パンチの独り言

(2004年7月12日〜7月18日)
(独自予報、早計、最新医療、未開封、避難、事故閉鎖、ど忘れ)



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7月18日(日)−ど忘れ

 以前から思っていたことを、いざ書こうとすると思い出せなくなることがよくある。いわゆる加齢現象であることを否定するつもりはないが、それを脇に置いておいて、他に思いつくことが幾つかある。たとえば、新聞テレビを見ていて何か新しい情報が入ったとか、誰かと話していて印象に残ったものがあるとか、いわゆる上書されたようなものだ。
 忘れることがたびたびあるのであれば、その時のためにメモを残しておけばいいと忠告してくれる人がいるだろう。確かにその通りで、他の人たちが同じ問題を抱えていたら同じような忠告をしているに違いない。人のことはよく見えるのだが、自分のことはとんとダメというのはこういう時にも当てはまることで、わかってはいるものの実行に移すには至らないことが多い。メモの話については、時々使ってはいるものの少し古くなってしまうと面白味が失せてしまったり、あろうことか何の話だったのか思い出せなくなっている。メモとてきっかけにしかならないものであり、結局のところ引き出しの在処を探すために使えなければ何にもならないし、まして引き出しの中が空っぽになっていたのではどうにもならない。これらすべてが加齢によるもの、だから諦めなさいと言われても、これまた何の慰めにもならない。忘れることはある意味重要なことで、それだけ印象が薄いものだったのだろうし、話の組立などが不十分だったからこそ記憶が薄らぎやすいのだろう。日々の出来事をすべて覚えられる人はいないし、過去のことも次から次へと忘れていく。だからこそ、前向きで暮らせるのだという人もいるが、それはそれで何となく寂しさを感じてしまう。まあ、いずれにしても、覚えておきたいことが覚えておけるわけでもなく、忘れたいことが忘れられるわけでもない。何かどこかに鍵となるものがあるのだろうが、記憶の引き出しの整理の仕方が何かしら無意識的なもので決まっているようだ。受験勉強で苦労していたときなど、あれだけ時間をかけて覚えたはずなのに肝心なことが出てこなかったり、教科書の該当するページのイメージが思い浮かぶのに肝心なところだけ見えてこなかったりする。焦れば焦るほど、周囲の画像が鮮明になり、肝心なところはモザイクでも入ったかのごとくぼやけてくる。若い頃でもこんなものだったのだ、年をとればもっとひどくなっても仕方がないなどと慰めてもしょうがないのだが、まあとにかく思い出せないことが多い。記憶に関するものでは最近特に気になることは人名についてのことだ。まだ画像処理の方はましなようで、相手の顔には見覚えがある。しかし名前が思い出せない。そんなことが頻繁に起きるようになってきた。原因はどこにあるのかわからないが、とにかく浮かんでこないのである。これは逆に言うと以前ポンポンと浮かんできたときに、どういう仕掛けで出てきたのかについて無意識だったからこそ対処のしようがない。それでも数分時間をかければ糸口が見つかり、やっとのことで答えに到達できることが多い。だからまあいいというわけに行かないのは、その間に相手との話はどんどん進んでいるからだ。やっとこさといった感じで答えがわかったころには、別れのご挨拶というのも少なくはない。まあ、それでもわかったのだから、などと自分で慰めつつなのだが。これだけ書いてきても、何を書きたかったのか思い出せない。よほど上書きが重いのか、それとも、、まあ、それはそれとして、今日のところはおしまいだ。

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7月17日(土)−事故閉鎖

 長距離の移動をしているとやはり色んな障害に巻き込まれる機会が増えてしまうようだ。事故の直後に現場を通ったことが何度もあるが、大きなものに限って言えば事故を起こした人、巻き込まれた人どちらにとっても大変なことになり、あとの処理は気の重いものと想像できる。一方他の運転者にとっては、直後にでもすり抜けられればある意味幸いなのかもしれない。
 他人の事故を見ながら、幸いも何もあったものではないし、特に巻き込まれることを考えるといつ自分の身に降ってくるかわからないから、対岸の火事などとは言ってられない。しかし、その場にいて、通行規制の対象になったりするとつい火の粉が来ないようにと思ってしまう。つい先日も、梅雨明け間近の雨の中、それでも順調に走らせていたら、ある出口の手前で急に表示が現れて驚いた。事故、閉鎖、ここで降りろといった感じの表示だったろうか、前後の車も合わせて10台近くの車が出口へ向った。ところが、料金所には一台の車もいない。そこから想像できることは本線上の警告が表示されたばかりだということだ。降りたことの無い出口から、閉鎖された区間を過ぎて次の乗れるところまでどうやって行くのか不安になりながら料金所の列で待ったが、待てども待てども列に動きは見られない。結局機械の故障が起きて、手続きができなくなったためだったらしいが、料金所の職員が建物とブースの間を行ったり来たり、何も知らされず待たされるのはどこでも同じことらしい。やっとのことで手続きを終え、平行して走る国道に出たのはいいがどこをどう行けばいいのかよくわからない。皆で行けば怖くない方式で前の車を追うことにし、狭い国道を大きなトレーラーが行くのを追いかけて、野越え山越えやっとのことで次の入り口に辿り着いた。この区間はどういう理由かわからないが事故が頻繁にあり、これまでも区間閉鎖になることが多かった。走ってみればわかるのだが、起伏に富んだ道路で、その上カーブも多い。慣れない人だと、速度の問題やら技術の問題やらで制御不能に陥ることが多いのかもしれない。また、当日のように雨の中では更に危険度は増す。もう一つ言えば、連休の頭となると更に走り慣れていない人が多くなるから、危険度は頂点に達していたのだろう。事故の具合についてはまったく知ることができなかったが、上下線ともに閉鎖にしたところを見るとかなりのものだったのではないだろうか。その後5時間ほど経過してもまだ閉鎖解除にはなっていなかった。構造上の欠陥なのか、それとも別の要因なのかわからないが、この高速道路はよく閉鎖される。もっと手前でわかっていれば逃げようもあるが、中に巻き込まれてしまうとどうにもならない。はたしてあの表示を無視して前に行っていたらどうなっていたのだろうか。考えてみると、その直前に道路公団の車を追い越していた。あれは規制へと向う車だったのだろうか。そうならば、行ってしまってもよかったのかもしれない。いずれにしても、何が起きるかわからないもので、こういう時の対応が順調に行くと大して気にならないものだが、想定外ということで問題が起きるとつい落ち着かなくなる。その後も、色んなところの事故の情報が流れていた。一概には言えないのだろうが、休日運転専門の人々が増えていたことが関係するのかもしれない。

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7月16日(金)−避難

 何かしらの災害が起こるたびに、行政の責任が問われることが多い。津波や洪水などの災害は地震や大雨といったある意味での予告があるうえで起きるから、それに対する対処も可能となる。そこで何らかの注意喚起ができるわけだから、それを担当すべき機関にはその責任があるということになる。特に、周辺の自治体との違いを示して批判する声が多いようだ。
 確かに、行政による避難指示、避難勧告、避難命令といったものは、人々にある程度の注意を促すものとして重要な要素の一つである。言葉ごとに意味は違うが、それが出されただけで行動を起こす人の数が違ってくるそうで、大きな影響力があると言える。しかしその一方で、勧告などが出されても強制力はまったくないから、個人の判断に任される。その結果として、被害の程度が違ってくることもあり、もっと強制すべきとの批判が飛んでくる。個人の自由であるとか、人それぞれの事情であるとか、本来は色んな背景がありそれによって違いが出ているはずなのだが、大元のところで判断が間違っていたとするのがある意味簡単であり、個人に対する批判に比べると機関に対する批判は相手が特定できないだけに容易なものとなるようだ。それにしても、こういう類いの報道がなされるたびに考えさせられるのは、一人ひとりの判断はどうだったのかというものだ。沿岸部のどこかで地震が起きた時に、昔からの言い伝えで津波が起きたことがわかっている地域でさえ、地震直後の避難をしない人が多いという結果が出たとある番組が伝えていた。理由は色々とあるのだが、多くのものが津波注意報や津波警報が出されなかったからというものだったそうだ。震源までの距離にもよるのだろうが、地震が起きてから津波の襲来までの時間は短ければ数分の場合がある。その時に、さてテレビなりラジオなりによって、注意報や警報の有無を調べている余裕があるのだろうか。こういった短時間で起きるものについては、本来は自主的な判断によってどうすべきかを決めるのだろうが、そうしない人があまりにも多いのではという危惧をつけて番組は流れていった。責任のある官庁が責任をもって判断するのだから、その判断は正しいことが多くそれに従うべきであるというのが、こういう流れの基礎となる考え方なのだろうが、どこかずれているような気がする。そういう地域の言い伝えでは、地震があったらすぐに裏山に走れといったものもあるそうで、間髪入れずに行動せよということらしい。しかし、それをも上回る力が公の組織にはあるのだと思い込む人が増えているのだ。自分で判断したくないという思いがあるからなのか、誰かに判断して欲しいという思いがあるからなのか、はたまた何も考えたくないのか、理由はわからないがそういう考え方が定着しつつある。これらも一種の情報操作なのだが、いとも容易く操られる人々がいることには驚かされる。ただ、一方で、警報が出されても動かぬ人がいるのにはさらに驚かされるわけで、これは単に情報操作などという範疇で考えるには無理があるのだろう。楽観的というべきかどうかわからないが、何も起きないはずという、筈の考え方が染みついた人も多くいるようだ。いずれにしても、被害が起きてしまえばその対象となった人々には大きな負担がのしかかる。それを少しでも緩めようとするからか、災害後の官庁批判は厳しいものとなることが多い。確かに、何らかの落ち度があり、それを批判することも必要なのだが、一方で個人個人の自らの身を護る心掛けも無くしてはならないことだろう。体が不自由な人々が被害に遭ったという話も、どんな形で防ぐことができたのか考えるためには、単に公の批判だけでは足らないような気がする。

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7月15日(木)−未開封

 この間歯磨き粉がきれそうになったので、買いに出かけた。正確には、歯磨き粉ではなく、練り歯磨きなのだろうが、つい前者の方を使ってしまう。塩の入ったものが好みで、探していたら一つ見つかった。帰って開けようとしたとき、ふと変な切り込みがあることに気がついた。紙の箱の蓋を開けると、その切り込みが切り取られる仕掛けだ。未開封の証明なのだろう。
 いつの頃からか、こういう仕掛けが色んなところに使われるようになった。たとえば、瓶詰めのジャムなどの蓋は、開封すると凹みが膨らむようになっている。減圧下で密封しておけば、開けたときに蓋の金属が元に戻る性質を利用したものだろう。これによって、買う前に誰かが蓋を開けて何かを混入した場合にわかるようにしている。同じような仕掛けは、風邪薬などの薬の瓶のシールなどにもある。それぞれの容器の性質に合わせた工夫がなされており、今回の紙の箱の場合は、以前ならばシールを貼っていたものが、箱自体に工夫をすることで色んな手間を省いたものと考えられる。こんな工夫をしなければならないのは、色んなところで混入事件が起きたからである。風邪薬に劇薬を混入したり、飲料に毒を混ぜたりする。不特定多数を対象としたものだけに、何を目的としたものかははっきりしないが、とにかく被害を受けたらたまらない。製造社側にも責任が及びかねないということから、こんなものが導入されたのだろう。しかし、一方でほとんど見えないほどの穴を開けて混入する事件が起きるから、こういった工夫も絶対的なものとは言えないようだ。さらに、はじめのうちは物珍しさも手伝って気にしていたが、最近はあまり気にならず確かめることもなくなった。消費者側ももっと強い意識を持つ必要があるのだろうが、どうものんびりとした国民にはそういうものは芽生えてこないようだ。実際には、相手を特定しない犯罪はよほどのことがないかぎり捕まることもないから、犯行に及ぶ人々はそのまま野放しになることが多い。ただいつまでも同じ犯行を繰り返すようだと、逃げおおせなくなるだろうから、いつの間にか起こさなくなるという経過をたどることが多いようだ。それにしても、何故こんな事件が起きるのだろうか。単なる愉快犯と見るべきなのか、それとも別の目的があると見るべきなのだろうか。おそらく、個々の事件によって理由なども千差万別であり、一つの括りで捉えることはできないだろう。そういうこともあって、結局は防御に力を入れるしか方法がないということになる。余計な手間をかけることで商品の値段が上昇し、買う方にとっては悪いことばかりという結果を生むだけだろうか。売る方にとっては、以前目薬についてあったように被害者を装った人々からの届けを防ごうという意味でのシールということもある。まったく、何でもかんでも混乱に乗じる人々が世の中に蔓延るようになったのは、それだけ荒んできたという証拠なのだろうか。もし、そうだとしたら、はたして自分の身を護る手段だけで十分なのか、少々不安になるのだが。

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7月14日(水)−最新医療

 天災は忘れた頃にやって来ると言ったのは寺田寅彦だったか。自然の摂理を前にして人間とはいかにちっぽけなものか、という話もどこかで聞いたことがある。地震雷火事おやじ、最後の一つを除けば依然としてその力の前にひれ伏すしかない状況だ。いつでもどこでも仕方がないの一言で片付けられてきたものが自然の力なのだろう。
 それでも、ただ手をこまねいているだけでは気が済まないのが人間の性らしい。これまでもこれらの被害を最小限に抑えようとする努力がなされてきただけでなく、何とかその原因を探って元から絶とうする努力もされてきた。それが時には科学の発展に貢献することもあっただろうが、その多くは怪しいものとして取り扱われ、忘れ去られたのではないだろうか。天災という形の自然の摂理とは別に、色んな形の摂理がある。神によって導かれるものという意味の摂理では、あらゆる事象が神の仕業となっているから、人間の思い通りにならないものはすべてその範疇に入ることになる。たとえば人間の生き死にに関しても同じようなものがあり、同じように何とか操ろうとする動きが医学の進歩とともに大きくなっている。最近話題になったものだけでも、脳死患者からの臓器移植、受精卵の着床前診断、クローン胚の使用など、様々な技術が開発され、それを利用して命を操作する医学が発展してきた。操作という言葉を使うと途端に危ないものに思えてくるが、どんな意図があろうともそこにはその作業が厳然とあるわけで、その意義の軽重とは無関係に行為の事実は存在する。人それぞれにこういう技術に対する見解はあるものだと思うし、同じ人でも経験を重ねるごとに見解に変化が現れることも多い。たとえば、自ら病を患い、ある技術でしか命を永らえることができないとなると、それまでとは違った観点からの考えを出さざるを得なくなる場合もある。最近の世の中の動向からすれば、関係者が最終決定をするべきであり、赤の他人がその考えの実行を妨げるべきではないという話になりそうだが、どんなことでも社会への影響が予見される場合には個人の権利だけで物事を進めるのは危ないような気がする。特に、生殖医療に関しては一部の医師による暴走とも思える治療とそれに対する人々の様々な意見によって、これまでも多くの情報が流されてきた。色んな見解があるのは事実であり、子供が欲しいという権利を奪われるのはおかしいとする意見もある。ただ、この辺りの事情についてはどうもすんなりと受け取れない意見も多く、感情論とまではいかないけれどもそれに近いものを感じてしまうのはこちらの問題なのだろうか。今回の着床前診断の承認についての報道でも、そういった話が流されていたが、可哀想だからという気持ちでの判断をするべきではないと感じた。そういうスタンスでの報道があったわけではないが、関係者のコメントの流され方を見ているとそんな印象を持ってしまう。医療活動は多岐にわたって発展してきたから、それに伴って従来の考え方の変更を余儀なくされることも多かった。今回の事例もその一つに過ぎないのかも知れないが、個人の命に対する行為と子孫に渡される命に対する行為を同じように扱うことには抵抗を覚える。前者についても、他人の臓器を移植する行為について賛成する気持ちはないが、クローンを作ることによって別の自分を作ってそこから移植すれば問題ないとする意見が出てくると、もうどうにもならない気がしてくる。いずれにしても、個人の権利が尊重される世界となり、その観点で判断すべきと言われても譲れない点はあるのではないだろうか。心臓などの臓器の移植の次に、脳の移植が可能になったとしたら、さてどうだろう。どっちがどっちに移植されると考えればいいのか、迷ってしまわないのだろうか。

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7月13日(火)−早計

 人を見るときどんなことを考えるだろう。どんな人なのかを考えるとき、第一印象を大切にするだろうか、それとも他の人の噂を大切にするだろうか。あるいは、その人が属している組織のことを気にするだろうか。色んな見方があるが、そこには様々な先入観の入り込む余地がある。重要な情報であるかも知れない一方で、それらは偏見を作りだすこともある。
 人それぞれと言われるようになっているとはいえ、結局のところあの会社の人たちはこんな風とかあんな風とかいう話がまことしやかに語られるところをみると、個性の入り込む場所がまだまだ小さいことがわかる。不祥事を起こす企業についても、それが会社の体質によるなどという意見が大きく取り上げられたりするのは、個人の問題よりも組織の問題のほうが重要であることを示しているようだ。たとえ、最終的な責任が個人に向けられるとしても、そういう流れが起きたのは組織全体の問題として捉えられることが多い。そういうものに属した人にしかわからない何か特別なものがそこに存在しているのかも知れないが、わからないのだから理解しようがない。少し違った方面にもそういった動きが頻繁に起きている。たとえば、世代についての話で、最近の若者はとか、最近の年寄りはとか、そんな類いの括りが出てくるものだ。これらも言われている対象となる人々にとってははた迷惑な代物で、他の人とはこんなに違っているのにとか、あいつらとは一緒にして欲しくないといった反論が返ってきそうだ。実際に言われてみると、そこには強い偏見があって強引に結論が導き出されている場合が多いから、たまったものではない。それでも、中にはぴったりと当てはまる人々もいるわけで、その人たちには何かしらの効果があるようにも見える。ただ、多くの場合、当てはまる人々にはそんな言葉が通じないことが多いから、結局は嫌な思いをする例外的な人々だけが残ってしまうのだろう。そんなつもりもないのに、何となく便利だからと括りを利用する場合が多く、つい使ってしまうのは不思議なものである。その一つに最近の高校生の行動があり、ここでも何度か取り上げていた。何故あんなに汚らしい格好をするのかとか、地べたに座るのはいかがなものかとか、靴の話も取り上げただろうか。とにかく、こういうときは十把一絡げである。目の前を歩いていく生徒を見ていて、その多くがだらしなくしているとついそんな気が起きてしまうのだ。しかし、やはり例外はどこにでもあるものらしい。通学風景の中で、老婆が手押し車を押しているのを通せんぼしている高校生を見かけた。一瞬の出来事だったが、彼らは手押し車の上にある二つのゴミ袋を取り上げ、老婆にひと声かけてからゴミ集積場に運んでいた。いつもはだらしなく見えるその高校の夏制服がその時だけは頼もしく見えたものだ。まだまだ捨てたものではないと言うのは早計なのかも知れないが、何となく気持ちのいい朝に感じられた。

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7月12日(月)−独自予報

 梅雨が明けていよいよ本格的な夏といった感じのするお天気だが、肝心の梅雨明けはこちらの方ではまだ報じられていない。天気予報を民間が自由にできるようになったとはいえ、これらのことはお役所が握ったままだから勝手な意見は出せない。そんなに重要なことなのかとも思えるが、注意報、警報や台風の進路予想とともに特別扱いとなっているようだ。
 そんなことを言っても実際には前にも書いたように天気予報も自由化とはほど遠い状況にあるように思える。先日も、雷雨の予報を伝える言い回しがそっくりなのを偶然見つけてちょっと驚いた。これは、専門知識を身に付けた人々がまったくそっくりの言葉を使うほど全員高度な水準に達しているのか、あるいは全員がどこかから流れてくる言い回しを伝言するだけの低い水準にある、いずれかではないかと思えてしまった。そういえば、以前はもっと自由度の高い予報を流していた人々もいたのだが、どうも予報自体に差別化を求めることはやめてしまったらしい。それよりも、解説や解釈に力を入れて知識の多さを誇示するほうに戦略を変更したようだ。でも、そんなことは予報士なるものができる以前からあったことで、もう30年ほど前になるだろうか、ある都市圏の夜の天気予報を担当していた気象協会の職員は独自の言い回し、独自の解説を心掛けているように見えた。それまでの平板な単なる連絡係のような雰囲気とは違って、そこには人間味溢れる雰囲気があった。こういう仕事は官が絡んだものでは不可能であり、民間が参入してこそ可能になると色んなところで強調されるが、実際にはそんな区別などありはしない。確かにやりやすい、やりにくいの区別はあるだろうが、やれない、やれるという区別とは明らかに違っているように思える。当時の天気予報は民放ほどつまらなく、放送協会のものの方が面白く感じられたのはそのせいで、伝達係が定番の言葉を伝えるだけのものと、顔を見せて自分なりのやり方を見せようとするものでは明らかな違いがあったように思う。ただ、これはあくまでも個人の努力と資質によるものだろうから、誰もがそうしていたとは言わない。逆に見れば、努力と資質さえあれば、制度がどうであれ、ある程度の自由度は確保できるということを示しているのだと思う。前例がないことを理由に新しいことを忌避する組織に対して、ただ声を荒げているだけでは何も起こらない。前例を作る努力をするほうがよほど早道で簡単な場合も多いのだ。色んな試みでそんな話がよく聞かれるようになったから、ある程度そういう相手との取り組み方が世間に知られてきたのだと思うが、まだまだ前例なしのお断りと文句の羅列のやり取りはお盛んなようだ。いずれにしても、新たな試みの場合、予想された効果と現実の効果とはかなりの隔たりが出てくる場合も多い。その時、やっぱり駄目だと片付けてしまえばせっかくの努力も水の泡となる。ちょっとした調整が必要なことはよくあるはずなのに、すぐに結果を求めるのは厳しすぎるのではないだろうか。そんなことが重なった結果が今の予報の形態に繋がっているような気がするのだが。

(since 2002/4/3)