パンチの独り言

(2008年11月3日〜11月9日)
(集客、秋風索莫、究極の選択、本音、浅慮、変革、共生)



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11月9日(日)−共生

 子供の数が減り、国を支えることが難しくなると言う。こんな意見を持つ人の中には、その為に、外から安い労働力を入れ、厳しい仕事を担わせる必要があると説く人がいる。その動きは既に定着していて、地域によっては外国籍の人の割合が高いところもある。それぞれに問題を抱え、様々な方策が考えられているようだ。
 国の違いを論じるまでもなく、余所者という考え方は昔からあった。その土地に生まれ育った人々と違い、他の土地からやってきた人間は、どことなく信用がおけず、地域に溶け込むことに難渋した。三代続かねば名乗れないとか、余所者に冷たいとか、それぞれの土地柄で表現は異なるものの、阿吽の呼吸のようなものが必要で、それを身に付けてこそ、受け容れられる資格があったのだろう。古の都と呼ばれるところは、丁寧な言葉の影に、相手を試す意味が込められているとして有名だが、大いなる田舎と呼ばれるところは、それ程名が知れていないとは言え、排他的な雰囲気が漂うと言われる。後者は、笑いの対象として取り上げられることはあっても、その実情を知る人は少なく、所詮地方の一つに過ぎないという見方が大勢を占めていた。そんな中で、ある企業が世界的にも力を示したことから、突然注目を集めることとなったが、それでも文化的な面での理解はとんと進まない。経済発展を背景に、ある面での評価が高まったとしても、今時の狭量な人々は、他へ目を向けることができない。視野狭窄の典型とも言えるが、皆が注目することにしか注目できないわけだ。排他的と揶揄されることが多い土地では、それと並行して伝統文化の継承が成立している。古い物を捨てるしか能のない人間には、理解できるはずもないが、他の流入を防ぐことは、自の保持に繋がるのではないか。自分のものを持ち込むことに躍起になる人々には、その土地に根付いたものへの理解は不可能なのに、自分が排除されたことだけが気になる。伝統というものへの憧れがあっても、その本質が理解できないからこそ、こんな心情になるのだろう。逆に、他を受け容れるためには、自分の姿を見直すことこそ大切なのではないだろうか。

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11月8日(土)−変革

 人が変わる度に変化を期待する声が高まる。どんな組織でも同じような展開があるが、組織が大きければ大きいほど、その影響は大きくなる。企業の大小や国の大小にも同じようなことが当てはまるが、意外なほどそのことに気づかない人が多い。おそらく、結果が出てしまえばそれまでということなのではないか。
 これからという国のことは暫く見守ることとして、こちらの国の状況はこのところ大きく変化している。様々な提案が飛び交い、その効果を疑う声と期待する声が響き渡る。それも実行を約束せざるを得ないものから、実現不能とも見えるものまで、玉石混淆という状況だから、はてさてどれ程真剣に相手をしていいものか。その一方で、肝心な国民の審判はどんどんと先送りとなり、別の意味のしわ寄せが高まるばかりである。自らに有利な展開を、と望む気持ちは理解できないでもないが、その可能性がこれほど低い環境で、まだそんな考えにしがみつくことの意味は、全く理解不能である。政治に対する不信は既に極まっているから、これ以上どうなるものでもないが、それにしてもこれほど悠長に構えられるほど、政治の影響力が低いことを表しているのではないか。企業も再編が進むと言われて久しいが、その割に大した変動もなく時間が過ぎ、ここまで経済状況が悪化したところで、もぞもぞと動きだしたと言うことだろうか。製薬業界は既に大体のことが済み、内外の区別なく再編がなされたが、その後の買収などを含む動きは、外からのものに限って妨げられることが殆どだった。ここに来て、同じような製品を同じように売り出すという、特殊な状況にある業界で再編が進むのかも知れない。あからさまに目的意識を口に出す形で、このような展開に進むことは、この国の企業がもっていた考え方が大きく変わりつつあることを示しているのではないだろうか。そろそろ逆の考え方が出るかと思う頃に、今更のようにこんな展開が起こるのは、何とも不思議な気がするのだが。

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11月7日(金)−浅慮

 思いつきで動くことを戒める意見は多い。下の者ならいざ知らず、人の上に立つ人間が次々に奇策を思い付き、それを下に回すとなると、右往左往の大騒ぎとなる。この場合は、誰かが意を決して、諫めることになるのだろうが、いずれにしても、その場の思いつきは総じて忌み嫌われるものとなっている。
 では、思いつき以外に新しい案が出てくることはあるのか。改めてこんなことを聞かれたらどう答えるだろう。それはじっくり議論して、確実なものを作り上げていくから、と優等生的な解答を出す人がいるだろうが、そこには一切の思いつきがないのだろうか。流石にそこまで言われると反論できないと思うが、どんなに優れた提案も、始めは単なる思いつきであり、結果として生まれたものが整ったものであれば、そこで妙案と呼ばれることになるのではないだろうか。思いつきの時点から様々な想定を含み、殆ど無修正で認められる提案もあるにはあるだろうが、大多数のものは思いつきは文字通り単なる思いつきであり、それを何処まで削り、磨くかが肝心な作業となる。元々のものが大したことがなければ、その手間をかけるまでもなく、潰れていくのだろうが、上から出る思いつきを、気軽に潰すことは困難である。その為、荒削りなものに手を施して、それなりのものを仕上げることになる。ここが実は一番肝心な段階であり、ここを無視して案の質を論じることは大きな間違いだろう。原案自体が重要であることは当然だが、それが少し思慮に欠けたものでも、その後の修正の段階で大きく姿を変え、全く違った形で完成を見ることもある。多くの人は原案の質を重んじるが、現実にはそれだけではない部分もあるのではないか。更に、原案の良し悪しを余りに重視すると、その提出を躊躇させる力が強まり、結果的に万策が尽きたかの如くなる。こちらの方が遙かに危険な状況であり、運営に支障を来すことに気づかぬ人も多い。隗より始めよを基本と考えれば、まずは思いつきでも言わせることが重要なのだろう。

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11月6日(木)−本音

 君子豹変す、という言葉を聞いたことがあるだろう。人が急に態度を変えるときの喩えとして使われるが、要するに君子の話であり、また本来は良い面を強調したものである。その後に来る、小人革面すとは、表面的に服従する態度を表しており、こちらの方が悪い意味をもたせるのに使えそうな気がする。
 地位が人を作るとか、立場が変われば人が変わるといった話もよく聞かれるが、ここでも同じような表現が用いられることがある。一夜明けたら人が変わったように、とは、ある著名な賞の受賞者の話としてよく流される。この国では、受賞者は自動的にある勲章を授与されることになっていて、今年は盛大なる大盤振る舞いのようになっていた。ただ、いつもと違うのは欠席する人がいただけでなく、自らを野蛮人と呼ぶ人がいて、何か独特の空気が流れていたところだろうか。元々奇行で知られた人物が、その言動で興味を集めることは度々あることだが、それが意図したものかどうかは解釈を大きく変える。ごく自然に何の意図もなく、こんな言葉の数々を連ねる人は、一般の人々には理解しがたいことがあり、つい勘ぐりたくなるものらしいが、それは逆の話で、日頃から思惑に満ちた言動を繰り返しているからこそ、行間や裏を読もうとするのではないか。同じ勲章を受けた人の中にも、それまで地位を築くために、様々な場面で思惑に沿った言動や文章を披露してきた人が、その信条とは正反対のご褒美を喜びを露わにして受け取る姿に、裏切りを感じた人もいるだろう。所詮それだけのこと、と言ってしまえばそれまでだが、これらの人々が自らの欲を満たすために、あらゆる言葉を弄し、人の歓心を買う行為を続けてきたことに、気づかなかった自省の念のみが残る。海の向こうの大騒動も、やっと片がついたとはいえ、これからが本番となる。言葉の意味が現実化し、独り歩きしていたものが実体を現す。さて、どんな結果が待ち受けているのか、暫くの辛抱といったところか。

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11月5日(水)−究極の選択

 金融危機、景気後退、そんな言葉が連日紙面を飾るようになり、危機感が高まりつつある。こんな状況を打開するための方策が、各国から打ち出され、その成り行きを見守る人々がいる。今回の崩壊によって、様々な人が損害を被ったわけだろうが、それ以前のことを含めた形での話は余り聞こえてこない。
 分不相応な財産を手に入れることにより、莫大な借金の返済不能に陥った人に、何らかの救いの手をとの意見がある。一時の欲に駆られたとは言え、その代償としての破産は余りにも残酷ということだろう。これに限らず、色々な人が色々な形で自らの欲を満たそうと謀り、気づいたときには崖っぷちに来ていたということがある。長年の夢だった大企業への転職に、希望に胸を膨らませていたのは昔のことで、その後の凋落により肝心の収入の道を絶たれてしまった人に、同情する人もいるのだろうが、彼の国では個人の判断が第一と尊重されてきた。個人主義の下では、あらゆることが個人の利益に結びつけて考えられる。その中で、様々な恩恵に浴してきた人々が、このような状況下で厳しい状況に追い込まれたとき、社会は何をすべきか、今一度考える必要があるのではないだろうか。貧富の差が大きく広がったとき、富裕層は貧者に色々な施しを与えようとする。そんな心情に基づき、街にその為の施設が置かれてきたわけだが、その状況にも大きな変化が現れているという。保護すべきという考えを富める者達が持つことは何の問題も生じないが、貧者は保護されるべきという考えを自身で持つことは様々な問題を産む。安定した社会では殆ど目立たぬ存在だった人々が、ここに来てその数を急増し、その存在が注目されるようになると、ここでの対策なり、方策なりに注目が集まることもやむを得ない。しかし、自由という言葉のもつ意味に、今一度思いを馳せた上で、この問題の本質に迫ることが必要なのではないだろうか。

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11月4日(火)−秋風索莫

 早朝、近くの寺の鐘の音が聞こえる。明るくなり始めた頃に鳴らすのは、昔ながらといったところか。時の鐘の音は町中に鳴り響いたのだろうが、最近は他の音がうるさくて聞こえることは少ない。皆、時計を持つようになり、必要なくなったから、どうでもいいのかもしれない。また、音楽を聴く方が忙しいのかも知れぬ。
 寺の鐘が時を告げていた時代、現代の時間感覚とは全く違った仕組みが使われていた。日の出と日の入りを境に、昼と夜とを分け、更にそれぞれを等分に分けていたのだ。「時蕎麦」で有名な、「今、なんどきだい」という合いの手にもあるように、数字で表すこともあるし、丑三つといった具合に十二支と組み合わせることもあった。いずれにしても、お天道様次第で時間の長さが変わるわけで、現代人にとっては何とも理解不能な仕組みである。それだけ、時を報せる鐘の役割は重要で、人々はそれに従って動いていたのだろう。逆に言えば、殆どの人はそんなことお構いなしに自分たちの生活を送っていたのかも知れない。太陽の動きに合わせて、生活のリズムを変えると言えば、夏時間を思い出す人もいるだろうが、それに似た部分もありそうだ。太陽暦が導入され、きちんと区切られた時間が決められてから、そんな昔の風習は忘れ去られたようだが、何事にも規則正しくすることを強要する仕組みでは、お天道様次第の生活はあり得ない。夏冬区別する為には、それとても規則で取り決めねばならないわけだ。ある日突然転換するのは、自然界の一員としては何とも不自然なわけで、維新前には当然と受け容れていたものと似た仕組みに、何処か異様さを覚え、反発を繰り返す。ここには、自然とは異なる神の関わりが存在し、自然全体を神と見なした人々からの抵抗という図式があるのかも知れない。四季の移ろいを実感し、寒暖の変化を愉しみ、夜長を過ごしてきた人々には、それらを無視した傲慢なやり方に反発を覚えるのは当然なのだろう。

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11月3日(月)−集客

 凄惨な事件が起きて、自粛されてしまった地域もあるようだが、依然として多くの人を集めている所もある。道路の使用権を車に奪われてしまった人々が、何とか理由をこじつけて、ほんの一時的とはいえ、我が物顔に闊歩できる。確かに、多くの人々を集める力があるようで、客として店に入る人も増えたようだ。
 始めに掲げられたような天国となったかどうかは不明だが、兎に角、人を集めることには成功したようだ。当初は様々な行事が開催され、更なる人集めが企てられたようだが、馬鹿騒ぎのようになってしまい、長続きはしなかったらしい。結局、何年も続ける為には、ある程度の落ち着きが重要らしく、自粛地域があの決定を下したのも、逆に言えば、その水準に達していなかったからかも知れない。それにしても、あれだけの人が集まって、何をしているのだろう。そんな疑問を抱く人は殆どいないだろうが、たとえば、人が集まるから行くという動機もあるのかも知れない。特に、この国では主体性が問題視されることも多く、この例にしても、そんなところが関わっているように思える。宣伝を繰り返された行事に、より多くの人が集まるのも、そんなことが関係しているだろうし、何が起きるのかを知らなくても、何かが起きると言われたから、ということが理由となる。何とも不思議な具合だが、昔からそんな傾向があったのかも知れない。古都で毎秋開かれる展覧会が、60年目を迎えたそうだが、敗戦の痛手から立ち直っていない時期に始められたもので、当時は何か別の思いがあったのだろう。そうでもなければ、食うにも困る時に、わざわざ古の美術品を見に行こうとする気など、起きはしないのではないか。当時も、今も、ほぼ同じ数の人を集める行事も、時代の変遷と共に、開く側も集まる側も、意識が徐々に変化してきたのではないだろうか。

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