パンチの独り言

(2008年12月1日〜12月7日)
(星霜、数理、閉鎖、記憶、援助、塵山、懐古)



[独り言メインメニュー] [週ごと] [検索用] [最新号] [読んだ本]



12月7日(日)−懐古

 人気のあったニュースキャスターが亡くなった。もう随分前のことになるので、誰のことか分からぬ人も多いだろう。現役だった頃、欧州の古い街で取材をする姿を見かけたが、何をしていたのかは思い出せない。人となりを伝える特集番組まで組まれたことは、それだけ人気が高かったからだろうか、好きになれぬ人だったが。
 ここでも書いたかもしれないが、報道番組の方針が大きく変わった時代があった。単に事実を伝えるのではなく、そこに意見を加えて伝える姿に、全幅の信頼をおく人々が現れた。批判的な意見ほど歓迎され、過度な批判が事実と異なるものを伝えるまでになった。その姿勢に批判が浴びせられたのは当然と思うが、そこまで持ち上げたのは画面のこちら側に座る人々だったのではないだろうか。徐々に行き過ぎが目立つようになり、本人が降板するに至って、批判の声が高まったが、それとて一時的なものに過ぎない。跡を継いだ人間は大して取り上げられもせず、下らない批判を繰り返すばかりでは、昔の人気を取り戻すことは無理だろう。始めに取り上げたのはこの人物ではなく、別の局の人気報道番組の方だが、こちらもあの頃を夢見て、といった感じが漂うばかりである。事実を伝えることが第一の役目であるにも拘わらず、それ以外のことが重視される風潮に、足を踏み外したかの如く、事実以外のことが大部分を占めるようになった報道姿勢は、信頼を得るに足らないものとなる。公共性が失われ始め、井戸端会議の亜流のような姿を曝すに至っては、地に堕ちたといわれても致し方ない。その時代が過去のものとなるに合わせるかのように、逝ってしまった人を懐かしみ、尊敬の眼差しを送る姿に、何か別のものを感じたが、さて何だったのか思い出すこともできない。批判世代とも言うべき人々が去り、迎合世代が大半を占めるようになって、次は何が起きるのか、楽しもうとは思わないが、確固たるものを持ち合わせない人々が中枢を構成することには、不安を抱かざるを得ない。

* * * * * * * *

12月6日(土)−塵山

 先行き不安を訴える人々にはお誂え向きの環境となって来た。経済状況も、デフレ傾向の強まりが懸念されているから、急速な変化を訴えやすい。特に、就職環境の変化は身近なことへの繋がりが強く、注目度が高まるに従って、窮状を訴える人々にも注目が集まっている。ただ、現実はどうなのか、気になる部分もある。
 弱者に注目することは、安定した時代に強まる傾向があるが、一方で、不安に包まれた時代にも、別の形の注目が集まる。これらは同じように扱われるようだが、実際には大きく違っているように感じられる。つまり、前者が弱者全体への配慮に基づくものであるのに対し、後者は一部の人々を取り上げることでできるから、全体の傾向を表すものである必要はないのだ。そんなことに気づかず、ただ大騒ぎを繰り返す人の多くは、単なる心配性とは違う、何か別の心理に基づく行動を起こす。心配することが悪いとは言わないが、彼らの心配の多くは的を外し、肝心なものへの配慮に欠けたものとなる。身近なものに着目する場合にも、偏向に満ちたものが多くなり、全体的な視野に欠けてくる。その状況下では、一部を取り上げる手法に乗せられる結果に繋がり、過剰反応を繰り返すこととなる。契約社員の解雇や学生の就職内定の取り消しなど、随分厳しい状態が伝えられているようだが、その実態はどの程度のものなのだろうか。これらの事例についても、その背景を伝えることなく、結果のみを伝える手法には、思惑や意図が見え隠れし、真実を正確に伝える姿勢が感じられない。無視をせよと言うつもりは毛頭ないが、全体の把握を求め、現状の解析を進める必要を促すべきと思う。こんなやり方が横行する中では、情報伝達に信頼を置くことは難しく、自分の判断が下せる範囲でしか、ものを見ることができなくなる。巷に溢れる劣悪な情報の山を完全に無視して、自分自身の判断のみに頼るやり方は、正しい方向へ導くことにはなるものの、ここまで増やされたゴミの山の中では、肝心なものが隠される危険もでてくるのだ。

* * * * * * * *

12月5日(金)−援助

 人に優しい社会が望まれているのだろうか。互いに厳しい目を向けることは、単に精神的な圧迫を増すのみとの考えもあり、互いに支え合うような社会が望ましいと考えられている。では、支え合うとはどんなことを指しているのだろう。人それぞれに微妙な違いを持ち、これという絶対的なものは無さそうに思える。
 確かに、不幸に見舞われた人に出合うと、何かできないかと考えたくなる。しかし、そのやり方や関わり方は様々であり、相手にとって何が最良かという問題は、容易に解けるものではない。多数の解があるだけでなく、事例によって展開が異なるから、算数の問題を解くようには行かないのだろう。ところが、世の中にはこんな障害を意識しない人がいるようだ。兎に角、助けてやればいいという考えで、何処までも関わり続ける。それがその人の為になると信じているからなのか、はたまた、全く違った考えからか、恰も助けの押し売りのようにさえなることもある。情けと思うかは分からないが、それにしても何処までも追い続ける姿勢に、時に違和感を覚える。人間が徐々に変化することは誰もが知っているのだろうが、それを信じて、相手が自立できるまでとことん支えるというのは、どうにも理解できない面がある。自立と依存の均衡は、それほど簡単に保てるわけではなく、どうしても片方に偏ることが多いから、やり過ぎが弊害を産むことも多々ある。特に、助けが必要な場合かどうかの判断なしに、ただ社会的援助の必要性を思い描いて、実行に移すことは、場合によっては悪い結果しか生じない。自らの判断で行うことだから、本人にとっては結果に対する責任は感じるのだろうが、救われる筈だった人間が、意図とは正反対の状況に追い込まれた場合に、責任を果たすことは難しい。他人のためと思う人に限って、この辺りのすれ違いを感じ取る能力の欠如が感じられるのは、当然の結果なのかもしれない。人に優しい社会の構築は重要なことなのだろうが、少し間違えると逆効果を及ぼすだけになるのではないだろうか。

* * * * * * * *

12月4日(木)−記憶

 昔のことをよく覚えている人もいれば、全く何も覚えていない人もいる。印象が残れば、記憶の方も何かが残るのだろうが、そうでなければ、何も残らないというのだろう。共通の記憶があれば、それについての話題で盛り上がるが、覚えていない人にとっては、取りつく島がないといった感じにしかならないだろう。
 記憶の仕組みについて、色々な情報が流れている。それに必要な要素を並べたものもあれば、要領を示したものもあり、多分玉石混淆なのだろうが、中でも記憶術なるものが一時期流行った気がする。短期間で大容量の記憶を確保できれば、様々な場面で大いに役立つだろう。そんなことから秘術に似たものを紹介したのだろうが、それが容易に実現可能であれば、あっという間に広がって、皆が実行することになったに違いない。そうならなかったということは、同じことをしようとしても、できる人とできない人がいることを示している。数字の並びを覚えるような、一通りのものを相手にしたことならば、難しさには色々とあるだろうが、同じことを繰り返すことになる。それに対して、昔のことを覚えているというのは、出来事としてはたった一つのことに過ぎないものを、異なる様相で記憶に残すというわけで、単純とはとても呼べないものとなる。それが複数個集まり、互いにそれを話し合えば、それぞれに違ったものを比べることになる。その違いを見比べれば、同じものを覚えると言っても、全然違ったことになることが分かる。ものの見方の違いも根底にあるが、印象に残すための手立てにも何かしらの違いがあるのだろう。その上、それを覚えておくための手続きが色々とあれば、様々に変化することもあり得る。それがどういう意味なのか、どういう仕組みなのか、結局よく分からないが、現実は目の前にあるわけだ。生き物の不思議な能力はよく話題になるものの、こんなことも不思議な一つなのではないだろうか。身近な例であるだけに、不思議さが違った形で現れているのだろうが。

* * * * * * * *

12月3日(水)−閉鎖

 車内の光景も、時代の移り変わりとともに変化する。隣は何をする人ぞ、と気にすることが常だった時代から、自分の世界に入り込んだまま、他人の行動を意識しない時代となった。半数ぐらいの人々が何かしらの液晶画面を見つめ、外からの雑音を拒絶して、他人への雑音を流し続ける。様変わりというのだろうか。
 以前ならば、若年層に限られた行動様式が、最近は、高年齢層にも広がり、人が集まるところでさえ、気配りが無くなってしまったようだ。同じ箱の中で、何らかの犯罪が起きても気づかぬ人々は、見て見ぬ振りをする人々とは違う、何か特別な振る舞いをしているように見える。どちらにしても、自分のみは自分で守らねばならず、もし、巻き込まれたとしたら、運が悪かったと諦める。この辺りの事情は、昔と変わっていないように見えるが、さて、人と人の関わりという点では、どんなものだろうか。一人の世界を築くことに集中し、誰も踏み入れられない場所を見つけることが、何よりも大切となる人々には、他人との関わりの優先順位はかなり低い。家族も含め、自分と同程度に大切な存在はなく、兎に角、自らの領分を守り通す努力のみをする。個人主義とは、おそらく、外から見て個人を尊重する動きの一つであり、他人に侵されることが多かった環境を変えるために取り入れられたが、何処からか道筋を誤ったように思われる。自己主張が強まるに連れて、孤立を望む声が大きくなり、一人きりの束縛のない時間を好むようになる。しかし、他人との関わりを排除しても、社会に生きることには変わりなく、何処か矛盾に満ちた生活を送ることは、却って孤独感に苛まれたり、他人の介入を意識し過ぎる結果を産む。そんな歪みに溢れる世界に生きることの難しさを訴える声も聞かれるが、その大元が何処にあるのか、窮地に陥った人々にはそれを考える余裕がないように見える。他人の干渉を拒絶し、自らを一人きりにおくことが、何を導くのかを考えないで、こんな被害話ばかりを並べていては、解決の道は見いだせない。

* * * * * * * *

12月2日(火)−数理

 小学校低学年の頃に、嫌な思いを抱いた人も多いだろう。しかし、今となっては、日々役に立っているのではないか。暗算の能力は、成長のある時期に鍛えることによって伸びると言われる。得手不得手があるから、子供によっては苦しむだけとなるが、それでも身に付けば、それなりに役立つことになるわけだ。
 一桁の掛け算はこんな調子で習得されるが、二桁となると更なる特殊訓練を受けた者でなければ不可能だろう。その計算を容易に行うといわれるある国の人々は、その能力も含めて、数字に強いと言われるようだ。一時の羨望熱は冷えてしまったが、根本的には数字に強い人間は羨ましがられる。ただ、世間的にそう呼ばれる人の間にも、数字だけに強く、数の論理には全く通じない人間がいるようだ。経済は数字を操るものだから、まずはそれに強い必要がある。だから、それを学問とすることもできると思うのは間違いで、単なる数字の羅列しかできない人も多い。原油価格の下落に対して、様々な解釈がなされているが、先日流されていたラジオでの話は、呆れてものが言えない程度のものだった。彼曰く、「原油価格は66%も下落した」。その要因には二つあり、一つは「ある国で石油の消費が前年から3%減少した」、もう一つは、「ヘッジファンドが原油相場から資金を引き揚げ、その額は4兆円である」ということだった。聞き手はそのまま納得したように振る舞い、おそらくこんな数字の羅列に騙される人もいるのだろうと想像したが、これを読んでいる人はどうだろう。批判は色々と可能だが、この人物が犯した最大の誤りは数字の意味、つまり単位の異なるものを並べたということだ。舌足らずとの言い訳が聞こえてくるだろうが、数字を並べるだけで説明したとする向きには、根本理解の欠落があるように思える。この解説を聞いた人の多くは、要因の項目のみに耳を奪われただろうが、数字への強弱は、現実には計算高さではない、別の要素にあることがここから分かる。学校で習う算数、数学は、問題として用意されたものを解くが、現実社会では、問題にすべく準備することこそが重要となるのだから。

* * * * * * * *

12月1日(月)−星霜

 夕刻、西の空に細い月が輝く。その上には、明るい星が二つ。寒さが増すに従って、空気が澄むようになり、星の輝きも変わったということだろうか。といっても、この星たちは惑星で恒星に比べて明るいのは当たり前、一つは宵の明星とも呼ばれる金星であり、もう一つはたまたまこの位置にやってきた木星である。
 星に興味を持つ人の数は多い。そのきっかけは様々だろうが、自然の豊かなところに育った人以外は、人工的なもので興味を引き起こされた例が多いのではないだろうか。人の住んでいない山の奥へ行けば、満天の星空を愉しむことができるが、何かの機会がない限り起こりえない。都会に住む子供にとって、それよりも手軽に手に入る星空は、建物が林立する中に現れる。科学教育の一環と考えられる施設の多くには、この装置が据え付けられており、星空が失われた都会の中に、人工的な星の輝きを取り戻させる。本物を見たことのない子供でも、それを見ただけで凄いと思うことが出来、場合によっては本物をという思いが強くなる。それが星に興味を持つきっかけとなり、寒空の下、星座を探したり、たまに現れる流れ星を追いかける。ある都市に50年ほど前に建設された科学館には、最新型のプラネタリウムが設置され、子供たちだけでなく、大人も星空を求めて集まった。この施設が注目されたのは、ある説明員の存在で、彼の話術に魅せられた人々が何度も通うこととなった。その人気のほどは、他の都市のプラネタリウムから見学に来る人がいたことからも理解できる。市の職員に過ぎない存在から、星空の説明の指導にあたる存在となり、業界だけでなく、星に興味のある人にまで知られることとなった。確かに、その人自身の才能もあったのだろうが、彼にきっかけを与えたことからこの結果が生まれたと考えるのは当然だろう。どんな履歴の人だったのか知る由もないが、施設の設立経緯からすれば、教育の現場にいた人なのではないだろうか。輝く月と惑星の微妙な配列を眺めながら、そんなことを思い出す一時だった。

(since 2002/4/3)