そろそろ稲刈りも終っているだろうか。車窓から見える風景も、地方によるとはいえ、随分と変わったものである。以前ならば一面の田圃、稲穂が金色に輝きながら揺れる様は壮観となるところが、ちっぽけな家が建ち並んだり、高層の集合住宅群になってしまった。生産と消費、どちらが先かはわからないが、減少の一途を辿るのも仕方のないことか。
そんな状況にあっても、米の生産を続けているところがあるかぎり、その為の準備をするところもある。昔ならば、自分の田圃に植える苗の種も、自分のところで生産するところが多かったようだが、今では品種改良によって産み出された優良品種を生産するために、多品種の混入を避ける必要があり、種にも保証が必要となっている。コシヒカリのはずの米に、別の品種が混じっていれば、その品種だからこその価値は無くなるわけで、値段も大きく違ってくる。自分が食べる分だけならば、それでも大きな違いは出ないが、市場で売るとなるとその影響は大きい。その為には自家生産の種籾を使うより、農協などを通して購入できる保証付きの種籾を使うほうが、安全性が高いということだ。では、その種籾は誰が生産しているのか、大元は農業試験場が管理しているようだが、直接生産用に回されるものは、それを専門とする農家が作っているのだそうだ。但し、試験場の管理の下に生産が行われているから、当然のごとく保証付きとなる。書いてしまえばこれだけのことだが、毎日の田の管理、混入品種や雑草の除去など、様々な作業があり、米となって出回るものの生産に比べて、遥かに手間がかかるらしい。しかし、ブランド化してしまった米の生産を支えるためには、この手間を省くわけにはいかず、選ばれたとはいえ、かなり多くの農家が携わっているようだ。こうなると、各農家は種籾の生産をすることが無くなり、結果的に自分で自分を支えることが出来なくなる。果たしてこういうやり方が正しいと見るべきかどうかは、その辺りの事情やこれからの変化に対する見方によって違ってくるだろう。ただ、国内でのこういう情勢はまだ何とか受け容れられるが、これが他所の国からの輸入に頼ることとなると、全く話は違ってくる。昔、生産効率を向上させた品種が開発されたが、減産を余儀なくされた世情から国内では見向きもされなかった。それが隣の国に行き、最終的に経済大国に渡ったとき、改めてこの国に対してそれを売り込みに来た話がある。その種は不稔性であり、常に種を買い続けねばならない事から、商談は成立しなかったが、まさに其処に潜む危険性を表したものだった。今、除草剤耐性の品種がジャガ芋などで知られているが、これもまた同じような事情が見え隠れする。除草剤の売り込みと、苗の売り込みにより、商売を成り立たせているわけだ。商売の種を見出す知恵には感心するが、何処か方向が間違っているように感じられるのは何故だろう。
物事には、段階とか、基準とか、度合いとか、程度とか、そんなものがあると言われる。ゼロとイチの間を埋めるものが沢山あるお陰で、多様性が出てきて、それに関わる人それぞれに違いが出てくるわけだ。統一規格のようなものが必要なものは別として、千差万別違いを認め、それを楽しむことが、世の中の物事をすんなりと進めてくれているようだ。
要するに、違いを認めることと全てが一緒になることは、全く正反対のものではなく、互いに補いながら、物事が成立するように働いているのである。こう書いてしまうとそれだけのように見えるが、実際にはその頃合いが難しく、丁度いい加減のところは簡単には見つからない。ただ、いい所を見つけなければ駄目というわけではなく、それを探りつつ事を進めていけば、それなりのものが出来るわけだ。そうでなかったら、何事も始められず、前へ進むことなど出来るはずもない。しかし、世の中にはこの点を誤解している人がいて、まずは準備万端、欠点の無いものを携えて前に進もうとする。何処から見ても欠陥の無いものが存在するとは思えず、それを探し求めることはそれだけでは無駄に違いない。しかし、その方向に向かうことは大切だから、その辺りも兼ね合いが難しい。そんなことばかりで、頃合いやら兼ね合いやら、考えて対処しなければならないことばかりに見えるが、実際には、完璧なものを作るよりはそちらの方がずっと簡単なのだ。完璧を目指すだけの人は、結局それを言い訳に使うことが多く、結果的には何も産み出せない。それでは駄目なわけで、紆余曲折があっても何とか前に進む努力が必要だろう。これには色々なことが当てはまりそうだが、現実に目の前にあることだと、中々話を進めにくい。それに比べると、かなり前のこととなれば、少しは気楽さが出てくるから、そちらの方に話を移そう。学校、それも義務教育の場を考えると、この辺りの兼ね合いに何処か綻びが見えているように感じられる。最低限の知識を身に付かせる場という解釈が前面に出るようになってから、本来の教育の意味や役割が見失われているように思える。これだけが出来るように、とか、社会に出てから役に立つことを、とか、目標設定が必要なのはわからないでもないが、その目的が何処にあるのか不明確になっている。教えるには、教わるが付き物であり、教える側の努力だけでなく、教わる側の積極性が必要になる。しかし、今の社会ではその必要性がぼやけてしまい、義務が子供に課せられたものに映っているのは何故だろう。これだけがわかるようにの一言が、実はその大本になっているとするのは間違いかもしれないが、そんな気がしてくる。わかるのも、わからないのも、人それぞれで、其処にある違いを認めることはいけないのだろうか。わからない人を見て見ぬふりで、先に進むことは何故いけないのだろう。違いを認め、かつ、一緒にする、とは、そんなことを指すのではないだろうか。
身近な人間の死が悲しいのは誰にでも理解できる。それが身内となり、悲しみが増したとしても、当り前の事だろう。長い闘病生活の末に亡くなれば、たとえ覚悟していたとしてもそれなりの悲しみがあるが、その死が突然となると、遥かに大きな衝撃を受けることになる。死という点では同じことなのだろうが、心に響くものは随分違うというのだろう。
不慮の事故で身内を亡くしたとき、その事故の原因となったものに怒りを露にすることがある。相手が酒酔い運転だったり、無謀運転の車だったりすれば、怒りを抑えることは更に難しくなるだろう。こんな悲劇に見舞われた人々の中には、その後、そういう事故を減らす活動に身を投じる人もいるようだが、何かしら受け容れがたいものがあるからなのだろう。突然の事故であれば、その原因の側からしか避ける手立ては見つからない。被害者には予期せぬ出来事であり、避けられないものになってしまうからだ。活動に力を注ぐ人々がいるのも、そんな事情からなのだろうが、依然として減らない事故に苛立ちを覚えているのではないだろうか。それとは別なのだが、突然身内を亡くすことがある。自殺のことだが、これは同じように突然起きたとして扱われることが多いけれど、実際には不慮の事故と比べると、其処に至るまでの経緯や何かしらの兆候に特徴が見られることが多い。何処かからか降ってくる事故とは違い、其処に至るまでの本人の苦悩や周囲との軋轢などの前兆があるわけだ。周囲の人が気づいたために、自殺を思いとどまった人もいるだろうし、その兆候に気づいたのに、一言声をかけそびれて、思いとどまらせることが出来ずに悔やんだ人もいるだろう。突然の死といっても、其処にはかなり大きな違いがありそうに思える。原因は様々にあり、人間関係の悩みや最近頻繁に取り上げられるいじめもその一つに挙げられる。多くの場合、本人の心の中から突然湧き出したというより、周囲から何らかの働きかけがあり、それに耐えきれなくなることが原因となる場合が多い。人々は原因を追究することに力を入れるようだが、それはまた別の原因を作ることに繋がることもあり、怒りにまかせての行動はいい結果にはならないのかもしれない。確かに、原因を作った人間がいたとしたら、その人は大いに反省すべきだろうが、だからといって、彼らを糾弾すればいいというものではないだろう。特に、最近話題になっているいじめの問題は、その原因となった人物を攻撃するという、別の形のいじめに繋がっているように思えて、あまりいい感じがしない。確かに、その人の行為は間違ったものだったろうが、だから攻撃を受けても仕方がないとしたら、いじめの連鎖は永遠に途絶えることはないからだ。何か別のやり方を考えてみるべきなのかもしれない。
他所の国へ行くとき困るのは、言葉の問題である。どうしてもというときを除いて、何も喋らずに済ますという人も多いだろう。しかし、そのどうしてもを要求されることがある、食事の時だ。指で指して適当に済まそうとしても、何やら尋ねられる。お勧めの料理かと思えば、そうではなく、何かを選べと言っているようだ。一番目と答えるのがやっとか。
国によることだが、自由第一のところでは、様々なことに選択の自由が存在する。社会主義国では押し付けしかないそうだが、民主主義というか自由主義国では選択が当然の権利と見做されるようだ。しかし、お任せに慣れている人にとっては、自由はかえって不自由に感じられるものだ。選べと言われても、どれが何やら想像がつかず、その説明を求めようものなら、更なる困難が待ち受ける。さっさとお勧めの組み合わせを持ってきてくれと頼みたいところだが、それもまたこちらの思いを伝えるだけで食欲減退間違いなしとなる。元々好みを大切にしているわけなのだろうが、所詮は食べたことの無いものばかりとなれば、好みも何もあったものではない。そんなこんなで四苦八苦ということになってしまうわけだ。人々の考え方次第だから、選択の自由を優先させるのも、お任せを第一とするのも、それぞれのやり方である。逆に言えば、自由を選ばされる不自由を押し付けと見做すことも出来なくもないわけだ。それが社会というもので、全てが自分の自由になるのは何処かの国王か何かでないかぎりあり得ないだろう。にもかかわらず、自由自由と連呼する人々がいる。何でも選べるのがいいとの主張だが、これがまた馬鹿げたことだと思えることが多い。勝手気侭に育った子供と言えども、保育園、幼稚園、学校と通うようになれば、全てが思い通りになるわけではないことは何となく解ってくる。元々、家族という最小単位の集まりから、無限に近い広がりをもつ社会に出ていくための段階として、相手の数を徐々に大きくする段階が学校の役目の一つである。其処に自由があると言っても、制約の中の自由であり、思い通りになるはずはない。にもかかわらず、そんな組織に選択の自由を持ち込めと叫ぶ人がいる。自由に選択したあとに課せられる制約のことは、こういう浅はかな考えしかできない人の頭にはなく、ただ目の前の自由のみを求める。それが親の口から出たとき、驚きは更に増してしまうのは当然だ。自分が置かれた場所を見渡してみれば、社会とか組織のもつ不自由さは歴然としている。にもかかわらず、その準備段階としておかれている学校に、逆を求めるのは自分の子供に将来の困難を強制することになるからだ。ある程度の縛りが存在する中に、自分なりの考えや自由を持ち込むことが出来ない人間には、生きる楽しみは味わえないと思う。
悟りを開くとは、本来は修行僧の話だが、別の対象にも使われる。僧侶の悟りがどんな境地なのか、凡人には想像もつかないが、たぶんそういう平凡なところとは全く異なった世界に分け入ることを言うのだろう。何処にその境目があり、何処から先が彼の地なのか、判らないままに突き進めば、あるところでハッと気がつくというのだろう。
ある目標に向かって邁進することは、言うは容易く行うは難しの事なのだろう。修業における悟りも、遠くの目標はあるように思えるが、日々の課題は明確にならず、その過程での悩みも修業の一つとなる。究極の目標とは違い、日々をただ過ごすだけの凡人にとっては、更に漫然と続く生活との付き合いが必要で、場合によっては、ものを右から左へ、また左から右へ、移すだけの作業のように思えることもあるのではないか。とはいえ、これなら少なくとも区切りがつくわけだから、達成感が得られるかもしれない。それよりも何がどうなっているのか判らない状況が続くほうが、更に辛いことになるからだ。しかし、幾ら達成感があると言っても、兎に角同じことの反復では精神的に参ってしまう。だから、少しでも違った形の目標を目の前に設け、それに到達することを日々の糧とする事が多い。何かを作り出す作業であれば、その効率を上げることを目標としたり、仕上がりを問題とすることで、向上を目指す方向に気持ちを動かすことが出来るから、多くの人はそんなやり方を好むようだ。本人は大いなる目標を抱いていても、現実には見えない目標に向かっている修業のように、実感がつかめないのが好まれないのは、こんな事情があるからかもしれない。しかし、全てのことに目に見える向上が約束されているはずもなく、時には何処を歩んでいるのか、上に向かっているのか、下に降りているのかさえも判らない状況に陥ることがある。そんなとき、目の前の実感がつかめるものだけを目指していたのでは、おそらく大きな壁を乗り越えることは出来ないだろう。指導者の多くが、近くの目標を設定することで本人のやる気を引き出しているのは、この辺りの難しさから来ているのだろうが、それは指導者が遠くの目標を別の形で捉えているから成せることなのだ。本人だけが独力で進もうとするとき、これと同じような視界のとり方をすると、たぶん何処かの窪地に落ち込んでしまうことになる。はじめのうちは達成感が得られるものの、ある時点から目標を失い、結果的には迷走、彷徨することになるだろう。学校にいる間は、指導者の下にいるからいいが、其処から出てしまったとき、それまでとは違う考え方や捉え方を身につけていない人が霧の中で彷徨うのは、そんなところに理由があるのかもしれない。
給食と言われて、自分自身には経験の無い人は、かなりの年配だろう。次に来るのは、脱脂粉乳の悪い思い出を持つ人々だろうか。次あたりは、パンから米飯への移行期になり、更には麺類が登場するという流れだろうか。その間に、牛乳は当然今と比べて薄い感じだろうが通常のものになり、おかずも次々に変化していったはずだが、ほとんど記憶に無い。
それ以降、どんな変化を辿ったのかは経験が無いからわからない。そんなことを言えば、大体の年がばれてしまうのかもしれないが、いずれにしても、その後もかなり大きな変化があったようだ。総じて、良い思い出よりも悪い思い出がありそうな給食だが、懐かしむ人は沢山いるようだ。それを専門に出している食堂があるらしく、雰囲気も当時を再現するようにしている。そんなもの、今更どうでもいいと考える人がいる一方、それを懐かしく感じて足繁く通う人もいるようだ。いずれにしても、昔を思い出す余裕があるのはいいことなのだろう。それだけでは困ったものなのだが。そんな給食の、当時の定番に鯨肉のおかずがあった。たぶん竜田揚げが一番多かったように思うが、確かではない。それがまたあまり評判が良くなく、特に筋の多いことが不評の理由だ。その後、捕鯨の状況は一変し、あっという間に献立から姿を消してしまったが、最近復活の兆しが見えていると聞く。地方独特の献立という形だが、既に給食に出されているところもあり、評判も上々とのこと。何が違うのかと思えば、筋を切ってあるそうで、そりゃあ随分話が違うと思った。捕鯨の歴史は長いが、現在強く反対する国とは違い、鯨の全てを利用することを目的としていた。だから、その肉も出回り、場所によってかなり違った食感のもので、値段もかなりの幅があった。残酷の一言で片付ける人々に、どんな感情があるのかは判らないが、国際情勢ではその勢いに押されて、劣勢が続いていた。徐々に、環境の変化や頭数の変化が起こり、状況は変わりつつあることから、今後の展開に期待する向きもあるようだ。牛豚は構わないが、鯨は駄目という論理や、狐狩りはいいが、捕鯨は駄目という論理が、どの程度通用するかは判らないが、肉食そのものを拒否する人々や人間より動物優先を考える人々には、どんな論理も通用しない。反対運動が盛んになり始めた時期には、まだ国内にそれを売る飲み屋も多く、外国人を連れていく機会もあった。遠慮する人が多かったのだろうが、中には試す人もいて、その味を楽しんでいたようだ。但し、一つだけ条件があった。自分の周りの人間にはその話をしないでくれと言うのだ。運動が盛んな時期、誤解されるのを恐れたのだろう。
虐め、このところ、よく聞く言葉だが、その範囲は広い。家庭内から始まり、学校やら、会社やらの組織に広がり、更にはほとんど無関係な人まで巻き込んでのものになる。国の間にもそんな雰囲気が漂い、何だか世界中の人々が関わっているようにさえ思えてくる。どうも、人と人の営みがあるかぎり、こんな行為は無くならないということのようだ。
叱咤激励といった表現で誤魔化していた部分もあるのだろうが、昔はあからさまな虐めは表面化していなかった。その代わりに、訓練だとか、試練だとかの言葉を付け加えた形で、同様の行為を繰り返す人がいた。本当にそういった配慮があったかどうかは定かではないが、その執拗さに違う意図を感じている人もいたのではないか。ただ、この形で閉じているかぎり、其処から更なる波及があるわけでもなく、不幸なのはその当事者だけといった図式が築かれていたようだ。それに対して、最近の様相はかなり大きく異なっていように映る。一つには、虐めが表層にそのままの形で現れたことがあり、それは加害者と呼ばれる人々が何の考えもなく、ただその行為に耽ることに原因がある。言葉のまやかしといってしまえばそれまでだが、それにしても何らかの大義を持っているふりをするだけでも、雰囲気は違っていた。それが全くそのままに真正面から取り組むとなれば、周囲に対する印象も異なってくる。もう一つは、見て見ぬふりの仕方も変わってきたことだろうか。流石に最悪の結末を迎える場合は仕方のないところだが、其処まで至らぬまでも周囲が何らかの介入をするようになってきたようだ。これは如何にもいい方向への転換に思えるが、実際にはそういったいい影響だけでなく、悪影響を及ぼす結果となることもあり、一概に歓迎すべきでないように思う。特に、結果が悪い方向に行き始めると、当初の虐めとは違う方向への虐めが、介入者の一部によってなされるようになり、基本的な図式が変わらぬまま、被害者の数を増やすという結果になることもある。これはおそらく正義感から来るものだったのだろうが、それが全く違う方に働くという可能性を思わない人々によるものだから、悪意によるものではないとされる。しかし、人との関わりにおいて、こんな結果を招く可能性は大いにあるわけで、其処に思いが至らない人々が無責任に何らかの介入をすべきではないのではないだろうか。安易に流れに乗り、ついつい行き過ぎを咎める雰囲気も出ないままに、極端に走ってしまうのは、軽率としか言い様がない。しかし、大きな流れとしては、きっかけを作った人に全責任があるわけで、後の出来事に加担した人々は関係なしとなる。どうも歯止めの利かない人が増えてしまったようで、元々のきっかけもその辺りにあるだろうから、その点を注意することから、始めたほうが良さそうに思う。