パンチの独り言

(2009年3月16日〜3月22日)
(盗人、選択、人材、自律、順送り、割引、即応)



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3月22日(日)−即応

 昔習ったことによれば、経済活動において需要と供給の均衡が全てであるとのことだった。長い目で見れば、変化が徐々に起こり始め、それに追随することで、均衡が保たれる訳で、全てかどうかは分からないものの、大きな要因になっていることは確かだろう。がしかし、此処最近の動向は少し違う印象を与える。
 需要が高まれば、それを追いかけるように供給が高まる。ごく当たり前に思えた変動だが、これは前半部分しか表していない。つまり、上昇傾向にある中では、こんな変化が現れ、それを実現するために、供給側は様々な方策を講じる。その一つが設備投資だろうが、そこまでの展開では当然と思えるものも、次に起きる変化の方向によっては、大きな負債を抱えることとなる。このところの経済状況は、急激な変化が数回起きた後に、逆方向への転換が起き、厳しい状態に陥ったことを示している。拡大が色々な形で支援可能であるのに対し、縮小はそれ自体を支援する手段は殆どなく、窮地に陥った企業は違った形で活路を見出そうとする。需要と供給の均衡が一度崩れ始めると、こんなことが起きるのかと驚かされるが、それよりも危機管理などという言葉が頻繁に使われている割に、特効薬を期待するという姿勢に、落胆させられてしまう。予想外と言ってしまえばその通りなのだろうが、このところの流れから見えてくるのは、需要の変化を永続的なものと見なし、それに対応したことが何かの原因になったことで、一時的な変化と長期的な変化を見極めることの難しさを実感させられる。ただ、なってみてから思うのは、何故これほど急速な対応をする必要があったのか、ということだろう。機会を捉えることの重要性が、あの当時何度も論じられたが、果たしてその判断は正しかったのか。更に言えば、こんな対応ではなく、もっと緩やかな対応を実施し、余裕を持って観察することも一つの方法だったのではないか、ということだろう。堅実と呼ばれた企業でさえはまった落とし穴に、落ちないための方法は、機会をものにしないという姿勢とは、何とも皮肉な話ではある。

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3月21日(土)−割引

 「ただほど高いものはない」という感想は当然かも知れない。安売りがあると聞けば、市内を走り回り、無料体験と聞けば、躊躇せず試してみる。労働の対価が議論されている中で、これはこれで全く別世界の話のようだ。しかし、消費が冷え込む中で、こんな催しが呼び水となるとは思えず、首を傾げてしまう。
 長距離の運転は、体力の消耗や精神の疲労を招くだけでなく、相応の出費を伴う。時間を取るか、経費を取るか、それぞれの置かれた事情によるところだが、遠出になると、時間を取る人が増えるようだ。そんな中で、刺激策としてまさかの実施に踏み切った政策は、それ自体の抱える問題だけでなく、様々な副作用を及ぼすこととなった。浮かび上がってきた背景には、燃料高騰があったはずだが、少なくともその嵐は過ぎ去り、大きな理由の一つは消滅した。にも拘わらず、勢いの付いたものを止めることはできず、関係する業界も巻き込んで、いよいよ本格実施が近づいている。そんな中で、色々な催しが企画され、業界の活性を高める工夫もなされてきた。そこで発せられた言葉が、始めに書いたものというわけだ。無料配付という画期的な企画に、安いものを追い求める人々が群がり、凄まじい騒ぎが起きた。流石に暴動とはならないものの、様々な手続きに膨大な時間を要し、購入すれば数万円の代物を手に入れようと躍起になった人々は、手に入れる権利を掴んだ喜びも束の間、別の疲労感に苛まれる結果となる。一時的な措置とはいえ、どんな騒ぎが起きるのか予想が付かないままに、間もなく本格実施が始まる。ここでも、権利を手に入れるために、殺到する人々が出れば、混乱は必至となる。通知が不十分と思われた試行段階でさえ、倍以上の利用者が出たとなれば、最近の風潮からすれば、バーゲンに群がる主婦の騒ぎに似た事態となるかも知れない。折角手に入れた時間の節約が、もしこんなことで無駄となるのなら、はてさて何のための道路なのか、意味が分からなくなるのかも知れない。

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3月20日(金)−順送り

 皆に均等の機会を、という観点から何かを進めるのは、平等という考え方が基本にあるからだろう。その一方で、役割分担という分業制は、必ずしも機会均等に拘らず、効率的な運用を目指すものだ。後者に前者の考えが採り入れることは、よく行われているが、その多くは互いの良い点を殺す結果になっている。
 一種の悪平等と言える現象は様々なところで起きている。いちいち取り上げるつもりはないが、何か不都合が起きる度にその原因を探ると、適材適所が守られていないことがわかる。何故そんなことが起きたのか、理由は簡単で順送りの担当交代にある。昔から、こんなことは行われてきたのだが、此処にきて発覚したのはなぜか。おそらく、能力の有無だけからすれば、昔も今も大した違いはないのだろうが、新たな役割を担当する心構えに違いが生じているように思える。盥回しとは言い過ぎだろうが、他から回ってきた仕事をそのまま漫然と継続させることは、安定期には何の綻びも生じないのに対し、少しの変化が起きても、対応する体制が整っていないため、破綻を来す結果となる場合が多い。心構えとは掴みにくい対象であり、具体的な対策は容易ではないのだが、逆に一人一人の考え方がしっかりとすれば、どのような場合にも対応可能であることとなる。意外に難しく思われているようだが、実際に取り組み姿勢や見方を変えられれば、大した手間を変えずに実現可能なのではないだろうか。此処での大きな違いがあるとすれば、やってみることの大切さが忘れられていることで、試みもしないまま、だめだしをする姿勢にある。ほんのちょっとしたことと思う人に対し、ものすごく大変なことと思う人は、能力の違いもあると思うけれども、最も大きな影響を及ぼしているのは、その時々の取り組み方にあるだろう。人から回ってきたからとか、順番だからとか、そんなことを言っていないで、今の役割を理解し、真剣に取り組むことが必要なのである。

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3月19日(木)−自律

 こんな文章を書き散らしておいていうのも何だけれども、どうにも内容の乏しい文章が巷に流されている。ネット社会の発展と共に、素人の文章がどっと流入したからと指摘する人もいるが、現実には書くことを生業にしている人のものの方が目立つようだ。時間との争いでは、徹底した吟味も無理という言い訳も聞こえるが。
 腰を落ち着けて書き上げる文章ならば、とことん徹底した調査も可能だろうが、毎日書き綴らねばならないものとなると、そうもいかない。不十分な情報に基づくものでは、間違いもあり、誤解も多くなるというのだが、その文章から感じられるのは、そういったものではなく、思い込みや恣意的なものであり、単なる情報不足とは異なる事情がある。大学入試で使われると持て囃された文章も、ある時期を境に、主義主張の低俗化が目立ち始め、読み取るべきものの欠如が露わとなった。本来手本となるべきものが、そんな調子で質の低下が否めなくなると、素人たちが頼りにするものが少なくなる。その流れに伴って、悪影響を及ぼし始めたのは、文章の独自性の喪失だろう。生業とする人々が、様々な所で剽窃する姿が目立ち始め、それがまるで見本となっているような雰囲気が漂っている。他人の創作を何の躊躇もなく拝借し、自らの文の中に採り入れることは、権利の侵害以外の何物でもなく、忌み嫌われるばかりか、はっきりと禁止されている行為である。ネット社会は仮想社会に過ぎず、現実とは大きく異なることから、不心得者の傍若無人ぶりが目に余るが、特定されることがないとか、捕まるわけがないとか、そんなことを理由に違法行為を繰り返す神経には、呆れるばかりだ。こんなことを繰り返す人の多くは、単に自らの無能ぶりを表明しているに過ぎず、自分を貶めている事に気づかない。その程度の理解力だから仕方ないとするのも一つだが、もう一方で、自らを律することの大切さは能力の高低とは無関係なのではないか。倫理や道徳はまさにそこから現れるものであり、それを持たぬ人は自分の知能を活かせないと言うしかない。

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3月18日(水)−人材

 何を優先して考えるか、人それぞれに違うのは当然のことだ。友人との間でも、全く違ったことを考え、違った結論を導き出すことは当たり前で、違っているからこそ、別の意見を聞くことができるとも言える。しかしいつ頃からか、同じ意見を持つことの大切さばかりが強調され、多様性が嫌われるようになった。
 均質性というのは、全体を制御下に置こうとした時には便利だが、苦境に際して、活路を見出そうとする中では、殆ど全く役に立たない。前者が優先されるのは、安定した時代には仕方のない所だろうが、少しでも変動があった時には、明らかに間違った方向に向かうきっかけを与える。そこで、多様性の出番となるのだろうが、それまで均質を追求してきた集団に、果たしてその転換が可能なのかと疑いたくなる。その意味からすれば、一様に同質の人々を集めることの利点を捨て去り、まずは、様々な様相の人々を集めることの方が重要なのではないか。国などの単位では、集めることは不可能であり、育て上げることが唯一の方法となるが、企業などの単位では、社内教育による育成を試みる前に、どんな人間を集めるのかが重要となる。採用担当の責任の重さは、一人一人の人間の採否ではなく、全体としての多様性にあると言っても過言ではない。確かに、業務が決まっている中で、その遂行だけを考えれば、ある能力の有無のみが問題となるが、現実にはその時の状況が長期に渡って継続するとは限らない。そこからして、対応力の問題を優先することも重要となるわけだ。ただ、その力を見極めることは往々にして難しく、それを計る努力をするより、種々の人間を取り揃えることによって、効率は幾らか落ちるにしても、そこから様々な対応を可能とする集団を構築する方が、手っ取り早いと言えるだろう。ただ、長く続いた安定により、そんな考え方は余り重視されず、結局のところ、無難で効率的な人を揃えることとなる。数年先、こんなことを反省する時が来るのではないかと思うが、今焦っている人々にはそこまで思い至るだけの余裕はないようだ。

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3月17日(火)−選択

 順調に進む筈だった仕組みが暗礁に乗り上げ、問題点を整理する機会が与えられた時、何事もなかったかの如く修正をかける学者と、誤りを反省し根本原理の再考を始める学者がいる。前者に尊敬が集まるとも思えないが、後者もその態度如何によっては軽蔑の眼差しを向けられる。反省は自らを否定したのかという観点から。
 この問題は、二つの選択肢の一つが正解であるという考えに基づいているが、それが正しいのか疑問が残る。実験の多くは仮定の正誤を検証するものだが、だからといって、全てが二つに分けられるわけではない。それが経済活動となれば、そこには無数の選択肢が存在し、それを二つずつに分類したとしても、何処かに限界が現れる。たとえ、相反するように見えるものでも、最終的には必ずしもそうならないこともあり、断定的な判断はより危険に思える。このところの根本的な考えについても、小さな政府の構築や企業の合併による巨大化など、それが恰も唯一の解のように扱われたものが、現実には様々な危険性を孕み、歪みが極限に達した時、全くの無力であることが露顕した。経費削減を目指し、効率化が図られたが、実際には能力を減退する結果のみが目立った縮小化は、暴走の勢いが緩み始め、同様に効率化を図ると共に、難局を乗り切るために拡大化を実行した企業は、本体の衰退により、周囲をも巻き込む沈没という最悪の終局を迎えるに至った。特に後者については、本体の不振を他所に、吸収合併を繰り返す巨大企業の戦略に、様々な異論が当時から唱えられたが、此処に来て、厳しい現実に直面し、他国の政府にさえ依存しようとする姿勢に、批判が集中している。これらの戦略は、様々な面から検討された筈だが、現実には一面的な捉え方だけが強調され、危機管理への対策は講じられなかった。そう考えると、仕組みの問題を論じることは実際には何の役にも立たず、どんな選択をするにしても、常に対策を講じておくことこそが重要であるという結論に達する。今更、当時の決断を悔やんでみても、何も始まらないではないか。

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3月16日(月)−盗人

 盗人猛々しいとは、よく聞く言葉である。悪事を罵られて居直った時に言われることだが、最近「盗人」を自覚しない人間が増えているように思う。言い逃れに終始し、責任転嫁を繰り返す人々に、時にこんな言葉を浴びせかけたくなる。常識が通用しない時代には、こんな輩が巷に溢れ、無法地帯と化するのだろうか。
 よく聞かれることに、詐欺という犯罪は仕掛ける方でなく、騙される方が悪いとする話だ。確かに、他愛もない話に乗せられ、大金を注ぎ込むのはまともな神経では考えにくい。儲け話に引きずり込まれるのも大した違いはない。善人が騙されるとする人々がいるが、現実には常識に基づいて相手をすれば、大抵の誘いには綻びが出る。お人好しと言われることを喜ぶのは、大抵にしておいた方が良いということだろう。しかし、この話とて、誰が悪いかとなれば、当然騙す奴が悪い。それを居直って、こんな話に乗ったのが悪いとか、儲け話をしただけで騙すつもりはなかったとか、そんな言い訳を吐くようでは、罪の意識も感じられない。これと同様とまでは言わないが、社会的な地位にある人々が時に恥知らずの発言をするのは、如何なものかと思う。不況に陥ったとの認識から、企業を守るために様々な方策に走るのはやむを得ないとしても、以前の強気の弁を翻し、自らの無策を棚に上げるのは情けない。そんな連中が巣くう組織が、また盗人のような話をしたと言うから呆れる。勉学を続ける人々にとって、最大の目標は働く場の獲得だろう。その為だけに進学する人間の神経は理解不能だが、いずれにしてもそれに向かった邁進する姿には、毎度のことながら焦りが滲み出している。売り手市場となれば、大した苦もなく獲得できたものが、不況の声を聞いた途端に、様相は一変し、慌てふためく姿が目立つ。そんな中で、学校から出された就職活動開始時期を遅らせる提案に、企業の代表たちは飛んでもない答えを返した。連中の無知は今に始まったことではないとはいえ、またかと思う人は多い。何様のつもりなのかと言われるだけだが。

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