パンチの独り言

(2007年12月31日〜2008年1月6日)
(わんさ、ワンマン、椀久、椀盛、湾岸、雲呑、腕白)



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1月6日(日)−腕白

 いよいよ最終回、最後に選んだ言葉はこれもまた死語となりつつあるものだ。聞き分けの良い子が好まれ、団体行動に従う者が尊ばれる世の中では、こんな小僧はお呼びではないのだろう。それはさておき、語源は何か気になったので少し調べた。二説あり、どちらとも言えないばかりか、その混合説まで飛び交うらしい。
 今、人々が懐かしく思い出す昭和中期、そこで当然だったものが、殆ど見かけられなくなった。どちらも子供の話題なのだが、一つは洟垂れ小僧、青っ洟を垂らしながら、元気に遊ぶ姿をとんと見かけなくなった。衛生管理や健康管理のせいもあるだろうが、冬の最中、半ズボンで走り回る子供は今や奇異の目で見られる。風邪を引かさぬように大切に育てられた子供たちは、とんでもない事件を平然と起こす。何かが足りない証拠ではないかと思うが、全てを満たしたのが原因とする人もいる。それぞれの資質によるところは大きいのだろうが、それにしても不思議な現象ではないか。もう一つは、ガキ大将を代表格とする元気な子供たちの存在だろう。全てを平等に扱うことの大切さを否定するつもりはないが、統率力のある子供の存在が疎まれる時代に、何処か異様さを感じているのは一人二人ではないだろう。責任感が何処から芽生えるのか、少し考えれば思いつくだろうに、そちらには目を向けず、ただただ集団全体での合議を重んじる。如何にも民主主義的に思えるやり方だが、実際には誰も責任を負わない仕組みを作り出すだけのようだ。他人と同じであることを第一とし、目立つことを見下す人々には、自ら提案し、自ら責任をとることは考えられないのではないか。子供の頃の行動が成人してまで影響を与えることはよくあり、それを実感する機会は多くある。それが分かっているにも拘わらず、子供たちにそれぞれに見合った役割を割り当てることをしないのは、何処かに歪みがあるように思えてならない。皆と同じことを望みながら、その一方で、抜け駆けを仕掛けるのは、一見矛盾した行動に思えるが、全体の中で埋もれるだけで、責任を感じる機会の無かった人々には、至極当たり前のものかも知れないのだ。三つ子の魂百までが全てとは言わないが、子供の頃の訓練はその後の道筋に大きな影響を及ぼす。並外れた能力を引き出すのではなく、凡庸でもそれぞれの役割を意識させる機会を持たせることの重要性を再認識すべき時なのだろう。

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1月5日(土)−雲呑

 本日のお題は決まっているものの、どうにも話題が絞り出せない。まあ、そんな日もあるさと流してしまえばいいのだろうが、あと二つというところで、そんなことでは何とも後味が悪くなる。ただ、このお題から思いつく話題がこれと言って無いものだから困るわけだ。中華絡みで何か考えるしかないのだが。
 中華料理の話題で思いつくのは二つあるが、どちらも今一つの感がある。新しい方は、マスメディアの威力を見せつけられた話で、麻婆豆腐に纏わることだ。ある場所に中華でも辛さを競う地方の料理を専門に出す店ができたらしい。そこでは本場の味を提供するとのことで、二つの辛さの違いを試すことができるそうだ。その時の体験者の話が興味深く、流石とテレビに出演していた経営者の名前を出していた。確かに、その店は彼が作ったものだろうが、本場の味をこの国に持ち込んだのは彼ではなく、その父にあたる人だ。ある年齢より上の人にとっては馴染み深い名前も、テレビで子供の方しか見たことのない人にとっては、見ず知らずの人のものとなる。二代目の苦しみを味わったのだからと助け船を出す人もいるだろうが、今の状況を見ると、そんなことは全く関係ないように見える。本場の味とは何を指すのか、それを持ち込んだ人なら分かるかも知れないが、その人さえ知らぬ人間には、どうだろうか。もう一つは、随分昔に聞いた話だが、本場という意味では似たところがあるのかも知れない。世界中何処へ行ってもそれなりの味が楽しめるのが中華料理の特長と言われる。多分、大部分の人はそれに同意するだろうが、それが通用しない場所もあるから面白い。海を渡って、いわゆるファーストフードがのさばっている国に行くと、事情は少々変わってくる。特に、移民が多い地域ではそれなりの質が保たれているものの、奥地に向かうと基準となるものが変わる。その地域に住む人々の味覚が基準となり、その料理が作られた国と大きく異なる場合も出てくるわけだ。人間の味覚で一番強いのは甘味と言われる。まさに、それを表現したのがその地域の中華であり、その独特の甘さは本来の味とは全く違うものを産み出す。それでも看板には偽りなく、そこではそれが本場の味と信じられているのだろう。料理とは所詮そんなものかも知れないのだが。

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1月4日(金)−湾岸

 言葉というのは、前後の脈略と無関係に存在するものではない。主語述語の関係で文章となることもあるし、他の単語と一緒になって熟語と呼ばれるものになることもある。辞書で調べる意味のように、如何にも絶対的に思えるものでも、前後関係から全く違う意味になったり、新たな意味合いを含むこともある。
 ここで取り上げる言葉も、以前ならば文字が表す通りの意味に使われるだけだったが、ある戦争をきっかけに特定地域を表す言葉として使われるようになってしまった。紛争の絶えない地域では、ちょっとしたことから小競り合いが国と国の間の戦争へと発展する。世界大戦と呼ばれるものも、実際には一触即発の状況下で、きっかけとなるものは何でも良かったのだろう。そんな見方をすると、この言葉から浮かぶ印象があの地域になってしまった戦争についても、施政者の気紛れのようなものが端緒だったのかもしれない。様々な要素が入り交じる中で、ある国のことを好ましく思っていない国の施政者が、その国の他国への侵攻に対して、大量の兵力を注ぎ込むこととなった。ただ、当時の状況からすれば、それまでの戦争と違い、局所的なテロが危惧されていたわけで、特に爆弾によるものが警戒されていた。つまり、本来ならば戦争地域だけに限られる戦いが、この頃から全世界に広がる可能性が指摘されていたわけだ。その時は結果的に何も起きなかったが、数年後度肝を抜かれるテロが世界的な大都市で起きることになる。当時もこれを恐れていたのかと思ったが、多分ここまでの悲惨さは想像を超えていたのではないか。次々に起きた戦争と一般人を巻き込んだテロ、それらのきっかけになったように見えるものに使われている言葉は、いつの間にか違う意味を持ってしまった。

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1月3日(木)−椀盛

 老舗、と言っても、ほんの数十年の歴史しか持たない、そんな店が騒動を起こした。見て美しく、食べて美味しいと世界的にも認められた伝統的な料理を、一つの商売として捉え、様々な形で市場に登場させる。市場原理、経済原理の基本とも言えるやり方は、創業者の商才にも支えられ、一気に花開いた。
 しかし、歴史の短さはその拡大路線に繋がり、後継者の不見識となって露見した。商売を商売として捉える限り、味そのものを追い求めるより、他のものを追求することとなる。料理本来の質よりも、一般大衆が喜びそうなものを前面に押し出し、次々と成功を収めてきた。確かに、一度掴んだ老舗としての評判は、そう簡単には崩れない。ブランド品を買い漁る国民性にも、うまく取り入ることができたのだろう。一流のものを出す一流の店として、ブランドとしての地位を高めていった。それでも、経済理念ではなく、料理人としての理念を保つことができたのなら、こんな不祥事は起きなかったはずである。何処のどんな材料でも、手を尽くすことで一級品に仕立て上げると豪語する料理人がいる一方で、本物の味は、一流の材料を用いてこそ叶えられると言いたかったのだろうか。そこにはブランド志向の貧しい心が見え隠れし、それを追い求める消費者を裏切る行為が続けられることになった。食品の偽装に関しては、様々な事件が取り上げられたが、大きく分けて二つの形が見えてくる。一つは期限に関するもの、もう一つは材料に関するものだ。どちらも嘘には違いないが、何か大きく違うように思える部分がある。期限は安定出荷など経営そのものとの関連があるが、材料にはそれとは違う事情が見える。消費者との駆け引きでは言い過ぎかも知れないが、何かそれに似たものがそこにありそうな気がする。偽物でも、味がよければとか、喜ばれたからとか、そんな声が聞こえるのは、まるで偽物の革製品の話と瓜二つではないか。商売も所詮は経済活動と受け取る向きも多いだろうが、それだけで片付けなかったからこその老舗の姿もある。それで廃業に追い込まれた人々が多いことを思えば、簡単な話ではないことは明らかだろう。しかし、追い求めるべきものを見誤れば、どんな末路が待ち受けるか、知る機会になったのではないか。

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1月2日(水)−椀久

 この日は、多くの稽古事を初めて行う日となっている。伝統的なものもあれば、新しいものもあるだろう。でも、新しい年を迎え、それを祝ってから、日を改めて、稽古を始めるという感覚は、如何にもこの国らしいものだろう。伝統や文化を守るための一つの手段と受け取ると、言いすぎになるかも知れないが。
 文化を大切にするというのは、簡単なことではない。宝物を大事に保管するように、雅な箱の中に閉じ込めてしまえば、保存自体はできるものの、人々の心の中からは忘れ去られることになる。文化遺産と言っても、それが目に触れない形では、人々の心に残らず、文化と呼べない代物になってしまうからだ。大切にするという意味は遺産や遺物についても、保存だけを意味するわけではなく、語り伝えられてこそのことがある。同じように、人間の営みである芸能の分野でも、ただ一部の愛好者だけを相手にするだけでは、衰退の勢いを止めることは難しい。新国立劇場で、高校生のためにオペラ鑑賞の教室が開かれたのも、高価で取っつきにくいと評判のものらしい感覚であり、お高くとまっていても始まらないということなのではないだろうか。それと似た感覚なのだろうが、歌舞伎座では一幕毎に入れ替わる客席が用意され、外国人や初めての人が試しに訪れる機会を与えている。確かに、本物を楽しむことは重要であり、その機会を持ってこそ、更なる楽しみを見いだせるのだろうが、それにしても入場料の高さは明らかに障壁となる。特に、廉価を求める消費者が増えた時代には、こういう手法が更に価値を増すことになるのではないだろうか。何故、こんな話になったのかと言えば、「椀」という文字で検索していたときに、たまたま出てきたものが歌舞伎や長唄の演目だったからだ。二人椀久とは、昔の恋物語の一つとのことだが、見たことも聞いたこともない。しかし、これも一つの縁と、伝統芸能絡みで取り上げてみることにした。伝統の中にも新しいものがなければ、そのまま衰退してしまうという話はよく聞くが、彼らの日頃の努力はまさにそれを表しているように思える。新規開拓だからといって、騙して連れてくるよりも、ちょっと覗かせてやる。そんな心意気が支える者には必要なのだろう。

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2008年1月1日(火)−ワンマン

 上意下達、意味を説明する必要はないと思うが、あと数年もしたら、死語に分類されているかも知れない。それほど、世の中の仕組みは変わったように見える。一部の権力者を除けば、上から降るよりも、下から上がる方が好まれる世の中で、まさに、下意上達の様相を呈している。ただ、これが正しいかどうか。
 民主主義という言葉が絶対的なもののように扱われるようになっても、企業などの組織では決め事は上からとされていた。下からの不満はある組織を通じて伝えられ、都合のよいものだけが取り上げられていた。つまり、下から何かが上がってきても、その選択権は常に上に立つものに握られていたわけだ。組織の本来の姿からすれば、これは基本的なことであり、決定権が集団に握られていることは、見た目には良さそうだが、現実の執行においては不都合が多くなる。決定への時間や責任の所在という問題がまず目につくところだろうが、この形式を続けると様々な問題が噴出することから、決断という行為には一個人か少数の人間が関わることが肝心であることがわかる。一方で、下からの声が届かない状況は、組織としては不完全と考える向きもあり、下意上達とはいかないまでも、ある程度の意見の採用は必要となる。この辺りの事情において、現状は振り子が逆向きに振れきったところにあるように見え、ある意味での極端な状況にあるようだ。先導者が正しい道に導き、追従するだけで十分と思われたが、ある崩壊を経て、時代が一気に逆方向に流れ、行き先を見失った先導者達の迷走が、あとを追う人々の不安を煽っていった。そんな中で、上からではなく下から道に光を照らす人々が現れ、一人一人の能力を活用する気運が高まった。この話は、提案という形であれば十分に理解できるが、決断という形でそれが現れると、どうもうまくないように思えてくる。重要な決断を全て大衆に委ねる行為は、選ばれし者達の責任回避に過ぎないし、世論に諮る手法は、民主主義を騙った群衆操作に過ぎない。先導者たる人々が自らの責任を果たさない組織は、衰退の一途を辿るように思えるが、発言権を与えられた一般大衆は喜ぶばかりで、本質を見つめる気がない。こんな時代には、絶対的な指導者は不要と思われるが、だからこそ、そんな存在があっても良さそうな気がする。

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12月31日(月)−わんさ

 年の終わり、全くの偶然だが、4月の始めから続いてきた漢字遊びも、今週でおしまい。丁度きりのいいところとなった。新たな年に向けて、最後の一あがき、何とか一週間は持ちそうである。「あ」から始まり、途中幾つか飛ばしたところもあったが、「わ」に辿り着いた。やっとこさ、と言うのが正直だろう。
 最後のお題は、これまたあまり数は多くない。多くないのに、多い話題を引っ張り上げるのも、遊びが含まれていて丁度良いのかもしれない。それにしても、色々と話題の多かった一年である。纏めをしたり、締めをするつもりはないけれど、次々に歪みが表面化したということなのだろう。偶然ではなく、あの繁栄の時代の中で積み上がっていた捻れが、弾けと共に一気に放出され、数多くの被害者を産んだ。しかし、今になって改めて実感するのは、被害が一時的なものではなく、様々な方面の奥深くにまで及んでいたことで、特に心の底に沈んだものがここ数年の社会的な歪みの元となったように思える。人々は悪が暴かれた人たちに対して、批判の雨嵐を浴びせているが、その一端を自分達が担っていることに意識が及ばない。直接的な関与ではないだろうから、こんな言葉を投げかけられても、心外だという気持ちしか起きないだろう。しかし、社会全体の歪曲が話題となった事件の根底にあるとしたら、他人事として片付けるわけにもいかないのではないだろうか。批判の多くは最終的に行われた違法行為にばかり向けられ、それが生まれた土壌を掘り返そうとしない。そこには自分達が蒔いた種が埋もれ、今にも芽を出しそうになっているからで、犯罪者への批判がそのまま自分に向けられる可能性もある。冷静に分析する人もいるが、当事者達や社会に言葉を向ければ、激しい攻撃の矛先がこちらに向くことが明らかなだけに、躊躇する場合が多いのだろう。沈着冷静で論理的な分析は、矢面に立たされないように願う人々には不要なものであり、兎に角標的を見つけ、それを徹底的に打ち砕くことが唯一の方法のように思われている。悪事を暴かれ、弱点をさらした人々は、小さくなるしか無く、社会批判などは以ての外となる。群がることの危険性に気づかぬ人には、そんな行動が最良と映るのだろう。根を絶たねば、何も変わらないことは、群集心理に取り付かれた人々には、無関係な論理に違いない。

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