品格などという言葉で、あるべき姿を表現することが一種の流行を見ている。失ったものを追い求めるかの如くの流れだが、どうも違和感を覚えざるを得ない。というのも、それぞれの時代において、品のない行動をした人は山程いたわけで、これが今に始まった事とも思えないからだ。今更何を、といったところか。
それにしても、顔馴染みの人間が突然家に上がり込んで、高価な品物を持ち出そうとするのは、如何なる理由から来るものか。問い質す為に、一時的に家に留めていたら、そちらの家の前で遊んでいた子供たちが、いつの間にか拉致された。この行状にも、意味不明な理由がつけられたようだが、所詮戯言に過ぎない。流石に、ここまで極端なことが起きるはずもない、と思っていたら、そんなことがいとも簡単に起きてしまった。こんな時、互いの恩恵などという、姿形のないものを頼っても、何の解決にも至らないだろう。そういえば、あの家は以前色々な人に土足で上がられたことが、と思ったとしても、その原因と解決はどんなものだったか、所詮他人事であり、さっぱり要領を得ないに違いない。互いに大人なのだから、といった言葉も、ここまでの罵詈雑言、意味不明な話を見れば、何の根拠もないように思える。自分の家のことばかりに目を向け、向こうの家の身勝手な事情に、批判の目を向けない人々には、こんな状況は霧の中にいるのと同じだろう。ここで改めて、品格という言葉を持ち出してみても、相手にそれが求められるのか、果たしてそんな言葉さえ知っているのか、そんな話になるだけのことだ。両家の紛争は、結局のところ、外からの圧力によって抑えつけられる。その結果がどうなるのか、互いに知っている筈なのに、知らぬふりをしているだけだろう。家と国の違いなぞ、こんなところには一つもない。
母国語と以前は呼んでいた筈だが、最近は母語という言葉の方を屡々見かける。国と言葉は直接的な連結が無く、一概に国で括るのはよくない、といった考えから来るのだろうか。いずれにしても、人それぞれの考え方は、その育った環境に依存する部分が大きく、当然言語の影響も大きいと言われる。
世界が小さくなるに連れ、一つの場所に留まることは難しくなった。移動を繰り返せば、その度に、意思疎通の道具を替える必要が出てくる。現地の言葉を自由に操れれば、それに越したことはないものの、その負荷は尋常ではなく、多くの場合共通語に走ることとなる。世界を基準とすれば、それが英語となるわけだが、互いの意思疎通はある程度図れるものの、母語での考えをそっくりそのままに表すことは難しくなる。今、この国に属する企業の一部が、世界企業の名に恥じぬよう、共通語の導入を進めているが、上辺だけの議論に留まったとしても、不思議ではないだろう。そんな筈はない、と否定する声もあるようだが、意外なところにその証拠がある。この国の言葉は、今ではごく自然に一つしかないと思われているが、その導入時には、大きな混乱を生じた。その本質的な問題については、言語学者たちが大いに議論するところであり、そこには現代社会での母語と共通語の問題と、全く同じものが現れてきた。挨拶程度の内容に留まる議論では、大した結論が出せず、悪い結果しか生まれなかったものが、最近は、そんな話をする人も減った。何しろ、方言を母語と感じる人が減ったわけで、これでは何を考える糧にするか、と論じるわけにも行かぬ。このように、標準語が根付き、母語となるなら分かるが、その可能性もないところに、導入を検討するのは、自らを滅ぼす愚考に他ならない。
あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、主体性のない人間たちが、視線が定まらない中で、何処へ向かうのか。信頼も、自らの主義主張を貫き通す中で、勝ち得たものであればまだしも、顔色を窺うばかりで戴いたものであれば、強固になる筈もない。地固めと称しても、何が地なのか分からぬ内に、終わってしまった。
民意という言葉がこれ程頻繁に使われる時代もないだろう。民主主義なる言葉が作り出された当時でも、そういった感覚は予想以上に薄かったのではないだろうか。主義主張がある時代であれば、民意もそれなりの形をとったのだろうが、今みたいに、そういうものが喪失された時代には、形がとれる程の堅さも感じられない。どちらの側にも主体性はなく、何処にも確固たる自信がない中で、一体全体、何が決められるのか、また、何処が決めるのか、さっぱり見えなくなってしまった。そんな姿に不安を抱く人間もいるが、彼ら自身が何かを持つわけでもないから、追随する対象を見失ったことによる不安、という解釈しか成り立たないようだ。欲ばかりに走る人々が、要求を突きつける時代には、そこから生まれるものは殆ど無く、ただ、何処かに流れ落ちていく姿しか、見えてこない。こんな中で、将来の展望を語れというのも、全く酷な話に違いないが、逆に見れば、こんな八方塞がりの時代だからこそ、未来への道筋を見定める力が必要となる。戦争に敗れた後、進むべき道を見失った人は多かったのだろうが、そんな中で、自らを見つめ直すと共に、先に進むべき道筋を見出そうと、もがき苦しんだ人もいた。だからこそ、今のこの状況が導き出せたわけで、それを理解せずに、ただ悩み苦しみ、不平不満を漏らすのは、何とも情けない状態と言わざるを得ない。こんな時だからこそ、という考え方の重要性は、こんな時にこそ理解できる。
昔のように、舶来品を買い漁る姿が映し出されることは少なくなったが、依然として、礼賛する姿勢が衰えることはない。自国品の良さを認識するより先に、他国品を絶賛するのはどうかと思うこともあるが、この国の人々にとっては、何故か分からなくても、そういった行動に出てしまうのかも知れない。
そんな態度が強まったのは維新以来と言われるが、歴史的には、ずっと長い間外からの移入を続けてきたことから、ついこの間に始まったことでもないようだ。ただ、同じように舶来品尊重といった雰囲気が漂う、学問の世界では、品物よりも遙かにその傾向は強く、また始まりも維新辺りと見るのが正しいようだ。国策として推進されただけに、かなり大きな影響を残し、自らの力で新境地を開拓するといった気運が高まることは、とんと無かった。それに異論を唱え、様々な運動が推進されても、根本からの変化が誘発されることはなく、依然として、舶来品の尊重が続いている。その最たるものに、使用言語の選択があり、世界進出と関係し、公用語なるものの選定を始めるところも多い。ここでも、島国でしか使われない言語でなく、最多数の国が使う言語を、といった考え方が優先され、四苦八苦しながらでも、将来の利益追求という旗印の下、強制力の行使が行われている。台本通りの展開があり、細密な議論を必要としない現場では、そんなことで何らかの影響が及ぶことも無かろうが、最先端、最前線での意思疎通で、齟齬が生じないとは限らない。導入推進派にとって、理由は多々あるものと思うが、懐疑派には、何処か空しい感覚だけが残る。言語は単なる道具に過ぎず、そこに問題は生じないと主張する人々も、言語の元となる文化の違いは認識するわけで、その差異が何も生じないとは言えず、もっと真剣な議論がなされるべきだろう。
報道の姿勢に関して、色々なところで批判の声が上がっているが、依然として、生温い体制は変わっていない。その最大の要因は、互いの目の緩さであり、他山の石といった感覚が、何処か無くなってしまったようである。ここまで症状が酷くなると、少しくらいの手当てでは完治が望めないのも、困ったものだ。
報道に携わる人間にとって、流すべき情報の信頼性は、何よりも重要なものである筈だが、最近の垂れ流し状態からは、そんな姿勢は窺えない。何より、注目を集めることが重要であり、その情報の意味や重要性自体は、さほど重視されない。話題性が優先される状況では、その真偽のほどよりも、下世話な要因が大きく扱われるだけに、伝統的であった筈の、裏を取る作業は後回しにされるか、もっと酷い場合には、始めから無視されることとなる。何故、このような状況が強まることとなったのか。その責任の殆どは、業界内部の人間にあることは確かだが、馬鹿げた情報に踊らされ、右往左往を繰り返す一般庶民の反応も、大きな責任を持つことに気づかねばならない。他人のせいにすることが、平穏無事な生活において、最優先とされる事柄、という時代には、こんな考え方や面倒を、自分から選択しようとする人は少なく、それ自体を問題としない限り、改善の可能性が出て来ることはない。これほど明白であるにも関わらず、どういう訳か、そっちの方に考えが及ばない大衆にとって、今の状況は喜ばしいものであるのか、はっきりとはしない。一つには、短期的な観点で、こんなことを眺めてもすぐには結論が出ないことがあり、もう一つには、では長い目で見ることは何か、ということを知らないのが大きな原因であろう。自分自身のことでも無理なのに、他のことには有り得ない、といったところだろうか。
移動する手段は様々にある。大量輸送としては、鉄道が最も優秀なものと言われ、高速輸送では、航空機に利があるとされる。公共交通機関は、色々な利点があるとは言え、共通が第一となるだけに、不便な点も出てくる。そんな中で自家用車は、自分達の計画を実行するだけという、大きな利点をもつ。
一時期は、特に環境への影響から、車での移動は悪いものとされることが多かった。確かに、少数の人間しか運べず、燃料を燃やすことによって生じる燃焼ガスは、大きな影響をもつものと見なされることが多かった。だが、時間節約の為に使われる輸送機関では、更なる低効率が問題視されるべきで、そこに話題がいかないような、特別な扱いが続けられてきた雰囲気が漂う。一方で、経済効果の観点からは、全く別の見方も出て来るようで、この手の問題が議論される度に、不思議な論理が紹介されることとなる。現実に環境への影響を考えた時、どれが最も良い方法なのか、という点に対する答えは、すぐには出てこない。それぞれに、全く違った特徴をもち、それぞれに、違った方向の影響を及ぼす。そんな情勢では、これと決まった形の話はし難く、結論は簡単には出せそうにもない。にも拘らず、次々に出されて来る批判には、何処か極端な考え方に基づくものが多くあり、思惑やら意図やらが見え隠れする。実際にどの方向に向かうかは、どの時点でも見極めることは難しいものの、未来への責任などという言葉を引き合いに出されると、そんなに気楽に構えることも難しい。これから、どんな展開があるのか、予想することは難しいが、何やらとってつけたような話を引っ張り出して、ある方向に議論を導くのは、何処か怪し気な雰囲気が漂う。どんなことになるのやら。
子供の頃に、困っている人を見かけたら、親切にしてやりなさい、と言われた人もいるだろう。最近は、正反対のことを教えられているようで、特に強調されるのは、知らない人と話をしてはいけない、といったところだろうか。これでは、人助けをすることはおろか、親切などという表現もあり得ないこととなる。
物騒な時代となり、海の向こうのことだけと思っていたら、もう最近では、この国の中でも見知らぬ人を鬼と思え、といった教えが横行するようになっている。他人を信頼するかどうかの判断をさせず、何が何でも拒絶せよというのでは、人との関わりの形成は難しくなるばかりだ。仲間かどうかの判断が先に立ち、余所者には目を向けるなとか、軽々しく口をきくものでないとか、何ともぎすぎすした雰囲気だけが漂う。そんな中で、親切とか協力とか、そういった感覚が芽生えるはずもなく、ただ殻に閉じこもるだけが、唯一の選択となりかねない。それでも、人間性を維持できた人々は、自我の芽生えと共に、自らの付き合いの範囲を広げ、成人すれば、自分だけの判断で、相手を選ぶこととなる。環境にも徐々に慣れるに従い、判断力も身に付いていくものだが、こんな流れは、既に過去のものとなりつつあるのだろう。過保護と見るべきかは分からないが、失敗を恐れる余り、他人を遠ざける行動に終始するのでは、経験が豊かになるはずもない。特に、核家族が中心となってからは、高齢者との接触の機会は激減し、接し方を身に付けた若者は、殆ど見かけなくなった。そんな中で、老人への労りを説いたとしても、理解を得ることは難しい。弱者という言葉も、自分を含めることはできても、他人がその範疇に入ることは、意識したとしても理解できないものらしい。こんなところに、様々な人と接する機会の喪失が、大きく影を落としているようだ。