パンチの独り言

(2008年12月15日〜12月21日)
(労組、報道姿勢、欲得、蒙昧、遵法、手詰まり、自認)



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12月21日(日)−自認

 身勝手な人が目立つ時代だ。世間全般に成長の一途にあり、遮二無二突き進む気配が漂っている時代には、そんな人が目立つ余地はなかった。だからこそ、無能にも見える社員を取り上げたナンセンスな映画が流行ったのだ。今では、あの手のものは歯牙にもかけられず、自らの優位性を揺るぎないものにするだけだ。
 そんな世の中になると、身勝手な振る舞いに腹を立てるより、自分も仲間に入ろうとする人が増える。その程度の人間と蔑む声も小さく、如何にも時流に乗っている気がして、本人も満更ではない。と言うより、私利私欲を露わにし、権利主張を極めるのみで、満足感は心より物質と繋がるようだ。確かに不当な扱いを受けることもあり、それを訴える権利を奪うことは出来ない。しかし、このところの話題を見る限り、そこで主張されている不当性は、偏向に満ちたものであり、自己都合が山積みされたものに思える。社会から受ける扱いは全て不当なものであり、自らの才能と比べれば、天と地との差ほどもあるというわけだが、果たしてそうなのだろうか。まずは人間の才能において、これほどの差を生じるようなことは稀で、殆どは大同小異なのである。そんな中で、自らのものを不当に高く見積もる姿勢は、評価能力の欠如を表すものではないだろうか。更に、不当な扱いとする指標についても、雇用条件そのものにある程度の不平等が見られるものの、その付帯条件などへの考慮はなく、一方的な判断と見なせる部分が大きい。確かに現行制度の不備による問題もあるが、それまでの働きかけなどの点から、最近の世論は偏見に基づくものと見るべきだろう。我慢せよと言うのは辛いが、応援するのは気持ちいい、といった感覚では、この手の問題を解決する手立ては見出せない。自らの置かれた立場と、そこでの権利の認識がある程度の水準に達していれば、何をすべきかは自ずと明らかになる。こんなことに心を揺さぶられるよりも、自分の気持ちを強くすることの大切さを再認識する必要があるのではないか。

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12月20日(土)−手詰まり

 高度成長期には、新たな提案には予算確保が付き物だった。しかし、崩壊が起き、企業だけでなく国家までが緊縮財政を余儀なくされてから、手を替え品を替えの様相は続いているものの、限られた予算の中での工夫に限定され、革新的な試みは影を潜め、目先を変えることばかりに終始することとなってしまった。
 こうなると、様々な状況を理解した上で、必要なことを選択し、効果的な措置を行うという方式は見当たらなくなり、ただ単に変化を求めることばかりが目立つようになる。企業であれば、閉塞感が高まり、経営の抜本的な改革が望まれるところだが、国家ではそうもいかず、ただ単に行き詰まりを感じるだけとなる。予算の確保に躍起となる人々は、少ないパイを奪い合い、権利の正当性の主張に注力することになる。一見論理性のある文書が出回り、それによって権益を確保することになるが、実際には底の浅い、長続きしない提案が並ぶことになり、却って無駄が増えることになった。危機感ばかりが強調されるが、それとは別の形での展開を企てることもなく、ただ現状に甘んじることとなり、社会全体に先の見えない状態に陥るから、どうにもならぬ停滞を感じるのみとなる。更に悪いことには、こういう猫の目的な提案を押し付けられた末端組織に起きており、無理矢理競争に巻き込まれるだけでなく、その喧騒の中で疲弊のみが残ることになる。施政者にとって重要なことは、こういう状況を打破することだろうが、現実にはそのための才覚も、気力もなく、無為に過ごすのみとなる。それでも、疲弊を除く手立てがないわけではなく、それなりの手当てもあるはずが、まさに何もしないのみとなる。一方、競争の渦中にある人々にも、別の形の不満が募り、自らそれを解消する手立てを持ち合わせていない。ほんの少しの考え方の変化が大きな効果を生むはずが、それにさえ気づくことがない。何とも情けない社会情勢だが、それがこのところの下り坂で、心の貧しさまで表面化しそうな勢いにある。心だけはしっかりさせねば。

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12月19日(金)−遵法

 巷では、不況の深刻さを表す指標として、雇用状況が持ち出されるようだ。おそらく、企業の経営状況は赤黒の区別が出来ても、それ以上に分析することも想像することも出来ず、庶民感覚に訴えることが出来ない。それに対し、仕事の有無であれば、身につまされることも多く、身近に感じることが出来るからだろう。
 ただ、庶民の感覚がかなり自己中心的であることも、このところの遣り取りから見えてくる。内定取消の話題も、被害者然した若者が登場し、如何にも悲劇の主人公のように扱われるが、所詮は内定であり、正規雇用の契約が結ばれたわけではない。また、運良く入社できたとしても、始めの数ヶ月は試用期間であり、互いの決断は下されていないのだ。まして、業績悪化に伴い、現有勢力の見直しに入った会社に入ることが、本人の心を満たすかとなれば、怪しいものだろう。おそらく、話題にもしないだろうが、辞退を申し出た学生もあったのではないか。こんな背景、状況も理解できず、ただ同情するのでは何とも情けない。さらに、ここから本格的な求人に入る業種も実は沢山あるのだ。もう一つ、これもある見方からすれば下らない事例だが、非正規雇用、別の表現で言えば、契約社員の契約打ち切りについての話がある。彼らも悲劇の主人公として扱われ、救済に奔走する人々に注目が集まっている。下らないとするのは乱暴な表現と受け取る向きが多いだろうが、契約とはあくまでも法律に則ったものであり、その範囲内で可能となる行為のみが許されている。何年も正社員と同様に働いた、と主張する向きもあるが、その手の人々については、どう扱うべきかは法律に明記されており、それを実施するかどうかは、互いの手に委ねられている。確かに、力関係からの困難はあったのだろうが、それだけを理由とするのにはやはり無理があるのだ。更に、契約打ち切りの通告も当然ながらある期間をおいて為されており、今の大騒ぎには違和感を覚える。それまでの雇用環境の整備に対する感想が出ることはなく、ただ単に追い出されることばかりが訴えられ、その問題のみを捉えて叫ぶ人々が居る。これが庶民感覚だとすれば、不当な扱いは彼らに対するものだけでなく、雇い主側にも為されることになるのではないか。契約の基本を論じてから、改めて問題解決を図るべきだ。

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12月18日(木)−蒙昧

 ラジオの情報は画像を伴わないものだけに、言葉として落ち着いたものと受け取られている。しかし、このところ話題にしているように、ジャーナリストの堕落は顕著となり、自らの無知を暴露するような言動にまで発展している。先日の話題には、その厚顔無恥さに呆れてものが言えないどころか、機械に向かって叫ぶほどだった。
 公共放送の役割は、こんな時代だからこそ更に重要性を増しているのだが、実情は惨憺たるものと言わざるを得ない。倫理観、道徳観の欠如は、こんな所にまで及んでおり、社会から離れた世界は存在しない。それでも、高い見識を評価し、信頼する向きが、ラジオを情報源として日々の暮らしを送ってきたわけで、確かに人間性に綻びが見え始めても、耳を傾ける価値があるとされてきた。ところが、先日の解説委員の話には、その非常識さに呆れるばかりで、人に話を聞かせる資格など微塵もないものと思われた。彼女曰く、現在の不況は深刻なもので、こうなってみると、景気が安定していた時代に、もっと積極的に昇給しておけば、備えが出来ていたとのことで、それは恰も、自分だけはそれを訴えていたかの如くのものだった。当時、そんな声が聞こえてくることはなく、ただ、今後の不況に備えて、給与は抑えておくべきとするのが、一致した見解だったのではないだろうか。更に、法人税や所得税の増税についても、一部の圧力と政治家の私利私欲によって、全く取り上げられることがなかった。それを今になって、ああしておけば良かったなどと、タラレバを展開する人々の頭の中には、自らの非を認める回路は存在せず、神のような存在の如くの振る舞いが当然と言い切る回路が満ち溢れている。高い見識とは、その場での分析能力だけでなく、鋭い先読みを指すものであり、これらを総合して、一般大衆に道筋を示すことが出来る。このところの成り行きを眺めると、目先のことばかりに心を奪われている愚民共に、更なる不幸の到来を告げる役割を演じるばかりで、沈着冷静な分析と判断の欠片も持たない愚者に過ぎないことが見えてくる。所詮そんなものと、冷ややかな視線を送るだけでは、手に入れた地位に居座る馬鹿者は、いなくなりはしない。

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12月17日(水)−欲得

 活字離れの深刻化が話題となっていたのは随分前のことだろうか。文字を読む習慣のない世代が社会に出始め、その無知さ、非常識に驚いた人々が気づき、指摘し始めたのが始まりだろうか。その後、話題にもならなくなり、更には噴出していた問題までもが、致し方ないものとして扱われ、嘆息のみが漏れるばかりとなった。
 新聞書籍の売り上げの低下が同時に問題視されたが、様々な方策も功を奏しないばかりか、下降速度は増すばかりとなった。一方、同じ文字を扱うものなのに、インターネットの人気は上がり続け、携帯による情報交換も活発になるばかりである。印刷されたものと表示されたものに違いがあるはずもなく、文字との接触を避けているわけでないことは明白だが、現状の差を説明する手立ては殆どない。人気の差は様々なところに影響を及ぼし、印刷業界は大きな壁に当たっているように見えている。印刷媒体に広告を掲載することは、企業にとっては重要な広報活動の一つだったが、それを控える動きが急だというのだ。そればかりか、公共電波に乗せるものまでも減少し始め、この異変に対応する手立てが見つからないままのようだ。検索エンジン大手が広告を絡めた方式を始めたからという解釈が出されているが、主を見れば筋違いが明らかで、誤解に基づくものと思える。現状から見えてくるのは、様々な経費の使途における変化であり、短期間の効果ばかりが取り沙汰される傾向の高まりと共に、歪みが強まっていることであろう。確かに、ネット上の広告は様々な数値に裏打ちされ、恰も反響の強さが明白化するように見えるが、仕組みを見れば、そこに大きな落とし穴が空いていることが分かる。馬鹿げた解釈が罷り通るのは、現代社会の通弊だろうが、根底にある問題を明らかにせずに、下らない方策を講じようとする動きには、世界が抱える問題の根深さが表れているように思う。何らかの欲望に走った結果だけとは言わないが、それに近いものがあると見るべきなのではないだろうか。

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12月16日(火)−報道姿勢

 ジャーナリズムが花形の職業と言われたのは遠い昔か。「ペンは剣より強し」というのは、権力になびかず、正義を貫く姿勢を表したものだが、そんな姿が見られることもない。最近の情勢からは、良識が感じられないばかりか、知性の欠片もないものが目立ち始め、この業界の崩壊が進んでいると見えてくる。
 不安定な世の中にこそ、冷静な分析に基づく将来の見通しが必要で、その一翼を担うのが公共性を伴う報道となろう。しかし、現状を見渡すに、余りの為体、不安を煽ることに専心し、根も葉もない噂を垂れ流すばかりか、欺瞞に満ちた情報操作に一役買う始末。世界のリーダーを自負する国の大統領が、他国の政治に口を出すだけではもの足らず、遂に強権発動となった時、その為の大義名分としてその国の危険性を明示する必要があった。結果として用いられた手法は、筋書き通りの展開を導く情報操作であり、それに手を貸した人々が電波に乗せた情報は事実とは異なるものだった。彼らの多くは、偽情報を掴まされ、その流布に一役買ったことが明らかになった時、軽率な行動を反省する姿勢を見せたが、その後の展開から想像すると、根本姿勢として、何も改まっていないことが分かる。安定を乱す兆しが見えた時、それを増長させる情報を流すか、安定を取り戻す情報を流すかは、各人の判断に任される。冷静な先読みから、様々なデータを分析して、判断を下す筈が、最近の傾向は、決まった筋書に沿った、最悪の展開を紹介することが第一と見るようだ。事実に基づくことが何よりも重要な職業において、事実よりも大事なことがあるとする見方は、常識に欠けるものであり、最低限の要件さえも満たしていない。こんな人々が、煽動ばかりに専念し、下らない論理を展開する時、社会の不安定は極みに向かうしかない。下らないと無視することは、戦中の知識人の態度と変わらず、結果として悲劇に向かうだけであり、見方を変えれば、デマに乗せられ、暴走する群衆と何も違わない。こんな時こそ何をすべきか、考えてみることが大切だろう。

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12月15日(月)−労組

 先月の読んだ本で紹介したものの一つに、企業再建に関するものがあった。倒産寸前に追い込まれた造船会社を再建した辣腕経営者の物語だが、その時の大きな障害となったのが組合と書かれていた。組合員の利益を守るための存在として、経営者に対して要求を出すためのものだが、判断を誤ると逆効果を招くこととなる。
 当時、巷に流されていた情報の多くは、市民の側に立つという考えから、組合からの偏ったものだったらしいが、現実には、それらこそが欺瞞に満ちたものであったようだ。経営者が権力を笠に着て、社員に不利な条件を押し付けることは、資本主義の下で陥りやすいことの一つと考えられ、それを未然に防ぐことが、重要と見なされている。しかし、何を不利と見なすかについては、立場によって様々に異なり、容易に答えの出せないものとなる場合が殆どである。そんな中で、再建という目標を達成するために必要な措置が、苦しみを招くものとされ、社員の敵とすることで、肝心なことを実施できない状況に追い込み、結果的に状況を悪化するだけとなった組合の長は、後々厳しい目に曝されることとなったという。この話を今話題のものに当てはめれば、何処かに類似した部分が見つかるのではないだろうか。30年ほど前に、海のこちらから運ばれた製品を、群衆の眼前で破壊するという見せ物を行った連中は、その後の展開でも、様々な場面で暗躍し続け、遂には今の状況を招く一翼を担った。再建を願う人々にとって、味方であるはずの組織が、このところの話の展開からは、大きな障害を築いていることが明らかとなり、現状の打破のためには、全てをご破算にする必要性まで議論が及んでいる。強大な勢力を持った組織は、経営者をも圧するものとなり、利益追求の結果として、法外な要求が罷り通ることとなった。今の窮状はそれだけが理由ではないというものの、ここまで追い込まれた原因の一つに、組合の存在を挙げる人は多い。彼らの伝統的な常識がどんなものかはこの先の展開から明らかになるだろうが、思い切った措置の必要性を訴える人々との応酬は、暫く賑やかになりそうに思える。

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