パンチの独り言

(2009年2月2日〜2月8日)
(利権、茶番劇、世代交代、奉仕、分割、汚染浄化、名分)



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2月8日(日)−名分

 景気の悪化から、収益の見通しの変更が相次いでいる。報道する人々は、まるで十把一絡げのように、同じ言葉を繰り返し、それぞれの分析に励む姿は見られない。こんな時、冷静に分析する立場にある筈の人々が、最近は殆どその役目を果たしていない。一緒になって騒ぎ立てるだけでは、受け手も同罪かもしれぬ。
 金の流れが止まってしまったから、こんな羽目に陥ったと説明する向きもあるが、論理構築の跡は見えない。ただ単に、等式を示しているだけで、その式が成立する理由は示されない。そんな中で、次々にもたらされる報せの分析は、本当の原因を探る上でも、重要な事柄に思えるが、思いつく筈もなく、その能力もない人々に期待するのは無理というものか。車社会となった時代に、赤字を引き起こす理由に、売れ行きのみを挙げるのはどうかと思う。必需品ならばそれらしく、それなりの売買はあるのではないか。詳しい数字を見ていないから、何を言っても始まらないが、経営方針の問題あたりに、怪しげな雰囲気が漂っている。一方、電化製品の安売りは今に始まったことではないが、いつも通りに自らの首を絞めるが如くの、新製品の発表競争が行われる。どれもこれもが素晴らしい製品であるなら、なぜにこれほど改良が行われるのか、すぐには理由が思い当たらない。これを原因とする減益は今に始まったことでもないだろうに、相も変わらずその指摘がされ、それに加えた不況の波と分析される。はてさて、どんな数字が大まかな発表の陰に隠されているのか、興味本位とはいえ覗いてみたいものだ。需要と供給の均衡によって、収益の見通しが立てられる。そこに僅かな読み違いでもあれば、かなり大きな変更を余儀なくされるものだ。今回の成り行きを見る限り、どうもその辺りに原因を求めたくなる気もするが、どうだろう。経営陣が大袈裟に振り回せる理由がある限り、彼らの地位は安泰ということかもしれないが。

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2月7日(土)−汚染浄化

 以前、ある投資関係の掲示板で情報収集の重要性を説く人を見かけた。気になったのはその質であり、本質的なことより、人々が興味を持つかどうかに関わるかどうかだ。情報は人の間を流れるものだけに、注意を喚起しなければ意味を持たない。それには小難しい口上より、心を捉える一言の方が重要というわけだ。
 その後数年を経過したが、状況は一向に変化を見せない。次々に参入する人々によって、種々雑多な情報がもたらされることになり、その流れは恰も大河のように映るが、現実にはドロドロに汚れた溝川に過ぎない。始めのうちは滑らかだった流れも、いつの間にか淀み始め、異臭を放つまでに至った。こんな状況で情報化社会の重要性を説かれても、誰も首を突っ込みたくなくなるだろう。ネットワークへの参加についても、入り口の部分での規制が、一部の年齢層に向けて実施され始めるなど、全体の体制を揺るがす事態となりつつある。しかし、そんなことはお構いなしに、流れにゴミを捨て続ける人がおり、ついには有毒ガスのようなものまで発生した。自らの殻に閉じこもり、防御のための攻撃を繰り返す人々は、罵詈雑言を吐き続ける。彼らの拠り所は、まさに淀んだ流れの中の廃棄物のような似非情報であり、一気呵成に責め立てる人々がネット社会に巣くっている現状がある。ここまで喩えてくれば、理解できる人には分かるだろうが、これは一昔前に議論された公害による大気や河川の汚染に酷似した状況である。企業の利益追求の結果として批判された公害とは異なり、一般河川の水質低下の多くは、ごく一般の家庭から出る排水が原因となっていた。それに警鐘を鳴らし、自分たちの問題として考える道筋を付けた結果、多くの河川の水質はかなり改善された。罪の意識の有無とは無関係に、こんな状況が生じることを考えれば、現在のネット社会の荒廃も同じ状態にあると言えよう。様々な規制では変わらないものが、一人一人の意識によって大きく変化した実例を、思い起こすべき時が来ているのではないか。

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2月6日(金)−分割

 変動の中で、一時的に大きな変化が生じた時、それに対する方策が施される。その多くは、変動幅を小さくすることで、人々への影響を減じるものだが、それが成功を収めた場合に、つい一時的措置を長期的なものにしたくなるらしい。何度も繰り返されているにも拘わらず、毎度お馴染みの展開となるわけだ。
 感覚は、心理的な因子に左右されるから、冷静なる数値分析は馴染まない。このところの経済状況に、そんな雰囲気を感じ取る人がいる一方で、感情的な言葉に惑わされる人が増えている。不安に苛まれる人々は、少しでも良さそうな話があれば飛び付くようで、この機に乗じて一儲けを企む人たちにとっては、千載一遇の機会となる。明らかな方針転換を迫られている経営者にとって、自らの過ちを認める気は毛頭なく、その代わりに、この窮地を脱するための方策が編み出される。と言っても、既に外国で導入されたものだけに、如何にも確実で、素晴らしい手法のように扱われているから、当然の選択と言えるかも知れない。一人一人の労働時間を短縮し、より多くの人々に就労機会を与える制度は、全てを失うよりもいいといった感覚で、こんな苦境には朗報に聞こえるかも知れない。ただ、じり貧の状況に、じり貧を適用するだけのことだから、全か無かという選択を迫られるよりもましというだけで、現実には苦しみが和らぐわけではない。それでも先行き不安が少しでも減じられれば、という思いが主だった理由となる。ただ、一時しのぎに過ぎない手法が、こういう機会を得て導入されれば、別の先行き不安が頭をもたげるのは当然だろう。始める前に結果を予測することは難しいが、少しでも好転する兆しが見えると、その魅力を前面に出し、継続を図る経営者が出てくるのが常だからだ。所詮能力のない人間に限って、人真似を繰り返すだけで、状況把握の力さえない。そう考えると、今の環境下での安易な導入は、一抹の不安を抱かせる。

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2月5日(木)−奉仕

 volunteer、この単語を知らない人はいないだろう。それ程社会に浸透した言葉だが、さてその意味となるとどうだろうか。奉仕と答える人が多いのは当然だが、改めて「奉仕」の意味を問われたらどうか。自ら積極的に、ということが当てはまれば良いのだが、今社会で盛んに行われているものはそれに見合うのか。
 銀行員が支店の前の歩道を清掃する姿が毎朝見られるが、これは当てはまるだろうか。公のものとは言え、自宅の前の道を掃くことを奉仕とは呼ばないだろう。ある企業の社長が公衆便所の清掃に励む姿は有名だが、こちらは十分その資格がありそうだ。この辺りの事情から、自らの利益ではなく、その他大勢の利益への寄与が鍵となることが分かる。もう一つの要素は、自ら積極的にということで、社会がそれを押し付けるような状況にあるものは、奉仕とは呼べないわけだ。その観点から見ると、かなり多くのものが失格であることが分かってくる。例えば、ボランティアで人にものを教える人々がいるが、一部を除けば、普及活動の一環として行われているものばかりだから、その為の報酬を受ける資格があるように見える。実際に、同じことをある現場で行えば有給なのに、別の現場では無給になる例は多く、そこに大きな矛盾が存在する。必要な知識を身に付けさせるためにある制度が準備される時、それは本人の利益だけでなく、社会における利益が見込まれることが条件となる。となれば、当然その経費は公的機関が負担すべきものとなる。しかし、その多くが奉仕という名の下に、実施されている現状があり、掛け声の割に成果が上がらない結果を導く。施される側にとって、無料であることは有り難いことだろうが、それが為に、十分な水準に到達できないとしたら、無意味なこととなる。専門家という意識が強い人々が奉仕に励むのは、積極的な姿勢の表れであり、奉仕させられる場合には、消極的になるだけでなく、専門家が集まる可能性も少なくなる。社会にとって重要な事柄であるなら、経費を用意しなければならず、その為に資金が必要となる。現代社会の抱える大問題は、こういう流れの中で資金となる税金を集められないことにある。

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2月4日(水)−世代交代

 閉塞感が強くなると、思い切った打開策の必要性を感じる人が増える。奇を衒う行動の可能性もあるだろうが、殆どは毎度の繰り返し、人事一新となることが多い。でも、と思うのは、穿った見方からかも知れないが、若手登用という名の下に、刷新人事を行い、目先を変えただけに終わるのは、何故だろう。
 衣料業界に新風を吹き込んだ企業が、突然の若返りを図り、話題を振りまいた後、何をしたかは皆の知るところだ。これを典型とし、偉大なる創業者の後継として、無名の若手を登用した巨大家電企業も、一時の注目を浴びただけだった。老害と同様に、若手登用が全て害を生じるとは言わないが、単なる人気取りに終わることが多いのは何故か。多くの場合、突然の大英断というわけで、腹案としてはあったものの、全体としての準備が不足していることは否めない。特に、引っ張り出される当人に、心の準備だけでなく、能力的な積み上げが不足していることが、最も大きな要因として考えられる。地位が人を作るとは言うものの、意外な登用ほど、悪い結果を産む確率は高く、それが招く損失は閉塞感以上のものとなることが多い。帝王学と呼ばれる手法が適用されず、青天の霹靂ばかりが流行れば、社会の安定は図れない。人を育てる力は、人を操る力とは別のものであり、同じ人物が両方に長けていることは稀である。経営手腕を持つ人物に必要なことは、跡継ぎを育てることではなく、それを担うべき人物を見出す力であろう。独裁者が一代で終わるのに対して、企業などの組織は次代に引き継ぐ必要があり、その為には別の能力が必要となる。社会全体が行き詰まりを感じる時、またぞろそんな動きが各所で見られるようだが、こんな時こそ浮き足立たず、落ち着いた人事を行う必要がある。奇襲は一時の勢いを増すには役立つが、長続きはしないものなのだから。

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2月3日(火)−茶番劇

 不幸に見舞われた人に対して、厳しい言葉を浴びせるのは、余りに冷たい仕打ちかも知れない。しかし、その不幸が自ら招いたものだとしたら、ここで問題点を指摘されることは、本人にとって意味深いものになるのではないだろうか。人は兎角他人に責任を押し付けようとするが、それは現実と直面しないだけのことだ。
 余りに頻繁に話題として取り上げるから、何か別の思惑があると誤解されかねないが、悪意に満ちた思惑を消し去るために、この程度では十分でないと思っている。一時的に売れ行きが鈍り、非現実的な見通しが否定された時、現代人は不況という言葉を持ち出すように思える。口先だけの嘘が並び、遂に馬脚が現れた時、逃げ道を作るために、更に大きな嘘を吐く。そんな図式かと思える経過を辿り、この機に乗じて全ての過誤を覆い隠そうと蠢く人々は、挙って「不況」の大合唱に参加した。ひょっとすると、そういう連中に狩り出されたことが、彼らを被害者とするのではないかと思える人々は、自らの悲惨さをカメラの前で訴え続ける。しかし、期待したほどの同情は得られず、実力の無さを補うような他力は降りてこない。却って、彼らの非常識や身勝手に注目が集まり、恥をさらす結果になったことが、本当の悲劇を招いたのではないか。茶番は言い過ぎとしても、まともな考えを巡らせられない人たちに、明るい未来は訪れない。冷静になれば、そんなことは容易に見極められるが、現在進行形でその劇に参加しなければならない人々にとって、茶番を茶番と笑えない現実がある。ただ、彼らがどちらの側に向かうかは、そこでの落ち着いた分析によるもので、その能力さえ備えていれば、こんな馬鹿げた時代にもごく普通に生きられるはずだ。自分を信じ、真面目に生きている人たちが不幸になるようなら、不況も本物だろうが、踊り狂ったあくる朝に少しくらいの疲れを見せるのは、当たり前のことにすぎない。

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2月2日(月)−利権

 暫く音沙汰がないと思ったら、また呆れた話が伝わってきた。経費削減のために進出した国の、思想の違いに何の疑いもなく、全てを任せる体制を築いた結果、起きたことなのかも知れないが、それにしても何処で間違ったのだろう。監視を強化することで防止を図ると言われても、その効果の程は期待できそうもない。
 他の国も含め、低賃金の魅力に飛び付いたわけだが、ほんの一部とは言え、非常識極まる実態に身の凍る思いをした人もいるだろう。悪意に満ちた行動を防ぐための手立てはなく、たとえ見張りを増やしたとしても、全てを排除することは不可能だ。食の安全で戦いた国もあれば、子供たちの健康やペットの命が脅かされた国もある。元を辿れば、一部の人間の欲深さが理由となるが、業務としての責任感より、人間の道徳観の問題とすべきことだろう。もし、それが国の単位での問題となれば、依存体制を考え直す必要がある。一つ一つの事件は、個人の問題として片付けられるものの、今回の報道から推測されるのは、依然としてある政治体制を維持する国の体質の問題であり、それに加えて、その国民たちのものの考え方の問題がある。歴史は単に起きたことの記録に過ぎないものの、何度も繰り返すことからすれば、それぞれの国に固有の特徴を表している。それを参考にした解釈によれば、今回の数々の事件はある意味起こるべくして起きたことであり、外からの圧力のみでは打ち消せないものとなる。急速な経済成長を経験したところで、貧富の差は増すばかりとなり、人々の欲を満たすための手段は、一部のものに限られてくる。そこに注目が集まった結果、その中での優位性を保つための手段は、更に極まり、悪質化の道を辿る。当然の帰結と言うのは乱暴だろうが、いずれにしても、この際改めて全体の仕組みを考え直す必要があるだろう。ただ単に抑止効果を上げるだけでは、体質の違いに打ち勝つことはできそうもない。

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