夏の間、山道を歩いていると、沢山の昆虫に出会う。全部を知っているわけではないが、時々あれだと思うと、嬉しくなることもある。ハナカミキリは種類が多すぎてさっぱりわからないし、蝶もわかるのは少ない。中に、道案内をすると言われる虫がいて、近づいて詳しく見ようとしても、中々できなくて困る。
実際にはかなり派手な恰好をしているので、すぐに何かはわかるのだが、色や形をもっと詳しくと思うこともあり、近づきたいのだが、すぐに先へ行く。道案内なのだから当然と言えばそうだが、それにしても、じっとしていてくれと思う。派手な色は、最近話題になることもある構造色だろうか。そんな気で追いかけても、案内は先へ先へと行ってしまうからどうにもならない。何となく、あんな色具合だったろうかと思いながら、いつの間にか消えてしまったことに気づくことになる。昆虫には構造色を使うものが沢山いて、特に光沢が強いものはほとんどがそうなのだそうだ。これも含めた甲虫類には特に多いらしいが、そういえばどれもこれも派手に見える。硬い体だからこそ、構造も強固で安定した色が再現できるのだろうか。原理も何も知ることなしに、上手く使うところが生き物の巧みさだろうか。遠くからでも判別できることを利用するのならまだ理解も出来るが、構造色を使う虫が全てそういう習性を持っているとも限らないようだ。道案内も、何故、こんな色を使う必要があったのか。そんなことを考えても、特に何かを思いつくわけではないが、ちょっとした気晴らしぐらいにはなるのかもしれない。たとえ山の中とはいえ、炎天下に歩くのは疲れることもある。そんな時に、虫が出て来てくれれば、気が紛れるということだろう。あっちは、そんなために跳んでいるのではないのだろうけど。
凄惨な事件が続くと当たり前のことがそうなっていないことに気づかされる。見ず知らずの人間に危害を及ぼす狂人のことはさておき、知人や家族を相手に事件を起こす人々のことが気になるのだ。人と人との繋がりを表現するのに絆という言葉が頻繁に使われるが、これは元々家畜を繋ぎ止めるものを表していた。
それが転じて、人との繋がりを表すようになり、切っても切れないという関係を示すことになったわけだ。今、その関係は容易に断ち切れるようになったかのように、事件は伝えている。しかし、その一方で、身の回りを見渡してみると、そんな凄惨な話とは無縁な家族関係や友人関係ばかりで、どこ吹く風にも思える。この違いは何処から来るのか、そんなことを調べようとする人々もいるようで、その多くは、家族関係の崩壊が発端と結論づけている。では、その発端は何処から来るのか、更に前の世代にまで遡ることの必要性を訴える人々もいれば、今そこにある家族の形態に問題を見出す人もいる。論理的には容認できるものの、前に戻れと言われては、どうすることもできないわけだから、やはり目の前の出来事について何かを考える必要があるのだろう。ただ、大多数の家族という単位では、事件のような極端な状況が存在するわけでもなく、ただ毎日平凡な生活が営まれている。そこに違いを見つけ出したとしても、極端な例は単なる例外として扱われるべきで、成果は上がらないのかもしれない。その一方で、警告を発している人たちは、安全に見える人々もほんの小さなきっかけで陥る危険性を孕んでいるから、それを未然に防ぐ必要を主張しているようだ。そこで論じられている中で、特に強調されているのは、団欒という雰囲気である。家族が作り出すものの中で、最近失われているように見えるものの一つであり、その喪失が全ての歪みの根源になっていると見なすわけだ。家の中に立派な食卓があっても、そこに全ての構成員が集まることの無い家族。そんなところに危うさが潜んでいると言われる。もっと小さな場所に肩を寄せあうようにして生活した時代には、あり得なかった形だけの単位がそこにある。小さな、卓袱台と呼ばれたところに広げられた皿には、個々に分けられていない食べ物が載り、それを仲良く分け合って食べていた時代から、分配も競争も無く、個別に分けられた食べ物を、各自勝手に食べている時代となり、繋がりが薄れたと言われる。今更そんな状況に戻しても、上辺だけの芝居にしかならないのだろうが、それさえできない環境はやはり荒廃したとしか言えないのではないか。
金銭価値でものを計る時代なのだろうか。誰にでも理解できるのは数字、というわけでもあるまいが、そんな価値判断が横行している。その一方で、尺度の無い判断基準は嫌われ、それ自体に意味が無いように解釈されるようになる。わかり易さが万能と見なされる時代には当然のことかもしれないが、何処か狂っている。
猫はちょっと違うかもしれないが、犬は飼い主に忠実であると信じられている。その証拠に、信用していた人間に裏切られたとき、飼い犬に手を噛まれると表現する。それだけ主従関係が明確なわけだが、それに比べて猫と飼い主の関係はもっと緩やかなもののようだ。恩を受けたとき、それをどの位の重みに感じるかは、人によって違うだろう。以前ならば、それで話は終わったのだろうが、今は、その重みはどの程度の価値があるのか、という話に発展しかねない。自分の感じた恩の重さを、他人にわかるように説明するのは難しく、ましてや何か別のものと比べることなど無理なことだ。にも拘らず、それを金銭と比べろとなるのだから驚くばかりである。逆に言えば、そういう置き換えができないものには価値が無いとなるわけで、何とも恐ろしい世の中になったものである。こんな書き方をすると、そんな筈は無いと言われるのだろうが、一部の良識ある人間を除けば、そんな尺度を好んで使う人が増えているのである。時間をかけて説明すれば、理解してもらえるのかもしれないが、中々難しいことが多く、つい短気を起こして、中途半端で終わらせる。本来ならば、気持ちの問題として片付けるべきものを、そんな形で変換しようとするから無理になるわけで、始めから無理難題でしかないわけだ。そんな考え方が一般的になると、全ての判断がそれに基づくようになり、恩と儲けの交換を考えるようになるのではないだろうか。その現れが飼い犬云々の表現で戒めを込めて語られるのだろうが、そろそろそんな言い方も過去のものとなりつつある。恩を売る方が強く出るようになったのに対し、売られる方が何も感じないのは、そこに考え方の転換があったからのようにも見える。簡単に判断できることが重要で、表に現れるものが大切であるという考え方には、何処か危ういものを感じるが、そんな考えも過去のものとなるのだろうか。
新しい電化製品を買う度に戸惑ったことがあるだろう。ボタンが多すぎてわからないとか、見たことも無い機能がついているとか、そんなところから始まり、やっとのことで決断して読んでみた説明書が何の役にも立たないことに気づいて、溜息を漏らした経験もあるのではないか。技術の進歩と言えばそうなのだが。
新製品を開発する人々は、二つの方向を目指すものらしい。一つの機能をより良くする方向と、新たな機能を付加する方向である。どちらも技術的には難しいものなのだろうが、利用者にとっては全く違った効果を及ぼす。性能が向上する場合、そこに違いを認めることは容易であり、そこを了解して購入する人が多いのに対して、別の機能が加わる場合、何が違うのかを理解することが難しく、新しいという点だけで購入を決断する人が多い。当然、開発の意図も異なっていて、技術の向上を目指す方向と、多様性の向上を目指すものとなる。ただ、普段使っているものに対しては、多くの人は余計な機能の付加より、性能向上を好む傾向があるのでは無いだろうか。現実には、何処までも性能を高めることは困難だから、機能付加を解決策として採ることが多い。そういう意味で、使う側は少数の機能で満足するのに対して、作る側は多機能を目指すところが多いようだ。この傾向が高まるにつれ、人間社会の流れが逆方向に向かったように見えるのは何故だろう。多機能とか、あらゆる用途に使えるといった便利さを売り物にする製品が社会に溢れてきたのに対して、使う側である人間達は、ある目的を持ち、一つの才能のみを伸ばす環境におかれてきた。機械がマルチタスクになったのに、人間がシングルタスクになったのでは、何の意味も無い筈だが、そんなことが起きてきたように見えるのだ。大した才能も無い人間にとって、何かしら自分の売りと言えるものを作ることは重要に思えるのは無理も無いことだが、それだけを目的として子供の頃から様々なことに取組んだのでは、応用が利かず、対応力の無い人材しか育たない。まさか、その欠陥を補うために、多機能の機械が導入されたわけでもないだろうが、そんな風に見えなくもないのだ。自分の可能性を信じれば、多様な興味を抱き、多方面に働きかける気持ちを示すことが簡単にできる筈だが、現代社会は何事にも無理は禁物となるらしい。自らの可能性の芽を摘む作業に勤しむ人々を見ていると情けなく思えるが、そう仕向けているのは彼らの親の世代であり、行く末を心配する人々なのである。本当の心配とはどんなものか理解できず、親心を振りかざす人々に、どんなことが起きるのか、そろそろ明らかになりつつあるが、彼らに振り回され、一つの事しかできない人間になった人々は、これから先、何処に向かって行くのだろうか。
隠居とか引退とか、響きが良くないと思う人が多い。では、後進に道を譲るだったらどうだろう。印象が少しは良くなるのだろうが、現実にはそれも嫌だと思う人がいる。兎に角、全てを自分の手で行い、自分の思い通りに運びたい、そんな思いで自身の道を歩んできた人々にとって、道を誰かに譲るのは無理なのだ。
寿命が延びた現代では、隠居と言っても、おそらく退職の時期、場合によっては、更に先まで延ばされるのではないだろうか。昔の物語を読むと、遅くとも五十、時には四十そこそこでご隠居と呼ばれるようになった人が登場する。息子なりに店を引き継ぎ、そこから先は、悠々自適な生活を、といった感じで書かれているものが多いが、生涯現役を自称する人々は、こんな話をどう考えるのだろう。時代錯誤もいいところ、と受け取る向きもあるだろうし、全く別世界の出来事、と思う人もいるだろう。いずれにしても、自分とは違う世界の話であり、比較の必要も無いと思うのではないだろうか。では、こういう人々の上の世代はどうやってきたのか。必ずしも、同じ道を歩んできたわけではなく、彼らに道を譲った先達もいるだろう。同じことをする必要は無いとはいえ、自分達の思うやり方をあくまでも貫こうとする人々には、何か思うところがあるに違いない。しかし、齢を重ねるに従って深まる技がある一方で、失われるものも多く、何処かで自分なりの線を引かねばならない時が来るものだ。いつまでも先送りを繰り返す人々には、そんな時期を迎える気持ちは無く、何とか現状維持を願うようだが、周囲から見れば何とも言えない悲壮感さえ漂うことがある。人それぞれに意見は違うようだが、言葉として残ったものには、そんな気持ちが込められたものもあるのではないか。皮肉を込めての言葉がある一方で、自らを省みる気持ちを込めたものがある。全ての場合に当てはまるわけではないだろうが、そんな言葉を使うことさえ憚られる状況を招く人々に、誰がどんな形で働きかけるのか。次の世代に預けられた役目なのだろう。それを当然のこととして執り行うか、はたまた、遠慮や尊敬という形で回避するかは、その世代に課せられた課題の筈だが、世の中を見渡すと、上が決定権を持っているようにも見える。
自分の考えを言えと言われて、一生懸命考えて言ったら、下らないと否定される。こんなことの繰り返しに嫌気がさした人が多いだろう。自主的とか、主体的とか、そんな言葉が上辺だけのものに思え、用意された答えに向くように仕向ける教師に落胆を覚えたこともあるのではないか。何故こんなことが起きるのだろう。
一人一人の考えを重視するのが当たり前の時代には、自主の重要さを敢えて示す必要は無かった。いつの間にか、団体行動が中心となり、そこから外れることが禁止され、自分から行動を起こす子供は厳しく罰せられるようになった。そうなると、自主を表に出すことは困難となり、ある意味従順な子供達が育てられることになる。その異様さに気づいた人々は、自主や主体の重要性を強調し、それを教育の場に採り入れようと働きかけたのだろう。結果として生まれたのは、矛盾に満ち溢れた仕組みであり、一方で団体の行動を、もう一方で個人の行動を中心とする考えを強いられることになった。何とも不思議な様相だが、現場ではそんなことを考える余裕も無く、ただ、闇雲に上からの命令に従うこととなったらしい。そんな時代に育った人々は、初めに書いた状況を経験し、その矛盾に心を悩ませたのかもしれない。しかし、馴れというものは恐ろしいもので、いつの間にかそれが当然となり、その中で自らも役を演じているような気持ちになったようだ。自分で考えたふりをしながら、何処かの誰かが論じた話を引き合いに出す。それによって、相手を納得させ、自分の役割を果たすことを目指したわけだ。こんな人々の間では、自分が考えたことより、誰か他人が、それも有名人ならその方がより良いのだが、言っている話を、理解したかのように吹聴するのが、正しい答えを導き出すのに適していると思うらしい。他人の考えを理解するのは、自分の考えを築き上げるより、更に難しいことの筈が、彼らにとっては全く正反対に思えるのだ。何でも知っているかの如く振る舞う人々の多くは、何処かで聞きかじりした話を、さも全てを理解しているかのように雄弁に語る。そこには自分自身の考えは微塵も存在せず、ただ単に噂や流言に振り回されている人間の姿があるだけである。驚くべきは、そういう人々の誇らし気な語り方であり、自らの無知をさらけ出す心情である。自分の考えは批判されるが、他人の考えはたとえ批判されても、自分の責任は無いと思うのかもしれないが、それを引き合いに出した人間の責任は確かに存在する。少し考えればわかると思うのだが、その辺りの回路が長年の訓練で切れてしまっているのだろうか。
悪く言えば西洋かぶれだろうか、ハイカラという言葉が流行したのは明治か大正の頃だろう。語源は何かと問われて答えられる人も少ないだろうが、high collarなのだそうだ。文字通り訳せば、丈の高い襟ということだが、和装と比べて洋装はどんな具合か思い出してみると何となくわかるような気もしてくる。
当時、呼称として色々なものが出てきたのだろうが、その中で残ったのはこれというわけだ。おそらく語感が良かったのだろうが、本来の意味は何処かに吹っ飛んでしまった。外来語を巧みに採り入れることがこの辺りにも伺えるが、その続きがあると聞いたら、どんな反応が返ってくるだろうか。響きが似ていて、意味が正反対なもの、と言われても、すぐには思いつかないかもしれないが、上品な様子を伝える言葉に対して、粗野な雰囲気を表す言葉なのだそうだ。世の中の流れについて行けない人々や敢えて反発する世代を指して使われたようで、当時の高等学校の様子を伝えるために使われたようだ。ここまで来ると英語の単語がもつ意味は全く意味を成さなくなり、ただ単に語呂合わせのようなものになっている。それにしても、こちらの言葉が生き残った理由は、やはり元の言葉同様に響きが良かったからだろうか。どちらにしても、時代の流れには勝てず、言葉が指し示す対象がいなくなった現代社会では使う機会も無い。世間に対する反発という行動様式は、今でも若い世代にある程度残ってはいるが、遠慮がちで行儀のいい雰囲気では、とても当てはまらないように思える。粗野な行動には破天荒な印象が伴うが、普段は大人しく、突然爆発する人間には、違った言葉を当てはめるべきだろう。それに、現代の人々がこの言葉から連想するのは、精々応援団のような存在であり、その姿から浮かぶ印象でしかない。そういう意味では、本来の意味は既に死に絶えていて、別の意味が当てはめられており、それさえも使う機会を失ったものと考えるべきなのかもしれない。