パンチの独り言

(2007年1月1日〜1月7日)
(心技体、多勢、信憑、ゆとり、陋劣、自我、貧者)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



1月7日(日)−貧者

 格差という言葉が流行り始めた。人それぞれに違いがあるのは当たり前のことであり、その違いが何らかの差に結びついたとしたら、そこに生まれる格差は当然の帰結と言えるだろう。しかし、人それぞれが持つ違いではなく、別の原因によって格差が生まれたとしたら、そこには問題があるということになる。
 書いてしまうとごく当たり前のように思えることだが、実際にはこの辺りの区別はほとんどできない。そんなことはない、ある意味の差別が罷り通っているではないか、という反論がすぐに飛んできそうだが、肝心の差別と人それぞれの能力の違いは簡単に区別できるのだろうか。一部の専門家達はこれが可能であるという前提のもとに、格差社会の形成を重大問題として取り上げている。しかし、そこで議論されている事柄の多くは、偏ったデータに基づく、かなり怪しげなものに思える。確かに、機会均等が強く訴えられ、最近はそこにある差はかなり小さくなったように見える。ところが有識者達は差が小さく見えるからと言って無くなったわけではなく、何処にもかなりの差別が見られると主張するのだ。ただ、差が大きかった時には誰の目にも明らかな差別が存在していたのだが、小さくなると立場や観点の違いによって見え方が大きく違ってくる。差の大きさだけでなく、符号にまでそれが影響するとすると、そう簡単には片付けられなくなる。そんな状況下で、収入の違い、地位の違い、その他諸々の違いは明らかになるわけだから、そこに格差の存在を見出し、それを社会問題化する。論者の立場からの分析を聞く限り、ごく当たり前の論理に思えるが、さて基となったデータを眺めると、当然というわけにもいかない気がするわけだ。それに、格差という鍵となる言葉にばかり目が奪われるが、本当に社会問題として取り上げたいとしているものは貧困であり、低所得者の問題である。格差があるからこそ、そういう貧困層が生まれるという主張もわからないでもないが、言葉の本来の意味からすると大きなずれを感じる。何故、貧困そのものを問題とせず、差の存在を取り上げるのか。その辺りの事情を知りたいと思うが、触れられたくないからか一切説明なしである。想像するに、社会が成熟してきた時、貧困層を救う運動は盛んになる場合が多い。それに対して、驕りの後に崩壊が訪れた時、それらの運動は影を潜めた。こんな経緯の後では貧困そのものを前面に出すことが躊躇われたのかもしれない。しかし、真の問題点を外すことは解決への道筋を踏み外すことに繋がるのではないだろうか。

* * * * * * * *

1月6日(土)−自我

 自分でものを考えるという当たり前のことができていない人が多い。情報が重要と言われるのは実はそのためではないかと思える所があり、真剣に心配する向きもあるようだ。そうなってくると何故だか知らないが、極端な考えを持つ人が目立つようになる。まるで、無謀な戦いに出向いたあの頃と同じように見えるのは奇妙なものだ。
 誰しも自分しか見えない子供の頃は独り善がりの考えに囚われている。しかし、周囲の状況が見渡せるようになると、それとの関わりを採り入れるようになり、少しずつ社会性が築かれていく。これが大人になることと思っている人も多いが、実際にはこんなことが起きるのは就学前のことであり、集団生活の第一歩を踏み出す前に身に付けておかねばならないことだ。自分の考えを持たない人が増えたのは何故かと考えると、どうもこの辺に出発点があるように思える。いじめ問題が大きく取り上げられ、重大な社会問題とされると、それに対する策が講じられるようになった。しかし、それ以前からその渦中にある子供達は防衛本能を働かせ、周囲との関わり方を工夫するようになった。そのとき、いじめ問題の元凶となっていたことが放置されたままで工夫がなされたことが大きな問題となったのではないだろうか。つまり、周囲との関係を構築する能力を身に付けないまま集団に放り込まれ、触れるもの全てに攻撃性を露にしていた人物と同様に、社会性に欠けた人々が自主性よりも集団性を優先させる選択をしたことが、結果的に自分の考えを持てない人間の形成を促したのではないだろうか。その上、周りに合わせる判断は、いちいち価値判断や吟味を施すわけでもなく、ただ盲目的に受け入れることを余儀なくされたために、極端だろうが狂気だろうが、深く考えもせずに受け入れる。元々は自分という確固たる存在がある上での他者との関わりだったはずが、いつの間にか中心となる存在をぼかすことによって、身を守る術を身につけたわけだから、そこには本来あるべき責任という文字は浮かび上がらない。そんな中で日々起こる事件は常識では考えられないものとなり、動機の特定などは時間の無駄としか思えない。以前ならば対岸の火事と思えたものが知らぬ間にこちらの岸に飛び火したわけで、気がつけば手遅れとなっている。それ自体も大きな問題であるが、それより更に大きなものと思われるのは、この機に乗じて極論を押し通す人物の台頭であり、それを支持する自失の人々の乱舞である。ここまで来ると、常識が非常識になるかもしれず、危うい時代の再来を思わせる。そろそろ自らを取り戻さないと危ないが、踊り狂う人々には見えないのかもしれない。

* * * * * * * *

1月5日(金)−陋劣

 劣化と言われたら何を思い浮かべるだろう。辞書によれば、(使っている間に)品質、性能が悪くなること、とある。おそらく、大多数の人は機械に関係するものを想像したと思う。確かにその通りだと思うが、先日画面から流れてきた話はそれとはかなり違っていた。品質とか性能という言葉とは結びつきそうにもない物の劣化だった。
 平和な時間が長く続き、皆それぞれにそれを当たり前のことのように思っている。たとえ、画面から戦場の生の画像が飛び出してきても、どこか異次元での出来事のようにしか感じられない人が多いだろう。しかし、現実には其処彼処で紛争が起き、争いが絶えることは決してない。そんな世の中では人の心が荒んでいくと思う人が多いようだが、実際には正反対のことが起きるようだ。先の大戦と言われて何を思い浮かべるのか、と問われても実感のないものには思いが及ばない。しかし、その戦いの中で散っていった人々の中には様々な思いを抱きつつ戦地に出向いた人々がいた。その中のほんの一握りに過ぎないだろうが、国を挙げての戦いとは全く結びつかないことに精を出していた人々がいた。豊かでゆとりのある時代ならば許されることでも、貧しく緊迫した時代には許されない営みの一つに「芸術」があると言われる。所詮は遊びの一つと思われ勝ちなものだが、それに関わる人々にとっては命を削ってでも続けようとするものらしく、戦時下でもその気持ちが萎えることがなかった。だから、出征が決まった時にも新たな作品を描いたり、最後の仕上げをして、自らの記録を残すことに集中した。その大部分は混乱の中で失われたが、一部は遺族の努力の結果、何とか生き残ることができた。でも、無名の画家達の残したものは家族以外の目に触れることもなく、そのまま引き継がれる運命にあった。しかし、生き残った仲間の努力が実を結び、ある所にそういう作品だけを集めた美術館が設立され、全国から遺作が集められたのだ。その後も活動は続き、作品が失われた人々の名を残そうとする運動が記念碑の建立に繋がった時、事件が起きたのだそうだ。赤い塗料を塗りたくられた記念碑の姿は悲惨なもので、その修復は当然行われた。しかし、館長の決断は一部に塗料を残した形での修復で、事件の記憶を消し去ることなく、語り継いでいこうとの意図かららしい。その時、彼が呟いたのが「心の劣化」という言葉である。60年を経て、人々の心にあるのはあの時代とは全く違うものであり、それはまるで心という機械が上手く動かなくなったようなものだと言いたかったのだろうか。そんな見方をすると、今の世の中の異常な出来事の発端が見えてくる。

* * * * * * * *

1月4日(木)−ゆとり

 休みの時間の取り方が随分変わったようだ。一時的な混雑に巻き込まれ、二進も三進もいかなくなった経験のある人が多いと思うが、最近はそんな光景を見かけることも少ない。事前の情報が行き渡っていることもあるのだが、人々の休暇の取り方が変わったように思える。ゆとりを重視する社会の向きとは正反対に休みの時間が短くなっている。
 折角の休みに混雑に巻き込まれて疲れるくらいなら、どこにも出掛けずにじっとしておいた方がまし、という考えもあるだろう。よく学びよく遊びと言われた時代は遠い昔のことのようで、まずは学ぶことの重要性が強調されることは少なくなり、何事にも適当に、楽しむことが重視されるようになった。しかし、その一方で様々な無理が人々の方にのしかかり、何とも余裕のない日々を送る人が増えている。この辺りの矛盾が何処から生じたものか、経済状況の悪化が原因とする人もいるようだが、現実には若い世代程矛盾の程度が大きいとすると、それとは別の原因がありそうに思える。それこそ、ゆとり教育を施された人々がそこにあった矛盾の影響をもろに受けたようで、何処にも余裕の無い、何とも言えない緊張に満ちた生活を送っているように思える。実際にはそこから逃げ出す為か、仕事には興味を抱けず、自分の好きなことだけに気持ちを集中する人が多くなった。何にでも力を入れることはいいのだろうが、しかし、生活全体のほんの一部にしか興味を持てないのでは、自分が作り出した波に飲み込まれてしまうのではないか。これが本当なら、何とも皮肉な結果を産み出したことになるが、さて、どうだろう。そんなことに悩んでいる暇はなく、次には仕事に対する圧力が増すという話がすぐそこまでやってきている。ゆとりから、能力評価となり、次に何が来るのか分からないが、社会の変貌についていけない人々が悩みを抱えているような気持ちになるのも無理は無いのだろうか。ここまで来ると賛成する気がなくなるが、兎に角、周囲の変化に惑わされないようにすることが肝心なようだ。そんなことを今更言われても困ると思う人には、土台無理な話だろうが。

* * * * * * * *

1月3日(水)−信憑

 見たものしか信じない人がいたら、どう思うのだろう。そんな狭い考えでは情報が溢れる世の中は渡っていけないと思うか、あるいは自分の見たものだけを信じるなんて凄いと思うだろうか。確かに、自分の見たものは信じられるのに、他人の見たものは疑うというのでは、何事にも上手く行くはずがないだろう。しかし、それだけだろうか。
 極端な表現だから、そんな馬鹿なと思えたかもしれないが、少し違う見方をして、自分の見たものを信じられるかと聞いたらどんな感じがするだろう。おそらく、多くの人はそれが信じられなかったら何もできない、と答えるのではないだろうか。では、更に進めて、他人の見たものは信じられるのだろうか。このあたりまで来ると、他人といっても色々あるし、という返答が戻ってきそうな気がする。信用できる人とそうでない人、自分の身近にいる人ならば、そういう区別が簡単にできそうだ。しかし、そうでない人が対象となった場合、どうだろうか。そんなとき、氏素性によって区別しようとするのではないか。顔を見て決めるという人もいるが、目の前にいるならまだしも、画面を通したり、紙面を眺めたりでは、簡単には行きそうにもない。そう考えると、信用するかしないかというのは何ともいい加減な判断で下されていそうだ。話が元に戻るが、自分の目を信じるか信じないか、信じるのが当たり前と思う人でも、例えば周囲から自分だけが違うと間違っていると言われたらどうだろう。何処までも主張を押し通せる人は少なく、そんな経験を持つ人は自分をも疑わざるを得なくなる。それが小さい頃の経験だとしたら、かなり酷い話になるが、何処にでもありそうな話なのだ。水は何度で沸騰しますか、と問われたらどう答えるのか。多くの人は100℃と答えるだろう。しかし、理科の実験で確かめてみると、そうならないことの方が多いのだそうだ。そこで、先生は100℃で沸騰するのを示した実験のビデオを見せて、納得させる。このとき、もしも生徒の一人が何故そうならなかったのかと聞いたら、話はどうなるのだろう。教科書は絶対であり、間違っていないとしたら、どうなるのか。まさに上に書いたような状況が生まれ、その子供は教科書に書いてあることしか信じないようになるか、自分の意見を言わなくなるのではないだろうか。本人にとっては一生の傷となるだろうが、疑いを持たない人は傷つくこともない。自分を信じるより、他の何かを信じる方が確かだとなるわけだ。これが変な話に思える人は、危ないのかもしれない。でも、どちらが正しいのか、はてさて。

* * * * * * * *

1月2日(火)−多勢

 「いや、秘書が」とは、昔政治家が言い訳によく使った言葉だ。その頃の批判は責任転嫁に集中していて、言い逃れともよく言われた。密室での出来事だから、誰がどうしたのかは当事者以外にわかるはずもなく、批判も具体性に欠けて、的外れなものが多かった。だからだろう、責任転嫁という言葉で一括りにしていたのは。
 時代が変わったかどうかはわからないが、いつの間にか転嫁すべき責任を持たない人が増えているように思える。これは何も役に就いた人に限ったものではなく、ごく一般の人々にまで通用するように思える。その発端が何処にあったのかはわからないが、どうも他人のせいにするのではなく、社会全体の問題として捉えることによって、自分のことは何処かに投げてしまっているようだ。その典型とも言えるのが、自分にとって都合の悪いことは全て周囲のせいとする人々が目立つことだろう。こういう風潮が際立つようになると、まともな考え方は通用しなくなる。他人のせいにするんじゃないと言われて育った世代には、何とも理不尽な世の中が作られたもので、その先頭に立つ人間はどうも数で勝負の時代に育った人々のようだ。多数派を形成するために重要な要素は一本筋が通っているかどうかだと思っていたが、どうもそういうやり方は時代遅れのようだ。まずは、どんなに雑多な人々で構成されていても、そこに共通項が存在することが重要であり、それを大いに利用しようとするのが最近の常套手段のようだ。例えばある特定の年齢層を対象とすれば、それだけで簡単に区別がつく。誰にでもわかる区別は便利なもので、職業や性別の違いなどはどうでもいいわけだ。このところ話題になっているのもその手の分別法で、ある年代に生まれた人々を対象とすることが、多数の賛同を得るための重要な因子となる。ただ、この類いのものが闇雲に進んでいるのがわかるのは、多分喧噪が去った後なのだろうが、兎に角世の中全体がそちらに向いているようにしか見えない。しかし、彼らの動きに合せようとすればするほど、全体の均衡が崩れるから、社会の抱える問題は悪い方に進み、手のつけられない状況に追い込まれる。これまで繰り返されてきたことが、また強行されるのかと思うと、あまりに馬鹿げた行為に思えるが、社会では多数が重要なのだろう。ここ数年が山場と言われれば言われるほど、そんなことよりもっと長い目で見るべきと思うのはほんの一部であり、いつまでも少数派となる。これは明らかな差別であり、矛盾に満ちた話だ。そう言えば、戦争に参加した先進国ではあの戦争直後の多数は共通した問題だ。まさか、これだけが今の閉塞感を産み出しているとは思わないけれど。

* * * * * * * *

2007年1月1日(月)−心技体

 心の持ちようという言葉がよく使われるが、その一方で精神論や根性論には冷ややかな目が注がれる。日頃の鍛錬から身につく精神力は好まれるのに、お仕着せの根性論が嫌われるのは何故だろう。心の問題が取り上げられるようになったのはそんなに昔なことではない。だが、取り上げられるようになってからの動きは変に思える。
 本番に弱い人は精神の鍛え方が足らないと昔はよく言われていた。その言い方に変化が起きたのはいつ頃からか、精神の問題や心の持ち方について議論が行われるようになったからだろう。それまでは、そんなことはある意味当たり前のことで、本人がそのことを一番知っていた。しかし、いつの間にか、それを苦痛と感じる人が増え、避けようとする動きが生まれた。合理的な訓練法が導入されるにつれ、この国独特の訓練法は脇に追いやられた。そこに生まれたのは理にかなった手法であり、心の問題は二の次になった。面白いのは、そういうことを導入する前にこの国が強かったスポーツがいつの間にか弱くなり、弱かったものは強くなったことだ。ただ、どちらの場合も一番にはなれないようで、そこに何か不思議なものの存在を感じた人もいたのではないだろうか。もう一つ、そんな環境下でも才能に恵まれて上を目指す人々は時に現れるもので、その人たちの多くはいつの間にか心の問題を重視するようになる。体の訓練と心の訓練をどういう順序でどのように施すのかは、人それぞれに違っているだろう。しかし、どちらが欠けてもここ一番での成績は残せない。その違いに気づいたとき、自分に欠けているものを得ようと努力するのだが、それを他からの力で行うかそれとも自らの力で行うかの違いがあったようだ。結果は同じに見えても過程が異なると、気持ちの問題は大きく違ってくる。他人に押し付けられたものには反発が起きるのに対して、自分でやろうという気持ちでやるものにはそんなものが入り込む余地はない。それより、その気持ちになれるかどうかが大きな問題であり、その違いが精神論を説く人々にとって大きな障害となった。スポーツではこの違いが大きくなり、同じことを何故これほどまでに違うように扱うのか不思議に思った人がいるだろう。しかし、この心と体の問題は、何も運動に限ったものでなく、人がするあらゆることに当てはまるのではないだろうか。そう考えると、心の持ちようを大切にしないやり方には、期待できないような気がする。

(since 2002/4/3)