パンチの独り言

(2005年2月14日〜2月20日)
(事故、手当て、復活、省エネ、活動、悲惨、開港)



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2月20日(日)−開港

 眼鏡と写真機、この国の旅行者の出立ちとして有名になった持ち物だ。国が豊かになるにつれて、貯め込むだけでない使い道として出てきたのが海外旅行である。その後、エコノミック・アニマルと呼ばれるようになると、これに出っ歯という特徴が加わった。似ても似つかぬ姿が新聞の一コマ漫画に登場し、目の上のたんこぶのような存在と思われていた。
 さらに時代が進んで、経済力の低下が際立ってきても、依然として外に出かける人の数はこちらに訪ねてくる人の数よりも遥かに多いままであった。神秘的な魅力が伝えられる一方で、戦後の急速な復興による経済発展が俄長者のように語られる、何とも不思議な組み合わせの国は、先進国が集まっている場所からは極と呼ばれるくらい遠い存在で、いまだに気軽な旅行の対象とはなっていないようだ。そんな状況下で、隣国たちは経済発展を成し遂げ、ついに占領国や敵国だったところを訪ねることができるようになった。彼らがどんなことを思いながら旅行するのかわからないが、海の向こうからやって来た舶来の遊園地に行くのであれば、戦前の位置づけなど問題にはならないのだろう。いずれにしても、魅力が薄いのかあるいは物価が高すぎるからか、訪問者の数はあまり増えていないようで、国際空港での案内の充実などが図られているそうだ。やって来た人たちに良い印象を残せば、次の客がやってきたり、もう一度来ようとする気が起きるというのだろうが、どんなものだろうか。旅行のうちにどんな印象が残るのかは別に空港での経験だけに基づくものではないと思う。そんな中で新たな空港が建設され、万国博覧会に間に合うように開港した。いろんな点でこれまでの空港とは違っているようだが、中でも開港早々の人出の多さは群を抜いているようだ。発着の利用者だけでなく、単なる見学などの利用者を対象とした施設の充実がその理由の一つとなっているようだが、先輩格である東西の国際空港に比べて、開港当時の事情がかなり異なる点も原因の一つに挙げられそうだ。東の空港は建設用地の問題で、未だに不十分な施設しか建設できておらず、開港当時は特に反対派の運動が激しかった。西はと言えば、国内の経済状況が悪化した中での建設、開港であったから、盛り上がりにも欠け、さらにそこに使用料の高さも加わり、八方塞がりの状況になっていた。これらに比べたら、今回の開港はその地域の経済回復がたの地域と比べて急速であることや、その中心となる企業が支援に乗り出したことなど、プラスに働く要素が多くあるように見える。これが客数の増加に繋がっていると考えるのはごく自然のことだろう。さらに、発着利用の立場から考えて重要と思われるのは、国際線と国内線の乗り換えの便利さであり、先輩達がその点で利用客に不便を強いているのに対して、大きな違いを示している。これは、周辺空港との関係によるもので、従来は近くの空港との客の奪い合いが問題となっていたのに、それが起きなかったからだ。経済状態は制御できない面もあったろうが、国内線の発着に関する問題はいろんな解決方法が模索されるべきだったろう。それを放り出したことが現状に反映されているのかもしれない。今のところ順調に走り出したとはいえ、このところの推移からすれば万博後の動向こそが本当の数字と言われることは必至である。さて、どんな経緯をたどるのか、楽しみにしておこう。

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2月19日(土)−悲惨

 予想とは当たるためにあるのではなく、外れるためにあるのかもしれない。いくつか出しておいて、そのうちの一つでも当たればいい、といった考えの人もいるのではないだろうか。予報と違って、ちょっと無責任なところも含まれているようで、それだけ気楽に大胆な振る舞いができるのかもしれない。素直に従った人を除けば、大した影響もないだろう。
 どちらに属するのかはわからないが、春先、話題になることの一つに花粉情報がある。これまでの調査から、前年夏の気温の影響が大きいと言われており、昨年の猛暑を覚えている身としても、それなりの覚悟を強いられている。自己防衛では不十分という考えからか、機会あるごとに警告が出されており、大量の花粉飛散によって新たな患者の続出を警告する向きもある。冬の訪れが少々遅れたころ、早くも花粉が飛び始めたと報じられた。少量の飛散でも反応する人々は既にその頃いつもの症状に悩まされ始めていたが、多くの人々はその程度の量には反応しなかったようだ。その後は暖冬ではなくごく普通の冬らしい冬が訪れ、さらに大雪などもあって、逆に春の訪れが遅れつつある。元々飛散が始まるのは2月の終わりから3月の初めにかけてだから、これはごく普通の傾向とも言えるのだが、大袈裟な警告をした手前、今のところ肩透かしのような雰囲気が漂っている。確かに杉の枝の先にはたっぷりと花粉を含んだ雄花が膨らみ始めており、不気味な感じもするが、あれだけ脅されてしまうとこの程度のことかと高を括ってしまいそうだ。飛散時期が早まるとともに期間も長引くと言われた頃には、かなり真剣に対策グッズを探し回った人がいたようだが、こんな状態が長く続くと折角の熱が冷めてしまいそうだ。それはそれとして、毎年のように厄介な症状に悩まされている人たちだけでなく、大量の飛散によって続出するであろう新参者達は、何とも落ち着かない日々を送る羽目に陥っている。症状が出るならさっさと出てくれればいいのにと開き直る向きもあろうが、対策商品を売り出す企業にとっても皮肉な結果が出てしまったようだ。早めの対策に主眼を置くところは、結局早期から生産を開始せねばならず、こんな形で発症が遅れてしまうとかなりの打撃を被るところが出てくるかもしれない。それこそ流行に後れまじと慌てて整備したところほど、大きな影響を受けていそうだ。さすがに病気に関わることだけに、さっさと出て欲しいとか、打撃を受けたとか、そんな話題を出すわけにも行かず、じっと我慢の様子である。こんなところにも景気が左右される要因は潜んでいるわけで、お天気次第といった体はまるで農林水産業と同じに思えたりする。こんなことを書いているうちに、その季節がやって来て苦しめられるのだろうが、症状が多少重くても、期間が短くなることを望む人が多いのではないだろうか。

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2月18日(金)−活動

 しばらく前のことになるだろうか。予備校の講師が物理の専門書を著わして話題になっていた。重力とか磁力とか、直接接触することで働く力ではなく、離れた物の間で働く力のことを解説したということだが、ちょっと読んでみようかという気にはならない。それにしても、何故、予備校の先生が、と思うのは、素人の浅はかさなのだろう。
 この人の略歴を見ると、一流大学の物理を卒業して、大学院に進学したのに、中退している。その後はおそらくずっと予備校で教えていたのだろう。これだけを見れば、単に学問や研究を続けていくことに疲れて、違う道を選んだのだろうと想像してしまうが、もう一つ、この時代に育った人々にとって重要な情報が欠けている。戦争中に生まれた人々は、団塊の世代の上の世代だが、常に様々な不平不満に晒されて育ってきた。その勢いが爆発したのが大学紛争であり、当時団塊の世代を率いる形で指導的立場にあったのが、戦中に生まれた世代である。この人もそういう立場にあったそうで、結局大学に留まることを断念したのはその辺りの事情によるものなのだろう。今の言葉で言えば、カリスマ的存在とでもなっていたのだろうが、ある大学の講堂の占拠に続く、警官隊の突入など、かなり派手にテレビ中継されたのを覚えているのは、もう50を過ぎた世代だろうか。その後、何があったのかわからないが、とにかく人に教えるのを生業としながら、大学入試の参考書だけでなく、専門分野の書物を著わしていることに驚きを覚える。この世代の人々には、このように学問研究は続けても、その中心となる大学には籍を置かない人がいて、在野とか呼ばれて、一本筋が通っている雰囲気が漂っている。在野という言葉は何だか対極的な意味が込められているので、あまり好きではなく、市井と言ったほうが穏やかな印象がする。しかし、彼の場合は活動家であったことからしても、在野という言葉の方が似合うのかもしれない。そういう人々がいる一方で、活発に活動したあとで、何とか大学に踏みとどまり、研究を続けている人もいる。その中には、本来の研究を放り出して、社会に対する働きかけを中心としたものに対象を移した人も珍しくない。おそらくどこかでそんな人々の言葉に出合っている人が多いと思うが、たとえば原発事故や組み換え食品などの話題が出てくるたびに、意見を述べる有識者の中にそんな人がいる。研究活動が専門からずれてしまったこともあり、学内での地位は上がらずにいる人が多かったが、そろそろそんな人々も定年を迎えているようだ。啓蒙活動の重要性を疑うわけではないが、こういう活動を行う人々に対してあまり良い印象を持たないのは事実である。教育現場に於いてやるべきことは専門的な知識を授けることであり、社会に対して働きかけることは二の次だろう。そう考えるとこういった類いの人々のやっていることは主客が逆転しており、身勝手と思えなくもない。大学に籍を置くことで様々な恩恵に浴しているにも関わらず、そこに属する人々には何も与えていないのだとしたら、おかしなことだと思えるからだ。もしも彼らにとってそういう立場が必要不可欠なら、その立場に相応しいことをした上で活動を続けるべきだったと思う。外で活動し続けた人から見て、どんな印象があるのかわからないが、何とも都合の良いやり方と見えてしまう。制度改革が進み、そんなやり方が実行できなくなっており、実は、そういう人々を抱えることができただけ、組織に余裕があったとも言えるのだろう。

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2月17日(木)−省エネ

 省エネという言葉はいつ頃から使われ始めたのだろう。石油ショックがきっかけだったような気もするが、それより前に何かあったのかもしれない。夏時間の導入や半袖の背広など、特に夏の暑さに対する対策に注力する形が多かったが、どちらも立ち消えになった。その後も、様々な方策が提案されては消えてしまい、本来の目的自体が危うくなっているのかもしれない。
 天然資源の枯渇を危機要素として前面に押し出しているだけでは、どうにも実現できないと考えたからではないのだろうが、このところの展開はまったく違った方向に向いているように見える。つまり、少ない資源をどう使うかという問題では、切迫感があまりなく、資源の埋蔵量に対する推計がコロコロ変わる現状では、強制力を産みだすことができないわけだ。そこでそういう動きを展開している人々の救世主として登場したのが、温暖化やオゾンホールという環境に関わる問題なのだろう。実際には問題化してきたから登場したわけであって、どこかの誰かが方策として取り上げるために登場させたわけでもないのだが、困ったときの何とかといったふうで別の方面にも利用されているということなのだろう。オゾンホールについてはフッ素の使用との問題だから、省エネとはまったく関係が無いように見える。しかし、冷媒としての利用を考えたときに、効率が良いからという理由で使われてきたわけだから、代替品への転換で効率化を図らねばならないという形で省エネに繋がると言えなくもない。中々上手くことは進んでいないようだが、それでも次々に導入しなければならない状況にあるわけだから、待ったなしの対応が迫られ、その通りに進められているように見える。一方、温暖化の問題はそれほど直接的でないにしろ、徐々に深刻な問題として捉えられるようになってきた。大気中の二酸化炭素濃度の上昇が温室効果を引き起こし、それによって地球上の気温が上昇するという図式が提案され、データ分析を繰り返した結果、かなり信頼性のおけるモデルであることが認識され、対策を真剣に考えねばならない準備が整ったようだ。その後も紆余曲折があったのだろうが、とにかく議定書なる条約と同じ効力を持つものが提案され、ついに実行に移さねばならない時がやって来た。以前から問題視されていたのだが、参加国の問題から先送りが繰り返され、このまま頓挫するかに見えた提案は大国の一つが参加することで息を吹き返した。これからどんなことが起きるのか予想もつかないが、資源の枯渇を材料に進められ、実現しなかった省エネ対策が、ここに来て達成できそうな気運が高まっている。直接的でない理由がまわり回って後押しすることになるとは誰も想像しなかっただろうが、こんなものなのかもしれない。省エネのための技術開発とともに、国民全体として取り組むべき問題が提示され、今後新たな技術が登場するだろうし、小さな工夫も浸透するに違いない。そういう意味で、この運動自体は後ろ向きに見えるところもあるが、長い目で見れば将来へ向けての前進に繋がりそうである。そんな考えで海の向こうにある非参加国を眺めてみると、今の地位を保とうとする気持ちがかえって逆の目を出すことになるのではないかと思えてくる。便利さや効率を維持することだけに腐心し、そのために必要な資金を用意できる経済力を誇示しているだけでは、長期的な展望は開けないのかもしれない。

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2月16日(水)−復活

 環境問題に関する話題がこのところ紙面を賑わし、電波にも頻繁に乗せられているようだ。議定書なるものの批准が話題になったのは、もうかなり昔のことだが、ついにそれを実行に移さねばならない時期が来たという。それにしても、この件に関して最大の関与が明らかとなっている国の参加はなく、効果のほどが疑われているのが気になる。
 経済大国として世界をリードしている国にとって、自分中心のシステムを構築することは非常に重要である。他人の前を走っていると抜かれたくないという気持ちになるのは当り前のことかも知れないが、それにしてもなりふり構わずといった雰囲気が表面化してくると、どうしたものかと思えてくる。経済政策についてもいろんなところで自分有利な仕掛けを採り入れようとしているようで、全体の流れを制御しようとしていることは明らかである。現状の力関係に基づく調整では、強いほうの意見が通るのは当り前のことで、それを曲げることは難しいとされてきた。しかし、このところの動きを見るかぎり、どうもそういった図式が崩れつつあるのではないかと思えてくる。議定書については、未だに参加が望めず、巧くいっているとは言えないが、他のことについて言えば、今までとは少し違った様相が展開されているように見える。たとえば、遺伝子組み換え植物に関する規制について、開発をリードしてきた国として世界基準を決めようとしたのは当然のことなのだろうが、海の反対側から猛反発が起こり、結局思い通りの展開は実現しなかった。経済を支えるために重要な要素の一つであるにも関わらず、それが別の要因によって潰されるというのでは、大きな金をつぎ込む意味がなくなる。様々な要因からその必要性を説いてきたのだろうが、そんなものは見方を変えれば成立しなくなるわけだから、潰すのも容易になったわけだ。少し時間をかけないと理解が得られないということがわかってしまうと、次に何をするのか難しくなる。回収だけを考えれば、そんな悠長なことは言ってられないからだ。しかし、この段階で拙速な対応をすれば、すべてが水の泡となることもわかるから、結局何が得策なのか見えなくなるというわけだ。同じような分野だが、少し事情が違うものにクローン動物の扱いがある。ドリーという羊の話が出てきたのは海の向こう側からだったのだが、それによって起こる様々な問題は世界中で議論された。特に同じ技術をヒトに適用する件については、ほとんどの国が規制する方向で動いたようだ。では、折角築き上げた技術はこのまま闇に葬り去られるのかといえば、そうでもないようだ。この国だけでなく、どの先進国でも大きな経済効果をもつ分野にペット産業がある。ペットは動物だから、同じ技術が適用できるだけでなく、人間との関わりから出てきている話だから、自然界での生態系を考える必要がないと思えることが大きく影響する。そんな中で死んでしまったペットのクローンを作り出すことが商売として始められた。遺伝子組み換え植物の一部が花屋で売られている花として現れているのと同様、自然とは無関係な人工的な環境で実施するものだから問題なしとするのだろう。いやはや、そう簡単にはコケないようだが、今後どんな進展があるのだろう。高すぎるという声に、既に値下げを決めたという話もあり、商売上手の声が高まりそうだが、本当に必要なものなのかどうか、そんな議論があってもよさそうな気がする。

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2月15日(火)−手当て

 近くの神社や寺にある梅の花がほころび始めた。紅いのも、白いのも、桜ほどの派手さはないが、春の訪れを告げるには十分な艶やかさをもっている。しかし、肝心の気温の方はまだまだ上がってこない。実際に、春らしい気分になれるには、少なくともあとひと月はかかるに違いない。それまでは三寒四温の繰り返し、風邪にも気をつけねばならない。
 梅の花が咲くよりもかなり前、道端の木々の枝先がわずかに膨らみ始めていた。春先から葉を出すためには、その数カ月前、冷え込みが厳しい頃に準備に入らねばならない。あの光景を見るたびに、何事も準備が肝心という話を思い出す。その場凌ぎの手当てばかりを繰り返していると、どこかで無理が生じてきて対応に遅れが出てくる。一度そうなってしまうと、次にはもう追いつくことが難しくなる。まるでマラソンで先頭集団から遅れていく選手のようで、少し前まで先頭についていたにも関わらず、その後はうしろから追いついてくる選手達に次々追い抜かれていく。自分のペースを破ってまで無理をしていたことのツケを支払わされているわけだ。準備の出来具合もさることながら、その時自分のおかれている状況の見極めが重要となることを認識させられる。そういう立場に置かれたことがないから実感はないが、追い抜かれるたびに何とかしたいという気持ちだけで身体は言うことをきかないから、心理的にはかなり苦しいものなのだろう。こんな競技だけでなく、日常生活や仕事の上でも、準備を怠ったツケを支払うことは珍しくなく、その度に反省を繰り返す人も多いだろう。しかし、こういうことが当り前になってしまった人にとっては、反省はその場でするだけのもので、次に生かされることは非常に少ない。昔流行った「反省は猿でもできる」という言葉がまさにそれを言い表しているのではないだろうか。結局のところそれぞれの事柄に対する反省は個別のものであって、その事例にしか当てはまらないことが多い。だから、次の新しく出てきたものに対しては何の役にも立たないということになってしまう。本来は、準備の進め方などどんな事例にも当てはまることに対して、何らかの対処を考えるべきなのだろうが、それをするのは難しいのだ。だからこそ、先送りを繰り返し、次こそはと念じるわけである。こんな調子を表したものが反省と猿の関係に現れているのではないだろうか。こんな言われようをされた猿こそいい迷惑なのだろうが、人間なら人間らしくという意味だから我慢して欲しいものだ。それにしても、どこもかしこもそんなものばかりに溢れていて、人間はこうするのが本来の姿であると思えてくる。まったく自分も含めて、その場凌ぎの手当てばかりでは何ともならないが、かといって様々なことを考慮した準備の仕方はあまりにも難しいことなのだ。そんなことを思いつつ、また応急手当に走ることになる。

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2月14日(月)−事故

 毎朝、ラジオから道路交通情報が流れてくる。必ずと言っていいほど、事故による渋滞の状況が伝えられ、それだけ多くの車が行き来しているのがわかる。交通量の少ない深夜ならいざ知らず、朝の混みあった道での事故は多くの場合車と車の間で起こり、どちらかあるいは両方の運転手の不注意によるものが多い。ある意味、相手次第と言えるのかもしれない。
 大きな道を調子よく走っているときに、脇道から急に飛びだす車に驚かされることがある。左折の場合が多いが、一旦停止した車が飛び出すところからすると、相手は十分に距離があるものと信じ込んでいるらしい。実際には距離の問題ではなく、自分のところに車がやって来るまでの時間の問題なのだが、その推測に甘いところがあるようだ。高齢者の運転が増えていることが指摘され、その傾向の一つとして時間よりも距離を優先して考えることが挙げられている。先日の驚きも高齢者による飛び出しだったが、まさにこれが当てはまりそうな例だ。高齢者の多くは安全運転を心掛けているだけでなく、自分がそれを実行していると自負する向きがあるという。確かに安全を心掛けたうえでの運転であろうが、自分の思いとは裏腹に周囲に思わぬ影響を及ぼしていることに気づいてないということの証だろう。一方、交差点で右折する際に時期を外して立ち往生する車を見かけることがある。このときも多くの場合高齢者がハンドルを握っている。後続車は何が起きているのか把握できず、場合によっては警笛を鳴らすこともある。しかし、これが事故を誘発する場合があるので、注意したほうがよさそうだ。警告を受けることにより動転した運転手は無理矢理右折を敢行する。直進車は相手のそんな心理なぞ推し量ることなぞできないから、急に前に飛び出した車を避けることはできない。誰が悪いのかを追求しても始まらないと思う人がいるようで、そのための警告装置の開発が報じられていた。高齢者の運転を知らせるもので、それによって事故を未然に防ごうとするもののようだ。年齢による問題は一概には言えず、だからこそそれだけを基にした制限の実施などは軽率に導入すべきではない。ただ、高齢化社会では深刻になりつつある問題だけに、周辺からを含めた働きかけが重要となるのだろう。このところ、事故について気になっているのは、これだけではない。道路の構造上の問題が事故を引き起こしたり、重大にすることがあるように思える。車線数の頻繁な増減はその一つであり、道路工事現場などで起きる事故の多くはそこに端を発している。高速道路ではその可能性を減らすために工事箇所の間も車線規制を継続している。その意味ではちょっとした工夫で減らせるはずのもので、道路の構造がそうなっているところは明らかな設計ミスか運用ミスに思える。一方、中央分離帯の設置についても首を傾げたくなるところが多い。右折や転回を可能にするために設けられた分離帯の空白部分での事故は各地で頻繁に起きている。分離帯を設置する道路は一般に制限速度も高いため、事故が一度起これば大きなものとなる。道路沿いの店舗や施設への進入を容易にするために、このような措置がとられているのだろうが、明らかに事故を誘発していると言える。各運転手が注意すればいいという論法が出されることもあるが、事故を防ぐために設けられる分離帯を各人に任せた形で撤去するのはお門違いとしかいえない。道路の設計はただ道を作ればいいというものではなく、安全で快適な通り道を造ることに意味があるはずなのだから。

(since 2002/4/3)