パンチの独り言

(2008年11月24日〜11月30日)
(再起動、共生、大当たり、付和雷同、罪と罰、時宜、裁き)



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11月30日(日)−裁き

 新たな制度が始まる。と言っても、そんな話は数多あり、どれのことと言われそうなほどだ。関わる人は選ばれるとのことで、このところ、その知らせが飛び交っているらしい。他人事と考えていた人に限って、そんなものが届くのだろうか。正直な感想を電波に乗せて、という話題も出始めているようだ。
 それにしても、導入が決まって以来、盛り上がりに欠けること甚だしく、先が思いやられること頻りである。そうすべき理由が見当たらないばかりか、海の向こうで実施されている制度との違いさえ、はっきりとしない。宣伝不足を批判する声も聞かれるが、要するに、宣伝しなければならない状況にこそ問題があるのではないだろうか。更には、電子網に巣くう連中がそれに乗じて、相変わらずの愚行を繰り返すとなれば、はてさてどんなことになるのかと思うのも無理はない。それにしても、受取手の発言の無知もかなりのものだ。他人を裁くなどという大それたことを、と如何にも良識人を装っている人物は、果たして人の優劣を考えたことがないのだろうか。自分なりに判断を下し、それを基に扱いを決めることは、確かに法の下での裁きとは価値が異なるけれども、やっていることに大差はない。人前で堂々と、とはいかないが、陰でこそこそはできる、というのでは何ともはやと思うしかない。確かに、罪の有無を判断することは容易ではないが、善悪の区別がつく人間ならば、それなりの結論を出すことはできるだろう。少なくとも、画面の前では平然と行っている人が多いことは、それを表しているのではないか。ただ、ここでそういう連中の批判をしても、また、何も生じないに違いない。それより、この制度自体の意味を考え直すことこそ、重要なのではないだろうか。確かに、既に開始されたものを止めることは難しい。しかし、実行してみて問題が噴出した時には、やはり問題点を洗い直す必要があり、時には廃止する勇気も必要となるだろう。始まってしまった以上、一時的には眺めるしかないには違いないが。

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11月29日(土)−時宜

 寒くなってくると、出かけるのも億劫になっていけない。それでも、外出しなければならない時もあり、やれやれといった感じで出て行くわけだが。冬眠とまではいかないが、そんな調子で炬燵に入ったまま、蜜柑を一つ二つ、という人もいるのではないか。それでも蜜柑を買いに出なければならないわけだが。
 温暖化の話で、蜜柑の栽培地が北上したということは聞かないが、林檎の栽培が難しくなったという話は伝わる。寒冷地での栽培に適した果物で、雪の多い地域が有名なのも、そんなことを連想させる。温暖な地域に適した柑橘類と違い、寒冷地で栽培できる林檎は、保存も含めて雪に鎖される地域に適していると言えよう。昔は堅くて酸っぱいものばかりだったが、最近は甘くて歯応えの良いものが増えた。その殆どは、この国で品種改良されたものだろうが、海の向こうの小さく堅いものと比べると、格段の差があるように思う。値段の差も大きいから、果物をどう扱うかに反映されるが、そのまま食べるとなれば、新しい品種の方が喜ばれるようだ。酸味の強いものは、特に熱を加える料理には適しているといわれるが、手間が掛かることもあり、人気は今一つだろう。価格の問題がこの国ではよく取り上げられるが、金融危機前の新興国では、富裕層に人気があったとのこと。ある程度の金余り状態では、味への欲望が勝つということだろうか。安値競争の激化が進んでいる国では、値段のことばかりが取り沙汰され、味や品質は二の次と考えられる場合も多いようだが、一部とはいえ、美味しいものをそれなりの額でという考えはしっかりと根付いているようだ。どちらが正しいのか、考え方の違いと見れば、答えの出しようはないのだが、いずれにしても、一つの面だけを強調するやり方はいただけない。もっと色々な見方があっても良いと思うし、一概に高価なものが素晴らしいわけでないことも当てはまる。それらを全て足し合わせ、自分なりの答えを出せばいいわけで、季節にあった食べ物を口にすることが重要だということなのだろう。

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11月28日(金)−罪と罰

 罪を犯せば、罰を与える。ごく当たり前のことだが、それでも犯罪が無くならないのは何故だろう。人の命を奪う犯罪の場合より、金が絡む犯罪の方が再犯率は高いと思われるが、これは刑罰の重さの違いからくるのかもしれない。長く刑務所に閉じ込められれば、次の犯罪の機会が減ると考えれば、当然だろう。
 それに比べて、金銭が絡む犯罪は、その多くが罰金という形での刑罰が与えられるから、その大きさが尋常でない限り、抑止効果は期待しにくい。気軽に参加しておいて、捕まってみたら、運が悪かったなどと宣う輩が出るのも、そんなところから来るのではないだろうか。金で始末を付ければいいんだろ、などと呟くのも、その額が大したことないからなのではないか。詐欺行為の場合は、特にその関係が大きくなり、騙すことで得られる額の大きさと、その犯罪に対する罰金の大きさが、どんな関係にあるかで、結果が大きく異なってくる。中でも、行為そのものに対して罰金を設定することは、行為によって得られる金額を無視したものだけに、乖離が著しくなるのもやむを得ない。刑事罰が加わり、禁固懲役刑が適用されたとしても、ほんの短期間の拘束で解放されてしまうから、再犯を抑止することは難しい。この辺りが刑罰の設定における大きな問題であり、社会道徳に頼る部分が大きくなる由縁ではないだろうか。にも拘わらず、後者に目を向けることなく、ただ厳罰化のみに議論を集中させる状況はいただけない。ネット社会において、情報の供給は最も大きな役割の一つだが、そこに犯罪の温床があることも、自明なことと受け取られている。その中で、善良な人々が餌食になることを、社会は全体として防止する必要があるが、その手法には不十分な点が目立つようだ。仕組みとしての工夫は、鼬ごっこの様相を呈しているばかりだし、刑罰の厳罰化も、大した効果を上げられないでいる。善良なる人々が無知蒙昧の如く振る舞うことにも大きな問題があり、そちらへの働きかけも必要なわけで、制度上の問題だけでなく、人を育てる上での最低限の事柄を今一度考える必要があるのではないだろうか。

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11月27日(木)−付和雷同

 不景気という声が強くなっている。物が売れないのだそうで、その為に製造業の人々は減産を余儀なくされている。また、小売業もかなり厳しい状況にあるという話で、売り場は閑散としていると聞く。不安を煽るのが役目と自負する向きは、この機に乗じて、有ること無いこと、次々と並べ立てているようだ。
 このところ、安定した時期が続いていたが、その中でも将来に対する不安が漂う話が流れてくる。波のように動くことからすれば、上がり下がりがあるのは当然のことで、その程度のことで一喜一憂していては何も始まらない。しかし、一時の勢いから傲慢さばかりが目立った時代に、奈落の底に落とされたと思いこんでいる人々には、自分なりの考えを築こうという思いはないようで、兎にも角にも、種々雑多、玉石混淆の情報を集めようと必死な様子である。そんな人にとって、不況とか不景気とかいう言葉は、歓迎すべきものでないはずなのに、何となくそれを聞くことで安心するような雰囲気がある。傲慢さばかりが目立った時代に暴走した経験からすれば、自分の中からではなく、外から悪い情報を流して貰った方が良いと言うことなのだろうか。そんな馬鹿げたことはないとは思うが、このところの世相はまさにそんな様相を呈している。現実に、奈落の底に落とされ、地獄を見たという人々も、何やかにや、様々な障害があったとはいえ、何とか生き延びているわけで、それをそのまま受け容れれば済むことに思える。夢よ今一度、という思いがあるからなのかもしれないが、その一方で羮に懲りた人々もいるようだ。いずれにしても、将来設計は毎日の生活が安定してこそ可能であり、分不相応ななりをすることで自ら崩壊を招くことも含め、自分なりの身の丈にあった生活を送ってこそ先が見えてくる。不況、不景気で、仕事を失ってしまってはどうにもならないが、自分の力に見合うところに落ち着く場所を見つければ、そんなことが起きることも少なくなるだろう。ただ慌てて騒ぐのではなく、落ち着いて足下を見つめることが大切なのではないだろうか。

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11月26日(水)−大当たり

 毎日通る道が混んでいる。理由の一つには例の如くの道路工事があり、何をしているのか分からないが、兎に角車線規制をしている。さて、もう一つだが、ある店の小さな駐車場から道路に出てくる車が、滞っていることが原因らしい。何故今時、そんなことが、と思う向きには、理由は決して見えてこない。
 景気が悪くなると流行るものが幾つかある。物価高騰や収入減などが組み合わされば、先立つものが必要となる。かといって、何やら奇術のように札を替えられるわけではなく、錬金術には更に期待できない。となれば、一攫千金、賭博に手を出すのも一つの手だろうが、昔ならば富籤となるのではないだろうか。確かに、玉やコインを操る場も不景気の中、多くの人を集めているようだが、籤の世界も依然として人気を博している。先日売り出された高額賞金の宝籤を買い求める人々の列は、全国津々浦々にできているようで、特に当たり籤の出た売り場の混み具合は異常なほどとなる。確率が変動するわけではないが、当たりが出たところほど当たりやすいという誤解は大きく、単に分母が大きいからと理解する人は少ない。たとえ、それを理解していたとしても、やはり当選の二文字に惹かれる人が多く、更なる数を集めることになり、表向きの当選数が増えることとなる。あくまでも確率の問題と見れば、そこに違いがあるはずもないのだが、人間心理とは不思議なものである。同じように、ブランド品に群がる人々の動きがあり、株の高騰もよく似た経過を辿る。そんな心理を分析した人々が、それを経済活動の予想に応用し、良い結果を得たという話があったが、それとても確率的なものに過ぎない。自分たちで確実な道が見つからないからこそ、他に頼るわけだが、絶対確実などというものは何処にも存在しない。それを面白がる人々がいる一方で、不安に駆られる人がいる。社会情勢が怪しくなると、後者を煽る情報が巷に溢れることになるが、そろそろそんな雰囲気が漂い始めただろうか。

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11月25日(火)−共生

 低く垂れ込めた霧のような雲の隙間から青空が覗く。山の上の方に朝日が当たり、錦に輝く木々の葉は独特の雰囲気を醸し出している。単色でなく混色であることがこれほどの印象を与えるのは、様々な変異を好む傾向を強めているのだろうか。種々雑多な集まりほど、極端な変動に対しても強いと言われる。
 単一民族国家と称しただけで糾弾されるのは、発言者の立場やそれまでの言動という背景によるものだろうか。確かに、正確な表現を用いるべきところでは、幾つかの民族から成り立つ国家とすることが必要だろう。しかし、外から見て、所謂民族という考え方を適用した時、長い歴史の中でそれらが混ざり合ったものが、今の国を支えているとする見方がより正確であるようにも思われる。特に、人種の坩堝と呼ばれる国において、民族という区別が微妙な扱いを受けていることは、この考え方の難しいところを示しているのではないか。一方で、社会主義の崩壊から分裂を生じた国では、その後も民族間の紛争が絶えない。ここでは、人種が問題なのではなく、どんな宗教を信じるかが人の区別の基礎となり、それが元で戦いが始まっているわけだ。これを当てはめれば、この国とて民族間の紛争が起こる可能性は否定できない。ただ、宗教の存在感が彼の国とは大きく違い、たまの行事との関係しか残っていない現状では、深刻な問題を生じるとは思い難い。これらのことを考慮した上で、単一民族の話をしたとして、やはり反対する声は無くならないだろうか。少数派への配慮が重視され、その保護を訴える声が大きくなり始めてから、この辺りの取り扱いが更に難しさを増したように感じる。無視したように受け取られる発言は忌み嫌われ、触らぬ神に祟りなしとも思える扱いをすることは、本来の姿とは明らかに違うものに思える。無知は恥をさらすものだろうが、意図的無視は悪意に基づくものだろう。どちらから来るのかを見極めずに、ただ糾弾する姿には、何処か怖い感覚を覚えるが、これも誤解によるものだろうか。

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11月24日(月)−再起動

 人間関係の構築の難しさを取り上げる話がよく聞こえてくる。友人関係ばかりか、親子関係にまで話が及び、何かの間違いではと思うことも度々ある。個人主義の問題と捉える向きもあるが、それだけとも思えぬところもあり、その理由は千差万別なのかもしれない。社会性の動物の一つと見る向きからは、どんな意見が出てくるのか。
 人間関係に悩む人々からは、時に悲鳴が聞こえてくることもあるが、その反対に、何とも利己的な話も伝わってくる。中でも驚かされたのは、理想の彼女像を語ったもので、最近は見かけなくなったが、パソコンのリセットボタンと同じものを付けて欲しいというものだった。制御不能となり、所謂暴走と呼ばれる状態になった機械を、強制的に停止させ、初期状態に戻すための仕組みで、どちらかと言えば、機械の問題ではなく、それを制御するための命令文の不備を補うものと受け取られていた。計算機に強い人物は、機械だけでなく、人間にもそんな仕組みを望み、誤作動を免れようとしたつもりらしい。しかし、ここで暴走の原因となるべきものは、相手の発言や行動であり、それは自分自身から出る命令文のようなものである。何とも身勝手な考え方と思ったが、本人にとってはそれが唯一無二の解決策であり、自らの問題という見方は微塵もなかったようだ。そんなことを思い出したのは、このところの経済危機の問題であり、これまでに積み上がった問題の数々に、先送りという手法は既に通用せず、画期的な解決も見出せない状態にある。そんな時、その昔であれば徳政令なるものが出されたのかもしれないが、様々な形で数珠繋がりのように入り組んだ仕組みでは、あらゆる方面への影響が大きく、どうにも動きがとれなくなる。前例から見れば、問題を抱えた企業を消し去ってしまえば済むことだが、最大の企業となれば話は別ということらしい。どうするのか、さっぱり分からないが、山積する問題に取り組む姿勢が及び腰なことや、将来を見極めずに導入したことで生じた問題であることなどから、かなり乱暴な方策が必要であることだけは確かなようだ。

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