親と子供の関係は昔も今も同じだろうか。たぶん、ほとんどの人が違うと答えるだろう。違うところを示すことはできなくても、自分が子供の頃に見た親の姿と、親になって子供に接している姿が重ならないことだけは確かに思える。昔の親は子供に厳しかったのに、自分は厳しくしていないと思う人もいる。
厳しさについての傾向はおそらくそんな解釈で大きくずれてはいないだろう。しかし、その中身となると簡単には説明できない部分もありそうだ。たとえば、昔の親は日常の生活態度や人との接し方などに厳しかったが、今の親はそういうところをあまり厳しくしない。その代わり、勉強が全てに優先する対象となり、その項目についてのみ厳しい目を向けているところがある。勉強をして、いい学校に入れば、いい就職先が見つかり、最終的にいい人生を送れるはずという論理があるせいなのだろうが、はたしてこれが正しいかどうかはっきりしていないことに気づかない人も珍しくない。とにかく上を目指すことが第一であり、それに到達すれば何でも手に入るようになると思う親もいるのだと思う。人間としてどんな風に育てたいかと言われたときにも、そこに思いつくものの大部分は学校の成績に関するものであり、人間性とか社会性とかそんなものではないわけだ。それがどんな結果を産みだすか、現状を見ればある程度想像がつく。見かけの成績が上がっているように見えても、そこにいる人間に人との関わりがうまくいかないとか、そんな問題が持ち上がってくると、何処かずれていると考えざるを得ない。どこがずれたかはあまり大きな問題でなく、実際にはどこでもずれてしまえばそれなりの問題を生じるわけである。また、勉強に対する期待と強制から起きる問題についても検討すべきものが沢山ありそうである。たとえば、宿題ができない、ある問題が解けない、などといった問題に直面したとき、親が子供にとる行動はその後の展開を決めてしまうことがある。典型的なのは算数の問題などで、子供が解けないことに対して親は怒りを露にしてしまうことがある。気持ちがわからないわけでもないが、そういうことを続けていると子供は条件反射のような行動に出るようになる。つまり、怒られることを嫌がり、そうならないような行動を選択するようになる。いかにも生き抜くうえで重要な対応に思えることなのだが、すぐに限界がやって来てしまうから、不思議なものだ。もっと色々なやり方があるように思えるが、選択の余地が無いような行動をとる。面白いのは、そういうときに多くの親は同じ問題を解けないことである。自分のことは棚に上げておいて、子供のことを罵倒するのではどうにもならないし、また頭ごなしに叱ることや呆れ返ることはどうにもいい結果に繋がらないようである。では、どうすればいいのか、答えは一つではなさそうである。しかし、これといった絶対的なものが存在するわけでもない。まあ、とにかく、怒るのは控えて、ちょっと落ち着いて相手をしてみたら良いのではないか。意外なことに気づくこともあるだろうし、もしそうでなくても何とか手だてが見つかるかもしれないのだ。
北から南まで長い列島からなるこの国は地方ごとに気候が違うと言われる。ただ、それと同じくらい文化が違うのではと感じる人もいるのではないか。その辺りの感じ方は人それぞれだと思うが、たとえば笑いの文化は大きく違いそうだ。関東の人間が関西に出向いたとき、そこにある独特の雰囲気に呑まれてしまったという話を聞くからである。
笑いの雰囲気の違いはテレビという媒体が登場してから徐々に小さくなり、今はほとんどないように感じられているが、実際には一般の人たちの間での笑いの感覚には大きな違いがありそうである。ちょっとした話にも口を出してくる関西系に対して、関東の人々は遠慮がちで、すぐには話に乗ってこない感じがする。こういったリズムは笑いだけでなく、普段の話の中にも現れていて、それが醸し出す独特の雰囲気が別の地方の人々がそこに踏み込んでいくのを阻止しているようなのだ。その真偽はともかく、心理的にはかなり大きな影響を受けたという人が多い。リズムとは漫才でいうボケとツッコミのことであり、笑いをとるためだけでなく、普段の話し合いにもそういった遣り取りが重要な役割を果たす。ところがそのリズムに乗れない人々にとっては、結局話の核心に触れることができず、何となく欲求不満だけが溜まってしまう状況に陥ることが多い。そんな人々の行動を見ていると、多くの場面で躊躇しているのがうかがえる。つまり、話の流れには何とか乗ろうとするのだが、その際に必要なリズムを手に入れるための思いきりがたらないようなのだ。何が違うのかと思えば、そこにはおそらく馬鹿にするといった感覚が介在しているような感じがある。つまり、これを言ったら馬鹿にされるとか、あんな馬鹿みたいなことを言ってとか、何かあるごとに馬鹿にするされるが問題となるわけだ。ボケとツッコミにはそんな要素があることは端から明らかなわけで、そういうことは承知の上で遣り取りをする人々に比べて、まず相手にどう思われるのかを考えてしまう人種は、とにかく口出しするのを控えるようになる。特に話が馬鹿げたほうに向っていくと、その傾向はさらに激しくなり、沈黙の時間がどんどん長くなっていく。それはそれで構わないことなのかも知れないが、常に話が流れ、リズムを感じることが最重要と思う人々にとっては、そんな途切れ途切れの話などはつまらないだけに違いない。こんな文化の違いが話を複雑にしてしまうこともあるのではないだろうか。ちょっと雰囲気を和ませようと思ってやったツッコミを真面目に受けとられて困ったという話も良く聞く。そんな時うまくフォローできればいいのだろうが、失敗すると傷口が大きくなり、どうにもならなくなるわけだ。さて、どんな調子で話が進むのか、その場に居合わせたことはないからよくわからないが、拗れてしまうことだけは避けねばならない。ほんのちょっとした笑いのきっかけだったはずが、いつの間にか深刻な話に繋がってしまったのでかなわないからだ。こういうものがすべて土地の文化によると言ってしまうと言い過ぎになるのだろうが、実際にはかなり大きな影響を及ぼしているのかも知れない。地方ごとに付き合い方を変えたほうが良いのかどうか、それだけでは決まらないことなのだが。
新型旅客機の販売競争が激化しているそうだ。ひと月くらい前だろうか、ある航空ショーで、米欧の二社が新たに開発した旅客機の売り込み合戦が過熱化していると伝えられていた。人を運ぶ手段として、その移動距離が増してきたことから、地上や海上の交通を利用することより、空を移動するものがさらに重要となっていることの証なのだろう。
それにしても、と不思議に思うのは、彼らの開発戦略がまったく逆を向いているように思えることだ。昔、世界最大の旅客機を開発した米国の会社は一転して、中型機の開発に戦略を定め、その利点を強調している。おそらく、大きなものを一度飛ばすより、少し小さなものでも頻繁に飛ばすほうが効率が良い、ということが一番の理由だろうか。大きいことは良いことだ、といった路線から比べると大転換と言えるのではないだろうか。一方、欧州の企業の戦略はまったく逆方向に向いていて、それまで中型機が生産の大半を占めていたのに、これまでにない超大型機の販売に路線を改めた。世界最大と呼ばれた大型機に比べても、2倍近い数の客を乗せることができるのだそうだ。大きなもので一気に運び、客の数を稼ごうとするもので、特に人気のある路線向きと言われているようだ。同じ時期に、まったく違った方針を展開するというのは企業活動としてはありそうなことだが、それにしても正反対なことが起きるのはどうしたものだろうか。その業界の動向が安定して成長している時期であれば、どの企業にとってもよく似た戦略を展開することが適切に思えるはずなのだが、現状を見れば航空業界もそれほどの成長が見込めないことが明らかになっている。そんな中では、模索を続けることが優先され、それぞれに違った観点を持つことができるから、こんなに大きな違いが産み出されることになったのではないだろうか。それにしても、極端な動向に、利用する側の戸惑いも隠せないのではないだろうか。この国では超大型機の注文が一つも無いと、報道は伝えていたが、その事情として、そういう戸惑いと共にある国との特別な関係もあると聞く。実際はどうなのか知ることもできないが、とにかくそんな背景があるのかも知れない。もう一つ、この季節に思い出されることの一つには、当時最大の事故と呼ばれた大型機の墜落事故がこの国で起きたこともどこか関係することなのではないかということがある。大きかったからこそ、被害も大きかったというのは、正しい考え方がどうかは別にして、そんなことが心理的に影響している場合もあるだろう。それにしても、航空業界の実情はかなり酷いものになってしまったようだ。自由競争の結果をまざまざと見せつけられているような気もしてくる海の向こうの業界の動向についても、過当競争に近い状況下での価格競争やサービス競争が悲劇的な結末を産み出しかねないことが明らかになりつつある。はたしてそういうことの結末として悲劇しか生まれないのか、はたまたそういう過激な過程を経て良い時代がやって来るのか、今のところ誰にもわからないことなのだろうが、現在進行形としては自由の結果は必ずしも明るいとは言えないことだけは明らかだろう。こんな様子を見せつけられてもなお、競争的なものが一番と主張しつづける人々には呆れるばかりだが、一つ覚えとなってしまった以上仕方がないのかも知れない。どの業界にも通じることだが、さてどうなっていくのだろうか、見守るしかないのだろう。
小学校の頃、夏休みといえば、理科の自由研究が一大事だった。毎日の積み重ねを必要とするものを考えるのは簡単だが、やるのは大変だし、短時間で済むことを考えると、工夫が必要だった。どちらを選ぶか究極の選択といったところで、結局は長続きできる性格かどうかが鍵になっていたように思う。ほとんどが後者を選ぶことになったのはそういうわけだ。
子供それぞれに色々なことをやって、夏休み明けに持ってくる。面白いものもあれば、なんだこりゃと思えるものもある。一方、その当時はまだ少なかったが、明らかに子供の仕業と思えないものもあった。今でもなぜそんなことをするのか理解できないが、子供の自由研究を親がやってしまうのである。確かに見てくれはいいのだろうが、自分でやる意義を無視した行為であるように思える。そんな時代も遠い昔なのだろうか、理科の自由研究という課題の話をあまり聞かなくなった。ひょっとしたら、もう小学校の夏休みの宿題にはなくなったのかも知れない。そんなところを見ていると、教科の扱いの軽重にかなりの差があるように思えるが、とにかく面倒なことを省き、その代わりにドリルと呼ばれる問題集を山のようにこなしているようだ。ちょっとおかしな具合と思えるのだが、学校側はなるべく毎日課題をこなす形式を好むようで、地道な勉強をやらせたいようなのだ。そうなると、形に現れるものが優先されるようになり、どんな形になるのかわからない自由研究は敬遠されることになる。技術立国と呼ばれた国でもさすがに教育に対する危機感が強くあるようで、特に技術の基礎となる理科の理解にかなり危惧の声が上がっているといわれる。これを理科離れと言うのだそうだが、上に書いた様子を見ていると、子供たちが理科から離れていくのではなく、子供たちから理科を奪っているように思えるところがある。確かに高学年になり、色々面倒なことが強いられることが多くなる科目だから、子供が嫌いになる場合もあるのだろうが、一方で、それまでに興味を持つ機会を奪っていることも原因の一つに考えられるのではないかと思う。親子の間にもそういうことがあるように思え、子供の興味の相手をすることなく、より大事なこととして何かを強いていることはないだろうか。さらに学校がそういう取り組みに関わるようになると、かなり厳しい状況に陥るような気がしてくる。その結果が理科離れとなっているとしたら、離れていくより離すことになっているということなのかも知れないのだ。もう少し子供たちの自由にしてやればいいと思うが、そんなことをしたらダメになると言われそうだ。そんなことを考えると、なんと余裕の無い時代になってしまったのかと思うが、現実を直視したらそうすべきと言われるわけだから、どうにもならない。まあ、何が現実なのか定かではないが、とにかくもうちょっと違った見方をする努力も必要なのではなかろうか。そうしてみて、子供たちがどうなるか、様子を見てみればいいと思う。そうは言っても、理科に魅力がなくなってしまったらどうにもならない。教科としてだけでなく、対象となるものに何らかの魅力があれば何とかなるのだろうが。
小さい頃、近所のおじさんに怒られたことがあるだろうか。何か悪いことをしているとなぜだか見つかって、こっぴどく叱られる。ある年齢より上の人々にはよくある経験なのではなかろうか。そういうおじさんは子供たちから恐い人と怖れられ、大人たちからは頑固な人と呼ばれていたようだ。見知らぬ子供を叱る大人を見かけなくなり、そんな人も消えてしまった。
ところが最近、子供の教育に対する社会の働きかけという問題が取り沙汰されるようになり、昔の頑固爺さんを懐かしむ声が上がるようになった。実際に子供も大人も叱られると嫌な気持ちになるのに、ただだらだらと暮らす毎日を振り返るとそんな人も必要と思えてくる。もう一つ、自分の考えを持てず、悩みつづける毎日を送っている人々にとって、何かに拘り続けるとか、考えを曲げないとか、そんな人生を送れる人を羨ましく思う心もあるようだ。食べ物屋で頑固一徹を通し、客に注文をつける頑固親爺が注目され、いかにも仕事のできる人のように取り上げられるのもそんな憧れからくるものかも知れない。しかし、考えを曲げないというだけでは困ることも沢山出てくる。正しかろうが、間違っていようが、折れないからで、そういう人間の説得に当たる人々にとってははた迷惑な存在としか言い様がなくなるからだ。でも、遠い存在としか感じていない人たちにとっては、頑固は憧れであり、自分の考えを貫き通す精神力は素晴らしいものに見える。この辺りが時代の歪みが現れている証拠なのだと思うが、頑固な人の存在が身近でなくなった今、向こう岸の出来事としてしか見えなくなっているようだ。自らの考えを押し通す場合、色々なやり方があるのだろうが、特に反対論に囲まれたとき、その反応の仕方に変化が生じる。どんなことがあっても冷静に反論に対して反駁する人もいれば、冷静さを失い感情的になってしまう人もいる。場合によっては、狂気の沙汰とも思える言動を繰り返す人もいるわけで、頑固が必ずしも歓迎されるものではないことがわかる。そんなことは一目見ればわかるような気がするが、どうも憧れをぶち壊すところまではできないようだ。このところの政局の流れは正気とも思えない行動に基づくところが多く、たとえ芝居を打っているとしても紙一重を超えているように見える。しかし、実際にはそれを歓迎する人々がいるという調査が出されてきて、その根底にあるのは初志貫徹とか、考えを曲げないとか、頑固とか、そんな言葉が並ぶものらしい。何とも理解しがたいところだが、無関心な時代が長すぎたせいか、こういうものを向こう岸のこと、あるいは舞台の上のことのように眺める人が増え、演劇としての面白さとか、自分にできないことへの憧れだけが材料となっているように思える。こんな状況下で、何かを真剣に論じることができるのかと問われれば、ほとんどの識者は無理と答えると思うが、そんな社会が出来上がってしまったようなのだ。このまま行けば何処に辿り着くのか、考えたくもないのだが、そんな道筋を脇目も振らずにまっしぐらと見える。そういう時代の寵児として、ああいう人物がもてはやされるのだとしたら、まあ社会の責任として、皆で何とかしていくしかないだろう。しかし、破壊されてしまった精神を持つ社会が何とかできるとも思えない。時間の経過を待つべきか、はたまた別のタイプの人物の登場を待つべきか、さてどちらに向うのだろう。
寝苦しい夜、どんな工夫ができるだろう。エアコンのスイッチを入れるのでは工夫とは呼べないに違いない。単に窓を開けるのも物騒と考える人もいるだろうが、中層の住宅より高いところならば、何とかなるのかも知れない。しかし、これとて風任せのものだから、扇風機を窓際において外の空気を採り入れなければならないこともあるだろう。
室内の温度を下げる工夫、風を採り入れることで涼しく感じる工夫など、いろんな工夫があるが、では寝る場所の工夫はどんなものがあるのか。布団が一晩でかなりの汗を吸い取るといっても、すぐに吸収してくれるわけでもなく、シーツは肌触りという点で今一つと思う人もいるだろう。そこで登場するのがタオルケットとなる家もあるだろうが、昼間畳の上で寝転がっていたら気持ち良かったという経験を持つ人も沢山いるのではないか。最近は、花火を見に行くのに茣蓙を用意する人も少なくなっているようだが、あれほど安物でなくもう少し高級な畳表を使った物が出回っている。中には絨毯の代わりになるような下地を付けているものもあるが、布団に敷くのは茣蓙のような一枚の物の方がいいようだ。肌触りが気持ち良く、さらっとしているから、タオルとは違った感触がある。汗ばんでいてもくっついたりしないからそれも良い。唯一の欠点は肌の露出部分に畳の跡が残ることだろうか。畳表の材料はい草だが、最近は国産の物が極端に減り、海の向こうからやって来ているものが大部分のようだ。国内の生産地は幾つかあるようだが、細々と続けているようで、最近はどんな様子なのか伝えられることも稀になってしまった。学生時代にい草の産地の近くにいたせいもあり、夏休みが近づくと毎年アルバイトの募集が出ていたのを思い出す。真夏の時期に炎天下働くこともあり、かなりの額が支払われていたが、結局一度も手を出さなかった。伝え聞くところでは、早朝4時から働き始め、昼休みを挟んで夕方まで働くという。青々と伸びたい草を刈り取り、集めていくだけの単純作業だが、真夏の高温の中で草むらで働くわけだから楽なはずもない。慣れた人でも数日で悲鳴を上げるそうで、その話を聞いただけで興味を失う学生も多かった。当時でももっと楽なバイトが沢山あり、そちらに流れる学生がいたが、きつい労働だけに学生の臨時雇いが頼りという状態だったのではないだろうか。その後の展開は容易に想像でき、結局労働力不足が原因でい草の栽培を諦めるところが次々に現れたのだろう。しかし、国内でのい草の消費は畳があるかぎり無くなることはない。結局、お隣の国の労働力を頼りにするしかなくなったわけだ。既に稲刈りは機械化されていたが、い草は長い茎をそのまま傷つけないようにしなければならないから、難しかったのではないだろうか。人の手で刈り取るのは手間がかかるし、力も必要となる。そんな中で生産が減れば、機械の開発をする価値もなくなり、といういつもの流れで、外国に頼らざるを得なくなったということなのだろう。茣蓙の気持ち良さは嬉しいが、そのためにこんな労働をさせられたのではかなわない、という考え方は今ではごく当り前のように思えるのだが、昔からそうだったのだろうか。確かに、生産地と消費地は当時から離れていただろうから、ひょっとしたら大して変わらなかったのかも知れない。それが県と県の間から、国と国の間に変わっただけなのだろう。
もうほとんど誰も覚えていないことだろうが、ある宗教団体の代表者が自分たちの立場を説明している情景を称して、ああ言えば何とかという言葉が流行していた。毎週のように繰り返される議論で、何らかの結論が得られるわけでもなく、ただ止めどない議論が続いたときにそんな表現が出されたのだろう。本人の心の中はともかく、結論は出ずじまいだった。
世の中は一般的にそういった行動に出る人々に対して厳しくあたる。目の前にそういう人がいれば批判するし、場合によっては無視する。しかし、それをしない世界が画面の向こうにはあるようだ。あの時も言葉遊びの繰り返しを眺めていて、なぜ以前の発言を再生しないのか不思議に思ったが、その道具を使うことで発達してきたメディアが、なぜかそういう時に切り札を出さないものらしい。一般社会では録画再生などという道具は使えず、それぞれの人々がお互いの記憶を頼りに話を進める。そこには当然記憶違いもあるだろうし、誤解も生じるに違いないのだが、それはそれとして話し合いを進めていくことで何とかうまい結論を導きだそうとする。当然、論を頻繁に変える人は信用を失い、相手にされなくなるわけで、そうなってはいけないとする心がどこかで制動をかけることになる。しかし、画面の向こう側ではそういった慣習が無いように見える。とにかくその場限りの議論を繰り返し、あちらと思えばこちらといういい加減な行動を窘める声さえない。そんな話し合いを見ていて楽しいものか、こちらにはまったく理解できない部分だが、あちらの世界ではそれで構わないということなのだろう。面白いと思えるのは、時が流れても同じやり方が横行し、主人公が変わっただけで同じ劇が演じられていることだ。このところの政治の蛇行にもそんな意見の遣り取りが見られていて、そういう人々が巣くう世界であることがよくわかった。その評論家は国会での議論とそこから出される結論について、意見を求められていたが、結局ある法案に賛成するかしないかは個人の選択であり、その自由が守られることが民主主義の根幹であるとごく当り前のことを述べていた。こう書くと当り前なのだが、その弁の中味は与党の中のある政党は造反者を出しているから人間味溢れるものであり、野党は結束が固いから自由が存在しない組織であるとするものである。ついこの間までまったく逆向きの話をしていた人の一人なのだと思うが、こういう時にさっと態度を変化させる。それが評論家として長生きするための方策なのかも知れないが、それにしてもおかしな論ではないか。どちらにしてもある思惑で動いている人々なわけで、どちらにしてもそこに人間らしい身勝手さが現れている。それを一面だけ捉えてこういう話に持っていくのは更なる身勝手さの現れに思えるのだ。いずれにしてもそんな輩に政治を任せているのは国民であるから、もう少し真剣に考えるべきと思うところもあるが、さてだからと言って何に関心を持てばいいのか、簡単には見えてきそうにもない。