パンチの独り言

(2007年12月3日〜12月9日)
(蘭学、藍本、懶惰、濫觴、襤褸、爛爛、欄間)



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12月9日(日)−欄間

 この国の伝統的な家屋に住んでいる人がどれくらいいるだろう。その中で、部屋の中の場所やものの名前を知っている人はどれくらいだろう。大した数にはならないのではないだろうか。住んでいなくても、そういうものを知識として身に付けている人がいるかも知れないが、これも数少ないような気がする。
 集合住宅の多くは洋風のもので、純和風の道具を使うこともない。そんな中で育った人間にとって、三和土だの框だのと言われても、何のことだか分からないし、文字を読むことさえもできないだろう。伝統を大切にという声が聞こえてくる一方で、環境から学ぶ機会は激減し、馴染みのないものが増え続けている。そんな調子で伝統を語ることに違和感を覚える向きもあるだろうが、ごく普通の感覚なのではないだろうか。特別なところの特別なものという伝統もあるだろうが、家屋の中の様子にそれが当てはまるとも思えない。便利さや快適さを追求したことからこのような変化が起きたのだろうが、昔から制限のある中でそういった追求はなされてきた。夏冬による装いの違いなども、元々は快適さを追求したところから始まったのだろう。しかし、それによって得られる快適さは、環境を一変させることによって得られるものに比べて小さく、どうしてもそちらに流れてしまうのはやむを得ないことかも知れない。そんな中で天井を見ても、床を見ても、その間にある空間を見ても、随分と違った雰囲気が漂っている。何のためにあるものか理解できず、どう使うのかも分からないといった話も多く、伝統が身近なところから確実に失われていることははっきりと分かるわけだ。その一方で、身の回りでないところにある伝統を守り伝える話が出てくることに、何も感じないといったら嘘になるのではないだろうか。ここで紹介する言葉も、天井と鴨居や長押の間にあるもの、と書くだけで、昔ならばすぐに通じただろうが、果たして今の世の中で、それだけで思いつく人がどれくらいいるのだろう。まして、何の役に立つのかと問われたら、飾りと答える以外に思いつく人がいるのか、かなり心配になる。伝統は大切だが、遠いところにあるものではなく、身近にもあることに気づいて欲しい。

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12月8日(土)−爛爛

 適当な言葉を見つけて、語源は何かと調べてみると、また別のことに気がつく。一つの文字が正反対とも思える意味を持ち、それぞれが他の文字を伴って、言葉として生き残ってきているわけだ。語源としては、偏が意味するものに由来するのだろうが、それを起点として逆方向に想像が進んだからだろうか。
 炎がもつ妖しい力は古くから信仰の対象となってきた。流石に、ある程度操ることができるようになってからは、畏れの対象とはならなくなっただろうが、火事の現場を見ると信仰とは別にその力の凄まじさを実感させられる。そんなものを起源とし、出来上がった言葉には色々な意味が込められていて、始めに書いたような逆方向に展開されたものも多くある。火に当たることによってただれるという言い方をする一方で、炎がもつ妖しい光の意味が転じたものもあり、言葉の不思議さが感じられるものの一つかも知れない。四字熟語には前者を用いたものがあるが、後者の意味は今でも頻繁に使われる。眼差しの一表現に過ぎないが、そこには色々な意味が込められているように思える。野生の動物がもつ光と似たものを持つ人間とでもいうのだろうか、まるで中島敦の「山月記」にあるような話にも思えてくるが、いくら何でも目の前の人間に向かってそんな話をするわけにもいくまい。悪い意味では野性とか獰猛とか、そんな意味が込められていると思えるが、良い方は、おそらく積極性とか意欲といったものが浮かぶ。最近の若者に見られる傾向からすると、好きなことに打ち込んでいるときの目に通じるものがあるが、普段の彼らの目はまさに腐った魚のように見えて、何とも困り果ててしまうことも多い。そんな中に、時々、他と比べたら遙かに広い興味を示す人間がいて、期待を抱かされることがある。ところが、彼らの中で全く正反対の自己評価がなされていて、驚かされることが多々あった。それは、如何にも現代社会の問題なのだろうが、他と違うことに対する評価のことである。皆と同じことを必然の如く受け止めてきた人々にとって、自らがそれから外れていることは、誇ることではなく、恥じることだというわけだ。特殊性は歓迎されず、目立つことは忌み嫌われる、となれば、こういう結論もやむを得ないのだろうが、しかし、あまりに酷い評価ではないだろうか。ある程度の経験を積んだ大人ならば、そこにもう一段の解釈を入れられるのだろうが、それを知る由もない若者達は、自らの才能を開花させる機会を失ってしまう。それが社会からの圧力だとすれば、情けないことなのではないだろうか。これでは、一部の鈍感な人間のみが生き残り、多感な人間は去るしかない。輝いていたはずの目も、いつの間にか曇ってしまうことになる。

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12月7日(金)−襤褸

 若い世代には通じないかも知れないが、昔、こんな歌が流行ったことがあった。「ぼろは着てても、こころの錦」、人を身形や風体で判断するなということだろうか。高度成長を続けた時代、特に格差の広がりを実感する人が増えた。今、この歌を聴いて世間の人々がどんな思いを描くのか、興味の湧くところだ。
 形振り構わず走り続けた時代には、こんな歌が似合っていたのかも知れないが、安定というよりも限界に達したという実感があり、先行き不安が煽られる時代では、ぼろを着るのは経済状況の低迷の徴と思う人の方が多いのでは無かろうか。分相応な装いをすることは重要だと思うが、背伸びをした時期を経て、自分の落ち着く場所を見失った人々には、その判断基準さえも見極めがつかなくなったのかも知れない。この傾向は一時の勢いがあった人ほど強くでていて、おそらく大都会ほど極端な浮き沈みがあったのではないだろうか。だからと言ってしまうと短絡的だが、首都での電車内の人々の姿には、歌が流行った時代よりも大きな格差があるように見える。流行を追いかけることが義務のように思う人々には、背伸びをすることは当然であり、無理を承知などといった感覚もなかっただろう。ある日気がついてみたら、背伸びどころか、宙に浮いていたというのも強ち嘘でもないのではなかろうか。それに対して、流行の先端を自負する人々に羨望の眼差しを送っていると思われた、地方の大都会とか大いなる田舎と呼ばれる地域の人々は、今、全く違った傾向を示している。格差は当然にしても、地域全体として活気に溢れている中では、電車内の人々の姿にもそれが反映されており、総じてきちんとした身形をしているように見える。それも、狂想曲のような派手さではなく、それぞれに分相応な姿をしているのだ。ある巨大企業に支えられた地域という明らかに誤った解釈しかできない人々には、これが何を意味するのかを理解することはできない。商都と呼ばれる地域よりも更に厳しい商売を強いると一部で揶揄され、排他的と批判されるところでは、それぞれに堅実な商売、経営が基本とされてきた。食品、繊維業界にも数多くの有名企業を抱える地域では、既に商売の対象を最大の都会に移したとはいえ、基本姿勢には変化が見られない。そんな環境では、それなりの身形さえ整えておけば無難に過ごせるわけで、別の地域でぼろと見られるものでも、心の錦を誇っていれば、十分に通用するのかも知れない。姿形は心の鏡と思ってみると、見栄えの違いはそんなところにあるのではないだろうか。

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12月6日(木)−濫觴

 今週の言葉探しは中々面白い。読み手が同意するかどうかは分からないが、書き手にとっては楽しみである。言葉の時代による変遷を時々取り上げるが、それだけの積み重ねがあるからこそ、面白みのあるものが残ってくるのだろう。一時の持て囃されで意味深さが出てこないのは、そんなところからかも知れぬ。
 ただ、どんな言葉も新たに編み出された時には、殆ど注目されてなかった。一連の話の中に登場することで、全体の中に埋もれ、それが存在を許すようなこともあったのではないだろうか。その言葉自体はすぐに受け容れられなくとも、後世の人々がその意味を改めて考えることによって使用に踏み切る場合も多い。つまり、言葉は既にそこにあり、それを再登場させただけのこともあるわけだ。では、大元の起源となるとどうなるか。原典に当たり、そこに意図された意味を汲み取り、時代背景なども交えて紹介することが、意味深さや含意を伝えることに大いに役立つ。更に、零から作り出すのに比べて、原典の存在を明示した方が、権威付けの効果が期待できるところもある。こんな言葉の多くは元々意味を伝えるためのものだったり、説明のためのものだったわけだが、それが後になって、その意味するところを基盤として、新たな用法に結びつけられると、大きく様相が一変する。説明だけの役割が、意味を示すことになり、前後の脈絡無く、その言葉だけで独り歩きできるようになるからだ。周囲を見回してみれば、そんな言葉は至る所に転がっており、現代の言語が歴史の上に築かれたことに気がつく。何事にも始まりがあるとはいえ、その始まりの前に更に何かしら水面下での動きがあるとすると、それらの歴史についても、その長さや深さにこれまでとは異なる解釈が必要になりそうだ。そんな経緯を辿って地位を確立した言葉も、いつの間にか濫用の嵐に巻き込まれ、本来の意味さえ失ってしまうことがある。これも時代の変遷の成せる業と言えなくもないが、一方でその顛末を見る現場にいた場合には、何とも情けない気持ちになることも多い。何故、そのような転用の必要があったのか、おそらくその時代の人でさえ理解できないだろうし、新たな用法のためにその理解は必要ないだろう。何処かに消え去る言葉と共に、容姿を変えてしまった言葉があり、そんなものが埋もれた上に、今通用する言葉達が踊っているということなのかも知れない。

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12月5日(水)−懶惰

 いつの時代も語られる言葉に、最近の若い者は、という苦言がある。年齢は重ねていくものだから、この言葉の意味するところは、年配者から見れば若者は常に頼りないもの、ということになる。漱石もそんなことを書いていたように思うが、経験の浅薄さは常に明らかで、自らの経験の記憶ははかないものらしい。
 始まりの言葉は同じでも、その内容は時代によって違うらしい。熱心さが無いと評された時代もあれば、目標を持たないと言われたこともある。頼りないという表現は何かと比較して使われるものだが、それはあまりにも一般的なものだ。それに対して、それぞれの時代では具体的には少し違った様相を呈しているというわけだ。その批判の対象であった頃を思い出してみると、多くの苦言は仕事や勉学に対する意欲の低下に関わるものであった。やる気の無さが取り上げられ、将来に対する不安をかき立てていた。しかし、その根底にあったのは対象に対する理解不足であり、内容を把握するにつれて、徐々に意欲も高まっていった。そんな経緯を思い出してみると、心配され、意見されることは無駄ではなく、それを常に気に留めながら理解を進める姿勢を保つことは、非常に大きな役割を果たしたように思える。では、最近の傾向はどうだろう。まず始めに気づかされることは、若者の多くが真面目に見えることである。学校にしても、職場にしても、毎日熱心にやってくる。それが基本だから、基本のできている人々に期待する向きもあるが、現実には怠惰な人々より使えない人が多いから、驚かされるわけだ。この違いは何か、多くの評論が出されているようだが、核心を突くものは少ない。なぜなら、それらの多くが環境に原因を求め、その整備に意欲を見せているからだ。現実には、本人達の心の奥底を覗く必要があり、その分析によってのみ問題の本質を捉えることができる。問題となるのは、おそらく、意欲についてであり、参加への意欲に見える事が、実際には義務と解釈されており、その先への意欲には繋がらないことにある。一見、熱心に思える行動も、それが義務感に基づくものであれば、もっと細かく分析する必要がある。従来ならば、怠ける心が現れた段階が、一つ先に進んだことにより、如何にも本人には問題がないと思えるようになった。しかし、実際には、以前と変わらない理解不足がそこに存在しているのである。さぼろうとする心は、表面的には様々な見え方をするが、本質のところでは同じ形を示すわけだ。それを見極めることなく、ただ周辺整備に力を注ぐのは、大きな間違いだと思う。

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12月4日(火)−藍本

 何か分からないことがあったら、どうするだろう。以前ならば、辞書や事典を開き、意味を調べるのがごく簡単な方法だった。今でも、そういうやり方をしている人がいるが、それでも頁をめくる代わりにボタンを押している人がいる。更に別種の媒体の登場以降は、そちらに全てを頼る人が大部分かもしれない。
 調べ物で重要な要素も、以前ならば正確さが第一と思われていたが、最近はどうも簡単さが一番なのではないか。時間をかけてでも正確な情報を集めた時代は遠い過去のようで、今ではそこらに落ちている怪しい情報を判別することなく掻き集めている感じである。これが典型的なネット情報の活用法であり、情報の流し方も流す側が選別するのではなく、受ける側が判断する方が優先されている。だから、受け手が情報の真偽を判断しなければならないはずなのだが、その基準を持たない人が増えていることで、事態を混乱させているようだ。こういう仕組みの構築において、何が最も重要かという問題については、これまでにも色々と議論されてきたが、現状は送り手と受け手の認識の違いが大きくなるばかりで、どこにも妥協点が見出せない状況に陥っている。そればかりか、これまではそれなりに信頼されてきた媒体までも、同じような雰囲気が漂い始め、情報操作が当然のように思われるようになっているから、大衆である受け手は吟味力を高める必要性に迫られている。どうすべきかは個人の問題だが、鵜呑みを避け、疑問を挟む癖をつけるだけで、随分結果が違ってくるのではないだろうか。こういう中で、情報の真偽の問題とともに、その源流に対する無関心さを心配する向きがある。誰がいつ語った話かは重要でなく、見ず知らずの誰かがどこかで話していたらしいことを取り上げる。そこには原典に対する認識の薄れがあり、意見や考えに対する個人の寄与を無視する傾向がある。共有を基本とする媒体では、個人所有が馴染まないことは当然なのかも知れないが、だから剽窃が許されるわけではない。共有と言っても、そこには始まりがあることに認識を新たにしなければならない。青い色の元になる色は何かということから使われてきた言葉も、こんな時代には登場することが無いのかも知れないが。

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12月3日(月)−蘭学

 独創性を育てようとする教育が重視された。その一方で、独創は公教育で育むものではないとの批判もあった。結果は明確に示されたが、公でやることの難しさが如実に出た例だろう。但し、学校の場では無理、ということを示したのではなく、そこでも個を対象としたものであれば可能ということだろう。
 それにしても、何故に独創性というものがこれほどまで重んじられるのであろうか。確かに、他人にない特徴を持つことは、その人の独自性を表すことになり、全体の多様性を高めることにも繋がる。だからといって、全てが独自の集まりとなると、そこには繋がりや纏まりが全くないことになり、集団としての存在さえ危ぶまれるようになる。そう考えると、何事も極端は誤りであり、ある程度の共通性を含んだ上での差異が求められるべきと理解できる。しかし、始めに取り上げた独創性の育成に関しては、そういった配慮が殆どなく、自らの集団の月並みさを卑下した分析に基づく、乱暴な試みと言わざるを得ない。他との違いを際だたせるのは、本人の異常さではなく、皆と同じものを持ち合わせた上での、何かしら特殊な技術や能力の存在なのである。それを理解せずに、根本から独創であることを目指せば、ある意味「独走」となってしまい、集団全体との結びつきが無くなることを意味する。簡単に想像できるかどうかはすぐには分からないが、こんなところにまで議論の幅を広げて、先々の方針を決めてこなかったことには首を傾げてしまう。模倣が得意な国民と揶揄されるとしても、コピー商品を乱造している金儲けしか頭にない人々とは明らかに違うものがある。それは、他を真似るだけでなく、他から学ぶ姿勢が根本にあることで、そこには他とは違う状況への適用や応用性の問題が存在する。そういう意識を持って臨んできたことで、これまでの繁栄があったとすれば、闇雲に独自の道を築き上げようとするのは、明らかな間違いと言えるだろう。江戸時代に制限が厳しくなる中で、それまでとは違う国から様々な知識が持ち込まれたとき、そこには興味だけでは片付けられない何かがあったようにも見える。だからこそ、高度な技術や知識を吸収するだけでなく、それを自分達の社会に応用しようとする気持ちが表れていたのではないだろうか。これと同じ考え方は、いつの時代にも通用するに違いない。

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