パンチの独り言

(2004年1月5日〜1月11日)
(未見、媒体、身近、万端、必需、渡線、北風)



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1月11日(日)−北風

 颪という漢字は、日本で作られたものだろうか、「おろし」と読む。あるプロ野球球団の応援歌として有名になったが、実際にはこの時期に吹く北西の季節風のことを指す。その土地の北か北西に山があると、その季節風が山から吹き下ろしてくるように感じられるので、それを表現するために日本各地で使われている。
 有名なところを拾ってみると、伊吹、赤城、六甲などと出てくるが、もっと沢山あり、ちょっと調べてみただけでも、北から蔵王、榛名、筑波、丹沢、八ケ岳、鈴鹿、比叡などと次から次へ出てくる。まるで、各地にある何とか富士のようなもので、その土地土地の特徴を表すために使われているのだろう。この時期に吹く北風で、山を越えてきたものは、山の向こう側で雨や雪を降らすから乾燥したものとなる。だから、何とかのからっ風と呼ばれるような冷たくて乾いた風になるわけだ。では、なぜ北とか北西から季節風が吹くのかといえば、天気予報の時間に何度も繰り返されているように、気圧配置が冬型と呼ばれる西高東低という形になるからである。オホーツク海に発達した低気圧が居座り、大陸から高気圧が張り出してくると、日本地図の上に上下に走る等圧線ができる。風は等圧線に向かって直角に吹き込むのではなく、大体45度くらいに傾いた方向から吹くから北西の風になりやすいわけだ。この時期の高気圧も低気圧もかなり発達しているから、等圧線の間隔が混んできて、つまり坂を転げ落ちる石のように風が急坂を下るから、強い風が生まれて、日本列島に吹きつけることになる。日本海側では、日本海でたっぷりと湿気を吸い込んだ風が背後にある山に当たって、湿気だけを残していくことで、大雪を降らせることになるのに対して、そこで水分を除かれた空気の動きは太平洋側では冷たく乾いた風となって吹きつけてくる。天気が良くて、太陽が照りつけていても、風を受けることによって体温が奪われるから、風の強い日はとても寒く感じてしまう。風速が秒速1メートル増すごとに体感温度が1℃下がるから、この時期の15とか20メートルの強風の中では気温が15℃とか20℃下がっているように感じられるわけだ。だから、なるべく風を通さないような素材でできたコートやジャケットを羽織ったほうがいいし、中には空気をため込むことのできるセーターを着たほうがいいことになる。また、新聞紙を体に巻くと防寒になると言われるのも、紙が風を通しにくいからなのだろう。風による体感温度の下降には、理論式のようなものがあるが、人はそんなものを知らなくても、日々の生活から自分の体を守る知恵を身に付けてきたようだ。そういえば、オホーツク海にある低気圧は、いくら居座るといってもそのままそこに居続けることはできない。日本の天気図を見ているかぎりは、その後の経緯は知る由もないが、実際には、ご多分に漏れず東へ東へと移動していく。そのまま発達を続ければ、米国西海岸に到達したころには、ワシントン州などに寒波を運び込むことになり、さらにそのまま東へ移動していくと、中西部から東海岸にかけて大寒波となることがある。日本にやって来る高気圧、低気圧の動きを見ていれば、西から東へ移動するものと理解しているとはいえ、こちらにいたものがアメリカ大陸まで行くとなるとどうもピンと来ない。まあ、ここで暮らすだけなら、この程度のことで十分なわけだ。ただ、長期予報のやり方を聞くと、どうも欧州の動きを見ているそうなので、そういった観点はあるところでは重要なようだ。

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1月10日(土)−渡線

 開かずの踏切は歌の世界だけのことと思ったら大間違いのようで、首都圏の鉄道の踏み切りにはよくあることのようである。架空の世界のことと思ってしまう人がいるのは、首都圏以外でこんな状況にあるところはほとんどなく、日常的に実感できる機会を持たないからのようだ。その話をテレビが大々的に取り上げた途端、社会問題となったのはやはり影響力の差だろうか。
 構造的な問題として一時間に数分しか開かない踏切があるところもあるようだが、今回特に問題となっているのは、ちょっと違った事情のあるところだ。電車の運行を考えたときに、運搬能力との釣り合いが最も重要な因子となる。どんなに詰め込んでも入りきらない乗客をさばくためには、電車の運行本数を増やすしかないが、時間あたりの本数を増やすことには自ずと限界がある。線路上に運行できる列車の数は前後の列車との間隔から限度があるからだ。そんな状況を打破するためには、線路の本数を増やす方法がよく使われてきた。単線のものを複線にすれば、上下線の行き違いの時に、駅で待ち合わす必要がなくなる。複線のものを複々線にすれば、同一方向に向かっている列車の本数を増やしたり、各駅停車や快速などの運行パターンを多様化できる。運行本数が限界に達してしまった路線では、線路の数を増やすことくらいしか解決方法は浮かばない。その場合に、線路が敷かれている土地の幅にも限界があるから、当然の策として高架化があげられてくる。高架にする工事自体はそれほど難しいものではないが、従来の線路を使った運行と同時進行的に工事を行おうとすると様々な障害が起きるのだそうだ。確かに、高架のための柱の設置一つをとっても、そこに存在する線路と通過する電車の邪魔にならないように作ろうとしたら、かなり難しいことがすぐにわかる。そのために様々な工夫がされ、今回問題になった路線に関しても、その対策として線路の移設がなされたのであろう。横に移動させればある程度の余地を確保できるから、そこで空いたところに高架の工事を施すといった形のやり方を採用したら、ちょっとした、しかしとても大きな問題が起きてしまった。踏切部分の横断する距離が増してしまい、それに要する時間が長くなり、それがひいては踏切が閉じる時間を長くすることになってしまったのだ。結局ぎりぎりの時間で運行している時間帯には、ほとんど開くことのない踏切が新たに出てきて、それが大きな問題として取り上げられたわけだ。工事方法に他の選択があったのかどうか、今になって検討しても始まらないから、結局窮余の策として出されたのは、まずは踏切内の線路の間に待避所を設けたことである。踏切を渡るための所要時間には個人差があるから、設定された時間内に渡りきることのできない人々が多くでた。その対策として、途中で無理をせずに待つ場所を作ったわけだ。ただ、踏切の中に人がいるという状況は安全とは言いがたいから、そのための係員の配置など色んな問題が生じた。そこで、もう一つの策として出てきたのは歩道橋の設置である。こちらの方は、時間のことを気にせず、安全に使うことができるから、とてもいい方法のように思えるが、普通の道路での歩道橋の使用状況から想像できるように、足腰に不安のある人たちにとっては苦痛を伴うものとなる。いやはや、何をやってもうまくいきそうにもないが、はたしていつまでこれが問題として取り上げられ続けるのだろうか。おそらく生活パターンを変えることによって各人が解決策を講じるくらいしか対応策はないのかも知れない。社会全体の便利さのために個人が不便を被るのは、いつになっても変わらぬことなのだろう。

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1月9日(金)−必需

 景気の回復が話題になるたびに、大都市圏と地方との格差が取り上げられる。地価の変動がその典型なのだろうが、凋落の時にもそういったことが論じられていたから、結局のところ時間差があるということなのだろう。国という単位で考えれば大差はなく、それよりも個人の感覚や環境の差による違いの方が大きく現れているのではないだろうか。
 景気回復などといっても一部にしか過ぎず、リストラの憂き目に遭った人々にとっては相変わらずの状況なのかも知れない。しかし、全体的な傾向を示す指標には明らかな回復傾向が現れ、全体としてはそちら向きに進み始めていると言えるのだろう。個々人の違いは何もこういうときだけに現れるのではなく、バブル期でも多いに羽振りが良かった人たちと何も変わらなかった人たちがいたわけだし、その後の変化も大きく出た人もいればそのままという人たちもいる。皆が一緒と考える方がおかしいわけだし、社会の仕組みを考えればそうなるはずもない。景気回復が大都市圏だけに見られると言われるのも、そういった指標がその傾向を表すために適しているだけであって、地方都市にその兆しが現れていないかどうかは断言できない。今が良さそうに見えるから大都会が住みやすいかといえば、そう思わない人も沢山いるだろう。東京、大阪、名古屋という三大都市圏を訪ねると、他の都市とは違ったものに出合う。都会の真ん中の歩道に転がっている段ボール箱である。始めの頃はなぜごみがこんなところに、と思っていたが、最近は使用目的が理解できたから不思議に思うことはない。ただ、その存在が普通のものに見えるかといえば、そうではないと答えるだろう。どう見ても、そこにあるべきものではないし、歩道の使用目的からも外れている。ただ、社会的弱者に対して配慮すべきという声があるから、そのまま放任されているにすぎない。さすがにこの季節になるとあの程度のもので寒さがしのげるのか信じられないが、少し数が減る程度で今でも見かけるから何らかの防寒対策をしているのだろう。雨がしのげるようなところには沢山転がっているし、風が防げるところにも多い。そういう意味で住環境としてより良い場所を求めているように見える。ただ、場所によっては色んなことの妨げになるということで、行政側から撤去を求められたり、様々な処分を受けるようだ。特に地下街はその典型のようで、一時期浮浪者、当時はホームレスではなくこう呼ばれていたと思う、で溢れていた駅前の地下街から彼らが追い出されたという報道もあった。人それぞれに色んな事情があるのだろうが、経験したことのない者には理解が及ばない点が多い。どうしても、首をひねることが多いのは仕方のないところだろう。しかしつい最近見た光景にはちょっと驚かされた。ある意味世相を反映しているだろうし、興味深いとも言えるのだが、あるガード下の段ボールの中からバックライトで光る携帯電話を見たのだ。ついにこんなところにまでと言うべきなのだろうか、はたまた何を思うべきなのだろうか。いずれにしても不思議な光景だった。

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1月8日(木)−万端

 レストランやファーストフードの店に行くと、毎度おなじみの挨拶で迎えられる。それが安心と思う人もいれば、いたって冷たい応対の仕方と思う人もいるだろう。こちらが予期せぬ行動をとると慌てる店員もいて、それを見るのが楽しみという人もいるのではないか。色んなことを想定して、それに対する応対を準備してあるから、想定外の行動には応えようがないのだ。
 このように準備を整えるのは、米国から入ってきた店に多いやり方だが、最近は他の店でも採り入れているようだ。確かに、一定の準備をするだけで、大抵のことが実現できるし、一対一対応のような形にしておけば間違いが少なくて済む。正式な職員を雇うことの少ない外食産業では最も効率的なやり方なのかも知れない。この辺りから始まったマニュアル方式は、今では色んなところに波及してきている。あらゆることに関して、どうすべきかを書き記したものがあり、その通りに進めていけば安心といった類いのものだが、行動する人に安心感を与えるということで意味があるのだろう。しかし、一方で誰がやっても同じという形は時と場合によっては面白さを無くさせるものになっているのではないだろうか。接客業では、失礼のないように準備することが肝心なのだろうが、そうでない部分にまでこういった方式が浸透して、冷たさばかりが目立つようになっているように感じる。人と人が接しているのにも関わらず、目の前の人間がまるでロボットかのように見えて人もいるのではないか。さすがに想定問答集から外れたことを聞けば我に返って、ちょっと違った対応が見られるのだが、それもほんの一時に過ぎない。すぐにまた元通りの態度をとられて、無性に腹が立つこともある。定型というのは本人に安心を与える代わりに、相手に不信感を催させるのではないかと思えるほどだ。こういうやり方が色んなことに使われるようになったことがわかるのは、そういったことを書いた本が沢山売られていることからもよくわかる。それなりに売れているのだろうから、需要があるのだろう。そういうやり方を踏襲するだけでよいと思う人間が増えていると思ったら、何だかがっかりしてしまうが、そういう世代も減りつつあるのかも知れない。確かに相手の行動が予期できる範囲内であるのは安心に繋がるが、こちらがそれ以上の期待を持っていたりするとどうにもならなくなる。まったく困ったものと思うが、世の中の流れはそれとは逆の方向にあるようだ。こんなことを書いても、なぜそんなことを気にするのかと言われてしまいそうである。恋人探しとかは昔からあったものかもしれないが、自殺などが対象となるようになると首を傾げてしまう。あらゆるものに教則本が出てきたのかと呆れてしまうわけだ。どこかで聞いた話では、ホームレスになるためのマニュアルがあるとの話だが、真偽のほどは定かではない。それほど大きな社会問題になっているのだという証しかもしれないが、そういう捉え方をする問題なのかと開いた口がふさがらなかった。何事にも準備が必要であるという考え方はある面正しいのかもしれないが、他にやるべきことがあるのではと思えるときにまでとなると、やはり傾いた首は元には戻らないようだ。

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1月7日(水)−身近

 以前も書いたことがあるが、未成年者の喫煙が目立っている。顔で判断することは難しいが、明らかに未成年とわかるのは高校の制服を着ている連中だ。電車の中、雑踏の中、ところ構わず、男女区別なくである。喫煙の割合は減っているのだろうが、見つからぬようにという罪の意識から来る配慮は見られなくなってしまった。
 これも以前書いたが、そういう姿を見かけても、注意する気持ちにはなれない。そんな勇気もないし、最近の若者による殺人事件を見ると、そこまで危険を冒す必要はないと思える。では放置しておけばいいのかと聞かれたら、たぶん別の形を選ぶと答えるだろう。世代間の隔たりはこのところ大きくなったと言われる。他人からの干渉を忌み嫌う風潮や若者に対する恐怖心の増大がその原因のように言う人もいるが、その前に考えることがあると思う。どちらも若い世代が変わったことによるものと見えるが、実際にはその前に起きていることがあるのではないか。若い世代が勝手にそうなったと結論づけるのなら、確かにこの意見が正しいことになるのだが、その下地を作ったものがあるとしたらどうだろう。他人からの干渉を撥ね除ける行動を見せた人間、他人への干渉を面倒がるわりには陰で文句を言う人間、プライバシーという言葉で全てを片付けるのだろうが、その辺りに歪みの元があるように思える。干渉というとかなり強制的なものに聞こえるから、関わりと言うべきだろうか。日ごろの挨拶から始まり、周囲の人との関わりを大切にする態度を見せていたら、少しは違った結果が生まれていたのではないか。別の形とはそんなところを指しているつもりである。つまり、家族あるいは親族の中での行動に注意を払うことから始めてはどうかと思うわけだ。これを当たり前のことと思える人は、たぶんそれほど大きな問題を抱えていないのだと思う。断絶という言葉は高度成長期に突然出てきたものではなく、ずっと以前から親子の関係において意識されてきたものだ。にもかかわらず、ある時期まではさほど大きな問題と捉えられなかった。徐々にだろうが、問題がポツポツと目立つようになり、今では社会問題となってしまった。一度途切れてしまったものは、中々簡単には修復できない。実は断絶ばかりが目立つようになった状況で育った人間が親になったときに、子供との断絶をどう捉えるのかが問題の根底にあるからだ。親子関係において、綿々と受け継がれてきたものが崩れ始め、修復の手だてが見つからない状況になってしまうと、数世代にわたって厳しい状態が続く可能性がある。今の社会情勢を見ていると、そんな流れの途上にあるのではないかと思えてくる。その中で、自分ができることは何か、大きな流れを修復することに力を注ぐのも一つの方法だろうが、こういうときこそ小さな流れをきちんとすることから始めたらいいのではないだろうか。次の世代に何を伝えるべきか、社会全体を対象とするのもいいが、もっとちっぽけなものを対象とすることも大切だ。歪みを取り除くことを命題としたとしても、歪んだところを修復するよりも、今のところ正常に思える部分を固めることを先にしたほうがいいのかも知れない。伝え方も色々あるだろうが、昔のように背中を見せるだけでは不十分なのではなかろうか。背中の見方を身に付けたことの無い世代には、見せても見えないのだろうから。このところ、こんな話ばかりを続けてきたが、その理由は意識的に伝えることの大切さを感じたからである。

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1月6日(火)−媒体

 人間が自分と他のものとを比較して、優位性を自覚したり、違いを分析することは、昔から行われてきた。人間は万物の霊長なり、という言葉も、そんな考えから出ているのだと思う。他の動植物よりいかに優れているか、それを証明することに躍起になった人も多い。ただ、最近は人それぞれという表現と同じように、生き物はそれぞれに特徴をもつことを認めるようだ。
 人間が他の動物よりも優れているのは、ものを考えることができるからだ、という意見が以前はあった。動物は本能に縛られ、それに従って行動するが、人間はちゃんと考えているといった感じだ。この考え方の裏には、人間だけが発達していくものであり、動物はそこに留まるものという考えや、神によって選ばれたのは人間だけといった考えがあったのだろう。よく考えると、というよりそんなに深く考えなくても、そんな訳が無いことに気づくのに、それらを否定することに腐心してきた。身の回りの動物を見ていても、学習と思われるものが見られるし、個々の動物の違いが色々と出てくる。本能という既に決められたものに従っているにしては、あまりにもばらつきがある。ニホンザルの観察を行っていたグループの研究報告は、そういった先入観を持ち込まずにされたものだったから、先入観に縛られていた人々にとっては驚きをもって迎えることになったようだ。中でも、芋を海水で洗う若いサルについての報告は、すぐには理解できないものだったのではないだろうか。そんな観察の必要性はすぐに研究者の間に広がり、チンパンジーの木の実を割って食べる行為の報告に繋がったのかも知れない。いずれにしても、こういった行為はそれを行う個体から見守る個体への行為の伝達によって、集団の中に広がっていく。実を割る場合は食べるという行為に繋がるための必要要素だが、芋洗いはしなくても食べられるから付加価値的なものと考えられる。その辺りがサルの行為として脅威を感じた理由なのかも知れない。行為の伝達のためには、おそらく真似が一番重要な因子なのだろうが、場合によってはそれとは別の伝達の可能性も考えられる。昔は言語を扱うことができるのは人間だけと言われていたが、最近は複雑性の度合に違いがあるだけで色んな動物が声などの音を使って意思伝達を行うと言われる。物事を伝えるために、身振り手振りも大切なのだが、目の前の存在にしか伝わらない。その点、音で伝えれば少し遠くに離れていても伝達可能であろう。警戒音などはその一種なのだが、その種類が少ないとして言語的な扱いとは見なさなかったのだろう。どちらにしても、程度の違いはあれ、音声伝達は有効な手段の一つである。もし、この辺りで人間が他の動物と違うことを示そうとするなら、文字の使用を挙げる人がいるのではないだろうか。サルやチンパンジーである程度の行動の伝達が起きるのは、数世代の個体が同じ集団で暮らすからで、それによって世代間の伝達が可能となる。ただ、重なりはそれほど長くはないから、長期間継続させることは難しくなる。古事記などの口伝のものにあるように、言語による伝達はある程度可能なのだろうが、伝達過程での誤りも多くなるだろう。それに比べれば文字による伝達は確実性が増しただろうし、より複雑なものまでも伝えることができるようになった。これにより、単なる伝達だけでなく、そこにさらに積み重ねをすることができるようになることも大きい。その辺りが他の動物との大きな違いになったのではないだろうか。こうなってくると、伝えることには単に生き延びるための知恵だけでなく、もっと別の付加価値的なものが採り入れられ、膨大な量になってくる。これから先、どんな経過をたどるのか予想もつかないが、伝えるべきものを考えるのか、はたまたその選択を後代に託すのか、どちらを選ぶのかは今の世代に任されているはずだ。

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1月5日(月)−未見

 子供に対して期待を抱くのは親として当たり前のことだと思う。やり方はそれぞれに違っているが、古今東西期待する気持ちには変わりがないだろう。期待するほうはある思いをもった上でなのだが、期待されるほうはその気持ちを理解できないことが多い。そんなすれ違いから、親子の断絶などが生まれるのかも知れない。
 ずっと同じ暮らしを続けていると、それを継承することが期待されるから、さほど苦労しないのかもしれない。こんなことを言うと、同じことを繰り返すのは苦痛なのではと思うかもしれないが、情報が行き渡っていなかった時代には他との違いを意識することもなかったろうから、苦痛を感じる段階には至っていなかったのではないだろうか。そういう意味では、良いことも悪いことも情報が氾濫する時代になり、他との比較が否応にもできてしまうと、様々な問題が生じてくる。特に、この国でその傾向が強まったのは、高度成長期と呼ばれた時代からなのではないだろうか。それまでも、色んな節目で生活様式の変化が起きたことがあり、特に明治維新ではまったく違った生活が始まったわけだが、あまりにも違いが大きかったこととある程度受け入れることを拒否する心が残ったことから、精神的には大きな変化を迎えたわけではなかったのではないかと思う。それに対して、高度成長期はそれまでと同じ生活を送っているにも関わらず、新しいものが次から次へと生み出され、それがどんどん社会に流入してきたから、抵抗するよりも受け入れることを選ぶ人のほうが多かったと思う。そんな中で、生活水準と呼ばれる指標が変化したことは大きいことだったのだろうが、さらに教育水準などの他の指標にまで変化が及ぶようになった。親の世代が育った時代とは何もかもが違った時代となり、親にとってはどう対応したらいいのか、それまでに培った知識から引っ張り出すことができない状態だったのではないだろうか。自分の経験を活かせない状況では、他から得た知識を頼るしかない場合も多く、そんな中で子供の教育をそれを担う機関に任せる風潮が高まった。それはそれで選択の一つなのだから、人それぞれの自由なのかも知れない。ただ、解らないものに取り組む姿勢からか、少々不思議な行動が現れていたように思う。自分の経験に基づくことであれば、それなりの助言が可能だが、それを超えた状況では的確な助言は難しくなる。的確であることに拘れば何も言えなくなるわけで、結局再び親子の断絶を迎えるしかなくなるから、それを避けようとする心が働けば、違った表現が出てくる。どうもその一つの現れではないかと思っているのが、悩むこと苦しむこと考えることを推奨する助言なのではないだろうか。親子間で交わされるよりも、先輩後輩とか、先生生徒の間での会話に多いのかもしれないが、若いときは悩まねばならないとか、もっと考えろとか、そんな言葉が飛んでくる。自らの経験から出た言葉なら理解できるが、どうもその世代における悩みは別の形だったのではないかと思える。自分たちが内から出る悩みに苦しんだのを、次の世代に対しては外から苦しめる。どこかがずれているように感じられるのだ。経験に基づく助言を心掛ければ、そんな言葉は出てこないのではないだろうか。

(since 2002/4/3)