救急車を呼んだのに、という声が聞こえてくる。根底には医者不足があるようで、ある特定の診療科に限られていると言われる。問題解決を望むのは当然のことだが、その一方で、常識からかけ離れた行動をとる人々の問題も取り上げるべきではないか。制度的な問題だけでなく、それを受ける立場での問題である。
病気とは呼ばれないが、妊娠は時間とともに症状が進行するもので、注意深い観察が必要となる。総合診療としてのかかりつけ医の存在に注目が集まる時代に、まさか妊婦のかかりつけ医がいないなどとは信じ難いが、珍しいことではないようだ。妊娠の進行に伴う変化を観察するだけでなく、異状が見られた時に診断してもらうには重要な存在であるはずが、全く診療を受けていない人がいると言う。妊娠に気づかぬ人の存在にも驚くが、これ自体を深刻に受け止めず、臨月近くまで放置する人がいるとなると、知らぬ人の恐ろしさとともに、周囲の無関心にも驚く。そんな中で起きた事故に対して、制度だけを問題にするのも幾ら最近の傾向とはいえ、驚かされるのだ。こんな時代に子どもに起きた異状を親がどう思うのか、小児科医不足だけを問題にするのでは不十分かもしれない。子育ての問題は病気の際の対処に限らず、臨機応変さが要求される。にも拘らず、定番の対応のみを紹介するやり方が横行し、育児書や育児雑誌の見出しに驚かされることも多い。育児に関しては、以前から流行なるものがあり、寝かせる姿勢や食事の与え方なども時代とともに変化してきた。結局はそれほど大差がないことが明らかになった筈なのに、依然としてこういったことを論じるものが多く、働きかけ方は極端になりつつある。昔は、家事の邪魔にならないように、背中に赤ん坊をおぶり、寒い時期にはその上から綿入れを羽織る姿も見られた。いつ頃からか、子どもと目を合わせることが重んじられ、前抱きの器具や赤ん坊と向かい合う形の乳母車が売られ始めた。その頃育てられた子供達は、育児に力が入れられた割には、様々な問題を抱えており、これらの手法が単なる流行りだけだったことを示しているように見える。相手をする時にきちんと対応せず、できない時にしているふりをするようなもので、結果的には子供から離れるきっかけを与えただけなのかもしれない。昔からのやり方が必ずしも正しいわけではないだろうが、そこにある意味を無視して、別のやり方を押し付けるのは無知なのかもしれない。今の世の中の趨勢がそれと似た方向を向いているのを感じるだけに、騒ぐばかりの人々の行動には首を傾げたくなる。
潔いとか、諦めがよいとか、良い意味で使われることが多いだろう。その一方で、プッツンとか、切れやすいとか、同じように何かを止めたときにも、正反対の意味で使われる言葉がある。言葉だけ眺めても、結果だけ見ても、区別がつかない場合が多く、そこに至る経過を時間を追って眺める必要があるわけだ。
こんな話をすると、辞め方のことかと思われるかも知れないが、ここで取り上げたい話題はその逆で、如何に続けるかということである。執着の固まりのように扱われる人々は現実にはごく一部であり、一つことに落ち着かず、次々に興味の対象を移す人や、何でもすぐに諦めてしまう人が世の中に溢れている。いつの頃かそういう人々が目立ち始め、その様を表すプッツンという言葉が作られた。彼らは、自分たちの好きなように振舞うことを最善と教わり、それを実行に移しただけらしく、学校の中と現実社会の乖離に悩む人も出ている。しかし、悩むだけでは何も解決せず、同じ行動を繰り返すことには変化が出てこない。いつの間にかそれが当たり前となり、社会によってはそれを許容しようとする動きさえ出ている。すぐに飽きる人々を飽きさせないようにするのが組織の役割と、問題のすり替えを行うわけだ。実際には、好きなことだけは長続きし、飽きることのない性格の持ち主が多く、それに合わせてやるのが一番という考え方だが、何とも情けない人の育て方だと思う。多数の人々との関わりを保つことが社会で生きるための術だが、ここではなるべく狭い世界を築き、その中で上手く育ててやることを第一とするわけだ。これは、手を差し延べているように見えて、実際には、本人を小さな世界に閉じこめることに過ぎない。制限をかけるのは本人のためと言いつつ、無理を強いているのではないだろうか。それより、一つ一つのことに粘り強く取り組ませ、そこにある楽しさを実感させる機会を与えることの方が重要で、ある程度の時間が必要となることは致し方がない。はじめの小さな山を越えてこそ、次の段階に臨むことができるのに、それを越えさせないやり方は面倒なことを省く効率だけを目指すものとしか思えない。何でもかんでもこの調子で行くから、全体の動きが滞るわけで、その元凶であるはずの人々が気づかないばかりか、自分たちの省力化しか考えていないことが、現代社会の病巣の深さに影を落としている。
政治家がその職を辞す時には不祥事がつきものだが、意外な行動にはそんなものは必要ないのかもしれない。このところ事務所費なる話題が取沙汰されていたが、実際に何がどうしたのかを知る人は少ないだろう。話題になった事柄を一つ二つ覚えておけば、会話は十分に成立し、体制を批判することが出来るのだから。
政治家ばかりでなく、人はそれぞれに儲けを得たいと思うものだろう。世の中の制限が全て無くなれば、おそらく想像を超えた横暴が罷り通り、下にいる者は大きな被害を受ける。力関係がはっきりした世界ほどこういう制限が必要であり、それに則った行動が義務づけられる。しかし、その中でも何とか自分達に都合のいいやり方を模索し、場合によっては制限をかける人間をも巻き込んで便宜を図ろうとする人間が出て来るものだ。汚職と呼ばれる事件は過去も現在も数多くあり、その違法性を論じることがある。特に、監督官庁の関わりは直接的だから疑問の余地も出ないが、政治家の関わりとなると微妙な点が多くなる。そのため、多くの場合は直接的な関与の証明より、関わったかもしれないという可能性を報じられることによって、職を辞すところに追い込まれるようだ。今日の言葉をぱっと見た時に、そんなことを思い出す人がいるかもしれないが、事件自体は20年以上前の出来事で、忘却の彼方にあるのかもしれない。言葉自体は事件の発端となった組織の名称にあるだけで、その本来の意味に言及することも少なかっただろうから、何を指しているのかわからない人もいるだろう。糸を撚ることを意味する言葉で、繊維業界では重要な工程の一つである。この過程によって、糸の強度が増すだけでなく、風合いも変わると言われているが、そこまで詳しいことはわからない。そう言えば、糸だけでなく、金属でできた繊維状のものも撚りがかけられており、強度を意図したものと思われる。事故が絶えない昇降機の話題も、管理体制のみならず、素材の問題にまで欠陥が表面化し、何処がどうしてそうなるのかを理解できなくとも、何となく危ないということだけは解る。三本の矢を束ねたという武将の話を思い出さなくても、束ねることによる強化は理解できるが、さて撚ることによる効果は何か、すぐには思いつかないかもしれない。経験と工夫が産んだものだろうが、様々な応用があることは、そこに重要な意味があるからだろう。
意外性のみで人気を取っていた人から引き継いだ地位を守るために、真似事を続けた人はついに舞台を勝手に降りてしまった。これも意外性の現れと言えなくもないが、ここまでの展開同様、論理性に欠ける考えから産み出されたものとしか思えない。狂気に近い行動の元となったのは、猿真似だったのかもしれないのだ。
身振り手振りで誤摩化した人は、綻びが露になる前に舞台を降りた。破壊行為の限りを尽くし、その結果が出る前に役目を終えたとする論理は理解不能なものだが、現代社会ではそれを潔しと見なすらしい。その経過は続く者に遺産として引き継がれ、負の螺旋に落ち込む姿が一部で予測されていた。生け贄の台を築いた人間が自分自身で乗ること無く去り、勢いで乗った人間は儀式の途中で走り去る。茶番としか呼べない劇は次の段階を迎えねばならないが、さて、生け贄に自ら名乗り出る人間がいるのだろうか。まさか、渦中にある人々はこんな演劇を思い描いてはいないだろうが、そんな見方ができそうな雰囲気である。もう少し様子を見ていないといけないのだろうが、これまでの展開はまさに頭を無くした組織の行動様式であり、制動の利かない車の暴走の如きものである。手放しで運転していた人間が、突然飛び降りてしまったとき、車に乗っている人々はどうするのか、そんな感じさえしてくる。苦言を呈することの重要性を噛み締めた人は多かったと思うが、結局、誰も責任を負わず、誰も責任を負わせなかったことで起きた出来事であり、組織全体に大きな欠陥を抱えていることが明白なわけだ。指導者と呼ぶ必要は無く、陰の権力者でも良いのだが、そんな存在が常に支えていた組織が、表舞台での演技以外に影響を及ぼす術が無く、身勝手な行動が許容されるようになっては、何処に向かうのか誰も知らないことになる。暴走車の運転者が代わったとしても、こんな状況では根本的な変革は訪れない。まさに、破壊者の思った通りの結果となり、狂気の沙汰が次々に起こることになる。それを招いた人々が、再び動きを起こそうとすることは信じられないことだが、無知蒙昧にとってはすがる存在が必要なのだろう。渋い演技と同じように、大袈裟な身振り手振りではなく、そこから滲み出る雰囲気を伝えるような、そんな人が登場しない限り、この混乱は収まらないだろう。以心伝心、言葉に出さずとも伝わることは沢山あった。それができる人がいるかどうかわからないが、少なくとも、大根役者の再登場も下らないし、まして大部屋の連中の出る幕ではないのである。
特別な関係にあることを自慢するのはどうかと思うが、人間関係が重要になることは多い。困った時に救ってくれた友人関係や、新たな展開を模索する時に役立った人脈など、人それぞれに何か経験しているものと思う。これが私腹を肥やすためや、私利私欲に走った時に役立つものでは、どうかと思えるけれど。
特別な関係が特に問題になり始めたのは、違った世界の間の癒着が取沙汰された頃だろう。取り締まる側と取り締まられる側の結びつきは、どう考えても怪しく見えるものだし、何の思惑も無しに金銭の授受が起こる筈も無いから、疑われても仕方の無いことだ。しかし、そういう計算の上での付き合いとは違い、長い期間を費やして築かれた信頼関係は、利害とは違ったもので結ばれたものだろうから、そこに疑いの目が向けられたとき、嫌な思いが過るのではないだろうか。どこに線を引くのかは、人それぞれの感覚であり、それが一般常識とずれていても、本人にとっては間違ってはいないのだろうが、度が過ぎると釈明の余地も無くなる。折角築いた強固な信頼関係も、ひびが入れば、崩れるのは簡単なのだろう。一方的に持ち込まれた利害は、裂け目を入れるに十分だろうし、一度入ったものを修復することは難しい。そんな流れで崩れた関係は、これまでに何度も取り上げられているわけだ。それが頻繁であるからか、正常な関係を保っている場合にも、疑惑の目が向けられ、あらぬ誤解を受ける場合がある。捨て置けば良いという時代は過ぎ去り、すべての誤解を払拭する必要がある時代には、何とも非効率的な手立てが必要となるわけだ。こんな中では、全てが仕事上の関係となり、利害を常に考えねばならないものとなりかねない。何とも窮屈な世の中になったものだ。
この国の主要農産物の一つである米は、やはり話題の中心にあるようだ。流石に驚いたが、ついには温暖化の影響を示す指標として紹介され、それも味覚との関連となるから、首を傾げてしまう。これまで人気のあった産地が凋落の一途で、同じ銘柄でも異なる産地のものが好まれるという。情報操作でなければ良いのだが。
米の味を決める要素は幾つもあり、人それぞれに感じ方が違うようだ。それでも、信じる者は何とかの喩え通り、宣伝による効果は絶大で、心理的影響の方が大きいのかもしれない。そんな中で、上にあるような情報が流されても、俄には信じ難く、更にそれが気候変動と結びつけられると、疑いが深まるばかりだ。それにしても、こんなことを論じられるというのはある意味豊かな証拠であり、食うに困るほどの貧乏とは無縁に思えてくる。食べ物に対する執着が収入の多寡によるところが大きいことは隣国からの情報でも明らかで、通常より一桁上の値がついた米を買う人々がいるのだそうだ。余裕という言葉が当てはまるかどうかはわからないが、兎に角そんなところに使う金も出てきたのだろう。美味しいものが食べたいという欲求は常にあるものらしいが、無い袖は振れず、手持ちの金との相談になる。その状況に変化が現れた証なのだろうが、それにしてもそこまでの価値があるかどうか、人それぞれの感覚によるものだろう。では、それまで一般に売られていた米はどんなものか。人口増加の著しい国では、米を主食とする人々の数も急激に増し、それに見合う量の供給は重要な課題となっていた。そのため、収量の大きな品種を導入し、品質は二の次となっていたわけだ。この問題が表面化する以前、この国からそちらに向けてある品種が伝えられたことは余り知られていない。減反政策が断行されていた頃、国の研究所で開発された品種は、まさに収量の大きなもので、当然のことながら無用の長物と扱われた。折角開発したものを捨てるのもという考えからか、それは隣の国に伝えられ、かなりの量の栽培が行われたようだ。そこに目を付けたのが、儲け話にすぐに乗る海の向こうの大国で、回り回ってこの国に売り込みにきたという話が笑い話として伝えられている。味は兎も角、この品種の難点は種が発芽しないことであり、農家は一度導入したら毎年種苗会社から種を買う必要がある。それが意味するものを考えればすぐわかることだが、経済観念からは違った解釈が出来るというわけだ。そこまで毒されてはいないと突っぱねた人々が偉いのか、はたまた見込み違いだったのか、今後の展開を見るべきかもしれないが、いずれにしても、すべてが金勘定という考え方の恐ろしさが垣間見える気がする。
辞書を眺めても、一言も出てこないのでは話にならない。ここで止めてしまうのも良いが、折角ここまで来たのだから、飛ばしてでもという気も起きる。ナ行の言葉は極端に少なく、その中でもヌとノは更に少ない。ここは飛ばして次へ行くことに決め、今週はその間にあるネを取り上げることにしよう。
自分勝手と言えばそれまでだが、まさに勝手な判断である。自分がやっているのだから、勝手にできると言うと、まるで開き直りのようになるが、そんな感覚を持つのは古い人間であり、今の世の中では当たり前のことかもしれない。客のように扱われることに慣れた若い世代では、常に自分の方が上の立場と錯覚する人が多い。組織に入ってもなおそんな調子だから、周囲との軋轢は高まるばかりで、修正が入る余地もない。教えを乞う場でのそういった感覚は、労働の対価を得る場でも継続され、余りの傍若無人ぶりに叱責の声が飛ぶこととなる。幼少の頃からそんな経験のない者にとっては、問題の本質が見えないばかりか、恥辱の極みと受け取り、辞めてしまうことになるようだ。そんなことが日常的に起きることから、七五三と喩えられる行動様式は、本来ならば適応力の欠如が問題とされるべきなのに、組織の許容力の問題にすり替えられる。そこまで至れり尽くせりが極まると別の歪みが生じるのは当然であり、問題はこじれるばかりとなるのに、気づかぬ人々は暴走を続けているようだ。適応とは元々環境に合わせることから来ており、環境が思い通りにならないから使われる言葉である。解釈の問題と受け取る向きもあるようだが、ここでの流れは明らかに誤った方に向かっており、何とも情けない状況が生まれている。社会とは小さな単位から大きな単位まであり、それぞれに徐々に適応するのが普通だったのが、いつの間にか様相が変わったと思う人が増えている。依然として、この状況には変化が無い筈なのに、権利主張ばかりが罷り通り、無理難題が増えている。このまま行けばどうなるかは明らかだから、普通ならば止めに入る動きが歓迎される筈が、権利絶対主義者達には本質が見えないのだろう。丁稚奉公という名の下に、様々な訓練が行われていた時代には、同じような習慣が其処彼処に見られた。ある期間を設定し、その間は辞めることも許されず働き続ける。それがごく当たり前だった時代と、一部の権利だけが尊重される時代では、比較できるものも残っていないようだ。変な目標を掲げて暴走する連中を見ていると、隷属とまではいかないが、強制的な方法の復権を考えたくもなるものだ。