先週に引き続いて、言葉の話をしよう。図画と書いて、どう読むだろうか。ずが、と答える人が大部分だと思う。しかし、とが、という読み方もある。たしかに、図書館は、としょかんと読む。だから、不自然なところは一つもない、と言えるだろうか。とは、タ行であり、ずは、サ行である。本来なら、図画は、ずがではなく、づがとなるべきなのではないか。
昔取り上げた名字の、水野と美津濃が、ずとづで区別すべきで、同じMizunoでは変だというのとは、ちょっと違うことだが、ずとづは日本語の発音で区別がつかないためか、色んな混乱を招いているように思う。図という字の中には、カタカナのツがあるように見えるから、づと読むべきかと思ったら、実はそうではなく、ずとしなければならない。規則のようなものを見つけたつもりで喜んだら、逆に罠に嵌められたような気持ちになるわけだ。同じような例で、融通は、ゆうずうと入力しないとすぐには出てこない。通過とか、通じるとか、全部、つなのだが、濁るとずになる。何とも難しい話だ。すの方に、そんな例があるのかどうか、すぐには思いつかないから、ないのかも知れないが、よくわからない。逆に、つが濁ったときには、必ず、ずになるとは限らないのは、月の例を見ればわかる。三日月は、みかづきと入力せねば変換されず、みかずきなどと入れたら何だか違ったものになってしまう。どこかに規則なるものがあるのかも知れないが、すぐには見つかりそうにもない。その代わりに、別の例を探す方が楽なようである。つとすの例だけでなく、濁音になったときに発音が同じになるものに、しとちがある。この場合、すぐに思い浮かぶのは地を使ったものではないだろうか。地下鉄とか、土地とか、そんな具合に濁らない場合、ちの発音となる。しかし、濁音を使ったものを探してみると、地面はじめんでないと変換しないし、地震もそうである。ぢを入力すると、血の方が出てきてしまうから、思い出してみると、鼻血が出てきて、やっぱりぢの方だとわかる。地の方も、たとえば下地の場合は、したじと入れても、したぢと入れても、どちらでもすぐに変換される。いやはやややこしいものだ。元々がどうだったのか、漢字の研究者にでも尋ねてみなければわからないのかも知れないが、とにかくひと目でわかる規則があるわけではないようだ。幸い、この二つの例だけで混乱しているように見えるから、ちょっと注意して取り組めばいい、くらいのところかも知れない。そのうち親切な変換ソフトがそんな間違いを指摘することもなく、正しい漢字を提示するようになるのだろうが、その頃になってしまえばこんなことを覚えることの意味はなくなる。以前指摘した、うとおの問題にしても、とおると入力しなければ出なかった、通るが、とうるでも出てくるようにする動きがあると聞く。正しい日本語を護ろうとする人々からは、当然のごとく反対意見が出されているが、客の望み通りのものを提供することを責務と考えている製作者側は、無視するに違いない。通じればいいのであって、完璧である必要はないという意見が、大勢を占めている世の中である。まあ、そんなことを言っても、づとず、じとぢの区別がよくわからない状態では、強いことも言えないような気がしてしまうが、違うのだろうか。
コンピュータが一般に馴染みを持たれてきたのは、ワープロと呼ばれる文書作成機が作られてからだろうか。word processorを短縮して、ワープロなどと呼んでしまうのはいかにも日本語らしい柔軟さなのかも知れない。それまで、英語の文書作成には通常のタイプライタ、日本語には和文タイプライタが使われていたが、使い勝手の悪さや習熟の問題から嫌われていた。
英文タイプライタと和文タイプライタは、どちらも見たことのある人にとっては、まったく違ったものとわかっているが、見たことない人にとっては想像もつかない代物である。英文のものは、今入力に使っているキーボードと同じものでキーの一つ一つがアルファベットや数字の活字に直結して、インクリボンを間にして紙に印字するのだが、和文のものは、まったく違った機構で、活字の並んだ箱から必要とするものを取りだし、それを印字する形式である。だから、和文のものは、印刷所で印刷工が原稿に合わせて活字を拾うという作業をするのとほとんど同じ作業をすることになる。当然、習熟度に依存するところは大きく、400字ほどの原稿でも作るのにかなりの時間を要した。速度の違いは歴然としており、英文タイプでは毎分600字程度の印字が可能であるのに対し、和文ではせいぜい80字程度となる。そんな状態でも、漢字を拾う作業を人間を介さずに行うことは非常に難しいと思われたので、機械化は進んでいなかった。そこへワープロが登場してきたわけで、今我々が使っているものと比べたら、あまりにも心もとない代物だったが、諸手を挙げて迎えられたようだ。この時代には文書は印刷されたものが出回ることが当たり前であり、それをどう効率良く行うかが問題とされた。それに対して、パソコンが普及するにつれ、職場だけでなく、家庭にまで進出してくると、前にも書いた電子化の時代となり、ペーパーレスになると言われたこともある。結局今のところ、その兆しは見られず、紙の生産は相変わらず高いままで、単に原料の枯渇の心配から、再利用する方式が増加しているだけである。文書の印刷に使われる紙のほとんどは洋紙と呼ばれるパルプを原料としたものだが、日本独自のものとして和紙と呼ばれる紙がある。洋紙と和紙の違いは主に原料の違いからくるもので、木材の大部分を使ったパルプから作る洋紙に比べ、楮、三椏などの樹皮のすぐ下の層だけを用いる和紙は、原料の調達に苦労をするのだそうだ。ただ、原料を細かく砕くのではなく、叩いたりすることで繊維を取り出す和紙の作り方は、長い繊維をもつ丈夫な紙を生み出すから、洋紙にはない特長をもつことになる。和紙は、最近ではあぶらとり紙として京都の土産に売られているものを始めとして、字を書くためとは違う用途が注目されるようになっているが、これも長い繊維が絡まっているために、細かな塵が出てこないからである。ティッシュペーパーと呼ばれる紙は洋紙だが、これは繊維が短いために細かな紙の屑が出てくる。塵を嫌う場所など、用途によっては、これが弱点となる。この頃、和紙で飾った室内灯が注目されているようだが、それ以外にも従来から工芸和紙という分野があった。着色した和紙を使って、絵を描く小原工芸和紙は三河の山奥の和紙の里を存続させようとした藤井達吉によって始められたものだが、キャンバスそのものが絵になっているのと、立体感があることで、通常の絵画とは少し趣が異なる。小原村は、一般にも楽しめる場所として、和紙工芸館を設けているから、興味のあれば立ち寄ってみたら良いだろう。紙の使い方が多様にあることを実感させられる空間である。
今はどうだか知らないが、昔は、大学病院には無給の医局員がいると聞いたことがある。医局員とは耳慣れない言葉だが、それぞれの診療科を医局と呼び、そこに所属する医者を医局員と呼ぶ習わしがあるようだ。いずれにしても、無給ではどう生活するのか理解できなかったが、知り合いによると学外の病院で当直医などをして生計を立てるとのことだった。
週に一度の夜間当直でどの程度の給与を得ていたのか、その時聞いた話は驚くほどの額だったが、実際のことはわからない。それにしても、皆が寝静まったときに仕事をしようとする人は少なく、常勤の医師に昼間の仕事とともに、夜もと要求するのは、法律的な問題だけでなく、肉体的、精神的にも無理のあることだ。そんな状況から重宝された存在が無給の医局員というわけだったのだろう。仕事の内容はともかく、この場合ちゃんとそこで働いていたわけだから、問題はなかったのかも知れない。それに対して、このところ北の方から始まり全国にまで波及した、大学病院所属の医師による学外病院への名義貸しの問題は、明らかな法律違反であり、厳重な処分を願いたいものである。こういうことが起きた背景には、常勤医の数の制限や病院の立地条件などの絡みがあるのだろうが、いずれにしても、定められたものが破られていたことには、医師の手が足りないと訴えている病院自身がその現状を隠していたことになるから、とんでもない話に見える。医師の数に制限を設けるのは、正常な医療を行うための最低限の条件のはずが、それを誤魔化す行為が行われていたわけで、正常とは思えぬ状況にあったとなる。これが全国津々浦々に渡って当たり前のように行われていたことを考えると、法律による制限が現状から見て外れたところにあるという指摘がなされても致し方ないのではなかろうか。現場では当たり前の行為として、違法とは知らなかった人たちが関わっていたようだが、その辺りの感覚も信じられない。いやはや、どうなることか、今後の展開を見守りたいものである。ちょっと違う話かも知れないが、医療行為が関わるものとして、最近気になることが起きている。電子メールに色んなところからゴミメールが舞い込んでくるのだが、その中に薬の販売を謳ったものがある。そういう薬は医師の処方箋が必要であり、診断を受けた者しか購入することが出来ないはずなのに、メールの内容はそうなっていないようだ。中には処方箋を販売するとまで謳っているものもあり、診断なしで処方箋を出す医師がどこかにいることを表している。これまた正常な医療行為とは認められず、そういった形での違法行為がインターネットという複雑に入り組んだ世界で蔓延し始めている証になるだろう。違法とわかっていて勧誘するほうにも、また違法と知っていて勧誘に乗るほうにも、罪があるわけだから、囮捜査でもしないかぎり、こういった犯罪者を捕まえる手段はない。また、医師が関わっていたとしても、彼らが本人を診断したと主張すれば、それがたとえ他人だったとしても罪には問われないのだろう。何とも複雑怪奇な話が出回り始めたものである。こういうゴミメールを受け取りたくない人々のために、メールを選別する機能を搭載したソフトが出ているが、それを嘲り笑うかのごとく、こういうメールが次から次へと舞い込んでくる。選別は、タイトルや内容にある言葉を見つけたときに排除するわけだが、その言葉の中に別の文字を入れれば区別がつかなくなる。機械の機械たる頑固なところを逆手にとったものなのだ。処方箋、prescriptionをpres(criptionとすれば、わからなくなってしまう。犯罪者とは何ともずる賢い集団なわけだ。
世の中には印刷物が溢れている。毎日配達される新聞を始めとして、週刊誌、月刊誌、一般書籍など、驚くほどの数の出版物が世に出されていて、それ以外にも、職場で配布される印刷物を含めると一体全体どのくらいの量の紙が使われているのか、想像もつかない。そんなわけで、電子化が印刷物を一掃するなどという話は当分実現されそうにもない。
毎日、毎週、毎月発行される出版物に関しては、本屋に行ってみれば、何となくその数が想像できるが、一般の書籍に関しては、置く場所の関係から本屋で見かけることもなく忘れ去られるものも多いだろうから、まったくわからない。ただ、出版業界にはちゃんとした集計があるようだから、そちらの方に行けばわかるのだろう。単にそれだけの手間をかけるのが面倒、というのが本音なのだが。そんな中で、新聞に広告が載ったり、書評で取り上げられたりするのは、ほんの一部であり、それこそ雑多な石の中に光り輝く宝石のようなものなのかも知れない。時々、広告や書評を見て、本を注文して購入することもあるが、大体本屋で手に取って選ぶことの方が多い。最近の本屋ではじっくり読む人のために、椅子まで用意されているところもあるが、さすがにそういったことをしてから買うことはない。ほとんど、目次とあとがきなどをチラッと読んで判断する。つまりは第一印象で購入するわけで、中を読んでみてがっくりとなることも多い。まあ、そういった失敗はそんなに時間をかけて選ぶことがないから仕方のないところで、そういうものの中に面白いと思うのが、一割でもあれば上等だと思っている。選び方は手に取ってという形だが、やはり書評も気になるし、広告も気になる。特に、広告は出版社が力を入れて売り出そうとしているものだったり、既に売れていて何度も増刷しているものだったりするから、それなりに面白いものが多いのではないかと期待できる。というわけで、毎日の新聞の書籍の広告にはざっと目を通すことにしている。最近目に付いたものにある共通点を見つけて、そんな時代なのかと思ったことがあるので、ちょっと書いておくことにしよう。まず、元議員という肩書きの人物の著した本の広告で、どんな内容なのかさっぱりわからないが、とにかく自分の容姿を良くするためにどこかの金を流用したとして話題になった人が、どんなことを書いているのか興味が起きないわけではない。犯罪を犯した人たちが刑期の間に何かを著すということは、昔からよくあったのかも知れないが、罪が大きければ大きいほど話題になっていたわけで、事前の宣伝が十分であると考えられる。そんな企画からか、最近出版されたものに、30年ほど前に活動家達の内ゲバに関与した三兄弟の末弟の書いたものがある。長兄が被害者となり殺されてしまったが、それに関わったとして逮捕された。三兄弟がたまたま高校の先輩だったらしく、他人事でなく伝わってきたから印象に残っているが、成人前後の事件としてどんな考えを持っていたのか、これも興味がないわけではない。どちらの本も手に取ることがあるのかはっきりしないが、こういう形で罪を犯した人間が自分の意見を述べる機会が与えられるのは悪いことではないだろう。ただ、それが何かの役に立つのかどうか、読む側の問題である。同じようなことだが、獄中から短歌や俳句を投稿する人々がいると聞く。差別する気はないが、自分の言葉を外に向けて発したくなる気持ちは誰にでもあるということなのだろう。
夜道、車を走らせていると懐中電灯を持った人たちを見かける。人によっては、自転車に乗った中学生がつけている反射布の襷をかけている。どちらにしても、運転者から見やすくなるから助かる。細い道に入ってしまうと街路灯もないから、誰かいても遠くからではわからない。歩いている人たちが自分を守るためにしていることだろう。
都会に住んでいると、どこにでも街路灯があるし、一日中開いている店もある。そんなわけで暗いところなどほとんどないのだが、ちょっと田舎に行くと店もないし、街路灯もなく、真っ暗なところばかりだ。暗がりを怖いと思うのは、何も子供たちばかりではない。大人になっても、誰かが潜んでいるかも知れない暗い場所に警戒する人も多いだろう。元々怖いもの、恐ろしいもの、そういったものに恐怖感を覚えることで、警戒心を保っているはずなのだが、安全神話に守られ続けていたこの国ではそういう心までもどこかに預けてしまった人が沢山いるらしい。最近、盗難や殺人など凶悪事件が増加するにつれて、安全神話は脆くも崩れてしまったが、そんな中でも警戒心を取り戻せない人は一杯いるようだ。たとえ、世間では犯罪が増えていても、自分の身に降りかかることはないという思い込みを持つ人は多く、身を守る術が紹介されたとしても、実感を持つこともなく、聞き流してしまう。成人の場合、本人が本人の責任で行っていることだから、自分の身が守れなくても仕方がないわけだが、子供のこととなるとそうは行かない。あまりにも頻繁に恐怖心をあらわにする子供は確かに相手をしにくいものだが、警戒心が強いという意味ではそういう子供たちが何らかの被害に遭うことは少ないだろう。それに対して、人見知りをしない、誰とでも平気で話すことのできる子供たちは、将来の世渡りは保証されているのかも知れないが、子供のうちに被害に遭うことがあるかも知れない。最近、小学校の敷地の管理が問題として取り上げられ、実際に事件が起きてしまってから、どんな実情だったのかが報告されたことがあった。学校は閉鎖的であるべきでなく、あらゆるものに対して開放的にすべきと言われていた時代は遥か遠くに過ぎ去り、今では子供の安全を守るために閉ざされた空間にすべきという意見が大勢を占めている。そんな状況に押し込まれた原因としては、大阪の児童殺傷事件や京都の事件が挙げられるだろう。犯罪を犯そうとする者が外部から容易に侵入できる状況では、そういう犯罪を未然に防ぐことはできず、校庭や教室内でそういう人間と対峙することを想定していない先生達に、児童を守ることを望むのは難しいようだ。そんな事情と、米国の学校のように警護をたのむ人をおく経費がない状況では、せいぜい門に監視カメラを設置したり、門を堅く閉ざしておく必要が出てくる。不審者の侵入を防ぐためには、関係者を含む全ての人に対して関所となるものを設ける必要があるという考え方だ。学校を卒業後にたまに母校を訪ねることがあった人間にとっては、何とも面倒なことに思えるが、今学校に子供預けている親にとっては、ありがたいことなのかも知れない。しかし、そんな通達があった後も、結局厳格な運用をしなかったところが多く、設備投資も宝の持ち腐れといった感がある。各所で侵入者による犯罪が発覚し、体制が整えられているにも関わらず、杜撰な運用をしていたことが伝えられると、人々の警戒心の喪失がかなり大きなものであることを実感させられる。一つ事件があると、もう一つもと考えるのは早計な話だが、隣の市で殺人事件があったのに、門の開閉を杜撰にしていた学校の話を聞くと、その辺りの感覚を疑いたくなる。自分のところは関係ないという考えが、こういう事件で否定されたときの責任者の心情を聴いてみたい気もするのだが。
ラジオからどこかで聴いたことのある音楽が流れてきた。但し、馴染みのあった曲は演奏だけで、替え歌のような歌詞以外は付いていないと思っていたのに、歌まで付いていた。その歌は、天然の美、または美しき天然という題名で、明治時代に書かれたものであるという。どんな曲なのか、確かめて欲しい。
あっと思った人は一昔前のこの国のことを良く知っている人かも知れない。開店祝いに繰り出していたあの人たちが演奏していたものだ。ラジオの番組の中で、この曲を歌っていたのはロシアに住んでいる朝鮮人の家族であった。戦時中に樺太に渡り、終戦後も祖国に帰ることができず、ついには南ロシアに移り住むことになった家族の一員が小さい頃に習った曲を未だに覚えていて口ずさんだものだ。姜信子という人が書いた本の紹介となったこの番組では、本人も在日韓国人ということで、その問題を考えるものとなっていたらしい。何しろ、最後の歌が流れる部分だけを聴いていたのでは、どんな内容だったのか想像することもできない。昔覚えたものを年をとってから思い出すことはよくあるようだ。新たな記憶が定着するよりも、昔の記憶を維持するほうが優先となるのは、人によるのだろうが加齢現象の一つなのかも知れない。そういえば、小学校に通っていた頃、学級で百人一首をやったのだが、祖母がそれらのほとんど全てを覚えていたのに驚いた。孫の方はせいぜい60首くらいしか覚えられなかったのだから、その驚きの程度がわかると思う。学校に通っていた頃に覚えたということだったから、60年くらい経過していたのだろうか。それまで家庭でこの話題が出たことはなかったから、長い間どこかにしまっておいたということなのだろう。必要なときにパッと出てくるところがすごいものだと思った。親の世代やその前の世代は、学校で歴代天皇の名前を諳んじなければならなかったそうだから、そういう訓練ができていたのかも知れないが、考えさせることが大切という今の教育方針とはかなりの隔たりを感じる。強制的なものはいただけないと思うが、ある程度繰り返すことによって、記憶が強固になることも多く、好んで繰り返せばその効果はさらに向上するに違いない。好みによるわけだから人それぞれなのだが、小学校の時に習った歌を覚えている人もいるのではないか。戦前は尋常小学校唱歌として歌われたものに、幾つかの曲が引かれ、加わり、戦後には文部省唱歌として親しまれてきた。時代の流れによって、歌詞も元々のものとは変えられたところもあるが、詩も曲もとても良いものが多かったように思う。一方、百人一首に代表される和歌だけでなく、昔の物語や俳句、詩の類いも諳んじることの大切さを訴えている人たちもいる。声を介した学習の大切さの一つだろうし、覚えることの大切さもあるのだろう。こういう行為が直接結びつくものなのかわからないが、覚えることの喜びが知る喜びに繋がり、脳の活動を高めるのであれば良いのかも知れない。
時期が時期だからだろうか、新聞を眺めていると、入試に関する話題が溢れているように見える。いつもと違っているのは、法科大学院の話題がチラチラと出てくることで、それ以外はほとんど大学入試に関するものである。相変わらず、猫も杓子も、という状態は変わらないらしく、当然ながら話題にも事欠かない。
ある時代から、それが人生の全てを決定するかの如く言われていた大学選びは、同年代の子供の数が減少し始めたにもかかわらず、重要な要素と受け取られているようだ。お隣の国ほどではないにしろ、良いところへ行っておけば安心とか、資格を取るためには必要とか、まあ色んな理由があるのだろう。つい最近も、国立大学の医学部に合格させるからと言って、大金を巻き上げた事件が伝わってきたが、金さえあれば何とでもなると思ったからか、はたまた藁にもすがる気持ちだったのだろうか。いずれにしても、こういうことをしようとする背後には、目的の学校に行っておけばという気持ちがあるに違いない。進学する本人よりも、その家族にそういう気持ちが強く働くというのも、器を決めておけばあとは本人が何とかするという期待があるからなのだろう。金が絡むといかにも怪しい道のように見えるが、結局本人の成績が問題であるという意味では、どんな形にせよしっかり勉強するしかないわけだろうから、怪しくも何ともない。一部の裏口入学は除くが、正規の入試で合格するために金を費やすのはそれほど不思議なことではないのだ。全ての国公立大学と一部の私立大学は入試にセンター試験を採り入れている。センターとは、大学入試センターのことで国立の施設だったが、今は独立法人となっている。この試験は、25年ほど前共通一次試験という形で導入され、国立大学を受けるための一次試験という性格で始められた。マークシート方式という今ではごく当たり前になった記入方式を採り入れることで、大量処理を可能にして、全国の受験生が受けられるようにしたわけだが、導入する前から色んな反対意見が出されていた。一次試験を導入することに対してではなく、試験の内容に対する反対がほとんどで、マークシート方式では選択を主体とするから一部の問題を除くと五者択一とかになってしまい、正確に知識を問うものが作れないとされたからだ。また、数学などのように問題を解く過程を問うものでは、最終結果のみを要求する形式は馴染まないとも言われていた。実際導入当時から、問題を見ていると記憶したものを問うものが多く、記憶容量を試されているような気がしたものだ。そんなつもりで、今回の問題を眺めてみると、ずいぶん様子が変わったような気がする。言葉の記憶を試すわけではなく、どちらかといえば考え方を試すような設定がなされているように感じられるからだ。特に驚いたのは、地理の問題で高校時代のことなどほとんど覚えていないが、当時の担任が出していた細かな記憶を要求する問題と比べても、どちらかといえば社会常識さえ身に付けておけばある程度わかるような問題であるように思えた。同じ形式が既に四半世紀に渡って続いているわけだから、何らかの変化が見られるのも当たり前のことだが、それにしても趣の違いに驚かされる。ただ、この傾向がある程度を超えてしまうと、今度は科目間の違いがはっきりせず、どの科目にでも通用しそうな設問ができてしまうかも知れない。これは科目間の区別に拘る人々にとってはおかしい話になるが、実際にはそういう問題こそ様々な知識と判断を試すための良い問題なのではないだろうか。