意を払ったとしても、他の車が何の装備も心の準備もしていなければ、もらい事故の可能性が大きい。当然ながら、出ていかないのが一番だし、たまたま乗りあわせた客にしても、とんでもない迷惑になるから、はじめから諦めさせたほうが良いのだろう。しかし、3時間ほどで会合が終わり、皆が徐々に帰り始めた頃には既に20センチを超える積雪で、こうなると逆に覚悟なしに車を運転する人はおらず、かえってタクシーの出動が楽になったのではないだろうか。少しずつやって来るようになっていたようだ。こちらは鉄道が動いていればという気持ちで駅に向かったが、案の定、列車は止まったままだったり、やって来なかったりと、嫌な予感そのままの状態であった。それでも何とか折り返しようの列車が入線して、さらにそれが青信号を得て、運良く出発することになった。都合2時間ほどの遅れだったようだが、はたして最終目的地まで行き着けたかどうか定かではない。駅の階段には屋根が無いから、積もった雪で段が見えず、滑りそうになった。小さな駅にはいつもの通り一人しか詰めておらず、当然ながら雪かきなどの余裕もない。帰り道も、20センチ以上積もった雪の中を歩いていくわけだから、どうにもならない感じで、行き交う車も速度を落とし、歩いている人を見かけると、停まって譲るほどだった。久々というか、ここ10年か20年なかったほどの雪で、皆戸惑っていたのだと思うが、朝までには30センチくらい積もったのではないだろうか。夜半には何度かの停電があり、何が何やらさっぱりわからない状態だったが、朝になってもニュースは入らず、何もわからない状態のままである。県庁所在地以外は全国ニュースになるはずもなく、さらに局地的な積雪だったようなので、どこからも情報は入らない。自分の目の前で起きているものだけが唯一の情報なのだ。まあ、この程度で済んだのだからよしとするかと思いつつ、夏用タイヤをはめたままで運転したが、路面は濡れているだけで冷え込みが来るまでは問題なしの様子だった。それにしても、店の前の道の雪を片付けるのに、道路に向かって広げているのを見ると、確かにそれが効率よく融かす方法なのかも知れないが、何とも危険なものだと思えた。こちらとしては路面状態が良くなったからこその外出だから。

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12月20日(土)−美味

 毎日食べているものが、どこからやって来たのか、そんなことを気にする人はまずいないだろう。目の前のお米はどこで採れたのか、野菜は、魚は、肉は、などといった具合に、そんなことを気にしていたら、箸が進まなくなりそうだ。ただ、最近の傾向から見ると、品質の判断に産地を考える人が増えているようだ。
 消費者の方にそういう傾向が出てくると、生産者や販売業者はそれを差別化に使って、より良い商売を試みる。それがきちんとした流通に基づく、正しい表示ならば、その差を頭に入れている消費者から歓迎されるのだが、単なる商売の手だてと考える人もいて、不当表示と指摘されることも多い。米など、仕入量と販売量がかけ離れていることを指摘された業者もいるそうで、そこまでやってより良い商売を考えるのかと、呆れてしまう。これは明らかな犯罪、詐欺であり、とても許されるものではない。ただ一方では、表示だけに振り回されて本当の味の区別をしない人々が、こういう状況を支えているとも言えるわけで、何ともおかしな状態とも言えるのではないだろうか。ブランド志向はあらゆるところに浸透しており、服やアクセサリーに始まり、ついに食べ物の世界にまで入り込むようになってきた。食べる場としてのブランドは昔からあり、有名レストランで高価な食事を楽しむとか、有名料亭での破格の懐石を楽しむなど、一部の裕福な人々にとっては当たり前となっていた。バブル期には、その上に接待を利用する人々が重なり、かなりの隆盛を極めたところもあったようだが、その後の流れは元の位置かそれより下に落ち着きつつあるようだ。実際、材料を吟味し、手をかけた料理は、値段を別にすれば、十分に楽しめるものだ。機会があれば、ぜひ、と思う人が多いのも頷ける。そういう場の提供にブランド志向が入っていた時代から、最近は自分たちが日ごろ食べる食事にブランドを求めるようになってきた。毎日食べるだろう米や野菜から始まり、肉、魚に至るまで、どこそこの産というだけで、買い手がつく時代になっている。確かにおいしいからこそ、ある特定の産地の食材がもてはやされているわけだが、そういう時期が少し長く続くと必ずといっていいほど贋物が出回るようになる。まるで、ブランドバッグの贋物のように、見た目では素人には区別がつかない代物だが、実際には有名産地とはまったく違ったところから出てきたものというわけだ。バッグの贋物のように、使い勝手さえよければそれでいいという意見もあり、そう信じて買った食品の味をおいしいと感じるのなら、それでいいではないかという意見がある。確かに、騙されることで、心理的に違った感覚が出てくれば、それはそれでいいのかも知れないが、こと商売ということから考えれば、詐欺以外の何ものでもない。バッグの贋物は何があろうとも押収するというのが税関の決まりで、入国時に泣きついている旅行者がいると聞くが、食料品に関してはそんな話は出てこない。まあ、信じるものは救われるとでも言うのかも知れないが、そんな有名ブランドなど追い求めず、近隣の産に自分がおいしいと感じるものを見つけるほうが、よほど楽しいのではないだろうか。発見の喜びを感じなくなった人々、その価値を認められない人々、そこには自信の喪失があるのかも知れない。

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12月19日(金)−手際

 いつもより書き始める時間が遅い。理由は簡単で、このホームページの管理画面に入ることができなかったからだ。使いやすいホームページを無料で供給してくれる場所があるのは大変ありがたいことだが、ただほど高いものはなしとなる場合もあるから注意が必要だ。今回もそこまで問題が大きくなったわけではないのだが、少々心配になる。
 こういう場を居心地良くしてくれるのはありがたいことで、これだけ多くの人々が自分の思いを含めて発信できるようになったのも、様々な無料ホームページのサービスによるところが大きい。ただ、やはり無料ということで、少々難ありとなったとしても、何となく我慢せねばならないこともある。たとえ有料だとしても、サーバの管理など様々な問題を抱えているわけだから、そこに難問が控えているのは変わらないだろう。ただ、有料であれば何かしらの文句も出せるのに、無料では気が引けてしまう。確かに、広告を掲載することで管理会社に利益をもたらしているわけだから、無料といえども主張するべきところは主張すべきと考えるのが妥当なのかも知れない。今回の場合、管理の知らせが入ったのが前日であり、それも当日の未明からの作業となるから、対応の時間は非常に短かったと思う。それだけでも驚きなのだが、もう一つの驚きは実際の作業は管理のためというより、新しいサービスの導入に対応するためだったと見なされるからである。無料のホームページに掲載される広告を煩わしいものと思っている人が沢山いるようで、特に管理者ではなく閲覧者から見れば、ただ邪魔なものという印象があるのではないだろうか。その点に応えるために、少しの費用を徴収するだけで広告を無表示にしようというのが、今回の新提案なのだそうだ。今のところ、導入するつもりはないが、もし必要になってきたら、そのように対応していかねばならない。広告なしの対価が月額500円を高いと見るか、安いと見るかは、微妙なところであり、即座に判断できないものである。喫茶店のコーヒー二杯分にすぎないと思う人もいれば、500円といえども金は金、一年に6000円は高いと思う人もいるだろう。そんなこんなで、判断する気が起きないのである。ただ、今回の顛末は、単に新提案に関するものだけではなかった。作業の終了予定時刻に関する対応のまずさが目立っていたことである。予定時刻になっても、管理画面に入ることができないので、こちらの問題を考えたり、様々な対応を試みたが、結局何も起きなかった。そのうち、作業終了の知らせが掲示されたが、それも30分以上遅れた形でのものであるばかりか、その後も問題が解決しないままであった。実際、管理用の画面に入る直前の画面には色んな項目が表示されているが、その内の幾つかは機能しないままだったから、作業の終了はまったくの嘘ということになる。最低限、使えないと告知されていた機能が回復するまでは、終了とは言えないはずと思うのだが、どうもそういった感覚ではないらしい。結局さらに一時間以上経過した後にやっと管理用の画面に切り替わるようになり、これを書き込むことができているわけだ。ただだから仕方がない、といってしまえばその通りだが、広告主から見たらそうとも言えないだろう。不手際を露呈してしまえば、利用者が逃げるかも知れず、広告の価値は落ちてしまう。まあ、無料で利用している者がそんなことを気にする必要はないのだが。

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12月18日(木)−強いる

 よく聞かされ、よく呟く言葉に、「最近の若い者は、」というのがある。時代が変わろうと、世代が移ろうと、変わらない言葉のようで、昔の人が調べたところによれば、もう何百年も、ひょっとしたら千年以上の間使い古された定句のようだ。自分の通った道と比べたくなるからかも知れないが、どうも立っている場所が変わったことに気がつかないようだ。
 老婆心ながら、という形での助言は時と場合によっては効果を上げることもある。しかし、苦言を呈するだけの場合には、どうも馬の耳に念仏のごとき効果しかないようだ。それでも身内のこととなると放っておけないのだろう、様々な手を尽くしてみようと試みる。この間見かけたものもそんな雰囲気が漂うものだった。あるところで、若者の読書離れを危惧する話題が取り上げられていた。読書離れは、結局文字離れを導くから、大切な情報交換の手段の一つを失うことになるというのが、危ぶむ理由なのだろう。小さな頃から本好きだった人々にとっては、本を忌み嫌う人々の気持ちが理解できず、食わず嫌いに違いないから何かきっかけを与えればと躍起になるようだ。確かに、何事にもきっかけが必要で、興味を持ちさえすればそこにのめり込んでいくのだから、その考え方には間違いはなさそうだ。ただ、誰にとってもきっかけになる魔法のような本となると、存在していると考えることの方が無理なようである。自分が感激したものならば、他の人も必ず同じ感覚を持つはず、と考えるのも自由だが、まあそんなことはそうそうあるものではない。だから、皆それぞれに色んな書物を紹介し、その中に読まず嫌いの人でも手に取るものがあれば、と期待をかけるくらいしか方法はないだろう。ここまでの話であれば、そこら中にある話で、何も目新しいことはない。また、この手の話は時代の移り変わりとともに、ほとんど変化しないまま受け継がれてきたものだから、どうってことないと思うのがせいぜいである。しかし、そこでちょっとした違いが生じているらしく、それに興味を持った。親の立場から子供のことを心配するのはよく判る。子供がゲームばかりやっているし、テレビばかり見ているのを、このままではいけないと思うのもごく普通の親心だと思う。そこで、まず手始めに本を落ち着いて読む子にしようと思うのも自然の成り行きなのだろう。自分自身が持っている知識では巧い手段が浮かばないと、他人に色々と尋ねてみるのも常道である。そうすれば、色んな人から色んな意見が聞けるし、場合によっては推薦本なるものまで紹介してもらえる。最も手軽なやり方だと思うのだが、そこにある動機というか理由に違和感を覚えるのだ。本を読むことは情操教育として優れているから、子供たちにやらせたい。どうやってきっかけを与えたらよいのか判らないから、その方法を知りたい。ここまではごく普通の雰囲気である。しかし、その後に続いたものに仰天してしまった。自分たちは本を読むのが嫌いだから、自分たちでお手本を示すことはできない。だから、そんなことをせずに、子供たちを本好きにするにはどうすればよいのか、教えてくれないか、というのである。自分たちが歩んだ道は険しかったので、そうならないように子供たちを育てたい、という気持ちはわからなくもない。しかし、この期に及んで、自分たちが嫌いなものを子供に押しつけるという考えには驚かざるを得ない。自らの経験に照らし合わせれば、嫌いなものを押しつけられることほど苦痛なものはないとわかっているはずだ。それにも関わらず、将来役に立つのだからという親の考えを自分は何もせずに押しつけることはいかがなものかと思えてしまう。まあ、それだけ子供のことを思っているのだから、とする人々も多いのだろうが、子供の立場から見て、どんな風に映ると思っているのだろうか。

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12月17日(水)−欺く

 デフレ、デフレと連呼されても、どうも納得できないのだが、単にものの値段が下がることと受け取れば、ああなるほどということになる。法外な値をつけていたものでさえ、それが下がればデフレとなると言ってしまうとあまりにも極端な例となるのだろうが、要は比較の問題、何が適正かという観点とは違った世界である。
 確かに、生活水準を考えるときには、収入との釣り合いが重要になるだろうから、物価の下落が収入の減少を招くことは避けたいと思うだろう。特に、借金をしてまで様々なものを購入していた人々にとっては、借金は過去の物価に基づくものだから、収入が減少してしまえば、見かけの借金が増えていくことになる。さらに追い討ちをかけるのはリストラという元の意味とはまったく違った処置によって職を失うことで、元も子もないとはこのことかということになる。また国の立場から言えば、税収が減るということでもっと深刻なのかも知れない。これだけではないのだろうが、とにかくデフレは人々の敵という感覚で議論を進めることに違和感を覚えることが多い。現象としてのデフレは、その結果を見れば悪化要因と考えられるのだろうが、元々の物価の下落を見たときにそれぞれの物品に関して、不当な価格の下降が起きているのかどうか、その辺りは怪しい気がしてくる。実際に、下落前の価格が適正であったかどうか、検討されているとは思えないし、全体像のみをぼんやりと窺う指数表示では個別の問題なぞかき消されてしまう。ただ、適正という言葉で表現するのは簡単なのだが、実際に何がちょうどいいのかとなると簡単な話ではない。例として引くことができるものの一つに、輸出品との比較があるが、これも様々な要因が入り組んでいて、安易に結論を導くことには危険を感じる。でも、変な形での価格決定には怪しい香りがしてくるが、実際にちゃんとした形で算定されたものならただ安くなったからと言って目くじらを立てるのもどうかと思う。安かろう悪かろうという時代は遠くに行ってしまったようで、その後のバブル期のように高ければ良いという時代も忘れ去られようとしている。今は、安くて良い品を探そうという時代なのではないだろうか。そういう意味で消費者の側もずいぶん色んなことを考えるようになった。ただ欲しいから買うというのでなく、何が必要なのかを考える人も増えているだろうし、その買い方にも工夫が出てきているようだ。但し、そんな世の中になりつつあるとはいえ、一方で色んなことに騙される人々の数は一向に減らない。詐欺の手口は時代とともに変化するわけで、騙されるのが悪いと言ってしまえばそれまでだが、冷静に見れば巧妙とも思えないやり方が横行している。好景気と言われる時代であれば、そんなことは小さなことと無視されてしまうのだろうが、不景気を実感している人々にはとても大きなことに見える。うまい話には、などと言われた頃は、儲け話が主体だったのだろうが、最近は穴埋め話が多いようだ。オレオレ詐欺と呼ばれるものの主体はそんな形をとっている。事故、手違い、仕事のミス、様々な失敗を表に出し、血の繋がりを強調する。人間性を逆手にとった卑劣な手段としか言い様がない。景気のいい時代の後に来る不景気はこんな自己中心的な犯罪を増やすようだ。自分さえ、という考えが蔓延り、色んなところに噴出する。犯罪とはそんなものだと言われても反論などできないが、動機の部分での気軽さが一番気になるところだ。

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12月16日(火)−待つ

 寒くなってくると、温かい食べ物が欲しくなる。まあ、当たり前の反応だが、では、どんな食べ物が好まれるのだろうか。まずは鍋物となるだろう。冬が定番のはずだったが、最近は夏場の暑いときに辛い鍋を、という話も聞く。次は、丼に入った麺類だろうか。熱々の汁をすするのがたまらない、という人もいるのではないか。
 麺類の方も実際には四季の移り変わりに無関係に売れ続けているようだ。確かに、冷やし何とかとか、ざるものとか、そんなもので夏場の暑さを乗り越えるという店もあるだろうが、暑いときほど熱いものをという考えもあるから、どんなときでも変わりなくという人も多いのではないか。最近はうどんに対する考え方が変わってきているようで、東京周辺に讃岐うどんの店が増えている。特に、駅の立ち食いそば屋がいつの間にか立ち食い讃岐うどん屋に変わっていたりして、こういうところも流行を追いかけるものかと呆れてしまう。確かに、讃岐のうどんはおいしいし、汁もちゃんとうどんの白さを楽しめる程度になっている。その上、具を自分で選ぶという形式が、店員の数を減らすためにはとても良いようだ。しかし、食券を購入する形式のところでは、ちょっとやりにくいだろうなと、立ち食いそば屋の雰囲気を思い出しながら考えてしまう。もう一つの流行といえば、ラーメン屋だろう。一体全体、なぜこんなにラーメンが好きなんだろうかと感心するほど、店の数も多いし、どこも混んでいるように見える。30年ほど前に札幌の味噌ラーメンが紹介されたときには、すごい人気になっていて、地元の店はどこも一杯だったが、最近はそれほどでもないようだ。その次の流行りといえば、九州のとんこつだろうか。これもまたすごい人気で、こちらの方はまだ続いている感じがする。他にも、喜多方やら佐野やら高山やら和歌山やらと色々と出てくるが、どこがどう違うのか説明されても、今一つ飲み込めない。この人気はやはりマスメディアに支えられているようで、グルメ雑誌にはラーメンの特集がでていたり、ラーメン批評のホームページもあるそうだ。専門の書き手もいて、毎日3食ラーメンという猛者もいるらしい。テレビもラーメンの話題を取り上げておけば視聴率が稼げるらしく、毎週のように特集を組んで流している。よくもまあネタが尽きないものだと思うけれども、店の数を考えれば尽きるはずもないのだろう。そんな状況で、まだ店舗数は増えており、ラーメンバブルなどと後から呼ばれそうな時代がやって来ている。先日の放送でも関西のあるチェーン店が紹介され、年商37億の会社で、店は毎日長蛇の列と見せていた。一杯500円のラーメンで37億となると、年に700万杯強の売り上げである。一日2万杯を多いと思うかどうか、チェーンだから店舗数が判らなければ決められないはずなのだが、どうもそんなことは番組の流れからはどうでも良いらしい。ただ、100軒あったら200杯だから大したことないのにと思っていたら、現在10店舗だそうだ。まあ一日2000杯を売れるのであれば長蛇の列も理解できる。その会社が東京進出という企画が出されたようで、進出地域の騒ぎを追いかけた形式になっていた。最近の傾向として気になるのは長蛇の列で、安くて旨いものが好きな大阪人でも列は苦手だったのではと思っていたが、どうもそうでもないらしい。人間の行動様式を変えてしまうほどの威力を示すメディアには、警戒したほうが良さそうに思うのだが。

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12月15日(月)−触り

 テレビを見ていると、画面の上か下に突然文字が流れることがある。ニュース速報なるもので、地震の知らせが多い。時には驚かされるものがあり、同時多発テロでは何が起きたのか判らない雰囲気だった。と言っても、確かあの時はチャットで知ったというのが本当だったのだが。
 中東情勢は依然として混乱の極みといった感じだったが、今回突然飛び込んできたニュースにはびっくりさせられた。どんな形にせよ、驚くべきもののはずなのだが、あっけない感じがそれを余計に強くさせていた。何が報じられるのか、その後も報道をする局とそうでない局とを往復しながら覗いていたが、いよいよ記者会見が開かれるというので興味を持って見ていた。はたして、そこで展開されたものは、意外なものだった。はじめに発言した現地の責任者の言葉には、彼らの気持ちが良く現れていたように思う。"Ladies and gentleman. We got him!" はじめの呼びかけと次の報告の間にはわずかな間があったが、そこに演出のようなものを感じた人が多かったのではないだろうか。それに、この言葉にはやっと捕まえたという感情が溢れていて、何となくその気持ちがわかったような気がした。だから、会見場の中の歓声も理解できたし、その後展開にも違和感を持たなかった。しかし、逆の立場なら、まったく違った反応を示していただろう。捕まえた人物を調べる映像を流したり、その後のヒゲを剃った姿を見せたり、さまざまな思惑が見え隠れして、逆の立場なら苦々しく見ていたに違いない。捕まえてから、会見までの時間を考えると、そこに演出のための準備を行う時間は十分にあったのだろう。そんな雰囲気が最初から最後まで溢れていた。情報戦略が前面に出ていることがこの戦いの特徴だと指摘する人々からすれば、毎度のことと思われるのだろうが、今回の会見にもそんな意図がでていたようだ。それにしても、言葉の選び方の重要性が感じられるものだったのではないだろうか。単に、捕まえたと報告すればいいのであれば、彼のその後の発表で使った"captured"で十分だし、その方が冷静な雰囲気が感じられる。しかし、あそこで敢えてあのフレーズを流したことに意味があるのに違いない。効果を狙った発言にはなるほどと納得させられるものがある。そういうものの中に英語で"punch line"と呼ばれるものがある。これがハンドルネームパンチの由来であり、どこかのタレントのパンチ某のパンチとはまったく違った話である。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、ごく当たり前のフレーズでも時と場合によって強烈な印象を残すことができる。そんなことを考えさせられた会見だった。

(since 2002/4/3)