パンチの独り言

(2005年5月2日〜5月8日)
(仏像、破壊、不慣れ、新装、将来、再生、擬人化)



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5月8日(日)−擬人化

 雨の上がりかけた朝、目の前の家のトタン屋根のところに烏がとまっていた。しばらく様子を見ていると、屋根の上を滑っていて、いかにも遊んでいるように見える。遊びは人間の特権とある人々は論じたようだが、この様子を見る限りそうでもないような気もしてくる。しかし一方で、烏の気持ちがわかるわけでもなく、自分の考えを押しつけていることにも気づく。
 人間の営みの一つとして、周りに起きていることを自分なりに解釈することがある。ずっと昔の哲学者達はそれを一つの能力として考えていたようだが、あくまでも人間による解釈であり、多くの場合擬人化してしまった結果になり、どうにもおかしなものも多い。しかしその後もこういった技法は衰退することもなく、科学者と呼ばれる人々の多くもそんな傾向を持ち合わせている。何故、花はあんな色をしているのかとか、あんな形をしているのかとか、そんなことを考えるときに、目的を持たせるのが手っ取り早いのだろうか、擬人化とはいかないまでもどこか人の考えに結びつける傾向が強く、合目的的な解釈がもてはやされる。実際にその解釈を聴くのも人間だから、聴き手にとって分かり易いものが受け入れやすくなる。そんな繰り返しで、上手い解釈が生き残り、まことしやかな話が作られていく。これもまた営みの一つと言えるのではないだろうか。一種の文化的なものと呼べるのかも知らない。しかし、それが果して真実かどうか、誰が確かめるのだろう。誰も確かめないで、何となく分かり易いからというだけで、受け入れられているのではないだろうか。論理が通っていればそれだけで充分という考えもあるが、どうも怪しげな話が多いのも事実である。昆虫と花の関係を論じるときに、それぞれの大きさの比較がよく引き合いに出されるが、果してそれが目的を持って行き着いた結果なのかどうか、誰にもわからないのではないかと思う。にもかかわらず、解釈することを生業としている人々は常にその答えを探しだそうとする。話として成立することが第一で、そこにどんな経緯があったのかは関係ない。進化ということはよく論じられるにも関わらず、そこでは昆虫と花が一緒に進化したと簡単に結論づける。確かに、互いの持ちつ持たれつの関係が現状を産みだした可能性はあるのだろうが、それが互いに変化する原動力になったかどうかはまったく別の話である。にもかかわらず、そこはあって当り前のような仮定がなされるのだ。まったく不思議なことなのだが、実際には聴き心地のよいものであればあるほど、無批判に受け入れてしまっている。ファーブルの昆虫記にもそんな人間的な面が沢山出てくるが、それはそれで今の研究を職業とする人とは違った立場があっただろう。あれから百年以上経過してもまだ、同じようなことを続けているのはどうかと思うこともある。一方で、そういう説明者の存在が重要とする考えもあり、そこから始めれば彼らのような存在も必要となる。しかし、そこには何となく大した新規性も見られないようで、その必要性には疑いを挟みたくもなる。それならどうすべきか、簡単に結論は出せないだろうが、彼らの地位をどう考えるべきかというところから始めなければならないのかもしれない。研究という職業における彼らの役割や地位について。

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5月7日(土)−再生

 例の事故から二週間近く経過した。その間に報道の焦点は次々に変化していく。その度に、何故、どうしてと思うことがあるが、報道する側にそういう疑問は微塵もないようだ。以前なら昼のワイドショーのような内容には触れもしなかった局までが、他局と同じと思える内容を流しまくる。それに狂気のようなものを感じるのは、こちらが狂っているからか。
 事故やそれを起こした組織の大きさから皆の注目が集まることはやむを得ない。しかし、覗き見趣味的な報道が徹底され、重大なことから瑣末なことまで全て彼らのやったことは間違いと言わんばかりの姿勢には辟易する。この国の特徴の一つだと思えるのは、個人攻撃よりも組織攻撃に精を出す点で、組織が行っていることには批判が集中するのに、その中にいたはずの人々に対する批判の声は小さくなる。上司は全ての点で悪く、部下は被害者の一人となるというと言い過ぎかも知れないが、そう聞こえかねないものに溢れていると感じるのはこちらの受け取り方の問題だろうか。不謹慎な見方をすれば、組織に責任を負わせれば保証は充分に行われるが、個人に負わせたのでは不可能になるといった考えがあるのではないかと疑いたくなる。その先鋒を報道機関が引き受けているのかと思えるほどだが、その割には隙だらけの攻撃に思えて仕方がない。事故直後の関係者の妻なる人の意見を流したことなど、勤務中の私用電話自体が非常識にも関わらず、その点には無批判に流されていた。その後の展開を見るかぎり、彼自身の責任が様々な点で問われ始めているようだ。そうなったからかどうかはわからないが、その後同じものは流れてこない。個人の責任という点では、事故の原因が今後明らかになるだろうが、大元に速度違反があったことは明白であろう。にもかかわらず、様々な圧力があったとか、無理強いさせられたかの如くの報道は、まるで原因が個人に無かったかのような流れを作っている。他の運転士達が直前の区間でたとえ同じような行動に出ていたにせよ、肝心の区間では減速していたわけで、その違いを論じる声は少ないように思える。いろんな要因が関係しており、個人のみならず組織としての責任もそこにあるのだろうが、ああいった姿勢の中に全体を見渡す気持ちがあるようには思えないのだ。一方で、事故直後の関係者の行動やその後の行動についての報道にもどこか偏った見方が存在しているように感じる。確かに、不謹慎と思えるのかも知れないが、一方でそういう息抜きを排することによる更なる抑圧の中での勤務を考えると、ああいった行動全てを悪と見做すやり方には行き過ぎを感じてしまう。レクリエーションの意味は何なのか、ちょっと考えてみたほうが良いと思う。確かに最近では職場のレクリエーションは仕事の一環でしかなく、面白くもないし、息抜きにもならないのかも知れないが、元々recreationとはre-createから来ているのであり、再び創造することである。そちらの用法はあまり見かけないが、休養を取り、次のことに備えるとはまさに再生することに繋がるのではないだろうか。姿勢の問題、考え方の問題、様々な問題を解いてみることは大切なのかも知れないが、肝心の問題を見失わないような気持ちが重要だろう。野次馬根性丸出しの報道が頻繁になればなるほど、そういうことを心配する必要がありそうである。

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5月6日(金)−将来

 もう20年以上に渡って、子供の数が減り続けているそうである。産児制限を国を挙げて実施しても効果が得られないところと比較すると、何とも不思議な様相に思える。十年以上前に先取りをしていると紹介された国の出生率をはるかに下回るところまで落ち込んでくると、先進国特有のものだけでなくそこに何か別の要因があるのではないかと思えてくる。
 子育てなんて面倒なだけという声をよく聞くし、自分が生きるのに精一杯で他には手が回らないという話もある。だから配偶者も助けになる人という観点で選んでいるようで、お互い様という面があったとしても俄に信じ難いところがある。子育てはそれにもまして重大な問題が山積しており、責任回避を望んでいる人々にとってははじめから関わらないほうがいいのかもしれない。それにしてもこういう状況になっていくのは単に今の状況を悪いと見る傾向によるものだけでなく、おそらく経験者からの伝達に明るい部分が少ないことによるのではないだろうか。次の時代を担う人々の将来に明るさが見えなければ、それを望む人もいなくなるのは当り前といってしまえばその通りだろう。しかし、一方でそれは自分なりの判断というより他人を頼りにしたものなわけで、そういう傾向自体に対して将来を危ぶむ人もいるのではなかろうか。そんな中で、当然のことながら高齢者の勢いは凄まじいものに見える。どこに出かけても年寄りが目立つし、それぞれ元気なことに気づく。高齢者社会とはこんなものなのかと思うが、子供のいない社会が出来上がってしまったら、それは大変なことになりそうだ。元気なのはいいのだろうが、子育ては大変だったとか、こんなに大変な時代なら子供など持たなくてもいいとか、そんなことばかり言っておらずに、自分たちの経験の明るい部分を強調することを考えたほうがいいのではないだろうか。老人が家にこもってばかりいるのはおかしいわけで、彼らが外に出る機会を作るのはいいことだと思う。たとえば、バスの無料乗車パスを発行している自治体が増えているし、彼ら用の施設も増えているようだ。それだけ出かけやすくなり、高齢者にとって住みやすい町ができているように見えるのに、何故だか子育てには不向きに見えるらしい。どこかでバランスが崩れてしまったのかもしれないが、実際には思うほどに差は大きくないのではないだろうか。住みやすいとか子育てしやすいとか、やりにくい町と比べてどれほどの差があるのか、大したことはないのかもしれない。それでもこんなことが話題になるのは、やはり心理的な影響が大きいのだろう。だったら余計に良いほうに思えばいいのではないかと思うが、そうでない人が多いということなのだろう。そんなに簡単には心の問題は解決できないようだ。様々なことについて、見方や考え方に大きな問題があると思うのだが、それを変えることは面倒だと思うのだろうか。どちらかと言えば、他に問題を見つけ、それを批判することの方が安易という気持ちが働き、どんどんそちらの方向に向かい続けているように見える。このまま皆と進むのが安心と思っているようでは、どこか戻れないところに行き着くまで何も感じないのだろう。それで良いのなら、そのまま進んでいけばいいと言いたくなるほど、今の世の中の歪みが大きいということなのだろうか。

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5月5日(木)−新装

 休日にいいお天気となれば、誰しも外に出たくなるのではないだろうか。以前から予定していた旅行という人もいれば、ちょっとした思い付きでのお出かけという人もいるだろう。いずれにしても、たまたま同じ列車に乗り合わせてしまえば、隣に座ることがあるかもしれない。そうなればひょっとして予期せぬ会話の楽しみが出てくることも。
 たまに乗る第三セクターの経営する地方路線は、満員になることはほとんどない。近くの町で開かれる祭りの日と連休中だけなのかもしれない。ずいぶん気温も高くなり、この鉄道が売り物にしているトロッコ列車も連日満員とのこと。爽やかな春の風を受けながら車内で食べるお弁当の味は格別で、渓谷伝いの美しい景色を楽しむことも出来て、なんだかずいぶん得した気分になるようだ。それとともに川の上流にある美術館に向かう人も多く、路線沿いの施設はどこも一杯になることが多い。特に最近新しい建物が完成した美術館は以前にも増して多くの観光客が訪れている。都会にあっても集客に悩む美術館が多い中、近くに大きな都市のない地方でこれだけの施設に多くの人々が訪れるのは、何か特別な魅力があるからなのだろう。身体に障害をもつ人が描いた絵と文を展示するところには、やはり障害者が多く訪問するようだ。しかし、こんなに人が来てしまうと車椅子での観覧は難しくなるし、普段なら障害者に優しい施設といえどもどうもやりにくくなるようだ。単純に多くの人を集めるだけでなく、ボランティアの人々による支えが中心となっているのもこの施設の特徴で、宗教上の理由もあるのではないかという話もある。それにしても、新しい施設は人の多さもあるのだろうが、どうも落ち着かない雰囲気である。展示の方法の斬新さを謳っていたが、その割りに眺めにくさが目立つ気がしたし、審査で選ばれた建物は変な音の反響が強く、聴覚が敏感な人々には落ち着かない空間を作っていたようだ。驚いたのは、以前の建物が完全に撤去されていたことで、あの建物に愛着のあった人々は寂しい思いをしていたようだ。古いものは遺すべきでないという考えもあるのだろうが、古いものなりの良さを感じていた人々にとっては何かを奪われたような気がしたのかもしれない。館内に飾られている絵には変化がないのに、何となく違った雰囲気を感じた人たちには、別のものが見えていたのかもしれない。それでも数年経過してしまえば、あの光景が当たり前のものになり、それ自身が伝統となっていくのだろう。古いものをいつまでも残しても何も変化がないものだと考えれば、こういう循環は当たり前のことである。当たり前であり、そうでなければならないものなのだろう。でも、と時に考えることがある。本当にそういう流れがいいのだろうか。古いものを捨てることは、自分自身の何かを捨てることにならないのだろうか。まあ、思い出は思い出であり、心の中に残しておけばいいだけのものなのかもしれないが。

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5月4日(水)−不慣れ

 休みの間、人々は普段しないことをしているようだ。遠出もそうだろうし、家に居続ける人もいるだろう。慣れないことをするとどうも上手くいかないと思う人も多いのではないだろうか。出掛けに忘れ物に気づいたり、旅行先で思わぬ事故に遭ったり、家にいても落ち着かない。慣れていること自体が安心に繋がっているのだろうか。
 慣れは怠慢に繋がりよくないことが起きると言われるが、それは見方によるようだ。誰しも仕事のことであれば慣れているはずで、ときには失敗もある。だから慣れはよくないと言われるわけだが、では慣れていない場合の失敗はどのくらいの頻度で起きるのだろうか。実際には慣れたことは何度も繰り返し行われるから、失敗が起きるとしてもその確率はかなり低い。それに対して不慣れなことは何度も行わないから、たまに起きる失敗でも確率は高くなる。というわけで確率という面から見れば、どちらが起きやすいかということは一目瞭然だろう。にもかかわらず、一般には慣れによる怠慢がという話をよく聞くのは何故だろうか。結局、起きた回数の方に心が奪われ、冷静に物事を見つめることを忘れているからなのだろう。同じことが様々な事故についても言えるのではないだろうか。日常的なことほど事故は頻繁に起きているように思える。でも実際には起きた事故についてのみ当てはまる特別な理由がどこかにあり、それがあったからこそ起きたという結論が導き出されるはずなのだ。一方、不慣れなことについては、そういうことは当てはまりそうにもない。予想もつかないことをしでかす人々がいて、その結果として事故が起きるのであれば、そこにある理由は千差万別ということになってしまうからだ。そう思いながら交通情報を聴いていると、休みの間に起こると予想されている渋滞に輪をかけたものが伝えられている。そのほとんどは事故によって引き起こされたものであり、おそらくは休日専門の不慣れな運転によるものと思われる。運転自体に不慣れな人もいれば、その道に慣れていない人もいる。更には、日帰りの強行軍で疲れ切った体に鞭打っての運転で集中力を欠いたというのも原因となるかもしれない。とにかく根底には慣れていないということがありそうに思えるのだ。そんなわけで、こちらもこういう時期の運転には注意を払うようにしている。何しろ突然の車線変更、急停車、等々、高速道路上では考えられないことをもやってのける勇敢なドライバーが溢れている。ちょっと油断をすれば事故に巻き込まれることになるから、なるべく自衛策に走ることになる。それでもあっと思うようなことが起きる。前に走っていた軽自動車はどういうわけか追い越し車線で急減速し始め、こちらの目の前に迫ってきた。慌てて走行車線に避けて難を逃れたが、あちらは何も感じていない様子。おそらく車内灯がともっていたから、走行中にお金でも探していたのではないだろうか。もしそうなら非常識極まりないということになるが、追突した場合、後から来る車の責任が問われる。たとえ前を走る車が無茶苦茶をしても、前方を注意する義務があるからだそうだ。ということで、休日の運転は気を遣うことになるわけだ。

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5月3日(火)−破壊

 戦後60年になろうとしている。近代という言葉がいつ頃からを指すのかわからないが、とにかくこんなに長い期間世界的に平穏な期間が続いたことはない。小さな諍いは数えきれない程あるし、それぞれにその地域では重要な出来事なのだが、どうも遠く離れた所ではピンとこない感じがする。平和ボケと言われてしまう訳だけれども。
 世界でも特異な存在と言われるこの国の憲法も長い平和の時代、特に冷戦期には、その意義が重視されたのだが、最近はその主旨が国際活動において重荷となっていると言われる。はたしてそうなのかどうか、観点によって解釈が異なるようだが、既存のものを変えることが正しいと信じている人たちにとっては、何が何でも改正となるようだ。正しいものに変わるのか、悪いものに変わるのか、一見してわからないのだが、それにしても様々な要請に応えるためにもという使い古された切り札は通用しにくくなっている。だからこそ、改正のための要件について既にいろんな方策を講じ始めている訳で、面倒なことが嫌いという国民を動かすことは難しいという見方が通用しているのだろう。以前は、破壊と再建という組み合わせが進歩をもたらすと思われたが、どうもこの頃はちょっと風向きが変わってきているようにも思える。新しいものはすべて良く、古いものはすべて悪い、という考え方も同様の経緯を辿っているように見える。だからという訳でもないのだろうが、古い伝統を守ろうとする人が多くなり、一度消えかけた火が再び燃え上がったという話も増えてきた。伝統芸能などは人が人に伝えるものだから、一度絶えてしまうと復活させるのは容易ではない。しかし、それでも形のないものだから、形が失われるということがないだけ、復活の可能性が残されていると言うべきだろう。それに対して、有形文化財と呼ばれるものは何かの拍子に失われてしまえばそれまでである。仏像がたくさん並んだ本堂で、飛鳥から平安にかけて造られたものについて話を聞いていたら、廃仏毀釈を逃れたという話題になった。すっかり忘れていたが、この国でもアフガニスタンでの破壊のような出来事がほんの百年程前に起こっていたのである。当時の人々がどんな心境でそういうことを行ったのか、またアフガニスタンではどうだったのか、はたまた様々な国で起きたその手の破壊はどんな意味を持っていたのか、それぞれに違った理由があったのだろうが、既存のものの破壊が大きな意味を持っていたのは間違いないだろう。しかし、結果として残ったのは、数十年後に多くの人々の心の中に起きた悔恨なのではないだろうか。失われたものは蘇らないということを実感したとき、その破壊自体を悔やむ以外に方法はない。最近の破壊では復元の可能性が残されているだけましなのかもしれないが、それにしても壊すことの意味をもう少し考えてみても良さそうだ。文化財と言われるものだけでなく、ごく日常的なものからもっとずっと大きなものまで、当てはまる話なのだと思う。

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5月2日(月)−仏像

 春の日射しというにはちと強すぎる気もしたが、汗ばむ陽気の中遠出をしてきた。神社仏閣の多い土地柄という訳で、足の向くのはどうしてもそんな所になってしまう。硬貨にその姿を見ることができる所では、それを掲げながら写真に収まる人もいて微笑ましく感じたものだ。それにしても人出はかなりのものだった。
 最近は環境悪化のせいなのかどこも傷みがひどいらしく、改修やら修繕やら何とも無粋な姿を晒している所が多い。でもそのお陰で新しい発見もあるそうで、そこでも仏像の胎内から台座のようなものが出てきた。その特別展示もあり、樹齢何百年という藤棚とともに人を集めていたのだろうか。そことは方角が全く違うが、最古の塔が建つ寺の近くでも特別展示をするところがあった。右の足を左膝の上におき、その足に右肘をついて指先を頬に当てる独特の姿の仏像は、その柔らかな表情とともに人気を集めている。それがおさめられた寺には元々沢山の収蔵品があったそうだが、そのうちの幾つかは公立の博物館に預けられていた。それが数年ぶりに戻ってきたそうで、最古の刺繍や紙製の仏像などを一緒に鑑賞できる機会はほとんどないという。それらはそれらで興味深いものだろうが、やはり中央奥に安置された仏像の独特の雰囲気にはかなわないような気がした。教科書にもよく登場するその姿は独特の光沢を持ち、一見金属製に見える。しかし、解説によれば楠の板を合わせて作った木彫であり、光沢の由縁に興味をそそられる。当時作られた他の仏像と同じように、漆を塗った上に胡粉を塗り、さらにそれを彩色したのだそうだが、結局胡粉の層から上はすべて剥げ落ちてしまったのだそうだ。だから今見えているのは漆の面ということになるのだが、それにしてもあの光り具合は漆器とはちょっと違うように見える。これまた解説によれば、長年堂内で焚かれた香の煙が表面に付着していったのではないかということで、実際にレプリカを作ってみてもあの光沢は再現できなかったとのこと。一朝一夕には再現できない風合いを出しているということなのだろう。煙は実際には非常に細かな粒子からできているから、それが表面に付着すれば薄い被膜ができあがる。それらがでたらめに並んでいるだけでは、磨りガラスの表面のようにくすんだ感じにしかならないのだろうが、超微粒子たちはひょっとすると何かの規則性をもって並んだのかもしれない。それがまるで磨いた金属の表面のような輝きを、それも光り輝くのではなく、どちらかというと鈍い輝きとでもいう風合いを出したのだろうか。そんな解釈は菩薩にとっては全く無粋なものだろうが、何となく理由がわかったような気がした。

(since 2002/4/3)