パンチの独り言

(2005年3月14日〜3月20日)
(文体、追懐、訴え、旬魚、変革、能力差、杖)



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3月20日(日)−杖

 親が子供のためを思うのは当り前のことなのだろう。情けは人のためならず、という言葉の意味の取り違えは最近はかなり指摘されてきたから、もう誤解する人もいないだろうが、これが親子関係に当てはまるかどうか、気にならないわけでもない。自分の経験に基づき、転ばぬ先のと杖を差し出してやるのが親の務めと思う人がいても不思議はない。
 しかし、そうしてやることが本当によいことなのかどうか、真剣に考えたうえでこの行動をとる人はどれくらいいるのだろう。痛い目にあってもいいことは一つも無かったと思い出を語る人々が沢山いるが、ここで言ういいこととは何だろう。いい結果そのものを指してしまえばなかったということになるのだろうが、所詮すべての出来事は何らかの形で結びついて戻ってくることになる。そう考えるとその痛さを味わった経験こそが意味をもつことになる。となれば、転ばないようにしてやることが本人にとっていいことかどうか、怪しくならないだろうか。喩えとしていいとは思わないが、話の種に紹介するのは歩行補助器とでも呼ぶべき、浮輪の形をしたものに足と車輪のついた赤ん坊向けの道具についてである。これさえあれば、歩くことのできない乳児でも自由に移動ができる。そうしているうちに筋力がつき、道具なしで動けるようになるはずという意図に基づいて作られたのだろう。でも、もしこの子がいつまでもそれに頼ってしまったら、一生一人で歩けない人間を作り出すことになる。この道具が上で書いた杖のようなものとみなせば、何が言いたいのかわかって貰えるだろう。そこまで極端でなくても、子供の将来を見据えて様々な環境整備に精を出す親は沢山いる。その結果、素直に育った子供は何の不自由もなく、自分の才能を開花させ、幸せな一生を送ることができるだろう。そんな話ばかりなら杖も捨てたものではないのだが、逆につっかい棒のような作用をしてしまうことも多いのだ。つまり、すべてのことに準備がなされ、それに依存するようになった子供にとっては、整えられていない環境や自由にならない状況は避ける対象となる。その結果、依存症の子供たちは殻を破れず、才能の花の開き方もわからず、人に頼るだけの不幸せな一生を送ることになる。そこには大きな違いがあるわけでなく、おそらく子供の持つ資質によるちょっとした違いがあるだけなのだろう。しかし、結果は両極端とでも言うべきものとなってしまう。手取り足取りが一概に悪いと言えないのは、いい結果を産む例があるからで、それを認めると悪いという声を引っ込めざるを得ない。どうもそのあたりに問題がありそうなのだが、これをきちんと区分しようとするのには無理があるのだ。子供による違いは文字で表せるほどはっきりとはしておらず、それぞれにわずかなものでしかない。その上、対応の仕方によって経過がかなり違ってきて、場合ごとの記述はほぼ不可能な状態となる。そんな中で子育て法を論じてしまうと、単に不安を招くだけのものになりかねない。そんなところから、どちらにしても強く主張することは難しいのだ。しかし、自分の経験からして、という考えを持つ人であれば、もう少し広い視野を持ったほうがいいということだけは言えそうだ。杖の出し方、助言の仕方、いろんな手出しができそうなところを、最低限に抑えたうえで効果を上げる。何とも茫洋としたものだが、そんなものなのである。手出し無用は歩き始めの鉄則なのだから。

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3月19日(土)−能力差

 教育に携わる人がどの程度信じているのかわからないが、一部に人間の能力には差がないとする意見がある。目の前に現れている差は本人たちの持つ能力の差ではなく、それを引き出すべく施された教育の違いによるものとするのが教育者の常識であるような意見が出たこともある。不思議なことに一般の人々ほどそれに同調せず、苦しむ当事者ほど拘りをみせた。
 上に書いたのは少し前の風潮かもしれない。今ではさすがの教育者も無理を承知で理想論を展開するのを控え始め、違いは少しだがあるという立場から意見を述べるようになったようだ。ところが逆に一般の人々に以前の意見の亡霊が乗り移ったようで、訳のわからないことを言い出す人が出てきた。子供たちを学校に預けている親がそういう妄想に取り憑かれると、その相手をする人々は総じてひどい目に遭わされる。自分自身による教育についての議論ではなく、教育者による教育に限った議論だから、相手をさせられるほうはたまったものではないだろう。こういう能力均一論とでもいうべき妄想が出てきたのと同じ時期に出された方策が競争の無い社会の建設といったものだった。幼子達に無益な競争を強いて心を痛めさせるのは良くないという配慮から、すべての競争を排した教育現場を築き、その中で自由闊達な人間への成長を促そうとするものだったようだ。こちらもあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れるばかりとなり、結局上手くいくはずのない手法を押しつけるという無理強いだけが記憶に残る結果となってしまった。能力に差がなければ、そこでは競争は成立しないが、差があると成立してしまう。成立するはずの競争を無理矢理取り除こうとすれば、別の無理が生じて歪んだ人間形成を促進することに繋がってしまう。そんな図式が出てきて、結果として差を見せた者に対して、上でも下でも虐めの対象とする社会を築くことになってしまった。目立たぬように行動するとか、差が見えないような努力をするとか、無駄なことばかりに腐心するような子供たちがまともな成長をできるとはとても思えない。そんなへんてこな考え方がどこかに飛ばされて、今では競争はある程度当り前と見なされるようになった気がする。しかし、未だに競争を過剰に意識することは控えさせようとする動きがある。確かに勝ち負けだけに拘る人間を作り出しているのでは、何とも虚しい世の中ができそうだから、どこかに線を引く必要があるだろう。しかし、競争を避けることばかりを目指していたのでは何ともならない結果を産みだしてしまう。なぜなら、保護された学校生活から剥き出しの競争社会へ出された時点で、既に競争を避けることは不可能となるからだ。そればかりか最近では様々なところで競争を助長する動きが急となり、そんな急激な変化に耐えられない人が数多く出ている。だからといって、社会から競争を取り除くことはできないし、公平さを前面に出すために競争を導入したところでは今更どうにもならないだろう。どちらが当り前なのかと論じ始めると、歪んだ社会を例にして論じても無駄とする反対意見が返ってきそうだが、立場の違いが明らかなのにそんな主張をするほうがおかしい気がする。現実を直視せよと言っても、聞く気のない人には何も響かずに、不毛な意見交換が続くだけだろう。競争の存在する世界で、その競争を生き甲斐とするか大したことないものとするかは本人の自由であることに気づけば、もっと気楽になるのだろうが、競争を忌み嫌う人々にはそういう考えの出る余地はなさそうだ。

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3月18日(金)−変革

 グローバル化などといくら喚き散らしても、制度は中々変わらない。外圧という最終兵器を持ちだしても、波及するところが多い場合には対応できずにそのまま先送りになる場合が多い。本来の意味とは違うのだろうが、唯我独尊を忌み嫌う傾向が世の中に溢れていて、主流派に擦り寄ろうとする動きばかりが目立つ。泰然自若にすると、まるで流れに乗り遅れるように。
 色々な世界で様々な動きがあり、以前とはまったく違った仕組みが導入されることも多い。まあ、それはそれで意味のあることなのだろうから、一概に駄目だしをするわけにも行かないが、その変化に巻き込まれた人々にはかなりの負担が強いられることも事実だろう。彼らにとってはそれによって明るい展望が開けるのであれば意義も大きくなるが、単に外圧に屈した変化となってしまってはどうにも言えない憤りを感じることだろう。大袈裟に書けばそんなことが日常的に起きていて、それによる無駄な努力や無駄な時間の浪費はかなり大きなものとなっている。しかし、一度起きた失敗を繰り返さないためには変化が必要不可欠と主張する人が出てしまうと、その方向に向かうことを余儀なくされる。根本的には何も変化しない馬鹿げた変革とわかっていても、必要不可欠の言葉を外すことができなければどうにもならない。身動きのとれない状況に追い込まれて、無駄なことを繰り返さざるを得なくなるわけだ。はて、そんなこと、身の回りに起きているのか、と思う人がいるかも知れないが、あまりに日常化してしまったから感じにくくなっているのではないだろうか。あれも変わり、これも変わり、と数え上げたらきりがないほどのはずだが、一方でそれを実感することができないことも事実である。つまりは、変化は現実に起きたのだが、表立って何も変わっていないから、それを実感することができないのだろう。必須項目として挙げられたにも関わらず、そこにその時点で期待されたはずのそれによる波及効果が現れてきていないわけだ。それでは、何のための変革だったのか、そこまで来ると次に出てくる言葉は決まって、現状では見えないものが将来出現するはずということである。変革の議論の過程では多くの場合即効的な効果が提出されたのに、実際には何も起きなかったわけで、仕方なくさらに先送りしたものを出してくるだけなのだろう。しかし、そこまでくると話がずれているのが明白となる。そういう将来は、その変革によって引き起こされるものかそれとも別の要因によるものか、はっきりしなくなるからだ。それこそが端からの目的だったと言ってしまえばそれまでだが、まさにそんなことが繰り返し起きている。失敗を繰り返さないためと言いつつ、同じような失敗が違うことで起きているわけだ。もう少し時間をかけないとこの辺りの学習は終了しそうにもなく、そうなれば取り返しのつかないほど多くの失敗事例が山積みされることになる。それはそれで仕方ないことなのだろうが、巻き込まれた人々はたまったものではない。そんな変化の幾つかが現在進行中であり、さらに付け焼き刃的な措置がとられつつある。これもまたゴミの山の中の一つになるのかも知れないが。

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3月17日(木)−旬魚

 旬のものと言って、何も思い浮かばない人がいるだろうか。初鰹と言われても、鰹は嫌いだという答えが返ってきたのでは何ともならないが、人が育てるものには旬を感じ難くなっているようだ。何しろ野菜の多くは一年中いつでも手に入るし、果物でもそう思えるようになってきた。鰹に代表される魚にも養殖が増え、旬が消えつつあるのかもしれない。
 畑を耕して育てる野菜と違って、その多くが自然の恵みである魚は市場価値や需要がかなりの量のものを除くとほとんどが人の手によらずに育ったものである。だから、季節の変化がはっきりと現れ、旬が生き残っているものも多い。冷凍にしたり、塩漬けにしたり、一年中食べたいという要求があるものは、それぞれに工夫をされて消費者の前に現れるが、生でなければならないものとなると自然に任せるしかなくなる。生で食べるものもそうだが、一方で加工食品として出回るものも多く、市場ではその形で見かけるのが専らというのも珍しくない。魚に限って言えば、典型的な加工食品は佃煮で、醤油と砂糖を主体とした調味料を使って甘辛く煮詰めることで、長期間の保存を可能にしたものである。名前の由来は江戸にあったその名のついた町と言いたくなるのだが、そうでないという話もある。そこに移住した人々は西のある町からやって来たからというのである。主に小魚を対象にこの調理法が普及していたようだが、それはその町が海産物が豊富な内海に面していたからということなのだろうか。春が旬の魚は沢山いると思うが、その中の一つにこの佃煮用に利用される小魚がいる。新子と呼ぶところもあるようだが、全国的にはいかなごという名で知られている。小女子とかの仲間なのだろうか、体長10センチに満たない小魚で、透き通ったきれいな身体をしている。水揚げされるのは主に関西のようで、瀬戸内産などがある。関東の市場では見つからないが、居ないからか興味がないからか、そこのところはわからない。淡路島付近でよく獲れるようで、それを使った料理もその辺りで発達したようだ。中でも全国的にも知られているのは釘煮と呼ばれる佃煮だろう。煮詰めるうちに頭の部分が折れ曲がり、釘に似た形になるというのでついた名前のようだが、ごく普通の佃煮である。佃煮はプロが作るものと思っていた向きには驚きなのだが、関西の一部では生のものが売られていて、多くの人が買い込んでいく。つまり自家製の釘煮を作っているというわけだ。ふと興味を抱いて、数年前に試しに作ってみたら、意外に簡単にそれなりの味のものができた。その後は毎年作って、ご近所さんに配ったりする。西では珍しくもないのだろうが、東ではそういうものの自家製は驚かれることが多い。生が手に入らないわけだから作りようがないということで、まったく仕方のないところなのだが、ごく普通に売られている地方の人からするとそっちの方が驚きかもしれない。いずれにしても、季節を感じられるものとして、その味を楽しみにする人もいるだろう。佃煮自体はいつでもどこでも手に入るには違いないが、自家製となるとそうはいかぬ。こんな楽しみに興味も湧かぬ人には理解のできないものかも知れないが。

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3月16日(水)−訴え

 人と人との間を繋ぐのは、何だろうか。感情か、想いか、それとも何かしらの関係か、人それぞれに違うのは当たり前のことかもしれない。しかし、互いに違うものを持っていたとき、相手にそれを察するように期待するのは無理というものだろう。察してくれないと言って悩むより、何かしらの言葉をかけてこちらの考えを表明したほうが良いことが多い。
 大仰な書き出しになっているが、大したことが起きたわけではない。最近の事件の背景が報じられるたびに感ずることの一つなのである。意思の疎通ができなかったとか、勝手な誤解に基づく行為の末とか、その類いのことが聞こえてくると、つい何故だろうかと思ってしまう。すべてが良い方向に向っているときにはちょっとした誤解があっても何も起きないことが多いが、逆にちょっとずれた方向に向い始めると何もかもがうまく運ばなくなる。そんな経験を持つ人も多いのではないだろうか。他人の話を聞くときも、人の行動を見守るときも、何も考えずにそうする人はいないだろう。話の中味と自分の考えとを重ね合わせて、そこから何らかの結論を導きだそうと努力するだろうし、他人の行動の中に何かを見出そうと努力する。ということはそこに何らかの予見のようなものが入り込んでいるわけで、予見の置き方によって導き出されるものが違ってくる場合もあるのだ。つまりは、互いの気持ちにずれが生じれば、そこから更にずれが大きくなることもある。そんなことの繰り返しは、一つ一つが小さくても積算されることによって、思いもよらぬほど大きな溝となって現れるわけで、そうなってしまうと元の状態に戻すことは難しくなる。そんな形で溝が深まった結果が悲惨な事件に繋がるわけで、最後のところだけを眺めていると信じがたいようなものでも、その辺りの事情が飲み込めると少しは理解できるようになる場合も多い。きっかけは小さな誤解などによるものでも、それを御しがたいほどの大きさに膨らませるのは、互いの信頼とか意思の疎通の欠如なのではないだろうか。ちょっとした手当てを忘れたために、広がってしまった溝を埋めることもできず、どうにもならない状況に追い込まれてしまったとして、さて何をすれば窮地を脱することができるのか。そこまで来てしまった例を引いて、何らかの対処を講じようとするのは実は大きな間違いで、実際には、そこまで至らないように小さな手当てを続けることの大切さを考えるべきなのだろう。また、いい加減な対処をして放置することによって大きくしてしまうこともあれば、はじめから大袈裟に取り上げて小さなことを大きくする人々もいる。何でも大仰に受け取り、何でもその筋に訴えようとする人々にはそんな人が多いような気がする。こういう人も事件を起こす人々同様、最近増えているような気がしてならない。確かに身の回りに精神的に幼い人が増えているのだろうが、それにしても小さなことまで大きな事件にしようとするのはどこかがずれているように思える。暴力事件にしても、虐めにしても、多くの場合は実際に深刻な問題となってから表面化するのだが、そうでないものが増えているように思えるのだ。色んな情報が氾濫しているからということも原因の一つだろうが、もう一方でその人々の中に特徴的な行動様式があるような気もする。自分での解決よりも、他人を巻き込んだ解決を望む傾向があるのだ。人を巻き込めば色んな意味で利益があるとでも言うのだろうか、公的機関を巻き込む人もいれば、知り合いを巻き込む人もいる。公的機関については、社会問題となってからはその存在の重要性が議論されたこともあって、利用しやすい環境が整えられている。しかし、それは誰もが使えるという意味であって、何にでも使えるという意味でないことに気づかぬ人もいるのではないかと思える。訴えとか、訴訟とか、何にでもそんな言葉が関わるようになっているのは事実だが、その多くは個人間での話し合いで十分に解決可能なものに見える。反対意見はあると思うが、まず人を巻き込む前に、ちょっと考えて欲しい気がする。そういうことを思いつかない人には、無理なのかもしれないけれども。

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3月15日(火)−追懐

 ラジオから聞いたことのある名前が流れてきた。住んでいるところもそれらしいから、まず間違いないと思う。何となく懐かしくなってしまったが、当人と会ったことはない。ただ、タウン誌の中での知り合いというだけである。数年前に廃刊になったものだが、地域の情報だけでなく、ものの考え方を知るうえで重要なものの一つだった。時代の流れとともに、だったのか。
 そのタウン誌の編集長は速記の専門家で、その筋では一目置かれる存在だったらしい。それがある時ある人と出会ったことでその後の生活を一変させてしまった。30年以上前に国家計画として立ち上がったある都市計画に当初から携わっていたその人物は、政治家の思いだけでなくこの国の将来を考えて様々な方策を立てたようだ。その中でも彼の最重要課題は人の交流で、役所同様に縦割りの社会を築いていたある領域の人々を、新興都市という一所に集めるにあたって最優先すべきは、互いの壁を取り払うことと見定めたようだ。学園都市と呼ばれたところはその後発展を続け、今では都心からの直通電車が開通間近になるほどになった。交流において重要なのは専門的な事柄に固執しないことと考えたのだろうか、彼はいろんな人に声を掛けたらしい。その中の一人がその後タウン誌の編集長となったわけだ。これからは○○○だよ、という話を信じ込み、移住してしまった編集長の決断も凄いと思うが、そういう話を深刻なものとしてでなく相手に伝えるのも凄腕というべきだろうか。とにかく、そんな形でほとんど何もない建設中の都市に移り住んで、とにかく何か出版物をということで当時流行り始めていたタウン誌を発刊することにしたらしい。何かをもじって、町の名前と結びつけた誌名も面白いが、内容はさらに飛び抜けたものとなっていた。本来町の宣伝といった匂いがするタウン誌が多いのに、それはまったく違った視点を持ったものになっていたような気がする。町の発展を見守るだけでなく、そこに展開される種々の問題を検証し、解決策を講じるという、何とも言えない雰囲気のものが毎月刊行されていた。二三度寄稿したこともあるが、それとてもタウン誌には不向きの話題だったと思う。町の特徴といってしまえばそれまでだが、それをも超えた存在だったように感じられた。その中に、農家のおばさんといった感じで紀行文を載せていた人がラジオから名前が流れてきた人だと思うのだ。東アジアを旅行したときの記録や感想が書かれたものだが、結構好評だったのではないだろうか、かなり長く続いていたように記憶している。編集長自身が高齢となってしまったこともあり、また都市がある意味の成熟期になってしまったこともあるだろうか、何となく意義を見出せなくなった様子で廃刊を迎えていた。特に、鉄道建設に関して様々な問題提起をする姿勢はおそらく発刊当時からのものだったのだろう。厳しい意見が数多く寄せられていた。やめておけという意見ばかりでなく、どう活かすべきかという意見を寄せる読者がいること自体、そのタウン誌の編集姿勢や理念といったものが現れていたと思う。しかし、役割はもう終わってしまったのだろう。数年前、廃刊の知らせが舞い込んできた。今でも棚においてある紙面を時々見返すこともあるが、その時の思い出がよみがえったとしても、やはり意味を考えるのはその時でないといけない気がする。こんなふうに名前一つで思いだせることもあるということか。

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3月14日(月)−文体

 掲示板に投稿していると、一段落に延々と書くことに苦情が寄せられる。画面上で読みにくいというのが主な理由のようだ。国語の時間で習ったことには、確か、話題転換をする度に段落を換えるということだったので、それを実践しているつもりだったが、世の中はそうでもないようだ。言われてみれば、ネット上の文章は細切れの繋がりも何もないものだ。
 読みにくいという意見には二つのタイプがありそうに思える。一つは画面という特殊な媒体を通しているために、文字を追い辛くてそうなるものであり、もう一つは単に長い文章を読み慣れていないというものである。段落が長いということに抵抗がある人も多いだろうが、一文が極端に長くなることに拒絶反応を示す人も多い。しかし、そういう人の多くは自分の文章において、書くにしても話すにしても、しつこくなることが多いのは面白い傾向だ。ああでも無い、こうでも無いと言い連ねたあとで、はっきりしない結論で終わる。そんな話をする人たちに限って、他人の文章の長いのは受け付けない。結局、簡潔に意見をまとめられないのは人の意見の要点を掴めないことと同じだからなのかもしれない。この独り言もたった二つの段落から構成されていて、かなりの人が抵抗を覚えているのではないか。だからと言ってこの形式をやめるつもりはなく、たまにはこんなのもいいのではと押しつけているわけだ。もう一つ画面上で読みにくいと指摘する人の一部には、ブラウザの設定を工夫すればという人がいる。横に長々と続く文書を読んでいると、行替えがわからなくなり、読み飛ばしを起こしてしまうというものだ。これは窓の幅を調節すれば大した苦労もなく解消できる悩みなのだが、そこまでやろうとはしないらしい。それよりも書き手に文句を言ったほうが楽とでも言うのだろうか。週ごとにまとめてあるファイルでは幅を決めた表示方法を採り入れているが、これも最近は幅を決めないほうに変えてしまったから不便に感じている人がいるかもしれない。そんな見栄えの点からの問題もあるが、やはり多くの人が気にしているのは段落の長さや文章の長さだろう。世に出る文章としては元々本や新聞などの紙を媒体とした文字が大部分だったのだが、最近は画面の方がより多くのものを供給しているように思える。そんな事情があるからか、本家についても掲示板で出る苦情と同じような状況があるようだ。だからというわけでもないのだろうが、最近話題になる本の多くは細切れの文章が次々に登場するものが多くなっている。文学賞の乱立も話題となっているが、それに応募する人や受賞する人の低年齢化に注目が集まっていて、そこに理由を探る人も出てきた。その多くは同年齢の人々による共感が重要というもので、文章の形式にもそれが現れているという。なるほどと思うところもあるが、これにはある意味の落とし穴があるような気がしている。つまり、低年齢層への共感だけが重要ならば、新人が次々に出てくるだけで、長くその世界に留まることは難しくなる。もしもこんな状況が続くとすると、元作家の墓場ばかりが築かれていくだけで、刹那的な業界になってしまうのではないだろうか。それはそれでいい、楽しめればいいのだから、と言われてしまえばそれまでだが、誰が読んでもというものが本物のように思える人間にはちょっと抵抗がある。一方では、中高年に文章も書けず、読めずの人がいるわけだから、その人たちの共感にまで広がればいいのかも知れないが。

(since 2002/4/3)