パンチの独り言

(2003年12月29日〜2004年1月4日)
(帰郷、回復、瀬戸際、感動、伝承、継続、襲封)



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1月4日(日)−襲封

 歌舞伎や能など日本の伝統芸能と言われるものに対しての理解が足りないと思うことは多い。特に外国人に説明しようとすると、事前に学習を済ませてきた人々から逆に解説してもらう羽目に陥りかねない。どうも伝統を尊ぶ国にも関わらず、そういう感覚が隅々まで行き届いていないのがこの国の特徴のようである。
 先日ラジオを聴いていたら、新春特別企画とかで歌舞伎の団十郎が出ていた。彼が海老蔵を襲名するときに演じた「助六」は、代々の団十郎によって演じられてきた十八番だが、教わる前に先代が他界していたために、直接習うことなく演じなければならない事態になったのだそうだ。詳しく書かれていたはずの覚書には、「いつものように」という言葉が溢れており、ほとんど役に立たず、フィルムには音が入ってなくて、振りがわかっても鳴り物との合わせ方がわからないという状況だったとか。聴き手がその大変さを感心するとともに、今度襲名披露する海老蔵は先代から直接手ほどきを受けるから、幸せだと聞いたら、思わぬ返答があった。知っているほうが幸せかもしれぬが、知らないほうが幸せかもしれないというもので、確かに考えようだなと思えた。代々伝えられているはずのそれも十八番である「助六」でも、時代とともにかなり大きな変化をしているそうで、元はどんなものだったのかわからないのではないだろうか。伝統を重んじると言っても、そのまま受け継ぐのではなく何かしら新しいものを採り入れようとする。そんな気持ちを持たないと、何百年も続けることなどできないのだろう。そのままが喜ばれることもあるだろうし、少し違うが喜ばれることもある。皆が手放しで賛成することなど始めから期待しないほうが良いのだろう。伝統技能の世界で、一時期跡継ぎがおらず、困ったという話があったが、最近では少しずつ後を継ぐ人々が出ているようだ。一度途絶えてしまったものを再興するのは続けることよりも難しいと言われるから、こういう傾向が出てきたことは喜ばしい。芸能や技能の世界では世襲が当たり前の部分もあるが、他の世界ではそういったしきたりは多くない。だから、この頃の傾向で、親の後を継ぐ人々が様々な世界で目立つようになってくると、何かと物議を醸し出すようだ。特に話題となっているのは、国会議員を始めとする議員の世襲制で、能力のあるなしに関わらず継ぐのはおかしいという意見が聞こえてくる。確かに、適材適所を考えれば、単に跡継ぎだからというだけでは理由にはならないだろう。ただ一方で、地位が人を作ることを思えば、やらせてみればそれなりにということもある。一概に、世襲だから悪いと決めつける意見が出てくるのもどうかと思う。企業の社長でも、二代目三代目と世代が繋がるに従って、器が小さくなると言われるが、そういう典型が記憶に残りやすいから、どんなものか実際には明確ではないだろう。環境が人を作るのであれば、跡継ぎは最も恵まれた環境にあると考えられるし、もしも資質のどこかに向き不向きがあるのであれば、そんなものの遺伝も影響するかも知れない。選択肢のほとんどなかった時代には、後を継ぐのが当たり前だったし、社会的地位までも決められていた時代もある。それに比べたら、選択の自由がある現代はとても恵まれた時代なのだろう。だから、その中で跡継ぎを選ぶ自由も許されて当たり前なのではないか。継がねばならぬという縛りには苦しみが伴うが、自ら継ぐことから生じる障害には立ち向かえるのかもしれない。

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1月3日(土)−継続

 初夢は元旦から二日にかけての夜に見たものを指すそうだ。夢は見ているのだろうが、ほとんど覚えていないものにとっては、何ともならないことで、一富士、二鷹、三茄子と言われても、さっぱりピンと来ない。良いことが起きるようにと願うことはごく自然なことで、その気持ちはあるのだが。
 元旦は、初詣でや年賀などで世間的には忙しいことになっている。と言っても、初詣でを元旦早々に済まそうとする人たちにとっては、昼までは寝て過ごすというのが毎年の恒例となっているのかもしれない。いずれにしても、落ち着きの感じられない一日となるようで、あたふたしているうちに暮れてしまう。だからかどうかは知らないが、色んなことの始まりは正月二日にという風習があるようだ。書き初めやら、稽古始めなどは二日に集まって行われるようで、毎年正月の風物詩となっている。段々と着物で着飾る姿は少なくなってきているが、それでもこの習慣自体はなくなる気配を見せない。まあ、それだけ伝統を大切にしようとする人々の数がいるということなのだろう。それはそれで守っていけるのならば、守って欲しいものだ。稽古事は続けることが大事とよく聞くが、飽き性の人間にとってはそれ自体に困難が伴う。はじめは興味が多いに湧いて熱心に参加したとしても、少し時間が経つとそれが薄れてくる。一つには上達の進度のようなものが見えてきて、限界を感じてしまうからなのだろうが、ちょっと始めたくらいで限界などと言うとどこかから雷が落ちてきそうだ。どんな習い事も継続が肝心なようで、それに伴う苦しみを越えてこそ、愉しめる状態になれるようだ。元々稽古事は苦しみを得るためにやるのではなく、楽しいだろうという思いから始めたわけだから、そこを目指したはずなのに、その前に転がっている苦しみに躓いて、辞めてしまうことが多いのは残念である。がしかし、やはりそれが現実なのだろう。まあ稽古事なら途中で辞めてもそれほど問題にはならない。でも、仕事や学校となると大きな問題になることがある。自分はこういう仕事に向いていないとか、こんな学校は自分に向いていないとか、そんな理由で方針転換を図る人々がいるが、中にはその繰り返しばかりになる人がいる。面白くないとか、楽しくないとか、元々はそんな感情から来るものが多いのだろうが、とにかく向かないという思いが強くなってしまう。確かに、自分に合ったものを見つけることは難しいから、何度も試みることは一つの方法なのだろう。しかし、その時その時のチャンスは何度も巡ってくるものではない。成功したうえで、更に上を目指すためにという考え方との明らかな違いは、目の前にある課題に対する取り組み方ではないだろうか。課題を消化したうえでというものと、未消化なままでというものでは、かなりの違いがありそうに思える。機会がいくつもある時でも、次から次へと移ってばかりでは何の成果も得られそうにない。期待外れでも、別の見方を採り入れることで、どこかに当たりが見つかることもある。この辺りの見極めはとても難しいのだろうが、始める前と後、どちらにも見極めが必要なのは至極当然のことだ。ちょっと、立ち止まって、続ける方策を考えることも時には必要なのではないか。継続こそ力なり、という単純な考えもあるのだから。

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1月2日(金)−伝承

 いつの頃からか、新書が売れるようになったらしい。本離れが聞かれるようになってからもうずいぶん時が流れたが、その中で手軽に持ち運べる新書は人気を保っているようだ。その証拠に、様々な出版社が新書の発行を手がけ、まさに粗製濫造と思える状態になっている。
 ただ新書の内容を見てみると、それらの傾向に変化が見られるような気がする。数少ない出版社が発行を手がけていた時代には、かなり高度な内容を一般の読者にもわかるように説いたものが多かったように思うのだが、最近はまったく違う傾向を見せている。内容自体に高度な香りが漂っていないのである。そんじょそこらにある、皆が知っている話題を、ちょっと紹介してみたといったものが多く、週刊誌でお目にかかれそうなものが増えた。まさに沢山作れば、悪いものも増えてくるという証なのかも知れないが、多くなったからというだけでないことが別の形で見えているから、事態は深刻なのかもしれない。そうやって手に取りやすくされた新書のうちで、爆発的に売れるものが出てくるのだが、そこにも以前との傾向の違いが現れているのだ。つまり、内容が低くなったというだけでなく、そういう中身の本が気に入られるようになったわけだ。だから、作るほうもそういう安直な企画に走り、何とか気を引くようなものを作ろうとする。この状況が長く続けば、また離れて行く人が増えて、遂には新書もか、という状態になるのではないだろうか。そんな小言を書くと、たぶんどこかから大衆が欲しているのだから、それが一番の良書となるという声が聞こえてきそうである。ある面から見ればそうなのかも知れないが、どうも危ういところを歩いているような気がしてならない。程度が低くなったというのは、わざわざ本を読まなくても解っていることが書かれているという意味であり、嘘が書かれているというわけではない。当たり前のことが当たり前のように説かれていて、それをありがたく読むというのはどうにも理解しがたい。そう思って周囲を見渡すと、一番になれなくても、唯一の存在なのだからと、当たり前のことを語った歌が流行ったり、代わりがいないから支持するという変な論理の支持率がまかり通ったり、どうも腑に落ちないことばかりが毎日起きている。常識とは、何もしなくても解っていることと思う人がいるかも知れないが、これは明らかに間違いで、常識といえども、上の世代から下の世代に伝えられていくものである。常識として伝えられることが無くなったものに、初めて接することで理解し、納得し、その言葉を発した人を尊敬する。何とも不思議な世の中に思えてくるが、その渦中にいる人々にとってはごく普通の世の中なのだろう。上の世代が、何も考えずに過ごしても何とかなる時代に生きて、次の世代に肝心なことを伝える務めを疎かにしてしまったからだろうか。はたまた、そんな暇もないままただ日々の暮らしに追われてしまったからだろうか。どんな理由があるのかよくわからないが、とにかく伝えるべきものを自分たちの手で伝えることを放棄してはならない。当たり前のことまで伝えられなくなったら、伝えられるものとして何が残っているのだろう。そんな事態に陥ろうとしているように見えるから、何となく不安がよぎるのである。こんなものが流行る、売れる、そんな世の中に違和感を覚える人がいなくならないように。

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1月1日(木)−感動

 いつの間にか、一年が過ぎた。年をとるとともに、年月の流れが速くなると聞いていたが、まさにそんな雰囲気になってきた。いろんなことがバタバタと起きてくると、それぞれをいちいち気にすることもできない。何となく流しているうちに、ずっと昔に起きたことのように思えてくる。これがそうなのかと改めて思う。
 昔ラジオで聴いた話に、一年の長さは感覚的には自分の年で割ったものになるというものがあった。つまり、それまで生きてきた時間の長さがこれからの時間の長さを変えて見せているというのだ。十歳ならば、一年は十分の一なのに、二十歳だと二十分の一、つまり十歳の時の半分に感じられるのだ。ということは、今ごろはとてつもなく短いものに感じられることになる。その時はなるほどと納得しながら聴いていた話だが、だんだん納得するのを通り越して呆れるようになってきた。なんと速いものか、などと思っていても、別段何か起きるわけではない。結局、自分の身の回りで起きていることに対する印象が薄れていっていることが一番の要因なのだろう。もっと気を配るようにすれば、少しは違ってくるのかもと思っていても、簡単なことではない。様々なことが次から次へと起きるのだから、それに対応しているだけで、時間が過ぎていく。そこまでやって来ると、無駄な抵抗などしても仕方がないということがわかる。といっても、実際にはまだまだ無駄な抵抗をしているに違いないのだが、なるべく時間の流れなど気にせずに、自分にとって印象的なことがあればその時その瞬間にそれを感じるようにする。覚えておいて、後で何かの役に立たせようなどと思っても、まったくの無駄である。あっという間に次の事柄がやって来て、せっかく留めておこうとしたものをおしだしてしまう。この感覚が一番強く感じられるようになったのは、実は独り言を書くようになってからである。独り言の題材は始めから今でも身の回りに起きたことを起点として、そこから何か発展してくるものはないかという感じで決めている。だから、思いつきが主体であり、それほど深く考えたり、ましてや下書きなどはしない。そんな感覚で書き続けていると、変なことが起きてくる。ふっと思いついた題材が、パッと消え去ることがあるのだ。文章の組立など頭の中で何となく描いていて、よしと思った瞬間というか、直後にどこかへ行ってしまう。あれっと思ったことは数限りなく、その度にメモぐらい残しておけばよかったと思うが、後の祭りである。懲りない性格はこんなところにも現れていて、結局何度そんな間違いを犯しても、メモを取ろうとはしない。まあ、忘れるようなことには大したことはないはず、などと思いながら自分を慰めている。こんな感じのことが、おそらく身の回りのことに関しても起きているのではないだろうか。年をとると忘れっぽくなるという話もあるが、その原因の一つに感動しなくなるということがあるのではないだろうか。記憶するためには何度も繰り返すことが大切なのだが、そのためには心に印象に残るという段階が重要となる。そんなことが抜け落ち始めると、様々なことが残らなくなる。まあ、色々と積み重ねてきた結果だから、それもまた仕方のないところだろう。感動の大きさも、年で割ったくらいということなのだろうか。

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12月31日(水)−瀬戸際

 年の瀬になると何となく慌ただしくなる。新しい年を迎えるためにとか、一年の締めくくりをとか、どこかに区切りを意識させるものがあるのだろうか、何となく気忙しくなってくる。しかし、一日は一日であり、それぞれに特別なものがあるわけではない。ただ、この数日の慌ただしさは他とは違うものを意識させる。
 一日という単位で考えると、一年中毎日毎日が変わりないように思える。しかし、よく考えてみると気温も違うし、昼間の長さ、逆に言えば夜の長さが違っている。何も変わりがないと言うのも簡単なことだが、実際には明らかに違うところがある。ただ、最近はそういった変化を意識せずに生活できるようになっているので、変わりがないと言いやすくなっているだけなのだろう。そうなってくると、一年という単位でさえ、意識する必要がなくなる。せいぜい一週間という単位が毎日の生活において大きな存在となってくるくらいだろう。学年が進むとか、社内の地位が変わってくるとか、年を追うごとに変化が起きてくるのだが、そんなことを意識しなくても、何となくでも過ごしていけるような気がしてくる。一年の周期を意識する必要が出てきたのはいつの頃なのか、おそらく狩猟にしても、農耕にしても、そういう意識を持たずには成立しないものだっただろうから、生活を始めた頃からというのが正しいのかもしれない。狩猟は獲物を追いかけることが主体だったろうから、それを繰り返していくうちに何かしらの周期が出てきたのかも知れないが、農耕の方はそうもいかない。その場に留まり、ちょうどいい季節に、作業を始める必要があるからだ。エジプトの洪水とか、自然がその季節の訪れを告げてくれれば、苦労しないのかも知れないが、毎年そういうことが起きたわけでもないだろう。その中で、何とか季節の移り変わりを知ろうとした人々の中に、夜に見える星空に違いを見出した者がいて、星の運行から季節を知る人々が出てきた。また、日の出の時に太陽が昇る場所の変化から、季節の移り変わりを知る方法を見つけた人もいた。気温の変化や雨の訪れから変化を知るよりも、太陽や星の運行から知る方法の方が季節を知るためには正確だったのだろう。そんなところから、今でいう天文学というものが発展していったに違いない。しかし、農耕のことを考えると、その季節が来たからと言って、それがすぐさま行動を起こすときを示すわけではないこともある。稲作では、水を必要とすることが多いから、雨が降るかどうかが重要な要素となっていたからだ。ある時期に雨が降ったら、その後に田植えをする、という話は季節の訪れだけでなく、もう一つの要素の存在を教えてくれる。稲作は一部の例外を除いて、自然のままに行われる。そこにはまだ季節感が残っていると言えるだろう。しかし、多くの農作物は一年中いつでも手に入れることができるようになってきた。胡瓜は本来いつの食べ物なのか、南瓜は、茄子は、ほうれん草は、と聞かれても、答えることができなくなっている。そんな環境では、季節を意識することも少なくなるし、一日の違いを意識することもない。人間は確かに動物だが、環境に適応するのではなく、自分に環境を合わせさせる唯一の動物である、と言われるのは、こんなところにあるのだろう。確かによりよい生活を求めることは重要だろうが、一方で何か大切なものを失いつつあるようだ。もっと、もっとと言っているうちに、どこかの崖に辿り着いてしまわないのだろうか。

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12月30日(火)−回復

 大納会は、何年かぶりに年初を上回る株価で引けたそうだ。これがそのまま景気回復を示すものではない、という声がどこかから聞こえてきそうだが、そろそろそういった声も晩秋の虫の音くらいにか細くなってきた。全般的に見てみれば、多くの指数が上昇を示しているから、致し方の無いところだろう。
 景気回復傾向はずっと長い期間見られていたと言われる。しかし、以前何度も起きたことを繰り返したくないという気持ちから、それを声高に伝えることはしなかったと回想する人々もいるようだ。評論家と呼ばれる人ではなく、マスコミの経済担当にそんな人がいた。自説を曲げる必要のない人々にとっては、前言撤回とまで行かないこんな言い訳は簡単なものなのだろう。しかし、学者や評論家となるとそうではない。何とか別の理由や原因を見つけて、それをきっかけとする。どちらにしても、そんなことは数年、いや数ヶ月経てば忘れ去られてしまうから、彼らにとってはその場しのぎで十分なわけだ。さて、そんなことで景気回復は確固たるものになりつつあるようだが、一方で悲鳴が聞こえているところがまだある。景気回復は中心的な部分、企業で言えば大企業において見られるだけで、周辺的なところにはまだ浸透していないというわけだ。ある自動車関連の企業は外国人の社長を迎え、それまで話題に上っても実行できなかった大がかりなリストラを断行することで、一気に業績回復を実現した。その功績は様々な方面から讚えられ、いかにも会社経営の鑑のような褒め言葉が聞かれるようになった。ただ一方で、世界的大企業に成長した同じ業種の企業の方は、それとは違った形の経営手法を展開し、成功を収めている。だから、一概にリストラだけが経営における最良の手法であるとは言えないのだが、状況によってはそこまで思いきったことをしなければならなかったということなのだろう。いずれにしても、社内のリストラ、つまり首切りだけで会社の業績が回復したわけではない。この業界特有の下請け方式においては、参加にある会社をも含んだ形での本来の意味でのリストラクチャーが必要であった。その結果、本社ばかりでなく、下請けの会社もそれぞれに努力を重ねる必要があり、その結果として様々な面に効率化が図られたのだそうだ。効率化といえば聞こえがいいが、何しろ単価を下げる努力であるから、場合によっては無理矢理ひねり出す必要が出てくる。そんなことのしわ寄せの結果が、下請け会社の悲鳴となって聞こえているという話があるのだ。本家本元はしっかり回復し、いかにも健全な経営が行われているように見えるが、その陰で苦しい経営を強いられているところがある。それでもまだ下請けの関係が継続しているから、大阪近辺の状況よりましだと指摘する人もいるだろうが、日なたの方ばかりに日が当たるのを見せられると余計に苦しみが増すのだろう。地方における下請けの悲鳴は日増しに大きくなっている。中央と地方の格差と言ってしまえばそれまでだが、こういった好転の広がり方にも遅れが出てしまっているようだ。そんな中で、地方活性のためにはやはり公共事業ということになり、予算編成を気にする向きもあったが、結果は惨憺たるものだった。こうなるといわゆる公共事業ではないが、別の省庁を経由した地方への予算の流れを期待するしかないが、ここ数年続いたその流れもそろそろ怪しくなってきた。新規道路の建設や新幹線の整備などはそんな中で通さねばならなくなった無理の現れなのかもしれない。

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12月29日(月)−帰郷

 伝統というものは、守られるためにあるのだろうか、それとも破られるためにあるのだろうか。どちらかに決まっているなどということはないが、永遠に継承されることなど無いのだろうから、破られるためにあるというしかないのだろう。と言っても、自分たちの生きている間に、という限定をつければそうでもないだろうが。
 伝統などと言っても、重いものから軽いものまで色々ある。自分たちの生活を考えれば、その大部分はほとんど意識をしない程度のものばかりで、重いものなどほとんど無いだろう。それに比べたら、伝統芸能やら、伝統技能などと呼ばれる分野は、伝統を守りつつ、いかに新しい味を加えていくのか、とても難しいものなのだろう。そういう世界に接することなく育った人間にとっては、どんなものか想像することもできない、特殊な世界のような気がする。一方で、もっと軽い、日常的なものの中にも、長い期間守られてきたものがある。逆に当たり前すぎて、そんなこといちいち断らなくてもと言われそうなものもあるが、当たり前と思っていたのに、どうも最近怪しくなってきたと思うものもある。この季節と夏本番の頃に、そんな感覚が頭の中をよぎるのだが、他の人たちにとってはどんなものなのだろうか。盆、暮、正月、そんな言葉が良く聞かれた時代には、その季節には、生まれ故郷に戻るというのが当たり前だった。そんなところが無い人間にとっても、周囲を見回してみるとそういう人々が沢山いて、やはり故郷というものは心の中の大切な存在だと思ったりもした。しかし、最近はどうだろうか。あれほど忙しいと言われていた高度成長期にも、多くの人々が盆や正月を迎えるとこぞって故郷への大移動を繰り返していた。今は、その時代と比べたら、仕事の時間としてはそれほどの忙しさは見られない。ところが、毎年の鉄道、飛行機、道路の調査によれば、分散傾向だの、帰郷のパターンが違ってきたことも確かだが、総数自体の減少が顕著となっている。都会に住む人々が故郷を無くしてしまったのか、あの当時就職のために都会に移動してきた人々が、そのまま居着いてしまったために、そこが故郷になってしまったのか、理由はわからないが、とにかく明らかに数が減っている。家族そろって帰るのは金がかかりすぎるから、という理由を持つ人々もいるだろうが、一方で海外旅行は相変わらず続いているのである。金銭的な問題だけでもないように思えるのだが、どうなのだろう。この季節の大移動はまったく金と時間の浪費だと主張した人々もいたが、あれほど効率を重んじる米国でさえ、感謝祭やクリスマスには故郷に帰ろうとする。どこか感覚がずれ始めてしまったのか、最近は帰って家族と一緒の時間を過ごさねばという気持ちがなくなってしまったのだろうか。帰らねばならない理由もわからないが、しないほうが良い理由もわからない。まあ、ある意味どちらでも良いようなことに、大変な労力を費やしてきたのだろう。より小さな集団を家族と思い、血縁関係にある大きな集団は違うものと捉えるようになったのかも知れないが、その辺りの感覚はどんなものなのだろう。そんなことを思うこと自体が、ずれてしまっているのかも知れないが。

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