規制緩和、今ではごく普通に使われている言葉だが、二昔前だと、そんな言葉が使われることもなかった。貿易の不均衡から始まった外圧は、様々な形で外国の企業が参入できるように便宜を図っていた。それだけそれまでの規制の網が細かかったからだろうが、そんな動きが始まったのはもっと昔のことだろう。
発祥は大正時代に遡るらしいが、「季節的簡易宿泊所」と表現される場所は、旅館やホテルとは違い、通常は農業などを営むところが、ある時期に宿泊客をとる場合を指すようだ。四十年ほど前にはかなりの活況を見せていたが、その後衰退し、続いてカタカナ言葉で表現されるものに置き換わったように思う。専門の場所とは違い、扱いや食事は今一つだが、安価で宿泊できることが特長だった。当たり前のことだが、段々と商売慣れをしてくれば、様子に変化が現れるわけで、特長が特長でなくなり、何となく雰囲気が変わり始めると、客足も遠のいたのではないだろうか。いずれにしても、副業としての存在が専業のようになり、それに頼る傾向が強くなっていた人々にとって、客が来なくなることは死活問題であり、様々な対策が講じられたようだ。ただ、あまりにも昔のことで、殆どの人が忘れているのではないだろうか。経済が右肩上がりの時に、何でも豪勢な振る舞いが好まれ、質素な雰囲気のするものを避ける傾向が出たとき、何となく目が向かわなくなったのが、一番の要因かも知れない。その後、経済の破綻が起きたときには、旅行をする余裕もなくなり、結局復活する機会を失ったのではないだろうか。最近は、別の趣向を凝らしたものが登場しているようで、体験型と称される、単なる宿泊施設とは異なる形態のものがあるらしい。これも付加価値というのか、何とも不思議な感覚だが、こうでもしないと一度遠のいた客は戻ってきそうにもないのだろう。以前とは世代も異なっていて、そんな時代のことを知らない人々がやってくるのだろうが、兎に角、以前にも増して過疎化が進んだ地方にとっては、大切な取り組みの一つなのではないだろうか。醒めた目で見つめてみれば、わざわざそんなことをしなければできない体験とは、どんなものなのだろうか、と思えてしまうのだが。
標準語というものが編み出され、それまでの地方ごとに異なる言葉と置き換える政策が実行されたとき、共通の認識は芽生えたのだろうが、一方で失われたものも沢山あった。それでも、放送網が整備されるまでは、普段の生活が主体であったから、方言が失われることはなかったが、もうかなり消失してしまった。
中央集権を確立するためには、言葉の壁を取り除く必要があり、そのためにかなりの時間を注ぎ込んだ。その結果、ある程度の訛りは残るものの、互いに理解不能に陥ることは少なくなり、誤解も減っただろう。ちっぽけな国といっても、さらに小さな単位に分かれ、それぞれに独特の言葉を作り上げた歴史は、そう簡単には覆すことはできない。そう思われたのかも知れないが、放送によっていとも簡単に変えられてしまった。今では、どんな田舎に行っても通じる言葉があり、それなりに意思の疎通を行うことができる。しかし、その一方で、古くから使われてきた言葉の多くが失われ、それぞれの地方でも、一部の人にしか通じないというものが増えている。日常会話で使うものは多く残っているのだろうが、生活様式の変化とともに、言葉で表現すべきもの自体が失われてしまうと、無くなるのも当然だろう。標準化は少しずつだが、確実に進行し、戦後急速に浸透した。その原因はテレビの普及にあり、全ての文化が一極集中しているかのような扱いによっていた。一概には言えないだろうが、こういう扱いが都会より田舎が下にあるような錯覚を植え付け、自分達が築き上げてきた伝統が打ち棄てられることとなった。それは言葉だけに留まらず、文化全体に波及し、見向きもされないものが増えた。さすがに、ある極端に達すると違和感を覚える人が出てくるもので、失われつつある伝統を復活させる動きが急となり、祭りや芸能に再び光が当てられるようになる。そうなれば、言葉そのものにも目が向けられるようになり、昔話を始めとする土着の話題を土地の言葉で語る運動が全国各地で盛んになった。ただ、一度失ったものを取り戻すことは難しく、口伝えで残されてきたものは人という媒体を失ってしまえば、それまでである。一部の長老が関わることで掘り出された話の中には興味深いものが多かったようで、今では随分評価されているようだ。国策とはいえ、こういったものを捨て去るようにし向け、自分達の根っこを見えなくすることは、様々な障害を産み出す。強制的な動きがなければ実現しないことだが、その代償は大きいということだろう。更には、それに気づくまでにかかる時間は別の問題を生じることにも繋がったようだ。
「みん」という音から始まる言葉となれば、やはり「民」が多くなるのはやむを得ない。だから、民衆や人民、果ては国民という具合に、一般大衆を対象とした言葉が次々登場するのはごく当然のことだ。ただ、改めて眺めてみると、今の世の中ではこれらの言葉を都合のいいように使っていることがわかる。
民衆の代表を自負する人々にとって、後ろ盾を意識するのは当たり前のことだろう。しかし、意識の中でもたとえば欲望が渦巻く領域では、かなり違った形で表現されることが多くある。如何にも弱い者の味方のように振る舞うが、その実、正反対の政策を誤解に基づいて主張しているし、人気取りに走るばかりで、全体の調和を図れぬ人も多い。前回の選挙以来、捻れ国会などと評されているが、この原因となった人物もそういった感覚の持ち主だったのだろう。既に過去の人として扱われているだけでなく、まったく見向きもされなくなったことは、それらの行状に対する社会の反応の表れだろうが、これが少なくとも6年の間継続されることを考えると、仲間内からの冷たい視線も正直な反応なのだろう。ただ、このような変化もそれぞれに確固たる考えを持つ人々の決断から起きたものならばいいのだが、現時点ではそういった評価は出されていない。何とも不安定で揺らぎやすい心の持ち主が、一時の気の迷いを起こしたとすれば、その代償としてはかなり重いものと言える。それもこれも、主権を持つ人々の判断によるものなのだから、その始末にも責任を持つべきだろう。しかし、喉元過ぎればといった風の言動が色々なところから出されていることは、肝心な感覚が失せてしまっていることを示している。権力闘争の一方で、目の前の損得で動き回る人々に、振り回される「民」では、何処にも主体がないことになる。それを煽る輩まで登場するようになってから、この傾向は激しさを増し、制御不能に陥ってしまった。自制を失った人々が何をするかは、多くの歴史が示しているはずだが、近視眼的な行動が大勢を占めるような時代には、経験を生かす動きが起こりそうにもない。
景気回復はまだ言えないのだろうか。それとも、言わないようにしているのだろうか。法人所得が最高を示したと言っても、幻だというのだろうか。ここまでやってきても、苦しい台所事情を訴え、負の連鎖を強調するとしたら、あまりに見苦しい感じがする。羮に懲りるのも大概にしておいた方がいい。
こんな話をしても、一部の勝ち組企業だけの話とかわす人がいる。確かに、現状を牽引しているのは彼らなのだろうが、その勢いに頼る企業が殆どではないか。そういう意味では、これは兆候ではなく、既に現実のものであり、そろそろ認識を改める必要があると思う。その上で、逃げ口上ばかりを並べている連中に、収益の還元や全体の調整を迫るべきだろう。経済が崩壊してから、活発だった組合活動は存在意義を失い、言われるがままの状況が長く続いた。その中で失われたものは大きいが、このまま服従していたのでは話にならないだろう。互いに実情を把握し、それを今後の展開に結びつけなければ、心理的な悪循環は断ち切れない。何から何まで配慮されることを待ち続けるようでは、そんな代表者の意味は無くなるからだ。税法上の問題も、今後さらなる論議を期待するが、消費に頼る徴収制度では、埒があかないと思う。従来の税制において、法人税や所得税という生産に関わる部分への課税は、確実なものとの認識があった。しかし、冷えた経済では逆効果と見なされ、税率低下を余儀なくされていたわけだ。ただ、必要経費の徴収には別の形態が必須と考えられ、消費税が引き上げられた。ところがその後の展開はどうだろう。何か袋小路に追い込まれていくような感覚を持つ人が多く、次の増税ではどうなることかと心配する向きもある。所得税率の引き上げは直接響くように感じられるから、有権者の顔色を窺う政治家は回避しようと努力する。そこで、隠れた税金としての消費税に注目が集まるわけだ。でも、現状を見る限り、そこに大きな矛盾が横たわっていることに気づく。経済が回復すれば、給料が引き上げられ、税率の上昇も補えるという考えが、何故嫌われるのか、よくわからない。この連鎖を始めるきっかけを失い、何とか逃げのびようとするだけでは、一般大衆の生活の程度は改善されるはずもない。逆に真綿でしめられるように、苦しさが増すだけなのではないだろうか。
「何とからしい」という言い回しは、他人のことを想像したり、漏れ聞いたことを伝えるときに使う。そう思っていたら、最近はそうでもないらしい。自分のことを他人事のように喋る若者が増えてきて、何処か醒めているような印象を受けるが、その一方で、無責任な感じも強い。誰のことかと聞きたくなる。
集団の中で巧く立ち回るためには、自分を目立たせないことが肝要という人がいる。確かに、攻撃は最大の防御という言葉通り、常に標的を探し求め、自分に火の粉がかからぬようにする人が多い。自分の考えを主張する場でさえ、誰か別の人から聞いたと思えるような表現を使い、出所をぼかす傾向がある。若者達は、表現方法で工夫をして、何とか自己責任を逃れる手立てを講じているようだが、年寄り共は、それとは違う方法を使うようだ。自分を含めたある集団の主張のように振る舞い、その中の一人を演じることが多く、皆がそう言っていると宣う。一般大衆的には、こんな表現が使われるが、それと一線を画したい人々は、また違った表現を使うのが面白い。自分はその中には含まれないが、大多数の人々はそんな意見を持っているようだとか、世論はこちらに傾いているとか、そういった言葉で言い表すことで、自らを彼らの代表として、その考えを推し進めることが使命とするわけだ。如何にも、何処か別の所から出てきたもののように扱っているが、実際には、自分の考えを出しているだけだったり、自分は逆の意見だが、大勢がそちらに傾いているので、仕方なく進めようとしている、といった雰囲気を出すために使う。こんな時に引き合いに出される人々もたまったものではないが、どうしたら自分の意見を押し通せるかが問題となる場合、この方法が頻繁に使われるようだ。特に、ある時期から政治家がこのやり方を使い始め、最近ではしばしば使われるので、違和感を覚えなくなった人も多いだろう。若者の他人事のような言い回しもひどいものだと思うが、こちらもかなり水準が低く、誰がどのように主張したとしても、それを採用する人が責任を持って、説明する必要は必ずあるはずである。社会全体が無責任主義のようになりつつあり、こういう行動に対して、苦言を呈することさえ面倒に思うようになっているのは、どうにも我慢ならないところだ。責任が生じたときの追求が厳しい反面、こんなところで責任回避を行っているのは、大きな矛盾と言うしかない。
公のやることには間違いがない。こんな主張をしたら、気が触れたかと思われるだろう。しかし、ずっと以前にはこんなことが公然と言われていた。理由の一つは、お上のすることに、という昔の考え方にあるが、もう一つは、その時代には企業の力が今ほどではなく、役所主導の部分が多かったからだろう。
経済発展が著しくなるにつれ、企業の力が増して、その役割は大きくなった。それに反して、公的機関の力は衰退し、法律による規制にしか影響力を示せなくなった。そこには活動範囲の制限があり、強大な役所が企業の活動の場を奪うことを妨げる仕組みがあったからだが、立場が逆転すると、そんな規制の意味は無くなってしまった。しかし、直接の関与を認める規制緩和に賛同を得ることは難しく、活動形態として新たなものを導入する試みが始められた。公的なものを第一セクター、企業サイドのものを第二セクターとすることから、第三セクターと呼ばれた領域は、それまで燻っていた不満の捌け口のように一気に拡大化し、多くの資金が注ぎ込まれた。このまま順風満帆に進めば、何も問題は起きなかったのだろうが、責任の所在が不明確な放漫経営と、頂点に近づいていた経済成長のその後の急落によって、多くの負債が産み出され、次々に消滅していくところが出てきた。それでも、最近の報道を眺めていると、まだ多くのものが残存しており、注目度から言えば、順調だったり、存続できるところは無視され、悲惨な状態のものだけが取り上げられることになる。色気を見せて、本業と違う分野に進出したこと自体が間違いと指摘する向きもあるが、当時の情勢を見れば、今更こんな指摘をしても無駄に思える。また、当時、批判した人々からは主張通りという声が聞こえるが、これとて、なにをかいわんやである。反対することの重要性は始めるまでのことであり、走り始めたあとでは改善策の議論に移る必要がある。それをしてきた人々は、今更主張通りとは言わず、別の展開を示すはずだ。要するに、仕組み自体の問題も大きかったのだろうが、それ以上に、計画そのものだけでなく、その動かし方に問題があったわけである。倒産したところを企業が引き継いで、再生しているところもあるから、全てがそうだとは言えないまでも、そういう工夫の余地はあったのだろう。餅は餅屋を忘れて、欲に駆られると、ろくなことは起きないわけだ。
肉筆の手紙を受け取った途端に、驚きの反応が戻ってくる。乱文乱筆などという常套句が使われなくなってから、どの位経ったのか。郵便物を運ぶ組織が強制的な改革の嵐の下、変化を余儀なくされたとき、携帯電話からの文章を印刷物として配達する仕組みを導入した。画面と違う何かを意図したものだろう。
それにしても、文章を書くのではなく、打つという表現がぴたりとはまる世の中になったものだ。便利と一言で片付けることもできるだろうが、何かを失ったように感じる人も多いだろう。ただ、憂えている人々の多くは、今でも手書きの文章に拘り、送ることを心がけている。受け取る方がどう感じるかは問題ではなく、何かを感じる人がいればいい、といった程度の気持ちだろう。挨拶状が印刷されて届くにしても、そこに一文手書きの言葉が添えてあれば、何となく気持ちを受け取れる。そんな感覚の持ち主の多くは、自分が送るものに対しても、そんな気遣いを加える。効率ばかりが重視され、誤字脱字を避けるために手書きを捨てた人もいるだろうが、それはそれで人それぞれの考え方の違いだろう。ただ、自分だけはそうしたくないと思う心が、そんな行動を引き起こしているに違いない。書道やペン習字も、以前ほどは流行らなくなったようだが、今でも細々と続いているところを見ると、まだ、それらの大切さを感じる人がいるのだろう。一方で、印刷を書道風にするなど、便利なだけでなく、付加価値も備えたものが出回り、効率だけではないことを訴えようとする動きもある。なるほどと思う人もいるだろうが、何処か根本がずれたと思う人もいるのではないか。手書き風の何とかなんて、手打ち風のうどんのようなもので、所詮は似て非なるものとなるからだ。印刷や画面で眺めるものに対しては、こういう工夫が肝心なようで、読みやすい字体がこれまでも色々と編み出されてきた。文章の内容にもよるだろうが、人それぞれに好みがあるようだ。ネットを覗くときも、他の字体だと雰囲気まで変わってしまうことが多いから、ネットカフェなどから接続したとき、いつもと違う感覚を覚える。まあ、それはそれとして、それぞれの経験の違いから生まれるものであり、手書きと印刷の違いとはまた異なった感覚なのだろう。ところで、そちらの字体設定は、何になっていますか。