パンチの独り言

(2009年3月2日〜3月8日)
(腐敗、発狂、四面楚歌、特異性、注目、造反、経験則)



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3月8日(日)−経験則

 気候変動が何によって引き起こされるのか、様々な要因が考えられているようだが、どれも計算上のものでしかない。過去に起きたことから推測するにしても、温暖寒冷の変化の記録が精々であり、要因となるものの記録は残っていない。それにも拘わらず、断定的な論理が注目され、対策が急務であるという。
 何度も取り上げたことだが、こういう流れの背景には、何やら蠢くものが見え隠れする。拝金主義との関連は取り沙汰されることが少ないが、ここ十年ほどは殆どの話題に関連してきたことだけに、無関係と思う人はいないだろう。しかし、脅し文句はそんなことを微塵も感じさせないように仕組まれ、批判者を恰も人類の敵のように罵る。対策が本気で講じられ、隅々まで記録が録られるようになると、更に細かな分析が可能となる。そろそろ根本的な考え方の検証が行われてもいいはずだが、推進者にその気はないようだ。短期間の変動は別の要因によるとの論調が強まり、批判の矢を躱そうとする動きが目立つ。如何にも怪しげな感じがあるが、金に結びつく動きは簡単に綻びを見せないようだ。いずれにしても、身の回りで起きている季節の変化は、多少の揺らぎはあるものの、概ね従来通りの動きを示している。叫びに近い論調から推し量れば、もっと急激な変動も予想されるが、現実には鈍く、一方的でないものが見える。暫くの間は、なんだかんだと言っても、四季の変化を愉しむことができそうだ。自然の営みにも影響を与えるほど、たった一つの種が急激にこの星の至る所に進出したことは、当然別の影響を及ぼすことにも繋がる。繁栄を続けるために必要な手立ては、様々な形で悪影響となって現れ、自然破壊のみならず、自らの破滅に繋がるような副作用も与えている。過去の経験から容易に想像できる害も、欲望の抑制に繋がれば、未然に防ぐことへの抵抗が強まり、放置されていることが多い。多分、防止策が欲望の達成に繋がるものでなければ、関心を呼ばないのだろう。破滅の要素の一つ一つが、そんな状況にあるのではないか。

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3月7日(土)−造反

 味方だと思っていた人が反対派に回った時、裏切られたと思う人は多い。このことをおかしいと考える人は少ないが、どうだろうか。ある課題があった時、その解決法として様々な提案がなされる。その中で、自分の出したものを最良と思うことは構わないが、他の人全てが同じ考えになるかは分からない。
 そんなことを考えると、何時でも何にでも味方になってくれる人を、信頼が置けると思いたい気持ちは理解できないわけでもないが、本当に物事を真剣に考える人とは呼びにくい。特に、ある組織に属した時、この傾向が顕著に表れる。組織の向かう方に寄り添い、常に行動を共にすることは、組織の一員として当然のことと感じる人もいるだろうが、それが明らかに間違った方に向かっているのが分かる時、どう処するかは難しい問題となる。にも拘わらず、始めに書いたことはそれをも無視して、賛成に回ることを意味しており、これでは誤りを正すことには繋がらない。ご意見番と呼ばれる人々の多くは、敢えて反対の意見を表明し、それに対処することを組織の構成員に求めるが、一部の特定人物だけができることではなく、構成員全てがそんな考えを持つことが大切なのではないだろうか。造反とか裏切りとか、そんな呼ばれ方をするのは、誰しも嫌なものに違いない。けれども、誤った方に流れることを気づきながら見過ごすことの方が、結果は悪くなるのではないか。最近の典型として気になるのは、結果が出てから批判を展開する人々であり、もし途中で気づいていたのなら、それに関わり修正をかけることこそが重要となる。第三者的な評論を好む人々は、結局、この辺りの判断が下せず、反省する代わりに批判を繰り返しているのではないだろうか。何もしないよりはましとは言え、こんな状況で組織の変革が達成されるはずもなく、対立の構図を鮮明にするだけだろう。大切なものの順序を今一度確かめる必要があるのではないだろうか。

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3月6日(金)−注目

 日常、様々な製品に囲まれても、それがどんな研究成果によるものなのか、考える人は殆どいない。特に、基礎研究は何の役にも立たぬものという思い込みがあり、となれば、そんなことに思いを馳せる必要もない。このように遠い存在が、時折近く感じられることがある。報道の中で、応用に話題が移った時だ。
 工業製品は、様々な発明を含み、その多くは基礎研究の成果と繋がる。しかし、表からそれを知ることはできず、そんな背景から、興味を抱く人は少ない。それに対して、医療現場で使われる製品となると、様相が一変する。医薬品は殆ど全て研究に基づくものだし、医療機器も研究と直接繋がっているような感覚がある。だからだろうか、医療と関係する研究は取り上げられることが多く、興味を持つ人も多い。このところ話題になり、国家戦略の一つとして扱われている基礎研究も、画期的なものとして紹介され、多くの人がその将来に夢を抱いている。本来は、様々な応用が期待されているのだが、報道ではいつものことながら、話題性のある応用に焦点を当て、そのことばかりが強調される。注目を浴びる必要を関係者も感じているから、その支援を否定することなく、挙って話題を提供しているらしい。でも、と思う人がどの位いるのか、想像は付かないが、疑問がないわけではない。ここで注目される応用は、臓器移植が第一とされているようで、現在障害となっている問題を、一気に解決する手段として注目が集まる。この論理展開に疑問を挟むつもりはないが、端緒となっている話題には疑問を持つ人がいる。医療において、病気を治すことが第一であり、その為に様々な手段を講じることは理解できる。薬や手術によって多くの人の命が救われ、快復後の人生を楽しむ機会を与えることは、医学の目標の一つだろう。一言で言ってしまうと語弊があるが、だからといって手段を選ばぬことが許されるかは、別の感覚ではないか。機能不全に陥った臓器を入れ替えることが必要な処置かどうかは、依然として答えが出ていない問題である。それと関係した研究が全て否定されるわけではないが、そこに存在する問題を恰も無いかの如く扱うことには抵抗を覚える。

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3月5日(木)−特異性

 何か社会全体が誤解していたのではないかと思えることがある。独自性の問題だが、人と違うことが重要視され、均質社会を破壊しようとする動きが強まった時代があった。個人の問題と見なされた時代と違い、社会全体による支援の必要性が強調された時、飛んでもない方向への展開が実施され、大失敗となった。
 何が誤解かと言えば、人と違うことの解釈であり、重要な要素を確認せずに、違いのみに目を奪われたことだろう。それでも、その効果はさほど大きく現れず、大多数は依然として平均的な所に留まっていたが、この時期に育った人々の特徴の一つとして、異常なほどに違いに拘ることがあった。それだけならば大した弊害は出ないのだが、教育基盤の脆弱化と相俟って、基礎訓練が弱まったから、特異な才能を見出された若者の多くは、単に人と違うことをやるだけで、一種の見せ物的なものになってしまった。彼らは、確かに特異な才能を持ち合わせていたのかも知れないが、その多くは役に立つ水準に達することなく、注目を浴びただけで終わってしまい、殆どの試みが進路を見失う結果となった。おそらく、根本的な誤解があったのは、差異のみに目を奪われたことにあり、それが立つべき基礎が築かれぬままに事を進めたことにある。多くの人々は、それまでに行われてきた教育が、単なる繰り返しに過ぎず、大した効果を上げていないと思いこんでいたようだが、現実には、詰め込みと呼ばれた反復の多くが、基礎構築に大きな成果を上げていた。新たな手法の導入のために、まず除外された手法がそこにあったのは、ごく普通の成り行きだっただろう。しかし、その結果として育ってきた人々は、様々な欠陥を孕み、注目に値しないことがすぐに見破られてしまった。教育の効果を強調する有識者たちは、その成功例を提示するが、現実には失敗の方が遙かに多く、逆効果を指摘されることが多い。その認識のない人が多いことに不安を抱かざるを得ないのだが。

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3月4日(水)−四面楚歌

 大合唱の中で反論を述べるのは難しい。この国特有と思う人もいるだろうが、実は何処でも大した違いはない。合唱に加わっている人々は、殆ど理解できないままに、狂気に満ちた雰囲気が漂う。となれば、身の危険も感じられようし、その中で、敢えて危険を冒す価値も見出せない。こんな例が幾らでも出てくる。
 閉塞感に満ち溢れる経済状況の下で、全ての活動が止まったかと言えば、そんな筈はない。嗜好品や高級品は厳しい状況に陥っているのに対し、ごくごく当たり前の日常品には引っ込む場所がない。日々必要な必需品を使えなくなれば、あっという間に生活が滞り、真の貧窮状態に追い込まれる。一部の人々は確かにその状態にあるようだが、それまでの蓄積から想像するに、後先を考えぬ享楽生活の果てと思えるだけに、一般化は不可能だ。にも拘わらず、そんな彼らに焦点を当てる合唱団は、何処かが狂っているとしか思えない。この流れの中で、製造業の窮状が伝えられているが、これとても思惑に満ちた絞り込みが行われている。冷静な分析をする人々からは、全く違った意見が出され、如何に劣悪な情報に基づくものが巷に流されているかが見えてくる。ただ、彼らとて、現在の環境で反論を出すことの価値は見出せない。却って激烈な反発を産み出し、冷静さを保てぬ状況に追い込まれる可能性さえある。結局、一般大衆には偏重情報がもたらされ、一部の人にのみ確かな情報が与えられる。後者が国の行く末を決定する立場にあれば、それなりに安心できるものと言えるが、現状はそんな立場にある人々も、大衆への迎合からか適正な判断を下せる精神状態にないようだ。そんなことでは国の衰退を抑えられないと心配する向きもあろうが、戦争勃発などの余程過激な事件が起きない限り、時間の流れが最良の解決策を授けてくれる。騒いだ人々もいつの間にか疲れ果て、叫び声が嗄れた頃に、別の流れが始まるというわけだ。今回もまた、そんな展開になるのかも知れぬ。

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3月3日(火)−発狂

 猟奇的な犯罪が起こる度に、話題になることがある。異常な行動は異常な精神に基づくものとする判断から、その異常性が犯罪者本人の責任の及ぶ範囲かどうかという問い掛けが行われることだ。特に近年、精神の異常を病気によるものと見なし、他と同様に不可抗力によるとする動きが際立ち、問題化している。
 人権という立場からの見解だろうが、そこには様々な問題が潜んでおり、それが次々と顕在化している。その一方で、病気という考え方にも様々な意見があり、簡単に片付くような問題ではない。中でも、責任を問えないとの判断が下った場合に、どのような措置を施すかという問題は、再犯の危険性との関連から、本来重要な課題の一つであるはずが、どちらかと言えば、蔑ろにされている感がある。ここでも人権が問題となり、昔のように入院を強制することができず、この辺りの不均衡は根本から考え直すべきとの指摘を引き出している。一般社会でもこれほど重大な問題となっているが、それより遙かに深刻な問題が仮想社会で起きている。狂気に基づくとしか説明できない行為が頻発し、匿名性を活用することで、特定が困難と見られることが、更に悪質なものを産み、過激にしているようだ。これも病気と片付ければ、できないことはない。しかし、そんな処置が何の解決も導かないのは明らかで、下らない言い訳だけが並ぶことになる。仕組みの上で、犯罪の温床となることが明らかになった以上、何らかの制限をかける必要があることは当然だが、それにかかる時間や経費を考えると、他の手立てを講じることは不可欠となる。ここまで病んできた社会を見る限り、既に手遅れと思えないこともないが、社会の秩序を守ることは、現実だろうが仮想だろうが、必要に違いない。そんな観点から、何をすべきかを検討すれば、何かしら効果的なものが見つかるのではないだろうか。その上で、厳罰化などの導入をすればいい。

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3月2日(月)−腐敗

 如何に馬鹿げたことが行われてきたか、今頃になって批判の声が大きくなっている。勢いに任せて暴走を繰り返した中で、列車に乗り遅れまじと行動を共にした人々が、間違いを指摘し始め、下らない論争が巻き起こる。この顛末の最大の問題は、その場でまともな判断を下せない人の存在で、口先だけでは何も解決しない。
 下らないことの理由の一つに、前言撤回と保身との繋がりがある。自らの言葉を否定するのではなく、指揮官の言葉のみを批判し、自分の本意は違う所にあるとするもので、さもしい心の表れと言うしかない。だからといって、いまだにそちらの側に居続け、自らの正当性を訴える人々には、呆れるばかりであり、こちらとてまともな判断力を持ち合わせているとは思えない。要するに下らない人間の集団と化したわけで、その原因が何処にあるかを分析したとしても、おそらく大した効果は現れまい。それ程病巣は深く浸透しており、本体を蝕み続けているわけだ。この際、少なくとも集団全体を消し去り、再編成をする以外に方法は無いように思える。ただ、これまでの歴史を顧みる限り、一度巣くった病原菌は、そう簡単に一掃できるとは思えない。結局、彼らをのさばらせている人の存在が無くならないと、どうにもならないということなのだろう。腐敗がここまで進んだ時、果たしてどんな措置が効果を上げるのか、それを見極める時がそろそろ来たのだろう。戦後に構築された仕組みの問題点を指摘する声が上がり、それと共に現体制への批判が高まっているが、同調しかしたことのない連中には、何の解決策も見出せないだろう。一方で、批判しかしてこなかった連中には、全く期待できないだろうから、さて、どんなことが起きれば効果を上げるのか。一人一人の意識が変わる以外、何もなさそうだ。特に、私利私欲でなく、自分の周囲を変えることで全体の改善を図る手段を考えることが重要なのだと思う。

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